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はてなキーワード: 点字ブロックとは

2014-09-12

自分他人のことをあまり考えていない勝手人間なので、

全盲人間は一人で混雑している時間電車に乗るな、

またそこまでキツい言い方でなくてもそれに近い意見不思議に思う

3年前まで自分は乗降者数が全国2位の駅の近くに勤務しており、

白杖を持って点字ブロックカンカン鳴らしながら歩いている人は毎朝2名ほど見かけていた(おそらく同じ駅周辺に勤めている人だったのだろう)

自分にはそういった人たちの手助けが出来る知識も無く

進行の邪魔をしたくないから避けて歩くようにしていた

それだけ

から

公共交通機関を使うために障がい者側が配慮を」

と言われると?

だし

「親切にしたのに当たり前の態度をされたからもうやらない」

なんて言われると???

世の中に余裕が無さすぎるのかな

そもそも杖ついて歩いてる人がいて避ける隙も無いなんて

時間的にか空間的にかわからないけどどれだけギリギリで過ごしているのかと

もしも自分がある時突然全盲になったらと考えた

何で自分がこんなメに(目とひどい目をかけているわけではないです)!

自分かわいそう!親切にしろ優遇されても当たり前!

となると思う

それからもしも自分の目の前であからさまに手助けを必要としている人がいて

その要求内容も明らかであれば手を差し伸べるだろう

それに対して感謝されたいとは思わない

しろありがとうなんて言われたら気持ち悪い

勘違いしないでほしい

自分の気分が落ち着かなくなるからやるだけだ

以前、ここに別件で書き込みをしたら「それはコミュ障からだ」と言われたことがあり

どういう障害か具体的な症例を調べたこともないのでわからないが

他人を気にしなさ過ぎる人間なのは間違いない

ただ、周りがもっと他人のことを気にしなくなれば

盲導犬をわざわざ刺したり

白杖を持っている人や妊婦悪態をついたり

そういう人も減るのになと思う

2014-09-11

白い杖でたたかれたことがある。

朝、通勤や通学で賑わう駅。

点字ブロックのそばを歩いていたら、足首に痛みが走った。

二回目にたたかれて振り向くと、サングラスをかけたおじさん。

びっくりして立ちすくんでいると、それから二度三度、だんだん強くなる。

痛みが強くなって、点字ブロックのそばから急いで離れた。

おじさんは何事もなかったように去っていった。

わたしの足首には青あざ。

そんなものなのか、そんなものなんだろうなあ。

2014-09-05

http://anond.hatelabo.jp/20140904101215

>差別といえば差別化もしれませんが、それを言ってしまうと、点字ブロック障害者専用パーキングなども差別になってしまます

障害者に対して特権を与えることは、確かに逆から見れば差別と言うことは出来る。しかしながら、これは社会的に受け入れられる差別であろう。

障害者専用パーキング悪用されるケースはともかく、本当に障害を持っている人が近くに停めて目くじらを立てる人は居ない。

翻って、性別で人を差別することは社会的に許されることではない。

2014-09-04

http://anond.hatelabo.jp/20140903223917

女性専用車両女性だけでなく、子ども障害者のためのものでもあります

女性等がその電車を利用する権利を主張するのはおかしいですが、

現状は平日の通勤時間帯に限って、健康男性の強力で成り立っているのではないでしょうか。

差別といえば差別化もしれませんが、それを言ってしまうと、点字ブロック障害者専用パーキングなども差別になってしまます

2013-10-26

点字ブロックに停めてる自転車どかすの楽しすぎワロタwww

善人ヅラ出来るwww

おまえらもやろうずwww

2013-08-15

レディーファーストしない男性って最低だよね

って僕の友人たちが言ってました。

階段エスカレーター下りときは男が先に。上るときは後に。ヒール履いてるのに点字ブロックの上を歩かせるな。車道側を歩け。など

そういうことが当たり前にできて最低ラインとのこと。

ヒールは辛いだろうし気持ちはよく分かる。僕は若干フェミニストなのでレディーファーストすることに抵抗はないのだけど。

その彼女たちは遊んだあとの片付けをしない。男をこき使う。あれを取って。これを持ってきて。

こんな可愛い私たちと遊べるのだから。さも当然のごとく。

きっと僕らは彼女たちにとって、いい男ではないのだろう。

いい男の前では取り繕っているのだろうから

彼女たちは俗にいうモテる女性だ。

でも決して美人ではない。背伸びをすると届きそうな容姿である

この層が一番やっかいだと最近思う。

あぁ、素敵な女性出会いたい。

2013-05-26

【後編】乙武さんの入店問題からみる、うちらの世界に関して

これの続き

http://anond.hatelabo.jp/20130525211446

前回のまとめ

障害者ウゼー

障害者区別したらどうなるかな・・・

・回りまわって低所得者である自分区別されちゃうかも?

