はてなキーワード: フィルターとは
大学生がほぼキャンパスに行けず、サークル活動や課外活動が出来なくなり、新しい友人などの人脈もほぼ築けず、バイトも限られているから、就職活動開始までに学生間で差別化出来る要素が大学のランキング以外にほぼなくなる。
これは、就職活動で学歴フィルターが復活することを意味する。選考する側が書類選考で学生を振り分ける要素は学歴しかなくなってしまうからだ。一部の企業が大学名を尋ねない選考を謳ってたが、来年からは無理だろう。
学歴フィルターを打ち破れる要素はコネしかないが、これは生まれついた家柄に依存する。従ってコネのない家柄の子供はなんとしても上位の大学に行かなくては就職できなくなる。
来年の就職活動からは学歴フィルターが大々的に復活するのは間違いない。中堅以下の大学に入ってしまった人は、今からでも遅くないから仮面浪人して上位の大学に入り直すべきだ。
要するに体力のあるところは「負担やむなし」で
体力のないところが悲鳴を上げてる構図。
とはいえ業界団体もずっと「総額表示義務やめろ」とか「特別措置延長しろ」とは言ってるしな。
「本当はやめてほしいが(大手は)覚悟ができてる」と回答したのを
みたいな話にしてしまっているわけだ。
というわけで、同じ話になっちゃうけど
今年20歳になる お子様を おもちの お父様へ
タバコの灰皿のあの凹みは 水を入れます。火器ですので お水を用意した上で タバコをお吸いください。
お母様へ 普通 タバコはカートン買い という 12箱を買いません。
やすくなりません。
コンビニで1箱買い でたら開封し 匂い風味などを確認し おおくても1箱を予備として持ち歩きます
1度開封したら そのままの状態で(日本では)棚などで普通に保管してください。
開封して中身の確認をして保存するため あまりカートンで買いません。
コンビニの外にタバコの吸い殻入れがあるのは、水が必要ということも含め 買ってすぐに1本を買い、品質を確認する意味もあります。
風味などが重要です。
また1本は吸ったら フィルタの最後の手前までを吸います。ゆっくり味わってすって、最後のところだけを吸わずに
水を使って確実に消化してください可能ならそのまま水につけるのが良いです。
タバコが燃えているのをだまってみている、などの、アロマテラピー的な話もありますので あまりスパスパ吸わず ゆっくり ご休憩ください。
フィルターのギリギリまで燃えるまで、ゆっくり待つ。これがタバコの吸い方の基本です。もちろん スパスパも技ですが
基本はリラックス、根本の 手前までゆっくり味わって吸う 水で確実に消化する。ふつうはこれは
タバコをはやらせようとしているといわれてしまうので 言わないのですが
あなたの指摘には中身が無いんですよ、「例示が下手くそ」「なんか全然そんなかんじしない」「文章も下手くそで読みにくいしメールしたくない」すべてあなたの感覚の話で、具体的な内容が無い。
何故これがまずいか分かりますか? どうとでも言えてしまうからです。
例えばあなたが例を上手く咀嚼できなかった場合、シンプルに考えて(1)私の例示がまずかった(2)あなたの読解力が無かった(3)その両方、の3パターンが考えられますね。
そこをあなたは特に(1)~(3)の可能性を検討すること無しに自分の感覚のみに依拠して(1)だとしてしまった。
仮に本当は(2),(3)のどちらかだったとしても、あなたは(1)だと言ってしまう。つまり、「あなたが(1)だと言った」事実は、(1)が真であることの根拠にはならない訳です。
分かりますか? あなたの言葉はほぼすべてがこれです。どうとでも言えてしまう事しか言っていないために、あなたの言葉は状況に対する説明になって居ないし、従ってあなたの言葉は実際には何の役にも立っていないのです。
これがもし仮に、あなたが(1)の時は(1)と言い、(2)の時は(2)と言い、(3)の時は(3)と言う理想的な論理フィルターだったとしましょう。そうであれば、「あなたが(1)だと言った」事実は状況が(1)であると判断する根拠になるし、その言葉は役に立っています。
作品そのものを守るために何をするかって話をしなきゃいけないのに
どっちが悪いとか責任がどうとかどーーーでもよくね?
