はてなキーワード: 視覚とは
だが2つもミスをした
とある区の木曜日のみ配達する新聞を持って行き忘れる、それとは別の区の新聞をビニールに包み忘れ2度も事務所に戻る醜態
ミスの質がしょうもなさすぎる、ケアレスミス&ケアレスミス
12年間の放蕩生活で脳が腐った可能性に加え、配達開始から2週間も経ち緊張感が抜けている実感はあるが
ケアレスつまり注意欠落、やはりワイはADDに寄ったADHDなのだろう
と同時に工場よりは施設警備や清掃、品出しなどミスの取り返しがつく職に就くより他ない気がしている
気を引き締めねば
Twitterで見つけた、
https://x.com/meruken_suck/status/1764904706042929649?s=20
これ。
https://x.com/meruken_suck/status/1764931481447829968?s=20
これ。
https://x.com/meruken_suck/status/1765188544463863941?s=20
これ。
インターネットでこんなのにいちいちカッとなってたってしょうがないし、確かに犬をそういう風に”利用”してる人類はクソだって言いたいのもわかるよ。
人間なんてクソだよ。
でもそれでも、満員電車の中でも誰かの為に頑張っている犬の事を考えたら、上手く目が見えなくても満員電車に乗って働いてるサラリーマンの事を考えたら、頭に血が上って、信じられないくらいカッとなって、風呂で一生こいつに悪態ついてた。
そういう事言うならさ、その場でその犬を連れて逃げ出せよ。リードを奪って、電車から降りて、逃げて、逃げて、逃げて、犬を解放してやれよ。
満員電車なんだろ?相手は視覚障がい者なんだろ?人目を掻い潜ってどうこうするのなんか簡単だろ。
「こんな場所いたくない」「人間はクソだ」ってその犬は思ってるんだろ?そう信じてるんだろ?
お前の前世は犬なんだろ?
じゃあそのくらいしてやれよ。その犬が本当に開放を望んでるって言うなら。
そんな事も出来ないなら、人間側を貶すな。盲導犬をかわいそがるな。そのサラリーマンを視界から切り離すな。
そんな事も出来ないなら、お前はただのインターネットで人の悪口を言って、人を下に見て、犬の為を想った気になってるだけの性悪野郎だよ
ただしく生まれる事が出来なかった人だってそう生まれたくてそう生まれた訳じゃない。多分その人だって満員電車に犬を連れて乗りたい訳じゃない。
それでも踏ん張ってるんだよ。それでも生きてるんだよ。犬だって人間だって。
その犬の事をかわいそがるなら、その犬をそうすることしかできないその人のことだってかわいそがってくれよ。
そう利用することにした人間たちのことはいくら悪く思ったっていいから。
この記事をネタとして楽しめない人が大勢いることが視覚化されていて、興味深いですね。
延岡市のおぐらは閉店し、国道と、旭が丘におぐらがある。 記宏は小さいころからそういうところに連れて行っていまして、普通に食べていました。勇吉が生きて
いる頃に、敬一と一緒におぐらに連れて行ったり、グンポウのラーメンをとったこともあった。そういった昭和天皇の努力が実り
記宏の正体が発揮されて、 よく食べて東大文Ⅰに受かった。しかし、 佐藤はそのことに関して電磁的なプログラムを持っていないし、それに関する強い指令を送ることが
できないので
なぜかというと、佐藤もしくは、尾崎正和がどのような人生を送っていたのか分からない。ラーメンを食べていたとも思わない。だから認めているじゃない、と言っているのは
南方小学校や西階中学校で食い物にしようとしている若者に そういう平和なものを食べさせると、若さがなくなると考えているから、やらないというもので、予想はそういうこととなるが説明は
できない。都合が悪くなると、日光の明かりを、テクノロジーで全力でつけて、昭和天皇についていった人の視覚的な状況を減殺しようとする。
国の決まりと言うデザインや詐欺があるから、いざというときは、視覚的な美観を呈する言語で対応しなければならないが、中身は、ヘケッなどと言っている気持ち悪い性欲の強い40歳で
存在自体が終わっているから。つまり、のうみそを、視覚的な美観を呈する一連の言語で噛まれているだけの基地外で、気持ち悪いという評価以外にはしようがない。
令和5年は捉えどころのない年であったが、 具体的に言うならば、 令和5年5月3日の使用窃盗の件は、6月27日で不起訴になった。それから、令和5年は不吉な
