はてなキーワード: 人生の目的とは
まぁそうなんだよね。
でも一方で、家庭内の労働を効率と合理性オンリーで回すこと自体に、かなり無理が出るという気もするんだよ。
例えば「超ホワイト企業夫×激務&収入少ない妻の共働き世帯with Kids」を仮定した場合、効率の良い家事分担プランは50/50~夫の家事負担多目になると思うんだけど、それが”本当に最効率の分担”だったとしても、夫に不満がたまってくることは十分ありうる。「自分は若い頃から努力してホワイト企業の座をゲットしたというのに、妻のキリギリス・リスクを背負わされている」みたいな寝言を言うやつはざらにいるご時世だし、この寝言がまんざら間違ってないケースも存在したりする。そもそも単純に、家庭内もろもろ負担力に傾斜がかかり続けるのは、合理性や効率性では解決できない。
こういう理不尽な家庭内不満を昇華するためには、効率とかライフハックだけじゃなくて、もう1周ぐるっと回って回帰して、愛情とか人生の目標が同じところにあるとか、そういう抽象的でクサい理念なんじゃないかなーとか、最近思っていて。双方が一蓮托生感を実感できなきゃいっそ結婚しないままのほうがいいんじゃないかとかね。離婚のハードルもすごく下がってるし。子供がいたとしても離婚しても全然、社会的に白い眼で見られるみたいなことよほどじゃないと無くなってるしね。
だからこそ元増田と元増田夫のような、恐らく二人の人生の目的が異なってそうな、そして夫がこの結婚に消極的だったような、そういう二人の間でこういうなまぬる~い齟齬が起きてるのかなーとか2周回って今時だなーというか。
発展途上国で起業して6年。ある程度軌道に乗って、のんびり南国生活を楽しんでいましたが、今回日本に帰国して、再就職することに決めました。再就職先も決まり、これから住んでいる国に帰り、手仕舞い準備をします。海外移住&事業の成功を得た後になぜ帰国を選んだか。そんなことをつらつら書いていきます。
海外移住は英語かなんかの言語ができれば簡単です。ただ日本語しか喋れないし、他の言語を習得しようという気持ちがない人は海外移住は辞めた方がいいでしょう。起業は需要と供給を理解すれば、そんな難しいものではありません。大富豪を目指してホームランを狙うのは難しいですが、コツコツポテンヒットや内野安打を確実に積み重ねていくのは簡単です。
自分が必死に働かなくても、生計が立つようになると、人は腐ります。家でダラダラnetflixやyoutube。銀行口座にお金はたまるから、それで飲みにいく生活。そんな生活を数年続けると飽きます。それを目指してやってきたのに、実際に手に入れると本当につまらないものでした。
素晴らしい経営者はさらに発展を望むんでしょう。『お金じゃない、社会的貢献のために!』私はそんな意識高くなかったでした。生活に十分な収入があれば、もうそれで満足。
私は30代になったばかり。残りの人生死ぬまで、時間を浪費するのは厳しい。それだけでなく、人生の目的がなさすぎて自殺も考えました。生きる目的がないというのは思った以上に病みます。妻も子もいるし、好き勝手幸せな生活を送っているのに、死を考えました。これまで辛い時にはそんなこと一切考えなかったのに。
このままではまずい。大きく方向転換しなくては。ということでこれまで散々ディスっていた雇われの身に戻ることにしました。収入は減るし労働時間は増えるし、踏んだり蹴ったりだけど、人生を終わらすより健康的かな。これまでゴミクズ野郎だったので、夫婦&家族関係最悪だったけど、再就職をすると話とちょっと関係も改善に向かう模様。
メイクは義務付けられていない。どうぞお好きにしたら良いと思うの
・わたしは コスメ・ファッション業界に身を置くけど プライベートはメイクしません
・一般的に他者と差別化するスキルがない人ほど “それ以外のこと” をする。それ以外のことをするのは「あなたの選択」である
・現実に仕事の評価でマイナス影響を受けると感じつつも、敢えてノーメイクな人もいる
・あらゆることに対しフラットであることを表明している会社や、メイクやめたが何も変わらなかったよと実名で表明している人がいる職場もある
・在宅勤務で働くこともできる
・すべての女性は美しい!
