はてなキーワード: マンネリとは
とあるバンドを思春期から追いかけ続けて10年以上になる。言ってしまえば私が音楽好きになるきっかけになったバンドだ。私のこれまでの人生の楽しい時も辛い時もずっと、彼らの曲がそばにあった。もはや人生とアイデンティティの支柱だった。
好きになった当初は世間的にも爆発的な人気を誇っていたが、時間が経つにつれてどんどん一般的な人気は落ち着いていった。所謂「消えた」と言われてしまうような状態。今もそのバンドが好きという話を周りにすると、「懐かしい〜前好きだったな〜」とか、「あのバンドまだ活動してたんだ?」という反応が返ってくる。そんな言葉に「まだ活動を続けてるから!!」と返すことにも慣れた。最近は彼らを「世代の音楽」として聞いてきた人たちがフェスのメイン層になったからか、久々に大きなフェス会場を埋めている様子も見られた。けれど会場が湧くのは過去の曲。今の曲で盛り上がっている人は少ない。今もいい曲を作っているのに。みんなに聴いて良さを分かって欲しいのに。
いつしか、「もう今は人気も落ち着いてきた彼らを支えるためにも追い続けなければ」という気持ちが芽生えていた。
曲だけではなく、メンバー同士が長年仲良くやっている関係性の良さにも惹かれていた。また、あるメンバーの考え方も尊敬していた。その考え方を拠り所にして、学生時代の辛い時期を乗り越えてきた。彼らがインタビューやライブのMCで話す言葉が好きだった。彼らが新しく生み出す音楽を楽しみにして、その曲たちにああだこうだ思うのが楽しかった。昔から好きな曲をたまに聴き返して、やっぱりこの頃の曲はいいなあと懐古したりもした。彼らの曲や表情、振る舞いをライブで観られれば幸せだった。
同時にガチ恋気味のファンや顔ファンを、なんだあれ痛いなあ、と思いながら冷ややかに見ていた。
このバンドをきっかけにネット上で仲良くなった友人もたくさんいる。勿論ライブの際にも何度も会っている。今回のツアーセトリ・演出のどこが良かったとか、それぞれが思う彼らの好きな要素とか、他のおすすめのバンドやアーティストを聞いたりだとか、そんなことを話すのがとても楽しかった。
「それって音楽が好きなんじゃなくて、人としてトータルで好きだから追いかけてる状態だよね?」
一つのきっかけは、奇跡的にできた私の初めての恋人に言われたこの言葉だったかもしれない。「ずっと喪女のまま、好きなものをひたすら追いかけて生きていくんだろうな」と思っていた私の人生観は、恋人ができたことによって大きく揺らいだ。異性から自分に直接反応がある感情を受けとめるなんて初めてだった。それは難しくも楽しくて、一方的に追いかけるだけだった時には知らなかったものだった。
それを言われた時、最初はそんなことない、曲が好きだから追いかけているんだ、と思ったけれど、改めて振り返ると人柄込みでの好きだったのかもしれないと気づいた。よくよく考えてみれば、自分の好みの顔のタイプも一番好きなメンバーが大きな基準になっているようだった。私の彼らに対する好きの想いは、自分が馬鹿にしていたガチ恋や顔ファンに片足突っ込んでいたのかもしれない、と気づいて大きな衝撃を受けた。
先日久しぶりに彼らのワンマンライブに行ったのだが、前よりも『最高に楽しい』という感情が湧かなくなっていた。なんだかマンネリ感すらあった。それは気のせいだと思いたかった。直近に先述の恋人と別れるというショックな出来事があったので、そのストレスで楽しめなかったのだろうと思っていた。別のアーティストのワンマンライブにも行った。『最高に楽しい』と思えた。あれ?おかしいな?こう思えない状態だったんじゃなかったのか?
