はてなキーワード: 気概とは
腐女子が作品を語るとき、腐女子目線で話をし過ぎて何言っているのか(なぜ盛り上がっているのか)よくわからないという体験をしたことがある。
書いてある通り、腐女子界でのイベントやいざこざ・事件は、腐女子でない人でも知りたいor知っておきたい人は多くいるだろう。需要があるはずだ。
だがその時に、腐女子じゃない人に対してもわかるように、しっかり翻訳して話をしてほしい。
その作品に、なぜ萌えるのか?なぜそこにグッとくるのか?
どうせ腐じゃない人にはわからん!なんて姿勢は採らずに、丹念に解説いしてもらえれば、おもしれーなと思う。
それと腐女子の一人称問題に付言しておくと、だいたい腐女子をみてると、一人称が「俺」に限らずなんか変なチョイスする傾向にあると思う。
中村桃子『〈性〉の日本語』(NHKブックス、2007)に「なぜ少女は自分を「ぼく」とよぶのか」という文章がある。
高度経済成長期の女性の人生の流れ、すなわち「こども」から専業主婦に代表される「おとな(婦人)」へと進展する際に「○○ちゃん(自分の名前を一人称にする)」を用いるこどもから、「私(わたし、わたくし)」を用いるおとな(婦人)への、単線的一人称のみが用意されている。しかし人生が多様化た現代においてはそう簡単にはいかない。子供でもなく、専業主婦に代表される婦人でもない身分が発生する。少女などがそうだ。そうした既成の枠組みにとどまらない女性が自己を表現するためには、「私」ではダメなのだそうだ。だから「俺」や「うち」を用いる少女、男のような言葉遣いをする少女が現れるのだという。
ここから私が想像するに、一人称が「俺」とか「拙僧」とか変なのをチョイス(「私」以外をチョイス)するってのは、腐女子のサブカルチャーの担い手としての、一種の気概なのかと思う。
そもそも、アメリカの大学はだれでも入れるが、だれでもは卒業できないというシステムなので真逆の日本と比較するなら、卒業したひとだけをターゲットに比較しないと意味が無い。
なんでこんな馬鹿な話がまかり通ってるかしらんが、
米の上位大学なら「普通の人」じゃ入れないくらい入るの難しいぞ。それこそ勉強だけで入るなら目をつけられるほど飛び抜けてないと駄目だし、
後は、課外活動、と言う名の金に物を言わせた活動しなきゃいけない。庶民には入れない。学費も馬鹿高い。
だれでも入れるってんなら、日本のFランのがよっぽどだれでも入れるだろう。
てか慶応早稲田だってものによっては何もしなくても入れるじゃん。
卒業ったって、アメリカの下のほうの大学ならだれでも卒業できるし、上の大学でも別にそこまで厳しいわけじゃない。
ま、日本と違って、卒業、新卒卒就職、って言う気概がそれ程強くないから(アメリカはそれでもそういった傾向はあるけど、ヨーロッパなんてホント全くない)
卒業をキッチリすること自体に意味があまりないし、曖昧なだけ。
勿論、ホントの上位大学は卒業要件クリアするのが日本の東大とかよりも(東大だって単位さえ取れば卒業できるわけだから)大変な事はあるみたいだけど。
2020年東京オリンピックが決定した9月8日早朝。その日、我々日本人は否が応でも7年後の日本を想像せざるを得なかったわけだが、日本の未来を予感させる出来事は同日夜の恵比寿リキッドルームでも起きていた。
今回のライブは、ceroとして久しぶりのワンマンライブだった。タイコクラブに始まりライジングサンに至るまで、全国津々浦々と様々な夏フェスに出演してきた彼らは、一回りも二回りも成長した姿を見せてくれた。ボーカルの高城は自ら今回のライブを「文化祭」と形容したが、オープニングアクトの表現(Hyogen)や、サポートメンバーの面々と力を合わせて作り上げられたステージには文化祭のごとく熱いエネルギーが集約されていたと言えるだろう。
