はてなキーワード: 植物状態とは
かなり前、ここで何か書き込んだとき「脳死」って言葉を使ったんだよね
そしたら「脳死」というスラングの使用がいかに罪深くむごいか、植物状態の家族を持つ人間の気持ちを想像しろ、と訴えかけた上で私の人格を全否定する内容のコメントがついてさ
そこからどんどんそのコメントに賛同して私を叩くコメントが雪だるま式に増えて行って、罵詈雑言もどんどんひどくなっていったんだよね
コメントのおかげで「脳死」って言葉の不謹慎さに気づけて反省できたのは良かったよ、良かったけどさ、
その後お前ら他のトピックで何食わぬ顔で「脳死」「脳死」言ってるんだもんな、それで私のときみたいなバッシングは誰もしないの
返信ありがとう。
知的障害や認知機能の低下によって自由意志の表明が困難な場合というのは難しい問題だが、たとえば自由意志を表明する能力がない人間には契約をする権利がないわけで、安楽死もそれに準じたものとして考えるほかないと思う。認知機能の低下によって意思表示が困難になった(けれど痛みだけは感じている)場合は、ブコメでも出ていたが、事前の意思表示を尊重するというのも考えられてよいかもしれない(もちろん、その意思表示が「最後の瞬間まで治療しろ」であれば絶対に安楽死させてはいけない)。
植物状態については、なぜ植物状態の人を安楽死させる必要があるのか? 以外の答えができない。俺の理解が間違っていたら申し訳ないが、植物状態というのは完全に意識がなく、したがって痛みや苦しみを一切感じない状態であるはずで、そうであるなら安楽死の必要なんて存在しない。安楽死は避け得ない痛みや苦しみを終わらせるための制度であるべきで、植物状態の患者には不要だ。
人を助けないことと人を殺すことは等価ではない。たとえば、見ず知らずの他人が道で倒れていても(あなたが轢いたのでない限り)救命措置を行う義務はないし救急車を呼ばなくとも罪ではないが、その他人にとどめを刺すことは許されない。
仮釈放、というのは、受刑中の受刑者を「仮に」刑務所から出して一般社会で生活させることを指す。当然、これはあくまで仮の釈放なので、たとえば仮釈放中に万引きをしたら刑務所に再収容される。この場合、たとえば移送先の所外の病院で「やっぱ安楽死は嫌だ」という意思表示がなされたら、仮釈放を取り消して医療刑務所に再収容すればよいのではないか。
どのような終末のありようが健全かというのを、国や社会が押し付けるべきとは思えない。大事なのは、積極的な安楽死は能動的に他人の生命を奪う行為なのだから、実装するとしたら本人の意思表示に基づくべきで、本人の自由意志に基づかない安楽死はただの殺人である、という点だ。ここは譲ることができない。
からでしょ(恋人や夫婦のあいだでは、ムードを大事にして言葉で同意を取らずに身振りでOKを示すことはよくある、と風の噂に聞く)。公証人なり複数の医師なりが同席して定められた手順に従って意思表示すりゃいいんだよ。
医者がやるとしてメンタルへの負担すごいだろ。慣れるものでもないし。意思を尊重して欲しいから貴方には殺人者になって欲しい、って感覚もよく分からんのよな。
安楽死については応召義務の例外とし、個々の医師による安楽死拒否を事前に明示しておいて、安楽死しません派の医師は安楽死を拒んでも可(ただし土壇場で拒否するのは禁止)としたうえで、地域の基幹病院とかには安楽死を受け入れる医師を一定数確保することを義務づける、とかどうだろうか。
元増田です。
書きっぱなしで放置していたら、この話が総合に入ってきていたので返信しておきます。
安楽死にとって絶対に譲れない条件は「それが本人の同意に基づくこと」である。人間には生きる権利がある。生き続けるのが苦痛である場合にその権利を放棄したい人たちが求めているのが安楽死だ。当然、同意に拠らない安楽死はすべて否定されるべき...
まず、そもそも必ずしもすべての人間が同意を取れるわけではありません。
会話ができない、ただ痛みが苦しみがあるだけ、植物状態など、同意が取れないケースなどいくらでもあります。
こういった場合、延命治療の拒否によって実質的な安楽死が行われますが、延命治療の拒否は安楽死ではないのでしょうか?
私は制度設計として、複雑で複数の死を選ぶ制度があるよりも、安楽死に一本化した方が適用範囲拡大を防ぐためにも良いと考えているので、
延命治療の拒否の制度を廃止して、安楽死に統一すべきだと思います。
仮に重病の受刑者が安楽死を希望する場合でも、仮釈放して刑務所の外で安楽死を行う病院につなげる程度の慎重さが求められるだろう。
この話を手順にすると、次のようになりませんか?
