はてなキーワード: ケアとは
「宗教的なケア」って入れたかった勢力が、宗教的なって部分への反発をごまかそうとしたけど、ごまかし切れなかったって事では?
スピリチュアルって、単に「精神的な」って意味なのかも知れないけど、言葉が汚れてしまっていて、うさん臭さが半端ないから別の言い方の方がいい。「精神的なケア」ならそっちの方がいい。変なカタカタ使うな!と。
油ギッシュなデブとかそういうのを思い出す。
NHKのラジオ聴いてたら、専門家(?)が『スピリチュアルケア』について話をしていた。
「心の箱が開く」「これは箱が開いた人にしか分からない」などかなり胡散臭い内容。
これ、NHKで扱っていいテーマなんだろうか。ある意味放送事故なんじゃないだろうか。
【パターン①】
スピリチュアルケアは立派な科学。エセ科学扱いする自分が無知なだけ。
【パターン②】
スピリチュアルケアは科学だが、解説者は曲解してエセ科学に流用している。
【パターン③】
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うーん、どれなんだろう。
恋愛工学2.0を使いこなす真の強者が、「私がこうすることで喜ばぬ女はいなかった」とばかりに持論を開陳ちんしたNoteが、男女の憎悪渦巻くインターネットを一日で塗り替えたのです。
しかし、これを怪文書と片づけてしまっては、MeTooとは何だったのか。
ハメ撮り動画を秒速アウトプットでもしない限り、信憑性はないと突き放されてしまっては、MeTooとは何だったのか。
我々はMeTooなどというSNSで傷を舐めあうスラックティビズムで自己満足せず、粛々と証拠と裁判によって抵抗すべきだという、強い決意の表れともいえるでしょう。
庇護される存在でなく、弱い存在でもなく、一人の自立した人間として立ち向かう。インディペンデンス・デイ!
しかし悲しいかな、ちんぽ騎士団長を守る姫君たちはいくらでもいるのです。
ちんぽ騎士団長の生き様は、依然として多くの女性たちを惹きつけるのであります。
合わなかった女性より、自分を支持してくれる大切な女性たちに時間を使う。嫌われる勇気!
一方キモくて金のないオッサンはどうか。
存在するだけで信頼度が低下していくデバフスキルを遺憾なく発揮し、挨拶や存在すら加害と扱われ、
今日も明日も石の陰で蠢く昆虫のように這いずりまわる人生を送り、ケアを求めるな、一人で死ねと願われて止まない。
彼らが藁にも縋る思いでインターネットにかじりつき、人寂しさを紛らし、粛々と人生を消化しているその頃、
ちんぽ騎士団長は社会的な正しさでその名を馳せながら、姫君たちと楽しく暮らしているのであります。
天道、是か非か。
ない腕の痛みを訴えてても痛み止めは出しましょうってことが精神的なケアの充足なわけっしょ
腕ないんだから痛いわけないじゃんwwwとかいうから「ボクには腕があります」とか言い出すわけで
体が男なのに女なわけないじゃんwwwとかいわれたら「ボクは女性ですよ」って言うんでしょ
配慮は実際必要ないはずなんだけど配慮が必要だという「規定外の損益」が発生するわけで
性別自体に益とか損とかをつけていることをまず無くさないと配慮しなくても問題が発生しないようにはならいよね
パンティがおちてるけど、それ男性の?女性の?で意味が変わるって時点でもう性的な問題には
衣服とか消耗品とか食事や日用品で男女の差があるものがなくなれば配慮はいらなくなるし
その使用と身体への作用の有無や誤用についても自由意志が認められて他人の介入を許さず
他人の言動や行為が不快であれば自分の意味ない消費や誤用について紛争の解決を
依頼できる先があれば、配慮は必要ないし過失については相互に同じ定義に則り解決できるよね
適当に書いていたら長くなりすぎたので冒頭にまとめを書いておく
・皿うどんにしては麺が太すぎる。揚げて調理するには向かない太さだ。
・長時間揚げれば麺はかなり硬くなる。見た目で区別するのは困難と思わわれるので食べた児童や教員に落ち度はない。
・埼玉の学校で皿うどんを給食で提供するのは無謀だったのではないか?