・さぁゴージャスなあなたを見せてあげましょう!まずは・・・(以下略
・あなたが勝利を勝ち取るためにメイクとファッションは必要なコストではありませんか?誰しも役職(役割)にふさわしいイメージを持っています
・各種調査結果で外見の良い人の方が良い評価を得やすいと結果が出ています。まずはこのデータを見てください(以下略
生きてないと思うよ
ただし「あなたの選択」と言われることは米国に限らず日本以外は多そうよ
anond:20200108040748 anond:20200221154701
→ 優しい日本以外の国は「あなた自身の選択」と言われることが多いだけやで
あまり熱心に活動していたわけではないけれど、真面目に信じていた。
神はいると信じて疑っていなかったし、教団内で嫌な事があっても、「人間は不完全だから」と思って気にしないようにしていた。
とはいえ、ずっと違和感というか、形容のできないモヤモヤはずっとどこかにあったし、それは年々膨らんでいくばかりだった。
なぜ何十年も信仰している母親は他の信者の悪口ばかり言っているのか
どうして父はいい歳をして急にキレるのか
そもそもなぜ両親は仲が悪いのか
噂話ばかりしている信者
いじめみたいなことをしている人も見かけたし
エホバの証人になったら、こういったものが手に入ると小さいときから教えられてきたけれど
実際わたしの育った家庭はどこか歪んでいたし、人生の目的なんてずっと分からないまま
「信者ではない子は一年の決まった日にしかプレゼントがもらえないけれど、エホバの証人の子どもは理由なしにプレゼントをもらえます」
みたいなニュアンスのことが教科書みたいな本に書かれていたが、誕生日やクリスマスの代わりにプレゼントをもらったことなんて一度もない
コートも買ってもらえなかった
塾も行けなかった
どうして今まで信じていたんだろう
やるせない
雙葉学園は、フランスのサンモール修道会の会員が1875年に設立した築地語学校を祖とする、私立の学校法人である。
雙葉学園はその長い伝統において、「徳においては純真に、義務においては堅実に」という校訓のもと、幼稚園から高等学校にわたる一貫したカトリック教育を行ってきたが、雙葉女学院大学の設立により、さらに4年間の大学過程をふくむ一貫教育が行われることになった。
というのも、雙葉中学校・高等学校は、東京大学をはじめとするいわゆる旧帝国大学や、慶應義塾大学などの難関私立大学に合格者を多数輩出し、全国有数の進学校と呼ばれるようになっていたが、多数の生徒父兄が、単なる学力の追及ではなく、カトリック教育のさらなる徹底を望んでいたこと、卒業生の多くがカトリックの信仰を保持していない現実を嘆くサンモール修道会の強い推薦により、2002年に大学過程を行う教育機関の設立が決議されたのである。その後、文部科学省の認可を受け、雙葉高等女学校の設立からちょうど100年となる2009年、開校に至った。
私が雙葉高校を卒業したとき、もしこの大学があったら、このエスカレーターに乗っていだろうか。キーボードを叩く手が止まり、ふと自分の過去を反芻した。
中学受験に成功し、晴れて雙葉の門を潜ることはできたものの、入学後は成績が低迷し、人生の目的も見出せないまま、あるいは、先生がたがおっしゃっていた、神に与えられた使命を感じることもなく、特に受験勉強もせずになんとなく大学受験をした私は、願書を出した中で最も無名な、平凡な私立大学に行くこととなった。
パッとしない4年間の大学生活の間、やはり人生に意義を見出せず、大学卒業後は、飲食店や塾講師などのアルバイトを転々としたのち、25歳で、あるカリスマ英語学者の執筆アシスタントとして雇われることになった。
受験生向けから社会人のやり直し英語のための参考書まで、様々な英語関連書籍を多数執筆し、そのほとんどすべてがベストセラー、2005年からは教育テレビでレギュラー番組も放送されている、クリストファー・トンプソン、その人である。
誰もが認めるカリスマ英語学者のアシスタント、ベストセラーが約束された数々の出版物の編集作業。やっと使命が見つかったかに思えた。
が、それもつかの間のことだった。
最初の数ヶ月で気づいたことは、クリス・トンプソンは執筆作業のほとんど全てを、彼の『アシスタント』に任せているということだった。それでも、はじめのうちは、英語学者である彼の理論を専門家でない一般大衆向けに落とし込むのに、アシスタントが最大限の貢献をしているのだろうと好意的に考えていた。
