はてなキーワード: アウトプットとは
こういう話が盛り上がる様は知性の堕落だ。きのこたけのこ論争や犬派猫派なんかと同じだ。一見ファイティングポーズを取っているようでいて、その内実は当たり障りのないどうでもいい事だ。みな「そんなの勝手でしょ」で消化できることが暗に分かっているから、空気を読んで安易にノってしまう。そんなぬるま湯に浸かる姿勢は、はてな匿名ダイアリーを愚弄している。もっと人間の心の闇、ネットの闇に切り込む鮮烈な一閃のようなエントリを書くべく、みなが知恵熱を出すべきだ。角が立つような物言いもするだろう。そのための匿名なのだ。その思想を茶化してスカしてみせるような、日和ったネタ、短文のイチャモン、それらは存在してもいいがメインになるべき器ではない。
増田は遊びではない。仕事につかれた人間が息抜きにやるしょうもない作業ゲーの如きものに成り果ててはならない。試行錯誤を繰り返し最適パターンを見いだし、体に刻みこむような、そんな本格的ゲームのように、どっしり腰を据えて、マジになって、世の中や人間に対して、怒りや憎しみや不満を大いにぶちまけてほしい。別に議論にしなくていい。建設的でなくてもいい。狭窄で偏屈な主張でいいから、ただただ本気の筆致を感じる文章を読みたいし、書きたい。少なくとも自分にとって、心に残った増田はすべて本気の熱を感じるものだった。
この論にべつに共感してくれなくてもいい。どうせこのエントリはブクマもトラバも0だ。あってせいぜい「キモっ」だ。そもそも長文で、しかもトラバである時点でまともに読まない人間が多いだろう。暇を持て余したニートが何かほざいてる、とでも察されて、「触れちゃいけない人」感を全員が感じ取り、協調するように何事も起きないままネットの海に埋もれていくのだ。そういう孤立的な状態や無反応を極度に恐れる空気があるから、くだらなくても何か盛り上がるネタや、他人をひっかけるレス乞食のような物言いをする人ばかりになっていく。そして自分の尖った体系的な意見を表に出せる人が極端に少なくなる。言えてせいぜい、感情的な短文の罵倒だ。twitterを想像してもらうといい。これが現代のコミュニケーションの病理であり、他愛無い話がぐんぐん伸びて幅を利かせる理由だ。たまに飛び出る長文ブログがやたらと炎上する理由でもある。だからあえて今ここで、孤独に醜態を晒す。「空気を読まない」を実践する。そんな訓練ができる場が、ここなのだ。
実際この論がかなり偏屈で、他人に無茶を求めていることは自覚している。けれど、世の中にあふれる偏屈を見て見ぬふりして、なあなあにしていると、気づくと自分も何らかの偏屈な思想を一部取り込んでいるものだ。そしてそれに無自覚でいる人が多くなると、ついにはヒトラーやトランプ氏のようなポピュリストの主張が支配的になるような事態に結びつく。だから自分の中の偏屈の種をさらけ出し、また他人がひり出した偏屈の種に向き合って、大真面目に思いを馳せ、「我がふりなおす」時間が大切なのだ。実は、そんな意識は誰しも持っている。誰もが日常のなかで他人の偏った主義主張に触れ、無意識のうちにメタな視点を持っている。だから、他人の考え方につっかかって、自分の中で醸成されたバランス感覚を披露したくなる欲求は常にあるのだ。
元増田も、そういう欲求から生まれたものだ。けれど、下手だ。欲求の発散のさせ方が下手。いや、逆に上手すぎる、適応しすぎているのか。当たり障りなく、適当に手短に欲求を発散させ、かつ反応を引き出しやすいやり方を心得ている。それでもやはり、欲求を満たす機会と時間を、こんなチャチなテーマで消費してしまうのは実にもったいない。「いいや、どんなテーマでも大真面目に普遍化して思考訓練の材料にすることは可能だ」という向きもあろう。でもエビ嫌いdisとカキ嫌いageというテーマで本気になれる人がどれだけいるだろう。それを配慮すると、やはり最初からハードコアな話題を振ったほうが良い。でも大仰なことを書こうとするほど、言い出しっぺにかかる期待と責任は増していく。ここが難しいところだ。本気の増田が求められるほどに束縛感が増して、萎縮を招く。でもある程度そういう風でいいと思うのだ。緊張感が大事だ。
不愉快な正論やご大層な暴論の刃をぶつけあう、殺伐とした場になれるポテンシャルがある。2chよりも。それが増田だ。増田には半匿名のtwitterに馴染めなかった人の受け皿としての側面があるのも分かるが、せっかくダイアリーという形で長文が書けるのだから、たまにはあなたにもこういうクソみたいな長文を書いてほしい。この文章のように、推敲もされておらず、同じことを言い続けた挙句言い逃げする時間泥棒のような文章で構わない。私は読んであげないけどね。