どうでもいいというより、その2つは別々に考えられる話です。そして両方やればいい話です。
作品そのものを守るために何をするかは、私達でできる範囲は私と担当編集者で勿論話し合います。
それと、「何を「圧力」と呼ぶか」は別の問題として考えられます。そしてその「圧力」の持ち主であるかもしれない消費者側の責任も、独立して考えられます。
あなたは「作品そのものを守るために何をするか」の話を頑張っていますが、それがどうであれ消費者の責任はまた別に考えられます。
あと、「透明化」というワードを知らないのは正直に言うと驚きました。恐らく話が噛み合わないのはそのせいでしょうね。
あなたは私や出版社の話に持っていこうと頑張っていますね。それが何故か分かるでしょうか? あなたはあなた(を含む消費者)の責任の話をしたくないし、考えたくないからです。
消費者の責任の話になりそうになると、出版社側の話に持っていこうとする、それにより消費者の責任を考えなくて済むようにしたい、つまり消費者を責任主体のグループから外して透明にしたい、それが「透明化」です。
「透明化」はハラスメントやポリコレ、差別問題を考える上では頻出のワードです。例えば行政の子育て支援ポスターに母親の姿しか描かれていなければ、子育ての責任主体としての父親を透明化している事になりますし、
中絶に関する議論の際、母親の話ばかりがされるなら、居るはずの妊娠させた父親の存在と責任が透明化されたことになります。
そうした透明化の際、透明化の行為者は頑張って母親の話ばかりをし、母親の責任の話にどうにか持っていこうとします。
元増田や、消費者の責任を考えたくない他の人にも、こうした透明化の欲望は多かれ少なかれ有るのでしょう。
そしてそれらの問題は、「作品そのものを守るために何をするか」とは別の話であり、「作品そのものを守るために何をするか」を解決すればどうにかなる問題では有りません。
「二次創作をすること」ではなく、見たり読んだりする方である。
なんでハマったかというと、Twitterに流れてきた二次創作がすごく面白かったから。
ちなみに原作の方は、見たことあったし読めるとは思ったけど、単行本を欲しいと思うタイプの作品ではなかった。
キャラクターも、原作よりオタクフィルターを通した二次創作の方が肌に合った。
原作の展開にオタクが右往左往狂喜乱舞七転八倒してるのが面白いし、オタクのツイート読んでるのがサイコー楽しい。
しかし、この「原作ではなく二次創作にハマる」というのは、反則というか、邪道というか、大っぴらには言えない感じがある。
だって、通常二次創作をする人たちが当然楽しんで読んでる原作を、「二次創作を楽しむための参考書」みたいにとらえているからだ。
多分だけど、どんなドエロい妄想を垂れ流してる二次創作でも、原作を「二次創作を楽しむための参考書」みたいな引いたとらえ方ってしなくない…?
(書きながら自信なくなってきたな。原作への対し方だって人それぞれなんだから、決めつけることは出来ないか)
要するに、罪悪感みたいなものがあるんですよね。
原作読んでない(ゲームプレイしてない)のにコスプレする、みたいな。(例えが古いのでは?)
もちろん原作の作りこまれた世界観が二次創作の面白さを生み出してるのはわかる。
でも、原作はテンポみたいなものがなんかしっくりこなくてちょっとハマれそうにない。
そんで、それが悔しくもある。
二次創作を楽しむなら、絶対に原作にハマってた方が何百倍も楽しいに決まってるからだ。
それなのに、原作を「二次創作を楽しむための参考書」程度にしか思えないなんて不幸だ。
自分は複数の作品に同時にハマったり、次から次へとハマれる作品に出会えるタイプではない。
以前ハマった作品はすでに完結していて、オタク的には静かな日々を送っていた。
オタクならわかってくれると思うんだけど、ハマってるものがあるかないかでQOLが段違いで変わってくるので、ハマりものはあるかないかでいったら、絶対あった方がよくない!?
原作に数か月推しが出てこなくて身悶えても、いないよりいる方がよくない!?
心置きなく味わいたい!!
なのに!!
