はてなキーワード: 路地とは
勝手に話をつくったぞ。
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曲がるとそこは細い路地だった。
進むか引き返すか判断に迷うタイプの路地。
地元でも人気の「映画」という活劇映像ならば「ここからさらにピンチになりますよ」というわかりやすい記号として使われる、陰鬱でくすんだ細い道。
少女の頬を冷や汗が伝う。
進むべきか、引き返すべきか――。
しかしこのときに限っては、もうそれ以上迷う必要はなかった。
路地とは対象的に澄みわたった空から何かが音もなく降ってきて、またたく間に行く手を塞いだからだ。
「何か」とはいったい何だと問われれば「レンガ」としか答えようがない。
地球生活が短い少女にもそのくらいはわかる。
ただありえない現象を前にして脳内の常識回路みたいなものが、それを「レンガ」と認識するのを拒んでいる。
もうひとつ。
認識が遅れた理由、正確には認識の必要すら感じなかった理由。
路地を完全に封鎖したその壁には、無機質かつ巨大なコモンキャラクターでこう書かれていた。
GAME OVER
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もうひとつ。
認識が遅れた理由、正確には認識の必要すら感じなかった理由。
もう大丈夫。自分は助かったのだ。
「ありがとう、お父さん」
追われてる少女が居て必死に逃げるんだけど掴まる…って前後じゃないな。
走って逃げて大通りから裏路地に入ったところで空からレンガの壁が降って来て逃げられなくなることを想像してるんだけど
上手く文章家できないんだよね。うーーーん。
ごめん、そういう場面を描きたいってこと。
例えば、「裏路地に向かうとズドンという音と共に目の前が暗くなった。驚いて止まると、レンガの壁で道をふさがれてしまった。逃げ場は無い」
みたいな……表現がしょぼいんだよね。上手く伝わってない気がする。
「イメージ」「感じ」ということは、そういう場面を描きたいんじゃなくて、そういう場面を想像した時に受ける「感じ」を読み取って欲しいのか。
まあ、細い裏路地ということだから、隣の家があって、暗くて、ジメジメしていて、猫などがいたかもしれず、隣から生活音が聞こえたかもしれない。それが乾いて冷たい石でできたかべで隔絶されてしまうということ? 孤独、孤立、断絶、隔絶、石の冷たさ、乾き、硬さ、静けさ、のようなイメージ?
「細い路地裏に石が降ってきてレンガのように積み重なり壁だできあがった」
賃貸物件歴18年の経験を振り返って、物件選びのポイントを書き散らかしたいと思う。
■方角 南向き
洗濯物を外によく干すなら、南向きがいい。朝から夕方までまんべんなく陽が当たる
から。前に西向きの物件に住んだら、午後になってから陽がさしてくるので洗濯物や
外に干した布団の乾きが悪かったねー、新築物件で南向きを紹介されたけど、目の前
に巨大なマンションが建ってて陽が全然差し込んでこない物件もあったな。もちろん
木造アパートに住んでた友人は、いつも隣人と騒音でバトルしてた。鉄骨造りのマン
ションに入居したら、隣の家のテレビの音が筒抜けで嫁に「お隣さんうちと同じ番組
観てるね」と言われる始末。騒音は四六時中悩まされる問題なので、鉄筋コンクリー
■燃料 都市ガス
物件が新しかったので、プロパンガスの物件に入居したら、都市ガス時代と比べて、
ガス代が1.5倍から2倍位掛かるようになった。風呂場にガスで稼動するミスト
サウナとか付いてたけど4年居て1回も使わなかった。(使う気になれなかった)
駐車場は要る人、要らない人がいるので要る人限定ですが、機械式の駐車場は駆動が
遅くてイライラさせられるのと、屋外に設置されたスケルトン型の機械式駐車場は、
雪の日にセンサーが誤作動して使えなくなるのが最大の弱点。せっかくスタッドレス
