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はてなキーワード: 理解力とは

2021-03-16

anond:20210316120734

理解力も読解力もないから見当違いの例え話をするんだよね

anond:20210316004136

あなたにくらべれば「ちゃんと」見てなかったんだろうねえ。終盤わけわかんなかったし。理解力不足は否定しない。

主人公の溌剌さが印象に残りました。

あとサーフィンするロボット

絵柄も話も1年通して明るいイメージだったわ。

2021-03-14

シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇で描かれなかったこと、その感想

もちろんのようにネタバレを含むので、注意してほしい。

見終わった感想は、「本当に終わった」だった。

すごく丁寧に「伝える」ことに真摯に向き合っていると感じた。

それは描いていることだけではなく、描かれなかったことも含めて。

これまでのあらすじ

きちんと振り返り部分がある丁寧さが、この映画象徴しているといっても良い部分。

復習して来いよ、ではなく、劇場でこれまでを振り返る。その丁寧さが全編にわたってある。

忘れてならないのは、これは劇場4部作ではなくて、エヴァンゲリオンの最終作ということ。

から題名からして「シン・エヴァンゲリオン劇場版」であって「ヱヴァンゲリヲン新劇場版」でないところで主張してる。

そして、「まごころを君に」「世界の中心で愛を叫んだけものときて、「未来からのホットライン」で落としているところに、本当に最後なんだな、という気概を感じる。

NOTでも(NOT)でもなく、今までの否定でも追認でも無い、終わりが来たんだなという予感は正しかった。

ヱヴァンゲリヲン新劇場版序破QはTVシリーズみたいなもんで、今回が劇場版」みたいな位置づけっぽくみえる。

Qの続き

パリでの、序の裏返った模倣

冬月副指令側はネルフパリ支部を守る陽電子砲側で、ヴィレ侵略する側。

派手なアクションシーンであるとともに、赤いヤツって戻せるんだアレというのをこれ以上ないほど明確に見せる場面。

第三の村

アスカケンスケと合流したのち。

直接の描写牧歌的なだけで、薄氷を踏むような生活というのが描かれずに表現されているように思う。

トウジは「医者の真似事」だし、ケンスケは「なんでも屋だが風車メンテはできない」。

まり、あの村にはまともな医者エンジニアも居ない。

食事配給制で、一軒家はトウジの医者という特権性に由来する特別扱いになっている。

綾波初期ロットはそのトウジの客人ではあるが、農作業にわりとしっかり従事させられている。

そしてそこにいるのは老婆が中心。

若い男女や男性は、綾波型の心の触れ合いのような農作業には出てこない。

銭湯図書館牧歌的ではあるが、つまり個別風呂嗜好品が持てない生活を、直接の描写なしに示唆している。

でも、並行複発酵である日本酒を飲める程度には豊かさがある。衣服も残ってる。(心の余裕はまず生活の余裕から

でも、味噌汁に口をつけないことで激昂する大人がいる程度には食料に余裕がない。

たぶん、ココを受け付けるかどうかはその人のエヴァンゲリオンへの思いによる気がする。

第四話の「雨、逃げ出した後」だよねココ。

ひどい経験をしたシンジ家出をして、ケンスケとキャンプする。

TV版では、その後無理やり連れて帰られるけど、ネルフから出ていこうとして、自分意志では電車に乗らなかったと言う流れ。