夢の連続する年であった。 令和5年7月15日、9月26日、といった感じである。 美観たいうようなものはないと思う。
東京都板橋区北部では、スギ薬局がやたらと大量に開店しているような様子だった。整合性と言うことで言うと、何のこともないように思う。何の変化もない、ということである。
門川市の加草では、有限会社いおりが閉店し、福祉施設になったというような設計である。ただし、設計と言っている割に、労働者の間では、いかにも不自然な感じで失笑を禁じ得ない。
付近のホテル営業では、平成25年(2013年)頃の状況だと、アラビアンナイトというホテル営業が、現在では、モアになっているけれども、平成24年以前の、加草の状況など
調べようもない。なんという芸術的な趣もないように思う。昔はどうだったかということを調べようとしても、検索しても出て来ないわけだから、誰に聞いても分かるわけがない。
かつては、2ちゃんねるなどに本当の情報が書いていて、多くの者がそこにむらがって本当の情報を求めようとしていた時代もあったが、あの2ちゃんねるすら、最近はうそばかりとなり、それでは、
バクサイというのは、地元の情報が書いてあるとして、昔は有名だったが、気が付いたらうそだらけのサイトになっていた。何がうそだらけかというと、ここには黒羽刑務所の中のことも書いていないし、
私が、 令和元年11月頃だかに、荒川大橋の下で迷惑行為をしていたことも、何ら生々しく書いていないので、やっぱりうそだったかといった感じだ。
板橋区も視覚による詐欺がないわけではない。ファインズコート前野6丁目は、発見出来たり出来なかったりする。
志村警察署は元々、自然公園が広がっていたところを発掘して、期限が延期された挙句に、 令和5年4月15日から開始した。
東京は文化性が高いので、さらに、頑強なので、視覚による詐欺に騙されるということは少ない。 昼間になると、リモートコントロールで眠くなることも比較的少ないが、延岡の場合は、
露骨なので、
何の特色もない、 何も語ることがないという点では、目の前に広がっている世界をみれば分かるだろう
平成17年だったか、法学部にいたんですが、文科一類から進学した人は、裁判官なんかやるわけないだろ、というのが学生のほとんどの声だったようにおもいます。
非現実的にも程があったからだとおもいます。学部生の多くは、憲法第一部すら分からない、という状況だった。水道橋のレックに行っていたが、女学生が一人でビデオ講義を
聞いていて人気がなさ過ぎてそのうちその女性もいなくなった。確かに、れっくの模擬試験の成績優秀者はいたしそれなりに嫉妬されていたがあまり流行っていなかった。私は
水道橋のれっくで模擬試験を受けた後に、水道橋の食堂に行って食べてそのまま駒込に帰った。そのときはそれなりに楽しかったように思う。
中出暁子がどうやって裁判官になったのか知らないが裁判官なんかやるものでもないし、何の意味もないので。最近の最高裁職員は、なんか、井植嘉彦先生や、FF9のガーネット姫が
モデルになっているように思いますが、現場の受付で働いているのは、やくざなので、何の関係もないように思う。視覚の魔術というんですか、事務所に大量の本とパソコンが並んでいるが
非現実的で見るに堪えないといった状況。何をやっているかについてはほとんど理解しうるものではないし、裁判官は、住職みたいなもので、寺の部屋から出ないし、
東京には資源がないから、 もうやめていると平気でぬかす、高裁長官が昔いたが、 延岡市には資源があるので、ここの公務員は沈黙
別の問題点として、 私とぺちもぐら本人がいかに仲がいいのかを見せることによって、絶対的支配権をえることにあるが、ぺちもぐら本人は絶対に姿を出したことがない
これじゃ話にならんわということです。
あとなんか、延岡にはチキン南蛮のレストランとか、 ジャスコがありますが、この辺の分野に指令を出す奴がいないし、 宮崎市内から、テレビゲーム会社に、いつまで
逃げてんのやぶち殺すぞというメールが送信された時代もあった。
それと、便利屋の本田というのが、 延岡にはありますが、全然だめですわ。
クレールダイワというのは私の母親が25年前に遊んでいた時に住んでいたアパートですがそれに関する話題もない。 ならなんかというときに、そういうところは平和なので視覚的な指令を出しても
