はてなキーワード: ジリ貧とは
東京の新規感染者数の7日間平均が前週を下回った。もしかしたらピークアウトしたかもしれない。
ただし今週から首都圏の新規感染者数が減少に転じても医療システムのダメージが大きく正常化に時間を要するので9/12(日)までの緊急事態宣言は延長せざる負えない。
おそらく9/10(金)に9月末までの緊急事態宣言限延長の会見を開くだろう。
その場か週を開けて9/13(月)にガースーは自民総裁選への不出馬を宣言。
「新規感染者数が減少し、ワクチン接種も進んでいるのでコロナ禍収束に道筋をつけることができた。しかし国民の皆様にお約束した緊急事態宣言の期限を守ることできず延長を繰り返したことの責任を取り自民党総裁、総理大臣の任を次代に託すこととした」
二階のバックアップを受けて自民党総裁・総理大臣を続けても衆議院選挙で大きく議席を減らすことは明らか。そうなった場合自分の派閥を持たないガースーはジリ貧になる。
そこで同じ神奈川が地盤で関係が悪くない河野と進次郎と手を組み20人の推薦人集めに協力して河野を総理に押し上げればキングメーカーとしての権力を握る事になる。
日本中で3日間だけ、自発的に同時に自粛するのはどうでしょうか。
そうすれば感染拡大が止められるのではないですか
つまり、たった三日間日本中同時にみんなで自粛をすれば、感染を気づかずにひろめることをふせげます。たった三日です。土日ともう一日休めばいいんです。
国が何もしない、よくわかりました。でも今のままじゃジリ貧なんです。
インターネットを通じて、広く拡散すれば、何とか同時にできませんか。
今の緊急事態宣言のように、自粛の厳しさが人によって違う状態で、だらだらとやっても意味がないんです。
日程を短く決めて、同時に、みんなで。
そうすれば、有給をとれる人も増えるでしょう。小売で休める人もでてくるでしょう。
そしたらあとは賛同した企業の商品でもなんでも、みんなで買って応援したらいいじゃないですか。そうしたらインセンティブもでてくるでしょう。
経済的に困窮する若者と、たっぷりの貯金を蓄えた上に年金まで受給している高齢世代との対比を見るたびに、そんな考えが頭を過ぎる。
日本はオワコンだとずっと言われているが、かねてからその原因は高齢世代にあると思っていた。
デジタル分野でこんなに遅れをとっているのも、年寄り連中の事なかれ主義に問題があると感じている。
高齢者がITをうまく使えないとか、能力的に不足している点がある部分を責めたいわけではない。
問題の本質は、高齢者が、意欲ある若手が現状を変革することの邪魔をしているという点にある。
DX(デジタルトランスフォーメーション。ITを活用して業務のやり方を見直すこと。)という言葉が注目を浴びるようになって、自分の職場でもDXを勧めたいと声をあげる若手が増えた。
しかし、「今までのやり方を変えたくないから」などと言うくだらない理由で高齢者がそれを阻む。
このままではいつかジリ貧になると焦る若手。どうせ自分は逃げ切れるから現状のやり方に甘んじたままあぐらをかく高齢者。社会での発言権が強いのも、長く生きているからという理由だけで年寄りの方だ。
そんな光景を見慣れてしまって、いつしか学習性無力感に取り憑かれている自分に気づく。
本当はこのままじゃダメだってみんな気付いているくせに、誰も声を上げられない。
少子化はすごい勢いで進んでいて、もう止められない。
数が多いのは圧倒的に年寄りの方だから、若者は高齢者に選挙でも勝てない。
大昔、天動説と地動説のそれぞれを唱える学者が対立をした際、最終的には地動説が正しい学説として認められた。
天動説を唱える古い学者が、地動説を唱える若い学者の言うことを受け入れたわけではない。
天動説を唱える古い学者が全員死んで、地動説を唱える学者への世代交代を発生しただけだったそうだ。
現状を変えるには、世代交代が実現されるしかないのかもしれない。
だからどうしても、タイトルのような考えが頭をよぎってしまう。こんなことを考えてるなんて知られたら軽蔑されるなんて分かり切っているけれど。