区別されるのは嫌だ「区別するのは良くない!自由にしろ」って言い出す。

低所得者ウゼー

・どうやら人を区別するとうまくいかない。乙武を批判すると回りまわって自身に跳ね返るっぽい。

前回のポイント

何で健常者が障害者に対して特別扱いしなきゃいけないのか?やる必要もなければしたくもない。

大体あいつら働いてるかもわかんねーし、社会に貢献度合いも低い。

そんなやつらに手間ひまやコストを掛けるだけ無駄だし、ほかの所に掛けたほうがよい。

ってなことを言い出すと

回りまわって【年間所得800万以下の低所得者】も

障害者と同じような、もしくはそれ以下の待遇を受けてしまう。(弱肉強食世界のため)

 

用語説明

1.弱肉強食世界現実世界

2.理想世界(みんなが幸せ世界

低所得者=年間所得800万以下の人たち(日本税金の50%は、人口11%に過ぎない年収800万以上の人達だけで払っている。)

弱肉強食世界では障害者低所得者は虐げられて当然であり、自然なこと。

虐げることは悪いことじゃない。当たり前。自然の摂理

何で虐げるか?だって弱いんだもの

間所得800万以下の低所得者は虐げられたくなければ、理想世界目標・構築せざる得ない

障害者のなんか相手したくない!って虐げると、回りまわって自身も虐げられてしまう。

でもそれは嫌。だからこそ大部分の人たちは理想世界目標にして

「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」とか「人は全て、生まれながらにして生きる権利を有する」

とか偽善を言い出しちゃうんですね。

ですがこの偽善を否定すると、障害者低所得者は虐げらちゃうというポルポル状態。

障害者コストが掛かりすぎるから

非常に不服なのですが、障害者でも幸せに生きられる世界を構築しないと駄目のようです。

いやーめんどくさいですねー。

どれだけのコストがかかるのか。障害者エレベータも作らないと駄目だし、点字ブロック

障害者専用スペースとかも作らないと駄目なんですよ。うざすぎる。

と健常者から視点かきましたが

高額納税者から見れば、殆ど税金払ってない低所得者に対して

図書館公園の利用

上下水道の整備・公道の整備

政治への参加、虐げない・・・etc

はちょーめんどくさい以外の何者でもないんですけどね。

コストが掛かるから嫌は通用しないっぽい

何が言いたいのかというと

理想世界を目指すのであれば、基本的には、

「どれだけコストが掛かったとしても、どうにかしないと駄目」

ということです。

そうしないと、図書管理の利用とかトイレ水道とか使えなくなっちゃうかもしれません。

いやいやいや。そんなこといったって現実問題として無理なことはあるだろ!

Exactly(そのとおりでございます

現実問題として、何から何まで対応しろってのは無理があります

我々の現実世界では資源・資金は有限です。

ですので、優先度が高い順に、

少ない費用効果が大きく緊急度が高いものから対応していきます

ちなみに障害者対応の優先度は

全体的に見て、かなり低い位置にあります

資源・資金が有限である以上どうしても

弱肉強食世界適用せざるえないですね。

3.11津波ライフラインがズタズタになったとき

障害者設備の復旧はかなり後回しにしました。

じゃあ結局乙武さん問題はどうすりゃいいのよ?本来は入店させないと駄目なんじゃない?

ようやく乙武さんの話になります

本来であれば乙武さんをお店に入店させるべきですが、現実問題として無理があったと思います

狭い店内、高い階段、使えないエレベーター・・・etc

お店の構造障害者に優しくないつくりをしているため、

乙武さんにサービスを受けさるにはコストが掛かりすぎます

 

ですが、理想世界を目指す私達は

「どれだけコストが掛かったとしても、どうにかしないと駄目」なので

現実問題として無理があったとしても、どうにかできなかったお店が悪いことになります

まり、お店の作りが悪かったため、障害者が入店できなかったことが駄目ということになります。 

は?お店の作りが悪いで済ますの?他の店もそんなもんだろうが!いい加減にしろ

現実問題として、普通飲食店障害者に厳しいお店が一般的です。

ですが今回のお店が障害者にやさしい作りになっていれば

乙武さんも入店拒否されることもなかったのも事実です。

何だか話が変な方向に流れてきましたが、お付き合いください。

理想現実。そして認識・理解

1.理想としては、日本中のお店を障害者にやさしい作りにすれば万事解決なのですが

2.現実としては、日本中のお店を障害者にやさしい作りにするのは不可能です。

3.ですが不可能といってもうちらは、誰もが(障害者も)幸せになる理想世界を構築しないと駄目なわけです。

 

上記1.~3.のことを認識・理解しているか否かで、人の対応全然違いますね。

何が正解だったのか?

お店側は「理想世界対応すべきですが、まだできていないお店です。すいません」とか言って

乙武側は「障害者対応するのは現実問題きびしいですよね。頑張ってください」とか言えばよかった

まり

双方が自身のおかれている現実直視すればよかったのだよ(キバヤシ)

 

逆に、言っちゃまずいのが

お店側が3.のことを考えずに「障害者にやさしくする気なんて微塵も無い。視ね!」で

乙武側が2.のことを考えずに「障害者にきびしいお店ってバカか!配慮しろボケ!」ですね。

今回の問題は不味い方向に転びましたね(達観)

理想世界構築のためにうちらはどこまでやるべきなのか?

この手の問題でよく出てくるのが、理想世界構築の自身がどこまでやるのかです。

恵まれない子供達への募金は幾らまで出すべきか?

障害者に対して、どこまで配慮すべきなのか?

環境問題に対して、夏場はどこまでエアコン止めるべきなのか

最近の話だと、今後発生する深刻な食料不足のために昆虫を食べないと駄目のなのか?