ケンスケの描き方はあの時からある意味で一貫している。自身の興味には忠実だが、相手の心情には過度に踏み込まず、黙って見守る。

「なんでみんな僕にやさしいんだよ」という嗚咽がほぼすべてだけれども、誰にも強制されることなく、しっかりと時間をかけてシンジだけで結論を出すのが良かった。

今までのシンジくんって、口ではみんな色々言うけど、それほぼ強制じゃんってのが多かった。

あなたが決めなさい、とか。それシンジくん考えられる状況か?その環境作るのが大人だろうっていう。

あの農作業をしていたのがシンジで、みんなの優しさに触れてこの村を守るために戦うんだ、だったらたぶん流石についていけなかったと思う。

で、今までのエヴァだったら絶対にあのアスカの「泣くだけ泣いてスッキリたか家出は終わりか」みたいなセリフ入れなかったと思うんだよね。

その後の、ケンスケとの見回りと治水管理で「基幹産業たる農作業免除されてる」とか「池が村の生命線」とか言わなかったような気がする。

村が赤く浸食されてない理由とか、ニアサーも悪いことばかりじゃなかったさみたいなのは、察しろよ、みたいな描写になってたんじゃないかな。

プラグスーツを着ていないと体を保てない綾波型が、その短い生の間に、様々な感情を駆け抜けていったのも象徴的だったように思う。

その一方で、加持さんの子供がしっかりと「世界をもとに戻す」実験従事しているというのも、良かった。

ミサトさんは、スイカの種を見るだけなんだよね。種をまいて育てるのじゃなくて、種を残す方。

あの村のシーンこそが、シン・エヴァンゲリオン劇場版の急所だと思う。

シンジ好意を持つように設計された綾波型が感情を受け入れるも、なお運命の通りになる。

シンジは誰からも放っておかれる状態で、本当に自分がかけたいだけの時間をかけて、やっと決断する。

最初こそアスカに無理やり食わされるけど、シンジくん自分レーション食ってんだよね。そして食うことに対して泣く。

自分で食い、自分で泣き、自分時間をかけて、最後無垢な問いかけに返す形で結論を出す。本当に良かったと心から思った。

アスカが途中で言ってたけど、そんなシンジくんみるの相当しんどいと思う。

で、そこは委員長の異様なほど優しい言葉綾波初期ロットとのやりとりでカバーされてる。

TVシリーズだったら赤木博士に「村での摩擦は死に直結するわ。学習性無力感一種ね」くらいは言わせたと思うんだよねマジで

落ち着いた後で、トウジと会話をしてお前は十分やったって言われたり、ケンスケからは親父とは話しとけよって言われたり、加持と出会ったり。

時間計ってないけど、かなり丁寧に時間をかけてあの一連のシーンが描かれてたと思うし、相当な比重じゃなかったのかなアレ。

でもなあ、序破ときて、Qでのカヲルくんとのやりとりって、アレまんま洗脳だろ。そらシンジくんでなくても壊れるよ。

親しい人と引き離して孤独にし、信頼を得てから既存価値観を壊し、そのショックが大きい間に新しい方向性を示す。

で、洗脳が解ける前に、信奉した教祖たるカヲルくんが自分のせいで目の前で死んだら、そら壊れるよ。

それをきちんと作品内で比重を置いて向き合って時間をおいてくれたの本当に良かった。

ヴィレヴンダー艦内

前後関係あいまい

アスカのDSSチョーカーみて吐くシーンは象徴的過ぎてインパクト強いけど、マリアスカも対爆隔離室内に自室があって爆薬増やされてるってことは、シンジくんと同じよね。

シトと一緒だからじゃなくて、エヴァに乗る適性がある人間に対しての強い警戒心。

あと、振り返って考えると「ワンコくんとの進捗どうだった」のあと、「年頃の男には興味ないか」みたいなことマリアスカに言ってなかった?