タイヤで冬支度をしたのに、雪の降った日に車が出せないという意味不明な事態に。
停電でも動かせなくなるから、災害時に避難場所(避難手段じゃないョ)としての
駅近物件でも大通り沿いは最悪。夜中でも救急車・消防車がサイレン鳴らして走るし、
大型自動車が通るたびに揺れたりする。排気ガスで洗濯物は汚くて干せないし、空気
を入れ替えたくても窓も開けられない。1本内側の路地に入るだけでも全然違う。
廊下やゴミステーションは、管理会社が清掃・管理してるのだけどココが汚いという
ことは、管理会社がすごくズボラって事。さらに住人の質も低いので、騒音トラブル
も多い傾向。
「いや、一歩間違えれば俺が某能先生になっていたかもしれない!」だの、
「俺たちブロガーは萎縮してはいけない!屈してはいけない!」だの、
「報道内容は公平じゃない!」だの、
「津田大介は大いに間違ってる!」だの、
とにかく鼻息荒く、他とは違う社会的にも特別な事件のような扱いで、各々好き勝手に考察まがいの妄言を垂れ流してるけど、
一般的に見ると、「ネット上のトラブルで(逆恨みして)事件を起こした」だからな。
「ネットリンチだったのかどうか」なんて、結局のところ受け取る人間次第なんだから物差しにならない。
騒音トラブルでも、自動車追い越しでも、注意された逆恨みでも、不味い料理でも、
感情が昂ぶった結果、悲惨な事件に発展するなんて、年に何回もニュースで見てるだろ?
世の中にこんだけ人がいると、目についた対象に対して、感情とか欲望の制御を超えて、攻撃的な手段を取っちゃうような人もいっぱいいっぱいいるでしょ。
で、そういう事件の当事者が、報道で知れる程度のステレオタイプな人物像かっていうと、多分そうじゃないよね。
でも、事情なんて深掘りすればいくらでも掘り返せるんだから、それぞれの視点で都合よく解釈すれば、殺人犯だって英雄になり得るし、組織のイザコザで消されたヤクザだって美化できる。ブレブレだよね。
多分この辺が、報道とか、報道を受け取る俺たち視聴者とか、もっというと多様化しつつある現代人の感性の限界なんだと思う。
結局のところ、俺たちに考えられるのは、
以上のことはないよね。
「治安の悪い夜の街で知らない路地裏に迷い込むな」とか「軽装で山に行くな」とか「天下の往来で素性の知れない他人を罵倒するな」とかと一緒だよ。
十分に準備が整っていると思っても災難にあったとすれば、それはもう運としか言いようがないよね。悔やんでも悔やみきれんだろうけど。
1996年以前の話。
大通りからちょっと路地に入ったら、舗装されていない砂利道がちょこちょこあって、子供達は泥団子作ったり、水たまりから手で土を掘って水路作ってちっちゃな川を作って遊んだり、晴れた日にはコマをまわしたり、ビー玉転がして遊んだりしていた。
ちょっと大きくなると、学年で数人、テレビゲームを家に持ってる奴が出てきて、そいつんちが放課後の溜まり場になっていた。木こりの与作とか、シンプルなゲーム。そのうち、ポケットゲームが出てきて、ゲームが浸透してくると、ファミコンが現れた〜。
レコードってものがあって、専用スプレーをふかけるとムースのように泡立って、それを専用のクリーナーでレコードの溝に沿って拭いた。あのスプレーの独特の匂いがなんとも言えず良かった。レコードが大きいし、聞けば聞くほど溝がすり減るから、カセットテープにダビングして聞いていた。カセットテープは聞けば聞くほどテープが伸びていくので、ヘビロテで聞いてるアルバムはオリジナルの曲よりちょっとだけスローテンポになっていた。
バスや電車で行儀悪くしてると、そこらのおっちゃんに結構派手に叱られることが多々あった。大人は本当に怖かった。それなりに本気で拳骨で叩かれたりもしていた。ただ、あやまればスカッと結構許してくれた。野球して窓ガラス割っても、ボールで車ちょっと凹ませても。