彼らのライブが楽しくないと感じる日が来るなんて思ってもみなかったのだ。
結果的に、曲が聴きたいというよりも友人たちと会いたい、話したいからライブに行っているだけなんじゃないかとすら思えてきた。けれど今、友人たちとの追いかける熱量の差も感じてしまっている。私が彼らから離れたら、バンドのファンであることがきっかけで繋がれた友人たちとの繋がりさえ無くなってしまう気がしている。
10年以上経って、気づきたくなかったことに気づく機会があまりにも増えてしまった。どうやら彼らに飽きてしまったらしい、というこの事実に向き合いたくない。けれどもう気持ちの上で今の彼らを盲目的に追うことはできないとも思っている。私のアイデンティティの支柱にすらなっていたものなので、すっぱり離れきることもなんだか怖い。
それとも、10年以上同じものが存在していて、追い続けてこられたこと自体が奇跡なのかな。改めて書き出してみるとだいぶ気持ちが重いな。飽きてるなって思いながらしがみつき続けるのが正解なのかな。昔だけが好き、今はそんなに好きじゃないって開き直ればいいのかな。
私はこれからどうすればいいんだろう。
だって“本職”なのに他の運動部に負けちゃったりしたら恥ずかしいし。
かといって1位だったとしても“勝てて当たり前”としか言われないし。
だから体育祭の部活対抗リレーの時は陸上部員は準備係とか審判員とか記録係をやってたんだ。
そもそも部活対抗リレーなんてものは体育祭におけるある種の余興みたいなものだったからね。
運動部は基本、自分らの部活の大会用ユニフォームを纏って出場する。
剣道部は剣道着・袴・防具一式身につけて裸足で全力疾走していた(バトンは竹刀)
柔道部は柔道着で、確か帯をタスキリレーしてたんじゃないかな。
球技の部活は“球”をバトンリレーしてたように記憶しているけど、受け渡し方にそれぞれ特色があった、筈。
バレー部はテークオーバーゾーンでバレーボールをトスしてたし、ラグビー部は後ろにパスを出してたと思う。
サッカー部はドリブルしながら走行する決まりの年もあったけどあまりに不利なので次の年からは普通にボールを抱えながら走ってた。
内容はビッチの体験談なのだが、全員がイキイキしてて充実している感がある(1名は薬のせいだったのかもしれないが)
貞操観念が無さすぎるのも駄目だが、今はむしろ厳しすぎ。もちろんAIDSや性病の蔓延を防いでいる良い面もあるが、反面、性教育もタブー視され、避妊の技術についても発達していかない
中盤以降の童貞ADの童貞卒業企画でも貞操観念の高さは見えてくる。所謂パリピな一般人に果敢に突撃していくのだがヤラせてはくれない。長い時間付き合って、仲良くなって、挙げ句には恋人になって初めてヤラせてくれるのだ。パリピの癖にだ。何のパーティーだ
一方、番組に出演するビッチは何の考えも無くヤラせてくれそうになる。そこに大した思慮は無い。彼女ら自身が言っていたが、お互い楽しいから良いのだ。恐らく避妊についても対策していると思う。彼女らにとってはスポーツやゲームなのだ。いきなりボールを渡されて「ではサッカーやれ」言われるような一般人とは違う。プロなのだ
最新作で童貞ADは流れ星・瀧上の奥さんにお願いするが、最終的に彼女は「あと数杯お酒飲んでたらヤッてた」と言い、キスや股間にタッチはさほど嫌がらずに行っていた。もちろん演出なのか、ビッチというより瀧上家のマンネリ化の影響なのかは分からないが、人妻だけど(恐らく避妊さえすれば)他の男とやっても良いかなって思えるのは素晴らしい。自分も既婚者なので瀧上の嫌がる気持ちも分かるが、正直知らなきゃ無いと同じで、後腐れ無ければ良いと思う
もちろん国民総ビッチ化なんてエロゲーみたいな社会にはなってほしくはないが、トイレでゴム売るような欧州レベル、Hまでのハードルを数段下がってほしいとは思う。そんな社会になる助けにきっとならない番組だが、ぜひ見て欲しい。
ちなみに、つけっぱなしにしておくと元KAT-TUNの田中聖を見た後に、バイブを入れて日常生活(男ver)を見れるのでオススメ
2、1,3の順番でプレイ
全部vita版
潜入しながら中ボス数人と戦って終盤で捕まって拷問受けて最後にメタルギアと戦って最後の最後は肉弾戦っていう
