はてなキーワード: 法治主義とは
国民情緒法の国にするつもりかよ、そんなんだからいつも日本はITの新しい分野で負けるんだろうが!
純粋に法律に則った運用ができる法治主義の国じゃないと日本の発展は無くなるぞ。
せっかく今回は日本が珍しく法律が必要になる前に立法しておくことができたんだから、これを活用できないようなら日本のAI分野は終わるぞ。
そしてお前らが何を言おうが海外勢はやってくるぞ。
2000年代に検索エンジンの覇権をGoogleが取ったけどそれは日本の法律のせいじゃない、みたいなことを言ってる奴が最近はいるけど、NTTみたいな国に顔がきく大手以外は訴えられたらどうなるか分からなくて手を出せなかったのは事実だ。実際に当時のベンチャー企業でそういう話は何度も出た。
今回は国が明確に問題ないとしてくれてるんだから、これを生かせなかったら日本は本当に終わるぞ。
お前らがやってるのは日本を潰すことだ。
カルトってキモいし全部無くなっても別にワイはかまへんし、大手宗教も別にいらんと思ってるよ
けど、それとカルトを簡単に叩いていいかって全然違う話なんよな
日本には信仰の自由があるのだから、カルトであっても別に信じていいし、アッラーでもイエスキリストでも自由に信じればいい
寄付に問題があるんだとしたら、そこをしっかり法律作って守ってもらおう
これ以上言えることとかないんよな
その権利を奪うことは出来ない
まあ、気持ちはわかるんだよカルトを叩きたいというよりも、カルトと関係持ってた自民党を叩きたいいつも病気だってのは
けど、それに夢中になって普段から言ってる自由や平等、権利、法治主義を疎かにしちゃあかん
それこそ中世だ
右翼は本来、大衆の理性などは信頼に値するものとせず、連綿と受け継がれてきた伝統や、個人を超越した民族などを重視する立場であるはずだが、長らく続いた保守政権の結果、「大衆に支持されている」ことに自分たちの正当性を依拠する単なるポピュリズムに堕してしまった。
他方で、左翼は本来、人間が生まれ持つ自然的な権利を至上の価値として、それが脅かされるときには現状変更のための暴力も是とする(少なくとも起源に暴力があることは否定しない)立場であるはずが、いつの間にかお題目のように法治主義を唱えるだけの腑抜けに成り下がってしまった。
戦後民主主義は右翼、左翼の両陣営を虚勢してしまったのであり、この思想なき政治こそ、大企業や宗教団体などの利益集団が跋扈する空隙を与えてしまっているのではないか。
山上の行為を民主主義に対する挑戦と呼びうるとすれば、事件後の両陣営の反応を見てもわかるように、右翼も左翼も戦後民主主義の無謬性を疑っていないことを明らかにしたことだろう。
「何が問題か分からない」自民党議員に教えよう、統一教会と関係する意味を 宗教団体でありながら反社会的行為を繰り返してきた組織をまだ賞賛するのか(1/5) | JBpress (ジェイビープレス)
を読んだが、それでも全然分からない。どうやらサル未満のようだ。
❶ 自民党自身が名誉毀損裁判で「反社会的な団体であるとの印象を抱く者が少なくない」と認めてる
→ ならば謝罪のことばは「印象を悪化させてしまって申し訳ない」になるはずだ。しかし、自民党のイメージを悪化させたのを問題視してるのか?
