2018-07-19

某gex氏の事件に対する外野ブロガー達の考察エントリがことごとく気色悪い

言論に対するテロルだと解釈している!!」だの、

「俺が被害者になっていたかもしれない!」だの、

「いや、一歩間違えれば俺が某能先生になっていたかもしれない!」だの、

「俺たちブロガーは萎縮してはいけない!屈してはいけない!」だの、

報道内容は公平じゃない!」だの、

津田大介は大いに間違ってる!」だの、

「早急に"無敵の人"問題解決せねば!」だの、

とにかく鼻息荒く、他とは違う社会的にも特別事件のような扱いで、各々好き勝手考察まがいの妄言を垂れ流してるけど、

一般的に見ると、「ネット上のトラブルで(逆恨みして)事件を起こした」だからな。

悲しいことに、今回のような事件はいくらでもあるんだよ。

ギリギリラインで愛を感じるイジリかどうか」とか、

ネットリンチだったのかどうか」なんて、結局のところ受け取る人間次第なんだから物差しにならない。

騒音トラブルでも、自動車追い越しでも、注意された逆恨みでも、不味い料理でも、

感情が昂ぶった結果、悲惨事件に発展するなんて、年に何回もニュースで見てるだろ?

世の中にこんだけ人がいると、目についた対象に対して、感情とか欲望制御を超えて、攻撃的な手段を取っちゃうような人もいっぱいいっぱいいるでしょ。

で、そういう事件当事者が、報道で知れる程度のステレオタイプ人物像かっていうと、多分そうじゃないよね。

でも、事情なんて深掘りすればいくらでも掘り返せるんだから、それぞれの視点で都合よく解釈すれば、殺人犯だって英雄になり得るし、組織のイザコザで消されたヤクザだって美化できる。ブレブレだよね。

多分この辺が、報道とか、報道を受け取る俺たち視聴者とか、もっというと多様化しつつある現代人の感性限界なんだと思う。

結局のところ、俺たちに考えられるのは、

リスクが潜在していることを認識しろ

不要リスクはなるべく抱えるな

リスクを抱える場合は、それに見合った心構えと準備を怠るな

以上のことはないよね。

治安の悪い夜の街で知らない路地裏に迷い込むな」とか「軽装で山に行くな」とか「天下の往来で素性の知れない他人罵倒するな」とかと一緒だよ。

十分に準備が整っていると思っても災難にあったとすれば、それはもう運としか言いようがないよね。悔やんでも悔やみきれんだろうけど。

なんか書いててブレてきたけど、とにかく、外野ブロガーたちは感傷めいた戯言を飯の種にするのはやめろ。

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