4がムービーなげーって言われてるけど正直1のときから長いと思う
4やってねーけど
2は全編人工建造物の中だからつまんなかったけどノウハウ的な問題とかいろいろあったんだろうな開発当時の
3で自然の中ってやっぱりいろいろ開発大変そうだもん考える必要あること多すぎて
クソヘタレ下手ゲーマーだから難易度は一番簡単なやつで、詰まったらストレス貯める前にすぐ攻略みた
攻略みてもうまくいかん・わからんってのもあって結局イライラするのも何度もあったけど
1
最初のオセロットとの追いかけっ子で3,4回しんですげーイライラしたw
翌日プレイしたらあっさりいけたけど
あと序盤で赤外線ゴーグルがないと厳しくて最初からやり直す羽目になったのはゲームバランス調整ミスだと思う
まあ序盤だからやり直すダメージもまだあんまなかったからよかったけど
移動したいのに壁はりつきしちゃうやつね
あと段差登るために箱に近づいてるだけなのにはりついちゃうやつも
通信シーンは音声きかずにそこそこ飛ばしたから全部聞いたら多分10時間くらいいきそう
2
難易度は一番低いと思う
3
草すげー
PS4とパソゲー比べて草はえてる、みたいな比較がゲハで見かけるけどPS2でこれだったらすげーよなあ
vitaになって草増えたわけでもあるまいし
でも難易度は1,2より段違いで高くなってたからベリーイージーでやった
それでもフューリーとヴォルギンとボズは結構時間かかったし手間取ったけど
スタミナと治療要素がめんどくさかった
格ゲーじゃないからだけど動作キャンセルないからもっさり感がすごいしイライラする
カメラ旋回速度も調整できないのと、カメラ回転とキャラの視点があってないから、カメラまわしてターゲットみつけてよし主観で狙うぞってやったときにあさっての方向むいてたりするからめんどくさい
うーん★3
相変わらずでマンネリ
2みたいなバイオ並の意味不明パズルが目に見えて減ってると思ってそれなりにプレイしてたけど、
ハゲマッチョおっさんがパズルしこしこ解いてる絵面がダサすぎてダメ
というかあのパズル好きなやついんのか
ゴッドオブウォーに求めてるのはパズルじゃなくて無双的な方だよ
自殺するとか
あと話が相変わらず全体的に意味不明
会話してるけど噛み合ってないし
ストーリー求めるゲームじゃないにせよ、飛ばせないイベントシーンで意味不明な会話を聞かされるのはいい気持ちしないわ
QTEも相変わらずうざい
ラスボスもしょぼすぎだし
まあでも2のラストみたいな俺たちの戦いはこれからだENDじゃなくてちゃんと終わらせたところだけは評価するけど
実際はどうあれ、パブリックな場ではノーと答えるのを俺たちは知っている。
そして、その答えが欺瞞であると反射的に思える程度には容認された、ありふれた光景であることも。
利己的に考えるなら、車にぶつからないと分かりきっている状態でも立ち止まるのは、実質的に時間の無駄だからだ。
だが、その“車にぶつからないと分かりきっている状態”、その認識を俺たちは共有できているのだろうか。
……なんて話をしていると、今回は交通に関する話かと思うかもしれないが、生憎ハズレだ。
“痛み”だ。
如何に簡単なクイズを出題できるかで競うんだが、参加者たちの分析によって攻略法が編み出されていくと内容がマンネリ化。
それを避けるためにルールを複雑にしていくが、そのせいで大半の視聴者はついていけなくなった。
結局『ライト・クイズ』は一年ほどでなくなり、番組側は新たな企画を作る必要に迫られる。
まずは『命の洗濯屋』という企画で、「疲れている人に様々な気晴らし方法を提供する」という趣旨だった。
だが、その実は無名の芸能人と一般人による観光番組の延長でしかなく、明らかな低予算感も相まって打ち切り。
そこで次に出たのが『あえての粗探し』という、賞賛の声が多い作品に対して批判点もあげていこうという企画。
他の番組がほとんど取り上げないようなレビューが見れるとして、これは割と好評だった。
だがある日、作品のファンによる抗議活動が行われ、その番組のファンとの間で争いが発生。
それが刑事事件にまで発展してしまい、番組は「不毛な対立煽りを助長した」として、已む無く打ち切りとなる。