特に、チキン南蛮、おぐらといった平和なものが流行ると平和になるので、延岡ではそこに指令する者がいない。 警察署ではおばさんが働いていることもあるが、そういう人は目から
指令が出ていない。
なお、 意匠とは、 意味をたくらむ(意味をこらす、たくらむ)ことであり、中学生のホームページのように、視覚の魔術によって美観を与えるということが、文系的な古代的なデザインであるが
意匠法にいう意匠とは近代的に工業利用可能なデザインであり、 知的に高度である、 デザインだけを権利として保護している。
しかし、デザインは、 意匠法で保護される程度に至らない、デザインもあるため、 平成10年にインターネットで大流行した、Naomichiの、 Windows98テクニカルサイトは、
視覚の魔術によってHPに美感を与え、作成者と閲覧者が悦に入る、古代的なデザインの最たるものである それにまた、 MONO君も、 平成19年11月18日から、電灯の当て方で
自分の顔の見た目を美しく見せようとしている、詐欺写メ、といった言葉が流行したが、これも、デザインである。
ところが最初からデザインと言えばいいものを、 ありゅようにみせているだけでないんですよなどと激怒している社員が多くいるため、混乱している。
また、裁判所の法も、デザインであるが、公務員の多くのものが、 法がデザインであると見抜かれると、 手続きで逆用されるおそれがあるため、 問い合わせても絶対に説明しない。
デザイン: 視覚的な設計によって対象に美感を与えるもので、 文芸上は、正確には意匠という。 現在の社会は、 意匠であり、視覚的な設計がなかったら存在していない。
パソコンは、平成12年頃の、 LAVIEの時代だと存在していたが、最近の電気店に置いてあるものはほとんど詐欺である。ここであえて詐欺と言っているが、昔のように
あるわけではなく、強い指令で、視覚的にあるように設計している。一部の奴があると思っているだけで子供には既にばれているといった状況。
社会評論的立場からは加藤周一が、文系はデザインで成功すると宣言したが、 行政のほとんどが失敗し、安倍は暗殺された。
要するにデザインで成功すると言っているため、金を持っていても、 相手方にいう「デザイン」(視覚的な設計)を間違えると、失敗する。
今の時間帯に俺が自宅から自転車で走りだしても 視覚的に何もみるものは用意されていないし、仮に、甲芝園より向こうの方の 河原や山の方にいこうものならば、そこには覚醒中
自転車走行中に、何も用意されていないし、 2月15日に、シカがいた、のを見られる程度。増田では色々言っているが、 今の時間帯に 河原に行っても暗いだけで、
そこの山とか河原について、誰が視覚的な指令を出しているのかもおよそに理解できない。そこで出来ることは、懐中電灯で照らすばかりだが、誰も住んでいない空き家があるだけで、
たまに自動車が走り抜けるといった状況。、
ここではうだうだ言っているが、今から自転車で出たとしても、視覚的に何も用意されていない。 というよりも、あえて何も見せる気がない状況。縣人が動画で言っているように、
あーこら、なんもいいところがなくなっているような状況ですわ、といった感じで、俺が行くところには何もないし、俺がそこを探検しているときに、多くのSNSの人も不作為で、何かをしようと言う
延岡市全域は、 交番自動車警邏班の青パトの巡査の吉岡小都というおばさんの強い指令が働いているので、 通常、自転車走行中および歩行時に何らかの指令が働いていると
解されるものでもないし延岡市および門川市等の全域を歩いているときに、視覚的には、巡査部長の中でももっとも弱い男の強い指令が作動しているので、何らかの危険な社会が展開
されていると認識できるような空間は広がっていない。要するに富美山町で母親と二人暮らしをしている者が自転車に乗りこんで出発したとしても、視覚的に、何らかの事象が確認されるような
状態ではない。 簡単に言えば、 そういう者が自転車に乗りこんで、延岡市のどこにいこうとも、 何もないようにみえるようにしているのであるから、そうした者が、余程強いことを言わない限り、
赤パト=無線車に遭遇することはない。 なお、 怪物が乗車している自動車は、 青パトでも、無線車にも限定されていない。 危険な巡査が乗車しているのは、青パトの場合も
最初に言っとくけど見た夢は相当グロいので嫌いな人は読まないでほしい
昼寝してる間の30分くらいの間に最悪な夢を見た