意味が分かりません。
彼にとって必要なのは「親を殺すこと」ではない。「親を放り出す権利」である。親を放り出すことができないことに彼の不幸の根源があり、逆に言えば放り出すことができさえすれば親を殺す必要はない。
私は放り出す施設があれば良いとは全く思いません。
実際に現在、親を放り出してベッドに拘束して死ぬまで待つという施設が全国の至る所にあります。
これらは親の介護を格安で放り出す施設なわけですが、こういった施設の賛成派なんでしょうか?
不適切な身体的拘束…老人ホームに改善命令「手のかかる人を預かり仕方なかった」と釈明=静岡・沼津市
https://newsdig.tbs.co.jp/articles/-/500960
私はこういった終末のあり方は良くないと思いますし、日取りを決めて家族皆で見送ってあげる方が健全だと思います。
発見が遅れて腐乱した親や、手足に拘束の傷のある親の死に顔を見たいとは到底思えません。
私が安楽死急進派になったのは、あるテレビ番組がきっかけだった。
そこには、親の介護のために会社を辞めざるを得ず、チューブだらけの言葉も発することができない寝たきりの親の横で「これでは結婚もできません」と苦笑いで語る30代男性の姿が映し出されていた。
私にとってその番組は非常に衝撃的なものであり、これを機に、介護のために健常者の人生が奪われてはいけないと考えるようになった。
そうして、様々な安楽死の議論を見ていくうちに次のような要件を考えるようになった。
IF 受刑者である場合: IF 要支援1 以上である場合: # 近年、刑務所では受刑者の高齢化が問題となっており刑務官が介護をしなければいけない件数が増え続けている # 裁判における長期の懲役刑や、無期懲役刑の増加が原因であり、そのしわ寄せが受刑者の介護問題に繋がっている GOTO 安楽死 IF 生活保護受給者である場合: IF 要介護1 以上である場合: # 身寄りのない要介護者は老人ホームに入れなければ生活できず、公営住宅は腐乱死体が増加している # また、そういった人が老人ホームに優先されることで、老々介護や子供が会社を辞めて介護する問題が発生してしまっている GOTO 安楽死 IF 要介護認定: IF 事前の本人同意がある場合: # 尊厳死のケースがこれに当たる GOTO 安楽死 ELSE: # 事前の本人同意が無い場合は要介護であっても安楽死はできない # 資産家の親族が遺産を増やすために安楽死させることを防ぐため PASS IF 健常者である場合: IF 本人同意 AND 3親等以内の親族7割の同意: # 健常者の場合、本人がいくら死にたいと言っても親族が同意しなければ安楽死は不可 # しかし親族も同意すれば安楽死ができるものとする。事故や病気などで苦しみが続くケースがこれに当たる GOTO 安楽死 # IF 3親等以内の親族10割の同意: # 植物状態など本人の同意が取れないケース # GOTO 安楽死 IF 本人の意識が無く回復見込みも無い場合: IF 3親等以内の親族7割の同意: # 植物状態など本人の同意が取れないケース GOTO 安楽死
この要件は端的に言えば「他人の人生を犠牲にしない限り元気に生きろ」かな。
安楽死の話において「弱者・高齢者は死ねというのか」という指摘がよくあるが、この要件では、むしろ元気な高齢者は自由に生きて欲しいと考えています。
なぜなら、労働者にとって老後はある種の希望でもあるし、定年後すぐに死ねと言われれば働く意欲を奪うことに繋がると考えているからです。
そのため、元気なうちは自分ひとりの勝手で死ぬことはできないルールになっています。死にたくなったら親族に相談しなければなりません。
あくまで介護や世話で誰かの人生の大半を費やすことがあってはいけないという思想で条件を作っています。
条件をこのように変えた方が良い、このような問題があるなどの指摘があれば歓迎します。
IkaMaru そこまで金に固執するのに、なぜ「納税額以上の公的サービスを受ける者は全員安楽死」まで行かないの? 自分が入っちゃうから?
