はてなキーワード: いつまでもとは
一流料理人がチェーン店のメニューを評価する番組がまたもや炎上してるみたいだけど、いい加減こういう視聴者の不快感を煽ることで話題を作る番組には規制を入れて欲しいと思っている。
人は皆普段愛用しているものを貶されたら不快な気持ちになる。この番組はこれまでも複数回炎上をしているわけで、この「一流料理人がチェーン店を貶す」という構造は視聴者を不快にさせるというのがテレビ局側も分かりきっているはず。
それなのにいつまでも番組を続けているのは、テレビ局側が「視聴者の心を傷付けたとしても話題になるならOK」という判断をしているってことであり、最早これは故意の暴行なのではないかと思う。
不快なコンテンツを繰り返し流して心理的なダメージを負ったとしてテレビ局を集団訴訟してやりたいんだけど、なんかいいやり方ないのかな。
もちろん質の高い編集をすればそれだけコストがかかるのはわかる。
「時間があればもっと短い文章を書くのだが」という言葉あるように長さと短さや量の過多は必ずしもコストに比例しないものだ。
しかし、だからといってタイパが求められる世の中で今までと同じものを作り続けることが正しいのだろうか?
理想的にはコンパクトに編集された動画と従来どおりの動画を両方詰め合わせたものがベストだと思う。
尺の短いタイパ編集されたもので興味をそそられたお客さんが長いバージョンもチェックするというカタチだ。
こういった構成はAVだけではなく他のコンテンツにも求められているのかもしれない。
アニメなんかでも旧態依然としたテレビ枠向けの30分アニメなんかをいつまでも量産している時代なんだろうか?
今ままでは考えられなかったような大胆な編集をほどこしたものをプレビューとして提示し(プレビューと言ってもきちんと結末まで描く)、そこで強い興味を喚起して本来の長さがあるバージョンへと誘導するのだ。
配信などでコンパクトに編集したバージョンを無料で流して(きちんとストーリーはわかるように結末まできちんと描く)興味があったら有料版も見ませんか?という流れにするのだ。
そういったコンテンツが出てきてもいい頃だ。
ブクマで、ドイツ戦のabema解説に感心して本田圭佑を監督にという声がチラホラ出ていた。
本田は、残念ながら既に「実質的な監督」はやっている。カンボジア代表のU23世代でヘッドコーチ(だけど実質監督っぽいこと)をやっていて、ついこの間も、日本の代表U23チームと試合もしていたりする。https://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2022/09/21/kiji/20220921s00002014125000c.html
「実質的な監督」というのは、彼は代表監督をやる指導者ライセンスを持っていないから、監督を名乗れないのだ。カンボジアはサッカーどころじゃない時期が長かった国でこれから発展してきだろう国で、今のところはまだまだなチームだ。サッカーのナショナルチームが簡単には強くならないのは私たちも良く知っている。
サッカーでは、Jリーグの監督、日本代表監督になるにはS級ライセンスというものが必要になる。これはJFAの親玉、FIFAが「そういう風に整備しなさい」と決めたルールで、日本とアジア(AFCの管轄する国々)では、統一の指導者ライセンス(S、A、B、C、Dなど)の種類に応じ就ける仕事が分けられている。小学生チームの指導ならC~D級以上、スクール運営や高校生・ユースの指導はB級以上、JリーグトップチームのコーチはA級以上とか、そういう感じ(とても雑な説明ですまん)。
つまり本田は早くS級ライセンスを取らないといつまでも監督にはなれない。
一方で、彼はこういうことをつい先日呟いていたりもする。
日本サッカー協会はプロの指導者ライセンスを残しつつ、ライセンスがなくても誰でも監督になれるようにするべき。どの指導者と契約するかは経営者の責任。
これは一理はあるが二里は断固としてない。
若年層の指導者ライセンスをもっと厳しくしてほしいのは超同意なのだが、プロのライセンスのハードルを下げる必要なんて一つもない。これは邪推でしかないが、本田自身がライセンスを取得してないからというポジショントークだろう。
ちなみにB級ライセンスは「将来指導者になってもいいかなぁ…」と思ってる現役選手が取れる程度。A、Sは片手間では難しいようで、特にS級は指導者留学などの必要があってそれほど簡単ではないらしいが、前園や城も持ってる。明治大学の監督はじめ主要競合大学の監督、コーチも持ってたりする。プロ選手経験がなくても持っている人もたくさんいるし、一方で、プロ経験やプロでの実績が大きい選手は優遇措置もできているhttps://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2021/11/06/kiji/20211106s00002000071000c.html。
