はてなキーワード: 人生の目的とは
ここ数週間で裁量労働制について国会で審議が活発になっているが、このブログは漠然と感じていたことを表現してくれた。
https://twitter.com/g0ntha/status/970098940547801088?s=21
この手の労使闘争の議論をみるときにいつも思うのだが、制度を適用したいと言っている社長は果たして同じ立場で労働者となった時に自分もその制度の下で働きたいと思うのだろうか?
そして、こと経団連をみていると日本の社長の多くは金儲けが手段ではなく、目的になってしまっていると感じざるをえない。
自分の考えではあるが、本来、会社は個人では実現できないようなことを成し遂げるためにあるのであって、金はその手段であるはずだと思っている。
なので、手段が目的となっていることは何の理想なく生きることと同じように思え、そこに希望がなく虚しく感じてしまう。
家族と幸せに暮らしたい、余暇で趣味を満喫したいというなら、そこを犠牲にしてでも金儲けをして余裕を作りたいというのは本末転倒であろうという虚しさである。
つまり、金儲けが人生の目的ではなく、その金で何をしたいかが重要だと気づくべきである。
いや、金儲けは目的ではないという社長なら、その金儲けで何を実現したいのか、それを公に発言して賛同者を募るべきだろう。人の人生を使う以上、それくらいは必要だ。
是非、そのようにして声を大きく理想となる目標を掲げて、堂々とビジネスを進めて欲しい。そうすれば労働者は納得して自らの人生を預けられる。
今、社長だけでなく、労働者も何が人生にとって重要で何を手段として実現するかがと問われる時代になっていると感じている。皆は何のために生きていて、それは今の会社で実現できているだろうか?
私の親がとある宗教を信仰している。だから生まれてすぐから毎週集まりに連れて行かれていた。
組織の中で嫌な事がいくつかあった。
母親が一時精神を病んでたのか、家も長らくすごく居場所が悪かった。
父は空気。そのうち父は精神科に通い始めた。精神科に行くべきなのは母親だと思ったし、なんども行けと言ったけど結局行かなかった。
宗教やめたら殺すと言われたこともあった。ずっと他の家の子たちが羨ましかった。母は家でずっと他の信者の悪口を言ってた。父は怒ったけれど焼け石に水だった。そのうち父も「尊敬しろ」とか言って怒鳴るようになった。家族で毎週宗教の勉強をしなきゃいけないんだけど、高校の時宿題しながら参加してたら叩かれた。私が悪かったのかもしれないし後で謝られたけれど、未だに思い出すと悲しい。
それからその宗教について毎週他の信者の方が家に来て私に宗教のことを色々教えてくれていたんだけれど、大学に行くって言った瞬間に豹変して、私が大泣きしてるのに数時間ずっと文句を言って私の母親の文句まで言って帰った。その次の週からその人はもう家に来なくなった。
おばあちゃんみたいに慕ってて、その人もすごく親切にしてくれて、高校時代の私はその人をすごく信頼してたから、ショックだった。
それでも私はまだ信者で居続けた。
独り暮らしを始めて、そこでもまた宗教がらみで嫌な事があった。
思い出したくもないから書かないというか書けないけど、本当に辛かった。やせ細って家でずっと泣いてた。家にいると涙が出て止まらなくて本当に病気になったのかと思った。
宗教の活動を熱心にしてないから陰で悪口を言われたりもしたけれど、(とはいえ当時は週3で活動をしてた)私はバカだったからそういう風に言われてもちゃんと集まりに言ったり活動に参加することで信仰を示してるつもりになってた。
それから引っ越した。引っ越した先の人たちはみんな良い人だった。
今までの嫌な思い出とか、あれってやっぱり普通じゃなかったんじゃないのかと思い始めた。
そもそもこの宗教内では、この宗教をやってない人は道徳的に堕落してて薬やっててアル中で嘘つきで泥棒で殺人する(これはちょっと大げさだけど子供の頃は本当にこういうイメージだった)、みたいな感じなんだけど、中高の友達も大学の友達もごく普通に良い人達で、むしろ「愛、親切」とか言ってる宗教をずっとやってる私よりみんなずっと性格が良かった。
陰口を言うような人もいない。まあカンニングする外人の友達がいるくらい。
愛の組織なんかじゃなかったんだ、って一度思うともうその思考がぬぐえない。
集まりで話を聞いている間もちょっとしたきっかけで嫌な思い出がバーーーっとよみがえって来て
そんなんじゃない!!!嘘つき!