こういった拡張論は一部にありますが、私はやりすぎだと思います。
「納税額以上の公的サービスを受ける者は全員安楽死」など、ただの恐怖政治です。
レールを外れることくらい誰しもありえることだと思いますので、そこを範囲に入れるのは反対です。
基準が拡大していくことについての指摘・懸念なら私も同意します。過去の歴史や政府への信頼度の低さから同意せざるを得ません。
ただ、だからこそ、別増田が書いていた法律論や曖昧な文章ではなく、プログラムのような条件文にしています。
こういった話は曖昧な感情論などにしておいた方が同意が得られやすいのは理解していますが、過剰な拡大を防ぐためにも基準は明確にしておくべきだと考えます。
genhou このコードだと要介護認定を受けてないと、3親等以内の親族全員が同意したら(本人の意思に関係なく)殺されてしまうじゃないか。 バグ
確かにご指摘の通りです。10割(全員同意)としていましたが、親族が少ない場合は本人が嫌がっていても殺されてしまう問題がありますね。
植物人間状態を想定しているのですから、本人の意識が無い場合に限るべきです。書き直しました。
fugunokamatari 「GOTO 安楽死」がツボる。そもそも介護離職なんてする奴は親の殺処分に同意なんてしないだろうから、増田の問題意識と解決策が全く噛み合ってないだろ。
必ずしも同意する必要はありません。上記条件文では各家庭の自主判断です。
ROYGB 自分が育てられないから子供を殺すのが異常な程度には、親の介護が出来ないから殺そうとするのは異常。極論でいくなら親などほっておいて結婚でも何でもすればいい。
税金払う額より社会保障費などを受け取る額の方が多い人間は全て「他人の人生を犠牲」にしていると言えるけどその点はどう思う?
今寝たきりになっている人間が過去にたくさん納税や寄付を行っていた場合でも安楽死させるべきだと思う?
要介護認定の人間に多額の資産があって、高給で介護者を雇っている場合は?
他人に迷惑をかけさせないことが目的なら、単に援助を打ち切ってのたれ死にさせればいいのでは?安楽死させるにも薬や医者を用意する必要があって金がかかるよ?
予め言っておくが、自分は「安楽死反対派」である。それもかなり強く反対している。
ネット上ではたびたび安楽死に関する法整備を求める意見が見られる。
経済的な理由による安楽死は論外として、病気による耐えがたい苦痛を避けるための安楽死を求める意見は一定の支持があるようだ。
だが、主張は結構なことだが「国家によって安楽死を認める」ことがどれほど重大なことか理解していない意見が多いように見受けられる。
あくまで自分の意見だが、「安楽死を認める要件」として最低限以下のようなものがあってしかるべきだと思う。
安楽死とは、要するに医師などにより生命活動を停止させること、即ち「殺人」に他ならないのは疑いなく事実である。
即ち、「安楽死を法的に認める」ということは「国家によって殺人を承認する」ことに他ならない。
国家によって認められた殺人と言えば、「死刑」もそれに相当する。死刑の判決を言い渡すのは言うまでもなく裁判所だ。
当然殺人を法的に認める以上、安楽死についても裁判所による手続きがなければならないと考える。
医師によって、患者がもはや死を避けられない状態であることの証明が必要だ。
主治医はもちろんだが、感情的な選択を避けるためには利害関係のない複数の医師による中立的な判断がなければならないと考える。
当然、安楽死を「行う」医師がどれほどいるかという問題もある。
これが難題である。
その意志が、短期的な抑うつ状態や、周囲や「世間」の圧力に左右された一時的なものでないかの証明が非常に難しい。
2019年の透析中止死事件では、透析を続ける苦痛のあまり透析中止を決断したとされるが、終末期に至って透析中止を撤回したいと言いながらも助からなかったとされる。
本人の意志とはこのように揺らぐものであり、かなり長期間の意志確認は必須である。中立の公証人による証明があってもいいかもしれない。
同様に、安楽死を決めたものの直前になって「生きたい」と意志表示したならば即座に安楽死を中止しなければならないだろう。
また、周囲や世間の圧力でないことを証明するためにも、「安楽死」を美談にしないようにマスコミやSNSには厳重な自制と規制が求められるだろう。
特定の病気になったら安楽死するべき、なんて世論が広がることはあってはならない。
なまじハラキリ文化の日本であり、「潔い死」が受け入れられやすい社会的素地があるのはかなり危うい。
「安楽死を法的に認める」ためには、「安易な安楽死は認めない」という国民の意識改革がなければならないという矛盾がある。
これらの議論を進められるだけの十分な社会的な理解が日本にあるかというと、正直言って「ない」と言わざるを得ないのではないかというのが自分の意見である。
特にマスコミやSNSに関しては、現状ではほぼ絶望的なのではないかと思われる。
なお、昨今の安楽死議論の中には「終末期患者を生かし続ける社会的コスト」に言及するものがあるがこれは論外で、
憲法25条の生存権を見れば明らかなように、国民には「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」し、
国には「国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」とされている。