本当に日本サッカーに貢献してもらうには、本田は一刻も早くS級ライセンスを取るべきだと増田は思っている。
Jリーグでは近年また、お雇い外国人監督のプチブームが起きている。DAZNの放映が始まって「世界もJを見る」ようになったから、というのもあるし、シティフットボールという世界的サッカー経営集団がJクラブ(横浜Fマリノス)の経営に関わり始めたから、などの理由もあると思うが、とにかく日本は今、まともな指導者不足が深刻なのだ。おまけにパワハラ問題でライセンス停止になる指導者が出たり、彼らが一定のみそぎ期間で戻ってきてしまうという若干困った状況になっている。クラブにしてみたら、若干指導がパワハラだろうが少ない人件費で残留できれば御の字…と思うのだろうな、などと邪推したりするが、こういうことが起きてしまう理由の一つには、指導者の質的・量的な不足によるものが小さくないのではと増田は思っている。というかむしろ、「質のいいS級監督」が居ない問題である。
頭数だけならそれなりに居るのだ。S級ライセンスを持っている人は500人近くはいる。
そして、彼らの仕事先を考えた時、Jクラブは57、WEリーグ合わせても70弱。更に、J参入を狙ってるクラブや、ユースセレクションに漏れた選手の受け皿になってる高校や大学の指導者なども、本当はよりレベルの高い指導者がいるべき…と考えると、全く足りない、全然足りない。本田も一刻も早くS級ライセンスを取るべきだと思うのだ。
S級ライセンス取得の勉強している人にちらりと聞くと欧州や南米から指導者を招聘したりこちらが留学したりとかなり国際的かつ先進的なことも学べる、人脈もできる、あと合宿とかもあるらしい。「S級ライセンス合宿同期」みたいな概念もあるようで楽しそうだ。本田も一刻も早くS級ライセンス取るべき、楽しそうなんだし。
本田は一刻も早く、ちゃんとS級取るべきだと思っている理由にはもう一つあって、彼は実はあまり指導者やクラブには恵まれていないのではないか、という危惧だ。
Jリーグでは名古屋でキャリアスタートしルーキーイヤーから活躍していたが、低迷~監督途中交代という「プロクラブの指導」という意味ではあまり良い状況ではなかった。その後オランダ、ロシアでは「戦術ホンダ」という、ある意味彼にってはそれなりに幸福な選手キャリアだっただろうが、やはり「プロクラブのトップレベルの指導」環境があったかというと厳しいものがあったと思う。ミランでは、まぁ特にいうべきことは無い。ミランにとっても彼にとっても「お金」以上の価値を双方にもたらしはしなかっただろうと推察する。ひょっとしたら、星稜高校時代の恩師が一番の「彼にとっての指導者」なのかもしれない。
代表では、というと、反町※、岡田、ザッケローニ※、ハリルホジッチ※、西野※、あたりが彼を主に招集していたわけだが、※のついた監督下で彼は監督への何らかの不満を述べている。※が付いてない岡田ジャパン2010の時は、まぁ突然の戦術変更で主役に躍り出たわけで文句を付けるどころか小躍りしただろうと思うので、要するに、どちらかといえばオレサマが主役になれない監督の下では暴れる方の選手だった。それで代表戦の大舞台では結果を出してきたのだから大したものだ。
だが、「彼が出してきた結果」を、誰かに出させなきゃいけないのが監督の仕事だ。本田は本当に独学でそれができるだろうか。できるかもしれないけど、できないかもしれない。
学べる場が用意されているのに学ばない理由が一体どこにあるのだろう。
・選手としても、監督としても結果を出すとか一体どんな生き物なんだろう…(グアルディオラ、ジダンなど)
・選手として傑出していたからといって指導者として大成するわけではないよなぁ…(自粛)
・選手として傑出してたが、こんなタイプの指導者になって大成するとはなぁ(ユルゲン・クロップなど)
・選手の経験が(ほぼ)なくてもこんなに指導者として結果が出せるもんだなぁ(ザッケローニ、モウリーニョ)
・解説はあんなに面白くてわかりやすいし選手時代も凄かったのに、なぜ(自粛)
・解説はなんだかもごもごしてるけど指導者としては腕が立つなぁ(自粛)
などと、「選手としてのキャリア」「指導者としてのキャリア」「解説者の腕」って、ほんとーに、相関しないよなぁ…としみじみ思う者でもある。
どうか本田には一刻も早く、S級ライセンス取得に向けて動いてほしいと願っている。それで結果出して、稀代の名監督になってワールドカップ優勝に導いてくれるっつーんなら、心から応援するし祝福するんだけどねぇ…
心が強くないと続かない
