「いや、一歩間違えれば俺が某能先生になっていたかもしれない!」だの、
「俺たちブロガーは萎縮してはいけない!屈してはいけない!」だの、
「報道内容は公平じゃない!」だの、
「津田大介は大いに間違ってる!」だの、
とにかく鼻息荒く、他とは違う社会的にも特別な事件のような扱いで、各々好き勝手に考察まがいの妄言を垂れ流してるけど、
一般的に見ると、「ネット上のトラブルで(逆恨みして)事件を起こした」だからな。
「ネットリンチだったのかどうか」なんて、結局のところ受け取る人間次第なんだから物差しにならない。
騒音トラブルでも、自動車追い越しでも、注意された逆恨みでも、不味い料理でも、
感情が昂ぶった結果、悲惨な事件に発展するなんて、年に何回もニュースで見てるだろ?
世の中にこんだけ人がいると、目についた対象に対して、感情とか欲望の制御を超えて、攻撃的な手段を取っちゃうような人もいっぱいいっぱいいるでしょ。
で、そういう事件の当事者が、報道で知れる程度のステレオタイプな人物像かっていうと、多分そうじゃないよね。
でも、事情なんて深掘りすればいくらでも掘り返せるんだから、それぞれの視点で都合よく解釈すれば、殺人犯だって英雄になり得るし、組織のイザコザで消されたヤクザだって美化できる。ブレブレだよね。
多分この辺が、報道とか、報道を受け取る俺たち視聴者とか、もっというと多様化しつつある現代人の感性の限界なんだと思う。
結局のところ、俺たちに考えられるのは、
以上のことはないよね。
「治安の悪い夜の街で知らない路地裏に迷い込むな」とか「軽装で山に行くな」とか「天下の往来で素性の知れない他人を罵倒するな」とかと一緒だよ。
十分に準備が整っていると思っても災難にあったとすれば、それはもう運としか言いようがないよね。悔やんでも悔やみきれんだろうけど。