はてなキーワード: 物乞いとは
ネトウヨ歴10年以上のオッサンの負け惜しみに、ちょいと時間を割いて付き合ってくれ。
中国のキャッシュレス化を報告する、ホッテントリで話題のこの記事。
http://kabumatome.doorblog.jp/archives/65890870.html
大学でネトウヨデビューし、中韓を横目で睨んで10ウン年、ここ数年で慣れっこになった敗北感を覚える記事の1つだ。
中国では既にリニアモーターカーが走り、「日本ではまだホームドアが普及してないのか!」と驚かれる今日このごろ、
すっかり追い抜かれた感が強く、この先突き放される一方であろうという事は疑うべくもない。
という基本的な流れは間違いないのだが、ちょっと立ち止まって考えると、
日本は「追い抜かれた」けど「追い着かれた」わけではないのではないか、と思ったのでここに書く。
どういう事かというと、進歩は段階的に連続的(線形※←誤用につき削除m(_ _)m)に起こるのではなく、中間段階をすっ飛ばして最先端から始まるのだ。
例えば、アフリカでは既にスマホが普及しているわけだが、別にアフリカはその前に黒電話やガラケーが普及した時期があったわけではない(のだろう)。
たとえ今の時点で電話がほとんど普及してない国があったとしても、その国に電話が普及する時に、今更黒電話から導入する事はないだろう。
中国のキャッシュレス化がなぜ日本よりここまで進んでいるかというと、それは単に中国の経済と技術が圧倒的な速度で日本を抜き去ったから、というだけの事ではないのだろう。
おそらくその前(ほんの数年前)に電子マネーの「電」の字もない時代があり、ATMでの振込み、引き出しすらままならない時代があり、
「さあいい加減に便利にしてこうよ」となった時には既にスマホが普及していたので、今更Suicaみたいなカードを導入するメリットがなかったから、ここまでスマホでの決済が普及したのだ。
もしその時点で既にSuicaみたいなのが普及し、そうでなくても街のあらゆる所で24時間現金をおろせる環境ができていたらどうだったか?
利用する側はわざわざ導入コストを払って新しい仕組みを導入するメリットが薄く、利用する側がそうであるがゆえに、提供する側も積極的に投資できなかっただろう。
仕組みが普及していないのならば、物乞いも現金で貰わざるを得ないだろう。
ホームドアについても同じことで、「さあ線路引くぞ、駅増やすぞ新しくするぞ」というタイミングで最先端にホームドアという技術があれば、それが普及するのが当然なのだ。
中国みたいに飛ぶ鳥を落とす勢いの国じゃなくても、これから線路を引くなら普通にホームドアが最初からあるだろう。
日本が遅れているのは、ホームドアが発明されるより前に鉄道が普及しきってしまったからだ。
ホームドアを設置すれば確かに今よりは良くなるが、既に鉄道が普及しきっているせいで、投資に見合うほどのリターンを期待できないから設置されないのだ。
私事であるが、最近PCを新調した。GTX1080とCore i77700Kを積んだ良い感じのやつ。
その前に何を使っていたかというと、5年前くらいに3万円で買ったLenovoのミニタワー。
大幅なスペックアップであり、多くのライトゲーマー層のプレイ環境をごぼう抜きにしただろうが、
なぜそのレベルのPCを買ったかと言えば、その前のPCがクソだったからだ。
もしその前にGTX1060辺りを積んだPCを持っていたら、このタイミングでPCを買い換えようとは思わなかっただろう。
そして、1年後2年後に買い換える人は、もっとずっといいPCを使うのだろう。
確かにキャッシュレス化では中国の後塵を拝し、指くわえて羨ましがっているしかない現状だ。