プロジェクトっていうのは色んな環境、色んな事情、色んな会社のステージ、色んなジャンル、色んな開発手法、色んな組織や文化
があって、それら全部に適応できるスーパーエンジニアなんて地頭がガチでいい一部の人間でしかない
だから当然だけど何年もやってきたプロパーに比べてパートナーの適応力が劣るのは当たり前なんだ
どこの組織でもそうだった
正社員の方が上手くプロジェクトをこなし、フリーランスは怒られないように薄ら笑いをするのだ
でも話してみると明らかにフリーランスの方がスキルや経験値は上なんだ
おそらく2,3年やればまた違うんだろう
という上記のようなことをフリーランスは知ってるけど各会社の人は知らない
上手く扱ってるところは2割程度
プロジェクト数が沢山あるところや受託開発ではあまりこれが起きない、自社開発ではかなり起きる
ベンチャーでは起きづらい、大企業ほど起きる(特に大企業は優秀な正社員が沢山いるから)
とは言えこれは仕方がない、おそらく転職経験が1,2回であろう正社員は、そういう「他社と自社のプロジェクトの差」について驚くほど疎い
自分らの設計や開発手法が正解に最も近く、他社もそうやっているはずで、それを知らない人は無知で不勉強だとマジで信じている
だから設計や開発手法の説明もさらっとしか行われない、常識だと思ってるから
(実際はどこに行っても同じプロジェクトは一つとしてない)
経験値の高いフリーランスは何でも経験しているとマジで信じている
(実際はアーキテクチャやコア部分、コンプラに関わる部分、管理的業務などは疎かったりする)
周りのフリーランスは偉いのか疲れてるのか分からないが反抗的な人は少ない
「他のプロジェクトではこうだ」みたいなことは極力言わず大体素直に従っている
死んだ魚のようなやつが居たら大体外注だ
活きがいいのは大体プロパーの人だ
フリーランスは心が強くなきゃならない
あるいは長く居座れば良いのかもしれないが、それってフリーで居る意味がないよね
ちなみにそういう外注敵視してたり、要求レベルが無駄に高くてすぐクビにするようなところほど募集を多くかけている
要は地雷なんだけど、マッチングアプリでいつまでも残ってるやつみたいな
運が悪いと残り物が全部地雷だったりする
やはり心を強くする以外にないのだ
そして最終的に薄ら笑いを浮かべる
https://twitter.com/mizloq/status/1594608637208850434
https://twitter.com/mizloq/status/1594554415045742592
WJSの調査をまとめ直しただけなのだけれど、こういう視覚化が珍しかったのか、たくさんの反応ありがとうございました。
https://pbs.twimg.com/media/FiEvYdVacAIZ4Rg?format=jpg&name=medium
あの表から読み取っていただけることはいくつもある中で、表を作ってTwitterに投稿した者として是非注目していただきたかった点は次のとおり。
この点はあとで少し詳しく書きます。
「いま国民的議論の対象とするべきものはこれだ」「次の政権はこの論点で選ぶべきだ」を提示するのがマスメディアのしごとだ、ということですよね。この項目が上位に来るのは、世界67カ国調査をざっと見たところ、日本と韓国だけです。韓国マスメディアについては詳しくないので触れませんが、日本のマスメディアについては、その発祥と発展の経緯がこれに大きく関わっていると思われます。
萬朝報が中心となって1901年に「理想団」が結成されて以降の日本のマスメディアは、社会主義的な思想をベースに、自分たちの役割を
と任じ、そうやって自らが牽引して作った「世論」にマッチした政治が政府によって実施されるかどうかを「監視」していました。したがって、政府がその世論に従わなければ反政府反権力的な言論を展開しましたが、政府が世論どおりに運営されれば権力と一体化して少数意見を封殺する言論展開を躊躇いませんでした。その尻尾がまだ残っているんだなあと、個人的にわりと感動したところです(褒めてません)。
アジェンダ設定のような能動的行為は「客観的観察者であること」を大きく損ねますから、それをジャーナリズムの重要な役割とすることには拒絶ないし躊躇があるのが当然でしょう。日本以外のすべての国で「政治的アジェンダを設定すること」への重要度認識が低いのはそのためです。
この「人々が意見を表明できるようにする」の原文は "Let people express their views” なので、「人々の意見を表明するツールとして自分たちのメディアを使わせる」というニュアンスも含まれます。世論を醸成し政策アジェンダ設定が重要と考えているくせに、いや、だからこそかもしれませんが、実際の「人々」の意見を汲み上げて報じることにはあまり重要性を感じていないわけです。120年前と同じように、「自分たちが良いと思う世論を作る」という意識なのだとすれば、そうでないさまざまな意見の表明はあまり好まないのも不思議ではありませんね。
