はてなキーワード: ビリビリとは
太平洋戦争の最中、じいさんは広島県の呉にいた。海軍のパイロット養成校(予科練と言っていた)に所属していたじいさんは、パイロットではなく整備工になるために入ったらしい。
呉は今では見る影もないが、当時は軍港としてかなり栄えていた。有名な大和と武蔵もその目で見たらしい。建造していることは内緒だったが、あんなでかいんはバレバレじゃ、と笑っていた。武蔵は山口の沖ですぐ沈んでのう、と目を細めながら言っていた。何人か、同期も武蔵と一緒に沈んだとも。
整備工になるために予科練に入ったじいさんだが、残念ながらじいさんが最高学年に上がる頃には戦況は悪化していて、訓練機すら飛ばせない状況だったらしい。
じいさんはその頃から毎日毎日、軍事工場で飛行機を作っていた。
元々、機械弄りは好きだったじいさんは飛行機を作るのは楽しかったらしく、メキメキと腕をあげたようだ。あまり戦争のことは話したがらない人だったが、海軍の飛行機がいかに苦心されて作られていたかは楽しそうに喋っていた。
戦争に負けるな、とは何となく感じていたが、上官が怖かったし、そんなことを口に出せる空気ではないころ、呉にアメリカの飛行機が不時着してきた。
勉強がてら、じいさんは同期と連れだってアメリカの飛行機(グラマンといっていた)を見学に行った。
そこでじいさんは「あぁ、この戦争は負ける。」と確信したそうだ。
「わしらはな、飛行機を手でネジを締めて作る。アメサンのはどうじゃ。リベットうちじゃ。ダダダダダ、と作るわけじゃ。作る数がそもそも違う。こんな戦争、勝てるわけがない。」
グラマンがそもそも内地まで飛んで来とる。本土決戦で、みな死ぬ。
それが、17歳のじいさんの太平洋戦争に対する結論だった。死にたくはないが、死ぬしかない。
昭和20年8月6日、じいさんは工場でいつも通り、朝の体操をしていた。突如として、工場のガラスが、ビリビリ、と音をたてて鳴った。なんだなんだ、と外に出ると、有名なキノコ雲が広島の街のほうにあがっていた。
原爆だ。
じいさんの生死を分けたのは、宇品の工場に配属されなかったことだ。宇品に配属されていた同期は救出隊として投下直後の市内に入り、黒い雨を浴びてその後の10年でバタバタと死んだらしい。
運の悪い事にたまたま休暇で広島の市内に戻ってしまった同期は、大火傷を負って呉に帰ってきた。1ヶ月もしないうちに亡くなったそうだ。
そうして、知り合いや同期が死んでいく混乱のうちに、戦争は呆気なく終わった。
じいさん達の基地には進駐軍がやって来てキャンプをはったので、仕事もないじいさん達はキャンプに忍び込んでは物資をかっぱらい、闇市でさばいていたらしい。「あそこは元々わしらの基地じゃしのう。」とあまり悪びれずに言っていた。
実家に帰ってこないじいさんをひい祖父さんが連れ戻すまで、そうやって生計をたてていたらしい。
戦後、予科練は学校としては認められず、じいさんは小卒の学歴になってしまい、ずいぶんと苦労したらしい。職を転々としながら、職業訓練校に通って資格を手にし、最終的には水道工として定年まで勤めあげた。
飛行機を作っていた頃の経験が生きたのかは分からないが、子どもの頃のじいさんは自転車や草刈り機の発動機やら、何でも直せる人だった。
じいさんは戦争によって勉強することも出来ず、学歴も手にすることが出来ず、戦争を恨んでいたのだろう。戦争の話はしたがらず、呉には生涯、足を運ばなかった。
本当は、京都大学で物理学を勉強したかったじいさんは、自分の学歴の無さを生涯恥じながら、87歳でこの世を去った。
苦労しながら水道工として定年まで勤めあげ、身の回りのものは何でも修理できたじいさんは、恥ずべき事なく、立派な人生を歩んだと思う。
疲れているのだが、後ろの席に座っている女性二人組がけっこうな声でずっと喋っている
前に座っている男性二人組も喋っている
きっと到着まで喋り続けるのだろう
しかし、俺は周囲の音が気にならないタイプなのでまったくイライラしないし寝ようと思えば余裕で寝られる
ギョピピピピーーーー!!!!と奇声を上げながら走り回る襟足の長い子どもがいても何も思わない
ところで俺は小学生くらいの子どもに関わる仕事をしているのだが
仕事中は子どもの話し声や物音が気になっていつもイライラしてしょうがない
