はてなキーワード: 人生の目的とは
父はキャパが小さく、自分の問題で手いっぱいになるとパニックになって家族に当たり散らすタイプだった。
一番ひどかった中学生の頃はいつでも胸の内にマグマのような怒りが煮えたぎっていたのに、あの強烈な感覚を感じなくなって久しい。
昔よりいろんな事情が見えるようになって諦めを覚えたのか。怒りを燃やし切って勢いがなくなって、もういいやという気持ちになったのか。
大人になったのかもしれない。でも、今、自分の人生を占めていたそれがなくなった分、自分の空っぽさが痛烈に身に染みて、痛い。
今まで親のことにエネルギーを割いていたが、他の子は自分の人生にエネルギーを注いで、充実させてきたのだろうか。
私は自分の人生をさぼっていたのだろうか。親のことを言い訳にして。
漠然と、父を殺して自分も死ぬ将来のイメージが頭の隅にあった。働くとか結婚するとか、そういう幸せなイメージじゃないのが自分でも悲しい。
なんとなく20歳そこそこで死ぬと思っていたけど、結局死ななかった。
でも今まで人生って苦行だと思っていた(そのほうが辛い目にあったときダメージが少なくて済むから)人間にとってはくそ難しいぞこれ。
俺の人生の目的は悟りを開いて生きる執着を捨てることにあるんだ。
スッタニパータ、一角の犀の章を読んでもらうと分かると思うんだけど
「自分の息子を欲しいと思うことさえあってはならぬ」ってある。
異性と一緒になるのって突き詰めると子孫を残すためだよね?
もちろん五戒を守り八正道を実践していくにあたって女性の存在は認めるし、できる限り敬意を払うよ
仕事で協力が必要なら率先してこなすし、公共の場で援助が必要な場合ならそうする。
でもそこまでだよ。それ以上を望むのなら他の男性をあたってほしい。
子供を作る以外にも付き合ったり、結婚したりする目的はあると考える人がいるかもしれない。
でもそれこそ一角の犀のようにだよ。
一人離れて修行し歩くがよいなんだ。
若いころはすっごい嫌悪感あったんだよ。新興宗教にはまってる人に。
でも年取ってちょっと考え方変わってきた。
この繋がりの希薄な現代社会で自分が繋がってるコミュニティがあるというだけでもすごく安心感があるのではないか。
仕事を探すにしてもそのコネが使えるのではないか。自分一人で広すぎる社会の中で有象無象を相手に戦うより後ろ盾があるほうが楽に決まってる。
加えて悩みや辛いことがあったときに教祖様がこうしなさい、ああしなさいって言ってくれる。自分自身で考えなくてああしろこうしろって言ってもらえるのってすげー楽じゃん。
あと人生の目的にもなりやすいよな。この宗教のために生きる、みたいなさ。
それに対して相応のお金を払うだけ。コストパフォーマンス的にはどうなのかな。お金を払うことでも自分が救われるんだったらそれでもいいんじゃないかな。
そう考えると悪くないんじゃね?新興宗教。
誰かに愛されたまま死ぬと
愛してくれていたひとの心は天上へいっしょに
心を天上へと持っていかれたまま
地上へと遺されたひとは
どうやって生きていけばよいのですか
だから
あなたがもし誰かに愛されているうちは
わたしは
これから
友人にひとりづつ さよならを言い
妻に さよならを言い
誰にも顧みられなくなってから
死のうと思います
わたしは誰の心も天上へと持っていくべきではないのです
あなたがもし誰かに愛されているうちは
心を天上へと持っていかれたまま
地上へと遺されたひとは
どうやって生きていけば
よいのですか
誰からも忘れ去られるように
最期の瞬間に
誰の心も天上へと持っていかないように
それがわたしの
人生の目的です