競合に在籍しているものです。
最近めっちゃ人出てるらしく、なんか大丈夫か?とおもってここで吐き出す。
慢性的な人手不足があるので、業績はクソ下がるという感じではなさそうだけど、たぶん昨対比でもだいぶ厳しそう。
差別化ができないのに競合が多くなってきていて、ジリ貧になりつつある。
人材紹介って20年前からビジネスモデルかわっていないんだって。
副業みたいな、正社員のフルタイムの労働力だけではない、細かなピースで必要な労働力を埋める手段とか、ダイレクトリクルーティングみたいな採用のパイを奪い合うサービスが
雨後の筍のようにどんどん出てきているので、顧客離れが激しい。
そもそも人材紹介は価格がめちゃくちゃ高くてサービスに対しての対価が見合っていない。これはうちもおんなじ。
ずっとエージェントだけやってて、一応、HR Techみたいなシステム周りへの投資もやっているみたいだけれど、ほぼ撤退しているらしい。
今あるシステムも無料ということだけが売りで、界隈では使い物にならないシステムとのことで有名。
こんなことになっている理由は、前にDNP問題でやらかしてしまったので、新しい事業への投資がしずらくなってきているらしい。
競合にあたるPはここぞとばかりに新規事業を作りまくったりアライアンスを他者と組んだりして、追い越そうと投資をしかけまくっている。
うまくいってるものは徐々に増えてきている感じなので、事業単体でみると遠い将来追い越す日が来るのではないかと思ったりしている。
個人的には、データベースでの差別化しかできないから、M&Aしたりアライアンス組むのは割と筋がよいように思う。
ちなみに最近だと圧倒的に起業家はPのほうが多くて、Rの人が起業するってのはまじで聞かなくなってきてる。
新しい事業への投資がないから、スキルとか経験をもった人材が育たないんだろうな。
組織カルチャーの存続の難しさと、組織の儚さを感じるね。2年くらい前まではイケイケだったのに。
3つ目は、社員のモチベーション要因、これまではかなり業績も良かったので、なんとかなってきた部分もあるようだが、
企業が欲しい人材と、応募したい候補者はシステムでマッチングされるので、人がやっていることはごくごく一部。
でもやることが多いから忙しいけど、単純作業がすごいおおいので、疲弊してしまうらしい。
コアになるようなスキルとか経験も身につかなくて、このままでいいのかな、って思ってやめるらしい。
他の大手人材のJとかは、業績クソ伸びてるらしいけど、なんか対照的なんだよな。。。
エージェントに求められるものが変化しているのに、全然適応できていなくて、ちょっと心配になるレベル。
上に挙げたもの以外でも事業とか組織レベルでも何か大きな問題が起きているようにしか思えない。
要は大手の人材エージェントは今質がよくないから、がっつりつかうのは微妙なので、自分で知識つけて応募したい求人にだけ受けさせてもらうくらいの使い方がよさそう。
それかできるだけ直接応募とか、ビズリーチとか、LinkedInの企業からスカウトしてもらうほうをがんばったほうが良さそう、という話。
前々回の投稿(11)で言及した『映画秘宝』内部で起きていた「業務の『私物化』」について、引き続き今回も述べようと思います。
ムック形式が好評だったこともあり、90年代の終わりに雑誌化・大型化を見事に果たした『映画秘宝』は、傍目には順風満帆に見えました。しかし、初期の同誌を読んでいた方々ならばご存知のとおり、若者の購読者を想定した誌面作りとはお世辞にも言えませんでした。初期の『映画秘宝』がそのターゲットにしていた購読者とは「子供時代の70年代に映画館やテレビで観た映画についての記憶を、編集者・ライター陣と共有する大人」だった訳ですが、当時そんな条件を満たしていた人たちは、私も含めて既に「立派なオジサン・オバサン、若しくはその仲間入りも間近な人たち」でした。そのままでは購読者の高齢化によって、ジリ貧に追い込まれるであろうことは明らかでした。
