SDGsの項目には「女性と女児のエンパワメント」と書かれている
男女平等なはずなのに、「女性と女児」と書かれているのだ。つまるところ、「男性と男児は今現在『上』で女性と女児は『下』」
という世界認識で先進国は、自分達と発展途上国の問題解決を進めていこう、と考えているという事だ。
正直言うとおかしい。例えば発展途上国で戦争や内戦に駆り出されているのは男児である。労働力としても男児は重宝されている。
つまり「大人=20歳を超えた男女」に男児が使われているわけなのだが、何故か先進国の世界観では「女性と女児」のエンパワメントが優先されているのである。
男児は圧倒的にパワーが無い存在にも関わらず、だ。少なくとも「女性と子供」と書けばいいものを、何故「男児」を省いたのか気になる。
本来書くべきは「女性と女児」ではなく「ジェンダーロールの犠牲者」を救うだろう。その構造は発展途上国であっても単純に男女によって上下で分けられるものではない。
例えば金持ちの家の妻や女児は、戦争やキツイ労働からまぬがれ、安全に生きる事が出来る。対して金の無い男は戦争やキツイ労働で命を落とす。
この場合優先すべきは男のエンパワメントであり、女性をディスエンパワーメントして外に引きずりだす事が必要なはずだ。
資本主義社会において、「労働こそが至上であり金こそが地位なのだ」と洗脳されてきたし、その理念がSDGsの根底にある。SDGsを唱えてるのも結局は資本家だ。
現実は資本を持ち働かずに暮らす「特権階級」こそが地位は上なのであるし、一般市民にとってはそれが社会通念だ。
なのに女性と女児を社会に引きずり出し「労働させる」という「ディスエンパワーメント」を「エンパワメント」と称し、
人として扱われない事、思ったように賃金が貰えない事を「女性差別」として訴え(ここまでは良いが)
社会人としての責務を放棄する事を主張する現代フェミズムのような『歪み』が生まれている。
結果的にそういった「責任を持たない女性」によって金は浪費され、「富の再生産」が起こらず階層が固定化してるのが現在の状況ではないだろうか。
これが発展途上国で行われば、適切な競争が起こらず発展もしない事が十分に予想される。
教育された女性は自国の男性を養うことはせず、裕福な外国に引き抜かれそこの金持ちと結婚し、働かずに暮らす。
女性に教育するなとは言わないが、富の再生産をし持続可能な発展を行う素質があるのは男児の方なのだ。まずは男児のエンパワメントが優先されるべきだ。以上。
傾向として女性は責任とる役職に就きたがらないし、仕事もがんばらないしな。なんか中途半端な状態がずっと続いて社会がジリ貧になっていくな。俺の人生もジリ貧だけど。リベラリ...