満員のリキッドルームで観客たちが開演を待ちわびる中、開幕したステージに現れた高城。ZAZEN BOYSよろしく「死ぬほど練習をして、マツリスタジオで練習をぶちあげてきたので」と観客から笑いをとる。そして、告知されていなかったオープニングアクトである表現を紹介するとさっと身を引き、表現の演奏が始まる。
アコーディオン、バイオリン(一曲目のみ)、アコースティックギター、ウッドベースの4人組からなる表現はceroと関わりの深いバンドだ。ギターの古川は高城と高校の頃からの知人であり、その後もceroと表現で互いに切磋琢磨してきた仲だ。お互い尊敬しあえるバンドとして成長を遂げた両者が集い、久しぶりの対バンとして出演する彼らを見て高城は舞台袖で涙を流していたそうだ。
さて、表現の演奏はというと、全員がコーラスを務めているのが特徴的だ。セリフのような歌詞をメンバー全員が声を張って歌いあげる様はまるでミュージカルのようである。スキャットやハミングを多用し、途中ポエトリーリーディングのようなシーンも挟まれることによって、声の持つ魔力を改めて感じさせられた。もちろん楽器の演奏も素晴らしく、アンプラグドな楽器のアンサンブルによるオーガニックなサウンドは、その名に恥じぬオリジナルな「表現」となっていた。ceroがコンテンポラリーでエキゾチックなロックオーケストラであるのと同様に、彼らもまた名前通りに素晴らしいバンドであった。
ceroを見に来た観客も大満足のオープニングアクトであったが、ceroの開演までは20分ほどの転換があった。幕の裏から聞こえてくる様々な曲の断片は、これから始まる演奏への期待を高めるには十分だった。
いざ幕が上がり、「セロセロセーロ」と叫び続ける入場曲と入れ替わりで始まった一曲目は“水平線のバラード”。ステージには点滅する6本の蛍光灯を背景に、メンバーが立っており、イントロはスタジオ版にないトランペットから始まった。しっとりとした雰囲気で始まったステージだが、ノルウェイの森風のイントロから入り軽快なラップが冴える二曲目“ワールドレコード”でフロアのテンションは急激に引き上げられる。続く三曲目“マウンテンマウンテン”の4つ打ち部分では後ろの方までほぼ全員が音に身を委ね踊っていた。
盛り上がった後一息つくかのように挟まれたMCで、高城はceroと表現の辿ってきた道を振り返る。そして「世界で唯一表現の全員とデュオを組んだことがある人」と名乗る荒内を「音楽ビッチ」呼ばわりするなどしてステージが暖かな笑いに包まれたところで次の演奏へ。
いつの間にかステージから消えて戻ってきた高城。傘を片手にレインコートを羽織った高城が歌うのは“21世紀の日照りの都に雨が降る”だ。続く“エキゾチックペンギンナイト”では「パーパパパー」と全員が高らかに叫び、フロアをより一層祝祭的空間へと引き込む。少し落ち着いて始まった“クラウドナイン”も結局はcero特有の「祭」感へと収束していくのだった。
二度目のMCはサポートメンバーの紹介から始まる。今までになく多くのサポートメンバーを迎えた今回は、ceroのメンバー3人+サポート5人の8人編成だ。トランペットやスティール・パンをこなすマルチプレイヤーMC sirafuのみならず、サックスやタンバリンを担当したあだち麗三郎、表現での演奏とは変わってパーカッションの古川麦、ドラムの光永渉、ベースの厚海義朗という5人のサポートメンバーがそれぞれ紹介される。