したがって、雑誌『映画秘宝』が将来的にもビジネスを継続して生き延びるためには、長期的な戦略として「より広範で多様な読者層を開拓すること。それも、特に『若者層』と『女性層』を購読者として積極的に取り込むこと」を選択するべきでした。しかし、こんな事を今さら書いても、後の祭りです。
ご承知のとおり、それとは正反対の戦略を『映画秘宝』は選択しました。いや、何らかの戦略を選択したと言うよりも、むしろ「長期的な戦略など、当時の『映画秘宝』編集者・ライター陣は露ほども真剣に考えてはいなかった」と言う方が正確かもしれません。
覚えている方もいるかもしれませんが、高橋ヨシキが『映画秘宝』の表紙デザインとして、邦画から引用した「裸の女性が荒縄で緊縛されて馬に跨がる残酷エロ画像」をコラージュして仕上げたことがありました。この表紙について、町山智浩は「この表紙じゃあ女性が手に取り辛い(=買い辛い)」とボヤいていました(※注)。雑誌の「顔」である表紙がこんな状態だったぐらいですから、高橋ヨシキの頭に「女性購読者を獲得すること」など微塵も無かったことは明らかです。
既に述べたとおり『映画秘宝』は「女子供から映画を取り戻せ!」をスローガンにしていた訳ですから、むしろ「いかに女性が手に取り辛い(=買い辛い)デザインにするか」について考えた上で、高橋ヨシキは意図的かつ積極的に「女性が嫌がりそうなデザイン」に仕上げたのだと考えるのが妥当です。きっと、このような表紙を作っていた時の高橋ヨシキは「オレたち男だけの輪を乱すような奴(=女性)は、お呼びでないから帰った!帰った!」「この表紙デザインを見たら、きっと町山さんも喜ぶだろうなあ!」と云う気持ちを込めていたことでしょう。(※注:ところで、町山智浩も本気でボヤいていたのではないのだろうと私は思いますが、そう思う理由については別のところで述べます。)
近年は真魚八重子などの女性執筆者が『映画秘宝』に登場する機会が増えてはいましたが、それで町山智浩や高橋ヨシキの芸風が改まったようにはとても見えず、むしろ却って「これでもオーケーなんだ!こんな芸風でも女は許容してくれるんだ!」と彼らの勘違いを助長したと云う可能性すら有ると私には思えます。仮にそうだったとしたら、真魚八重子の頑張りが報われていなかったことになって、非常に気の毒な話ですが。
また、これも既に過去の投稿でも述べたことですが、比較的早い段階から『映画秘宝』は、ごく少数の寄稿者(例:山本弘)を除けば「アニメファンを蔑視・敵視・嘲笑する」と云う態度を明確に打ち出していました。この「アニメ叩き」の姿勢は同誌において長く一貫していたと言ってもよく、恫喝DM事件が発覚する直前にも「『鬼滅の刃』は絶対に観ない!」と、訊かれもしないのに自分たちの方からアピールに励んでいました。
もちろん、思想信条の自由に照らして考えれば、編集者やライター個々人が「何か」を嫌うこと自体は許されるべきです。だから、対象が「萌えアニメのファン」だろうと「女性」だろうと何であろうと、高橋ヨシキらが個人的に何かを嫌うことは自由の範疇あると言えるでしょう。極端な話、内心だけに留めて現実の世界で実行に移しさえしないのであれば、性的マイノリティ/人種・民族etc.に対するネガティブな気持ちを持っていても許されるでしょう。
しかし、その上で問いますが、当時の編集者・ライター陣がわざわざ誌面を使ってまで「女嫌い」や「萌えアニメ嫌い」を盛んにアピールしたり、ゲイを繰り返し「ホモ」呼ばわりして嘲笑し続けて、雑誌『映画秘宝』を売ると云うビジネス全体にとって、何か良い成果を招いたでしょうか?結果的には、女性・萌えアニメファン・性的マイノリティはもちろんのこと、それらに該当しない人たちにすらも「何だか『映画秘宝』は排他的な雰囲気があって嫌だなあ。近づくのは止めておこうか」と思われ、遠ざけられただけに終わったように私には見えます。
そうして「未来の購読者」に成っていたかもしれない人たちも見す見す逃してしまって、長期的に見れば大きな損をしたのではないですか?もしも、編集者やライター陣の個人的な好みに拘ったことによって、ビジネスの未来が失われたのだとしたならば、それについての責任を彼らはどう取るつもりなのでしょうか?