だが、それは「追い抜かれた」のであって「追い着かれた」のとは違うのだと思う。
極論すれば、日本より技術・経済で後進の国(中国のことじゃないよ)であったとしても、インフラで日本を抜くのは当たり前なのだ。
なぜなら、日本に次に最先端の技術が普及するのは、今普及しているインフラが不便で不便で我慢がならんと、多くの人が移行コストを支払う機運が満ち満ちた時なのだから。
だから今は抜かれても仕方ない。うん。
互助会ブロガーにありがちな個人的ランキング、00年代までならテキストサイトの名残溢れる牧歌的な内容だったし、自分の趣味を伝えようと躍起なので門外漢でも興味を持って読める内容だった。それは書き手が少ないから、必然的に自分の趣味に熱量のある人しか書かなかったからだろう。
今は別に「検索に引っかかりやすそう」「多くの人が話題にしてくれそう」が狙いのランキングしかなく、また大して興味もないのだろうからありふれた内容にしかならない。そして全然興味がないから簡単コメントしかつけない。一昔前のニュースサイトか。多少入れた些細なジョークもラーメンにふりかけた胡椒くらいにしかなってない。
だからもう、羅列型でやるくらいだったら「1位」に選んだものだけの愛情やらなんやらを具体的に読みたいのよ。ストレートな好意でもいいし、なんかものすごく偏った欲望でもいいし。100人いたら100人はだいたい理解できるような感想とか考えはどうでも良い。テンプレうんこコメントランキング作るのだってテンプレでも20分はかかるでしょ。同じ20分かけるなら、もうちょっと自分の中身を掘り下げることをしてくれ。そうじゃないとこいつはとにかくこいつは安くて雑な油で揚げてなおかつカッチカチに冷えた半額の天ぷらを「半額だー」という人間の買った天ぷらが入ったプラ容器からこぼれ落ちた天かすを拾ってご飯にかけて食べているような貧困未満のかわいそうな人としか思えないし、テキストいう文化的なことに対して(アフィリエイトとは言え)生じた金が文化貢献とかではなくかわいそうな人達へ小銭投げてやるような行為にしか思えなくなって、人生に対してうるおいが一瞬で乾く。書き手として、先生に習ったとおりに一生懸命書いたテンプレ記事が、物乞いレベルの小銭拾いでいいのか。そんな貧しいものよりも、ヘッタクソでもいい。個人的で、歪んでて、貧しい自分の文化資本と対峙してて、それでもなおかつ引きずり出したボロボロの個人的なテキストのほうが物乞い小銭拾いよいも100倍価値はあるはず。面白いかどうかは知らないけど。でもテンプレうんこテキストも面白くないんだから、文章力アップしそうなほうがええやろ。
要するに、多少は書き手の意志が存在しているようには思えるものが読みたい。まあ、それでアクセスなんて稼げないだろうけど、アクセスアップは先生から習った炎上タイトル法でなんとかすればいいでしょ。
いやでももうランキングに限らずテンプレで書いちゃうのは書がないよな。別にテキストを書きたい欲求が強くて書いてるというよりは、小金を稼ぐために書き物の練習をしているのだろうから。拙い習作を褒めあってモチベーション維持することは大事だよね。どんだけ継続するか知らんけど。
マンガにしろ音楽にしろ小説にしろテレビにしろ、歴史的な背景を踏まえるほどの知識もなく、技術論もわからず、過度の愛情をいだいているわけでもないんだから、そうやって自身を含めた大衆のおもねったテンプレ記事を量産するくらいしか練習するすべはないよな。ほとんどテンプレなので、サロンとかブログ講座みたいなものがどういう講習をしているのかだいたいわかってしまう。ほぼ悪の商売だ。エロ詐欺・高額バイト詐欺と同質で、習ってるやつの防犯意識について考えると辛い気持ちになる。