ひと通りメンバー紹介が終わると、スタジオ版に比べて遅く重厚な“大洪水時代”のイントロが始まる。この曲から始まったVIDEO TAPE MUSICによるVJは、フェイザーのかけられたノイズギターと相まって、我々を水中へと誘う。そして、ノイズの海の中へと一筋の光が射すかのように響き渡るのは、高城によるフルートの音色だ。最後には全員がしゃがみ、背景であったスクリーンが前景化される。水中の映像、そして流水音のSEと水の映像しか受け取ることの出来ない状況はまさに大洪水時代といったところか。そして、海つながりで次に演奏されたのは“船上パーティー”。VJには男女の横顔が交互に映り、高城は一人二役でセリフを言い合う。スタジオ版でも印象的な「ちょっと待った!」のセリフの後はじれったいほどのタメにより、聴衆をより一層演奏へと引き付ける。そうして引き付けられた我々観客が次に耳にするのは新曲、“我が名はスカラベ”。メルヘンチックな歌詞とVJは、初めて聞く我々も十分楽しめるものであり、聴衆はみなceroのニューリリースへの待ち遠しさを煽られたに違いない。
新曲披露後のMCでは、大洪水時代から加わったVIDEO TAPE MUSICの紹介。そして最近高城のハマっている「文化祭」というキーワードに関連してTwitterにおける高校生のつぶやきや、ceroのメンバーそれぞれの思い出などと話が弾む。
再びメンバー紹介から入った曲は“Contemporary Tokyo Cruise”。本ワンマンライブの表題曲とでもいうべきこの曲ではミラーボールがきらめき、最も「祭」感のある曲だったかもしれない。そして音は途切れることなく、思わせぶりな長い間奏から始まったのは“マイ・ロスト・シティ”。2ndアルバムの表題曲でもあるこの曲では「ダンスをとめるな」という歌詞、その通り踊り続ける客、ダンスをする人々を映すVJが一体となっていた。
短めのMCを挟んだ後、演奏されたのはまたもや新曲、“yellow mangus”。ムーディーなサックスから始まり展開されるのはceroお得意のディスコビート。そしてこれまた長めの間奏からはじまるのは“わたしのすがた”。途中挟まれる8ビートの部分では赤い照明が似合うほど激しい展開で、普段とは違った一面を見せてくれた。
最後の曲の前には今後の活動を仄めかすようなMCを挟み、演奏されたのは“さん!”。観客と共に「いち!に!さん!」と高らかに叫んだ高城は29歳の文化祭、最後の盛り上がりを演出した。
しかし、我々の文化祭はまだ終わらない。アンコールを期待する拍手に応えて登場したのは高城と橋本。残りのメンバーも続々と登場し、最後の最後に演奏されたのは“大停電の夜に”。ゆったりとしたメロディーはまるで蛍の光のように、我々を切なくも満たされた気分へと導き、文化祭は幕を閉じた。
実は、最後のMCにおいてなんとも頼もしい言葉があった。高城は、表現やVIDEO TAPEMUSICのような仲間たちを見ている中で「日本の音楽がこれからまたちょっと変わっていくんじゃないかな」という実感を述べた後に、「俺達が変えるぞみたいな気概を感じている」と宣言したのだ。変わりゆく東京の風景、そして変わりゆく日本の音楽シーン。7年後、東京オリンピック開催を前に我々はこの日をどのように思い出すだろうか。29歳の文化祭には「ここから何かが変わっていきそう」な予感、そして希望に満ちあふれていた。あの晩、もしかしたら我々は時代の目撃者となったのかもしれない。
夏休みに地元に帰った時、久々に中学時代によく通っていたゲーセンに行ったんだ
日差し強くも心地よい青空の下、かつての俺達の根城だったゲーセンは今でも不況に負けず営業していたようで安心した。
しかし入店した瞬間、圧倒された。
何かスロットっぽいのから、メダルを落とす系の大型筐体、競馬みたいなもの、etc...