そういや、冷酷っぽくふるまってるアスカが、劇中ほぼ唯一恥じらってるのがケンスケにカメラ向けられたときなんだよな。

シンジくんって、ヴィレ判定で精神的に安定してるって言われてるから綾波初期ロットとの直接のお別れを経験後なわけで、親父すでに超えてるんだよな。

しかその前後で、冬月副指令が、「自分と同じ喪失経験させるのも息子のためか碇」とか言ってなかったかな。

あと、どのシーンでもマリって劇中で誰かと相対するときには、相手パーソナルスペース内に入ってんだよね。

破で、シンジくんの匂いを嗅ぐ、引きこもってるシェルター内のシンジくんを引きずり出す。

アスカには抱き着く、後ろに回って髪を切ってあげる。シンジくんの後ろから手を回してだ~れだっていかける。

古今東西書物を読み漁り、相手の懐に入り、どのタイミングでも余裕たっぷりなのはイメージとしては「魔女」だよな。

アスカ死に装束でしょと返したスーツを着た後、シンジにわざわざ会いに行ったのはどう考えても最後だと思ったからで、

そのタイミング再見って、もう一回会う気満々なのも強い。

新劇場版通してみて、マリだけ高次の存在に見えるんだよな。

ブンドド

わざとだよなあの艦隊戦とあの曲。

そういや、エヴァで誰を殺せば世界平和になるかって言ったら真っ先に冬月副指令だと思うんだよな。

Q以降、ほぼ単独組織的攻撃対応してるのとか、そもそも研究室の件と言い、このオッサン元凶だろう。

舞台を整えるの全部やり切ってるしな。

甲板上になぜかみんな集まる

セカンドの海の浄化サードの大地の浄化だったら、フォースって空の浄化じゃないんかい

あとゲンドウがきっちり葛城大佐赤木くんって呼んで反論しててちょっと面白かった。

ミサトさんに息子の話をするシンジくんは、はっきりあいつのこと好きだよって言ってるんだよね。

自分が人を評して、それを他人に伝えることに躊躇しない最初相手ミサトさんなのは結構グッと来た。

アレなニュアンスの旧劇ではなく明確に母親ポジションとして描かれているので安心した。

宇宙

ゴルゴダオブジェクトの上で、マイナス宇宙でヒトが認識できる形を記憶からLCLが作ってるんだっけか。

きっちり旧劇っぽく親子喧嘩メタっぽく描いてるのがエヴァだよねって感じで良かった。

よくよく考えると、わりと新劇場のゲンドウって、最初から甘いんだよな。

息子とは墓参りに行くわ、息子との食事会には行こうとするわ、わざわざ褒めるわ、本部壊すまで駄々こねた息子をギリギリまでやらせるとか。

聞けば答える、本当にコミュニケーションが苦手な親父として描かれている感が最初からあったけど、まあそうなるかなーという。

異様に手際の良い冬月先生と対抗するマリ

やるべきことを完全にやり切って、マリ必要ものも全部集めておいて、見届けずにL結解密度が高い中で無茶してLCLになる冬月先生

やっぱこの人が完全に元凶な感じがしてならない。

ただまあ、ユイさんってこうサークラじゃないけど、なんだろうこのワールドクラッシャーな感じ。

ゲンドウの話

ゲンドウが大人理解力表現力で、内面をきっちり吐露していくシーン。

ユイ出会い、楽しかった、ユイけが受け入れてくれた」みたいなところで、どの場面でもマリちょっかいかけてるのに一切触れられてなくて草生える

あの流れだけ見ると、昔ちょっと好きだったゲンドウくんの息子のシンジくんを迎えに行く女みたいになるんで、それはちょっとという気にもなる。

新しく作られたガイウスの槍のシーン、シュワッキマッセリーって流れてて、聖☆おにいさんを思い出しました。

ただ、ミサトさんの死と思いを受け取れるシンジくんはほんとにゲンドウじゃないけど、大人になったなって感じた。

最後に息子から歩み寄られて謝っておそらくは和解したゲンドウが、息子の中にユイを見出すの、

繰り返しになるけど、死を否定したり無かったことにするのではなくて、受け入れたうえで先に進もうとするメッセージ性を強く感じた。

渚カヲルの話

狂言回し、なんだろうな。ゲンドウが降りたらもう確かに誰もその位置に立てないしな。岸辺露伴ポジション

ここからは、シンジくんからの別れの挨拶なんだよね。

旧劇の場所アスカに思いを伝えるシーン、マリが出てくるのバグってるっぽいなー

カヲルくんと加持さんが出てくるシーン、ゲンドウとシンジとの両方の位置カヲルくんが居るんだよね。

シンジくんに依存しない世界でのカヲルくんの理想の世界は、加持さんと接してたところになるのかなー

加持さんは、ヒトの存続よりも種の多様性を残そうと尽力したって位置づけなんだろうな。神の使徒に愛される男。

時間世界も戻さずに、エヴァに乗らなくて良い世界に書き換える。

時間の巻き戻しではなく、違うパラレルワールドでも無くて、継続したまま治そうとする。

しかマリさんも迎えに来るからって綾波に伝えて別れを告げる。

てことは、アノ世界はなかったことにはならずに継続したまま、シンジくんにエヴァを消された世界に作り替えられるけれども、シンジくんは戻れないってことだよな、と思った記憶がある。

あれだけゲンドウがユイの胸で泣きたかったって言ってたのに、母さんを送りたかっただけなんだねって納得するのは、シンジくんの理解力大人で成長したなあと。

アニメーション世界

ヒトから高次の存在ってよく映画では描かれるけど、

それを、アニメーションセル画っていう低次(二次元)の存在に落としたうえで、マリに迎えに来てもらって元に戻すっていうのは、すごいな。

リアリティのある世界

マリに相変わらずいい匂いって言われたあと、相変わらず可愛いよっていうシンジに対して、

いっぱしの口を利くようになってといって、DSSチョーカーを外すのって、あれシンジの主時間時間経過してない表現だよな。たぶん。あれが入らないと、何年も経ってるように見えるし。