当時の『映画秘宝』の萌えアニメ叩きムーブに関しては、こんな出来事もありました。ある時、俳優の加藤雅也に対するインタビューを行った際、わざわざ「最近の若い奴らは、萌えアニメなんかにウツツを抜かしているんですよ!」と御注進に及んだのです。もちろん、そのインタビュー記事の中では、それに対する加藤雅也の「『萌え』ねえ…」というリアクションの言葉を「例の見慣れた太いゴシック文字」で強調することも忘れませんでした。つまり当時の『映画秘宝』は「あの加藤雅也サンも、萌えアニメなんか好きな奴のことは見下して馬鹿にしているんだゾ!読者の皆も後に続け!」と、虎の威を借る狐のスタイルで萌えアニメファンを嘲笑することに勤しんでいたのでした。それにしても、何の脈絡も無く突然「萌えアニメが云々」とか言い出したので、インタビューを受けていた加藤雅也も反応に困ったのではないでしょうか。加藤雅也についての面白い/興味深い話を読みたい読者の立場からすれば「何でインタビュアーがいきなり『オレは萌えアニメが嫌いだ!』と自己主張を始めるんだよ。お前は主役じゃねえだろ。お前の自己満足にスペースを割くぐらいなら、もっと加藤雅也の言葉を載せろよ」と云う感想を抱くしかありませんでした。きっと、このインタビュアーの脳裏には、読者の存在及び読者のニーズなどは思い浮かびもしなかったことでしょう。
上で述べたような行動に熱中していた『映画秘宝』編集者・ライターたちは、ただ単純に「『自分たちの欲求』が充たされて気持ちが良かった」のだろうと思います。もちろん自分の欲求を充たしたいと思うことは人間として当然ですし、仕事を通じて欲求を充たすことが出来れば、こんなに幸せなこともないでしょう。しかし、それをするならば良識と限度が必要不可欠です。わざわざ無駄に敵を増やし、未来の購読者を失ってまで「自分たちの欲求を充たすこと」を優先したことは、仕事(ビジネス)として必要なこと、正しいことですか?
ひょっとしたら「眼の前の『利益』を捨ててまで『信念』(=嫌いな奴らを大っぴらに嘲笑すること)を貫くことが出来るから、オレたち(=『映画秘宝』)はスゴいんだ!」と、『映画秘宝』切り株派は自分達に酔っていたのかも知れません。しかし、それは別にスゴいことではありません。
洋泉社としては、雑誌『映画秘宝』の刊行を「遊び」や「無償ボランティア」として、ではなく「まっとうなビジネス・業務」として行っていた訳です。それには先ず雑誌が売れること、それも短期的にだけではなく長期的に売れることが先決であり、その為には更に、購読者を増やすことが何よりも重要でした。したがって、これらの重要事項こそが『映画秘宝』製作チームに対して洋泉社が何よりも先に求めたことだったはずです。「何よりも先に」です。
それなのに、購読者を増やさず、と言うよりも増やす為の努力を端から放棄して、逆に無駄に敵を増やすことにだけはキッチリ勤しんでいた訳ですから、洋泉社にとって『映画秘宝』の編集者・ライター陣は、さぞかし頭痛の種というか獅子身中の虫というか、実に困った存在だったと推察されます。
こういった「まっとうなビジネスであれば求められて当然の事柄」には応えようとせず、何よりも先ず「自分たちの欲求を充たすこと」を優先して仕事に臨む、これこそが私の言う「業務の『私物化』」なのです。
この文章を読んでいる方は、試しに想像してみて下さい。もしも貴方が何処かの会社などに勤務していて、社員皆一丸で協力して赤字解消や顧客開拓などに努めねばならない時に、赤字を垂れ流したり顧客どころか敵を増やす行動にばかり勤しむ同僚が社内にいたとしたら、しかも、それに勤しむ理由が「自分が気持ち良いから」とか「これをやると○○センパイが喜ぶから」とかだったら「テメエの『趣味』の為に業務を『私物化』するんじゃねえよ!」と言いたくはなりませんか?単に「職業人」としてだけではなく「社会人」としても失格でしょう。
このように『映画秘宝』の行動は、とても「長期的な利益を考えている」とは思えないようなものばかりでした。岩田和明による恫喝DM事件を見れば分かりますが、ごく最近の『映画秘宝』内部でも「長期的な利益を考えず、自分が気持ち良くなることを優先する」と云う風潮が継続していたことは明らかです。更に、岩田和明が退職するからと云う理由だけで、のんさんの連載を打ち切って雑誌の「売り」を無くすように仕向けたことも、これまた雑誌全体のことを考えない「自己中心的な行動」でしょう。
仕事に関して「長期的な利益」について考えると云うことは「自分よりも若い世代に残す未来」について考えること、つまり「責任感の伴う態度」です。これに対して「業務の『私物化』」とは、仕事に臨むに当たって「今」の「自分」のことしか考えないこと、つまり「無責任な態度」です。
『映画秘宝』は、彼らが「精神年齢の幼稚な奴ら」と見なして嘲笑していたアニメオタクや「馬鹿な宣伝に騙されて底抜け大作を観に行く奴ら」と侮蔑していた女性と、彼ら自身とを勝手に比べて「自分たち(=『映画秘宝』の編集者やライター)はアイツらと違って『大人の男』なんだ!」と周りに向けて盛んにアピールし続けてきました。しかし、果たして彼ら自身は本当に「大人」と呼ばれるに値する人間だったでしょうか?