長崎人の俺の感覚では揚げた皿うどんの麺とは細麺であり、皿うどんの細麺(通称パリパリ麺、炒麺(チャーメン)とも呼ぶ)は素麺の様に細い代物だ。
この太さだったら長崎でいう太麺(ちゃんぽん麺)の様に、揚げるのではなく炒めて調理すべき太さだ。
おそらく手間を減らす為に短時間だけ揚げて、炒めた麺と同じ様な食感にするという行程だったのだろうとは思う。
こういう時に温度が下がったので加熱して挽回しようとすると、油が適温になるまでに時間がかかってしまう。
揚げるという調理法は端的に言えば、加熱した油を利用して食材から水分を抜き取る調理法だ。
加熱時間が長ければ長いほど食材からはそれだけ水分が失われていく事になる。
切ったじゃがいもを高温で短時間揚げればフライドポテト、低温から揚げ始めて少しずつ加熱しつつ長時間揚げれば堅ポテト風フライドポテトという事だ。
堅ポテト風のフライドポテトならさほど問題ないだろうが、中華麺の様な食材の場合はかん水でコシが強くなっている事もあって非常に硬くなる。
なんで分かるかというと一度ちゃんぽん麺を揚げてうっかりカチカチにしてしまった経験があるからだ。
ワイヤーみたいな硬さと弾力になってしまい、とても食えたものではなかった(スープでふやかして無理やり食ったが)。
しかもパッと見た限りでは普段提供されている麺と区別がつかない可能性が高い。
焦げたりしていたならすぐ分かるだろうが揚げる温度を極端に高くしていない限り、色などは普段とさほど変わらなかったと思われる。
皿うどんは野菜などもたっぷり入った餡がかかるので、余計に見た目では気づきにくかっただろう。
「見て気づかなかったのか?」「児童や教員も不注意だった」といったニュアンスのブコメがあったが、児童や教員が食べる前に気づくのは難しかったと思う。
例えがローカルネタで申し訳ないが、よりより(麻花兒)を目隠した状態でクッキーだと言われて噛み砕こうとしたような状況だったのだろう。
そりゃあ歯が欠けてもおかしくないし、そんなものを食わされた児童や教員はただただ不幸だった。
児童にとっては給食や餡をかける麺料理がトラウマになってもおかしくない出来事なので、そういった面のケアもしっかりやって欲しいと思う。
そもそもなぜ埼玉の学校の給食に皿うどんを出す必要があったのか? という点も疑問が残る。
これが長崎だったら分かるのだ。
パリパリ麺がその辺のスーパーに行けば売ってあるくらいなので、業者に発注すれば給食に必要な量の麺も容易く(そして価格も比較的安く)確保できるだろう。
郷土料理なので食育がどうたらといった経緯で提供してもおかしくはない。
長崎の様にパリパリ麺を購入して済ませるという訳にはいかなかったのだろう。
なので調理担当者が自分達の手で麺を揚げなければならなかった。
そして朝日新聞の記事を読むに、どうも調理担当者は大量に麺を揚げる際に起こり得る状況(油の温度低下、長時間加熱による麺の硬化など)を想定していなかった様に思える。
この給食での皿うどんの提供は見切り発車に近いものだったのではないか? という気がしてならないのだ。
しかし試作品の段階では少量の麺を揚げただけであり、大鍋やフライヤーで大量の麺を揚げた経験はほとんど無かった、或いは皆無だったのではないだろうか。
長崎ではメニューに困った時のお手軽料理というポジションでもある皿うどんだが、それはごく一般的にパリパリ麺が市販されているからこそだ。
残り野菜と豚肉などの食材を適当に炒めて水溶き片栗粉でとろみをつけたら、パリパリ麺にぶっかけるだけなのでかなり楽なメニューなのだ。
これが自分で麺を揚げなければならないのであれば、そんな手間のかかる料理を頻繁に作るはずがない。
長崎の中華料理店だって自分の店でパリパリ麺を揚げる店は少数派で、基本的には製麺所から仕入れた物を使っている。
企画した人間が長崎出身みたいな事情があるのか、単に給食に飽きがこないよう変化をつける必要があったのかは分からない。