そのために甲板でDSSチョーカー嵌めたのかなあ、自ら進んで嵌めるって演出にも見えたんだけどヴィレ的には必然性ないよなアレ。

最後シンジから手を引いて階段を昇っていくのが、ああ、終わったんだなって。

というか、ぶっちゃけると、シンジくんが緒方恵美さんの声から声変わりしていた瞬間の衝撃が強すぎて、あとは流れるように見ていた。

ハッキリと明確に、彼が大人になったと感じた瞬間だった。

ああ、エヴァンゲリオンアニメーションとしての作品は終わったんだなと思った。

終わりに

一人一人に引導を渡していって、最後にあまり知らないが好意を持ってくれる女と手を繋いで階段を昇っていく。

この先どうなるかはわからないけれども、しっかりと大人になったシンジを見て、ああ、本当に良かったと思った。

鏡を見ろ現実に帰れみたいな突き放し方じゃない、同じ意味でも伝え方の違うアニメーションの力。

加持さんは裏で我儘を通し切ってた。ミサトさんは意地を押し通した。ペンペンはきっと殖えてる。

アスカは素直になれた。ゲンドウは折り合いを付けた。レイは居場所を見つけた。シンジ大人になった。

あり得たかもしれない世界の中ではなく、序破Qの世界継続した上でシンジ大人になったのが、本当に良かった。

2021-03-11

anond:20210310120801

地頭かい単語をぢあたまとかいってるの頭悪すぎでしょ

それどういう意味でいってんだろね

環境適応とか応用の能力経験記憶の忠実性を

評価者が見て取れ理解でき評価採点できる

ってことをまとめて評価方法とする

ってことでしょ

あたまがいいって「評価する」側からその基準提示するのには「評価者の存在」が必須じゃん

国家資格なら国家必要だし部下の評価には上司必要なわけで

「ぢあたまがいい」とか「いう側」が存在していて

その存在が「ぢあたまがいいね」と評価してあげるだけの理解力があって評価してあげられる

ってことを言いたいだけだよね

仮に「ぢあたまがいい」となにがどうなるのかってまったく基準がないよね

いいね」って言った人のなかにだけその用途基準があって

評価である僕がいいとおもった」ってことをおすすめされても

あんたのおきにいりをなんか世界が認めてる基準みたいにいわれてもね

ってなるし実際そんな「ぢあたまのよさ」を推薦されても

使える使えないってそれぞれ使う場所によるでしょ

機転が利くとか覚えがいいとか応用の筋がいいっていろんなジャンル

いろんな方向にあって一概になんとか言えるわけではないどころか

それぞれに存在するってこと以上いえないよね

なのに全体を通しての評価基準

「ぢあたまがいい」

経験したことを多く再現性の高い状態記憶

それを説明することができ実践できる

また異なる状況においてそれを行使有効に結果を

導くことができるようす

だとしてそれ「機転が利く」とか「勘がいい」「筋がいい」って以上に

言う必要なくない?

だってそれ「その個人能力」についての評価じゃん

その個人がどこでなにをするかということについてはその個人能力次第で

「ぢあたまがいい」評価をもらってますといっても

裁縫は下手かもしれないし魚釣りは得意だけど料理は下手かもしれない

「ぢあたまがいい」評価はどこまで適用されるべきなん

ぢあたまがいいと国会公務員になれるの?研究者になれるの?

あのこはぢあたまがいいのよ、あなたはぢあたまがいいんだから

っていわれて何か世界かわったの?

評価してる発言者本人が自分基準においてはおまえはいいやつだって

なんかとりとめもないフォローしてるだけじゃん

それ個人特性なら「あの子はあれが得意だね」って言う以上に

必要なくない?

その個人としてはね

結局、自分はその能力をふくめ人間評価することができるって

マウントとるための評価基準新造してみたんでしょ

ほんとバカバカしい

関係萌え』と『理解ある彼くん』と『Newタイプ』 

増田のいう関係萌えとは?
リアルワールド増田のために存在する人間はいないのは当然のことだけど
他人創作物に登場するキャラ増田のために存在する都合の良いお人形じゃないよ
人形遊びがしたいなら自分自身一次創作しよう

自分場合関係萌え理解できるけど個人を推す感情理解できない。例えその関係性の片割れであったとしても個人としてはどうでもいいというか何を思えばいいのかよく分からないんだよな。

(anond:20210310001416)

関係萌え」は「自分にとって都合のいい関係萌え」ではないぞ。。

 

 → 増田のいう関係萌えとは?