「政治リーダーの監視と精査」 「時事問題の分析の提供」 「人々の政治的決定に必要な情報の提供」については、それらへの重要度認識が高いこと単体に違和感はないし、しっかり頑張っていただきたいものですが、「事実をありのままに伝える」「客観的観察者」などを差し置いてそれ以上に重要と感じていることには強い嫌悪を覚えます。
特に、「政策アジェンダを設定するのは自分たちの重要な仕事」とこれら3点がセットになっているのを見ると、吐き気すら催します。
全部に対応するのは無理ですが、いくつか類型化して主な反応にお答えしてみます。
はい。「お国柄はあるものの」と書いているとおり、この回答には各国それぞれのジャーナリズムの歴史がほんのりと現れていて興味深いものです。大雑把に言うと、
という感じでしょうか。
それでも日本を敢えて「異様」と書いている理由は、この調査で「事実をありのままに伝える」トップにならないことの異常性です。
この項目は、ジャーナリズムを体系的に学んだ者なら誰でも気づく、他の約20の項目とは完全に異質の質問です。他の項目は「お国柄が出ますね」で済むけれど、この項目だけは別格です。
いわば、「あなたはジャーナリストとして最も基本的な動作を正しく重要視していますか?」とほぼ同じ意味の項目です。
と問うような質問なのです。
「勝つことだけが重要ではない」「ほかにも大切なことがある」という選手はいるでしょうけれど、「勝つことの重要性はあまり高くない」と答える選手はかなり少ないでしょう。そう答える選手が1/3も存在するチームを応援する気にはならないし、スポンサーになる気にもトトを買う気にもならないですよね。ほかにどんなに重要と思うことがあったとしても、実際に勝てないとしても、プロスポーツ選手である以上は「勝つことは大切」と思っていて欲しいじゃないですか。
まともなジャーナリズム教育を受けた人であれば誰でも、「事実をありのままに伝えることはジャーナリズムがジャーナリズムであるための最も重要な要件」と学びます。
別の言い方で「ファクトとオピニオンを明確に区別せよ」とも言います。
たとえば、40年ほど前に私が専攻していたジャーナリズムの学科はジャーナリズム研究と並行してジャーナリスト実務者養成の要素が強く、1年間ずっと報道文の宿題を提出して「この表現は客観的でない」「ここはファクトにオピニオンが混じっているからオピニオンを削れ。さもなくば明確に分けろ」と重箱の隅をつつかれ再提出させられ続けるという地獄のような講義がありました。
そういった養成訓練を受けた人なら、あとからどんな思想的政治的干渉を受けたとしても「事実をありのままに伝えることはジャーナリストの最も重要な仕事」という考えが覆ることはまずありません。だから、中露ですらこの項目はトップになるのです。
「日本人にアンケートを答えさせると5段階の5をめったにつけないから・・・」という擁護も来ましたが、今回の表は4と5を合わせて集計したものですからその影響は小さく、現にたとえば「政治リーダーを監視精査する」は堂々90%を超えていますから、その考慮は必要ないでしょう。ていうかそもそも、仮にそうだったとしてもほとんど条件反射で「5」と回答して欲しい質問なわけですよこの項目は。日本のジャーナリストの1/3が、建前としてすらも「極めて重要/とても重要』と答えない。これは嘘吐きかどうかとはぜんぜん別の「恐怖」です。
そういう思いから、日本のジャーナリズムを「異様」と書きました。
それは情報の誤読です。「事実をありのままに伝える」を重要と思っている度合いの相対的に弱い人が35%いるというだけです。その人たちが日常的に嘘を書いているというわけでもないし、逆に、重要と思っている人が嘘を書かないというわけでもありません。
・・・まあそうは言っても、たとえば「自分が伝えたいことや自分の設定したいアジェンダにとって都合の悪い事実があったときの行動」は違うだろうと容易に想像できますから、信用問題ではありますね。
それは情報の誤読です。この調査は「あなたは事実をありのままに伝えていますか」ではないので、ご希望の数値はここには表示されません。
さきほどのプロスポーツ選手の喩えでいうと「勝つことが重要だ」と言いつつ練習もサボり試合にもボロ負けする選手ですね。「勝つことが重要だ」という建前すら言わないで練習をサボりボロ負けする選手よりはずっとマシだと、私は思います。まあ感じ方次第ですけど。
