はてなキーワード: ごろごろとは
尻と背もたれの間にできる小さい隙間に老描がやってきて、
そのうちに猫は眠くなって小さい感触の4本の脚で
人の尻をぐいぐい押して広いスペースで眠ろうとしてすごくかわいい
ぎゅうぎゅう狭いのもかわいそうだな、と思ってもうほとんど人間の方は
座ってるなんて言えないレベルでただ引っかかってるだけの椅子から立とうとすると
はっとして起きてここに座ってろとばかりにわおーんと声あげて人の事怒ってくる
座るとまたごろごろ喉鳴らしてもうほんとおまえすごくかわいいなーおじいさんなのに
もう18年もおなじことやってるなんて信じられないなあ
あとどのくらいこういうやりとりができるかなって思う
できればそういうこと考えたくないけど考えないとな
同人誌の。
いや無理だよね?
こちとらほぼニートのたまに在宅仕事してる程度だけどそれでも仕事が立て続けに来ると原稿どころじゃなくなる。
体力尽きてすぐめまいや熱でぶっ倒れる。
家にいるのにこれ。
生きるのでギリギリ精一杯。
ご飯食べるとかお風呂入る、みたいなことですら危うくなる。もちろんそれ以上のことは何も考えられない。
何のために生きてるのかということさて考えられなくなる。
同人作家のほとんどは週5で普通に働いてて、家に帰ってから原稿をしてる。
本当にすごい。
寝てる?寝てない?寝てないよね?
寝てないのに動けるのがすごい。
本当に超人だと思う。
仕事をしながらも創作意欲やモチベを保ち続けて、漫画(または小説)を描く才能があって、仕事終わりに原稿をする体力があって、イベントに参加する気力がある超人のみが社会人兼業同人作家としてやっていける。
すっごいレアだわ、そんなん。
みんな化け物に見える。
すごい。
別にこれといった確証みたいなのは無いけど。あぁ、でもきっと降りるってこういうことなんだろうなぁ。私は最近それをゆるゆると実感している。あ、なんだこんなに呆気ないものなんだ。と思うと同時、こんなにも好きな気持ちを引きずるものなんだ。なんて、驚きと未練。いや、この気持ちを未練と呼んだら彼にかわいそうだ。私はきっとこれからも、この先も多分神山くんのことが好きだと思う。
素敵な人を所謂担当に持てたなと思っている。今でも。最初はどっちかというと、んん、ちょっと無いなって思ってた。なんていうの、インスピレーションというよりももっと単純な所謂第一印象。最初なんて軽く重岡くんから入っていったからね。そのまま重岡担になってたらどうなってたんだろう。今の一文を書くまで考えたことがなかった。けれども可能性は十分あったと思う。昔人に話したことがあった。私が神山くんを好きになったのはわりと確率としては低いもので。ありとあらゆる平行な世界線の中でも数少ない一本だと。友達、何言ってんの?って顔してた。うん、私もそう思う。でもそうなんだ。好きになった可能性を言葉に当てはめるとこうしかない。数ある世界線のうちの、一番可能性の低いものだと。
所謂自担くんがもう一人いるんだけど、その人はきっとわりとどの世界線でも好きになってたと思う。顔が好きだし。え〜!なんで今日もこんなに顔がかわいい?!っていつもおもってる。対する神山くんの顔は、綺麗だし、かわいいなーって思うけどめちゃくちゃ好き?って問われたら。んー…って濁すと思うなぁ。あ、でも世界で二番目に好きな顔がリバーフェニックス。顔の輪郭だけならちょっと似てる?……いや、似てないか。まぁそんなこんなで私はまずこの人の顔は好きになれないなって初めて見た時思った。
思ったんだけど!!!!いやー、人生何があるか分からない。だってさ、そう思った数ヶ月後ジャニショで写真買ってシングルの予約してるんだよ。神山くんが好きだからって。好きになる前までの少クラカットしてなくて良かったって自分に感謝した。
重岡くんの昔からのシンメって知って。(オタクあるあるシンメに弱い)ダンス見て、アクロバット見て、歌聞いて。その他諸々知って。あ、この人のこと愛さなきゃなって。