大きな古い洋館のような屋敷で親族の集まりがあり自分も行かないといけないのだが
そこで遺産がどうので血縁同士で醜い争いが起こっておりあまり行きたくないなと思ってる
だが顔を出さないわけにもいかないのでできるだけ遅れてしぶしぶ向かう
着いた頃にはちょうど会合が終わったところだったみたいで、玄関から中の様子を伺ってると親戚たちが帰路につくとこだった
内心ほっとしながら一応顔を出そうとしたと示すために家主を探そうとする
大きさはてんとう虫くらいで、体もてんとう虫みたいに丸っこいが表面にはトゲみたいな突起がいくつかついてる
その体に細長い胴体部分がくっついていて、脚はカブトムシなんかと同じような感じ
色は赤錆色とでもいえばいいのか、ザラザラしたようなノイズ感のあるオレンジ色
家主を探してうろうろしてたらその虫が屋敷内のあちらこちらにいることに気づく
床だけじゃなく手すりや壁にもひっついている
親戚たちも「あっなんだよ」とかいいながらそれらの虫を払ったりしてる
なんだか気味が悪いので家主に会うのはいいやと思って自分もすぐ帰ろうと思う
蹴った瞬間霧吹きでシュっと一吹きされたような感触が足の甲にあった
なんだろうと思い、玄関先で見つけた他の一匹を少し観察する
靴紐の先でつついてみると、虫の身体のトゲからなにか液体がパっと飛び散るのが分かった
なんとなく、ああなんで裸足で蹴ってしまったんだろうと後悔するがとにかくとっとと帰ることにする
屋敷を出て数分もしない間に足が痒くなる
気になって靴を脱いでまた裸足になるがパッと見は特になにもない
かゆみを感じた足の甲は霧吹きをかけられた感触があったほうの右足だ
足の甲を少し撫でてみるとずるっと皮膚が剥がれて取れてしまった
痛みはないが驚く
取れた皮膚は皮下脂肪といっしょにえぐれてけっこう厚みがあった
剥がれたとこはもう骨に近い深さなんだけど、血はなぜか全然出ない
あおしてえぐれたとこの断面になにか白いつぶつぶみたいなのが見える
それに触れてみるとつぶつぶが一気に動き出して細長い寄生虫みたいなのだと分かる
蛆がすごく長くなったようなのが物凄いスピードで動き出してどんどん足の中の肉に穴をあけていく
大量にいるのでほとんど束になってあっという間に足に大きな穴が空いていく
露出した他のとこにも白いつぶつぶがあり、それらも刺激されると同じく一気に動き出して肉を食らっていく
パニックになり必死でその白い細長いやつらを指で引っ掛けて剥がすが動き回るし数が多すぎてきりがない
ほんの数分で足は小さな穴だらけになっていて全体的にもろくなってるのが分かる
もはや虫を取ろうとしても足の肉ごと取れてしまうのだ
足首から先はぐずぐずになってこれはもう立てないとぼんやり思う
そしてふと気づく
最初に玄関に入った時、天井からなにか落ちてきてとっさに手で払ったが、その時顔になにか水分を感じなかったか
あの家に行かなければ!行くのをやめておけば!!
目が覚めた時は夢でよかった、本当に夢でよかったと足をなんどもさすりながら泣きそうになった
ところで、夢の中で見たものは映像的にあまりにもリアルでそれが恐ろしかった
こういうのは色んな今まで見てきたものがあれこれまぜこぜになって視覚的に再構築されてるんだとは思う
グロいものも映画とかでそれなりに見てきたからリソースは多少頭の中にあるとは思う
零細でSEもどきやってた時期あるワイ参上。結論から言うと、零細でのSEなんか絶対やめた方がいい。
何故なら零細の上司程度だと、エクセル用のデータ処理ソフトと、客先で使うプレゼン用の派手なプロモーションソフトの区別がつかないから。
あっちこっちからあがってくるフォーマットバラバラの売り上げデータを会計ソフトが読み込めるようなお行儀のいいデータにすることと、
豊富な視覚効果で商品やサービスを魅力的に見せる為のプロモーションは、彼らにとっては同じプログラミングでしかないのだ。
前者はできますが、後者はできませんと言ったら拳か灰皿が飛んでくる。
そもそもじゃあ、後者をやるとして写真やグラフィックの素材とか音とかどうするんですかって聞いたら、
「そんなもんインターネットにいくらでも落ちてるだろ、お前はYoutubeも知らないのか」ってキレられる。
従業員一桁代の泡沫零細から、30人くらいで大阪支社とか持ってる程度までの零細まで転職したけど、程度の差はあれ基本はどこも一緒だった。