❷ 人の弱みに付け込んで、言葉巧みに脅し、献金を持ちかけるのは人の心への恫喝だ
→ 暴力団の暴力に比べて程度が低いように思えてしまうが、脅迫や恫喝の実態があるのなら、破防法を適用して消滅を計るのが法治主義だと思う。
❸ 「不幸なのは先祖の因縁だ」「死者の霊が地獄で苦しんでいる」「供養しなくてはいけない」「このままではあなたも地獄に堕ちる」
❹ ボランティアに協力してもらうのは「貸し」を作る行為。人間は、他人から助けられたり優しくされたり良くされると、お礼やお返しをしたいと思うようになる。これは「返報性の原理」というマインドコントロールに用いられる手法
→ それで言われるままに欲しいものを上げちゃうならマインドが心配だが、返すもの自体を問題視すれば済む。
❺ 有名人や社会的立場にある人が関係している・推薦しているから、この団体は信じられる、と思ってしまう「権威の原理」
→ 団体が問題を起こしたらその時点でパブリシティ権侵害で訴えて差し止めさせればいいやん。
僕は消極的野党支持者で、固定支持政党を持たず立憲、共産、国民にそのときそのときで投票している。自民党はもう少し議席を減らしてバランスを取ってほしいと考えるからだ。とはいえ、安倍元首相が殺害されたのはとても遺憾であり、犯行はどんな理由があろうと同情も支持もしない。
事件以来、インターネット上では統一教会批判一色だが、僕は自分の態度を決めかねている。もちろん感覚的には理解できて、政府にカルトが食い込んでいるのはとても嫌だ。しかし統一教会そのものを、または自民党との繋がりを確実に断てるだけの法的根拠があるのか?について僕は疑念を持ってしまった。
まず党と宗教団体の繋がりについて。
公然の秘密として、自民党や公明党は特定の宗教団体と懇意にしているが、これを排除することはできるだろうか。「政教分離の原則」を考えてみることにする。
信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
“国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。”
この解釈が争点になるはずだ。
広義に捉えると、政治家・政党に宗教団体が介入すること自体が「政治上の権力を行使」と捉えることができ、
自民・公明両党(もしかすると他の政党も)は違憲ということになる。
狭義には、政教分離は国民の信教の自由を保障するためのものであり、宗教側からの政治介入はグレーゾーンとも言えるようだ。
そのため、狭義解釈では政党と宗教団体との繋がりを即座に排除できるものではない。
実際に、公明党や幸福実現党はこの解釈をエクスキューズとして採用している。
https://info.hr-party.jp/faq/2492/
狭義・政教分離の観点から自民党を追及するには、特定の事案で政府が統一教会に肩入れした、特別扱いしたと証明する必要がある。
しかしながら、安倍元総理がプライベートに肩入れしていたとしても、これは根拠として弱いのではないだろうか。もし仮に行政での事案が見つかったとすればモリカケ・桜くらいのインパクトを自民党に与えることになるだろう。(逆に言えば、誰かが謝罪したり辞任したりで幕切れ、または関係者である元首相がこの世を去ったことで有耶無耶になる程度かもしれない。)
9条の自衛隊解釈を見れば分かるように憲法解釈は神学論争に陥りやすいので、白黒つけるには改憲・立法・裁判所による違憲判決を待つしかなさそうだ。付け加えると、世界に目を向けてみても広義での政教分離を成し遂げている国は米国も含めて殆ど存在しないのではないだろうか。また、仮に内閣全員が統一教会信者でも、それは個人の信教の自由であり、やはり排除することはできないだろう。
もう1点、見落としがちな点としては、たとえ組織票だとしても自民党や公明党を支持する信者は確かに存在するということだ。宗教団体の支持する政治家がこれによって当選し、(政教分離に抵触しない範囲で)宗教に都合の良い政策を行うことは通常の選挙・政治プロセスと見分けが付かない。僕は保守的な反LGBT政策には反対の立場だが、それを是とする宗教と政党が支持され、議席を持つことは民意であり否定することはできない。これは反ワクチンを掲げる参政党についても同じことが言える。必要なのは支持層への関心と対話であり、一足飛ばしに政治家や政策をキャンセルすることはできないのではないだろうか。
次に、統一教会そのものをカルトとして断罪することはできるか考えてみる。
いくつかの記事では、オウム真理教同様に統一教会の宗教法人格を剥奪するという話が出ていたようだ。もちろんこれができれば良いが、その基準と法的根拠は何になるのだろうか?(間違っていたら申し訳ないが)僕の知る限り、カルトの定義は日本の法律では存在しないように見受けられる。オウム真理教のようにテロ・国家転覆・殺人を計画・実行した組織なら公安による監視・取り締まり対象だろう。しかし、(詐欺や人身売買などで立件できるならともかく)悪質な宗教団体、というだけでは警察も公安も動けないのが現状ではないだろうか。
やまとQ(正しい漢字を調べるのも面倒だったので割愛)は取り締まりの動きが早かったが、これは医療施設への妨害行為が原因と考えられるので、やはりサボタージュなどで教団外の社会・一般人に対する直接被害の有無が分水嶺と見て間違いなさそうだ。また、オウム真理教の関連組織であるアレフは宗教法人認定されていないが、その後も活動を続けていることから、銀の弾丸にならない可能性があることにも注意したい。
公安や警察による取り締まりにしろ宗教法人認定の厳格化にしろ、(意外なことだが)国による宗教の選別となり、政教分離的には後退にあたると考えられる。立法によるカルトの定義明確化なしでは国による恣意的運用を許すことにもなる。
僕の意見としてはフランスのように反セクト法相当の立法をしてカルトの定義を明確化し、宗教法人格の管理と罰則化は必要だと思うし、これを欠いて恣意的に宗教を規制するのは法治主義とは言えないはずだ。それに加えて累進的な宗教課税も検討すべきときが来ていると思う。さらに僕なりの結論としては、現行の法体制で統一教会に感情論以上の追及は難しく、居直って自民党との関係を公然のものとし、公明党と同様のスタンスを取り始めたら手が出せない可能性がある。法整備が急務である。
自民党と統一教会の繋がりを良しとする人。あなたは今後も自民党に投票し続ける自由がある。
それはあなたの権利だし、法根拠なく自民党や統一教会を止められるものでもない。
>佼成会に関して
結構三世とかいるもんだね。団体参拝はうちらの所では団参て言ってたけど地域によって違うのかな?