楽しかったなぁ。神山担してた時。だいたい二年くらい?そんなんでこんなの書くなってツッコミ絶対あるだろうけど。これは初めて降りるという概念を肌で感じた一人の人間のメモです。好きになったらすぐおっきな舞台の仕事来て。えっ、脚本あのクドカン?!大手劇団?!座長生田斗真?!そんな中で演技するん?!夜中に見てビックリしてその後ベッドでごろごろ喜んだ。次の日寝不足だった。でも嬉しくて。その日の午後くらいにはチケット取れるか不安だったけど。ほんと〜にチケット取れるか不安だった。最初の方の抽選ことごとく落ちて。神頼みしてたのに。もう今後チケットが当たりますようにって神棚には頼まないことにした。これ見に行けないのでは??と項垂れてたらとりあえず一般取れて。やったー!って思ってたら大阪追加公演当たった。え、自分大阪公演行くの???とか思ってたら友達から急にLINEきて神ちゃんの舞台いける?って。行けるよー大丈夫!って返したら友達がチケット余らせてるんだけどって話で、行きます!ってもうすぐに言った。あの時の現在は濵田くん担の方ありがとうございます。話は前後するんだけど、神山くんを好きになったばかりの頃。ちょうどしんどいな〜って思う時期で。基本的に寝たら忘れるあぱー!みたいなタイプなんだけど、その時はまぁ今考えると病んでるみたいな感じで。家でも耳にイヤホン突っ込んで話し掛けないでみたいな雰囲気出して。後に母親から精神科連れてこうかと思ってたとか言われたりして。これ笑い話。でも神山くんも頑張ってるからと思うと自分もなんとかしようって。理想とは違う今だけどあの時自分なりになんとかしようと動いてこの生活があって。わりと人生楽しいから悔いはそこまでないよ。そうさせてくれた神山くんには頭が上がらないなぁ。いつも動画漁って、こんなに頑張ってるんだと考えると自分も。とか思っちゃうよね。で、話を戻して舞台の話なんだけど。三劇場で見れて。神山くんがどんどん成長していくのが見れて良かった〜!!いつも公演終わる毎にもう胸いっぱいで。掌痒くなるくらいに拍手してた毎回。この人のこと好きで良かったなぁとつくづく感じた。こんなにこの人のこと好きで良かったなぁと考えたの初めてだよ。
神山くんのこと好きになれて本当に良かった。ダンスが上手くて歌が上手くてアクロバットが出来て。料理も出来るし、メンバーに優しいって言われるし、挙げだしたらキリないよ。器用だから。器用貧乏みたいに言われることもあった。うるせー!!不器用より器用の方がいいだろ!!って。好きだなぁと思わせてくれることをいっぱい出来るし持ってる神山くんが好きだ。きっとこれからも好きだと思う。
でも、多分降りる、きっと。神山くんのことが好きだ。これまでもこれからも。これを読んだ誰かがそれは好きじゃないと考えればそれはそれで別に構わないけれど。でも私は声を大にして言いたい。神山くんのことが、これまでもこれからもきっと好き。
追い掛けるって言うのかな。それが出来なくなった。DVDやCDを買わなくなった。一応稼いではいる身なのでオタクとして最低限の費用は出そうと考えてオタクやってる。CDは全種類買う、Blu-rayは特典が被らない限りは初回も通常も買う。でも出来なくなった。お金が無かったわけでもないけれど。でも買わなくなった。ちゃんと見るかな。見ないなら買わない方がマシでは?と考えてしまい買わなくなった。シングルは、言ったら怒られるだろうけど音楽性がなんて言うか、買いたいなって思えなかったものが続いた。
グループは限りなく一本に近い平行線の集まりだ。自論。その線の集まりから抜け出すにはグループから抜ける他は方法が無い。個人担の人すごいなって思う。自分は絶対に自担を見る時にその後ろにいるグループも見るから。それらを全部引っくるめて飲み込んで咀嚼して。そしてようやく好きかどうか言える。グループが嫌いになったわけではない。神山くんが愛しているグループが好きだ。忘年会やろうって言って神山くんの家へ集まった。そんなグループが好きだ。でも、それだけでは私の心は追い掛けようという気持ちになれなかった。グループがやりたい方向性を肌で感じて、ようやくその人が好きでじゃあ追い掛けようとする私だから。