ってつい思ってしまって、泣きそうになる。というか泣いてる。
もともと話は聞かない方だったけれどこれのせいで意図的に聞かないようにするようになった。
真理とか人生の目的とか興味ない。
けどやめて家族から無視されるのは嫌だし、家族を宗教から引き離そうとは思えない。
どうしたらいいのか分からない。
でも神が本当に愛だったらいいな、と思う。
40歳を過ぎた。
結婚はしているものの共働き非正規雇用(配偶者は正規雇用)で、子供はいない。
同世代は部下や子供を持って、責任ある立場に立って頑張っているのを感じるけれど、ふとした時に自分には何もないなーと思う。
責任無いだけに逆に責任がある感じに(このへんわかる人だけピンときてくれたら充分)押し潰されそう~ってなって、たまに投げ出して逃げたくなる。
そういう定期的落ち込みにうんざりしつつ、かといって正社員になるための努力も怠ってだらだら生きている。
大人として恥ずかしいと思いつつ、早死にしたいなーとか日々思っていて、中2かギャルかよ。しかし今更社会的な立場も積み上げられそうにないし、
子供でもいたら何か変わるんだろうか、とここ数年悩んできた。
人生への枷として「この子のために死ねない」「孫の顔が見たい」という感覚があればもうちょっと真っ当に生きられるんじゃないかと。
しかし、正直昔から子供にあまり興味がない。可愛い顔の子はかわいいと思うし、うるさい子はうるさい。血縁があってもなくても同様に見てしまう。
人1人育つのにかかるコスト、醜い容姿だった時にブサイクだと思わない自信がない、病気や事故の可能性、非行に走ったりサイコパス気質だったら…など、
自分の中では子供及び育児というプロジェクトは、リターンよりリスクばかり目につく。
なので、若い頃からやんわりと子供は欲しくないなと思ってきた。結婚するときも配偶者にそれは伝えて理解してもらっている。
というか配偶者も自分もオタクなので、理解というより趣味にある程度時間とお金を使える生活を維持するには仕方ないよねー、という感じなんだと思う。
お互い比較的富裕な方の家庭に生まれ育って、浪人の上大学まで出してもらっているのでもし子供を持つなら同じようにするべきという思い込みもある。
と、まとめられるくらいには「子供を持たない」ことで後悔しないように整理しつつも「自分の子は違う」「生まれてみれば変わる」という主張に対しては反論材料がなく、
(あるとしたら「生まれたけど可愛くないよ」しかないと思うので)いつか後悔する日が来るんだろうか、という漠然とした不安だけがあった。
しかし、拠り所の無さについて散々考えた結果、「“無駄遣い”することを人生の目的にすればいいのでは?」と思いついて、
悪くない考えではと思ったのでここに書いてみている
子供が欲しくても縁のない方もいるわけだし、生まれた人間が全員育つわけでもない。
虐待件数も(明るみになる分としては)年々増加していると聞くし、配偶者に何かあったら正直育てられる気がしない。
自分自身が親に「親の面倒なんて見なくていい」と育てられたので、多分子供にも求めない気がするし、
老後への投資としては、子育てってコスパ悪そうなので積立でもしたほうが良さそう。
とりあえず自分が生きている間なんとかなればいい、と思いきれると、政治とか環境問題もそんなに気にならないというメリット(?)もある。
それなら自分なりに働いて好きなものを買ったり外食したりして経済回していくことで社会と関わって生きるんでもいいんじゃないか?