他には、クレーンゲームとプリクラが所狭しと並び、かつて遊び慣れたビデオゲームタイプの筐体は本当に隅に追いやられていた。
おいおい、こんなんじゃ中高生男子は遊びに来ないんじゃないかと思ったのも杞憂で、客層は異常に中高年が多い。
ゲーセン=不良のたまり場…というイメージはさすがに昔過ぎだが、それでもゲーセン=若者の集う所 じゃなかったっけ。
素行の多少悪い者が集まる場所とはいえ、しかし年頃の元気な少年の爽やかな笑顔に溢れていた活気あるゲーセンは終わっていた…。
メイン客層の高齢者は皆淀んだ目でゲームに興じている。そこに、少年のように積極的に、攻めの姿勢でゲームを楽しむ気概は感じられず、ひたすら受身で目の前の光景を眺めているだけのようなプレイに見えた。
なんかなあ…
用もないのに病院に言ってお喋りしてる高齢者の方がまだ元気に感じるよ。
隅の方にあったビデオゲーム筐体も上海とかでこれまた定年にはまだ少し早そうなオッサンが延々とプレイしてる。
ああ、もうゲーセンですら俺達若者の場所じゃなくなりつつあるんだなとひしひしと感じざるを得なかった。
音ゲーコーナーはまだ若い子がいたけど、このまま少子高齢化が加速するにつれて、音ゲーも"かつての少年少女だった"層が遊ぶだけのものになるんだろうか。
そもそもエンターテイメントコンテンツってのは不合理なんだよ。適正な予算を用意して、適正なスタッフリングをして、クオリティの高いコンテンツが完成する(さまざまなトラブルを鑑みると、キズナし完成の時点で2割りくらいしか残らんわけだが)――にもかかわらず、思ったように売り上げが伸びないなんて事はよくある。深夜アニメなんか、とくにぬるい萌えなんかもそうで、コンテンツAとBの間に売り上げで10倍の差があったとしても、冷静に見てみてコンテンツの完成度にそんな差なんて無いことがほとんどだ。出版なんてさらにその傾向が強まる。
だからこそコンテンツ業界では「エンタメは水物」という言葉を使う。
この言葉はプロジェクトの失敗を自分で慰める責任回避の言葉じゃないか、と批判されることもあるけれど、本質はそうじゃなくて、そういう現実を踏まえてそれでも作り続けるというような気概の言葉だ。水物だからたとえば5本やってうち1本が成功して残りの四本の穴を埋めてくれればそれで良し――みたいな商売の仕方をする。
前線にとってプロジェクトを当てるというのは正解のないクイズの正解探しを続けてるようなもので、それは相当ストレスだ。結果として「正解でした=ヒットしました」となることはあるけれど、事前にそれはわからない。もちろん当たる率を限りなく高めるためにいろんなあがきをするけれど、そういう努力をしたところで100%ヒットとかないって全員判ってる。
パクリって言うのは、そのストレス部分のショートカットなんだよ。
加えて言うならばアプリの技術者は増えても企画者やゲームデザイナーは増えてないってことでもあると思う。まぁ、業界内でさえ地位が低い(わりに責任だけ重い)ので増えるわけもないよね。
元スレでは「技術力があるのにパクるのが理解出来ない」ってあるけど、それって要するに「企画者やゲームデザイナーの能力は技術としてはカウントしない」って話であって、そりゃパクリも増えるよ。
特殊と言ってる人に○○と××と少数派の△△があるんですが
○○と××の折衷の辺りに分類されています、と例えば私が言います
この☆☆人が…、みたいな感じの態度取ってくるのが「愛国人」かなって
いや実際には沈黙してるんですけど、これは実際に別の時に言われました
なんでだかわからなかったんですが日本の神秘性を損ねるからかなって
でも神秘なのは貴方の頭の中であって、学問が存在してるものは無視しないほうが
いいと思います
あらま、知りませんでした、とかほがらかに言えないのはわかるんですけどね
自分の意思なんぞ見せようもんならいつでも取り替えるって気概が「愛国者」
え、あれ、尊敬とかでは…ないのかなって、びっくり
ところで自国好きですか?
よく分からんのだけど、これってどういう心境なの?
同じ様な正社員なら高学歴のが良い、ってんなら100歩引いてわかるとしても、
正社員じゃなくても高学歴な人が良い、ってのは、その人がその後、高学歴だからいずれ何か大きな事をしてくれる、と思ってるの?