正月明け早々横浜アリーナに行った。westivalを見に。地元が笑えるくらいの悪天候でこれ間に合うかな?とか若干心配してたけど余裕で間に合った。ペンライトの電池忘れてたけど。(三十分前に思い出した)時間になって七人が出てきて。神山くんかわいいな〜!って思ってた。ちょうどバクステ側のアリーナだった。センターじゃないよ。バクステ側の席が好きだ。ちょうど構成が分かりやすく見えるから。おまけに横アリで言うアリーナだったので万々歳。自チケはその公演のみで、でもやっぱりまだ行きたいなって思ったら別の公演のチケット探そうって思ってた。探さなかった。
あぁ、多分もう合わないんだろうなぁ。って公演の途中から肌で感じてしまった。文句というより、不一致。それが文句だろうと誰かが言うのなら文句で良いです。私の中では不一致だけどね。彼らがやりたくてやろうとしていること。それが今の私には些か合わなかった。ううん、些かじゃないんだろうなぁ。七割くらい合わなかった。びっくりした。コンサートでこんなこと思うんだ!って。入ったことに関しては後悔ないよ。だって神山くんかわいいしかっこよかったし。でも、いつものかわいい!かっこいい!よりも盛り上がらなかった。それは好きな人が私とは合わないなと思うことをしていたからだ。何処がどういう風に。と明確に返すのは難しいけれど。兎にも角にも、少なくとも私はこういう演出や魅せ方を見たいわけではなかった。グループの否定ではない。むしろ彼らが本当にやりたいことの答えがwestivalであるのなら。それを貫き通してほしい。貫くと言っても改良を重ねて。本人達にとって、より良いものになることを祈りたい。でも私には残念ながら合ってなかった。悲しかった。腹立たしかった。どうしてそうなの?って。なんでこんなに私の感性は捻じ曲がってるの?って。自分も見たものも、どちらにも納得は出来なかった。でも私一人なんかの我儘。そもそも本人たちの耳にまず届かないであろう声。それが万が一聞こえたとして。それだけで自分たちの信念を曲げないでほしい。絶対に。自分たちがしたいことをして、そしてファンを楽しませる。それが私の中のアイドルの理想の一つであって。あの日、後ろにいたまだ若い(高校生くらいかな?)女の子たち。楽しそうだったなぁ。ドラゴンドッグ歌うって時に、え、ヤバイヤバイ!みたいな。ヤバイの連呼で内心出川哲朗になってるよ><ってちょっと笑った。パラチャーの前の映像でめちゃくちゃキャーキャー言ってて。若いなぁ、楽しそうだなぁって。すっごい大きな声出してて。でも全然辛くなさそうで。むしろ楽しそうで。あぁ、彼らにこういう女の子たちのファンがいて良かったなとつくづく感じた。そしてあまり盛り上がれなかった自分。惨めだ。
それから電車乗りながら考えて。チケットは探さないこと。それと、多分もうコンサートは行かないだろうなぁ。なんて結論が出た。自分が合わないなぁと思うものの中でアイドルをする神山くん。どんな彼も好きではあるけど、応援し続けたいかと問われたら素直に首を縦には触れない。神山くんが、それらを自分のやりたいこととするなら口出しなんて出来るわけない。むしろ頑張れって言うよ。でもそれを追い掛けることは多分出来ない。残念ながらそこまで感性が豊かでないというか。神山くんをひたすら純粋に素敵と思う前に色んな邪念を持つだろうから。色々なものも買わなくなったし、ここら辺が潮時なんだろうなと。ぼんやり。帰り道、だんだんと地元に近付く景色を見ながら考えていた。
でもやっぱり神山くんのことは好きだ。彼の何がすごいかって、見る度に好きだなぁと思わせてくれる所。すごくない?見る度に私この人のこと好き!好きで良かった!と思えてしまうの。そんなアイドル、きっとなかなかいないよ。みんな心の何処かで大好きな人に対して多かれ少なかれ受け入れない部分がある。そりゃあ神山くんにそれが無いとは言い切れないけど。でも姿を見て、歌ったり踊ったりする姿を見ると好き!って感じてしまうのだ。好きって気持ちはサイコー。サイコーだけど、でももう応援することはしない。私が理想のしない神山くんの理想の中でアイドルとして彼は生きていくから。残念ながら私はその齟齬を飲み込めるほど心が広くない。もうファンでなくなってしまうなと同時に考えた。