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まずは高級風俗いって、やりたいゲームいっぱい買って、お世話になったゼミの教授にお返しの金を渡して、ヨーロッパに旅行に行き、そこで女を買う。それぐらいかなー。
という認知行動療法のワークがあるらしい。人生の目標を見つけるための課題なんだとか。
確かにプロ野球選手になりたい子どもは、お金のために選手になりたいわけじゃないだろう。
大人になると、どうしてもお金の心配が先に立って、そもそも何をしたいのかを考えるのをやめてしまう。
そうこうしているうちに、人生の目的を見失ってメンタルがやられてしまうわけだ。
そこで金が無尽蔵にあったら何をしたいかを考えてみる。言うなれば妄想だ。妄想。
妄想してみると、最初は高級品を買い占めるとか、そういう方向にしか意識が行かないんだけれども、
頑張って妄想し続けてみると、例えば人によっては、お金を使って人助けをしたいとか、
とある研究分野に投資して人類の生活を一変させたいとか、色んなことを思いつき始める。
実はそういう部分こそが、人生の目標のヒントになるような事柄なんだってさ。
都会での出世を夢見た青年が都会への道すがら宿で休んでいたとき、
自分が都会で大出世して当時の人としては栄華栄達を極めるような人生の夢を見る。
その後、都会に行くのを考え直して田舎に戻り、今まで通り普通の生活をすることを選んだ、というお話だ。
たぶんこれは自分が望んでいることを突き詰めて考えた結果、
人生の目的と言えるかわからないですが、役割はとりあえず、80年程度の活動だと思います。
熱量を80年消費するよう規定されたDNAを持ったお肉のかたまりが、子孫を残す活動等をして期限が来たら活動を停止する。その一連のアクションが人生。人間は60億ほどいるので60億の一つとして活動することが役割であり、目的に近いのでは、と思います。
冒頭のとりあえず、の意図ですが、DNAの中に、種の滅亡という命令もあるかもしれない、と考えたためです。増えすぎて地球や宇宙の邪魔になったときに発動するもの。それまでは現在は種の存続、程度が目的ではないでしょうか。
人間には個別で異なる感情らしきものがあるので、楽しく生きると選択すればそのようにすればいいし、死にたければ死ねばいいと思います。個人の生きるか死ぬかの悩みは、60億の大勢にはほとんど影響しないためです。気楽に好きなことしたらいいのではないでしょうか。
ただし、感情があるため、死んで悲しいと嘆いたり、連鎖的に底に落ちてしまう血縁・友人などがあるかもしれません。その様な人達が大切、という感情もあるでしょうから、自分のことに加えて、周りの人生を含めて、どうするか選択したら、役割は果たせると思います。
恋人と別れた。
原因は自分の裏切り。未だに自分では裏切ったつもりがないのが、自分の人間としての出来の悪さを思い知らされるようで嫌になってくる。
こうやって自己嫌悪する時点で結局自分は相手のことを想ってなかったんだと考えると、さらに嫌になってくる。
最初申し訳なさを2割って考えてたけど、増田に書きちらかそうとしてる時点で超自分本位だ。
以下本題。
ただ後悔だけはものすごい分量が自分の心の中に渦巻いてるけど、多分明後日には立ち直ってるだろうなと思っている。
忘れることはないだろうけど、自分のメンタルがこれでヤバイことになってしまうことはないと思っている。
というのも、運動、睡眠、野菜の習慣をつけはじめて以来、xevra氏のコメントに目がつき始めて、確かに精神状態調子いいなって思ってたから。決して逆ではない、影響された訳ではないとワザワザ付け加えたくなるのが氏の特徴でもあると思うが。
(まだ瞑想ってほどの習慣はつけてないのでなんとも言えないけど、運動後静かに頭を空っぽにする時間は瞑想に入るのだろうか?)