国民が生存を望むならば国は生存を保障しなければならない憲法上の義務が存在する。どれほどのコストを支払ってもだ。
つまり、一番手っ取り早い方法は憲法25条の改正と言うことになる。
当然自分はこのような憲法改正には賛成しないし、国際人権A規約にも反する。ハードルは極めて高いと言わざるを得ない。
いくつかコメントが来ていたので補足。
繰り返すが、自分は「安楽死反対」の立場からこれを書いている。
これくらい厳しく要件を掛けなければ、恣意的に運用されかねないという強い懸念があってのことである。
コメントにあるように「経営者が労働者に家族の安楽死を要求する」なんてことが起こりかねない。
裁判所の決定を要するとしているのも、時勢に強く左右されかねない行政ではなく、常に法の番人たるべき裁判所が決定すべきと言う考えからである。
実際、裁判によって決定した死刑囚の署名を時の法務大臣の意志で停止した過去の例もある。
そしてこの程度の要件をクリアできないのであれば、そもそも安楽死を法制化するべきではないというのが主旨だ。
国民の生存を保障するためにある国家が、それに相反する法制を行うことがどれほど困難なことかということについて、頭の片隅にでも残れば幸いである。
個人的には本人の自由意志が確認できなくなった段階で安楽死を認めるべきではないと考えている。
「本人の自由意志がなければ生存権を行使している」と見なすべきであり、当然国家はそれを保障しなければならない。
この時点で「本末転倒だ」と思われる人は多いかもしれないが、安楽死法制化は終末期医療のコスト削減策「ではない」。
あくまでも本人の自由意志によって死を選択する自由を与えるための法制であるべきであり、
医療コスト削減が目的にすり替わるのであればそもそも法制化の目的を見誤っている。
なお、現行法制でも積極的安楽死ではなく、延命治療終了による消極的安楽死は行われており、この手続きで不備があるとは思えない。
麻酔がききすぎてうまくいきめないとか
海外では無痛分娩が主流なのになんで、日本では自然分娩がいまだに多いのか?
うちの病院ではリスクのことを考えて無痛分娩はやりませんというところがなんであるのか?
結局日本人の骨盤は無痛分娩向きではないといえことなのでは???
もちろん、無痛分娩を選んで大成功して幸せなママのほうが多いんだろうけども
帝王切開、無痛分娩のための麻酔はときに妊婦の発熱を引き起こし
もし普通分娩を選んでいたら起きてなかったかもしれない羊水塞栓症が起きて、お母さんは心肺停止になったけど命がたすかり、赤ちゃんは意識不明の植物状態になってしまった
ということが起きている
無痛分娩は本当に日本人の体にあっている出産方法なのだろうか?
夜中に陣痛がきたけど、朝、麻酔科医が出勤するまで麻酔が打てませんよって言われるリスクがあるのにわざわざ無痛分娩したいがために陣痛に耐えて朝まで待ってる妊婦ってなんなんだろ?
インドの看護師アルナ・シャンバグ(Aruna Shanbaug)は1973年11月(24歳)に性犯罪の被害で植物状態になり、
意識が回復しない状態で経管栄養療法で41年6月生存し、2015年5月に66歳で肺炎で死亡した[24][25]。
1973年11月27日の夜、24歳であった彼女は病院の地下室で更衣を行っていたところ、
同病院の契約清掃員であったソハンラル・バルタ・ウォルミキ(Sohanlal Bhartha Walmiki)に性的暴行を受けた[6]。
ウォルミキは彼女の首を鎖を用いて強く絞め、彼女の頸動脈が遮断されたことにより、脳への血液供給がなされなくなった。
この結果脳挫傷、頸髄損傷、皮質盲(英語版)などに至った[7]。彼女は翌朝の朝7時45分に別の清掃員によって発見された。
加害者のウォルミキは暴行と強盗の容疑によって逮捕された。裁判の結果懲役7年の刑に処せられた。
強姦や痴漢、不自然な性行為といった罪状[注釈 1]では有罪判決を受けなかった。ウォルミキは1980年に刑期を満了し釈放された。
シャンバグの死後すぐの2015年5月29日にジ・インディアン・エクスプレス(英語版)は、
ウォルミキが故郷の村に帰ったのちに義父の住むウッタル・プラデーシュ州のパルパ村(Parpa)で生存していることを明らかにした。
ウォルミキはジ・インディアン・エクスプレスのインタビューにおいて、「カッとなって(fit of rage)」事件を起こしたが、明確な記憶がないと前置きしたうえで、強姦は行っておらず、別の誰かによって行われたと主張した。
なお事件当時のウォルミキは、立ち位置が上であったシャンバグとの関係が不調であり、休暇をとることを拒否されたことによって「口論及び身体的な戦い」があったと述べていた[10]。
俺はサンクチュアリといえば史村翔原作池上遼一作画の傑作コミックの印象しかなかったので、サムネのお相撲さんを見てサンクチュアリってそういう話だったっけなーと思ったらネットフリックスオリジナルドラマだった。
身体がデカい不良が角界にスカウトされて、昔懐かしの「かわいがり」とかをうけながらも持ち前の運動神経で勝ち進んでいくんだけど相撲へのリスペクトは一切なしで稽古も軽んじる。しかし哀しき過去を持つ相撲取りと友達になったかと思ったらそいつに土俵の上で死ぬかと思うくらいボコボコに負けて張り手恐怖症になってなんやかんやあって復活して真剣に相撲取りになるぞ!と性根を入れ替えて、ボコボコにしてきた相手と再対決だ!終わり!