ただ悪い奴は本当に悪かったし怖かったな。内臓破裂するほど殴ってきたり、部活のシゴキで生徒が死んだり。
年功序列で先輩が本当に怖かったし、大人の言うことはきちんと聞かなきゃいけないんだって思っていた中高生の頃、ブルーハーツとかラフィンノーズとかのパンクロックが流行ったり、お笑いではビートたけし→とんねるず→ダウンタウンといった感じで、年功序列とか過去のしきたりとか関係なさそうなのが派手に出てきたり、男はみんな短髪だったのに江口洋介やキムタクがロン毛で人気を博して急に男どもがロン毛にしはじめたり。
バブルの時の、繁華街のタクシーはすごかった。二重三重にタクシーが路駐していた。派手な会社はタクシーチケット使いたい放題で、それ使うために残業してる人もいた。ってか何枚かちぎってもらって勝手に乗り回している社員も結構いた。
年々みんなの生活が派手になっていってたら、もっとも派手そうな証券会社でもっとも有名な会社の一つだった山一證券が倒産して、ああ終わったんだなぁと思ったなぁ。
久しぶりにパワーポイントでもエクセルでもない場所にキーボードで打ち込んでいます。
「”悪い人”を見かけたら、例えそれが自分に関係ない第三者でもいくらでも攻撃していいと思ってる人」いるじゃないですか。
それで実際に攻撃してる人を見ると心に黒いものが生まれてくるんですけど、
何故それを許せないか、何が悪いのかその理由が自分の中で納得できたから文字に起こそうと思います。
結論だけ書くと、「その思想のせいで更に場が荒れ、必要以上に加害者と被害者を生み出すから」です。
組織 対 組織の話は今回は省きます。正当防衛・過剰防衛の話でもないです。
また、V●Pで仮想敵を叩きまくってる話も関係ないです。そして今まさに、私も仮想敵を叩こうとしています。
今回はあくまで個人である第三者が"悪い人"を勝手に攻撃するパターンについての話をします。
それぞれ、加害者、被害者、「”悪い人”を見かけたら、例えそれが自分に関係ない第三者でもいくらでも攻撃していいと思ってる人」(表現上、話の中では"わたし"とする)が出てきます。
SSとか書いたことないのでなんか適当になるかもしれませんが、流れだけ掴んでいただければ大丈夫です。
では、始めます。
①わたしは銃を持っている
しばらく歩いていると、交差点で道路に倒れている人が視界に入る。
何があったのかと駆け寄ってみると、すぐ側にはバットを持った人がいて、
今まさにそこから逃げ出そうとしている人へ殴りかかろうとしていた。
わたしが止めるよりも早く、そいつは逃げようとしていた人を殴り倒し、こちらを振り向いた。
そいつは「違うんだ!」と叫んだが、そんな事は知ったことではない。
悪い人に攻撃しても何も問題はない。わたしは銃のトリガーを引いた―――
次が2つ目の話。
②わたしは車に乗っている
わたしは悪い奴が許せない。故にまず犯人を追いかけることにした。
止まらない犯人を止める唯一の方法が脳裏に浮かび、わたしはそれを実行する。
わたしは車に乗っている。ひったくりを止める為には是非も無し。
わたしは犯人を跳ね飛ばし、止まったことを確認して車から降りた。
そして取られた鞄を取り返し、急いで車の方へ戻ろうとした―――
最後に3つ目。
しばらく歩いていると、全力疾走で路地を曲がってきた人が視界に入る。
何事かと見ていると、なんとその人を追いかけている車がいるではないか。
走る人は逃げ切れるはずもなく、その車に跳ねられてしまう。
唖然としていると、車から人が降りてきて、その人に駆け寄るのが見えた。
あろうことか、そいつは鞄を奪い車に乗るため走りだそうとしている。
わたしはバットを持っている。凶悪な強盗犯をそのままにしていい訳がない。
と、いうことで3つの話でした。
察しのいい人はとっくに気付いてると思いますが、それぞれの話を繋げると…
でも、インターネットでは稀によくあるような気がしないでもなくないですか?