好きな作品にお金を使って、コンテンツを支えてるんだーって自己満足を感じつつ、
安めの老人ホームなり老人シェアハウスに入れるくらい貯金も心がけ、だらだら生きることに罪悪感を感じないようにしようと思う。
こういう人が増えると少子化待ったなしだし、多くの共感は得られない意見だと思うけど、もしかしたら同じような誰かが楽になってくれたら嬉しい。
自分はとあるゲームで全一レベルの腕前があったと自負しているのだが、再就職をきっかけにぱったりと界隈から去ってしまった。
何故去ったのかというと、まともにプレイする時間が取れなければ時間をかけられるプレイヤー・センスのある後続プレイヤーにいずれは追い越され自分の敗北を見せつけられる、のが耐えられないという後ろ向きな思考からだ。
つまり自分は負けず嫌いであり、負けを認めたくないがために界隈からの一切の情報を断ったのだ。
しかし、気まぐれにも最近またそのゲームをインストールし直しプレイを再開してしまった、土日に15時間程プレイするほど楽しかった。
そうなると最新のアップデート情報や記録などが気になってしまうのは仕方のないことだと思う。
やはり自分の記録やスコアは抜かされていた、アップデートの詳細な内容や仕様変更は完全に理解しているわけではないが、当時の自分の足跡がゴミのように蹂躙されている有様だった。
もはや何がどう強化され、どう効率化がなされたのかわからずおれは完全に途方にくれてしまった。
おそらく彼らは俺が去った2年間の間も毎日とは言わずともプレイし続けた人間達だ、ひとつひとつの動きだって俺とはもう天と地の差があるに違いない。
おれがサボった2年間で果てしない差が生まれてしまった、負けず嫌いな俺はもう勝てないだろうと思っている。
そもそもおれはセンスはそこそこあったにしても、早期開拓者としての小技発見は今までの経験有りきで、特別デバックプロという程ではない。
さらにおれは努力ができない、努力をしようとしない怠惰な人間だから、データとして最高効率を求めてもそこから発展系を作り上げる事ができない。
現状に甘んじるために、頂点だと思い上がるために、自分より上がいたとしても過小評価し、現実を知ったら逃げるために、一皮向ける事は一生できない人間だ。
もう俺も働き出して日常生活はそこそこであるが、これから界隈に参入して毎日寝る間を惜しんで努力なんてできないと思う。
だからおれは一生勝ち上がることはできないに違いない、本当に悔しい、本当に悔しいのにおれは勝つために努力できない、気が狂いそうだ。
おれは未だ人生の目的がわからないのもある、だからゲームに無駄な、本当に勝てるのかどうか不明確な時間をかけられない。
ほんとうは勝ちたいんだけどなあ、無理だろうなあ
でもここ15年で書いた小説未満の駄文は全部合わせて100行未満!
それなのにいつか小説家になれると思ったままなんだからオラワクワクすっぞ!
マジで唐突に覚醒していきなり文庫本1冊分ぐらいならアッサリしあげてそのまま芥川賞GETとか思ってるのかねオレは。
流石にいい加減現実見ろよと思うんだけど、こんなくだらん妄想でも将来に対して何か明るいビジョンを持っておかないと人生が嫌になって電車ダイブかましそうだ。
俺を発狂させないためのストッパーになるからって事で、実現する気のない夢を見続けているのかも知れないな。
夢を実現させるのが目的ではなくて、夢を見ること自体が目的となっているという歪な姿が俺の諦める理由はいくらでもあるのに諦めるとは到底思えないこの夢の正体なのか。
なんだそれ……
聞かせる奴によっては
「アドラー心理学は本当だったんだ!」
とでもほざかれそうなレベルで滑稽な手段と目的と過程と結果の逆転現象が起きてやがんな。
とはいえ
今更現実を見て現実的な夢(人生の目的・目標)を探そうとした所で、何か見つかるとも思えないな。
日本百名山制覇?
山登り自体が面白いとは思えないのでヤマノススメオタクにでもおまかせします。
軽く漫画を練習してツイッターで白ハゲ漫画描いてチヤホヤされる?
承認欲求には飢えてますが飢えてるなりにグルメですのでそういう担がれ方はちょっとね。
今更頑張ってもそんなお金が稼げるとは思えませんね。
お金稼げるように頑張る?
頑張りたくない。
安くて美味いお菓子を沢山食べる?
健康的な体づくり?
頑張りたくない。
小説家になるためにまずは本を沢山読む?
往年の名作ゲームの制覇?
ゲームも飽きてきた。
大体どれも飽きてきた。
恋?
