2017-05-27

http://anond.hatelabo.jp/20170526223943

前途有望な若者に、少しでも足しになればと思い自分体験を書かせて頂く。


おれもやりたい仕事が見つからなくて苦労した。

増田と違って勉強すら出来なかったのでそこそこのレベル大学に入たものの、やりたい事が見つから就職活動もたいして出来ず、卒業しても就職が決まらなかった。

当時は先の人生に悩み辛かった。

1年遅れで、知り合いのつてで趣味でやっていた事を活かしてDTP関係仕事に就いた。

仕事はあまり苦では無かったが、やりがいは無く、その仕事の才能があるとは思えなかった。

数年働いてから、知り合いのつてでDTP営業転職した。とても大きな会社だったので魅力を感じたからだ。

新しい仕事は激務だったし、内容も苦痛だった。

そしてなにより、全く自分に向いていない(才能が足りない)事がはっきり分かった。

転職をする他無かった。

しかし、転職の際に売りに出来る程の技術は何も無かった。

今思えば、そこそこのDTP技術就職先は見つかったかもしれないが、当時は今より就職難だったし、転職出来る希望を感じる事が出来なかった。

再び先の人生に悩み苦しんだ。

当時29歳。

追い詰められた。

若く無い、技術は無い、目標も無い。

自分は物作りが好きだったし、得意だった。

DTP営業トップを取れる気はしなかったが、物作りならいけそうな気がしたし、進路変更をするなら今しかないと思った。

最近個人で物作りをして販売する環境が整っているしメディアにも取り上げられて一般に広まってきているが、当時はそこまででは無かったので心理的ハードルは高かった。

しかし、仕事継続転職は無理だと思ったので、逃げる様な心境で専門学校へ行く事にした。

貯金が足りないので、恥も外聞も捨て実家へ戻った。

物作りは漠然と得意だと思っていたが、専門学校へ行くと才能がある事が明確に分かった。

卒業してから初めの数年は時給1000円未満のアルバイトだったが、6~7年経った頃にはそのジャンルトップレベル職人になった。

そうなれたのは才能もあるが、学校仕事で学んだ事を良く活かす事が出来たのも幸いした。

年収は700万前後なので、贅沢をしなければ生活には困らないし、独立して気ままにやってるのでストレスゼロ幸せ暮らしている。

増田はまだ若いし、勉強が出来るという能力もある。

まずはその能力が活かせる仕事につくのもいいと思うし、趣味仕事にする事を目指して数年は貧乏暮しを覚悟するのもいいと思う。

29歳まで路頭に迷ったおれが、39歳で幸せに生きている。そういう人生もある。

増田が周りから出遅れていて辛いのは良く分かる。しかし暫く経てばそれが大した事では無いと気づくはずだ。

まだ大丈夫全然間に合う。

夢が無くても希望を持って生きて欲しい。

何であれ頑張れば必ず得るものはあるし先の人生に活きてくるので、人生の目的を探しながら何かを頑張って欲しいと思う。

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