その後は色々と迷走をするが、それを止めたのは『ライト・クイズ』での成功体験だった。
そうして出来たのが『イタガリアン』。
要はリアクション芸人がやっているようなことを、ゲーム形式で一般人もやってみようという企画だ。
これが見事に当たった。
『ライト・クイズ』での反省も踏まえてルールはシンプルにし、審査基準もあえてユルくすることで間口を広げた。
リアクション芸人たちのような体験が出来ることで番組は大盛り上がり。
更には、これがきっかけで俳優デビューする人まで出てきたことで一躍、有名企画となった。
ここまで話しといてナンだが、俺は正直この番組をそこまで面白いとは思っていない。
同級生の一部で盛り上がっているので、情報として知っているだけ。
じゃあ、俺はなんでこんな話をしたのか。
それは今回、その番組がロケ場所として、俺たちの住む町を選んだからだ。
去年の年末からVtuberブーム。半年も過ぎ、あと少しもすればブームが始まり1年が経とうとしている。
私は流行る数ヶ月前からキズナアイ等を、ただ単に「可愛いな」って思う程度で見ていたので、現在こうなっているのは色々と驚いている。
ただ、流行って数ヶ月の時点で疑問に思っていたが、現状を見ていると尚更考えてしまうのは、
「これをVtuberでやる必要性無くない?」というVtuberが多い事だ。
ゲーマー系な奴がゲームをメインにやったり、アイドル系が歌ったりする動画を出したり、配信するのはまだ分かる。
だが、そういう系でもないのに雑談配信したりゲーム配信しまくるのは、それはもう、
素顔出したくない奴がキャラの皮を被ってやっているだけの存在ではないのかと。
余興として、たまにやる分ならともかく、それをメインにしてしまっては本末転倒ではないのかと思う。
折角、2D・3D関わらず二次元世界での外見が与えられ、設定も与えられたキャラクターなんだから、
そのキャラクターじゃないと出来ない事をやって欲しい。
生まれたキャラクターで、三次元の現実とは違う物語を作って欲しいと考えてしまう。
有名な所で例を挙げると、鳩羽つぐやミソシタなどが該当する。
二人とも3D勢だが、3D勢ならVRなど現実では出来ない事をメインにやったら面白いと思うし、
正直な話、私もここまで言いつつもVtuberの配信はよく見ているし、面白いと思う事もある。
Vtuber界隈としても停滞してしまうのではないのかと考えてしまう。
現に、個人的感想になってしまうが、どの配信や動画を見てても、似たり寄ったりでマンネリを感じてしまう。
極一部しか見てない人ならともかく、複数いるVtuberの生配信を、
リアルタイム・アーカイブ含め追うのを疲れてきている者もチラホラと見受けられる。
Vtuberになる者は未だに増えているが、現状が続くとなると視聴者層は今以上に減るのではないかと思われる。
平成も終わろうとしている時に未だに昭和のノスタルジーを引きずっている老害番組に意味はあるのか?子供に付き合って見ている親でさえ知らないような大昔だぞ。
男も女も同じ顔の判子絵。子供は短パンで駆け回り、嫁は働きにも出ず家で家事と育児。携帯電話もパソコンも無い家。娯楽といったらテレビだけ。7人家族で被扶養者5人猫1匹。家族みんなで同じ時間に飯を食べる。これが家族の代表かよ。
大人がノスタルジーに浸りたいならもっと別の作品があるだろ。三丁目の夕日とかNHKが朝やってるドラマとかさ。
子供は見たがっているのか?面白いと感じるのか?バンダイが公開している子供の好きなキャラクターランキングに一度でもこの2作品が入ったことがあるのか?(ちびまる子ちゃんはブーム当時にあったかもしれない)
参考:週間高世帯視聴率番組10
名探偵コナン。グルグル漫画だが昨今ではマンネリを打破すべく新展開を投入しヒット。映画も公開するたび興行収入を更新する異常さ。
クレヨンしんちゃん。時代設定を明確に現代にすることで設定や小道具も時代を反映にした物になり古さを感じない。サザエさんよりはよっぽど現代の家族像に近い。それでも野原ひろしが35歳にして年収650万の商社係長。専業主婦に子供2人犬1匹を養いながらマイホームマイカーを持つ野原一家は十分に勝ち組と言えそうだが…。