”わたし”のせいで無駄に場が荒れるからダメなんだと自分が納得したのは、こういう視点での連想ができたからです。
本来であればAとBだけの話だったのに、C,D,Eまで…ひょっとしたらそれ以上を無駄に巻き込む可能性があるわけです。
だからこの考えを持つのはよくないと思ってるし、許せないんだなって納得できたわけですが。
じゃあどうすればいいのか。てめーはいつもそうやって問題提起だけして去りやがってって思うでしょう。
Eはちゃんと話を聞けばDはバットを捨てて降伏しているかもしれない。
でもCは…?ひったくりを見逃してどうなるの?ってなりますが。
次に、悪には立ち向かうのではなく、悪を裁く権利を持った組織にしかるべき処置を取ってもらいましょう。
ヒーローがすべきは正義を持って悪を裁くことではなく困った人を助けることだと思ってます。
そもそも、ひったくられた鞄の中身が”ざまあみろ”と書かれた紙一枚で、
治安が悪いその街ではダミーの鞄を持ち歩くのが常識かもしれません。わーい後出しじゃんけんだ。
悪を裁く権利を持った組織が全く信用できないからわたしが裁くんだっていうのは…
さすがに知らんけど、あなたがそれをした瞬間個人が悪を裁く行為の連鎖が起きていくわけです。
それでもっていうのであれば、あなたは諸悪の根源になる覚悟を持ってください。
ということで最後に。
書きながらよくわからなくなってるのでよくわからなくなってます。
わざわざ書く必要があったのかなかったのかもわかりません。
でも、こうやって書いて、もし誰かが新しい何かに気付けたら、
誰かの反応によって自分の認識を深められたら…と思ってそのまま投下してみます。
拙い文章ですが最後まで読んでくれてありがとうございます。Japaneseでした。
随分と久しぶりになってしまったな増田の諸君。渋滞回避マンだ。
今回はちょっと真面目に、埼玉県の死亡事故が多い理由を考えてみたぞ。
ちなみに、埼玉県はここ数年で死亡事故数が急激に増えていて、交通事故の死者数は愛知とデッドヒートしてて一昨年、去年と2位だ。
さらに今年も去年を上回るペースで死亡事故が起こっていて、このままだと愛知を抜いてしまう可能性もあるな。
実際に去年の前半は愛知を上回って1位だったときもあったようだ。
北関東から東京に荷物を運ぼうと思うと、特に群馬・栃木から荷物を運ぶ場合には埼玉を通らざるをえず、必然的に交通量も増える。
2.道が狭く、歩道の整備が遅れている
そんなところに住宅と道を作ったものだから、既存のものを潰して作った幹線道路以外は農道をそのまま利用したかのような非常に狭い道路ばかり。
十分に歩道を作れるだけの用地を取得しないで道路を作っているものだから、車道はある程度あっても歩道が狭い。
狭い道路なのにそこしか主要な道路に出られる道がなかったりするから一方通行にできず、すれ違いがようやっとな双方向通行な道がそこかしこにある。
しかもその道路に有名な接骨院があったり、スーパーがあったり、いつも駐車場がいっぱいなうどん屋があったりして生活道路としてだけでもすごい交通量がある。
さらにそこが通学路になっているのである。朝はスクールゾーンになるものの、夕方は近隣住民に配慮してかスクールゾーンにならない。
そしてせっかくの幹線道路すら申し訳程度にガードレールがあるだけだったり、縁石が少しあるだけだったり、そのガードレールもつぶれてぐちゃぐちゃになってたりしても直されていない。
地権者がごねたのか予算をケチったのかそこだけ歩道が異様に狭くなっている部分がそこかしこにあり、人がやっとすれ違いえる程度のところもたくさん。
歩道が、歩行者を守るためのものにまったくなってない。そりゃ事故も起こるし、事故が起これば重大なものになる。
歩行者が横断歩道を渡らない。何で?何で埼玉の人ってこんなに横断歩道を渡らないの?