ネットの海を泳いでいると、しばしば乞食行為に出くわすことがある。「誕生日が近いのでほしいものリスト公開します!!」みたいな。
ブログをやってる人、いわゆるブロガーなんて人種がそういった類のことをやっている印象だが、傍から見てて「気持ち悪いなぁ」と思ってしまう。乞食している側も贈っている側も馴れ合っている感じがして非常に気持ち悪い。
そういった行為を見かけると「そんな物乞いみたいな真似してないでブログの収益を使って自分で買えばいいじゃん」と思うし、「この人たちは現実のみならずネット上でも馴れ合って一体何がしたいのだろうか」とも思う。
私個人の感覚としては、プレゼントという行為は自分でクレクレ言いに行くものではなく、贈る側が何らかのアクションを起こすことによって始まるものだと思っているのだが、世間一般の感覚はどうなのだろう。友人でも家族でもない人に物をねだるだなんて行為、私には到底できる気がしない。
似たような例として、海外のフリーソフトやオープンソースソフト界隈ではPayPalによる寄付文化があるが、ああいったものに対して特に嫌悪感はない。恐らく、自分自身が「そういった寄付がモチベーションに繋がる」ということを身に染みてわかっているからだろうし、そもそもそこに馴れ合いは存在せず、利用者→開発者という一方通行の感謝の念だけが存在している(と私は思っている)からだろう。
同様に、プロフィール欄などに欲しいものリストのURLが貼ってあるような例も見かけるが、あれらも特に嫌悪感はない。PayPalの件と同様に自らクレクレ言っているわけではなく、その人に対する何らかの報酬・対価を贈るための手段として、PayPalなり欲しいものリストへのリンクが置いてあるだけだからだろう。
要は私の中に「友人でも家族でもない人に物をねだる」「ネット上で馴れ合う」といった価値観が存在しないために、ここまでの嫌悪感に繋がっているわけだ。狭量な人間だね。
まぁそれはともかく、こんなことを言っていると、ほしいものリスト乞食をやってる人からは「嫉妬してるだけでしょ」「全員がブログで収益出てるとでも思ってるの?」「嫌なら見なければいいじゃん」といった声が飛んできそうである。
嫉妬云々は感情の話なので否定したところで証明のしようがないが、収益云々に関しては「初期費用がゼロで済む以上、金額を問わなければブログで利益を出すのは全く難しくない」と思っているので、そんなことを言ってくる人とは根本的にブログに対するイメージが違うのだろう。
「嫌なら見るな」という意見はごもっともなド正論なので、そういった乞食行為をやっているのを見かけたらTwitterなりFeedlyの購読を解除するようにしている。
悲しいなぁ。
イレーナ(study)三部作を読んだ。純粋に面白かった。ハラハラドキドキワクワクさせてくれる、強い物語をずっと読みたいと思っていたので大満足だった。
毒見師イレーナから始まる今回の作品群の魅力は、かなりシビアな状況設定にあると思う。主人公が選ぶことになる最初の分岐点にしても、殺人を犯した罪で死刑になるか国の最高司令官の毒見役になるかだから押して図るべし。
国の体制も面白くて、管理社会主義と呼んでもいいシステムの良い面と悪い面がちゃんと描かれていた。後々出てくる南の民主国家との差異もはっきりしているから、より長所短所が明確になっていた。
孤児院での悲惨な過去があり、死刑を免れたと思ったら誰にも気を許すことのできない毒見役の仕事が待っていて、その生死さえ周囲の人々の賭け事にさせられしまうイレーナだけど、なんやかんやで懸命に生き抜こうとするところが格好良かった。時折優しくなるけどいつも心の内が読めない上司のヴァレクを筆頭に、イレーナの周りを彩るキャラクターも生き生きしている。のちに良き理解者になってくれる軍人のアーリとジェンコは武芸のいい市販であり優しいお兄さんたちだったし、同じく軍人のマーレンは戦い方の道を決めてくれた姉御肌の人だった。最後まで意地悪な家政婦のマージもいい味を出していたし、料理人のランドや裁縫氏のディラナも素敵なキャラクターとして配置されていた。