これは別のデータ等をもとに別に議論されるべきでしょう。もし感覚だけで言うなら、私はそうは感じていません。日本のジャーナリストには「ファクト」と「オピニオン」を厳密に分ける教育も訓練も不十分な人が多く、そのせいか、「ファクトのように読める部分にオピニオンが混じり込んでいる」というフェイクニュースではないけれどフェイクニュースよりもたちの悪い報道が多数見られます。
現状の「原因」としては大きいと思います。ただ、読者や視聴者と異なりジャーナリストはそれを職業とする人々であり、現状への「責任」を同列に語るのは適切でないと考えています。原因と責任は別物です。
ぜんぶ来ましたw どれも当たっていてどれも間違っているんだと思います。
これらの評価(罵倒)を言ってしまうのは、ご自分たちの考えと合致した世論を喚起し政策アジェンダを設定していく役割、もっとあからさまに言うと、ご自分たちにとって都合の良い機関紙としての役割をジャーナリズムに求めているからです。ジャーナリズムは本来そのようなものではありません。「事実をありのままに伝える」を重視して「客観的観察者」の実践を続け「政策アジェンダを設定する」から遠ざかっていけば、ジャーナリズムがそういう評価の対象になること自体がもっと減るだろうと考えています。
私もそう思います。世界の一般的なジャーナリストにとって「報道の自由度が低い」とは「事実をありのままに伝えることや自由な表現を阻まれる」を意味します。日本のジャーナリストは世界の一般的なジャーナリストと異なり、自分たちによる政治アジェンダ設定や世論形成を重要視している度合いが強いので、それを言いっぱなしにさせてくれず邪魔されたり反論されたりそのとおりに世論が形成されなかったりするのを「報道の自由度の低さ」と勘違いしていると思います。
これはいろんな考え方があるでしょうが、私は、「事実をありのままに伝える」というジャーナリズムというものの普遍的な存在意義にかかわる話は、法律等の要請やメディア運営指針に過ぎない「政治的中立性」と同列に語ることは全くできないと思っています。また、たとえば日本のマスメディアがよくやる両論併記は政治的中立性の名のもとに行われますが、科学的知見に基づくコンセンサスと大きく異なる異端論をいつまでもいつまでも書き続けるような形で現れることが少なくなく、「政治的中立性」はあまり褒められたものではないと思います。
https://twitter.com/mizloq/status/1594608637208850434
https://twitter.com/mizloq/status/1594554415045742592
WJSの調査をまとめ直しただけなのだけれど、こういう視覚化が珍しかったのか、たくさんの反応ありがとうございました。
https://pbs.twimg.com/media/FiEvYdVacAIZ4Rg?format=jpg&name=medium
あの表から読み取っていただけることはいくつもある中で、表を作ってTwitterに投稿した者として是非注目していただきたかった点は次のとおり。
この点はあとで少し詳しく書きます。
「いま国民的議論の対象とするべきものはこれだ」「次の政権はこの論点で選ぶべきだ」を提示するのがマスメディアのしごとだ、ということですよね。この項目が上位に来るのは、世界67カ国調査をざっと見たところ、日本と韓国だけです。韓国マスメディアについては詳しくないので触れませんが、日本のマスメディアについては、その発祥と発展の経緯がこれに大きく関わっていると思われます。
萬朝報が中心となって1901年に「理想団」が結成されて以降の日本のマスメディアは、社会主義的な思想をベースに、自分たちの役割を
と任じ、そうやって自らが牽引して作った「世論」にマッチした政治が政府によって実施されるかどうかを「監視」していました。したがって、政府がその世論に従わなければ反政府反権力的な言論を展開しましたが、政府が世論どおりに運営されれば権力と一体化して少数意見を封殺する言論展開を躊躇いませんでした。その尻尾がまだ残っているんだなあと、個人的にわりと感動したところです(褒めてません)。
アジェンダ設定のような能動的行為は「客観的観察者であること」を大きく損ねますから、それをジャーナリズムの重要な役割とすることには拒絶ないし躊躇があるのが当然でしょう。日本以外のすべての国で「政治的アジェンダを設定すること」への重要度認識が低いのはそのためです。
この「人々が意見を表明できるようにする」の原文は "Let people express their views” なので、「人々の意見を表明するツールとして自分たちのメディアを使わせる」というニュアンスも含まれます。世論を醸成し政策アジェンダ設定が重要と考えているくせに、いや、だからこそかもしれませんが、実際の「人々」の意見を汲み上げて報じることにはあまり重要性を感じていないわけです。120年前と同じように、「自分たちが良いと思う世論を作る」という意識なのだとすれば、そうでないさまざまな意見の表明はあまり好まないのも不思議ではありませんね。