今では確信を持って言える。不健康な生活は精神まで不健康にする。逆もまたしかり。
少なくとも自分はそうだ。
ただ、今はそれが少し怖い。
というより別の方向で不安になってきた。
氏は、上記氏のキャッチコピーの他に、謙虚さと反省を忘れないよう忠告するブコメも多い。
運動、瞑想、睡眠と野菜はメンヘルに陥らないための最低限の行為でしかないとも言っている。
ただ、キャッチコピーが与えてくれたものは、それとない自己肯定感だけだったと思う。
今謙虚さと反省に向き合う段になって、自己肯定感は罪悪感に変換されている。
すべきことはなんだったのか、そのあとどうすればよかったのか。
が、それより怖いのが簡単に自己肯定感が上回るだろうなということだ。
日々成長していくことを人生の目的に据えて生きているつもりなんだが、今は完全に詰んだ感がしている。
根だけ増やしているが枝の伸ばし方がわからない。
そしてここに及んでなお、自分のことしか考えていないのに唖然としている。
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それでも自分の今後のメンタルに安心を抱いている自分を感じて、
そういえば増田でxevra先生話題に出てたな。と思って思わず書いた。
今となっては逆にメンタルって何なのかと意味が解らなくなってる。
運動とかすれば死ななくて済むよ!生きるの辛くなくなるよ。
でも、生きるの辛くないのが辛い。なぜ辛く感じないのかが辛い。
なまじっか生きるの辛かった時期を過ごしたことがあると、辛くないのが変な気分になる。
育児に詰む。
http://orangestar.hatenadiary.jp/entry/2016/07/19/223314
誰も育児がカンタンで超余裕だなんて言わないけど、この人は詰む詰む言いすぎで酷すぎて笑う。
ツムツム大安売りだな。
結局さ、こういう記事書く人って、この記事自体に売名、承認の欲求とか小銭稼ぎの願望が透けて見えるからおれは気にくわないんだよ。
本当にそんな大変だったら、それをどうにか改善する努力をして、その結果を記事にするんだったら分かるんだよ。それもしないで、呪いのような愚痴を撒き散らして、そんなもん一生懸命書いてる暇あるなら休むなり誰かに相談するなりすりゃいい。
それなのにやることが「ブログ」ってのがスッゴいバカバカしいんだよな。結局小遣い稼ぎたいだけかと。承認欲求が恥ずかしいくらいにスケスケなの。ほんとに大変ならやるべきことはそれじゃないんだよ。
これさ、あんまり比較にならないかもだけど、例えば“ペット” についてこんな、「タイヘンダータイヘンダー」な記事書く人なんかほとんどいないわけじゃん。
それはさ、「なら飼わなければいいじゃん」と言われて終わってしまうからで、あんまり悲劇のヒロインになれないからだよね。
それが “こども” となると、下手な反論は許さず無敵で最強の “悲劇のヒロイン” になれるんだよね。だからこどもに関するこの手の記事が多いのが本当にクソい。
実際は、まあこどもだからがちゃがちゃといろんなことがあってやることは増えるけどさ、もうね、そんなの一瞬で忘れくらいにかわいいし幸せを感じるから、こんな記事書いてしまう人って限界ギリギリなんじゃないかって思うよね。これは怨念に近いよ。寝たら忘れるよ、この程度の大変さえなんか。実際、大したこと無いんだから。
ブログが無い時代の人たちがみんなストレスでバッタバッタと死んでたなら仕方ないんだけどさ。「いやそれ、屁理屈こねくり回してるだけで、それただのおまえの承認欲求だから!」みたいなのばっかだよね。
おれは、こんなクダラナイ排泄物みたいなもんで、「人生の目的である」と言ってもいいくらいの超絶楽しいスペシャルビックイベント、“育児” にミソ付けられるのがたまらなく嫌なんだよ。
あとね、世の中で一番強力な子育てサポートシステムは、両親サポートとママさんネットワーク。
この2つさえしっかりおさえればほとんどどうにかなる。
特にママさんネットワークは難しい部分もあるけど、友達がいればかなり助け合える。人はやっぱり助け合いながら生きていくもんだと毎日実感するよ。
それができずにこんな呪いのブログ書く人は、まあ当然大変なんだろうけど、こどもがかわいいならこどものためにいい加減気づけって思う。やるべきことはそれじゃないだろ。