それからちょっと楽になった。もう追い掛けないと決めたら、その前まで番組を見逃したりしてファンとしてどうなのと思ってたけどそれが無くなって。気持ちが軽くなった気がする。CDやDVDを買わない後ろめたさから解放された気がした。見たい時に見て、見たくない時は見ない。それだけでかなり楽になった。ちなみに今まで買ったものはまだ売りません。無意識のうちに楽じゃない好きを持ち続けないといけないって考えていたことに気付く。でも今は楽だ。もう降りるから。
ここまでつらつら書いたけど。もー文章支離滅裂でびっくり。担降りブログ書く人、よくもまぁあんな端的に且つおもしろく書けるよね。ジャニオタは文豪。一理ある。とりあえずは九月の舞台を見て。ちょうど九月がFCの更新時期だから。このまま更新せずに。そうしていずれメールが来なくなることを思い描いている。でも舞台には行く。一回くらい行きたいって思った。好きだから。最初に肉眼で神山くんを見たいのが舞台だから。それで舞台は見たいと思ったんだろうなぁ。チケットは本当にドンのケツって感じの一番後ろの一番値段が優しい席。そこで好き!とはなる。きっと。けれど、じゃあまた追い掛けよう!とはならない。気がする。どうなるか分からないけどね。でもとりあえずは舞台見て。神山くん好きだなぁとしみじみ思いながら降りる。でも好きだよ。これまでもこれからも。
神山くん担してて楽しかった。ラキセはギリギリ行けなくて。次のなうぇすと入ったらドラマと被って髪が黒かった。もしかしなくとも黒髪の神山くんを肉眼で見れてしまう?案の定そうで。本人は黒は子供っぽく見られるからと言うけど、私は黒も大好きだよ。茶色も、金も、たっくさん他の色も。そう、なうぇすとでさ、トランペット吹いてたじゃん。一応音楽齧ってて、そんな自分の耳で聞いた神山くんのトランペットの音はもうとびきり柔らかくて優しくて。ちょっと荒削りなところがあって。こんな優しい音を出せる人が好きなんだ。そう考えると誇らしかった。自担すごいでしょ、って。あと先陣切って花道歩いてたのもかっこよかったなぁ。あとタオル落とした人に対して落としたタオル拾って、汗拭ってから返してた。返された人、崩れ落ちて。あと頭にリボン付けてたのもかわいかった。ええやんけェ!だ。私が珍しく振り付け覚えたやつ。あと、あと、そう。七人で並んだ時ね、重岡くんと神山くんが隣で。前の曲の余韻でちょっかい出す重岡くんを神山くんが柔らかく笑いながら、ちょんっと押し飛ばしたの。それがもう二人の世界で。見ちゃったな、なんて気分になって。それと同時に胸がきゅうっとして、見れてしまったことが幸せだった。神山くんを好きになるきっかけ(?)である重岡くん。神山くんに対して普段ちょっと遠慮がち(?)なのに。ああいう時には二人だけの世界になっちゃってさ。見てて幸せだったよ、ありがとう。
あとドラマ。日曜日、楽しみだった。同じクールで他に好きな人もドラマ出てて。今年の冬終わらないでって三月に入ってからずっと願ってた。こぐちゃんかわいかったよ。特別目立つわけではないかもしれない。でもちゃんと存在感があって。この子はどんなキャラクターなんだろ?って視聴者に印象付けするのが得意な人だなと思った。全話通してかわいかった。だから偉い人お願い、円盤出して。今からでも遅くないよ。それは買うから。ここで言わずに手紙書こうね自分。
他にも色々と書きたいことあるだろうけど。とりあえずは浮かばないからここまで。これまでもこれからも、きっと神山くんのことが好き。そうでいたいな。そしてこれは単なる我儘だけど、見るたびに好きと思える神山くんがずっと続きますように。
あと遅くなったけど誕生日おめでとう!