そんなわけで原作購入には踏み切れず、二次創作を楽しもうにも一次情報が不足しているという体たらく。
当方、医療機関に勤めている。新型コロナウイルス(以下、コロナウイルス)対策のために(40畳用の)空気清浄機を導入しようといろいろ調べてみた。
厚労省が コロナウイルス下における夏季の換気についての文書を出している(※1)。その中でインフルエンザウイルスに対して市販の空気清浄機がどの程度効果があるかという趣旨の論文(※2)を引用している。
それによると、ウイルス除去能はHEPAフィルターの有無と風量に大きく依存しており、プラズマクラスターとフラッシュ・ストリーマ放電は効果がなく、ナノイーは効果は芳しくないとされている。(先日、シャープがプラズマクラスターがコロナウイルス除去に効くと発表しましたが、市販品の100万倍以上だった場合の結果のようで、叩かれていましたね)
2. 加湿機能について
加湿機能についてはウイルス云々は別にして付属しない方がいい。なぜなら、空気清浄機のフィルターの中は細菌が繁殖しており、加湿器が付属することによって機体の温度・湿度共に上昇しフィルター中の細菌がさらに増えるから。加湿機能欲しい場合は別に購入した方がいいわな。
3. フィルター交換時期について
フィルター交換期間が10年とされている商品が多いが、何人かの業者さんから聞いたところ ありえない とのこと。長くとも2年が限度。実際、無菌調剤室のクリーンベンチでもHEPAフィルターの交換期間は(業者にもよるけど)1~3年ぐらいだし。どちらにせよフィルターが詰まれば機体が通知してくれるので、交換時期に関してはカタログ値は意味がないかもしれない。
4. 実際に浄化される体積
空気清浄機の気流は狭い範囲(通常 10m2 程度、6畳程度)でしか効果がない(※1)ためサーキュレーターで空気を循環させた方がいい。
機体内を通る空気をUVCで除菌してくれる空気清浄機もある。ちゃんと機能するならフィルターで除去するよりもウイルス除去能は高いと思われる。ただ、あまり種類が出揃っていないようで情報がない。(少なくとも私には見付けられない)
結局、HEPAフィルターを備えていて できるだけ洗浄能力が高く、かつ静かなものを選ぼうと思っている。
候補としてはダイキンの業務用(ACEF12L-W)かブルーエアー(Classic 605)かなぁ。
(Classic 605はフルパワーだと62dbでうるさいけども)
あと、厚労省が店舗等における空気清浄機の性能要件を示してくれるといいんだけどな。
※1
熱中症予防に留意した「換気の悪い密閉空間」を改善するための換気について [令和2年 6月17日]
https://www.mhlw.go.jp/content/10900000/000640920.pdf
※2
高性能の空中浮遊インフルエンザウイルス不活化を謳う市販各種電気製品の性能評価
独立行政法人国立病院機構仙台医療センター臨床研究部ウイルスセンター
西村 秀一
http://journal.kansensho.or.jp/Disp?pdf=0850050537.pdf
紫外線を使った空気清浄機については下記コラムが参考になるかもしれません。
上手な空気殺菌機の選び方
当初会社を辞めることを止めたことは悪い決断ではないと思っていたが、最近じわじわと阿呆だなと思ってきました
つづらせてください
そもそも、なぜ辞めたくなったかというと仕事に対して、飽き飽きし始めていたから
月なみな理由だけど飲みにもいけないコロナ期間だと愚痴をいう相手もいないしこれが結構辛かった
300人規模の会社なので5年もいれば、誰がどのような人かはわかってくる
もともとやりたいことを突き通して就職した職場ではなく、”人がいいから”と、なんとなくで決めた就職先だった
ただ社会人5年目になった私の目から見えるフィルターの人たちは
好奇心旺盛な私にとって目新しいことが減ってきているのも辛い一つの理由だった
コロナ影響もあり、内省する機会も増えたので自分は本当は何がしたいのか?