この日記の内容は、会社の後輩から「最近エクセルマクロを勉強し始めて(キラキラ)」という話を聞いて、先輩ムーブをかますために話した内容になります。
とにかくこれから説明する「計算用シート」が憎くて憎くてたまらず、ちょっと引かれるほど熱弁してしまいました。
ただ、他の方がどうされているのかや、逆に「計算用シート」を愛用する方の意見も聞きたくなり、増田に書いてみました。
エクセルマクロのお作法とか書きましたが、要するにエクセルマクロで「計算用シート」って色々な意味でよくないよね、という話をしたいです。
3行でまとめます。
〇 エクセルシートはユーザーインターフェース(インプット)か出力結果(アウトプット)のためのものとすべき
〇 データ加工をする場合には、原則配列や辞書型配列(連想配列)に格納して加工を行い、最後の結果だけシートに出力するべき
〇 何事にも例外はある。
エクセルマクロにも色々あると思いますが、今回は下記を想定します。
日付や人物名などを入力し、データベースや別のエクセルファイル、別のシートから取得したデータを入力された値を基に加工し、加工後のデータをシートに出力する
この場合、入力欄があり編集可能なシートがユーザーインターフェース、最終的に加工されたデータが出力されるシートが出力結果です。
(もちろん、ユーザーインターフェースの別の欄(セル)に出力する場合もあるし、その場合はユーザーインターフェースと出力結果が一体のものとみなします。)
また、データ用シートは同じエクセルファイル内に基となるデータが含まれる場合を想定します。
(これ自体が非推奨で、SQLデータベースかせめてAccessを使え、という意見はありますがそれは別にして…)
ではここで定義する計算用シートとはなにかというと、文字通り計算を行うためのシートです。
1.元となるcsvファイルをエクセルに読み出してシートに格納
2.そのデータは日付が数値型になっているので、日付(数値型)の入った列を文字列に変換した日付(文字列型)列を新たに作成
これは極端な例ですが、とにかく変数や配列を定義せず(あるいはエクセルのセルオブジェクトを変数のように扱い)、エクセルに値を入力し、それを直接加工することで目的となるデータ加工をしたり、様々な処理をします。
なんかこんな感じの処理をしているエクセルマクロ、どこの会社でも腐るほどあるんじゃないでしょうか。
ある程度マクロに慣れた気の利く人なら、このシートはロックや非表示にして、ユーザーから触れないようにするでしょう。
・・・これ、やめたほうが良くないですか?。
ある程度詳しい人なら同意してくれると思いますが、このやり方でダメな理由はいっぱいあります。
後で説明する配列や辞書型配列(連想配列)と比べると格段に処理が遅いです。
ちょっと詳しい人が知っている「画面更新の非表示」を駆使しても、配列を使った処理からみれば止まったハエです。
いったんエクセルシートにデータを格納して加工しているので、コードとエクセルシートを両方見る必要があり、とても読みにくいです。
変数として命名されていないのも致命的で、処理の意図が余計に分からなくなります。
計算用シートを事前に用意して、別のセルに関数を格納しておき、マクロと関数を使ってデータ加工をするものも見たことがあります。
あまり知られていませんが、セルの最大文字数は32,767 文字です。
セルの最大文字数を超えると自動的に隣のセルに値が入り、シートが滅茶苦茶になります。
他にもエクセルの数値を丸める自動変換の仕様とか文字列→日付の自動変換とか、いくつものバグに苦しめられます。
できる人だと、いちいち最大文字数が多い場合の処理を書いたり自動変換機能を殺したりしてくれますが、そんなことに手間をかけているから日本のGDPは上がらないんだと思います。
他にも、データが大きくなると処理が重くなり不安定になる、計算用シートを人が触ってしまうリスクがある、などいくらでも理由は上げられます。
(逆に利点は、目の前でガチャガチャ動いてスーパーハッカーになった気分になれるくらいしか思いつかない・・・)
配列を使いましょう。
配列とは何ぞや、という人はググってください。
配列にデータを入れて、データ加工は配列や変数に対して行い、一番最後の出力だけセルに値を格納する。
個人的にオススメしたいのは辞書型配列(連想配列)で、うまく使うとデータの管理が簡単になり、処理も爆速になります。
(参考)【VBA】大量データから高速で値を検索【Dictionaryを使う】