などなど、やるべき事はたくさんあります

 

本来であれば、理想世界構築のためには上であげたこと全てを全力でやるべきです。

日本人はこれからはご飯の代わりに昆虫も食べるのです(絶望

といいたいところですが、これもまた現実問題として不可能です。

だって人間だもの

少し前に、共産主義社会主義というものが大流行して、世界の約50%が共産社会主義になりましたが

がすぐに廃れてしまいましたね。

共産主義理念的には大変素晴らしいものでしたが、どうも人間が扱うと、

汚職まみれになったり、独裁国家ができたり、市民虐殺しちゃったりと

まぁ成功しませんでした。

これは理想のために全力だしすぎると、駄目になる典型パターンです。

 

今のところ理想世界にどう向き合うかに関しては

【 無理をしないで、自身ができる範囲でやる 】 

がおおむね正解のようです

乙武さんという存在

理想世界に全力出しすぎると駄目になるので、「自身ができる範囲でやる」

といっても、だーれもその気が無かったら始まりません。

というか、理想世界構築って面倒すぎてやる気すら沸きません(本音

 

そんななか、乙武さんっていう人たちは

うちらの殆ど変動しないであろう「自身ができる範囲」を拡張させる

ある種すげー貴重で、ありがたい存在でもあり、

余計な仕事をさせるハタ迷惑な奴でもあります

※問題に対する意識が高くなると理想世界構築への行動をし始めちゃいます

乙武をどう扱うのか

勝手にやらしとけばいいんじゃないっすか(すっとぼけ

そしたらいつの間にか刷り込ませれて、自然

「あ、障害者の事すげー尊重したくなってきた」

とか気持ち悪いことを平然と言えるようになります

今では自分

「あ、低所得者の事すげー尊重したくなってきた」

っていえるようになりました。

逆に乙武にしちゃいけないこと

乙武の行動を過度に阻害することです。(適度に正しい方法を使って阻害するのはOK。)

あいった人種はほんとに貴重です。

考えてみてください

障害者にやさしくしてください!」とか「障害者の入りやすいお店の啓蒙活動するぞ!」

なんて事をしたいですか?めんどくさすぎて自分はごめんです。

あいった人たちが勝手に行動してくれるから勝手理想世界に近づいているのです。

 

勝手にやらしておきましょう。ですが変なこと言い出したら止めましょう

ただ乙武をバカにして、やる気を失わせるのだけは得策じゃないので控えましょう

結論

乙武の役目は、社会全体のやる気パラメータを上げることにあるにも関わらず

今回の問題では、それが全くできていなかった。

うまくいけば、飲食店全体の障害者対応への認識が変わりそうだったにも関わらず

反対に障害者対応のやる気パラメータを下げてしまった。

問題提起になったが、成果がともなっていなかった。

今回のまとめ

理想世界を構築しないと障害者年収800万以下の低所得者は虐げられる

理想世界への対応コストが掛かるけど我慢しないとだめ

現実問題として、理想世界への対応には資金・資源が有限だからすぐに全部やるのは難しい

理想現実をちゃんと認識、理解すれば、うちらがどんな対応とればいいのか自然とわかる

理想世界構築のためには「自身ができる範囲で頑張りましょう」

乙武みたいな人は「自身のできる範囲」を拡張するハタ迷惑存在

社会全体のために乙武みたいな人は勝手にやらしときましょう(提案)

乙武をバカにしてやる気を失わせるのは得策ではないのでやめましょう(戒め)

 

 

いやー長かった。

前編にも書いたけどインテリバカは頑張って、これを短くてわかりやすく文章に書いて、どうぞ(懇願

2013-05-25

【前編】乙武さんの入店問題からみる、うちらの世界に関して

たいていの場合インテリバカが問題に対する考えを分かりやすくまとめてくれてたり

新しい見方を提示してくれる事が多い。が、乙武さんの入店問題に関してはしっくりくるまとめ文章が全くない。

インテリバカはもう少しがんばれ。ってかいものバカはどうした。早く書け。というか書いてください。お願いします。

このままいくと、乙武さんがバカにされるだけで終わっちゃいそうなので、苦手だけど一応書いておく。

結論

乙武の役目は、社会全体のやる気パラメータを上げることにあるにも関わらず

今回の問題では、それが全くできていなかった。

うまくいけば、飲食店全体の障害者対応への認識が変わりそうだったにも関わらず

反対に障害者対応のやる気パラメータを下げてしまった。

問題提起になったが、成果がともなっていなかった。

まずは

乙武さんの行動を話す前に、この障害者差別問題の考え方みたいなものを理解したほうがサクサク理解が進む。

背景

この世界には2つの世界があることを認識するとよい。

1.弱肉強食世界現実世界

2.理想世界(みんなが幸せ世界

  

1.弱肉強食世界とは強いものが生き、弱いもの死ぬ。そのまんま。

今生きている世界であり、平等と謳いながらも基本は弱肉強食世界である

障害者低所得者能力の低い人間は死んでいく世界

  

2.理想世界とはうちらが目指している世界であり、みんなが幸せ生活できる世界である

障害者・健常者・低所得者高所得者・非エリートエリート誰もが不便なく生きられ

みんなが幸せに生きられる世界である

  