しかしリンガーハットの協力でもあるならともかく、埼玉で、さらには予算に制約もある給食で皿うどん提供するのはかなり無謀だったのではないだろうか。
まず社員数が数百もいるような受託開発会社でも羽振りが悪いことや、会社は掲げる企業理念や経営方針を実行しようとする姿勢はあるものの実態が伴わないことが見えてくる。
羽振りの悪さを感じているのはまず、この3年給料のベースが上がっていない点で実際のところ年 500 円から 1,000 円の昇給だ。
代わりにみなし残業代で一見よくみえるのが性質が悪い。ベースが上がらない限り賞与も上がってこないため不満だ。
評価を付けて待遇を上げることを一度してしまうと、下げることが難しい背景があるのだろうが、評価がついてこないので自分の仕事に自信や誇りが持てずにつまらない気持ちになってくる。
慰めの場面はあって上長面談の際にはきっと仕事ぶりを褒めてくれるだろう。これを真に受けてはいけない。
日本企業らしい評価制度のなかで数年前にスターエンジニア達10人以上が転職してしまった。金で飼うことができなかったとみている。このため最近では組織変更や社員のメンタルケアの目的で 1on1の実施がされ始めた。もちろん社員が不満を持ち始めると新卒価格で使える優秀な技術者を雇う意味で他社とのレースに負けてしまうからだろう。学生には社風や技術うんぬんで来てもらいたいと思ってもらわないと困るわけだから、社員のみなさんは目を輝かせていないとまずいわけです。自社の研究開発の仕事は存在しません、余裕がないのです。対外的な面で脚色されていて実際のところは人の金で技術開発をお手伝いさせてもらっているに過ぎないのです。
自社の技術を持たないのは自分の会社だけではありません、顧客でさえも自分たちの研究分野を理解していないことがあります。
彼らはまさに絵に描いた餅をもってきて、システム設計までの範疇のはずが、研究調査を私たちに依頼してきます。場合によってはアカデミックな領域を理解する必要がでてきますが、これを 400 万くらいの新卒にやらせるのですから、依頼する方もどうかと思いますし受託する方も詐欺師にも思えます。
女のように女に寄り添いもしない
マチズモから解放された結果、共感性も持たず甲斐性も失ったのが今の男性である
自分が書いたのかと思った。
同じくコロナ転職で条件は悪くない。リモート手当も出るし年収は上がった。
ただ少し背伸びした会社に入ってしまって、会社も経験浅いのわかってるはずなのに最小限のOJTで
放り出されたり、仕事がなくて放置されたり、メンターの機嫌で質問の答えは丁寧だったりなげやりだったり。
会社の人の顔はほとんどわからないし半年経つけど会社の全体像がつかめない。仲のいい人ももちろんいないし
今までは「今更追いかけてもなぁ…」と思っていたのだけど、シンエヴァにはアラフォーオタクも満足という感想を聞いて今更でも気になってきて、時間があったのもあり、新劇場版、TV版、旧劇場版と一気見した。
新劇場版は、今までみんなが言っていたネタの意味が分かったって感じ。
ミサトさんすげー、人類の運命決める作戦を判断してさらに14歳のメンタルケアもするとか自分だったら絶対やだ、とか思っちゃうのが歳とったなと思う。
TV版面白かった。テレビ版と新劇場版で途中から話が違ってることも知らなかった。
途中の映画じゃ飛ばされてる普通のアニメっぽい話も面白いし、最終話の「おめでとう」も(ここだけ大昔に見た事あったんだけど)今見ても面白い映像演出だし、突然抽象的哲学的になった訳じゃなくて、人類補完計画で人間同士の境界がなくなった状態を表してるって流れならなるほどと思った。
映画版だと全然出番ないじゃんと思ってたアスカもTV版だとちゃんと丁寧に描かれてる。
ただ、TV版の加持さんはちょっと気持ち悪かった。多分25年前なら許された男のマッチョ感が今みると気持ち悪いのだな。
あとみんな親子のつながりが強調されすぎるのも気持ち悪かった。