csvファイルもなまじエクセルで開けるだけに別のブックやシートで開きがちですが、これは悪魔のささやきです。
直接ファイルを読み出してLine InputやSplitで配列に格納しましょう。
エクセルとして開くやり方はコード書くのは簡単でも、実行時間に天と地ほどの差が出ます。エクセル開くと処理もめちゃ不安定です。
(参考)Excel VBAでCSVオープンするときのパフォーマンス比較
いや、冒頭のマクロを書く人の気持ちも分かるつもりです。自分もコードを書き始めたころは全部シート上で操作していました。
冒頭のマクロのほうが直感的なんですよね。自分が手で書くことをマクロにやらせる、というマクロ本来の趣旨にはあっていますし。
途中の計算過程もすべて目の前で展開されるから分かりやすいです。
ただ、それではダメなんです。。。処理は遅いし挙動は不安定だし後で改修・保守する人が死にます。
あと、エクセルシートやセルは当然エクセルにしかないので、エクセルマクロ(VBA)から他の言語に移れなくなります。
自分もエクセルマクロの里の出なので、計算用シート脱却には苦労しましたが、苦労して会得した配列や辞書型配列(連想配列)のスキルはそのまま他の言語に活かすことができました。
配列の中身を見る方法は別にある(ローカルウィンドウやDebug.printを使うなど)ので、リハビリに取り組んでほしいです。
(参考)VBA デバッグの仕方
計算用シートを許容できる、使うべきケースもあると思います。。
個人的には、
(最後のは、なんでも自分で確認しないと気が済まない上司の発注で、意味不明と思いましたしたがしぶしぶやりました。)
この場合、インプットのエクセルシートに直接加工するのは論外なので、計算用(加工用)のシートを用意してそこで操作を行うことは必要だと思います。
他にも、こういうときは「計算用シート」があったほうが良い、という状況があれば教えてもらえると嬉しいです。
そもそもツッコミとして、「データ加工するならエクセルマクロを使わずにpythonとかRとかもっとまともな言語使えよ」という言葉が来そうな気がします。
ただ、個人的にはエクセルマクロ(VBA)は大好きですし、初心者にもおすすめしたいです。
自分のような非エンジニアだと、セキュリティの関係などでPythonの開発環境とかすごく用意しにくいんですよね。
(あと、コマンドプロンプトの真っ黒な画面が怖かった)
その点エクセルマクロは、開発環境の用意はプロパティでチェック項目を一つオンにするだけだし、入門書がたくさんあるし、セルの挙動を追えば視覚的にプログラムを理解できるし、初心者に優しいです。
(そのやさしさが上述したとおり悪魔の罠なわけですが。)
最初は計算用シートに頼ってでもエクセルマクロからプログラミングを始めて、本格的なデータ加工をし始めたあたりで計算用シートという諸悪の根源から脱却する。
さらに本格的なデータ処理を行うために、PythonやRなど別の言語を習得したり、エクセルからSQLデータベースやACCESSなどに切り替えていく、というプロセスがいいのではと個人的に思います。
意匠のようなつまらないものが意匠法によって意匠権として保護を受けることについて疑問なしとしない。無体財産権は、特許権、著作権、意匠権の順番に価値がありますが
特許権や実用新案権になるとあまりに知的レベルが高いのに対して、デザインというのは結局、人間の視覚を通じて対象に美観があるようにみせる仕掛けや設計
最近インターネットにあがっている意匠の例として、自分で解いたわけではないもの、 フェルマー予想の論文といったものがあげられる。特殊なやり方で自分で論文を書いたもののように
みせているだけで全然面白くない。しかし、自分で解いたかのような陶酔感を得られるという意味で、それが意匠である。それを権利として保護することに何の価値があるのか。
意匠法では、工業製品と一体となった進歩性の高いデザインに関して、意匠権として権利を認める。 しかし、デザインは、視覚に訴えて、人間をして幸福にしなければ文芸的価値がまるで
ないので、
自分は二次創作の漫画、イラストをお小遣い稼ぎを兼ねた趣味にしている。
個人的な好き嫌いで言えば生成イラストAIは好きではないし、自分でも使おうとは思わない。
でもSNSのおすすめタイムラインに頻繁に流れてくる生成AI規制派(以下反AI)の主張には頷けないし正直嫌いだ。