敵役が憎々しいのもいい。微塵も感情移入できない屑どもなので、最後にはスカッとできると思う。
世界観としては魔術がかなり強力なんだけど、武芸の練習をしっかりしているところなんかは精霊の守り人を思い起こさせた。また生い立ちとか境遇を見ると獣の奏者のエリンにも似てるところがあるなあって思った。だから上橋菜穂子作品が好きな人は楽しめると思う。というか、ファンタジー好きならいける。ファンタジーが好きじゃなくてもいけるはず。テンポもいいし、ちょっと変な言い方だけど章立てがするとずるいので、一度読みはじめたら最後まで読み進んでしまうと思う。
そんな一巻「毒見師イレーナ」は策謀の張り巡らさせた軍国を、平凡な主人公が前向きな性格と機転をきかせて生き抜く物語なんだけど、二巻の「イレーナの帰還」では追放された南の民主国で自分の居場所を見つける物語になる。でもって、この二巻からこのシリーズ最大のヒロインであるキキが登場する。ぶっちゃけてしまうと馬なんだけど、口足らずな言い回しや、胃袋の具合から世界をのぞく精神性など、本当にかわいらしかった。微妙に主人のいうことを聞かないのもいい。すごくいい。本当に。
さて、二巻では民主国家のいいところと悪いところが描かれている。軍国にはなかった着衣の自由や移動の自由がある一方で、路上には幼い物乞いがおり、誰も彼らに手を差し伸べようとはしない。少しでも優しくすれば彼ら際限なく要求するからだってのが理由なんだけど、イレーナは違和感を覚える。完璧な国家は存在しないと軍国の最高司令官はいうんだけど、現実社会においても同じことが言えるよなあって思った。
物語として二巻は居場所を主題にしていると思った。始まりからして生き別れた家族との再開が描かれているし、養成所での身のふるまい方に苦悩するところなんかも、一巻の生き死にの問題とはまた違った悩みを描いている。そんな二巻だけど、テイストとしてはミステリっぽい連続殺人犯を探す展開もあって新鮮な読書感が得られた気がする。ただこの巻からイレーナの性格の問題が噴出しはじめるので、もどかしくさせられることが多くなった気がする。
また二巻から翻訳者が変わってたのにはびっくりした。思えばちょっぴり文章が柔らかくなっていたのかもしれない。けどあんまり気がつかなかった。翻訳者ってすごいですね。
三巻の「最果てのイレーナ」は自分自身と向き合う物語だったと思う。この巻は読んでいて結構つらかった。どんどん悪い展開になっていくし、イレーナが覚悟できないから仲間との関係も悪化してしまう。追い詰められていくのって嫌な感じだよね。ただその分、最後のカタルシスは大きかったと思う。自分自身と向かい合い、与えられた力の意味を知った途端に形成が逆転するのは気分がいいです。
一巻一巻が長いなんだけど、読みはじめたら止まらなくて、一気に三巻も読んでしまった。どの巻も登場人物が多くて、ちょっと把握するのが難しいところがあるんだけど、それぞれの表裏というか、いい面と悪い面がしっかり描かれていたので、人間味があって生きている感じがよく出ていたと思う。
全巻本当に上質なファンタジー小説だったので、いろんな人に読んでもらいたい。ありがちな中世ヨーロッパがモチーフのファンタジーじゃないから、そういうのに倦んでる人も安心なはず。加えてヤングアダルトっぽさもあるので、若い子にもおすすめ。朝読書の時間に読めば、え、海外の小説読んでんのってびっくりさせられると思うよ!