まどマギとかその後のアニメがエヴァに影響受けてああなったんだなぁと思うところも多々あって興味深かった。
今更でも観て損はなかった。
10代や20代前半に観ていたらまたもっと違うことを思っただろうし、時間をかけてアレコレと考察するのも楽しかっただろうな。でもこの歳で初見ってのもなかなかいい体験だったかも。
このままの勢いでシンエヴァを観たいような、逆に勿体ぶって寝かせてみたいような気持ち。エヴァファンはこんな気持ちを25年ずっと経験してたのか。いい人生だなぁ。
わかり手の感想ってこれか。
https://note.com/wakari_te/n/n0ba0c462e025
これが妥当なのかは映画観てないし分かんないけど、読んでて思ったのはあー俺は別に「他人の心が怖い」訳では全然無いんだなということ。俺もそういうところあると思いこんでたけど、これ見ると(そしてそれに合わせて昔見たエヴァを思い出すと)そうではないな。「優しくしてもらいたいけど怖くて近寄れない」みたいなメンタリティ全然無いもんなあ。
それより俺はやっぱり「他人に興味がない」んだなあ。別に社会生活はやるし家族をケアしたりとかはまあやるし同僚や友人には純粋に親切心から心を砕くんだけど、自分から追っかけてまでやろうとは思わないんだよなあ。追っかけずとも手の届く範囲にいればいくらでも手助けするよって感じ。見返りのあるなしはあんまり興味ない。
エヴァってなんか根本的にピンと来ないなと思ってたけど、そういうことだったのか。あれは他人に興味ありまくりで依存心に溢れた(けどうまくやれない)、俺と正反対みたいな人間の話だったんだな。
まあ冷食だと少なめに出して「もっと」ってなったら解凍したらいいし別に虐待ではないだろ
ローソンで刻んだゆでオクラとかあるの繊維がすくなくて子供にも食べやすいし
そもそも発達障害には味覚過敏とか触覚過敏が併発していて食べられないものがおおい。
まあ見かけ上単なる偏食だけど、今どきは小学校の給食でもお残しは許されるし、
特に食材としてどうしても食べられない苦手なものは「食物アレルギー気味」として届け出をだしておけばいい。
ただ食が細いということで、総合ビタミン剤がないとのちのち貧血とか面倒な問題が起きがち。
あとはカロリーとれる程度になにか食べていればいい。
血糖値ハンマーにならないふりかけ玄米おにぎりとか用意しとくといいぞ。
少食の子は便秘になりやすいが玄米・麦ごはんで繊維を主食に足すとけっこう出やすくなる。
そのうち親が食ってるもんのほうがうまそうだとおもったら手を出してくる。
まあコロナだから会いに行けないんだろうけど、実際のところとんでいきたいだろう。
実家の母(子供からみて祖母)がいろいろ保険とか手続きするのにもだまされないようついていてあげたいだろう。
治療方針どうしますかといわれてもぐぐる習慣のない年代だと選ぶに選べなくて困っているだろう。
そこしっかり余裕をもってラインででもはなしあわせないと、
あとで遺産とか発生したときに話がよけいにこじれて本当に育児放棄か別居になる流れだなぁと。
そもそも実家にwifiがなけりゃぐぐるもラインもなにもできないしそこから手伝いが必要なのかもしれんよな。
まあ当事者お子さん→ママ→パパ→増田(一応発達障害に詳しいというふれこみ)→オレという伝言ゲームだから実際のところ子供だのママだのがどうかんじとるのか次第かなと思うんやけど
トイレ内での正しい行動って、子供の頃に親から教わって以来、アップデートされていない人が多すぎるんよね。
便器メーカーの継続した研究開発によって新しいエビデンスが集まって、正しいお尻ケアの仕方も年々改善されていっているのに、
学習機会に恵まれない人達は、何も変えようとしない。そもそも、知ることができない。
学校が教えるべきことは、その時代の最先端の常識と、それ以上に、社会に出てから学習機会をどうやって確保するか?