人付き合いにももちろん飽きてる。
この人生は本当に何がしたいのか。
多分もう何もしたくないんだ。
小説家になってチヤホヤされたいってのも、人生をやりきって1人の人間分として十分な結果を出したと自分に言い聞かせたいんだと思う。
それと一度ゆっくりしてそのまま再起不能になっても問題ない程度の金を手っ取り早く手に入れたいのだろう。
人生に疲れてるんだ。
とにかく一度休みたいんだ。
いつだって結果を求められる。
休んでいる間すら、何か仕事の役に立つヒントは掴めたのかと問いただされたりする。
休み方にすら有意義であること、リフレッシュしきる事、休み明けからはバリバリと働けることが求められる。
とにかく疲れる。
休まらない。
どこまでも休まらない。
一度冬眠したい。
もしもこれが一人プレイのゲームならとっくの昔に一度セーブして別の事をやっているだろう。
レベリングに疲れたRPGや、クリア後のトロフィー集めにウンザリしたゲームからそっと距離を置くように、そこから離れて別の事をやりたい衝動でウズウズする。
もしこれが本ならば一度閉じて別の事をしているだろう。
小説家を目指してると言っておいて実際は全く書いて無い奴らしいありきたりな表現だと自分でも思うけど、表現のしかたはともかく気持ち的には本当にコレなんだ。
寝ている間は人生のことを忘れられるはずなのに、夢の中でもふとそれが夢であることに気づいた途端に自分の本体が現実に有り、そのハードウェア上で動くソフトウエアとして夢が存在しているという事実に気づいてしまう。
眠っている時間は休んでいる時間であり、それはつまり、休んでいる時間にしっかり休んで仕事等で結果を出すための準備の時間として扱われてしまうのだ。
現実でバリバリ頑張るために必要なクールダウンに過ぎない眠りの時間は、結局は現実の一部のままなのだ。
夢から醒めて現実から帰ってきたとき、再び二度寝する事も出来ないわけじゃない。
仕事場に一度電話を入れたり、そもそも休日だったりすればいいだけだ。
でもそうじゃないんだ。
二度寝して三度寝して四度寝してトイレに行って少しお腹を満たして歯を磨いて五度寝して……それを百億回繰り返してもまだ百億一度寝が出来る状態を俺は求めてるんだ。
実際に百億回二度寝がしたい訳じゃない。
無限に休んでも何ら咎められる事がない、完全に人生の時間が止まった休憩時間が欲しいんだ。
でもそんなのは手に入らない。
だけど金を沢山持ってセミリタイアをしてみせたのならそれに近いことは出来る。
でもただ金を持ってるだけじゃケツ吹く紙にしかならなくなった時に困る。
それと単に沢山金を手に入れるんじゃなくてしっかり人間社会に貢献したという形で金が欲しい。
そうじゃないと何だか納得できない。
納得できない状態で何もしなくて良くなると、自分のような弱い人間はきっと自分を苛め抜いて自滅するだろう。
たとえ金の価値が何度暴落してもそのたびに何度でも金を手にするような力が欲しい。
そんな方法として、何か自分にも出来るような物として、自分は小説家で億万長者という幼稚園児レベルの夢を見たのだろう。
小説は文章を書くだけだからもしも俺が超天才だったなら才能が覚醒さえすれば(どんな前提だ)、億万部だって楽勝に達成できる。
意味不明だ。
冷静に考えると意味不明過ぎる。
だけど意味不明な物に根拠のない自信を持つと逆に理屈が通ってる気がしてくる。
スポーツや絵と違って才能の無さを証明するのも難しいという事が一役買っている面もある。
とにかく俺には夢が必要だったんだ。
滅茶苦茶でもいい。
その夢に向けて歩もうとする気力すら無いけど、その消えかけの気力を夢が支えているんだ。
何がどうなってそんな事になっているのかもう分からんけど、俺の心はいつの間にかそういう構造になっていたようだ。
最初に言ったけど本当にこんな奴どこにでもいると思う。
とにかく休みたいという願いを持ってる奴も沢山いるだろう。
天国の話に人が惹かれるのは、そこで幸せになれることよりも、そこに行けばもう頑張らなくてよくなるからなのかも知れないな。
ただ単に頑張らなくてよくなりたいだけなら死ねばいいけど、死ねば頑張らなくてよくなった自分を観測出来なくなる。
それだけじゃない。
それを無理に捻じ曲げれば自分の中から出てくる言葉が自分をいつまでも切りつけてくるようになる。
そういったシステムから脱するには、肉体を捨てた上で観測者としての意識を残して、努力を不要とする世界に行く必要がある。
もしかしたら俺は小説家なんて目指してないで(全く書いてないくせによく言う)、神にでも祈るべきなんだろうか。
でも流石に話がうますぎるな。
小説家を目指してるせいで見え見えの作り話に見えちまうぜ。
諸事情があってその時点で持っていたのは現金1600万円のみ。
年金は国民年金を全納すれば月10万円は65歳から受け取れる見通し。
独身、子なし。
まず中古公団団地の一室を購入した。築45年だったが、メインテナンスはしっかりしてあって、まあ、二十年、三十年は問題なく住めそうだった。
エレベーターのない5階というのは難点だが、運動をしていると思えばいいだろう。ネットスーパーもあるし。
大型団地なので、役所や図書館、病院、公園、スーパーが整備されていて、環境はいい。
それまで住んでいたマンションの家賃が8万円だったので3年住めば十分に元は取れる金額だ。
首都圏にはこういう物件が多数ある。セミリタイアにおいて家賃はネックになるので、こういう物件を探して生活費を圧縮させたほうがいい。