 

理解ある彼くん漫画より
"僕の理解力は僕の幸せのためにある"

A『そんな私にも理解ある彼くんがいます。彼くんのおかげでなんとか日常を送っているわけです』

 <Aの彼くん 理解力3万>

 

B「その程度で理解力がある?笑わせるわね。私の彼くんの理解力は53万よ」

 <Bの彼くん 理解力530万>

 

彼『うわーーー』

A『彼くんのメガネ割れた!』

 

B『理解力バトルで敗北した彼くんは死ぬ…!当然の結果よ!」

 

A『そんなの間違っているわ!理解力は人を傷つけるためのもじゃない!メンヘラの私を幸せにするためにあるのよ!』

 

彼『それは違うと思うよ。僕の理解力は僕の幸せのためだよ』

 

 

Newタイプ

前提の共有が出来ない

anond:20210311011614

アスカ人間生活価値観を捨てた、クチの悪い軍人だと思ってた。なと思ってたので、その視点はなんだか新鮮だった。

一方ケンスケ、申し訳のようにタオルはかけてたけど、基本は自由にさせるって姿勢だと思った。

トーだって少佐上着をかけるさ。

増田の中でアスカは素子だと構築しているならそれで何も問題ないよ

『そうなんだ』っていうだけ

 

新ではメンタル病み描写が随分優しいし、シンジ以外はそこまで追い詰めてない

 ↓

そういう描写あったっけ?見逃してるかもしれないので破とQチェックしてみる。

???? 結局、アスカ病み描写あると認識してるんだよね???

当たり散らすのはもちろんお人形アスカは1人でも大丈夫ってやってるのは健康そうじゃないよ

 

そもそもシンジアスカのために存在する彼くんじゃないよ?

倫理的にもエヴァメタ的にも (過去ガイナ名義でCPれるゲームは作ってはいたけど)

 

===================

理解ある彼くん漫画より

===================

A『そんな私にも理解ある彼くんがいます。彼くんのおかげでなんとか日常を送っているわけです』

 <Aの彼くん 理解力3万>

 

B「その程度で理解力がある?笑わせるわね。私の彼くんの理解力は53万よ」

 <Bの彼くん 理解力530万>

 

彼『うわーーー』

A『彼くんのメガネ割れた!』

 

B『理解力バトルで敗北した彼くんは死ぬ…!当然の結果よ!」

 

A『そんなの間違っているわ!理解力は人を傷つけるためのもじゃない!メンヘラの私を幸せにするためにあるのよ!』

 

彼『それは違うと思うよ。僕の理解力は僕の幸せのためだよ』

  

あと「理解ある彼氏」ってミームは知ってたけど「貞淑な妻」くらいにしか思えないし

理解ある彼氏貞淑な妻という解釈理解価値観の違いで片付けられるレベルの話ではない気がするが

エヴァ関係しないのでスルーする

 

 

結局、表層上は男女が同じ部屋にいて女の方が裸だから下世話なネタに結びつけるのかな…

理解範疇を超えているので再びNewタイプに追加しといた

 

母親父親や兄や弟や姉や妹や友達上司や部下がマッパだと不快感があるのは性的目線関係無いし

注意するのも性的目線関係ないよ

2021-03-03

anond:20210303093113

ダブスタがどこかわからないのは、ご自分理解力問題ですねー

罵ることしか出来ないのもかわいそうですねー

またきてどうぞ

2021-03-02

この惨状を見るといか日本人から理解力がなくなってるかわかる

俺が正しい!聞けよ!お前の話なんて聞いてねぇんだよ!っていう北風と太陽で言えば北風さんがホント目障りだな

普通理解力があれば相手の溜飲の下げさせ方なんていくらでも知ってるはずなんだが

まぁどいつもこいつも社会不適合でコミュ障ってことか

2021-02-26

anond:20210226013525

合理的ってのはそういう意味じゃないよ。

例えば、前提となる都立高校の現状として、

学校経営責任校長。例えば、入試倍率はそのまま評価対象となる。

・逆に、入試倍率が下がった学校は統廃合になる。

偏差値が50を切る学校の、中学3年生とその保護者対象とした学校説明会では、染髪禁止をはじめ生活指導についてかなり詳しく説明する。これはむしろ保護者学校に望んでいることに他ならない。