こどもが物心ついたときに自分の親がこんなブログ記事書いてたの知ったら超絶ショックだしキモイし怖いし悲しいしで、ほんと家出どころじゃない、死ぬかもしれないなと思うよ。
しかも売名と小遣い稼ぎもかねてこんなの書いてるのが自分の親だと知ったらまじで死ぬわ。恥ずかしすぎるし悲しすぎるし。 mn3
真実の解は、瞑想に頼らないでもいいように人生の取捨選択を予め行なっておくことだ。
つまり、人生における目的やゴールをいつも意識しておくことである。
どうも瞑想必須論を目にしていても筋違いだと思っていた疑問が氷解した。
頭のなかや周囲の情報がごちゃごちゃしてるから整理しようというのが瞑想の目的なら、普段から人生を整理できていればそもそも瞑想は不要なのだ。
断言しよう。人生の目的をしっかりと据えていれば、下らぬ目先の情報に左右されることはない。
大切な人生の時間を暇つぶしに侵されることもないし、目先の欲にくらんで下らぬ消費をすることもなくなる。
瞑想している暇があったら成し遂げることを急げ。
・性の対象として見られていることを認識し、性を利用し、自分よりも収入の高い男性と結婚することを人生の目的としていることを。
・能力が劣っているのにもかかわらず、性を利用し、上司から高い評価をもらい、仕事上の優位を得ようとしていることを。
・わずか13才で、女性の性という武器が、何よりも利用価値が高く(学業に専念することよりも)、今後生きていく上では、能力よりも
外見を磨く方が有利であることを理解し、学業を怠ることを。(なぜ今だに優秀な大学の入学者は男性が多いのだろうか。)
・女性の弱さを利用することにより、あらゆる局面で被害者として社会から保護され、逆差別の恩恵を受けることができることを。
(なぜ自殺者の数がはるかに女性より男性の方が多いのだろうか。)
・権力者の大半が男性という状況で、性という武器を持つ女性の意見は男性よりはるかに尊重されることを。
(例えば、若く美しい女性が強姦されたと主張した歳に、被疑者たる中年の男の意見をまともに取り合うだろうか。)
・「若さ」、「女」というだけで、男から求められる状況を利用し、そのことに安寧し、あらゆる分野で努力を怠る女性が大半であることを。
まず課金しなくても遊べるって所がいい。
正式版にデータを引き継げる体験版なんて中途半端な形じゃなくてやろうと思えば今行ける限界まで進むことだって出来る。
気前がいい。
おかげでいくつもあるゲームの中からじっくりやりたいのを選んでから財布に手をかける事が出来る。
そうやってじっくり選んだゲームだからこそ愛情を持ってプレイできる。
一昔前みたいに「買っちゃった以上やらないと勿体無いよね」なんて後ろ向きな気持ちじゃなくて前向きに遊ぶことが出来る。
ここがユーザーのさじ加減に任されてるのもいい。
今までのゲームだと16連射しようと連射パッド買ってきたらいきなり30連射始めるけど、課金ゲームはまずは10連射ぐらいで様子見しよって自分で調整できる。
もちろんいきなりSSRとか引くこともあるけどそれはそれで脳汁が出てキモチイイイイイ。
FEはもしかしたら殺されるかもしれない状況で先手打って必殺が出るから気持ちいいし、RPGはラスダンで過剰スペックのレアアイテムが落ちるから気持ちいい。
最初の10連で出たカードはちょっとレア度が低くても愛着が湧くし、最初に出てくれた最高レアはチームのエースとしてずっと使ってあげたくなる。
これもランダム性のおかげ。
課金するのにリアルマネーがいるって所が気に食わない人がいるけどその人はゲームの見方がちょっと狭い。
ゲームを自分の人生の一部だって考えられないからリアルマネーを1つのゲームに沢山注ぐって事に首を傾げてしまう。
野球少年が放課後毎日バットを振るように、僕らも毎日スマホやマウスをポチポチする。
美味しいものを食べるのにお金を払う、気持ちよくスポーツ出来るように新品のスパイクを買う、それと何も変わらない。
ゲームでお金が使いたいから仕事を頑張ろうとか、お母さんのお手伝いをしてお小遣いもらおうとか、そう考え出せば人生が楽しくなる。
課金するためにお金を稼ごうとする人生は、目的もなく何となく今日を生きてズリネタ探してシコって寝るだけの生活をしてる人よりよっぽどイキイキとしてるよ。
ゲームにお金を使うなんて間違ってるって人はさ、なんでそこまでゲームを見下しているの?