だと思う。
学び方さえ知っていれば、いつでも、最新の知識を学ぶことができるのだ。
たとえそれが、トイレ後のお尻の拭き方であったとしても
稀にアプリを開く度に承認が得られるので、コメントしていない日も開いてしまう。
お気に入りも全部読んでトップにげんなりした後もまた開いてしまうときは、通知の履歴を見る。うれしい。もっと遡れればいいのに。
関係ないけれど検索結果や個別ユーザのブクマ一覧を見ていると、よくわからんタイミングでリフレッシュされて 1 ページ目相当の位置に戻されるのつらい。
さらに関係ないけれど URL の正規表現を Web 版と同じにしてくれ…仕様も教えず決めずインターンシップでとりあえずこういうの作ってーって大した指示も出さず作ってもらってレビューもせずにリリースしたみたいなクオリティなんだよね全体的に。最悪アプリは諦めるからインターンのケアはちゃんとしてくれ。妄想だけど。
当たり前だけども当事者になるのと報道されているのを見るのとは全然違った。
事件被害者になるということは、ただただマイナスのことしかなく、失うものがすごく多いということがよくわかった。
この情勢になって誰かに話しを直接聞いてもらえることもなかなか難しいので、余計辛い。
家族に話せばいいと思われるかもしれないが、ただでさえ心配かけているのに「死にたい」なんてとても言えない。
死にたいが死ぬわけにはいけないので、仕事はやらなくてはならない(というか稼がなければならない)。
こちらはただの被害者なのに会社に正直に話したら仕事を干されてしまった。
今後迷惑をかける可能性もあるだろうと思って正直に話をしたが、失敗だったかもしれない。
もし従業員が被害に会って、その報告を受け、その従業員を大切に思うのならどうしたいかきちんと話を聞いてあげて欲しい。
休ませたほうがいいだろう、仕事を減らしてあげたほうがいいだろうと勝手に判断して仕事を取り上げるようなことはしないほうが良いと思う。
もちろん会社にとって重要な仕事を任せていたら、難しい判断をしなければいけないこともあるとは思う。(本業とは別に個人事業もやってるので少しはわかる)
ただその場合は(嘘でも)「あなたのことが大事だから、そのような判断をした」ということが伝えわらないと、(なにかあってもこの会社は助けてくれないんだな)と思われてしまうと思う。
ある事件被害者は迷惑がかかるから退職を申し出たところ、「(事件に立ち向かうには)働いているということが重要だ」と強く引き止められたらしい。
会社はカウンセラーではないので、従業員のプライベートのケアまでする必要はないようにも思うが、被害者の心をより傷つけるようなことはしないで欲しい。
あと家族も被害者がどんな心理状態にあるのか考えて行動してあげて欲しい。
被害者は自己評価が地に落ちている(少なくとも私は)ので、ちょっとした言動で酷く傷ついてしまう。
薄氷の上にいるような状態なので、あとで後悔をするようなことがないように。
たぶん家族や会社が事件被害者にどのように接すればいいかは、インターネット上や本が出ている気がするのでまずはそれを読んでみるのがいいんじゃないかなと思います。
報道されるような事件の被害者になったひとは想像を絶する目にあっていると思う。
自分が被害にあった事件は大したものではないのにも関わらずこんなに死にたくなるのに、ちゃんと生きてて本当に尊敬する。
最初はただ事件にあったことに呆然としたというか恐怖しか感じていなかったが、小さなことだけれども二次被害にもあって、加害者への憎悪が湧いている。
こちらは死にたくなっているのにのうのうと生きてるなんて許せない。
吐き出せばちょっとは気持ちが薄れるかなと思いましたが、やっぱりまだ死にたいです。
いままで少しづつ積み上げてきたものが他者によって簡単に壊されてしまうなんて想像もしていませんでしたが、まずは「死なない」という選択を毎日し続けて、時間が解決することを願っています。
事件被害者でなくても、こんな情勢で死にたいと思っているひとはやっぱり増えていると思うので、死ぬ前に(繋がりにくいらしいけど)いのちの電話でも増田でも「死にたい」と吐き出して欲しいと思って書きました。