と考える機会が増えるようになって自分のやりたい方向性が見えてきたので辞めようと決断
次のあてなんて決まってなかったけれど、次はなにをしようかとワクワクとドキドキでたまらなかった
もちろん、行き先が全く決まってないので不安も時々襲ってきた
お金もなくなったらどうしようとそこからは財布の紐がきつくなった
その間に就職先や起業するなどの方向性を見つけようと思っていた
行き当たりばったりにもほどがある
ところが辞めることを誰にも相談せずに決めたので、会社の中で一番仲がいい先輩が辞めることを聞きつけて引き止めてくれた
以前2年ほど一緒に仕事をした先輩だ
うちで給料をあげてから転職したほうがいいから今辞めないほうがいい、と
いくあても決まってなかったのでその方からの提案は純粋に嬉しかった
そのとき、ワクワクよりいくあてが決まってない不安のほうがまさってしまった私はその提案を受け入れることにした
10月から移動する予定なのだが今更になって、憂鬱になってきた
昨日(日曜)とか月曜が来る憂鬱に押し潰されそうになっていたし
せっかく変えようと思った日々も大枠は変わらないのだということに既にうんざりし始めていた
やっぱり新しい恋人を見つけないと元恋人とは別れられないんだと次の転職先も決まらずに辞めるといったことを後悔した
辞めればよかったと昨日めちゃくちゃ思った
毎日しいたけ占いを熟読して、明るい占い結果をみてこれから私の人生は変わるはず!と言い聞かせている自分に気づいた、馬鹿みたい
自分の人生なのに他人に委ねすぎているようだ(これは毎日思っているし、内省したとてなかなか変わらない)
自分が決めたことは自分のせいにすべきだ、とわかってるけどそうカンタンにはいかない
正直、ひとつの作品として評価するとそこまでじゃないけれども、琴線には触れたね。少なくとも、久々に長文で感想書きたくなる程度には。
私は子供の頃、ハムスターを飼っていて失敗した覚えがある。二匹飼ってたけれども、一匹は脱走して、もう一匹はケージを日なたに長時間置いていたせいで死んでしまった。いや、殺してしまったというべきだろう。あの時、私はペットを飼うべき人間じゃないって思ったよ。
ただ、それから大人になって色々と考えを巡らせるようになると「愛玩動物」という概念、文化そのものに疑問を持つようになった。だって「動物を飼う」という行為自体、必要のないことだから。もし、それに必要性があるというならば、それは飼う側(人間側)の都合でしかない。
ペットを飼っている人たちが、他種に対する思いやりやら命の尊さを語ることがあるけれども、あれって本気で言ってたら怖いよね。だって読んで字の如く「愛」する「玩」具として手元に置いている立場なのに、その状態で動物の死生観を客観的に語ると空々しくなってしまう。ペットに服を着せて「飼い主側の都合でそういうことをするのは如何か」みたいな意見は昔からあるけれども、そもそもペットとして飼ってる時点で人間側の都合を押し付けてるから。
もちろん、それは動物を飼うということだけではない。食べるため、服の素材にしたり、或いは政治的パフォーマンスのためにお立ち台にあげられる。害獣、害虫、益のあるなしなんて人間社会の決めたこと。自分たちの生活を豊かにするため、時に排除し、時に利用する。グラデーションに違いはあれど本質は同じで、せいぜい細かな差異を人間という第三者たちで語るだけ。結局のところ利己的な対応をとっているに過ぎない。私たちは「命の選り好み」を各々で強いられて、「倫理的バグ」を抱えて現代社会を生きている。
といったことを踏まえると、『マナー・アプリオリ』という作品はえげつない。本作のテーマが何かって言うと明白で、それは「愛玩動物」。それを人間に置き換え、宇宙人の立場から、人間社会が抱えた「命の選り好み」と「倫理的バグ」を風刺的に描いている。『鬼滅の刃』で「生殺与奪の権を他人に握らせるな」ってセリフがあるけれども、もし握らせて相手の倫理に委ねたらこうなるともいえる。言葉で意思疎通を図れるヒト対ヒトでそれなのに、動物相手だったら尚さら。
『ミノタウルスの皿』と比較している人もいたけれども、本作は“愛玩動物”という視点から他種の命に対して問題提起を行っていて、食べるかどうかっていうのは一要素、側面的な話だと思う。『ブタがいた教室』っていう、学生たちが育てた豚を食べるかどうかで議論させた話があったけれども、本作がやっていることはそっち路線。「命を学ぶ」という“学ぶ側の唱えたお題目”によって、ブタの「命を弄ぶ」という側面。