ドラえもん。2005年の全面リニューアルは当初こそ否が多かったように思うが今では十分に浸透し、好きなキャラクターランキングでも上位常連。現代の科学力がひみつ道具を凌駕しない限り子供達に夢を与え続ける意義のある番組だろう。
アンパンマン。圧倒的子供人気を放送当初からずっと維持し続けている化物。アンパンマンが嫌いな子供なんていません!世の親御さんにとっても頼りになる味方。
その他ワンピース、ポケモン、プリキュア。戦隊ライダーガンダムもかな?マンネリ化しないよう変化を入れながら継続し続けている。挑戦の結果浮き沈みはするけど何もせず飽きられて終わっていくよりマシだ。
なぜか維持し続ける高視聴率に「国民的アニメ」という驕りから来る感覚のズレ。変化することなく惰性で続くことを良しとする保守的な思考。
ちびまる子ちゃんなどサザエさんの前座でようやく人気を保っているようなものだろ。仮に放送時間を日曜朝9時周辺にしたら誰も見なくなるわ。
初期にはあった毒気も無くなり最近ではどこかで見たような良い話や無難な話ばかりで全く面白くない。ドラ泣きに便乗して作られた「イタリアから来た少年」など留学生が来て別れてお涙頂戴なんだろうなと思ったら本当にその通りすぎて笑えた。過剰な日本美化やステレオタイプな外人描写、多すぎる外人キャラを全く活かせていない展開に脚本家の知性を疑う。テレビスペシャルレベルの作画で劇場のスクリーンに映す意味が本当にあったのだろうか。
23年前の「わたしの好きな歌」の方がストーリーも良く湯浅政明が描く強烈なアニメーションの方がよっぽど凄かった。
視聴者だってバカではない。こんな誰向けかもわからない番組を見ようとは思わない。実際に視聴率も低迷している。
これから先、視聴率が上がることもなくじわじわと下がり続けるだろう。幸い最近のフジテレビは「長く続いているだけ」の番組をどんどんと打ち切っている。この調子で下がれば数年後には打ち切りもあり得る。
空いた枠には現在放送中の鬼太郎を持ってくればいい。こちらは「現代」を反映したストーリーとなっており十分見応えがある。同じ時代、同じ季節ネタを同じキャラクター達が延々と繰り返す毒にも薬にもならない番組などよりずっと面白い。
もうどっちかのサイドに所属してひたすら雪玉ぶつけたもん勝ちみたいな
この暑さにしつこさを感じたとき、その頃に妙ちきりんなバイトをしていたのを思い出す。
バイトの内容自体もそうだったが、そこで起きた出来事が特に印象的だった。
今日はそのことについて話そう。
少しだけ怪談っぽい話なので、季節的にも丁度いいだろう。
ただ、本当に“少し”だけなので余計な期待はしないでくれ。
忠告はしたぞ。
有り体に言えば暇だった。
「あー、暇だ」
誰が聞いているわけでもないのに、わざわざ口に出して言うほどだ。
「やることがねえ」
夏休みってのは、俺から言わせれば“やるべきことを減らし、やりたいことに割く期間”のことだと思っている。
学生の俺でいうなら、学校で励む勉学とかが“やるべきこと”になるだろう。
つまり、存分に“やりたいこと”に時間を割ける状態だといえる。
だが、マンネリってやつだろうか。
俺はアンニュイな気分になっており、自分にとって“やりたいこと”が何なのかが漠然としていた。
今までの“やりたいこと”も自分にそう言い聞かせているだけじゃないのか、なんていう実態のない自問自答が頭の中をグルグルと巡る。
「ゲームやったり、どっか遊びにでも行けばいいじゃん」
俺があまりにも暇だ暇だと呟いていたからなのか、同じ部屋にいた弟が鬱陶しそうな顔をしながら提案してきた。
未だ課題を完成できていないことからくる焦燥感からなのか、語気も少し荒々しい。
「暑い中、ノープランで、気持ちが追いつかないまま行っても時間の無駄だ」
この時の俺は堕落しきっていた。
“やりたいこと”の中に多少含まれている“やりたくないこと”が、やたらと悪目立ちしているように感じ、俺から更に気力を奪っていく。
「しょっぱい上に、月並みなことを言うなよ。個人的な暇つぶしに巻き込むなんてマネはしたくない」
それにつけても、この時の俺の態度は酷いもんだ。