1日10時間勤務夜勤の警備の仕事を週3日やっている。それで手取り13万円だ。
週休4日である。
私は年金積立型の医療・生命保険に入っているので、それの支払いが月3万2千円と大きい。その代り入院費はほぼほぼカバーしてくれて、65歳から85歳まで月々7万5千円振り込まれる。これを維持すれば老後の生活費は賄える計算だ。
管理費が2万5千円、食費が3万円、水道光熱費が1万円、通信費が5千円、雑費(小遣い込み)で3万円だ。それでも月1万円は残る。
余暇を利用して、ウェブライターをやっているが、無理なくやってこちらの収入が月2万5千円ほど。フルタイムできっちりやればひょっとしたら警備の仕事分くらいは稼げるかもしれないが、社会保障費の負担があるのでバイト勤務を続けている。
生活雑貨衣料費等々を含めてだが小遣いが月5万5千円はあることになる。何の不自由もない。
貯金は再投資型のインデックス投資信託にしていて、今のところ年利は税金経費を差し引いて4.8%は維持している。
少なく見積もって2%と見ても、60歳で2000万円、65歳で2500万円にはなっているはずだ。
2%というのはかなり控えめな予想だ。
数字で示した通り、私の条件は一般と比較して必ずしも良いほうではない。それでも独身ならば、週休4日で無理なく暮らせているのだ。
若い人で結婚する気もなく子もいないならばもっと計画的に早期セミリタイアを狙ってはどうだろうか。
その間の年収が平均で400万円越えているなら、最初からきっちり計画して節約して投資していれば、35歳からセミリタイアが可能、年金が仮に月々5万円くらいになっても生活していくことは可能だと思う。
[追記]
投資信託は寝かせておくだけなので、日常的には何もする必要はない。
株式であれば安定して3%以上の配当を出している企業はいくらでもある。配当益めあてならばそちらに投資するというのも手だが、資産形成であれば投資信託の方がいい。
5階建てエレベータなし物件は何もずっとそこに住まなくてもいいのだ。3年住めば元を取れるので、もうすでに元は取った状況だ。
週三回、十時間勤務は基本的には私の都合である。基本的には30時間以上の勤務実績が無ければほぼ社会保障負担をしてくれる会社はないからだ。
普通の会社勤めが出来る人なら無理にこういう生活を送る必要はないと思う。
私は所詮アルバイトなので、煩わしい人間関係もないし、自由時間が大幅に増えているのは事実なので、せっかく独身なら「無理に稼ぐ必要はないよ」という意味でこの記事を書いた。
国民年金は満額支払っても月8万円くらいだが、厚生年金があるのでね。
一応最悪年金は月五万円でも、65歳からは100歳まで月20万円の収入が働かなくても得られるように組んである。
[追記]
ネットオークションというか、東京の商品を地方に発送する小遣い稼ぎをやってみたが、それでも15万くらいは稼げそう。面倒くさいのでやめたが。
それよりも割がいいのはマンガ週刊誌などを海外のオタク向けに発送する仕事。私は英語ができるので、こちらも結構稼げた。
やはり面倒くさいのでやめたが。
何も考えなくていいと言う点では夜勤警備員のバイトに勝る仕事はない。
[追記]
結婚は諦めたのではなくてもうしたくないのでござる。バツイチなのでござる。一人の孤独のデメリットよりも一人の自由のメリットの方が大きいのでござる。
生きがいやら人生の目的やらを重視している人が多くて驚いている。
そんなもの持ったこと今まで一度もない。やりたいことをやるよりもやりたくないことをやらない人生の方がずっと素晴らしい。
[追記]
国民年金を前倒して納付する制度はあるのかも知れないけど、ここでいう全納はそういう意味じゃなくて、40年満期で支払ったならば、という意味です。大学生の二年間、支払い猶予になっている人は多いけど、その場合は60歳までで38年納付計算か、65歳までは追加納付できるので、その期間中に納付するということです。
あと、老後の定期収入は一万でも二万でもやっぱりあったほうがいいよ。年金自体は破綻しないよ。破綻しそうなのは生活保護制度の方だよ。
[最後の追記]
うん、まあ、これがセミリタイアじゃないっていうなら別にそれでも構わないんですが。
言いたかったことは、老後の備えと入院の備えさえある程度できているなら、独身ならフリーターでも十分生きていけますよということだ。
何も無理して稼いで子持ち世帯のために税金を納めてあげる必要もあるまい?みたいな。
日本の場合は正社員の仕事とフリーターの仕事の、賃金、就職のしやすさ、責任等々の格差が大きすぎて、ちょうどほどよい仕事ってのがあんまりないんだよね。
アルバイトならいつでもケツをまくれるわけだし、実際にそうするかどうかはともかくそうできるという自由は何にも代えがたい。
余暇ではイラストを描いてピクシヴにアップしています。そちらでも収入を得ようと思えば可能かもね。
夢、とは違うけど、ふわふわした憧れ職業みたいなのってあるじゃないですか。ミュージシャンとか。そういう夢を追いかけるのは若いうちだけみたいな風潮があるけど逆だと思うんだよね。
ある程度の資産を築けば、好きなことで生活ができるくらい稼ぐってのは難しいけど、小遣い稼ぎ程度稼ぐっていうのは十分可能で、そういう生き方も出来るんだよ。
孤独死とか(笑)、じゃあ定年まで勤めれば孤独死しないのかってことだわね。
人生を65歳以降のために生きるのって、そっちの方が不幸じゃない?