やはりというか最後の2センテンスが理解されなかったようなので、ロックじゃないけど言っておく。文章の中段で書いたように、他人に反応してもらうためではなく、まず自分のために書いてほしいんだ。だから、読者への配慮すらも気にせず、拙い文章でもがむしゃらに書いてほしい。私は読んであげないというのはツンデレのようなもので、誰かに読まれることを期待するような媚びた精神を振り払うための呪文だ。内なる情動から湧いてくる言葉をガーッと綴るときに、自分がどう思われるか、誰に読んでもらえるか、なんて視点は一旦置いておかねばならん。エクスキューズやポリティカル・コレクトネスを脇における機動性が匿名の良さなんだから。それこそ、真意を伝えるためには自分が憎まれるような言い方だってできる。それが、最後の皮肉の意味だ。
「改行くらいしないか」と言われているので前々から思っていたことを書く。増田における改行はpタグの挿入を意味する。つまりパラグラフを区切りたい時に改行するのが正しい。二言三言の簡潔な文章のエントリなら1センテンスごとに改行…という名の段落分けしたほうが見やすいだろうが、このくらいの長文になるとパラグラフごとに改行すべきだ。個別ページでみれば、ちゃんとパラグラフごとに字下げと適切なマージンが取られているのが分かる。これなら一般の書籍と似たスタイルで、読みにくいとは思わないはずだ。ただ、トラバの吊り下げリストを展開した表示だと字下げもマージンも取られずに見づらくなる。それは承知しているが、それははてな側の問題であって、HTML上妥当な書き方をしておいたほうがベターだし保守性もいいだろうという判断でこうしている。だから現状、トラバが長文だと思ったら個別ページを開いて読んでもらうのがいい。
「最後はうんこ漏らした話で締めるのが美学」? それは、このエントリで表現を変えながら主張してきた内容に反する。本当に読まれたのだろうか。まあそれに憤る気はない。私の技量の問題でもあり、読み手にとって巡りあう時ではない文章だったという事もあろう。いずれにしろ主張は変わらない。そうやって読者受けを狙って媚びたおちゃらけで締める事こそ、惰弱な精神の象徴。そういう内輪ノリみたいな軟派なコミュニケーション欲求を排して、最初から最後まで舌鋒鋭く自分の言葉で斬りつける。それが私の思う美学だ。ブコメに応えている時点でそれも揺らいでいるが、コミュニケーションを第一目的とするわけではないからあえてidコールもしていない。書くことで自分を研ぎ澄ませるのが目的だから、本来は「伝わらなかった」ことに苦慮する必要もないのだ。ならローカルのメモ帳でいいという批判もあるだろう。だが、あえて直接的に反応を見ない等と決めていても、自分の残したミームの一部がどこかに化学反応を起こしたら、と考えるとワクワクするだろう。それを物書きの動機付けにする程度なら、良いことだと思う。
なぜそこまでコミュニケーションを、他人の反応を忌避するのかと思うかもしれない。その理由は、効率が悪いからだ。ネット上の他人は年齢も育ちも見識も人格もあまりにも多様すぎて、その差異をカバーすることに労力を使っているとアウトプットの量も質も落ちるからだ。とかく我々は、相手も自分と同じような能力や規範を持っていると勘違いしやすい。だからいちいち説教して回りたくなるものだが、その欲求のために個別に相手をしていたらすぐに人生を使いきってしまう。だから、言いたいことがあったら、このエントリで述べてきたように、増田を利用した放言スタイルで重量級のをカマしてみてはどうか、という話だ。
ある時、うちのチームに来た人が超絶仕事ができなかった
コミュニケーションをとっていても、その時はわかりましたと言ってても、でてきたものがズレる。
念のためにその場で復唱させても、目の前でメモとらせても、ズレる。
それでもその人を育てようと、これまで何人も育成しているエースをつけて毎日MTGもして、
細かくめちゃくちゃ要件がズレにくくして、細部にまで指示しても普通の人より圧倒的に遅い。
しかもその人のためのドキュメント作成などの「翻訳」に他の人の工数も使うのでめちゃくちゃ時間がかかる。
ドキュメントもっと細かく作ればとか言われるかもしれないが、他の人たち(十数人のチーム)がそれがなくてもできてるのに、
最終的に周りの時間も使いすぎたので、結局半年で離任してもらった。
コミュニケーションのとれなすぎさから見て、何かしらの発達がうまくいってないのでは、と今でも疑っている。
こんなに仕事ができない人は、いったい何を糧に生きていくんだろう、と思った。
その後、その人ができなかった仕事を引き継いでやってて、ちょっとしたTipsを検索してたら、