気がつくとその場を渡る、路地から出てくると渡る、すぐ先に押しボタン式の横断歩道があるのに渡る、歩道橋の下を渡る。
横断禁止なんてお構いなし、中央分離帯は柵でもない限り突破する。
横断歩道でもないところをいきなり渡ってきてすごく怖い。埼玉の歩行者。
自転車はもっと悪質。一時不停止での突破は当たり前。逆走当たり前。
狭い道路で車が詰まっていて、左側は通れない。よし車の右側を通ろう。右側に出ようとして対向車にぶつかりかける。アホかと。
もっと渡りやすい場所で渡ればいいのにとか車の少ないところを通ればいいのにとか思うけど、そういうことを考える頭はないらしい。
自分で自分の命を守る気がないのだから事故は起こるし重大なものになる。
最初、埼玉のほうを走り始めたときには、何でこいつらこんなにスピードが出ていないのに事故が多いんだ?と思った。
なんといっても、最高速度60kmである日光街道バイパスや新大宮バイパスを平然と50kmで走っている車がそこかしこにいるのだから。
が、対向の信号が青になっているにもかかわらず止まれる程度のスピードで右折してきた大宮ナンバーに轢かれかけてから考えが変わった。
こいつら、スピードが遅いだけで危険運転しまくりじゃないか、と。
完全に信号無視のタイミングでの強引な交差点突破、右左折、横断、割り込み。
さらにはそれを白バイが取り締まらない。白バイはもっぱらスピード違反の検挙に夢中である。
埼玉は怖い。
5.自分さえ事故を起こさなければよいという「独善的な安全運転」が多い。
スピードを出さなければ安全運転とでも思っているかのような運転以外にも、変な安全運転が多い。
そもそもスピードを出さないためにこまめにブレーキを踏むからいつ止まるか分からない。
優先道路を走っているにもかかわらず路地に差し掛かるたびに減速し、クラクションを鳴らす車。
右から右折で出てこようとしている車のために急ブレーキをかけて道を譲る車。そして、その際に右側をまったく見ていない右折車。
追突事故を誘発するかのような運転をしている車が非常に多くて怖い。
自分さえ事故を起こさなければ、周りはどうなってもいいという考え方は「独善的な安全運転」で非常に危険なのだ。
よくよく見てみるとウインカーも申し訳程度にしか出していない車が多い。
私はウインカーを出しているので安全運転ですよとでも思っているのだろうか。はっきり言って、交差点内に進入してからのウインカーは「遅すぎ」である。
私はウインカーは出しているので岡山とは違うって思っているのではって思ってしまう。
6.周りをよく見ていないで運転している車が多い
埼玉の特徴として、やたら青信号になってからのスタートが遅いと感じる。
信号を見ていないのだ。
前の右折車を行かせてやろうとライトをパカパカしたのだが一向に動かないなんてことも。
前述の轢かれかけたときも、十分に確認・減速停止できるスピードだったにもかかわらずそのまま通り過ぎていくのだからまったく歩行者を見ていなかったのだろう。
まとめ:
交通量と人口が多いにもかかわらず、歩道が十分に整備されておらず、それでいて歩行者も自転車も自動車も安全運転に気をつけているようでまったく気をつけていない。
むしろ形式的に安全運転をしているだけで、それで満足しており周りを見ていないのだから実際のところまったく安全ではない。
その上にスピードを出さなければ安全という驕りを持って運転しているのだからたちが悪い。
地下鉄の駅を出て路地を入り、大丸の裏にある紅茶がおいしいカフェを外から眺める。中華料理屋のメニューを眺め、錦市場に足を踏み入れ、適宜左折して京都で一番おいしいケーキ屋さんに入る。そういう夢。
学生の時分に何度も歩いたコースだから、夢からさめても鮮明に思い出せる。あの頃私はいつも新規開拓を目論んでさまよっては結局あの店に通っていた。タルト生地とナッツとを噛み砕く感触もまだ感じられそうだ。
こっちに引っ越してから数年来、その界隈からは足が遠のいていたのでとても懐かしい。夢にみてから、あの街並みを、そこに差し込む日差しを思い返しては眩しく思う。
しかし再訪できるのはずっと後のことだろう。なぜならうちには乳児がいるからだ。少し前に私が産んだ小さな赤ん坊。彼女がふにゃふにゃと頼りないうちは、500kmを移動した後よさげなカフェを探してあてどなく散歩するなんてのは難しいだろう。