ここで重要大切なこと

うちらは弱肉強食世界生活してはいるが、理想世界を構築しようとしている事だ。

世界とか歴史から見ると、だいたいこんな感じ

  

理想の世界<<|超えられない壁|<<【先進国(日本)】<<【途上国】<<<<【貧困国家】<<<<【石器時代とか】<<弱肉強食世界

目指して方向はこっち←                                            何もしないとこっちに引かれる→

本題 乙武みたいな障害者を相手にするのはめんどくせー

何で健常者が障害者に対して特別扱いしなきゃいけないのか?やる必要もなければしたくもない。

大体あいつら働いてるかもわかんねーし、社会に貢献度合いも低い。

そんなやつらに手間ひまやコストを掛けるだけ無駄だし、ほかの所に掛けたほうがよい。

自分も全く同意見だ。

では社会は何故そうしないのか?それは社会理想世界を目指しているからだ。

誰もが不便なく幸せに生きる社会を目指す。偽善もはなただしいですね。

じゃあ障害者優遇しない世界にしてみよう

↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓

障害者区別して、健常者が幸せになる世界にしよう(提案)

「そもそも事の発端は障害者の面倒をみるってのが事が原因だから障害者は排除しよう。」

・お店への入店禁止

障害者エレベータの廃止

点字ブロック盲導犬の廃止

・・・etc

健常者至上主義ということになれば、あの生意気なやつらもしゃしゃり出てこず、万事解決だ。

ひとまずはよかった、よかった。となるが、ちょっと待ってほしい。

他にも非生産的なやつらがいるんじゃないか

そう、健常者でもホームレスニートなど社会に貢献しない人がたくさんいるってことだ。

何だか話が変な方向に流れてきましたが、お付き合いください。

社会貢献しない?(呆れ)だったらその人も区別しよう

ホームレスニート障害者と同じで、世話する必要なんかない。

というか国家に対して貢献してない人は区別しましょう。ここでは簡単に【納税額が低い人】で区別するにしよう。

では、区別ラインを【一人当たりの年間所得が800万以下】で区切ることにする。

えっ、この年間所得800万以下ラインは厳しすぎないか

そうでもないみたいです。

日本税金の50%は、人口11%に過ぎない年収800万以上の人達だけで払っている。

http://www.nta.go.jp/kohyo/tokei/kokuzeicho/minkan2000/menu/05.htm

【1年を通じて勤務した年間給与額800万円超の給与所得者は、全体の給与所得者の11.3%にすぎないが、その税額は全体の半分以上(53.8%)を占めている】

※800万をラインにしましたが2500万以下でも全然問題ないです。

社会貢献が少ない年間所得800万以下の人への区別一覧

障害者にはもちろん人権を与えないが、健常者でも800万以下の低所得者は下記のような扱いとする。

図書館公園など公共施設の利用の制限(納税額が少ないので)

電車バスで座るのに制限(高額納税者に座らせること)

労働法適用させない。1日20時間労働休憩無しとかさせてもよい(低能力から時間を掛けさせるべき)

高額納税者の命令に歯向かってはならない(低所得者意見に良い意見はすくないので)

郊外への自由な移動の禁止(低所得者の癖に生意気から

・お店の入店禁止(低所得者の癖に生意気から

自由恋愛の禁止(低所得者の癖に生意気から

・・・・・・etc

産業革命時の労働問題や、黒人差別の事例を盛り込みましたが

黒人奴隷インディアンの扱いに比べれば、全然問題ないですよね?人身売買虐殺・娯楽殺人は許してないので。

  

どうでしょう結構いい感じの世界になってきたのではないでしょうか?

弱肉強食世界

乙武調子付いてる、障害者を特別扱いしたくないという話が

変なにまで話に発展してしまいました。ですが

低所得者国家貢献度が低い障害者は健常者を敬って生活すべき!」

という話はこんな世界にぶち当たります。強い奴を敬えって奴です。

これは【弱肉強食世界】ですね。

弱肉強食世界は一昔前まで、これが当たり前の世界として広がっていました。

強い力を持つ人たち。貴族王様・殿様・武士白人などはその力を多いに使い

弱い力しか持たない人たち。平民・農民・エタヒニン・黒人は多いに虐げられましたね。

でもこれは悪いことじゃないです。自然なことです。

弱い人たちは虐げられるのは当然なのですから

やっぱ弱肉強食世界は嫌かも・・・

現在、年間所得800万以下の人はこんな世界どうですか?なーんか生きにくそうですね。

じゃあどういう世界にするか?

という所で、きっと【理想の世界】を持ち出してきます

理想世界では、誰もが不自由なく幸せに生きられる世界です。

素晴らしい世界ですね。そうしたほうがみんなが幸せになるのですから

絶対そうしたほうがいいです。これは正義です。これに反対するのは悪です。

一部のエリートが私利私欲をムサボリ、一般市民が泣きを見る世界は不公平です。

  

低所得者たちは【理想世界】の素晴らしさを訴え、

高額納税者に「自由に図書館公園飲食店を使わせろとー」とか言い出すのです。

 

こんなこと言われると高額納税者はきっとこう思います

社会貢献してない低所得者を相手にするのはめんどくせー」って

高額納税者立場から低所得者を見てみると・・・

何で高額納税者低所得者に対して特別扱いしなきゃいけないのか?やる必要もなければしたくもない。

大体あいつら働いてるかもわかんねーし、社会に貢献度合いも低い。

そんなやつらに手間ひまやコストを掛けるだけ無駄だし、ほかの所に掛けたほうがよい。

  

ん?