どんなにうるさい子どもも簡単に出禁にできない以上一刻も早く真人間になっていただくしかないから
静かに過ごしたいおとなしい子どもを守るためにうるさい子どもを注意しなきゃいけないから
思いやりのない大人になって犯罪者にならないように今のうちに躾けなきゃいけないから
注意しないと注意しないことを上司に咎められるかもしれないから
本当はこいつらの将来なんてどうでもいいから走り回って滑って転んで頭が割れたり、持っている鉛筆を通りかかった子に突き刺してしまっても別にいいんだけど
走っている子どもを注意しない近くの大人に責任がーー!と言われてしまうかもしれないから
増田だって子どもの頃、大人ってうるせえなあ、ほっといてくれよ、って思っていただろう
親から買い与えられたスマホで10歳の子どもがハードなAV見たりpixivのR18-Gタグの特殊性癖エロ見てたってどうでもいいし好きにすればいい
小学生とは思えないムッチムチの体型でシャツがビリビリに破れて腹と下乳見えててスカートめくれてパンツ見えそうで縦笛とランドセル持った女の子が表紙のラノベだって自分の小遣いで買って自分の家の本棚に並べるなら構わん
ただ、それを公費で買って小学生向けの本として棚に置けるわけがないだろう
バカなのか?
公共図書館の児童書コーナー、小中学校の図書室、児童館の本棚、小児科の待合室に
置ける!わけが!ないだろう!
小学校1年生の子どもやその親や還暦間際のジジババ職員に萌え微エロ絵が並ぶ棚を見せていいと思ってるのか?
本を読む自由、読みたい本を選ぶ自由はあります!純文学だってエロ描写あるのにそれが許されてラノベNGはおかしい!ドスケベ表紙のラノベを小学生に届けるために職を失おうとも戦います!
そんな奴の方がよっぽど頭おかしいだろ
子どもに任せて放っておくべき、自由にさせるべき、なんていうのは
自分は子どもを叱ろうなんて一切思わない、子どもに優しくできる、かつての自分みたいな根暗そうな子に優しくしてやるんだ、自由にさせてあげよう、抑圧された子どもたちに救いを、なんて考えてる奴
先日、とあるバンドのライブに行ってきた。
ライブハウスでのライブに参加したのは今回で3度目で、3度目にしてようやく「音楽」を聴けたような気がした。
それはある「対策」をしたからなのだが、その対策が効果ありだとわかったことで、じゃあ逆にその対策をしてない他の大多数の人たちはどうなんだ?と気になった。
自分が最初にライブハウスでライブを見たのは2年前のこと。
それまではバンドのライブなんてほとんど行ったことがなかった。
でかいスタジアムでのライブに一度行ったことがあるくらい。
たまたま好きなバンドが地元に近いライブハウスでやるってことで、チケットを申し込んで、抽選に当たった。
わくわくしてライブに出かけたものの、正直に言って、そのライブは全く楽しめなかった。
何より音がでかい。耳がビリビリする。そのバンドはギターボーカル・ギター・ベース・ドラムの4人組なのだが、とにかく音が「ぐおおおん」と轟音のように響くので、それぞれの楽器の音が全く聴き分けられない。
ドラムはまだ分かるが、ギターは、リードギターとリズムギターの2つが鳴っているなんてわからないくらいただうるさく響いている。
ボーカルも埋もれて何言ってるのか聴き取れない。
正直に言って、「騒音」としか思えなかった。
でも、周りを見ると、みんなノリノリで楽しそうで、終わった後も、高揚した様子で感想をしゃべっていた。
後でいろいろ調べたが、そのバンドも、ライブハウスも、特に音量がでかいことで有名というわけでもなかった。
せっかく好きなバンドのライブに行ったのに、モヤモヤした感情だけが残って、悔しかった。
2回目にライブハウスに行ったのは、それとは別のバンド。
もしかしたらバンドによって違うのかも、とか、前回は割と前の方だったから今回は後ろの方で聴いてみたら違うかも、とか考えていた。
何より、好きなバンドのライブが楽しめなかったことが悔しかったので、楽しみたい!という気持ちが先行していた。
結果は、だめだった。
後ろの方で見ても、一つの轟音のように聴こえてしまうのは変わらなかった。
その後、ライブ用の耳栓というものの存在を知った。
普通の耳栓とは違い、少し隙間が空いていて、耳に入ってくる音を防ぐのではなく、ボリュームを下げてくれるというものだ。