そして、願わくばこの作者の他のシリーズを翻訳してほしい。この三部作の続きとなる物語もすでにあるって話なので。どうかお願いします。翻訳してください。このとおり。
小さい頃から働かせて、金を稼がせるのを目的に子供を産む親が増えるから。
しかし「富裕層であろうとそうでなかろうと、子供を作り囲まれて過ごすのは幸福の中心である」という判断は国や文化によっては当たり前だ。「多少裕福とは言えなくても子供を産んで育てるのは当たり前だ」という国のほうが世界では多数派だろう。
貧しい国で子供を産む理由は、ブコメにもあるけど産めば産むほど働く人が増えて金になるから。
そういう国は多産だけど小さい頃からジャンク漁りやら物乞いやら、農作業や力仕事やら、いろいろさせられてるよ。
場合によっては両親がまともに働かないで、子供だけ働くみたいな家庭すらある。
続き。
http://www.amamiyashion.com/entry/2016/07/24/193000
日本社会の問題点として、「空気を読まずに意見を言う人間を淘汰しがち」ということを挙げてあれこれ論じています。
わかる。すごくわかる。日常生活で真面目に意見をぶつけ合うことってほとんどないし、ある程度結論が見えてて(もしくは偉い人の方針があって)形式的に議論してそこにたどり着くだけ、みたいなのが多すぎてバカバカしくなったりしますね。
でも雨宮さんの場合は「知らないことを知らないと認めない」「間違いを認めない」「それでいて知ったかぶりや間違った知識に基づいて、飛躍した論理で意見を展開する」「そしてそのことを指摘されると逆上する」から嫌われるのでは?
そういう人は日本でなくても嫌われますよ。というか、ドイツのように議論を大切にする社会のマトモな知性を持った人ほどこういう人を嫌いますよ。
雨宮さんの普段を知りませんが、このブログのような調子で議論に参加しているとしたら、それは「散髪直後で髪の毛を撒き散らしながらレストランに入店し、入るなり大声で所望の品を叫び、料理が出てきたらガチャガチャクチャクチャと耳障りな音を立てながら食し、代金を店員に投げつけるようにして退店する」というくらいの無作法です。つまみ出されて当然です。
議論好きのドイツ人といえど、議論できるレベルは結構ばらつきがあります。言いたいことを言うだけ(相手の意見をよく聞いていない・聞く気がない)という人も結構多いです。雨宮さんの周りにはそういう人が多いのではないでしょうか。
雨宮さん自身、せっかくドイツに長くいるのに飲食店でパートタイムで働いたりセコセコ内職したり微妙な大学に通ったり、ということしかされていない(学問もビジネスもされていない)ようなので、そもそもドイツ人とシリアスな議論をしたことがない可能性も大いにあります。
可愛い日本人の女の子に下心を持った男に「君は賢いね」などとおだてられて自信をつけた、というのもありそうです。ここまで来ると邪推ですが。
1.自分の意見には根拠をつけよ
例えを使うのは王道ですね。具体的な数値を上げるのも効果的です。自分のリアルな体験談を引き合いに出すのもOK。
例えや体験談は根拠にはなりません。根拠を補強するだけです。補助輪です。雨宮さん自信の主張に根拠があったことはほとんどありませんね。メインの車輪なしに補助輪だけでは走れませんよ。
2.意見を言ってまわりに問いかける
わたしはこう思います(意見)
なぜならこうだからです(根拠)
だからこうした方がいいと思いますが、どうですか(まとめ・提案、問いかけ)
という3段論法はオーソドックスで簡単かつ有効です。小論文なんかでも使われる手ですね。
えっと、これを3段論法とは呼びませんし、小論文に問いかけとか書きません。
まわりに問いかけること自体は大切なことですが、上記はよく意味がわかりません。
4.反論には先に反論しておけ
説得力が増すし、相手の反論ネタを奪うこともできます。
「どのように反論されても言い返せるように十分準備しておけ」という意味なら大賛成ですが、だいぶ違う様子。
「相手が言い返してきそうなことを予め否定しておく(ただ否定形にするだけ、根拠なし)」ということのようです。