・・・なんか見たことありますね。

これは上のほうにも書いた障害者に対する文と殆ど同じです。

なんか変な話になってきましたね。ポルナレフ状態です。

長すぎるので先にまとめ。

障害者ウゼー

障害者区別したらどうなるかな・・・

・回りまわって低所得者である自分区別されちゃうかも?

区別されるのは嫌だ「区別するのは良くない!自由にしろ」って言い出す。

低所得者ウゼー

・どうやら人を区別するとうまくいかない。乙武を批判すると回りまわって自身に跳ね返るっぽい。

起承転結の承までかきました。

 

文才ないとすげー文字量多くなるのな。

これが乙武さんと、はじめに書いた結論にどう繋がるのかは、まだ書いていませんが、まぁわかるでしょ(適当

インテリバカは頑張って、この続きを短くてわかりやすく書いて、どうぞ。

【追記】

誰も書いてくれそうに無いので後編かきました。

http://anond.hatelabo.jp/20130526115410

2013-05-23

障害者問題が揉める理由

障害者普通に生活するためには、スロープが必要だったり、点字ブロック必要だったりのコストがかかる。

コストがかかるからやらないではなくて、やる必要はあるのだけどそのコストを誰がどれだけ負担すべきなのかというあたりが揉めやすくて炎上する。

障害者側が一切のコスト負担すべきではないという考えの人がいて、そういう人は、車椅子で行くという電話連絡でさえ拒否する。

連絡なんかしなくていい社会理想的だと考えている。

問題は、店側がコスト負担した場合と、障害者側がコスト負担した場合コストの大きさが違うこと。

障害者は一切のコスト負担しない、店側がコスト負担するということは、予約者全員に車椅子で来ますか?アレルギーはありますか?目は見えますか?日本語は読めますか?宗教上の理由で食べられないものはありますか????などなど聴くべきことが多くなりすぎて、コストが膨大になる。一方で、障害者側が自主的に連絡するならコストは小さい。

このコスト非対称性無視して一切のコスト負担を拒否する姿勢が例のなんとか武さんの問題で顕になった、障害者ならびに障害者の支援者の嫌われる側面なのだなのだ。それは別に差別ではないし侮辱でもないし尊厳を傷つけるなんてものでもない。

障害者負担するコストが最小限になることを目標にするのではなく、全体のコストが最小になるようにすることを目標にすべきと考えるのだが増田に書いてもきっとなんのリアクションもなくて悲しい。フォロワー60万人くらいほしい。

追記:

http://anond.hatelabo.jp/20130526115410

こういう本質的には同じ論法を使う人って、定量的な考え方ってできなさそうでピン!と来ない。

回りまわって【年間所得800万以下の低所得者】も

障害者と同じような、もしくはそれ以下の待遇を受けてしまう。

2013-05-21

散々書かれている乙武さんの件

入店拒否をされたことで、店の実名をあげてしまった乙武さん。

今回、ツイッターであのやり取りを見ていて、心底ゾッとした。

乙武さんのブログの説明記事を読んで、さらにゾッとした。

一応反省したテイで開始されるこの文章、しか反省というよりも、文章の2/3は怒り収まらぬ様子の文章。

この人、軽率だとか自分で言っているけども、多分軽率の度合いがわかってない。

下手したら店が閉店に追い込まれてもおかしくない。人生が狂っても驚かない。

今回、乙武さんがやった行為は、ひとつのことを知らしめたと思う。

それはつまり飲食店等の客商売をしていて、障害者という存在はとてつもなく危険だということ。

今まで作ってきたイメージも客も評判も何もかも、障害者の気に入らない事をしてしまったが最後、晒され、叩かれ、悪者にされ、最悪の場合全て失ってしまうかもしれないこと。