「雑誌の未来」よりも「自分たちの欲求」を優先し続けてきたことを、中心メンバーによる「業務の『私物化』」と呼ばずして何と呼べば良いのでしょうか?「身体は大人、頭脳はコドモの幼稚な遊び」でしょうか?
高橋ヨシキら「切り株派」が居なくなった2号目にあたる『映画秘宝』に、アニメ作品の特集記事が掲載されることが予告されました。この「居なくなった途端に」と言っても良い動きを見るに、おそらく「切り株派」が彼らの一存で他の派閥の編集者やライターに対して「『映画秘宝』でアニメ作品を扱うなよ!」と有形無形の圧力を掛けていたことは、想像に難くありません。そのような圧力が存在したとしたら、一部の人間の一存で企業努力の可能性を封じられていたことになるのですから、これもまた「業務の『私物化』」です。
「今」の「自分(たち)」のことしか考えない「無責任な体質」なのだから、年下の女性に対して恫喝DM攻撃を行ったり、自分たちよりも年下のフリーの女性編集者に対してパワハラを行ったりするのも、何ら不思議ではありません。告発を受けるまで、何一つ疑問に思わなかったのは「本当」でしょう。何しろ彼らの頭に有るのは「自分(たち)のこと」だけなのですから。
奈良さんがパワハラを告発した後に柳下毅一郎が出した、あの謝罪文としての体を成していない文を読んだ時も「ヨシキくんが報われて欲しい」とか、被害者を置き去りにしたことを書いていて「本当にどこまでも『自分(たち)のこと』だけに終始するんだな」と私は思いました。東大を出たぐらいだから間違いなく柳下毅一郎は頭が良いはずなのに、被害者を含めた「他者の存在」に対して満足に想像力を働かせることも出来ず、謝罪文一つまともに書けないとは流石に想像できませんでした。子供か。
『映画秘宝』の中心メンバーとも呼んでもいい人間たちが「業務の『私物化』」をし続けても恥じなかったのは、彼らの根底に有る「ボンクラと云う『甘え』」の精神だと私は思います。
じゃあ今あいつらに民主的な総意として退いてもらったとしてさ、よろしくおれらの世代の力で頑張れよなって状況になったとして、俺ら風情じゃ向こう50年くらいオリンピックも万博も呼べない版図も守れない国際競争でもしぶとく勝ち抜けないスケールも小さくて外交も出来ないっていうヘタレなカス世代だからなぁ。神経症のようにどうでもいい小さいことに拘って、同じ日本人同士で足を引っ張り合い嫉妬し、解決策は誰かがやってくれる天から降ってくると思ってるような馬鹿の集まりだろ。
あ、いやオリンピックも万博も外交とか国際的なプレゼンスとかの例えの意味であって本来いらねーけどさ。所詮俺らがずーっとやらされてたのは結局ぜーんぶジリ貧の撤退戦の負け戦じゃん?世界のジャパン?クールジャパン?ワラ 何の力を蓄えてたんだろうな。ジジイにコキ使われてすり減ってただけだろ。
結局バブル崩壊後もあいつらにシバかれていいように甘言を真にうけて制度設計までジジイファーストで貧乏暇なしで脳みそ酸欠で働かされ続けて、
とうとう自分らも老いに差し掛かった腑抜けの働かされ盛りのくたびれたアラフォー、アラフィフに今更バトンタッチしたとして一体なにができるんだろうな。
下の世代とかやれ未踏とかプログラミングとかやってっけどそれでこの国のみんなが幸せになれるような気配はないんだよな。皆疲れて、うまくやった一族だけが甘い汁d
西野オンラインサロンの件で思い出したんだがいわた君、ちゃんとめげずにファッションブログ続けてるしブログだけでは食っていけないみたいだけど、ちゃんとファッションブロガーの経験生かして店員として頑張ってる。
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就職浪人からファッションブロガーに華麗なる転身を果たすも、Youtube、instagram等の新しいSNSの流れに乗り切れずジリ貧に。2020年再起をかけて、代官山のセレクトショップ SAMVAスタッフ、ファッションブランド STOF営業見習い、ファッションブロガーの三足のわらじを履き直した25才。よろしくどうぞ。
はてなでこの人を馬鹿にしてた連中よりずっと立派だ。えらい。がんばれ。
一方、このいわタワーをバカにしてたこの人たちはというと・・・
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