味覚を司る脳の部分を刺激しさえすれば、あんなに高度な調理、あんなに様々な生物、あんなに広範な流通を必要としない。
そうして脳の刺激だけで足りることを、社会を多面的にかき乱してまで実現するのが虚しく感じられるのだ。
また、味覚も感覚のひとつだと認識すると、「おいしさ」がわからなくなってくる。
舌から何らかの感覚があがってくるだけで、それが「おいしさ」として統合できなくなる。
味覚のゲシュタルト崩壊を起こしてしまうのだ。
そんな単なる感覚のひとつでしかない味覚に、どうしてこうも自らが振り回され、社会を振り回さなければならないのだろう。
今日は金曜日だが、夜の街では味覚を求めない。早く、身体を捨てて仮想現実に移り、味覚の無い世界を満喫したい。
Permalink | 記事への反応(1) | 09:27
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