まるで何気なく街中を歩いていて、突然通り魔に命を奪われるようなものだ。

不運としか言いようがない。ああ、障害者には関わりたくない。近寄って欲しくない。性質が悪い。人生滅茶苦茶にされかねん。

このような、全く建設的ではない、障害者も健常者も社会も誰にもいいことのない、ネガティブイメージ

これを知らしめた、ということだ。

乙武さんのこの釈明記事を読んでなお、ネガティブイメージは払拭できないなと思う。

抗議の電話どころではない、電話けが営業妨害ではない。

普通の人なら、自分ネット上で悪として叩かれ晒されているだけで、十分先行きに絶望して日常生活に支障を来すだろう。

でも、こんなことしちゃった僕の気持ちも解って下さい!という文章からはそこに対する気遣いは全く感じられない。

てか相手の謝罪ツイートも見たのか見てないのか知らないが、「許してくれるなら」って、会話する気なしとしか思えない。

なぜ電話であらかじめ手がかかる事を伝えなかったのだろう。

店で面倒をみきれなければ、責任を持ち切れなければ、店だって拒否をする権利はある。

そんなの健常者も障害者関係ない。

だけど先に伝えておけば、店にだって準備のしようがあるだろう。

店側もやむなくどうしても無理なら、また改めて後日お願いできませんか?と伝えることだってできる。

その事前の根回しもなく、当日突然、当たり前に手伝いを要求。

そんなの絶対、店の人だって不愉快だ。怒られても仕方ない行動だ。

念のため、障害者から不愉快というものではない。健常者に求められたって不愉快だ。

それをどうして「障害者差別」と言い放つのか。

障害者だけでなく「何かに対応が可能な準備」には少なからコストがかかる。

インターネットが使えない、或いは苦手な人のために電話対応用の人員機材を用意するのも、

外国語に明るくない人のために翻訳を用意することも、

街中で視覚障害者が自力で歩けるように点字ブロックを道に埋めることも、

ひとしく「対応するためのコスト」を費やしている。

コストであるからには、そして商売であるからには、費やせる量にも上限がある。

乙武さんは、自分が突如手を借りる時に必ず不自由することなきよう、店に人を置いておけというのか。

当たり前に店はそのコストを払い続けて、そして乙武さんはこの店にそれをペイできるほどの金を落とすというのか。

馬鹿馬鹿しい。そんなことはないだろうし、その必要もない。

ただ、事前に事情を説明すればいいだけのことだ。

時間がわかれば、店だって事前にその時だけ何か用意ができたかもしれないのだ。

障害者が健常者に比べて何かしら手間がかかるからといって、障害者の方々はひきこもる必要はない。

その手助けを社会に対して求めることは、当然の権利だと思う。

でも、健常者同様に、相手に迷惑をかけるのであれば、気遣いはしてほしい。

人にひと手間かける時は、すみませんが、ご迷惑ですが、は普通のことだ。

そして、人は必ず手助けができる状況にいるわけではないことも、当たり前に理解しろ

(まあ健常者でも、理解できてない頭の弱い人は多々いるのだけども)

同等、平等っていうのはそういうことだと思う。

手間がかからなければ偉いものでもなく、手間がかかるから下扱いされる謂われなどない。

私は障害者差別しないから、ちゃんと人と人としての気遣いも求める。

それもできないなら、障害者からではなく、人として関わりたくない。

損得や苦楽が判断基準ではない。単にひととなりの問題だ。

それが解っている障害者の方々は多いだろうに、乙武さんの行為はそういう方々の行動を台無しにしている。

不愉快過ぎて、普段文章なんか書かないのについ増田してしまった。


追記(ぼんやりと返信)

有名人ないし著名人危険、という部分も大いにあると思います。賛同します。

乙武さんでなければここまで大きな話になることはなかっただろうと私も思います

ですが、仮に今回の出来事を誰もが知ってる芸能人が書いたら、ただの傲慢、感じわり~、だけで片づけられた話でもあると思います

そして、大多数の著名人は、店名名ざしでこういう話を持ち出したりはしないようにも思うと、添えさせていただきます

--

健常者より気遣いしろという意図はありません。

なんで自ら選んで障害者になったわけでもない方々が、そんな「健常者より気遣う」必要があるのでしょう。

例えば店で買い物をした時に、店員からありがとうございましたと言われる。客はありがとうと返す。

売ってやったわけでもなく、買ってやってるわけでもない関係がそこにはあると思うのですが、

手伝われる方も、手伝う方も、それくらいの気遣いが出来ればじゅうぶんにスムーズだと思います

「健常者より気遣いしろってこと?」という表現は、まるで自炊できずにコンビニ弁当ばかりの人が、

自分料理できないから店員に対して余計に礼を述べろっていうのか?」くらいに思えますよ。

障害者社会に手助けを求めるのは当たり前の権利であるなら、手伝うことは社会の責務です。

その責務を、各々できる人たちが可能な範囲で担当するだけのことです。

ですから障害者の方が無駄に恐縮する必要はないと思います

ただ私は円滑でお互いが気分よくなれるコミュニケーションを求めるだけのことです。

--

もし自分コミュニケーションをとることがとても困難な方の場合は、おそらく介添えの方が同伴されることが多いと思います

何も障害者本人が必ず何かレスポンスを、というつもりは、もちろんありません。

しろ、それが難しい方が単独で居られるなら、それは積極的に手助けなどをしないとまずいのではないかなと思います


追記2(ぼんやりと返信)

私の文章は健常者目線であることは間違いありません。

きれいごとであり、理想論であり、空論であり、なおかつ傲慢でもあるのも、否めない部分があります

さらには承知した上で意図的に強調をしているので、批判や反発もあるべきだと思います

だいたい、匿名ですし。(他に長文をさくっと発表できる場所がないからですが。)

手足がなかったら同じことが言えるか、とおっしゃる方がいらっしゃいました。

わかりません。今のところ、私には手足がありますから

乙武さんの苦労が簡単に理解できると思う程傲慢ではありませんし、全て察せられると思える程の自信もありません。

ですから自分想像だけを根拠に「言える!」と簡単にお答えできるわけもなく、

しかしながら「言えないかもしれない」という生半可な気持ちでもないので、回答は「わかりません」になります

ただ、たまたま手足がある人ですので、手助けの余力がある可能性も高いですし、その立場から手足のあるなしなんか目もくれずに

不愉快なら、「こうだから不愉快だ、「こうすればよいと私は思うのに」と言うだけのことです。

手足があるから、手足がないから、何か遠慮しなくてはいけませんでしたか

それは、腫れ物扱いって言うのではないでしょうか。

2009-04-20

最近はてなハイクの一幕

などとタイトルをつけてはいますが、どんなことが起こっているのかを説明するつもりはさらさらありません。あしからず。以下のお題に投稿するには余りに長くなったので、勝手ですがこちらを借りました。