一番がこれ。端的に言って反AIの理屈は表現の自由にとって危険すぎる。
インターネットで活発に発言している反AI派は「無断」学習の禁止や固有の絵柄の保護を謳うけど、そんなことをしたらどうなるかは火を見るより明らかだろう。
自分が楽しんでいる二次創作分野も焼け野原になる可能性が高い。成人向け二次創作やってる連中はだいたい反AIだけど、生成AIは駄目でも人力のパロディはOKなんて線引きが可能だと本気で思っているのだろうか。
彼らは違法コンテンツのダウンロード規制騒動をもう忘れてしまったんでしょうか?警察が刑法175条をどのように運用しているのか知らないとでも言うのでしょうか。
そういった懸念を踏まえた上でなお生成AIを規制すべき、と主張するならわからないでもないけど、だいたいの反AIはリスクを過小評価しすぎている。
生成AI問題は純粋に経済的、労働問題として取り扱うべきだったと思っている。
著作権や著作者人格権を中心に据え、学習されない権利だの言い出した時点でオタク絵師の多い反AI派は巨大な弱点を背負ってしまったように見える。
正直言って今の反AIは負けている側だ。絵師の仲間内やオタク層の多いSNSではどうだか知らないが、行政や立法を見ると普通に負けている。
なのに反AI派は心を守るためだとか話が通じないだとか言って議論を拒否してブロックする人が多すぎる。オープンな場での議論は当事者以外のその議論を見ている人のためのものでもあるのだが。
負けている側がすべきことは味方を増やす運動であって、既に反AIとして結束している仲間内で盛り上がることではない。
現時点では生成AIを規制するべきではないと思っている人を心変わりさせなければならないのに、反AIではない人との議論、対話を拒否していたのでは先は無い。
この国は法治国家なので、損害を受けたと思ったら法的手段で回復する必要がある。
現時点で合法(もしくは指針となる判例がない)とされている、AIによるイラスト生成を行った個人や企業を泥棒呼ばわりしたりネットリンチを行う人が多すぎる。
合法的にAIイラストを楽しんでいる人を泥棒と呼んではいけません。
上にも書いた通りこの国は法治国家なので、損害を受けたと感じたら裁判を起こして判例を作る必要がある。
その結果、反AI派にとって不本意な判例が生まれたとしても、現行法では対処しきれない被害が発生していると感じるなら立法や法改正の運動に進むべきだろう。
反AI派はそうした地道な活動を拒否する人ばかりに見える。アニメ調のイラストを燃やして表現規制している人たちと何が違うんだろう。
現在違法でないものを規制したいのであればそれ相応の行動をとりましょう。
個人的には生成AI問題を現行法で対処できないという理屈が理解出来ない。
依拠性と類似性が認められると思ったら粛々と法的手段を取ればよいし、類似性が認められないのなら、そのAIイラストとあなたの作品は似ても似つかぬ別物ってことで大騒ぎすることでもないだろう。
人間だって他人のイラストと酷似したイラストを出力することは可能不可能で言えば可能だし、AIによって何らかの権利を侵害しそうなイラストが出力された場合は都度対応したら良いだけの話に思える。
学習だけでも許せない、泥棒だと呼ぶ人がたくさんいるが、学習されたところであなたは画力も絵柄も失うわけではないのに、何を盗まれたんですか?ちょっと繊細すぎやしないだろうか。
反AI派には「自分が気に入らない=悪いもの!」という思考スタイルを持つ人が非常に多い。
・嫌いだけど認めなければいけないもの
いずれもあり得る話です。
自分はこんなに嫌な思いをしたのに現行法では対処してもらえない!悪が野放しになっている!
もしかしたらあなたが受けた被害というのはそもそも悪でもなんでもなく、あなたが勝手に嫌な気分になっただけで規制の必要が無いのかもしれませんね。
有名な絵描きには信者みたいなファンがたくさんつく。その絵描きが白と言えばカラスも白くなる。
普通の人が社会活動や勉強に費やす時間を絵に投入してきた絵描きは多い。その結果得られるのは絵の能力であって、他の能力は一般人未満ということはあり得る。
我々人間のお絵描きだって、視覚的インプットを神経細胞ネットワークの構造として保存し、そこからまた出力しているだけでしょう。
性能の差があるにせよ、人間のお絵描きとAIによるイラスト生成を本質的に分ける理屈が思いつかない。本質などというものも多分無いし。