2017.7.15
でもこれは問題提起とか解決してほしい問題として投げるのではなく、私の心の中のもやもやを吐き出すため、そして誰にも聞かれることなく消える独り言ではなく、誰かに聞かれる可能性のあるネットの海への投稿として吐き捨てたくて書いているので既出だとかはひとまず置いておきましょう
生きる意味が見いだせない。でも死ぬのは手間がかかるから仕方なく生きている。
生命保険がかかっているので後2年は生きるけれどそれ以降何をモチベーションとして生きるか決めていない。決めていないので現状2年生きるのに最低限必要なラインでしか頑張れない。それ以上生きることになったとき苦労したくはないが、生きるかどうかもわからない時間のために努力できるほどできた人間でなかった。
こんな生とは死とはとか考える時間があったらまず何かしら行動したほうが百倍マシというのは頭では分かっています。でも趣味なんです。露出狂みたいなものです。タイトルと冒頭数行で時間を無駄にすると確信した方はブラウザバックしたほうが良いです。この記事に意味はありません。
有り難いことに悪くはない人生を送らせてもらえたと思います。それでも積極的に生きる意味がわからない、そして積極的に生きる意味が無ければ生きるための努力をしたくないと思っている。しかし積極的に死ぬのは面倒なので、今のところ消極的に生きている。
これの問題は生きてるだけで迷惑という点です。積極的に生きていないので、生産性が低い。生きるためのタスクがあり、しばしばそれはチームプレイになる。その時私のパフォーマンスは低い。締切ギリギリにしか手を付けない、準備期間があってもサボる。
他に頑張りたいことがあるなら(他人に迷惑をかけるという点でアレかもしれないのですが)まだマシだというのが私の評価です。でも私には頑張りたいことが無い。それなのにしない。私が足を引っ張っている。生きてるだけで赤字です。即刻操業停止すべきです。
他の人にもこれ(消極的に生きているのは無駄だから今すぐ操業停止しろさもなくば生きがいを探せ)を適用するわけではありません。多分。してないはず。他人に迷惑をかけるのはどうなのと思うし、何とかしたほうが周りとしても助かるよねと思うけど、その人のための解決策は人生の操業停止じゃないです。過激すぎる。
でも私は解決策を探すためにまずは生きる意味を求めるのでそれが見つかるまでは操業停止路線で行きます。私は意外と頑固なようです。
Twitterでよく「生きる意味 ない」「死ぬ 面倒」などで検索するのも趣味の一つなのですが、多分、何で生きているのかなぁと、ライトな感じで思考しているであろう人も見かけます。私もライトに考えてます。
手首を切ることはしていません。相談室に電話をかけたこともありません。人生が嫌で嫌でたまらなくて、という方には遠く及ばない、何なら贅沢(「辛い境遇」でも無いのに「大切な命」を捨てようとするなんて)とも言えそうな考えです。
私も本気で富士の樹海に行きたいとか言っているわけではなく、生きることに理由を求めてしまう、面倒なバグにこだわってしまってるだけだと思います。周りの人が優しい(/甘い)ので「あなたにとって生きる意味は何ですか」と言う問を酒の席で投げると本気であれ軽い感じであれ返してくださるのですが、そんなものなくても生きるという人がいます。社会に対して何かしら功績を残して/貢献をしてからでないと死ねないという人もいます。何であれ、理由がなくても生きれる人たちです。なぜ生きるのかを問うて答えが出なかったとしても生きるために頑張れるのが、私の理想とする人間でした。そういう人間として生きる中で、生きる積極的な意味を見つけるのが小中高で夢見た人間でした。無理でした。