ここまでは入り口の話。出口すなわち進路について。

偏差値が50を切る学校では、進路が多様になる。概ね多い順に専門学校大学就職だろう。

大学進学と言っても9割がた総合型(旧AO)か指定校/公募推薦なので、ほとんど全員が志望理由書などの書類面接で進路が決まる。

・最も大事な点だが、大学企業担当者学校訪問をしたときの印象は、指定校の枠や求人に影響する。

最後地域

学校運営評議会という、地域代表や近隣の中学校の校長などから意見を伺う場がある。

地域住民からすれば、もし地元金髪ピアス高校生が溢れれば「学校指導が不十分」と映る。

合理的」といったのは、こうした底辺校をめぐる入学・進路・地域社会との繋がりといった構造が、高校染髪禁止を強いているという意味だ。

まして、地毛証明染髪禁止規定から除外するための措置なので、それ自体批判する奴は高校事情云々の問題関係なく、理解力のないただの馬鹿

2021-02-25

「敵の意見か、味方の意見か」を判断基準にする奴=バカ

ツイフェミネトウヨ嫌儲民、プペル、高須ニコニコ二次裏、ネラーネットはいろんな馬鹿巣窟があるが共通していることがある。

それは奴らが他者意見を「まず最初に」「敵か味方か」で判断していることだ。

馬鹿は脳の思考力を司る部分がゴミなので相手意見論理的理解することができない。

同時に、自分省みる能力が低く鏡にうつる間抜け自分であることにすら気づけないため、自分まさか相手の言ってる事が理解できていないはずかないと思い込む。

その矛盾を埋めるのが「敵の意見なら間違いなく間違いで、味方の意見なら正しく正しい」という虚無のロジックである

まず相手発言を見て自分たちに批判的か肯定的か、自分たちがいつも使う言葉を使っているか、敵側の言葉がないかを探す。

そして敵か味方かを判断したら、それから文書斜め読みして、敵の文章だと思ったならわずかなミスを過大にあげつらい、味方の文章だと思ったならいいねを入れる。

そうやって敵味方かだけで文章を読む癖のついたアホが増えると、話にならないからまともな人間はいなくなり、そのことを奴らは自分たちに都合よく「正しさが証明された」と判断するのだ。

敵味方で文章判断する癖がつくのは何も頭が悪いからだけではない。

それは彼らが瞬間の発言と全人格を切り分けることができないことにある。

これは知性というより思考の癖によるものだ。

常に発言に全体重を預ける彼らにとって、一瞬一瞬の発言批判人生すべての批判となり、そのためなんとしてもその正しさを守り抜こうとする。

結果、全肯定以外のあらゆる返答を敵対行為とみなし、己の全人格をかけて反撃を試み、そのたびに泥沼へと沈んでいくのだ。

そうしてゆくゆくは完全に一つの思想に染まりきったコミュニティの中で批判されることのない発言だけを繰り返す存在となる。

当然そこに、まっとうな思考経路など残っているはずもなく、コミュニティにとって味方になる発言をし、それ以外のすべてを批判することしか考えていないゾンビとなる。

そんなゾンビ支配されているのが、ツイフェミや一部の腐女子界隈、エロ無罪のスケベオヤジに、5ちゃん二次裏を始めとした完全に終わってしまったムラ社会なのである

そうならないために必用なのは発言価値や是非の判断基準から自分の味方か敵か」を完全に排除する他ない。

これは学習によって身につく不自然であり、自然にふるまえば思考力や理解力は少しずつポジショントークエコーチェンバーの沼へと消えていく

説明力か理解力

あるとき友人Aと私とでとある施設を訪れた。

私ははじめてだったが、Aは何度か利用したことがあったようだ。

そこでは利用者代表者1名が氏名、住所などを台帳に記入することになっていた。

するとAは私に「書いてくれん?」と言ってきた。

私は「書くの面倒だからAの住所を私が代わりに書いて」という意味解釈し、Aの住所などを聞き出そうといくつか尋ねた。

しかし実際は「私が私の住所を"書いて"」の意味だったようだ。

こうやって会話が噛み合わないことがしばしばある。

そんなにも私の理解力が低いのかと自己嫌悪する瞬間である

2021-02-24

anond:20210223223958

理解力がない人間が増えたので自分面白さが受け入れられなかろうがどうでもいい、という精神必要

面白芸術で売っていこうとするならバカに合わせるしかない

2021-02-23

anond:20210222173846

男性と比べて女性の方が平均的なIQが高めとされている時点で

男女間の知性の差はどうしようもなく存在する事実である

知的障害者犯罪者割合は男女比9:1で男性が多く逆に女性は少ないのは有名な話だけど

一般的男性女性と比べると低い知能で生まれ攻撃的な人間として育ってしま

この事はパートナー子供兄弟など家族男性が居る女性なら皆何となく分かっていると思う

男性の強い攻撃性は「人間」という種族を他の動物から守る必要があった太古の時代には必須の物であったのかもしれない

しかし「人間」を脅かす外敵が居ない現代では、男性攻撃性は同じ人間を害する物でしかないのが現実なのだ

元増田は「フェミニスト男性について不理解である」と主張しているが、一般的女性の方が男性と比べると異性に対する理解力が深いとされている

これまでの人類歴史において子育ては常に母親が行ってきた事もあり、男性がどのように育つか女性は親の立場から見てきた事が大きいと思われる

男性女性に対する理解が著しく低い事は、女性が外出する際に当然の身嗜みとして行う事を強要されてきた化粧への男性認識を見ても分かるだろう

フェミニズムとは、古来より女性というだけで馬鹿にされてきた性が「女性だって男性と同じように知性もあれば感情もある、同じ人間として扱って欲しい」と馬鹿にしてきた性に訴える叫びである