漢字はいらない!でひとこと - はてなハイク

http://h.hatena.ne.jp/keyword/%E6%BC%A2%E5%AD%97%E3%81%AF%E3%81%84%E3%82%89%E3%81%AA%E3%81%84%EF%BC%81

上のようなお題がハイク内で立てられ、ちょっと盛り上がったので、以下、全力で釣られてみます。

漢字使用によるデメリット

既にいくつか指摘のあるとおり、表意文字としての漢字日本語から引き算して表音文字としてのひらがな/カタカナへ統一することは、朝鮮半島でのハングル使用が少なくない同音異義語を産出し混乱を招いている現況と同様の事態を引き起こすだろうマイナスの側面がある。

弱者とは誰のことなのか

漢字使用によって抑圧される弱者として日本語母語としない外国人を想定するのなら、その弱者の補助ツールとして各種翻訳サービスを挙げることができようが、ひらがな/カタカナのみで表記された文章の翻訳は、日本語において多量に存在する、しかし漢字による表記で区別可能な同音異義語を、前後の文脈から判断して行わなければならなくなる事態を引き起こす。現在の提供されている無償の翻訳サービスですらまともなものではないのに、余計に使えないものになるだろう。

弱者として視覚障害者を想定するのであれば、視覚障害者と晴眼者の差異、視覚障害者能力が障害と見做される由縁は、「読む」ことと「聞く」ことにおける「読む」ことの利便性に他ならない。ここで、書記言語から口語言語の優位性を説くのであれば、文字を拒否するという極端な姿勢もあり得ようが、一方では、漢字使用をやめたところで、「読む」ことと「聞く」ことの差異が縮まるというものではないことも容易にわかる。漢字の不使用に「わかちがき」の使用を追加したところで事態は変わらない。ところで、書記言語から口語言語の優位性が説かれるときに、今度は聴覚障害者や構音障害者が抑圧されているかのようにみえるのは、一体どういうことだろうか。

あるいは、単に漢字の読みがわからない、また付随して意味がわからない者を弱者として想定するならば、キッズgooなどの検索先ページへの仮名振り機能は強力なツールとして既に存在しているし、オンライン辞書ツールなどの使用による「学習啓蒙」がなされて穏当、かつ然るべきではないか。

また、補助ツールを用いずに弱者への配慮をhtml/xml記述されたページ内で完結させることを考えるならば(大体、html/xml記述されたページがメディア媒介なのだが)、例えばhtml/xmlruby関連タグを備えているが、投稿においてタグ使用できないはてなハイク仕様が抑圧的だという見方もあり得よう。しかしながら、これは視点を変えれば、タグ使用することができない弱者への配慮でもあることは付記しておくべきだろう。

それどころか、ruby関連タグxml1.1でようやく認められるに至ったのであり、この点でいえば現状のhtml/xmlが抑圧的であるという判断すらあり得よう。引き算の態度を貫徹するのであれば、漢字を拒否する前に、はてなハイクでの、いや、ネット上の書き込みを拒否する態度というのも、ひとつ考えられよう。あるいは、html/xmlにおける扱いについて問題の多い日本語使用をやめて、問題の少ないラテン系言語使用に踏み切るという態度もあり得よう。

弱者とまた別の弱者

話は変わるが、歩道に敷かれている視覚障害者用の点字ブロックがいかに妥協の産物であるか、病院等の公共施設採用されるユニバーサルデザインがいかに試行錯誤の、過渡の形象であるか、ということに目をやるのが良い。そこに横たわる根幹的問題のひとつは、弱者とまた別の弱者の利害不一致である。漢字の排除が同音異義語の混乱を招くという形式は、弱者とまた別の弱者の差異を捨象するという形式と相同的なのである。これは、弱者とまた別の弱者の双方に潜在する、共通する性質を汲み取り問題解決へ向かわんとする繊細な作業――それは、不十分とは言え、点字ブロックユニバーサルデザインを産み出す過程で行われている作業である――とは全く相反した暴力的行為に他ならない。ユニバーサルデザインが足し算の思考であるとは、確かに足し算の部分も引き算の部分もあるだろう。しかし、足し算と引き算しかできない小学一年生であれば、最小公倍数と最大公約数の思考の部分についてわからないのも無理はない。