テーマについては解釈の余地はほとんどないと思う。あと、本筋に対しても解釈の余地は少ない。大体のことは作中で語られてるし。最初の1ページで飼い犬が捨てられて、飼い主側の都合やらが語られる。旦那さんの「一日中ケージに閉じ込めてるのはかわいそうだ」だっていうのも、人間のフィルターを通して語られる一方的な倫理。それが人間の身に降りかかるという分かりやすい構図。
例えば「命の選り好み」と「倫理的バグ」については分かりやすい。主役の宇宙人たちの世界でも共食いは犯罪。自分たちと見た目が似ている人間を食うのはゲテモノ扱いで、忌避する者もいるが一応はOK。まあ、これは哺乳類を食べるかどうかとか、クジラを食べるかどうかみたいな感じかな。
人間の子供に情を抱いたサッピは「殺すなんてかわいそうだ」といって、クンダは「それはエゴだ」という。なるほど一理ある。でも後にクンダは「そいつの幸せはとっとと食われて余計なストレスとおさらばすることだ」なんて言う。いや、それもエゴでしょ、ってツッコミは読者がするしかない。けれども、そのツッコミを本気でできるほど私たちは上等じゃない。
個人的に目を引いたのは痛覚のあるなしで是非を決めようとするシーンだね。痛覚がなかったら刻んだり好きなように弄んでもいいのかっていう疑問はあるけれども、これは現代のヴィーガンにも通ずる。痛覚がないから植物で、生物ではない。殺して問題ない命。その判断自体が人間の決めたカテゴライズでしかなく、それは「命の選り好み」の延長線上でしかない。あまり思慮深くないクンダは時々の感情で判断し、サッピの方は独自の基準が多少なりともあるが本質は同じ。無差別ではないが公平でもない。
ここまで語っておいてなんだけれども、私は本作を高く評価してはいない。テーマに対して淡々としすぎてて、ストーリーラインに起承転結の盛り上がりがあまりない。そうすることで残酷さを如実に浮かび上がらせるって意図なのは分かるけれども、それが一作品としてのエンターテイメントから見たとき、やや面白みに欠けるのは確か。
プロットに対しメッセージ性も露骨で、説教臭さが抜け切れてない。宇宙人の文化や倫理観、言葉選びが人間社会とほぼ同じで、語られることも作品内で馴染んでない。ひいては宇宙人の二人も本作のテーマを風刺的に描くための舞台装置、配役でしかないことを意味する。なんというか、『寄生獣』の終盤で環境問題について語りだす件があるけれども、あれだけ抜き出した感じ。有り体に言えば浮いてる。
ただ、私からいわせれば物足りないってだけで、現代社会は「命の選り好み」と「倫理的バグ」について、大衆は割り切るかどうか以前の段階。大半は無自覚的に享受し、狭い範囲内で限定的な倫理を振りかざすのが精一杯。踏み込んで論じる段階にすらいけてない。それで描いても読者の大半はついていけないだろうし、少年ジャンプ+というサイト掲載のマンガとしては丁度いい按配といえなくもないかな。
これはnmmnの話ですが、誰と誰の組み合わせが好きとかそういう話ではなく、私の中の人格が戦い続けてる話です。
私の好きなアイドルを特定しないでください。本筋に関係ないし私が死にます。私も必死にぼかします。
そしてひたすら気持ちを書き連ねているので長いです。
推してるアイドルの仮称 : 顔がめちゃくちゃ良すぎる世界一のアイドル略してカオルくん
内容知りたい人向け三行
そこに出て何か話していたカオルくんを見た瞬間、衝撃が走った。
カオルくんは顔や身長、性格、声、メンカラその他もろもろすべてが私の理想のアイドルだった。
最初数カ月は私がアイドルに手を出す…?と渋っていたものの、だんだん情報を追うようになり、ついに数ヶ月後にはカオルくんのブロマイドを買い、FC会員やブログ会員になった。
ライブはこのコロナ下の中開催されないので行けていないが、ライブ映像だって見た。めちゃくちゃたのしい。ペンラも発売されていたので買った。
ある日、ふとカオルくんと同じグループの子が気になり、カオルくんとそのの名前で検索すると、過去のいろんな写真が検索履歴に引っかかった。
距離近すぎない?