その逆のケースがこれまで殆ど見られなかったのは、男性は「女は自分達男の事を全て理解していて当然である。故に説明する必要もない」という傲慢な「無理解からであった事は、言うまでもないだろう

2021-02-22

フェミニストに知ってほしい性差

 フェミニストに知ってほしい性差とは、結局人間の知能においては男女差が無いということである。その事実は、恐らくフェミニストにおいては自明ではない。知能は一方の性に偏っており、そのギャップにおいて一方の性が苦しめられている――それが恐らく多くのフェミニスト諸氏における認識だろうと思う。そして、男女同権的な、つまりフェミニスティックな見解をここで披瀝させてもらうならば、そのような理解には誤りがある。男女に知能差は無いのである


 例えば、権力者失言によって多くの女性が憤っている。この失言とは、男性女性には「負の性差」があるという主旨の発言で、正直なところ憤るのも無理はない。

 多くの女性が、権力者失言によって、男性のものに対する包括的な不信感を抱いたことと思う。男性ジェンダーについてあまりにも無知ではないか? 男性には想像力理解力の双方が致命的に欠如しているのではないか? ジェンダーレス社会を目指すにおいて、あまりにも男性の抱えている障壁は多すぎるのではないか? と。

 とは言え、繰り返すように男性女性との知能差というもの存在していない。男女における知的性差というもの存在していない。男性女性も、基本的に与えられている知性や想像力理解力は平等で、根本的には偏りは存在していないのである

 それにも関わらず、男性権力者から性差別的な発言が出るのは何故だろう? と考える人も多いと思う。

 そのように事実現実とのギャップが生まれ理由は、一言で表すならば「異なるアスペクトの表出」である

 つまり人間は多くの場合、男女を問わず認識盲点を抱えているということなである。誰しもに盲点存在しており、誰しもがその盲点に基づいて、想像力の無さを他者へと押し付け他者を貶め、他者不快な思いをさせているのである。結局のところ、権力者不快発言想像力の欠如とも取れる発言は、誰もが抱えるその盲点に基づいた発言なのだ。そのような盲点は個々の人間において多種多様である。よって、たまたまその権力者盲点が、ジェンダー意識において存在していたということなのだ。それが、たまたま表出したに過ぎず、つまり想像力の欠如が「異なるアスペクトの表出」として現れたに過ぎないということなである

 翻って言えば、想像力の欠如は権力者だけの問題でもなければ、男性だけの問題ではない。我々は常に想像力の欠如を抱えている。そこに男女差は無い。想像力の欠如は誰しもに存在しているのだ。その想像力の欠如に基づいて、男女問わず世間においては誰かが不快な思いをしているのである。繰り返し申し上げるように、そのような不快感には男女の区別はない。誰もが加害者でありうるし、誰もが被害者になり得るのである

 何故なら、男女において認識能力知的能力性差は無いかである。そこに性差が無いということは、男女の持つ想像力理解力にも同じく差はないということなである

 つまり権力者にしたところで、男性にしたところで、女性にしたところで、同様に想像力は欠如しているのである


 勿論、フェミニストにおいてこのような認識が為されていないのは了解している。フェミニストにおいては、男女においては明らかに理解力と想像力に差があり、一方の性においてそれが充足しているにも関わらず、他方の側にはそれが欠如していて、そのギャップにおいて苦しみが生まれていると認識されている場合が多い。無論そのような見解は誤りである社会的なスタンスの違いが、身体的な知能差を越えて、一方の性に想像力の欠如や理解力の欠落を生んでいるのだ、とやや穏健に述べるフェミニストもいるだろうが、そのような見解からも、同様に正確さが欠けていると言える。「社会的なスタンスの違いが『男性に』想像力の欠如を生んでいる」のではない。正確に言えば、「社会的なスタンスの違いが『男女問わず想像力の欠如を生んでいる」のだ。そこには、性差は無い。誰しもが無知であり想像力を欠いているに過ぎない。そのような事実を我々は共有しなければならない。

 ここで申し上げたいのは、想像力の欠如を男性問題へと押し付けるのは止めて欲しいということである

 それは女性問題でもあると同時に、人類全体が抱えている病なのだ権力者ジェンダー意識盲点を抱えているのと同様の意味で――同程度に致命的な意味で――我々には無数の盲点存在しているのである。今回問題になったジェンダー意識における想像力理解力の欠如は、結局のところ我々が抱える多くの無理解想像力の欠如における一側面にしか過ぎず、同様の無理解想像力の欠如がまるで大海のように我々を覆っているのである