みたいな感じの話。
うーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーん。
俺の中で相撲漫画の傑作と言えばバチバチなんだけど、それには遠く及ばんかったな。
借金で店を手放してからは気力もなくなった主人公の父親が交通事故で植物状態になったり、出てった母親はクソビッチだったりっていう展開は正直ノイズだなと思ったし、もともと政治部の記者だったけど上司に裏切られて相撲担当に変えられたヒロインが”時代に沿った”ジェンダー論や相撲のあるべき論を語るのはくっせぇ!と思ったし、主人公の財布盗むキャバ嬢は結局なんやってんって感じだし。部屋のメンバーもなんか、こう、キャラが濃いのか薄いのかはっきりしない。
相撲を中心にした人間ドラマ感を出してはいるけど、どれも味付けとして濃いわりに後味すっきりしない感じなのがおもんないなーって感じ。
ただ主人公役の人はクローズ2では普通にマッチョ系のガタイのいい喧嘩強そうなおっさん顔って感じだったのが、今回はマジで相撲取りみたいになっててこれはなかなか近年まれに見るレベルだなって感じだったのは素直にすごい。なんか出演者は1年かけて身体と技術を作りこんだらしい。
元力士芸人とかが多いので全部が全部、未経験からってことはないだろうけどちゃんと相撲取りのドラマに見えたのはネットフリックスの地力を見たなとは思った。
つい先日のこと、なんやかんやあって自分の人生の幕引きをできる手段がそろってしまった。
それでも今自分が生きているのはあえて残している奨学金のおかげだ。
母子家庭で大学に行ける金なんてなかった、そこで申し込んだ奨学金。
成績は悪くないほうだったけど最終的に借りられたのは要返済の利息がないタイプ、なおかつ月々の振込額はこちら側で決められる。
ボーナスが入ったときは多めに入れるし、金がないときは5000円くらい入れてた。
そうやってちまちま返済していたらいつの間にか完済間近となっていた。
普通ならばそこで喜ぶべきなんだろうけど、自分はいつの間にか奨学金を返済することを目的としてこの10年間生きてきたらしい。
奨学金を返済したら何のために働けばいいんだろう。
家族構成は、母親、祖母、妹(子持ち)で親戚の付き合いなんてほとんどない。
実家は数年前に新築(とある事情でローンは組まずほぼ一括で建てた、かなり私が頑張った)
祖母は後期高齢者でいろいろ弱ってきているけど、母が福祉のプロなのでどうとでもなる。
自分といえば10年間恋人もいないし、子供は大嫌いだし、結婚なんて絶対にしたくない。
30にして自分の人生タスクをほぼすべてこなしてしまった感がある。
そしてつい先日、自分の人生をサッと幕引きできる舞台装置がそろってしまった。
確実に、誰も傷つけず、他人の迷惑にもならず、地方の新聞の片隅に載る程度だろう。
ホッテントリに載ってる「介護家族を簡単に退院できない精神病院入院にまで持ってく方法」を読んだらいろいろ考えてしまった。
歳をとって痴呆で家族に疎まれる可能性以外にも、明日、車にひかれて植物状態になる可能性だってある。
そんなの絶対に嫌だ。
そのうちの複数のコロニーがマシンに制圧されて独立を宣言、他のコロニーを攻撃
伝説的女兵士であるジョンイが独立したコロニーを襲撃するも寸でのところで失敗、植物状態に
ジョンイの脳を複製しAI化して軍事アンドロイドに搭載、今度こそ敵対コロニーの襲撃を成功させるべく
そこそこの性能の軍事AIとアイドル的な人気を誇ったジョンイのセクサロイドの開発へ舵を切る
それを知ったジョンイの娘はサーバー上からジョンイのデータを削除
ジョンイの最後のAIを搭載したアンドロイドを研究所から逃がし死亡する
記憶を取り戻したジョンイはコロニーの中でアンドロイドの姿で生きていくことにする
おわり
あ、そっちなんだ、てなったよね
「人権とは」「人間とは」「心とは」みたいな話がメインでなんか思ってたんと違った
最終的には「親子の絆で覚醒したジョンイが敵対コロニーの襲撃を成功させてチャンチャン」やろなと思ってたら
まぁ、その話はなかったことに、みたいな感じになっちゃって「えぇ!?」てなった
100点中45点くらいの映画
素直にヘルドッグス見とけばよかった
やることは多岐に渡り忙しい、
点滴間違えたら死人が出る責任重大さ、
知らんジジイババアのうんこやら股間の毛を剃るやらなんやらの世話までさせられる、