「お前のことバカにするわけじゃないんだけど、お前って頭も悪いし不細工だし体力ないしどんくさいよなw」とかそういうことのようです。
説得力は増しません。単に「反論は受け付けません」と宣言しているだけです。図星を突かれるのが怖いから予め自分から晒すことで恐怖から逃れる、という幼稚な手法です。
5.相手に共感させる
これは大事です。
ということに基づく「平凡な日本人」に対する謎の優越感だけで、読めば読むほど「薄っぺらい(無知なのに尊大な)人間だなあ」という感想が湧いてくるのです。
これとか、「ご自分に向けて書いたんですか?」と尋ねたくなるほどです。 選民思想をこじらせてるただの自己中、多くない? - ドイツ発 雨宮の迷走ニュース
とはいえ、「外国人」とか「グローバルな視点を持っている(ように見える)日本人」の言うことを無条件でありがたがってしまう人たちというのも多いので、そういう人たち相手の「ブログという芸」で小銭を稼ぐ人がいるのも当たり前だなあ、という感じです。
路上の物乞いとか、不幸な身の上話をして小銭を集めて回っているような人に対するのと同じように哀れんでしまうけれど、本人が惨めに感じていないだけマシだな、とは思います。
観光地で陳腐な空中浮遊芸やってるようなエセ大道芸人と同じようなものですかね。
彼女の書いた記事で「その通りだね」となったのは以下の2つくらいです。
警戒心の薄いバカな俺は電話番号とマイナンバーカードを確認し言われるがままホイホイ貸した。無事帰れるといいですね、と。仮に金が返ってこなくてもこれは勉強代だ、と。
そうじゃねえだろ呆け。「人に金を貸すときは帰ってこない気持ちで」は自分を納得させる免罪符じゃねえぞ。
結局連絡も取れねえし泣き寝入りじゃねえかよ。
何が勉強代だ。心のモヤモヤと沸々と湧き出る怒りで寝れやしねえ。全然納得できねえ。
何も考えず思考停止して、愛想笑いを浮かべて、何でもかんでも人の言うことに迎合しやがる。
なんで「他の人を当たって下さい」の一言が言えねえんだ?
金を貸せと頼むやつはつまり物乞いだ。物乞いは底辺だ。底辺は人間じゃねえ。
金を貸さねえだけじゃねえ。関わらねえ。自分のために。
[追記]
こんなありきたりな詐欺話で地味に反響があったようでびっくり。
為になるコメントの数々を拝見して、ちょっと頭が冷えたと同時に、本質があまり見えていなかった自分になんとも情けない気分だ。
タイトルとしては寸借詐欺というみみっちい詐欺行為(今回は大してみみっちくない被害だが)に遭ったということで、底辺と言うキャッチーなワードを入れてみた訳だ。
しかし指摘の通り、詐欺行為を働く輩は底辺に関わらずあちこちにいるわけで、そういう意味では意識が変わらない限り、今後も騙され続けるだろう。
結局当たり前の話、自分のあまりにも低レベルな危機意識の無さがこういう結果を招いたのだ。
確かに俺が悪いよ。相手もあまりに俺がホイホイ言いなりになるから逆にびっくりしたことだろう。
でもさ、人生振り返ってみると「騙された!くやじぃぃぃ!!!」なんて経験はこれが初めてなわけ。オレオレ詐欺の場合もそうだと思うけどまさか自分がって思うわけ。
親には「どんな人にも分け隔てなく親切に」なんて言われて育ってきたわけ。多少、怪しいな、詐欺かな?なんて思っても人に優しくしてみたくなるじゃん。信じて賭けてみたくなるじゃん。それが「間違った優しさ」だとしても。
今回自分が学んだのは、自分は実際に経験しないと何も学ばないバカだったということ。
ネットでこういう経験談を見てると「何番煎じだよ、騙されてバカなやつwwwwww」って自分も思ってたわけ。自分だけは騙されないと思ってた。
でも違ったよ。詐欺られちまった。恥ずかしいよ。
こういうので人は成長していくのかな。そうだったらいいな。
数字で見えることは楽しいことだが、それ以上に嫉妬やら妬みのような負の感情が渦巻いている。
気にしないで投稿をし続けるべきだろうが、できなかった。
味を占めもっとよこせ、これは美味しくない。そればかり。