 男女において知能差が存在しないということは、概ね人類は男女問わず同根の問題を抱えているということなである。そしてその問題こそが、この場合想像力の無さなのだ。一方の側にの想像力の欠如があるという見解は、間違いである。双方に想像力の欠如があるのである

 そのことを無視して、一方の性を糾弾することは問題である。それこそ想像力の欠如であると言ってよい。


 また、人は一方の性を「知性に欠ける」と称することで、逆説的に自身の属する性をも毀損することになる。何故ならば、知能に性差は無いかであるフェミニストが一方の性に知性の欠如を認めるのであれば、公平に言って、同程度にもう一方の性にも知性は欠如しているのである。一方の性にの盲点があるわけはなく、双方の性に盲点存在しており、その数は無数なのである。つまり、一方の性に対して人が想像力の欠如を宣言するのであれば、ほぼ同等の知能を持つ他方の性もまた、同等の想像力の欠如を持っていると宣言しているに等しいのである。そのため、一方の性に対する糾弾は、逆説的に、あるいは直接的に、他方の性や自身の性に対する毀損となり得る。

 我々はそのことを認識しなければならない。

anond:20210222140536

おまえの理解力が足りないだけだろ。

韓国へ行って10年くらい過ごせ。

2021-02-20

ENGEI で見た残念な若者

35歳。あまりお笑いは見てないのだけどたまたまたENGEIを見て思ったのだけど、ごく一部の人気若手に同じ傾向があってそれがとてもつまらなかった。

というのも、あるテーマに対し継続性のない小ネタを何度もやる(ロッチネタのように継続することの意味がなかった)且つ、切り替えが高速過ぎてネタを見て笑うまでのゆとりがないというもので、なんというか、いくつもやってそのどれかひとつがウケれば良いかのような印象だった。

Twitterではおもしろいという発言もたくさんあったのでジェネレーションギャップないしは老化で理解力が落ちてるかなぁ。

2021-02-18

anond:20210218091637

あっこれが「理解のある」彼くんというやつか

文脈意図理解せずに、言葉をそのまま受け取ったり曲解するのは「理解力無い男」に分類されて嫌われちゃうぞ。

理解のある彼くん」の話でソシャゲの話しかしないやつとか、会話が苦手なやつとか、理解力に乏しいやつみたいなコミュ障たちは出てこないでしょ?

 

自分にとって都合のいい理解をしてくれる=理解がある

言ってることの意図理解してくれるってのが「理解がある」ってことだぞ。

書いてあることを文面通りだったり言葉尻だけ捉えて「自分プラスになる人間は近づいてこない」って話に「ヤリモク男が近づいてきてるじゃん」って返すのはコミュ障すぎるぞ。

 

耳に痛いこと言ってくるやつは私を理解していない扱い

「耳に痛い」ってなんだよ、「耳が痛い」とか「耳の痛い話」とかだろ、日本語シンプル不自由からコミュニケーション能力が乏しくて会話が成立してないんだと思うぞ。

本をもっと読んだり新聞読んだりしたほうが良いぞ。

anond:20210218090745

お前みたいに読解力とか理解力が乏しい上に、結論ありきで話を組み立てるやつってのは、女からしたら一番関わりたくないタイプなんだと思うぞ。

2021-02-16

anond:20210216085001

ハリウッド映画なんて未開の僻地の住人にもわかるよう調整されてんだし

理解力ないのが正解でしょ

最近ハリウッド映画ストーリー理解できない

最近ハリウッド映画ストーリーが難解すぎて理解できないことが多い

TENETなんて、何度見ても分からないし、解説サイトを見ても分からない。

アクション映画ミッションインポッシブルシリーズも、最近のは良く分からない。

自分理解力が落ちているんだろうか?

2021-02-15

ずっと人が怖い

今日やっと気が付いたけど人にずっと恐怖を持っている気がする。

基本的自分に自信がないから人から期待されるのがすごい苦手。

なんで自信がないかと言えば頭が悪いから

みんなよりも理解力が劣ってるから期待しないでほしい。

なんとか新卒で入った会社でいろんなことを教えてもらってるけど私のやったこと全部確認してほしい。

合ってるか全く自信がないから再度チェックしてほしい。

それなのにとうとう先輩から「これ俺チェックする必要ある?」とか言われてしまった。

すごいへこんでタイトルにたどり着いた。

みんな人怖くない?

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