これで薄給だぞ。
やるメリットが1つもなくて驚く。
よくもまあこれで看護師になる人が皆無にならないもんだと思う
そして何よりもなによりも、「これらを全て踏まえた上で接客業の要素がある」のがヤバい
これは前も言ったかもしれないが、ツイッターでナースのフォロワーが何人かいるが、「患者に暴言を吐かれても殴られても反論もできない、問題にもならないって知ってたらこんな仕事につかなかった」って嘆いてる人が多くて見ていて辛くなってしまう。
その中でフォロワーが言ってた「水を取れとか服を洗濯しろとか、入院してても出来ることは自分でやってくれ、自分達は病気を治療するのを手助けする仕事であって、ここはホテルじゃない。病院にホテルの待遇を求めないでほしい」は本当に肝に銘じたいと思う。
確かに具合が悪い中1日中病室にいるんだから、快適な空間を相手に用意してもらうという感覚になっちゃうのはすごくわかる、俺もそうなってたかもしれない。
先月末、Switchで昔ガラケーで配信されていた「女神転生外伝 新約ラストバイブルII 始まりの福音」が配信された。
このゲームはゲームボーイやスーファミで展開されていたラストバイブルシリーズで、こんなタイトルだけど2のリメイクではなくて完全新作。
そしてラストバイブルシリーズどころか、本家の女神転生シリーズを全てひっくるめてもトップクラスの鬱ストーリーになっている……という噂を耳にしたことがあり、一度遊んでみたいと思っていた。だがしかし、何せガラケー末期に配信されたアプリであり、噂を聞いたときはスマホに移行済みだったから、遊びたくても遊べなかった。このたびSwitchへ移植されたことでようやく遊べた。めでたい。
遊び終わった感想はというと、最初から最後まで本当にシナリオがエグくて、本家の女神転生シリーズを全てひっくるめてもトップクラスの鬱ストーリーという前評判は伊達じゃない。メガテンシリーズは全て遊んだわけじゃないけどね。
ただ、元がガラケーアプリということもあって、ググってもほとんど話題がない。あまりにも衝撃を受けたこのゲームの話がとにかくしたいのだ。
というわけで、シナリオを解説しつつ盛大にネタバレしながら語るぞ。
※1度遊んだだけなので、うろ覚えによる勘違いがある可能性あり
この疫病は空気感染するタイプで潜伏期間が3年~不定期、発症率は2~3割で年齢が低いほど発症しやすい。ホルスの住民のほぼ全員が感染しているのではないかと考えられている。
発症すると耐え難い痛みに襲われ、10年以上の月日を重ねて徐々に衰弱していくというもの。
やけに病状が具体的に提示されるのが、恐ろしさを伝えている。
ガラケーアプリで配信された2008年の段階ではそこまでの意図はもちろんないだろうけど、2022年の今遊ぶとパンデミックの恐ろしさが凄くよくわかる上に、病状はコロナよりもちろんヤバい。
ホルスのあちこちの街にある病院では全てのベッドが患者で埋まっており、自宅療養するしかないと告げる看護婦や、街によっては床に雑に寝かされているところもある。
そして、年齢が低いほど発症しやすいので、子供や孫の身内を失った老人が姥捨て山のように住まう村がある。そこにある大きな建物に入ると、フロアにびっしりとベット寝たきり老人が大量に映し出されるのは恐怖でしかない。これは所謂2DRPGだからできたことの表現だろう。
そこにいるまだ元気な老人も死への恐怖から必要以上に騒いだり、人生に悔んだり……。
物語の終盤、人間を苦しみから解放するという名目でルシファーがやってくるが、それは殺害することで苦しみから解放するというものだった。
主人公たちはルシファーを倒すが、この村の村長からはどうせ苦しんでいるだけなのだから一思いに死なせた方が良かったんだと嫌味を言われる。そしてルシファーから助けたはずの老人は病による苦しみから自殺してしまう。後味が悪いというレベルじゃないんだけど……。
この病気に対する薬も開発されているが、麻酔のようなもので、痛みを失くす効果はあるが根本的な治療にならない。
そして街によってはその薬すら満足に供給されず(数少ない薬はお偉いさん方しか使わないという政治腐敗っぷりもある)、死して魂を解放することが幸福であるという、謎の宗教みたいな教えを伝達して誤魔化しているのも、この世界の退廃っぷりを表している。