見え隠れする幼稚なユートピア幻想

さらに、より根本的には、スピヴァク古典サバルタンは語ることができるか』で指摘したのは、サティー寡婦殉死)の実行者を被抑圧者としてカテゴライズすることだったが、スピヴァクはそれを決して否定したり退けたりなどしていない。外部の視点を持ちこんで、ある彼/彼女を被抑圧者として規定すること、これこそが抑圧以外の何物でもないが、しかしこの規定によって被抑圧者を被抑圧者と認識し、被抑圧者たる彼/彼女に語りかけることが、彼/彼女の身になって考えることができる。抑圧なしのユートピアなど幻想である。抑圧なしのユートピアがお好みならば、まずもって「私」という拭い切れない自己同一性を捨て去ってみればよい。想像はできる。「お前」と同定されることのない、「私」を「私」と呼ぶことのできない、抑圧なしのユートピアがそこに拡がっているだろう。まさに、「サバルタンは語ることができない」。かつてフーコーが打ち出した『魂は身体の牢獄である』という、一見したところトリッキーテーゼに込められていたかもしれない苛立たしさには、同意するに吝かではない。この種の原初的抑圧の暴力性には敏感であるべきだし、しかし、しばし躊躇いながらも、この暴力から笑いを産み出す昇華の方法を探るべきなのである。この昇華幻想ではない。理不尽に突き付けられた、尽きることのない、終わりのない、仕事だからだ。

終わりに

僕が何を言いたいのかというと、お題ができたら全力で釣られて、あーでもないこーでもないと盛り上がり、次第に飽きては、パロディ化して派生した別のお題で盛り上がり――そんな楽しいところがはてなハイクです。

――落ち込むこともあるけれど、私は元気です――

2009-02-06

http://anond.hatelabo.jp/20090205224903

元増田です。

バリアフリーのあり方とはみたいな大きい話のつもりじゃなくて、単に足が痛くてヒーヒー言いながら歩いてる状態っていわゆる弱者状態だと思うのに、さらに弱者用の点字ブロックが痛めつけてるこの状態って何さ、みたいなやさぐれだったのに、真面目に色々教えてもらえてありがたい。

http://anond.hatelabo.jp/20090205230112

たぶん、その地域で一人も必要でなくても設置することになると思う。

設置に際してこの地域に必要な人が居住しているかどうかは調査しないだろう。

やっぱりありがちなバリアフリー発想なのか。「やっとけば文句言われないだろ」的な。

関係のない部署だけどお役所の中の人なので断言する。間違いなくそんな調査しない。

http://anond.hatelabo.jp/20090206012451

 白杖のひとたちにとって点字ブロックは健常者よりもずっと危険です(そこにあることがわからないため)。

 いずれ点字ブロックはなくなるんじゃないでしょうか。興味があればそちらの分野を志してみるのもよいのではないかと思います。

白杖の人たちにも危険なのは知らなかった。確かにいきなり段差が現われるようなものだし。

いまさらそっちを志すつもりはないけど、いずれ関係のある部署に行くかもしれないから参考になった。

http://anond.hatelabo.jp/20090205224903

白杖のひとたちにとって点字ブロックは健常者よりもずっと危険です(そこにあることがわからないため)。

だいぶ前から点字ブロックで滑ったり転んだりなどして、最悪の場合駅のホームから転落してしまう事故などの報告はされていて、地味に改良はされていますが、現在では点字ブロックの代替となるデバイスの開発が主流となっています(音声ガイドGPS機能を利用してなど)。

いずれ点字ブロックはなくなるんじゃないでしょうか。興味があればそちらの分野を志してみるのもよいのではないかと思います。

2009-02-05

http://anond.hatelabo.jp/20090205224903

> 「一人でも必要な人がいれば設置する必要性があるんだ」

たぶん、その地域で一人も必要でなくても設置することになると思う。

設置に際してこの地域に必要な人が居住しているかどうかは調査しないだろう。

ただ、点字ブロック邪魔に感じるのは確かだ。

そもそも今の状態の点字ブロックは途中物を置かれただけで用をなさない等、改良の余地がある。

今は点字ブロックについてその弊害や問題点周知していく時期なのだろう。

点字ブロックってもうちょっと何とかならないのかな。

ボコボコしてないと用を成さないのはとてもよく分かるけど、雨降ってると滑るし蹴躓くし、足怪我してたりするとあんなちょっとした段差でも響いて痛いのに、横一列びっしり埋まって逃げ場がなかったりするし。

怪我しているからあのブロックをまたげる歩幅が確保できず、必然的に上に乗らざるを得なくてやっぱり響いて痛いしバランス崩すし。

自力で歩いてる状態だったらまだしも、松葉杖とか車椅子だともっとあのボコボコは邪魔だろうと思う。

だいたい駅はともかく、ちょっと広い歩道にさえ点字ブロックを完備する必要性って本当にあるんかよとか思う。

通勤時間帯に白杖使ってる人なんて一人だけしか見たことない。

まあ自分が見たことないだけで、こんな片田舎ブロックがないと外出できない人が沢山いるのかもしれないし、

「一人でも必要な人がいれば設置する必要性があるんだ」とかの話をされたら面倒くさいから頭下げて逃げる。

でも怪我してるのに点字ブロックに乗って足が痛い状態って立派な弱者だよね。

そんな人たちが圧力団体作って必要以上の点字ブロック撤去を訴えていったらどうだろう。

やっぱり怪我してるだけの人たちはブロック使う人たちに負けるだろうか。そのうち治るし。

車椅子の人たちの団体ならどうかな。

2008-09-07

http://anond.hatelabo.jp/20080907174210

点字ブロックっていうのかどうかわからないけど、地面のタイルで盲人用に凹凸がつけてある奴は中国には思いっきりあったよ。

豆知識

点字ブロック日本起源っていうか外国にはないんだってさ

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