「政治リーダーの監視と精査」 「時事問題の分析の提供」 「人々の政治的決定に必要な情報の提供」については、それらへの重要度認識が高いこと単体に違和感はないし、しっかり頑張っていただきたいものですが、「事実をありのままに伝える」「客観的観察者」などを差し置いてそれ以上に重要と感じていることには強い嫌悪を覚えます。
特に、「政策アジェンダを設定するのは自分たちの重要な仕事」とこれら3点がセットになっているのを見ると、吐き気すら催します。
全部に対応するのは無理ですが、いくつか類型化して主な反応にお答えしてみます。
はい。「お国柄はあるものの」と書いているとおり、この回答には各国それぞれのジャーナリズムの歴史がほんのりと現れていて興味深いものです。大雑把に言うと、
という感じでしょうか。
それでも日本を敢えて「異様」と書いている理由は、この調査で「事実をありのままに伝える」トップにならない』の異常性です。
この項目は、ジャーナリズムを体系的に学んだ者なら誰でも気づく、他の約20の項目とは完全に異質の質問です。他の項目は「お国柄が出ますね」で済むけれど、この項目だけは別格です。
いわば、「あなたはジャーナリストとして最も基本的な動作を正しく重要視していますか?」とほぼ同じ意味の項目です。
と問うような質問なのです。
「勝つことだけが重要ではない」「ほかにも大切なことがある」という選手はいるでしょうけれど、「勝つことの重要性はあまり高くない」と答える選手はかなり少ないでしょう。そう答える選手が1/3も存在するチームを応援する気にはならないし、スポンサーになる気にもトトを買う気にもならないですよね。ほかにどんなに重要と思うことがあったとしても、実際に勝てないとしても、プロスポーツ選手である以上は「勝つことは大切」と思っていて欲しいじゃないですか。
まともなジャーナリズム教育を受けた人であれば誰でも、「事実をありのままに伝えることはジャーナリズムがジャーナリズムであるための最も重要な要件」と学びます。
別の言い方で「ファクトとオピニオンを明確に区別せよ」とも言います。
たとえば、40年ほど前に私が専攻していたジャーナリズムの学科はジャーナリズム研究と並行してジャーナリスト実務者養成の要素が強く、1年間ずっと報道文の宿題を提出して「この表現は客観的でない」「ここはファクトにオピニオンが混じっているからオピニオンを削れ。さもなくば明確に分けろ」と重箱の隅をつつかれ再提出させられ続けるという地獄のような講義がありました。
そういった養成訓練を受けた人なら、あとからどんな思想的政治的干渉を受けたとしても「事実をありのままに伝えることはジャーナリストの最も重要な仕事」という考えが覆ることはまずありません。だから、中露ですらこの項目はトップになるのです。
「日本人にアンケートを答えさせると5段階の5をめったにつけないから・・・」という擁護も来ましたが、今回の表は4と5を合わせて集計したものですからその影響は小さく、現にたとえば「政治リーダーを監視精査する」は堂々90%を超えていますから、その考慮は必要ないでしょう。ていうかそもそも、仮にそうだったとしてもほとんど条件反射で「5」と回答して欲しい質問なわけですよこの項目は。日本のジャーナリストの1/3が、建前としてすらも「極めて重要/とても重要』と答えない。これは嘘吐きかどうかとはぜんぜん別の「恐怖」です。
そういう思いから、日本のジャーナリズムを「異様」と書きました。
それは情報の誤読です。「事実をありのままに伝える」を重要と思っている度合いの相対的に弱い人が35%いるというだけです。その人たちが日常的に嘘を書いているというわけでもないし、逆に、重要と思っている人が嘘を書かないというわけでもありません。
・・・まあそうは言っても、たとえば「自分が伝えたいことや自分の設定したいアジェンダにとって都合の悪い事実があったときの行動」は違うだろうと容易に想像できますから、信用問題ではありますね。
それは情報の誤読です。この調査は「あなたは事実をありのままに伝えていますか」ではないので、ご希望の数値はここには表示されません。
さきほどのプロスポーツ選手の喩えでいうと「勝つことが重要だ」と言いつつ練習もサボり試合にもボロ負けする選手ですね。「勝つことが重要だ」という建前すら言わないで練習をサボりボロ負けする選手よりはずっとマシだと、私は思います。まあ感じ方次第ですけど。