絵や小説を書いている同業者ならまだ納得するが、何もしないROM物乞いが一番タチが悪い。
気に入らない作家を追い出そうと荒し行為をしたり。作品が嫌いだから隠せという理論もおかしい。
作家の地位は低い。金を払った同人誌に文句つけるならまだ理解できなくもないが、無料で公開されている物に対してそれはどうか。
一人前に成人向けコンテンツを閲覧した上でケチをつける。非常にかっこ悪い。
こんな奴が成人済みかと思えばぞっとする。
Twitterで定期的に上がってくる話題の一つに、アーティストやイベント出演タレントに「(イベントやライブに)行けないけど頑張ってください」というリプ飛ばすのは無神経だという話がある。
最初に言い出したのは誰だったか忘れたけど、時々思い出したかのように「イベント告知にたいしてそういう言い方をされるのはきついのでやめてください」というふうな話が出てくる。
なんで言ってほしくないのかという意見については結構もにょもにょしててはっきり言わないけど、要するに「金落とすつもりもないのにファンぶるのやめてほしい」みたいなニュアンスが含まれているように感じる。
「テストだから行けません」→仕事を休んででも来てくれる人もいます
「学生でお金ないので行けません」→給料のほとんどをつぎ込んでくれる人もいます
みたいなことを本人だか擁護者だかが言ってるんで、要するに「ファンなら借金でもなんでもして来い!」っていうのがスタンスらしい。
わかるけどね。アーティストっていってもCDとかの音源収入は減る一方だし、イベントも飽和状態に近くなってきてなかなか人が集まらないし。
でもさあって思うのが、それで「傷つくのでやめてください」ってステージに立つ人が言う言葉?って思う。
地方だからとか時間がないとか行けない理由つけて行けないって言う人って、要するに自分の何かを犠牲にするほどその人のこと好きじゃないしイベントに魅力を感じてないってことでしょ?
裏にある「ファンなんだけど、思い切って飛び込むくらいに打ち込めるまで気持ちが高まりません」って意味がわからないで、それに対して「傷つきます」とか被害者ぶってるのってすんげえカッコワルイ。
「そっか、来ないのか。んじゃ来なかったことを後悔させるくらいに来てくれた人たちには大サービスするからな。次回は来いよ」
くらいのカッコイイこと言えないのかね。
でも、自身もブログに広告を貼ってるのと、互助会で身内ブクマだけという矛盾
他のPV物乞いと同じで、はてな村の身内ネタでしか盛り上がれない残念な人ですね
はてな以外では相手にされてないでしょうねw
あと、無駄に長文でわかりにくい割に、結論がわかりにくくて頭の悪さが滲み出てますね(^_^;)
評論としては下の下の駄作が多いです
本もまともに読めない人が、身内にちほやされながらブログを書くとこうなるのかもしれないですね
文章が下手な事や元の記事を読んでないのは頭が悪いからしょうがないけど、広告を貼る矛盾はどうかと思います
広告外せば、少しは認めてあげましょう
それとも、意地でも外さないですか。やっぱり?
なお、ヘタレ過ぎて顔はさらしたくない模様。ネット弁慶なのでしょうねぇ。
https://twitter.com/vanishingpoin71/status/658521799404032000
斎藤さん(id:cyberglass)は来年も会えないに100万円賭けますwwwwwww
金額は関係ない。
100円でも、1000円でも、1万円でも、同じように「もっと欲しい!」とせがむ。
おかわり要求に2回も応えてあげた後でも、最後に願いを断ると、彼らはがっかりする。
失望の表情で見上げる。
「ケチ!」「それだけか!」と言われている気がする。
平均よりも稼いでいるほうだし、施しをするのは本来嫌いではない。
経済的に貧しい人と触れ合うのは構わないが、心が貧しい人に触れるのには苦痛が伴う。
ところで経済的に豊かな日本でも我々はそのような心性の持ち主を見ることができる。
彼らは優しくされると「もっと!」とすがり、セックスまでやらせてもらえなければ「女はクソだ」みたいなことをわめくのである。