働き始めて半年が経った頃、主力の『アシスタント』が結婚・出産を機に退職することになり、私がその立場を引き継がなければならないとなったとき、彼女から真相が告げられた。カリスマ英語学者、クリス・トンプソンは、自分ではなんの理論も持っておらず、彼の博士号はディプロマ・ミルから得られたもので、彼のアイデアと言われるものはすべて、彼女の作品だったのだ。
『徳においては純真に。』私は、彼が世間を欺き続けるのを手助けすることはできなかった。
代わりの職を求めた私はその後、27歳にして都内にある無名の私立高校の英語教師として採用された。
須藤智くんとの出会いは、私がその学校で働き始めて3年目のことだった。
高校といえば雙葉高校しか知らなかった私は、おそらく世間では平均的であろう、学習意欲のない生徒たちを前に、教師として戸惑っていた。そんなとき入学してきた須藤くんは、『教え子』と——おこがましいが——呼びたくなるような、優秀で向上心の高い、私の初めての生徒だった。
彼はすべての科目の定期試験で満点を取り、全国模試では偏差値が80を超えていたので、瞬く間に教職員のあいだで評判になった。
彼の非凡な才能は、主に自然科学の理解に向けられているようであったが、彼の言語に対する洞察も、単に受験勉強ができるというレベルを超えているように思われた。
それは、彼が二年次に進級し、私の授業を受けることがなくなった新学期のことである。珍しく残業もなく、夕方6時に山手線新大久保駅で帰りの電車を待っていた私の元に、彼が歩み寄ってきた。
突然そう告げた彼は、意表を突かれてうろたえる私の返事を待つことなく、ノートを広げ、彼の発見を説明し始めた。
私は彼の理論を即座に理解することができた。なぜなら、中性子、陽子、原子核、電子といった、化学のアナロジーを用いているものの、それらの用語を適宜『主要部、内項、外項、句、付加部』という言語学の用語に置き換えれば、それは現代言語学の父、ノーム・チョムスキーが1970年に発表した、エックス・バー理論そのものだったからである。
彼はきっとエックス・バー理論をどこかで読んだのだろう、そしてそれを、自分の慣れ親しんでいる化学のアナロジーで理解したのだろう、と私は考えた。
しかし、彼は、これは紛れもなく自分でたどり着いた理論で、とっかかりになったのは、クリス・トンプソンの『60億人の英文法』にある「日本人は名詞が主でそれに冠詞がくっつくと考えがちだが、冠詞がまずあって、そこに名詞がくっつくというのがネイティブの感覚だ。」という記述だと言う。
ともかく、私は彼の話を信じた。そして、彼が自分の発見を教えてくれたお返しに、私も自分の『発見』を彼に打ち明けた。こうして彼は、クリス・トンプソンの秘密を知る、部外者第一号となるのであった。
秘密を共有した私たちは、ときどきメールを交換する仲になった。話題は主に、言語学。彼は初め、原子力工学の話をしたがったが、私がついていけないということに気づくと、言語学を中心に、私が理解できる話題を選んでしてくれるようになったのだ。これは私にとって、10年遅れて訪れた青春の一ページだったが、彼にとってはたぶん、相手が先生だから、気を使って付き合ってくれていただけだったのかもしれない。
私は一度、言語学の道に進みたくはないか、と彼に尋ねたことがある。彼がチョムスキーほどの天才かどうかはともかく、才能があることは間違いない。しかし、彼は原子力工学をやるといって譲らず、ワシントンにあるベルビュー工科大学を単願し、同校に進んだ。なぜマサチューセッツ工科大学や、スタンフォード大学を目指さなかったのだろう、あるいは、ワシントンならなぜ同州トップのワシントン大学に行かなかったのだろう、願書くらい出しておけばよかったのに、と当時も思ったが、きっと彼なりの理由があったのだろう。
メールのやり取りは彼が高校を卒業した後もしばらく続いたが、彼が希望通りベルビュー工科大学に進学すると、須藤智という天才を失ってただの無名な私立高校に戻ったその場所で、張り合いのない授業を続ける私が、なんだか取り残されたように思えて、劣等感からメールを送るのが億劫になって、やめてしまった。
須藤くんとのメールをやめた私は、高校教師の仕事もやめた。また人生に迷ってしまったと思った私は、以前のように求人情報をチェックしたり、履歴書を作成したりする気もなくなって、目白のアパートに引きこもった。