今まで二次元でオタクしていて、なんなら同じコマにいるだけで組み合わせてしまうようなそんなオタクがそんな写真を見たらどうなるか。
私の場合はヒッ……とひきつった声にもなっていない悲鳴しか出なかった。
あんな絵を書いたら腐だ!と言われかねないくらい距離のちかい写真、同人誌や商業誌の表紙でも見たことないような近すぎる構図。そんなものがたくさん出てきた。カメラマンさんはどんな指示したのだろうか。
腐女子の私はそういったものが女の子をキャーキャー言わせるための営業なのだとはわかっていた。わかってるつもりだった。
何かで距離が近いのは女の子をキャーキャー言わせるためだって見たきがする。アイドルの片方を自分に見立ててこういうふうにされたい!って思うためで、○○そこ変われ的なやつの構図だって聞いたことある。
まあこんなのみたら女の子はキャーキャー言うよね、私も言うわさっき絞り出したような悲鳴しか出なかったけどな、と自分の気持ちを落ち着けたものの、動画サイトでグループ名やカオルくんを検索するたびに出てきたけど避けてきたコンビ名動画を興味本位で見てしまった。
同じコマにいるだけでキャーキャーいうオタクなのに、カオルくんとこんなことして遊んだだとか、こんな話を二人でしたとか、昔話をしたりとか、そんな話がゴロゴロ出てきた。
それはたしかに普通にカオルくんこんな感じのこと言うんだ〜いいな〜と聞くこともできた。
でも悲しいことに私は腐女子だった。
オフでプレゼントもらった話だとか、遊んだとか、昔のエピソードとかそんなこと聞かされたら腐女子の私は「供給」と感じてしまうのだ。
書いてもない、言ってもいないことの行間を勝手に妄想し、気持ちを捏造し作り上げる力を持ってしまったのが腐女子の私だった。
三次元でそういうことは考えたことなかったが、そういう界隈があることは知っていた。でも見る勇気はなかった。
やっと三次元に見つけた心から応援したいと思ったアイドルのカオルくんを、10年以上培ってきた分厚い腐ったフィルターを通して見たくない。
それでも萌えてしまうしエモいと鳴いてしまうのが私だった。顔がいい男の絡みが大好物という生活を十年以上してきたからもう条件反射とかそういうやつだ。
最近買った雑誌にもまた距離がめちゃくちゃ近い写真がある。そろそろハグくらいじゃなんとも思わないようになってき…………てるわけないんだなこれが。
私は腐女子であることとは別にアイドルを楽しんでいるつもりだ。
きっちり分けて考えていきたいと思っている。
でも長年の癖からカオルくんやその他のメンバーをそう見てしまう時がある。見てしまうというより、見えてしまう。
そういった楽しみ方をしている人も知っている。否定する気は一切ないし、自分もそれに近い見方をしてしまう日がいつか来てしまうかもしれない。でも私はまだそこまで到達してない中途半端な存在が統制のとれたあの界隈に踏み込んで荒らしてしまうことを考えたら絶対に行けない。
数年前から一次創作が好きで、某サイトで細々と小説を書いている。あまり反応は多くないが、それでも完結したときに貰える感想はとてもありがたかった。コメントしてくれた人の作品を読んでこっちからもコメントする等を繰り返していたら、いつの間にかコミュニティが出来ていた。
はじめは進捗や新作への悩みを載せるツイッターを数人からフォローされたことだ。作品のコメント欄よりもツイッターの方が声をかけやすいのか、そっちでは色々な意見を聞けて面白かった。
最近、一年ほど連載していた小説が完結した。プロットを書き終えてから本編を練るため、進捗やちょっとした悩みを呟いたときに貰える意見を少し参考にしつつ、自分の書きたかったものを満足に書けた。
その作品には結構な反応が来ていて、応援リプや考察ツイートまでしてもらっていたので、「応援してくれていた方々、ありがとうございました」と作品のあとがきだけでなく、ツイッターの方でも書いた。
そうすると、「完結おめでとうございます」や「面白かったです」という社交辞令じみたリプライや、内容に触れつつ感想を述べてくれるリプライが来た。どの作品よりも多い反応が貰えて、私は有頂天だった。
そこで一人から、よければ人物相関図やプロットがあれば見せてほしい、という言葉を頂いた。無論作品を書く前にそういったものは予め作ってあるので、書き込みが多く汚いけどと断りをいれて公開した。
すると、その人物相関図を見せてほしいと言ってきた人とは別の人から、「◯◯と△△ってお互いにこう思ってたんだ!さすが推しカプ」と言われた。(原文ママではないが、まあこういうニュアンス)
ん? ってなった。◯◯と△△はどちらも男。それも、恋愛関係ではなく、ありきたりだが互いに切磋琢磨していける関係に過ぎない。(だが途中で△△の方は死ぬ)
人物相関図にもそのような旨だけが書かれていて、どこにも付き合っているなんて書いてない。カップルじゃない。
ツイッターはほとんど自分からの発信しかしておらず他人の投稿はあまり見ていないため、その人が腐女子だと気付いていなかった。というより、腐女子だという旨がどこにも記載されていなかった。ツイートも遡ったがどこにもそんな雰囲気もなく、作品にもそれらしい表現はなかった。
私は同性愛者への偏見はないが、腐女子は正直に言えば苦手だ。それは確かにツイッターにもサイトのプロフィールにも書いていないが、誰が自分の作品を腐フィルター越しに見られると想像するのだろう。
これからは作品にそういったコメントをしないでください、と言った方がいいのだろうか。腐フィルターを通して作品を読むのはその人の権利なのでそこを責める気はないが、私には伝えないでほしい、と思った。