これなら大丈夫かも、と思ってすぐに購入した。
そして、最初に行ったバンドがまたツアーで地元の近くに来るということで、リベンジのつもりで行ってみることにした。
始まる前に周りを見渡したが、耳栓を用意している人は見当たらなかった。
ちょっと着けるのが恥ずかしいのと、半信半疑というのもあって、まずは耳の奥までねじ込まずに浅めに着けてみることにした。
浅めでも効果はあって、まず耳がビリビリすることがなくなった。
それでも、楽器の聴き分けはちょっと難しかった。
自分がいたのは右やや前方で、リードギターは向かって左側の立ち位置だったので、リードギターの音はリズムギターの音に埋もれてほとんど聴こえなかった。
そのバンドは印象的なギターリフやギターソロが魅力でもあったので、かなり残念な気持ちになった。
そこで、耳栓を耳の奥まで思い切ってねじ込んでみた。完全に耳栓の小さな隙間からしか音が入ってこないような形だ。
すると、音ががらりと変わった。
残響音を完全にシャットアウトしてくれるからか、音がタイトになった。代わりに音場というか、音の広がりはなくなった。
ヘッドホンでいえば密閉型のような音になった。
ドラムの音は耳に突き刺さるように響くことはなくなり、重厚な音になった。2つのギターの音もはっきりと聴き取れ、ボーカルも浮き出てきた。もちろんベースも。
ライブDVDやライブCDで聴くような音に近くなったように感じられ、やっと「本当はこういう音楽が鳴っていたんだな」と感じることができた。
3度目にして、ようやくライブハウスでのライブというものを楽しめた気がした。
ただし、耳栓という細工をしたことによってだ。
他の大多数は耳栓などせずとも楽しんでいる。
自分の耳がおかしいのか?それともあの轟音こそがライブハウスの音楽なのか?
ライブハウスに来ている人たちには、どのように音楽が聴こえているのだろう。
あの人たちには、自分と違ってちゃんとした音が聴こえているのだろうか。
交通事故に遭ってむちうちで腕ビリビリするし、整形外科に通って治療を続けてるけどまだ3ヶ月しか経ってないのに保険会社からは打ち切り宣告されたし、マンションのエアコンが壊れて管理会社に伝えたけど全然修理に来てくれないし、それを伝えたらクレーマー認定されて自分で業者探せと無茶振りしてきたし、せっかく頑張って10kg痩せたのにニートでメンヘラの友達に彼氏ができて私はふられたし、慢性的な病気になって一生定期的な通院と薬を服用しなければならなくなったし、パワハラ受けて異動で地方に飛ばされたし、出るはずの手当はなぜか私だけ出ないし、組合に相談したら「忙しい」でぶった切られて音沙汰なしだし、手当が出ないからお金がなくてもう整形外科に行けなそうだし、毎年チャレンジしてる会社の面接(新卒枠で受け続けている)で毎年最終面接まで行って今年もそこまで行ったけど結局落ちたし、新卒枠は今年で終わったし、その会社中途採用はないし、お父さん自殺しちゃった。
もう疲れた
仲良くなれると思った
けど、逆だった。
むしろ分断は進んだのだ
びんぼうな中卒家庭に生まれたおれは
均質化していく出会いや話が増えた
おれのインターネットはたくさん生活に何の関係もない難しい話題を提供するようになった
○○社、○○のおれですと、いうとき
おれはおれでしかないのに誰かの物になったかのようで吐き気がして名刺をビリビリに破いた
まちがってるのは おれなのだ
おれもニュースについてたくさん考える
だってニュースはワンルームのおれの世界になんの関係もないから だまることにした
おれはおれだから 忘れないためにおれ以外の事はだまるようにした
地元のヤンキーの友達とつながる ツイッターは みんな自分の話しかしないし
むずかしい事はいわない
それが おれもそう振る舞うのがオトナとしてダメでも、人間としてただしいとおもった
りっぱな社会人になる程に
まわりに似た人があつまるほどに
立派になるじぶんがいやになった
ぼろぼろの服をきてスミノフ片手に
刺青をいれて、ばか正直にキャリアの料金を払っている友達のiphoneで音楽を流し、眠材を飲んでラリってるおれを
翌日にはスーツを着て偉そうなかおをして
情報収集のための
はてなブックマークをみると
かっこわるいから辞めた