前途有望な若者に、少しでも足しになればと思い自分の体験を書かせて頂く。
増田と違って勉強すら出来なかったのでそこそこのレベルの大学に入たものの、やりたい事が見つからず就職活動もたいして出来ず、卒業しても就職が決まらなかった。
当時は先の人生に悩み辛かった。
1年遅れで、知り合いのつてで趣味でやっていた事を活かしてDTP関係の仕事に就いた。
仕事はあまり苦では無かったが、やりがいは無く、その仕事の才能があるとは思えなかった。
数年働いてから、知り合いのつてでDTPの営業に転職した。とても大きな会社だったので魅力を感じたからだ。
そしてなにより、全く自分に向いていない(才能が足りない)事がはっきり分かった。
転職をする他無かった。
今思えば、そこそこのDTPの技術で就職先は見つかったかもしれないが、当時は今より就職難だったし、転職出来る希望を感じる事が出来なかった。
再び先の人生に悩み苦しんだ。
当時29歳。
追い詰められた。
自分は物作りが好きだったし、得意だった。
DTPや営業でトップを取れる気はしなかったが、物作りならいけそうな気がしたし、進路変更をするなら今しかないと思った。
最近は個人で物作りをして販売する環境が整っているしメディアにも取り上げられて一般に広まってきているが、当時はそこまででは無かったので心理的なハードルは高かった。
しかし、仕事の継続と転職は無理だと思ったので、逃げる様な心境で専門学校へ行く事にした。
物作りは漠然と得意だと思っていたが、専門学校へ行くと才能がある事が明確に分かった。
卒業してから初めの数年は時給1000円未満のアルバイトだったが、6~7年経った頃にはそのジャンルでトップレベルの職人になった。
そうなれたのは才能もあるが、学校と仕事で学んだ事を良く活かす事が出来たのも幸いした。
年収は700万前後なので、贅沢をしなければ生活には困らないし、独立して気ままにやってるのでストレスゼロで幸せに暮らしている。
まずはその能力が活かせる仕事につくのもいいと思うし、趣味を仕事にする事を目指して数年は貧乏暮しを覚悟するのもいいと思う。
29歳まで路頭に迷ったおれが、39歳で幸せに生きている。そういう人生もある。
増田が周りから出遅れていて辛いのは良く分かる。しかし暫く経てばそれが大した事では無いと気づくはずだ。
夢が無くても希望を持って生きて欲しい。
人生の目的が独尊ってのは、脳みそを使って色々考えた結果搾り出した答えであって、
具体例が浮かばないんだけど。
唯一浮かぶものって、自分の親や兄弟の世話をすること、大切にすることくらいじゃない?
だから自分が世話したり、守っていかないとって言う設定になってるよね。
(とは言うものの、自分以外の誰かがやってくれると名乗り出てくれる可能性は必ずしもゼロではないので、それだって自分にしか果たせない目的にはなりえない気もするけど)
し、それも結局子孫繁栄に繋がっていくよね。
http://anond.hatelabo.jp/20170420162227
仏陀知らないのか???? 般若心経くらいは読んどけ。教養として。
もし、「おれが言いたかったのはそれじゃない」っていうなら、
どこを指してたのか教えてくれ。