これは別のデータ等をもとに別に議論されるべきでしょう。もし感覚だけで言うなら、私はそうは感じていません。日本のジャーナリストには「ファクト」と「オピニオン」を厳密に分ける教育も訓練も不十分な人が多く、そのせいか、「ファクトのように読める部分にオピニオンが混じり込んでいる」というフェイクニュースではないけれどフェイクニュースよりもたちの悪い報道が多数見られます。
現状の「原因」としては大きいと思います。ただ、読者や視聴者と異なりジャーナリストはそれを職業とする人々であり、現状への「責任」を同列に語るのは適切でないと考えています。原因と責任は別物です。
ぜんぶ来ましたw どれも当たっていてどれも間違っているんだと思います。
これらの評価(罵倒)を言ってしまうのは、ご自分たちの考えと合致した世論を喚起し政策アジェンダを設定していく役割、もっとあからさまに言うと、ご自分たちにとって都合の良い機関紙としての役割をジャーナリズムに求めているからです。ジャーナリズムは本来そのようなものではありません。「事実をありのままに伝える」を重視して「客観的観察者」の実践を続け「政策アジェンダを設定する」から遠ざかっていけば、ジャーナリズムがそういう評価の対象になること自体がもっと減るだろうと考えています。
私もそう思います。世界の一般的なジャーナリストにとって「報道の自由度が低い」とは「事実をありのままに伝えることや自由な表現を阻まれる」を意味します。日本のジャーナリストは世界の一般的なジャーナリストと異なり、自分たちによる政治アジェンダ設定や世論形成を重要視している度合いが強いので、それを言いっぱなしにさせてくれず邪魔されたり反論されたりそのとおりに世論が形成されなかったりするのを「報道の自由度の低さ」と勘違いしていると思います。
これはいろんな考え方があるでしょうが、私は、「事実をありのままに伝える」というジャーナリズムというものの普遍的な存在意義にかかわる話は、法律等の要請やメディア運営指針に過ぎない「政治的中立性」と同列に語ることは全くできないと思っています。また、たとえば日本のマスメディアがよくやる両論併記は政治的中立性の名のもとに行われますが、科学的知見に基づくコンセンサスと大きく異なる異端論をいつまでもいつまでも書き続けるような形で現れることが少なくなく、「政治的中立性」はあまり褒められたものではないと思います。
よく自民のせいって言われてるけど
そんなんどうでもいいんだよね
日本の政党支持率見てたら明らかだけど、自民党が政権取り続けることは確定してるんだから
何をすべきで、何をすべきじゃないのか
そこをきっちり合理的に説明してくれたら、後は自民党に対して組織票持った団体が圧力かけていけばいい
この政策をすべき、この政策をすべきじゃないって根拠を持って突きつけていかないと
それを説明出来るひとがいないから、いつまでもチャンバラごっこやることになる
いい加減にせえ
まあ単に新ハードだと買い替えが大変だし(欲しい人全員にまた売らなきゃいけない企業側の都合も含めて)、「拡張パック」みたいな奴の方が理想的かな。
ないしはPS4・5対応のゲームみたいなSwitch・Switch2対応に持っていける形、任天堂ハードならゲームボーイ→ゲームボーイカラーみたいな上位互換タイプの本体か。
とにかく今は明らかにゲームメーカーがやりたいことに対してハードパワーが足りてないんだよね。
「は?神ゲーのブレワイでは出来たが~~~~」ってのは正しい指摘なのかも知れないけど、アレを全てのメーカーに求めるのかってのはある。
そもそもアレだって色々物理演算がバグ(普通に遊んでいれば気にならない範囲の仕様?)っているのを遊ばれていることが多い辺り、かなりギリギリで作られているわけで。
任天堂が任天堂のハードで作るっていう最も有利な条件での限界がアレであると考えるなら、そもそもソレを未だに使い続けていいのかっていう問題があるんじゃないか?
コロナによっていろんな産業の時間が止まってしまったわけだが、その状況で逆に引きこもり系コンテンツ産業にユーザーが使う時間は増えたせいでゲームの新陳代謝は加速している。
現状のハード性能ではユーザーの要求、ひいてはメーカー側の要求についていけなくなってきてるんだと思う。
これについてソフトメーカー側を非難するのはあまりよくないというか、頑張って限界を越えようとした相手をあまり貶めると、皆低いレベルに留まろうとして業界が停滞するリスクが強いというか。
結局「才能」じゃん?
たま~~に逆転があるけど、結局は「より才能のあるものを選別する装置」でしかないじゃん?
なんかこう駄目なオタクがはびこる界隈のピラミッドにソックリなんだよね。
上にいるガチ勢が新人をいびって「才能がねえなあ。そもそも才能を語るに値する努力が足りてねえなあ。死ねよお」しまくる感じ?