あんなに時間かけて育てようとしていた間、業務時間中にいっぱい投稿してたみたい。
あれだけもとめた要件のアウトプットはでなかったのに、技術系のTipsを投稿しまくってたみたい。
(もっとも、この投稿がなくても一般的なレベルの成果は出せなかったと思うけど)
少数なのだが、細かいTipsをいっぱい投稿してくれるその人を称賛している人がいて、僕はもにょった。
けど、彼はこうした少数の称賛を糧にして、生きていたのかもしれないな。
女なので回答してもいいでしょうか。
個人的には、私は男が自殺率高いのは男性のコミュニケーション能力の問題だと思ってる。
男にはない。(当たり前だが傾向ね)
介護する側の性差ではっきりとプロの介護サービスへの援助の利用率が違うこと。
介護する人が男だと相談せずに抱え込み耐えきれずに暴力に起こす率が高いこと。
うつ病などでメンタルクリニックを利用するのはほとんど女性であること。
男児を持つ母親のほうが女児の母親より平均寿命が短くなる実証研究があること(息子は娘より親に対して酷いかららしい)。
姉妹を一家にもつと家庭内の会話が増えて良好な家庭になりやすいという研究結果があること。
なんかだ。これらは前述を示唆するに足るだろう。
また最近女性の方が就活などで優秀な方がおおいってのも、この自己主張できる点が男性より傾向としてあるということだと思う。
コミュニケーション能力って様々な観点があって、全てにおいて女性がというわけでもない。
でもインプット、アプトプットの局面の、アウトプットへの躊躇のなさは男性よりあるだろう。
これを自尊心がないとか、他者への迷惑を考えない甘えと見る節もあるだろう。
でも自分はある程度の自己主張も大人としてするべきものだと思う。
もちろん限度はあると思うが。
「就職活動で内定を3つ獲得できなければ、大学院の受験を認めない」というものだ。
https://twitter.com/yuichirookuda/status/324168188290011138
奥田ゼミでは、大学院受験に挑戦するには、就職活動で最低内定を3つ取ることを条件としている。
実際、大学院でやっていくためには、最低限、そのくらいの実力は要ると思う。
就活生の名前でググる人事担当者のために、ゼミ生の氏名を列挙しておこう。
赤城 史哉
今井 淳太
平田 恵介
毛 薇壹
西澤 有加
梁 奕良
天野 航成
黒崎 諒也
上條 渉
須藤 美幸
PATRICIA FELIPE
(フェリペ パトリシア)
(2017/7/29)
なお、事実誤認がありましたら、須藤さんのように、私が観測できるように意思表明をしてください。
事実ではないというエビデンスをご用意いただければ記事を訂正させていただきます。
2年前にお名前を挙げさせていただいた、黒崎 諒也さんの近況についても記しておきます。
facebookによりますと、黒崎さんは2019年1月に共愛学園前橋国際大学を中退されたようです。
大学院受験を理由として卒論指導を放棄したために卒業できなくなった可能性があります。
奥田雄一郎教授は自分の業務であるはずの卒論指導を放棄し、学生を退学に追い込んだ可能性があります。
あくまでも推測ですが。
お久しぶりです。
とことん、異性恐怖症再発するかもしれない。
対人恐怖というより、なんなんでしょう。
なんか、必修来ないくせにラウンジでデカい態度取ってるやつ、腹が立つというか、親の顔見てみてぇわ。
どう言う神経してんねん。
#続お年玉
「円」と「縁」。
・
・
という野心に使いたいです。
・
・
Yusaku Maezawa (MZ) 前澤 友作
· 1月19日
【抽選に外れた方へ①】
応募条件はこちらのツイートにリプライする形で、ハッシュタグ #続お年玉 をつけて、あなたの「100万円の使い道」を書いていただくことです。〆切は1/23 23:59まで。リプの内容を見て独断と偏見で当選者を選ばせていただきます。
このスレッドを表示
お久しぶりです。
ちょっと訳あって転職を考えていて準備中なのだけど、職務経歴書自体は前から定期的に準備してあるので、それ自体が問題では無いのだが。
色々経験が増えてきて、逆に情報のアウトプットのカットが面倒くさいなという感じになってきた。
いわゆる3つの領域、つまり職場の地域(国や地域単位)、職種、業種の内、若い内はこの3つを変えることも出来る。しかし今の自分では、一つ変えられれば御の字という所。この内どうしても変えたいのは、業種なのだ。
さてそれはいいとして、業種を変えるとなるとそれに沿ったストーリーを書く必要があり、自分の経験のネタからどれを引っ張りだして見せようかな-と思っていて昨日から考えたまま筆が止まっている感じ。