鼓笛隊やってたのとか青梅練成道場行ったことある人とか、広島平和学習とか参加した人もいたりするのかな?
>普門館
鼓笛隊やってたから、ステージで演奏したことあるけど、某吹奏楽アニメのステージの上からの観客席の光景は、まんま「そうそう、こんな感じ」だったな。
箱が多きいのと、宗教組織の施設ということで大型バスが数十台止められる駐車場もあったので重宝されてたみたい。まあ音響はよくないらしいけど。
それ以外にも色々組織外でも使っていたみたい。
>佼成会もやばい
先週末あたりから Twitter とかで野党ガーと立正佼成会の名前を出してDD論?みたいなの増えてきてるけど、100人いたら95人がやばいと思うのと100人いたら10人やばいと思うのを十把一絡げにしたら、結局、じゃあどっちもOKだよね?って感じになっちゃうよ。
そこはある程度切り分けて議論しないと。
あなた達の建てた普門館と朝日新聞の強い後押しのせいで吹奏楽が芸術の枠組みから離れ予算獲得とレースの道具になったことについて強い憤りを感じています。
自殺者も出ました。
責任を取ってください。
高校野球関連で何かあったら阪神電気鉄道に責任求めるの?さすがに近代の法治主義では「そんなんしらんがな」と言わざるを得ない。
創価学会と比較したいみたいだけど、宗教学の方に言わせると教義の変遷がグジャグジャで、指導体制が変わったら簡単にカルト化するから気をつけろだって、笑う
指導体制が変わってもカルト化しないのなんて一部の伝統的宗教以外全部そうでしょ?まあ将来の可能性でどうこう言われても困るとしか。次期会長はこれこれでとか具体的ならまだしも。
なんかブコメみてると身内の褒め合いばかりで、創価学会版よりかなりつまんねーな
佼成会三世だと最初にいってるけど、ごめんまじで何言いたいか分からない。ミエミエの魂胆って何?
さすがに党派性まみれの人でも頑張って理解したいけど、エスパーじゃないから無理。
子供の頃や親と一緒に住んでた時は行事にたまに顔を出した」程度なのに、教団の内部の事情についてなぜ語れるんだろう。
ある宗教団体は俺より薄い接触でもほとんど酷い体験か、あるいは酷い体験をした人が複数出てきてるんだから、そこになんらかの差異はあるでしょ?
てか、その理屈だと数十万とか百万単位の人の集まりに対して、いったい誰が何を語れるの?
一参加者から見たコミケの話をしてる人にいちいち同じようなつっこみいれるの?
>票の流れ
それは分からんなー。ただ、長年自民と組んでたしやっぱり保守よりの人が多い気はする。
>高額寄付
うーん。これいまいち分かんないんだよね。はてなでも社会福祉活動をしてる財団や地方自治体に篤志家が億単位の寄付したら、だいたいポジティブに反応するのに。
宗教団体もあるていど社会福祉活動にかかわってるし、一概に高額寄付はダメっていう理屈がよくわからない。
そこあたりは宗教云々というより消費者保護法あたりの感じで言った方がいいた思うけど、いきなりそれだと宗教界の反発で結局なにも変わらない、現状維持になっちゃわない?
>佼成会もカルト
えー?新新宗教って言葉しってるなら、佼成会は新新宗教ではなく新宗教だって知ってるはずだけど何と勘違いしてるの?