おれはただしいオトナになるほど自分がカッコわるくなる気がした
会社でたくさん難しい話をしたら
それを中和するかのように ユーチューブで淫夢やsyamuとか、正しいオトナがみるべきじゃない物をたくさんみて コメントらんで 中高生とケンカした
それを聞きながら、持ち帰った仕事を少し片付けていた
その日
その話は その世界でたくさんされていた
おれは言いたい事があったけど 何かの病気になりそうだから辞めておいた
あれだけたくさんされていた話を ツイキャスのやつらも地元のやつらも ユーチューブのやつらも知らなかった
ツイッターで事件の検索をかけると オトナたちがその話をしていて安心した
おれは事件について何か言おうと思ったけど
めんどくさいしダサいからアニメアイコンのアカウントに切り替えて「おまんこ」という文字列に事件への感想を変換した
おれは
その時別のアカウントでは 女子高生がおまんこを広げた写真をのせて おっさんが気持ちわるいリプライをとばしていた
なんかいらついたから はてな匿名ダイアリーに「hagex事件の本質がわからないクソカスどもへ」 というタイトルをつけて
なんのいみもなくて なんの関係もなくて
そこにも、ここにも 何の意味もなかったけど、そうしないとまともなオトナになりそうで気が狂いそうだった
もし、これをしなくて、おれがうしなう物のない無職だったら ネットの立派なオトナを殺してしまいそうだったからである。
じゃ、
いってきます
いやいや何言ってるんだお前ら。
構築のほうがよっぽど運ゲーでしょ。
大昔ならともかく今の時代だと情報収集が凄い簡単になったせいで大会で地雷デッキ出てくることほとんど無くなったからな。
使うのが難しいから大衆からの評価が「強くない(簡単にポンポンやってると勝てないから)」って評価だったデッキが活躍することはあるけど、それだって誰も想像しえないデッキだったことはない。
人気のないデッキはあくまでプールの中でもっと強い対抗馬がいると思われていただけで既出のデッキではあったというパターンしか今はもう見ない。
皆が似たようなデッキを持ち込んだ結果、環境にものすごく刺さる事になった元二軍デッキってだけ。
そんで試合始まったら当初予定したとおりに皆でデッキ回して定石通りにカード出すだけで応用の要素ほとんどなし。
あとは引きが良かった運が良かったメタで勝ったの話。
まあ緊張してプレミするかどうかが最大のポイントなんだがな。
1がプレミで、2が引き運、3がメタ読み、4、5が引き運、6プレミ。
構築なんてそんなもんよ。
ソレに対してドラフトは凄いよ。
定石はあるけどそれが通用しない状況だらけ。
要求されるのは環境に対する完璧な理解であり、人気のデッキの基本パターンだけ知ってりゃオッケーなんてヌルさはない。
今の環境だとどんな選択肢がありうるか全部想像して、何をどうケアしていくかを読み続けなければ駄目。
さっき作ったばかりのデッキに何が入っていて何が残っているかを覚えている記憶力も要求される。
ピックが始まった段階から始まる勝ち筋と負け筋のイメージ、妥協を繰り返しながら構築されていくデッキに対する理解。
本当の構築力が試されると言っても過言じゃないし、デッキへの本当の理解力も要求されるし、メタへの理解力が求められる度合いも構築よりずっとずっと広い。
圧倒的なの、圧倒的に難しいの。
ただパックビリビリーって剥いて、やったー俺めっちゃ強いの取れた―、と思ったら相手もめっちゃ強いの取ってるー運ゲーはいクソゲーなんてゲームじゃ全く無いわけ。
3億円募金で見事に炎上した西野。俺は彼を見ていると悲しい気持ちになる。
10年前のM-1グランプリ2007。結局3位で優勝できなかった西野は終わった後泣いてた。俺もDVD見てちょっと泣いた。
本当に笑いに対して熱い男なんだと" あの時は "思ってた。今や漫才熱は完全に冷め切ったように見える。
ただ、他の炎上芸人と違って俺はまだ西野で笑ってた。そう。「ゴットタン」である。
すっかりイジられ芸を確立させてしまった西野をゴットタンは見事に、というか劇団ひとりが見事に料理していた。見事に服をビリビリにしていた。
皆は考えたことないと思うが、順当にお笑いをやっていれば3億円を稼げる男だと思う。たとえ吉本だとしてもだ。