以前は、背伸びした成果マックスの職務経歴書一本でいけたのだけど、もうよくも悪くもそうは言っていられないようで、嬉しくもあり、ちょっと面倒でもあり。という所。
修論に行き詰まってる。というか、修論に向き合えないでいる。何とかして書かなきゃいけないんだけど、やったことを文章にする作業が嫌で嫌でたまらなく、執筆が進まない。あと一週間もないのに20%くらいしかできていない。目標は30ページ。とにかくアウトプットしなきゃいけない。アウトプットしないと手直しもしてもらえないんだ。クソみたいな文章でいいからとにかくなんか出さなきゃいけない。なのに、ネットサーフィンしたりケータイをいじったりしてしまう。我に返りワードを開く。しばらく唸って、図表をいじったりして、ため息。またケータイをいじりだしてしまう。他の用事ほっといて、何をするにもまずは修論やっつけてから、と頭で考えてはいるのに、結局向き合えなくてネットしたりスマホゲームしたりしちゃうから、他の用事は何もできない。もはやただのネットとゲームしてるだけの屑。
甘えだ、とわかっている。どこかでまだどうにかなると思ってしまってるんだろう。性格に問題があると思う。直したいと思っている。こつこつと計画性をもって進め、なんでも早めに終わらせる人がうらやましい、そういう人になりたい。でも嫌なことから逃げて他のことに目が行ってしまう。ネットがなくても部屋の片づけ始めたり、音楽聞き始めたり、なんかしらだらだらと先延ばしにしてしまう。この性格を直したい。
http://anond.hatelabo.jp/20160121124538
「意識」ってのは「動的な状態のアウトプット」なんだから、そもそも保存されえない。
つまり問題設定自体があまり適切では無く、その問をするなら、より根本的でこの問を含む本質的な問として
この問に対してなら
「「時間が経過すれば意識は別物」であり「意識が継続しているのは一種の錯覚」」
とするのが基本的な答え。
「そうは言っても主観的に重要なのはその「継続している」という錯覚が生じるかどうか、でしょ?」
「自分とまったく同じ細胞、遺伝子、構成する原子までをコピーした肉体」に生じる意識は
生まれた瞬間は全く同じ意識と言っていい。(そして1プランク秒後には別々の意識になる)
ある意味一つの意識が2つに分裂するわけだが、そうなっていけない理由は特にない。
同様に「死亡してしまった人間の脳を全く同じにコピーして、別の肉体で蘇生させたとしたら」
という問への答えも、主観的にはそれは「自分そのものが継続している」と考えて差し支え無い。
「そんなのは主観的にはどうあれ違う人間でしょ」というのもごもっともだが、
http://anond.hatelabo.jp/20160119012905
俺は院卒でも無いし、大学も大したことない。スキルも資格もない。
共通点としては同じ発達障害ってところ。俺はADHDの診断持ち。
「学生の頃はそれなりに勉強が出来ても、社会に出て周りの理解がなくなって、
「隠さないで、理解してもらえる職場を探す支援を受けましょう」
自分が普通だと思い込んでた頃には、もう戻れないことを痛感するわ。
どれだけ注意してても、毎日トラブルだらけで頭が狂いそうになる。
まあ生まれつき狂ってるんだけどさ。
学生時代は発達障害でも、毎日何か必ず前に進んでいたから良かったんだよ。
橋渡し役として付け加えるたり組み合わせることが役割だと思っていたワケ。
文系学部生なんて、大昔の理論をただ口に放り込むので精一杯だけど、
ムシャムシャしてたら食べた気になるじゃん。
いざ、会社に入ったら、理解とか覚えるとかそれ以前のことができなくて笑えた。
その回答の優先度を考えてるときに掛かってきた問い合わせの電話に応対、要望をメモして電話を切る。
電話を切ったところに、オフィスにいる別のヤツから口頭で雑用を頼まれる。
ではまず、何から始めければならないのか。優先度をつける。
こういう、他の人が当たり前に出来るはずのことがもう全くできない。
笑えるくらいできない。慣れや知識の問題じゃない。
優先度をつける前にひとつひとつの対応の中に、びっしりと不注意が詰まってる。
この繰り返し。最近は口と頭が一致せず、前よりさらに意味不明な言葉を喋るようになった。
やろうとしたことを何度も何度も忘れる。
いっそ、両手両足が無ければ、分かりやすく配慮してもらえるのに。
でもだからと言って、頭おかしい人のためのマークやバッチはつけたくない。
実際に両手両足がない人は俺なんかよりはるかに上手く人生を生きている。
結局は甘えなのかな。