また、仲間の一人であるルナは行方不明となっている母と父を探しているという設定であるが、この母と父は疫病の進行のため、薬の過重投与によって植物状態になり、聖王軍から"楽園"と呼ばれる施設に同じような症状の患者とともにいた。
ルナはそのような状態になってしまった母と父にショックを受け、弟のカミュの魔法で記憶を改竄して貰っていたのだ……。
"楽園"にたどり着くことで真実を知ってしまったルナは、元々の勝気な性格が嘘のようにショックを受け、しばらくパーティから離脱することになる。
なお、当然ながら弟のカミュはこの真実を知っている。母と父がそのような状態になってしまったからか、姉であるルナに異常な愛情を向けるようになり、ついに自分の思い通りにならないのならそんな姉はいらないというヤンデレ思考でルナを含めた主人公一行と戦うことになる。
敵に操られていたとかそんな理由で肉親と戦うのではなく、セルフで狂って戦うことになってしまうのは、この物語の世界観のエグさを物語っていると思うぞ。
また狂ってしまうのはカミュだけではない。仲間の一人、レオンも物語の終盤に兄のように慕っていたアインは自分をかばってなくなっていたこと、自分たちの責任の重圧に耐えきれず、ルナを誘って逃げようとする。しかし、ルナは亡くなったアインの代わりに自分を新しい依存先にしようとしているという正論パンチを食らわし、痛いところを突かれたレオンは狂乱の中、ルナへ刃を向けることに(この後、ルナと一騎打ちになるが、レオンはメチャクチャ弱い。なお、レオンはその後、反省し、覚醒してパーティに戻る)。
一応ストーリーラインとしては、この疫病で苦しんでいる星で、世界を支配する王であるカインが狂王を名乗り、圧政や異世界から魔獣(メガテンでいうところの悪魔)を召喚してさらに世界を混乱させている。
主人公は冒頭で妹を魔獣に食われ、そしてその魔獣は父と母も殺害してしまう。この魔獣はあざ笑うかのように、妹が持っていた仮面や衣服を着用し、妹の笛を吹いて現れる。父親の死の間際、その魔獣(以下、笛吹き)とそんな魔獣を呼び出したカインへ復讐して欲しいということを語り、当面はまずカインを倒すことを目的に話が進む。
狂王カインへの対抗組織として聖王アベルが率いる聖王軍というものがある。この聖王アベルは前述の薬を作って配布するなど、この星に住む人の希望となっている。
……しかし、主人公たちはカインを倒したときに真実を聞かされることになる。
カインは、疫病への恐怖から誰彼構わず魔女狩りを始める国民に心を痛めており、自分が狂王となり悪役を演じることで全ての不満を自分に向けるように仕向けたこと。その裏で、聖王アベルという架空の存在を作り、疫病への対策を行っていたこと、そして狂王を演じるうちに次第にカインの精神を蝕み、狂ってしまったこと(結局、魔獣を召喚したのはカインであるかどうか不明)。
そうこうしているうちに、主人公を導き、暗躍していた魔獣の女王を名乗るミストラが魔獣王を決めるということを言いだす。
世界の各地に魔獣の卵のようなものがあり、ミストラがそのような提案をすると、サタンとルシファーが孵り、それぞれが魔獣王へ立候補し、彼らは大元の思想は違えど人類を滅ぼすという最終目標は変わらず、主人公はそれを止めるために扮装するが、どちらも倒したものの逃げられてしまう。
そしてミストラが魔獣王を決める際に、サタンとルシファーは合体してメタトロンになり、自分こそ魔獣王にふさわしいと名乗りを上げるが、ミストラが魔獣王として選んだのは、笛吹きであった(笛吹きはその後、各地で子供をさらっているなどして、何度か主人公と戦っている)。
ミストラは笛吹きと合体して、魔獣王ルインとなる。メタトロンは部下として従えることになった。
これまで主人公一派に協力的だったミストラの豹変っぷりはなかなか怖い。淡々と語りだすし。
ルインおよびメタトロンの目的は、人類を滅ぼすことで解放すること。そのための手段として月を惑星ホルスへぶつけるという大掛かりな手段を使おうとしてくる。
刻一刻と迫ってくる月、対策として月を爆破する選択を選ぶが、そのためには月にいるルインおよびメタトロンを倒す必要がある。
しかし、こちらには力が足らない。そのためには主人公にフォースの力を解放させるしかないという展開になり、主人公の心の中で、力の解放のため自分と向き合うことになる……。
気が付くと、主人公は森の中にいた。歩いていくと見慣れた光景が広がっていた、自分の育った家、父、母、そして妹。