それに今はあまりそうしたいとも思わない。子連れで移動が面倒だとか、家族が預かってくれないだろうとか、そういうことではない。
私はいま、温かいものに浸っているような恍惚の中で生きている。
それは授乳によって分泌されたプロラクチンとオキシトシンをそう解釈しているからなのだろうけど、脳を直撃される側としてはなかなか悪くない感じだ。人間という動物はよくできている。
かように問答無用の幸福感に押し流されているためか、あまり新規性の開拓ということにうまみを感じない。新しいものに触れるとわしゃわしゃ出るのはドーパミンだけど、今はそのあたりが優勢でないのだろう。
産前から理屈としてはそのことを聞いていたので、そうなる前にと急いで色々なことをしておいてよかった。具体的には少しでも行きたい企画展があれば行っておいたり、一度やってみたいと思っていた読書会の主催をしたりなんかだ。
産後は新しいことに踏み出すハードルが高くなるし、新雪に足跡をつけるみたいにやっといてよかったと思う。産後の手数も増えるし。
産前にもっていた、外へ外へと自分を駆動させるものはなくしてしまった。まあ、それでもいいんじゃないかと思う自分がいる。
日々ふくふくとかわいくなっていく我が娘。先週くらいから笑うようになってきて、そのかわいさはもはや暴力的である。笑おうと思って笑ってるわけではない、単に顔が笑顔を形作るだけの生理的微笑ではあるのだが、その破壊力はすさまじい。父母祖父祖母を次々と陥落させてゆく。
追記
娘の寝顔を見ながらふと、この日々を懐かしく思い返す時がくるのだろうなという確信が訪れた。
日々重たくなる娘を夫と代わる代わるだっこしながらきゃあきゃあ騒がしく過ごした夢をみて、その頃のことを大きくなった娘に繰り返し話してはうんざりさせてやろう。今からそれが楽しみだ。
と言われたのが今も忘れられない。
いつも「お前は違う!」と言われている気がする。
何が違うのか、わからない。
自分がSM好きなのかというと、それは違うと思っていたのだが、
もしかすると、そうなのかもしれない。
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1.若いころ
性欲を持て余して、いろいろチャレンジしてた。
・車に欲情するか試してみたり、
・新宿2丁目に出入りしてみる
・かなりのふとっちょさん(美人)と付き合う
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昔からいろいろ行ってる。
・覗き部屋
・テレクラ
・ピンサロ
・イメクラ
・ホテヘル
・ソープ
・手コキ専門店
・M性感
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ある種の芸術だと思っている。
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4.ここ数年
試したのは、こんな感じ。
大人になって資金に余裕ができたので、プレイの幅が広がっている。
・妹プレイ
・関西弁で責めてもらう
・ぽっちゃり系のM性感
・香港の141
・尿道にブジーという棒を入れる
・SMバーに行く
とにかくいろいろ手あたり次第なのではあるが、
いつも何か違うような気がして、長続きがしない。
改めて書き出すと、なんだけど、
みんな、このくらいって普通??
街中の至る所に馬鹿は湧いている。
その理由を端的に述べると、馬鹿は生存競争に有利だということである。
将来のことは当然考えないし、避妊したら男気がないと考える。
増えると言っても、遺伝的にバカという形質が継承されるわけではない。
人間が周囲の環境に大きく影響されることはよく知られているが、そのような教育を受けた子供は立派なバカに成長する。
今後どんなに教育が充実し、子供にとって良い環境が社会的に作られたとしても、
結局のところ、一番影響を与えるのは家庭環境だ。
増加は抑止できるかもしれないが、バカは減ることはない。
インターネットで70を超えたお年寄りが、小学生とレスバトルを繰り広げられるこのご時世、
様々な人間がいることを想定しなければならない。