そんな張り合いのない生活を続けるうち、あるとき新聞の広告欄に、雙葉学園が、大学新設にあたり職員を求めているという求人情報が載っているのが目に留まった。行き場を失った私は、まるで蜂が巣に戻るように、こうして古巣に戻ることになった。
私はいま、雙葉女学院大学の国際交流課で、4年ぶりに須藤くんへのメールを書いている。雙葉女学院が日本の大学として初めて、ツー・プラス・ツーのダブル・ディグリー協定を海外大と結ぶことになったのだが、なんの因果か、その協定校第一号が、ベルビュー工科大学だったのである。そして、私が留学カウンセリングを担当した学生が、第1期生として派遣されることになったのだ。
彼女は聡明な女性だが、単独で海外に行った経験はないと言う。現地に信頼できる知人がいれば、少しくらい世話を焼いてもらってもばちは当たらないだろう。
僕が大学院を出て就職したのが今年の4月、大手SIerのグループ会社に就職した。
今は配属先にも案件にも恵まれ、それなりに楽しくコードを書いている。
そして思う、僕はこの先満足の行く人生が送れるのかと、この社会に爪痕を残せるのかと、何のために生きているのかと。
先月同期が一人退職した。
技術力という点では僕と大差はなかったが、僕よりはるかに優秀な人間だった。
彼は運が悪かった、そして彼にとってこの会社は遅すぎたようだ。
今頃得意なことを活かし、僕の月収の何倍も稼いでいる頃だと思う。
僕は常に他人が羨ましい。
先述の元同期、とある勉強会で年下なのに技術の深部についてプレゼンしていた方、研究室の後輩など。
彼らは人生の目的を持っていて、それに向けて努力をし、結果が追いついている、それがたまらなく羨ましい。
一方で自分はどうか、僕には人生の目的がわからない。今すぐ死ぬとしても、何の未練もなく終われてしまうと思う。
そして僕は能力が低い。
会社に入り優秀な人を見る機会が増えた、仕事ができなくて怒られる機会が増えた、現実に気がついてしまった。
とりあえず努力もしてみた。
しかし薄い、質量ともに足りない、熱量がないから集中力がない、気がつけば娯楽に逃避している。
僕が娯楽に逃避している間に彼らは先に行く。
学生の頃はぼんやりと、特定の界隈ぐらいでは有名になれるだろうと高をくくっていた、自分は誇れる結果や歴が残せるだろうと思っていた。
しかしどうだ、この土日も薄い努力をし、交友を広げようともせず、何かに挑戦する気配もない。
僕は何のために働いているのだろう、生きているのだろう。
なにか一つ誇れるものがほしい。
人生の意義がほしい。
「どうでもいいけど」との前置きがつきそうな日記ばかりに、コメントやブックマークが集中しているように感じた。
死生観について考えることは少なく、人生の意味についても考える暇なし、なのか?
誠実でもなんでもないので、どちらが正しいかなんて話はしてない。
なんで服役して私が殺しましたとか社会に知らせる必要があるわけ?
そんなやつらからしたら何を誠実ぶってんだ殺すぞって反応なわけで無駄に税金使わずに自分で始末してくれって感想だろ。
あと証拠がそろってる被疑者が死んだ場合はたいして捜査せずに普通に打ち切られるだけだが。
裁判したりするほうが無駄に金使うからとっとと死んでくれた方がエコだし、
無駄な人生を生きるよりもさっさと死んだ方がいいでしょ、最初の殺人が人生の目的であるって考えはどこにいったんだと。
・なんだかんだいって生にしがみつきたい
結局、これだから無期懲役囚たちはなりきり聖人プレイに夢中になってんだろ。
なるほど!お付き合い頂き感謝!
これは確かにその通りだね。
ただし、あくまで「天国的なもの」と「地獄的なもの」の矛盾であって、「あの世」そのものの矛盾ではないかな。
加えて、死後の世界は大学のサークルみたいに、その魂の在り方に合わせて多様な天国や地獄の集合体みたいなものがある
「野球の方が面白いだろ!」と「サッカーの方が面白いだろ!」という人達が激突しても、
やっぱり脳が消えたら消えたままになるとおもう。
そうだね。ぶっちゃけ個人的にもその可能性の方が高いとは思う。
でも、断言はできない。科学的には「わからない」が正解で、「ない」と断言するのは「ある」と断言する信仰と同レベルだとも思う。
例えば、天体望遠鏡で観測できる遥か彼方のアンドロメダ銀河とかは、地球からはとても関与・影響はできないけれど、
人間の認識メカニズムや現状の科学が確かならば、確かに存在はすると考えられている訳だよね?
この世に関与や影響がないことに何の問題が?関与できない世界のことが何故教義として残っているのかっていう矛盾?