妹は誕生日プレゼントで貰った笛と仮面を貰って楽しそうにはしゃいでいる。ここにはあの笛吹きの魔獣はいない。
……あのとき主人公が望んでいた光景が広がっているのだ。父は主人公に大切な話があると語る。
それは主人公は捨て子であり、実の子ではないこと、そして出来れば妹と結婚してずっとここにいないか?と提案してくる。
主人公はその提案を……拒否する(提案を飲むと、月がホルスにぶつかり「HappyEnd」という名の「BadEnd」になる)。
そして主人公は過去の迷いへ決別するために、夢の中の親や妹と戦うことになる。
ここまで読むと、わかるだろうけども、ぶっちゃけると「鬼滅の刃 無限列車編」の夢の世界とほぼ似たような展開となってる。こっちの方が早いけど。
鬼滅では炭治郎が夢の中で自殺することで戻ってこれたけど、ラストバイブル2では家族を殺害することで夢の中から脱出するからその分鬱度が高い。
ちゃんと戦闘になり、プレイヤーの手で攻撃方法・対象を選んで倒さねばならないのだから……。キツい……。これもゲームシステムを利用した演出なんだろう。
月にたどり着くと、いよいよラストダンジョン。その名は"地獄"。ストレートすぎる名称だろ。なんで月に地獄があるかっていうと、おそらくルインが作りだした幻かと思われる。だからこそこの地獄は狂気に包まれている。
この地獄では、人々がやや支離滅裂気味で話す苦しさを全て聞かないと先に進めないので、精神がゴリゴリ削られる。
あと最後までたどり着いてようやく気が付いたのだけど、ミカエルだのルシファーだのが出てきたり、タイトルにバイブル(聖書)という名称が入ってくるくせに、このゲームの世界観は仏教がベースなのよ。ラスボスの前座で出てくる敵は「四苦」と「八苦」。「四苦八苦」という四字熟語があるが、「四苦八苦」とは仏教用語であり、生苦・老苦・病苦・死苦・愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五蘊盛苦を表す。ちょっと病苦を全面的に出し過ぎてる気もするが。
なんとかラスボスのルインを倒すが完全には倒せていない、そうこうしているうちに月はホルスに迫る。
もう用意していた爆弾だけでは、月を破壊できたとしても破片がホルスにぶつかって大損害を与えることが必至。完全に粉々に月を爆破する必要があり、主人公はレオンとルナをトランパ(ドラクエでいうルーラ)で逃がし、フォースの剣で更なる力を込めて月の破壊しようとする。
まだ死んでいないルインがやってくる。主人公はルインと心を通わせることで、笛吹きの魔獣……ラミレスの正体を知ることになる。
笛吹きの魔獣はラミレスという名で、正体はレオンの双子の兄である。
ラミレスとレオンは望まれない形で生を受けたため、親から虐待されて育てられた。食糧事情が悪化した際、ラミレスとレオンは親に捨てられた。
レオンは山へ、ラミレスは海へ。レオンはたまたまそこにいたアインに拾われて育てられることになった。
一方ラミレスは海に流された後、あまりにも不憫に思ったミストラにより、身体は魔獣として命を取り戻すことになる。そして主人公が冒頭で暮らしていた島へ流れつく。
仲睦まじく楽しく暮らす家族を見ると、親の愛情を受けずに虐待して育てられたラミレスは苦しみだす。なぜ自分はこんな目に合うのか。
ラミレスは家族の愛に飢えていた。だからこそ、主人公の妹を喰らい、妹が来ていた仮面や服を着ることで、自分はあの幸せそうな妹にすり替われることができるのではないか、と考え実行する。
もちろんすぐにバレるため、主人公の父と母から拒絶され、そのまま殺害してしまう。
家族が欲しいというラミレスの願望は一向に癒されず、各地で子供をさらって食うという猟奇的な行動に出てしまう。
そして、全てを理解した主人公は苦しむラミレスの魂を開放すべく、最後にとどめを刺す。そして月と運命を共にする。
あとは平和になったホルスのエピローグが語られて、「女神転生外伝 新約ラストバイブル2」が終了。
最初から最後までこれでもかというくらい陰鬱な話が続くが、そのための清涼剤としてか仲間はみんな底抜けに明るい。
だからこそ、仲間の辛い過去が判明したり、狂いだすのも結構キツいものがあったりする。
あと、このゲームは2であり、ところどころ1を遊んでいないとわからないと思われる部分もあるが(結局ミストラって何者なの?とか)、まあメインの部分は1をやっていなくても大丈夫。自分も遊んでないし。