個人的かつ迂遠な不平不満を垂れ流し、その解消法を提案されても暖簾に腕押し。
SNSでクダをまいているような輩と同じことを現実でしているわけだ。
弟がイラつくのも無理はない。
だが、そういった身内の機微が理解できないほど、俺は心身ともにダラけきっていた。
「……ったくよ~、兄貴はどうしたいのさ」
「それが分からないから、こうなっている。でも、このままじゃ良くないとは思っているんだ」
夏休みが終わってもこの精神状態が続くようなら、かなりツラい新学期を迎えることになるだろう。
その危機感が、俺を取り留めのない抗いに駆り立てているのだと思う。
「じゃあ、無理やりにでも何かやれば? 俺は課題っていう、“やるべきこと”が残っているんだからさ」
不毛なやり取りが続きかけたその時、俺は弟の言葉からヒントを見つける。
そして打開法を導き出した。
今のこの状態も“やりたいこと”ばかり享受しすぎた弊害、とも解釈できる。
“やるべきこと”を無理やり作り、それで予定を埋めればメリハリもできるかもしれない。
運営自体も、もうどうしようもないんじゃないかなと思うバランス設定。
この流れはグラブルにもあったし、アプリゲームに限らずオンゲならよくある話なんだけど、
FGOのクエストを遊んでいると同じバトルの繰り返しが多い。いや、イベントの周回などもバランスと考えれば多いんだけど。
バトルだけで話をすると、高難度クエストのバトルは頭打ち。とりあえず体力と回避・無敵・宝具封印・スキル封印、それとチャージを付けておけばいいだろうという設定。
普通のシナリオもそうだけど、亜特異点なんかは特に宝具封印・スキル封印ばっかりだった。その癖相手はチャージはするわ、即殺宝具というやりたい放題。
こちらの戦闘スタイルもとりあえず孔明なりマーリンを用意してフレサポマーリンで削っていくというお決まりのスタイル。
まぁそれはそれで問題だとしても、一番駄目なのはブレイクゲージという仕様。
どんなに体力を多くしても廃人には勝てないという悔しさから生まれたであろうブレイクゲージは一般的なプレイヤーすら殺しにかかった。
体力が多くても駄目ならば、ブレイクゲージで分割化してブレイクしたターンは攻撃でそれ以上の体力は削られないが
敵はバフ盛りするか、そのまま宝具をぶっぱなすかという仕様。これは正直クソというかクソゲー仕様だ。
これに加えて、デバフ盛り盛りで宝具どころかスキルさえも封じてきた挙げ句にスタンまでかけてくると、もう笑えない。
バランスというバランスをぶち壊してて、運営ももはやどこに向かって歩けばいいのかもわかってないんだろうなと感じる。
3周年というめでたいイベントが始まって、サービス開始からずっと遊んできた自分としては本当に喜ばしい。
が、その反面でシナリオは良いのに(お世辞にも良いとは言えないシナリオもあったが)バトルがシナリオすら台無しにしていたりと
手放しで喜べないという気持ちもある。
FGO自体が分かる通り、天井もなければ止むこともなくつぎ込み金を一瞬で溶かすユーザーもいるくらいに課金が酷い。
アーケードは、そんな金に汚い作品を土台にさらに搾取してやろうと作られてるだけあって、課金自体があくどい。
艦これのときも、さんざん思ったが金ばかりしか見ていない企業に成り果てると、ああまで小汚くなるのだなと思う。
昔のゲームメーカーは、まだゲーム自体を作るという楽しみをもっていたもんだけど、今は金、金、金だ。
そんなもので、アーケードはクソゲーどころの話ではなく、すでに安易に遊べるゲームとしては成り立ってない。
昭和後期のときと違って、子供も気楽に遊べるようになったがFGOアーケードは子供が気楽に遊べるゲームでもない。
どんなにFateを好きになっても、FGOにお金を自由に使える子供は少ないし、アーケードに至ってはありえないと言い切れる程無い。
話は戻して、バランスのほとんどを敵の強化やいやらしいデバフに頼るしかなくなったというのは、
ある意味で今後のFGOはマンネリ化を進行させていく一方ではないかと思える。
だけど、繰り返していくうちに気づいた。運営は楽しませる事をやめてしまったんだなと。
でも、俺はそれでも遊ぶのだろう。