スポーツはどこまで言ってもそれをひたすら繰り返すだけだし、結局人類に残るのは「人類の才能って限界出すとココまであるらしいですよ!すごいですね!」って報告しかない。
芸術・発明・批評・製作といった他のコンテンツとくらべて余りにも生産性が低いなと。
生産性が低いならまだしも、ストレスの掛け合いのゼロサムゲームで勝利者に一時的に麻薬を流し込んでいるだけみたいな所があるのが悪質というかね。
勘違いしないでほしいから一応言うけど、体を健康的な範囲で鍛えること自体は良いことだと思う。
肺活量や背筋は集中力の厳選だし、握力や腕力があることが求められる仕事や創作活動はまだまだ多いからね。
反射神経や動体視力を鍛えるのも間違ってないと感じるよ。
でも「特定のゲームに勝つための工夫」とかに対してあまりやり込みすぎるのは人生が歪んでいるかなと思う。
「クイズ王」が「知識王」とはなりえないのと同じような罠が潜んでいるからね。
まあほどほどにやるなら、多少の酒・タバコ・宝くじ程度の物と思って大目に見るけど、あまり大手を振って「これこそが健全な趣味なり!」ってされるのはいい加減もう人類は卒業してもいいのかなと思うよ。
実際問題として、酒とかがまさに「大人の証!」と持て囃されていた時代はあったけど、最近は「え?こんなのにいつまでもいい大人が頼ってちゃ駄目でしょ?」が主流になりつつあるし、タバコはもう完全にソレだからね。
くるかなあ
あなたがいてくれないとだめなの♡
っていう無力な女が永遠に好きでしょ、男って。でも時代的に許されなくなりつつあるから、余計に求められてると思うよ。
それが、他の男いますし股も開いてますみたいな前提許されるか…?
いつまでも嘘をつく事求められると思うけどな。
加藤ミリヤ(古いけど)とか宇多田ヒカルみたいな、恋愛頑張ってます!ボロボロなりつつ生きてます!きれいな歌作ります!みたいなのに、女性以上に男性が群がった試しある…?
パッ!と さいでりあ
発売日:2001/03/23
パッ!と さいでりあ
パッ!と さいでりあ
大好きな街だから 離れられない
パッ!と さいでりあ
パッ!と さいでりあ
パッ!と さいでりあ
自民党をぶっ壊すって言ってたけど、実際は日本をぶっ壊すになってきてるよね。
政権与党が端から端まで日本を衰退させることに注力してるし、自分たちの私腹を肥やすために国家を壊し尽くそうとしてる。今の日本はまるで使い捨てみたいだ。うまい汁が吸えなくなったら、ポイ。っていうか、自分たちの代のあとのことなんてどうでもいいんだろうけど。
まあでも、政治家は腐敗するのが当たり前なので、どっちかっていうと国民のほうが不思議。日本人って、マゾなのかね。どんどん生活が苦しくなるような施策を繰り出してくる政党をひたすら支持し続けてる。首相が変われば、内閣が変われば、何かマシになると信じてる。今までそんなこと全然なかったのに、経験から学ばないのはなぜ?
悪いことをしたら叱らないと子どもはそれが悪いってわからないじゃん。政治家ってそういう子どもと同じでしょ。悪いことしたら、国民がちゃんと態度で示さないと、自分たちが悪いことしたなんて思わないよ。自分たちのしてることは全部受け入れられてるって思ってるよ。だから、いつまでもそういう政党に票を入れ続けたらだめなんだって。
政治家を教育するのは国民の義務だろ。それが民主主義だよ。日本人はその義務を放棄してる。だから腐敗し放題だ。自分たちで船を沈めてるんだよ。
いい政治家、いい政党を選ぶだけが選挙じゃないだろ。悪いことをした政党に責任取らせるのも選挙だろ。議席を取り上げるのが一番効き目があるんだよ。なんでそんな簡単なことがわからないんだ。
議員にどう動いてほしいか。どうすれば議員が自分たちの言うことを聞くか。よく考えて行動しろよ。
いい政治家がいない、いい政党がいないって、言うけど、国民の皆様はお客様かよ。いい政治家、いい政党は自分たちで作るんだよ。育てるんだよ。自分たちの未来、生活を守るためだろ。だめな政治家、だめな政党をいつまでも承認し続けてるんじゃねーよ。
右と左とか、フェミと反フェミとか、与党派と野党派とか、ネット上でいつまでもネチネチネチネチ言い争いを続けてる人たちって一体なんなんだろう。よくまあ何年も同じネタで言い争いしてるなって呆れてしまうし、口汚い罵り合いでネット空間を汚すのいい加減にしてほしいと思ってしまう。そういう人たちの目的って自分と異なる考えの人を自分と同じ考えにしたいってことだと思うけど、そんなの別々の人間なんだから無理に決まってるじゃん。無理とわかっていることを延々と続ける意味とは。それでも自分と同じ考えで世の中を統一させたいというのなら、もう殺し合う他なくない? 生産性のない罵り合いをする位なら、リアルの場で殺し合いをして勝敗を決めてくれたらいいのにと思ってしまう。特にフェミと反フェミとか、いい加減相手を消すことに注力した方がいいと思うんだよなー。