私は私の嫌なことが嫌いです。やりたくない。逃げたい。逃げ方として社会的に死ぬだとか、人生操業停止するだとかも選択肢としてあがることでしょう、この先。多分。そうした分岐点でいちいち生きるか死ぬかから考えるのはコスパが悪い。時間の無駄。そういうのは趣味としてやる方がいい。
ですので、分岐点で生きるに自動的に行けるように、仮でも人生の意味を作り、自己暗示し、思い込み、それのために頑張るのが目下の目標です。最低限2年は生きないといけないけれど、その後も生きて、できれば私に投資された分くらいは回収したいから。
権威に流されたい。規律に縛られたい。これを信じれば正解だという唯一の答えがほしい。
小中高までは楽でした。勉強さえして、テストの数字が良ければ、私には価値がある。私には生きている意味がある。と思い込めていた。(実際にはスポーツや芸術等その他の分野で創造するのもすごいことです。更にテストの点を、学校の試験レベルの中途半端さで追求したところで、それは手段(知識を得て、そこから何かを生み出したり発見したり研究したりする)が目的に完璧にすり替わってるのでどうなのって感じです。)
現実社会はケースバイケースで、その時時のベストはあっても導き方はそれぞれでしょうし、ベストは誰が決めるのかという話ですし、ベストを求めるよりベターを求めるべきときもありますし、一筋縄じゃ行かない。そして人生のテンプレートが無い。(昔はあったかもしれませんが、今の社会で実現可能な「中流階級」(平均値ではなく中央値的な……)のテンプレートってありますか? 何歳で結婚何歳で貯蓄何万みたいな)更に人生のテンプレートに私が魅力を感じて、この幻想に人生を賭けたいとなるかわからない。
権威に従い人生脳死プレイな人間は今の時代求められてないことは知ってます。もしくはヤバイ案件に関わらせていざとなったら切り捨てられる人員か。組織の一員であっても自分で考え行動する創造力ある人がほしいんでしょうね、すみません。
就活という、来年以降自分の身分が定まらない今の状況が嫌です。来年以降の身分を自分の責任で選択しないといけないのも嫌です。私の能力と性格を何とかして判断して勝手に職場配置してほしい。そういう経済圏に移住しておけば良かった(そう簡単に国籍変えられるかわからないんですが)
私が頑張るべきフィールドとやることを示してもらえれば頑張るので、という気持ち。
何とかして生きて、何とかしてどこでもいいから職場さえ決まれば、そこで何とか頑張れそうな気がします。そのために今頑張る理由を何とかつくりだして自分を洗脳できれば少なくとも数カ月は生きられるはずです。
そんなことをうだうだと考えながら、保険証裏のドナーの1.に丸をつけました。
人生を閉店するための仕事が面倒なので、無気力に(しかし娯楽は享受し)生きています。積極的に生きるために職を見つける、職を見つけるためにやる気を出す方法を見つけるのが今後の人生の方針です。せめて生きる後2年は、他人に迷惑をかけないように生きることだけは最低限頑張ります。もうすぐ深夜2時。夜ふかしをしない理想の大人に私はなることができませんでした。
以上
このお話について、個人的な意見を述べたいと思う。こうしてブログに書くのは初めてなので、文章ぐちゃぐちゃだったら申し訳ないです。
このお話は、確かに犯罪を肯定してしまうような面は無くはないけど、それは犯罪をテーマに扱う物語では多少あっても仕方ないのかな、とは思う。名作と言われる物語にそれが無いとは言えないし。キモチワルイと思う人も居るだろうし、好きな人もいるだろう。それは個人の好みの問題だと思う。
私はこの話を読んで、
「これ、専業主婦願望の話じゃない?」
と思った。
もちろん、専業主婦が家庭内で監禁されている云々といいたいのではない。