ゲームで遊ばない人がゲームを見下しているならそれはまあいいよ、どうでもいい。
自分がやってない趣味を見下しちゃうのはこっちだってたまにやっちゃう事だし人によくある悪い癖だって割り切れる。
でもゲームで遊んでる人がゲームを見下して「こんなのは人生の一部足り得ない。課金して遊ぶなんて馬鹿馬鹿しい」と思ってるのはちょっと理解に苦しむ。
楽しませてくれたクリエイターにお金を払えとかそういう話じゃないよ。
たださ、ゲームに時間を使ってそれを楽しみながら生きてるなら、それは生活の一部だってちゃんと認めてあげてもいいんじゃないって事。
そしてそれならクリアするために、欲しいキャラを手に入れるために、昨日よりもっと遠い場所にたどり着くために、お金を払っても惜しくないんじゃないのって事。
http://anond.hatelabo.jp/20150717234407
意味を間違って使っている癖に主張自体は的のど真ん中を射抜いている。
下手な鉄砲も数打ちゃ当たるって奴か。
白黒をはっきりさせずぎ、ほどほどにバランスをとることができない。
何かあると反射的に反応する、または何の反応もしない。
何が正常で何が異常かわからない。
アルコールや薬物(医師からの処方薬剤も含む)の依存症になっている。
目立たないようにスーッと消える。
生真面目で他人の言うとおりにする。
いつもせかせかと衝動的に行動する。
何か起こるのではないかと常に恐れる。
何事も完璧でないと気がすまない。
顔や体に表情がない。
何かが変わることに対する恐れが大きい。
抑うつ状態に陥る。
自分の感情が鈍麻していたり、体からでるメッセージに気がつかない。
怒りが爆発したり、いつもイライラしている。
権威ある人の前に出ると過剰に萎縮する。
記憶力が鈍ったり、または反対に嫌な記憶に悩まされて胸がドキドキしたり、悪夢を見たりする。
自分はいったい誰で、どんな人生の目的を持っているかわからず、自己が確立していない。
対人恐怖があったり、ひきこもりをしている。
ネットの闇に潜んでいる狂人共に実によく当てはまりそうじゃないか。
アダルトチルドレンの最大の特徴は「自己評価の低さによって他人の評価に振り回されることだ」
自分の意見が他人から見て完璧に正しいかどうかにいつもビクビクしているのさ、自分がそれでいいと思っているからまあ多少変に思われたっていいさと割り切れないんだ。
だから自分と少し意見が違う奴を見つけると必死にマウントして誰が見ても自分の勝利に見えるようになるまでボッコボコに殴りつけて虫の息にしようとするのさ。
奴らがやるべきことはそうやって「ひたすら自分の正しさを主張し続けること」じゃなくて「心の病を認めて治すこと」なんだ。
そこに辿りつけないままひたすら出口のない迷路で無限リスポーンデスゲームを続けている訳だ。
滑稽ではあるが哀れでもある。
「自分の心の病を認めたら負け。悪。」とか「自分の性格の問題を病気のせいにするな」なんてクソったれな空気が蔓延しちまったこの時代そのものが実に哀れだぜ。
泣けるね。
今日は久しぶりに外が明るいうちに退社できた。とにかく仕事の忙しさと精神的なストレスが強烈。そんな毎日を過ごしている。
最近は、働くことと人生の目的について、あと、自分の自虐的感性とこれからの生存戦略に色々と思いを馳せるのだが、思考をまとめる時間がない。
ホワイト企業から一転ブラックに近いグレー企業に転職してしまい、後悔の念はそれはもうはっきりとあるのだけれど、この苦境に立ってから毎日必死で頭を使い、生きることの意味まで考え始めて、この苦しい時期になってからの方が生きてる実感は強い。うむ、この主張には勿論強がりを多分に含んでいるのだけれど。
人生論とか働く意味とか将来の不安とか、考えをまとめて文章にしたいな。あと、こういう状況に合う書籍を沢山読んでみたいな。“こういう状況”ってのがなかなか言い表せないんだがな。