しかしさっきもちょっと触れたけど、先週末から立憲ガー佼成会ガーとかあるけど藪蛇になるかもね。
90年代カルトが話題になってた頃、俺もカルト扱いされた体験あるし、カルト扱いはかなりいやがる人多いと思うよ。
マーティーに「You're chiken」いや仗助の髪型馬鹿にする感じかな?
単に宗教団体との関係ではなくカルトであるという指摘なら理論必然ではないけど、創価よりカルト度が高いことを強くしさするので怒りパワーさらに二倍かな?
国葬を定めた国葬令は1947年12月31日で失効しているのに、何をやろうとしているのか
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/国葬令
国葬を許す法律がなければ作ればいいじゃないと主張する人間は、一個人の都合で法律がいつでも恣意的に変えられることを是認している
官邸関係者によれば、首相を再び前向きにさせたのは、安倍氏の家族葬があった12日に党所属議員から受けた1本の電話だった。議員は「国葬を行った方がいい。安倍氏にふさわしい葬儀にすべきだ」と進言。当初は「根拠法がない」と説明していた首相だが、「法整備すればいい」と助言され、国葬は実施可能と意を強くしていった。
「わが国は暴力に屈せず、民主主義を断固として守り抜く決意を示す」こととはもとよりなんの関係もない
またこうした形で「国葬」を行うことが、安倍元首相に対する弔意を、個々の国民に対して、事実上強制することにつながることが、強く懸念される。弔意というのは、誰に対するものであっても、弔意を示すかどうかも含めて、すべて内心の自由にかかわる問題であり、国家が弔意を求めたり、弔意を事実上強制したりすることは、あってはならないことである。
森友事件をもみ消そうとして、なんの罪もない財務省職員を死に追いやった人間を、「国葬」で偶像化しようとするとは何事か
死んだ奴のために金を使う前に、社会保障費、安全保障費、コロナ対策費など、生きている国民のために金を使うべきことは無限にある
カルト宗教を支援した結果私怨を買って殺された人間により与党と宗教との関係が明るみに出され疑問に付された
入管で外国人が死んでも障害者が殺されてもホームレスが殺されてもニュースの一つとして流されていくのに汚職まみれの人間の命のほうが尊いと国がお墨付き与える
https://mobile.twitter.com/tomonoise/status/1547805620245790720
自民党以外の首相経験者なら「国葬」は行われたか自民党は回答すべき
他には?
例の事件において民主主義の根幹を否定するというコメントが散見されたが、1週間経ってもその含意を理解できなかった
バカと言われたらそれまでなのだが、わからないものはわからないのだからしょうがない
日本の法治主義としての根幹が成り立たなくなるという言葉であれば正しいが、それは政治家でなくても殺人行為の容認は法治主義国家としての前提を失うので部分的に真だといえる
さて昨今の報道内容を鑑みるに、日本の民主主義を支える選挙システムは新興宗教とそのネットワークビジネスによって大きく影響を受けていることがわかった
我々が教科書で学んだ民主主義とは異なるネットワークビジネスの延長としての民主主義を「民主主義」と呼ぶのであれば、
幼稚園に叩く子がいたら、叩かれると痛いよ。叩いてはいけないよ。って教えるのが普通だと思ってました。
TheHabanero こうやって無辜な羊を装いつつ「じゃあどんな価値観がいいの?」の問いははぐらかし続け、しょうがないから過去発言を追いかけてみると昭和以前の家父長制を再興したい欲望丸出しだった、みたいな奴増えたよな。
俺は元増田じゃないけれど、誰もが自分のモラル観を説明できる・少なくとも説明しようと努めるような価値観がいいと思ってますよ。なぜ、どうして、それはアウトなのか、を誰が言ってるかに依存しない形の客観的説明をつけるようにすれば、人の顔色を伺う精神的自由の拘束を受けずに済むから。人治主義的な世界じゃなく法治主義的な世界の方が、自分の内側にある理屈にだけ向き合えばいいから戦々恐々としなくて済む。同調圧力でお気持ちをゴリ押しできない分、説得のコストは必要になってきてしまうけど、「みたいな奴増えたよな?」のように誰かの合意を求めてどこかに呼びかけて、運良く賛同を得られたときだけ説得力を持てる、みたいなバクチに頼らなくていいから、生存に確かなグリップ感が出るはずだ。