ただ紆余曲折があまりにも捻じ曲がった所に着地してしまって反吐が出るような3流以下タレントに成り下がってしまった。
一番悲しいのが「募金しない奴は下衆」の部分。
この言葉、どれぐらい本心か分からないが、読者を煽るために付け足したとしか思えない。
彼のことを思いながら僕はレジ横の緑の箱に100円玉を入れた。
育児放棄された子猫を保護し、「りゅうのすけ」と名付けて半年が過ぎた。
りゅうのすけは落ち着くどころかさらに元気が増し、家族みんなで毎日てんやわんやだ。
家中を全力疾走で駆け回っていると思うと、トイレットペーパーを咥え何食わぬ顔で自分の寝床に行きビリビリにちぎり始める。
「りゅうのすけ!!! 駄目でしょ!」
家で一番怖い母に叱られてもりゅうのすけは萎縮するどころか、トイレットペーパーを取られまいと咥えて逃げるのだ。
それからは、りゅうのすけと母の闘いが始まる。
本来ならば私もその闘いに参加しなくてはいけないのだが、りゅうのすけと母のやり取りが面白く笑ってしまい私は使いものにならないのだ。
りゅうのすけの行動一つ一つが、私を楽しませてくれる。
りゅうのすけがいない日々だって楽しかった筈なのに、今では私の日常に「りゅうのすけ」はなくてはならない存在になっていた。
半年前には、想像出来なかった自分がいることに驚きを隠せないでいる。
休日のある日。
軽く昼寝をしたら、予想以上に寝てしまい「なんてことをしてしまったんだ」と自分の行いを後悔していると私のお腹を枕に寝ているりゅうのすけが目に入った。
「んー、んー」と寝言を言いながら、りゅうのすけの小さなお腹が上下に動く。
そんな姿を見ているとなんと表現したらいいのかわからない思いが、胸からこみ上げてくるのだ。
「ねぇ、どんな夢を見ているの」
私は、幸せを優しく撫でた。
http://www.dr-hori.com/media/mag/20101002_kn.php
ガン、動脈硬化、高血圧、心臓病、狭心症、糖尿病、肝臓機能障害、腎臓機能障害、脾臓機能障害、脳出血、メタボリック症候群
アレルギー性疾患
腰原病、リウマチ、ぜんそく、アトピー性皮膚炎、べーチェット病、花粉症、鼻炎
美容系
ニキビ、吹き出物、小じわ、シミ、肌荒れ、ひび、あかぎれ、早期老化、若白髪、更年期症状
心の病気
明るさがない、積極性がない、暴力行為、うつ病、パ二ック障害、拒食症、過食症、登校拒否症、出社拒否症、集中力欠如、不眠症、神経衰弱、居眠り
痛み
朝起きられない、体がだるい、疲れやすい、風邪が治りにくい、むくみ、貧血、めまい、立ちくらみ、便秘、冷え症、虚弱体質、食欲不振、低血圧、息切れ、イライラ
脳神経の病気
その他
バセドウ病、くる病、前立腺肥大、頻尿、排尿困難、血液不良、白血病、胃潰傷、慢性胃炎、ストレス性十二指腸潰傷、腸疾患、慢性下痢、不妊症、虫歯、弱視、骨格形成不全、生理痛、水虫
全身をよく操む
首のストレッチをする
大地を素足で歩く
おしやぶりをする
唇を閉じて紳創一骨を下唇から上唇の方向にはる
口を閉じて日頃使わないほうの歯で無糖ガムを噛む
鼻の両側と鼻の下の真ん中の部分を指で刺激する
約1%の食塩水で「あーいーうーえーおー」といいながら上を向いてうがいをする
経済のことなんか、ほぼ全くわからないけど、ニコニコがビリビリにああいう形になった事で負けたと言われるのはちょっとどうなの?
かわんごさんが昔言ってたけど、ビリビリみたいに合理的なことをするっていうのは全然ニコニコの戦略と違うじゃん。
敢えて言えば、ビリビリみたいな事をするのがグーグル的な価値観であって、ニコニコがそれをしたら本当に魂売ったって言って完全敗北を認めたって事だと思うんだよね。
こういう事を引き合いに出してニコニコを批判する人が多いって事だけで、なんかもう砂浜に打ち上がる鯨の群れを見てるような気がする。
別にニコニコとか川上量生さんが途轍もない前人未踏の快挙を成し遂げつつあるとか、そういう事が言いたいんじゃなくて、本当に正しいとされている事ばかりが正しいのか、と。
そういう風にだけ行動するのみが人間のあるべき姿なのか、と。
もし、ニコニコのようなわけわからない会社が一つも無くなるとしたら、それはもうゲームオーバー、というかプレイヤーなんてもういらない世界で、そんなのちょっとつまらない気がする。