結局、人生の目的は、「いま、この一瞬を生きる」ということなんだろう。
「風の谷のナウシカ(漫画版)」最後の「生きねば…」が全てを物語っている気がする。
「宮崎駿 虚無」とかでググると、彼は虚無に襲われないようにアニメに没頭したのではないかと思えてくる。
「伝道の書に書かれてる突き抜けたニヒリズムっていうのは読んでてちょっと元気が出ました。
黄泉の国に行ったら何もないよって、権謀も術策もないけど知恵も知識もない。
だからおまえの空なる人生の間は自分のパンを喜びをもって食い楽しみながら酒を飲んで
額に汗して尽くせるだけのことを尽くして生きるのは神様も良しとしているんだっていう。
すごいですねえ、旧約聖書っていうのはすごいものなんだなあっていうのを初めて知ったんです。 」
塩沼亮潤
「SWITCHインタビュー」「死ぬのは怖いですか?」という質問に対する回答
「何回か死にかけているので、もう怖くもなんともなくなった。死を意識するっていうことは全くなくなった。」
「ただ 生きられるうち、精一杯 生きようっていう気持ちですね。自分の力を十二分に発揮してこの世で終わりたい。」
西畠清順
「選ぶのは長い時間風雪に耐え、生き延びるために独特の形になった松」
人が恵まれていることは、一生懸命になれることの選択肢が無数にあることではないか。
文章を書くこともそのひとつで、この文章を書かれた「その瞬間」は、
それなりに一生懸命に生きていたのではないか?
そうでなければ、これほどのブックマークは集められないと思う。
正直な話、この行き詰まりがすべて僕の知能の結果だとは思っていません(発達障害を疑いWAISを受けたことがあり、結果は上に異常値でした)。ただこの虚無感だけは本物です。だから、だれでもいいのでこの閉塞を否定してください。「大人になるにつれ考えなくなった」というような意見はいりません。これを中二病だと笑うのであれば、誰にでも(僕にでも)理解可能な仕方で論破してください。切実に待っています。
試しに論破しようとしてみる。
これを僕なりに読み替えると
「感情とは、事象を認知したときに喚起されるもので、そう感じた方が都合が良いという程度の反応の集まりである」
と読めたのだけど、合っているだろうか。
確かに僕もそう思う。そして同時に、それでいいじゃん!と思っている。
幸福感も感情だから、幸福感という感情を感じられる機会を増やすことが人生の主観的な目的だと僕は思っている。
感情は確かに相対的で曖昧で非合理なものだけど、同時に幸福感に直結する重要なものでもある。
確かに感情に客観的な意味は無いよ。だけど幸福感に資するという点で重要と言っていいと思う。
だから増田も「ただの反応の集まり、多いに結構!」くらいに思えるといいんじゃないだろうか。
僕の確信は徹底的な自覚の先にある何もなさであり、ゆえに何らかの価値観に乗り換えられるようなものではない。もちろん自覚の自覚は際限なく続くものではなくその限界の了解であるから、ある意味では僕は無自覚の信仰を行っているが、しかしその限界の了解に自覚的であるがゆえにニヒリズムに嵌り込んでいるといえるだろう。自分ではどうしようもない状況である。
「徹底的な自覚の先にある何もなさ」とあるけど、何もないのが正しいのだと僕も思う。
その自覚の後に、有りもしない客観的な意味を求める生き方を辞めて、主観的な幸福感をかき集める生き方にシフトするといいと思う。
それで合ってると思う。
繰り返しになるけど、「適切に騙される」は「建設的な感情を抱くように心がける」と同義としちゃっていいと思う。
ここは疑問が残る。何人かに尋ねてみたのかな?
僕は案外、虚無にいったん下りて、また上がってきた人が多いような気がしている。
盲目的な人もいるだろうね。
でも増田は考えてしまう性格に育ってしまったのだから、どこかで納得できるといいね。
他人がうらやましく見えることもあるけど、配られたカードで勝負だ!