この話を肯定する若い女の子たちのなかには、「専業主婦願望」が潜んでいるのではないかな、と思ったのだ。
ざっくり説明すると、以下のようになる。
①ストーカーされるくらい愛される
愛や結婚というものが絶対的でなくなってしまった今、女の子たちは「自分を盲目的に愛している存在」を「ストーカーして、攫ってくれる兄さん」に重ねているのではないだろうか。
②今の状況への不安、そしてここから抜け出したいといううっすらとした願望。これは所謂「シンデレラストーリー」と似たようなものだ。ずっと不遇な状況下でいる「私」に「魔法使い」が現れ王子様と結婚する、成り上がりの物語だ。
本当のシンデレラストーリーと少し違うのは、「自分では何も努力しないで」というところだろうか。
「誘拐」に努力は必要ない。「ここから救い出して」「攫って」くれる「王子様」の物語をこの作品に見ているのではないだろうか。
主人公の女の子は虐待され、さらに誘拐されるという絶対的な被害者である。この「被害者であること」はとても強い。被害者は加害者を組み敷くことが可能である。どんなに相手を責めようとも、言葉で罵倒しようとも、(ある程度までは)物理的に傷つけようとも「被害を受けた」ことには変わりがない。その上、相手は「罪の意識」が存在するため、半永久的に上に立てる。
ドラマなどで加害者が土下座する中被害者やその遺族が相手を罵倒したり殴ったりする「当たり前の」シーンを見たことがあるだろう。
④専業主婦になりたいけどなれない
今の日本社会、共働きが当たり前専業主婦なぞ夢の夢というのは若い子にも痛いほどわかっている。働きたくない、ごろごろして生きていきたい。という願望は男女問わず誰しも持っているものだと思う。
しかし、それを口にすることは許されない。「働きたくない」と言おうものなら様々な方面から正論で殴られることは必至である。たとえそれが本心でなく、願望であれ、だ。
これらの①〜④が結びついたのが「幸色のワンルーム」ではないかと思う。
自分は何一つ努力しないまま、攫ってくれる「誰か」が現れて盲目的に愛してくれる。相手は加害者であるので、(言動に出るかはさて置いて、気持ちの問題として)こちらが圧倒的に優位である。そして、監禁されるというシュチュエーションにより、外に出ることができない(=働かなくていい)。
言い方は悪いが、「現実的な」なろうにある異世界モノのようだと私は思う。
異世界に行き、「無双する」ことで現実世界では叶えられないチート願望を叶える。
その「なろう」の構造をそのまま現実世界に持ち込むことはできないので、「犯罪」を持ち込み男女間の立場の不均衡という現実味を加えることで「働かない」願望を成立させる。
この物語を愛好する人たちの一部の意識にこの構造が潜んでいるのではないだろうか?と私は思った。
彼らはこんな「誘拐され」「監禁され」、自分がただただ被害者になるような状況でしか「専業主婦」である願望を叶えることができない、と考えているとしたならば。
犯罪者」と「被害者」の不均衡の上にしか成り立たない関係に「真実の愛」と「自分の願望が叶うこと」を見ているとするならば、これほど悲しいことはあるだろうか?
彼らは社会に失望し、人間に絶望していると言えないだろうか。そうだとしたら、とてもつらいと思う。
最後に。
もちろんこの考察はふと思い至って書き付けただけの与太である。この考え方が真だとは露ほども思わないし、『幸色のワンルーム』をいいな、と思う人たちはこんな怠惰な人間だ!と非難するつもりもない。(というか、誰にでもある願望だと思う)
ただ、ほんの少しでも「この話を持て囃す人たちの意味がわからない」と思う人たちへの助けになればな、程度の書き散らしである。