学歴なんてどうでもいいっていうのはまた馬鹿な話だと思うけど、
学歴があればなんでもいいってのはそれ以上にどうしようもない話だと思うんだけども。
そして、学歴があっても正社員じゃなければ日本のカーストではかなり下だろう。
精神的にも、その後バイトからでもなんとかどんな職場でもいいから正社員に、っていう気概がプライドから持つのが難しいから、
中絶はよくない。まだ生まれてなくとも立派な命であり、まともな人間ならそんなことできない。
昔はこう思ってた。
だって世の中は苦しいことだらけだし、生きていくということはキツイものだ。
子供が幸せになってくれる保障なんてない。この苦しい世の中に生まれる前に、意識もない中、考えることもなく、合法的に殺されるのは幸せ。
自分が彼女を、そして子供を幸せにしていくなんてのは綺麗事だ。
自分に自信がないだけ、命をかけてでも幸せにしてやるっていう気概がないから逃げてるだけなんじゃないかと思われるかもしれない。
そうではない。自分が死ぬほど頑張れば子供が幸せになってくれるなら、何十人でも子供を持ってやる。
しかし、人間一人の幸せは周りのたった一人のによって左右されるものでもない。もっと複雑でそんな単純な道理ではない。
最近は子供を産む人は自分が幸せになりたいだけなんじゃないか、と思ってる。
彼女が居れば心安らぎ、幸せ。子供を持てば、かわいいから幸せ。
もう少し歩みを進めると、なんで人を殺しちゃいけないのかという根底も疑わしい。
殺人が禁止されているのはこれまで社会契約論として、単純に言えば自分がやられたくないことはやらないっていうことだと思ってた。
けどここのところ見知らぬ人に急に刺されたら、それはそれで幸せなんじゃないかと考えてる。
自殺したら親が悲しむ。ぼんやりとだけど、自分は親に感謝している。親より先に自ら死ぬつもりはない。悲しませたくないから。
なんで苦しくても生きて行かなくてはいけないのか、その自分の中の答えはそれだけ。
けど他人に急に殺されたら、あるいは事故で死んでしまったら、それはそれで親に納得してもらえるんじゃないか。
もちろんこれでも親は悲しむけど、自殺よりはダメージが少ないはず。だから急に死んじゃうのはいいこと。
こんな考え方で、この先どんな人生が待ってるんだろう。
殺されるのは幸せなことと思い込んで、他人様に迷惑をかけたりしないだろうか。
これだけじゃないけど、結局のところ僕は人生が怖いしこの先どうなるのか不安だ。
だから今日もタバコも吸い、毎日カップラーメンを食べ、ガレのある山に行き、バイクに乗り、少しでも事故死の可能性も向上させることを怠らない。
親が死んだら死のう。
最初に言っとくと、オレは山本太郎とか渡邉美樹とかが参議院議員になるのは間違ってると思うし、
自民党に投票して渡邉美樹を落とせないことは制度がオカシイと思ってるし、
でもなんか、公職選挙法違反の可能性ってニュースにブコメがついてる「きっちり取り締まれよ」とか「当然取り締まるんだろうな」みたいなのは、叩き方が間違ってる気がする。
例えば、街頭演説は20時まで、選挙活動曜ビラは新聞折込その他選挙事務所・演説会・街頭演説の場でしか配れないの合わせ技で、駅前で22時過ぎてビラ配ってたから公職選挙法違反だ、だから当選取り消せ!みたいなのは、なんか違う気がする。
正直さ、それってそんなに重大なことなのか?
いや、法律は法律、どんなに世の中と合ってなくてもルールを守るのは重要で、しかも参議院議員になろうとする奴がルールを調べてきっちり守れないのはどうかしてるというのは判る。
オレも正直、立法府の構成員が法律守れないとかどんなギャクだよ、フザケンナとは思う。
でも、それとは別に今回の「公選法違反だから取り締まれ」っていうのは、叩きたいからルール探して、見つけて大喜びみたいな、なんか違う感じがしてる。
オレは、2chに「小女子を焼く」みたいな書き込みをして逮捕されるのは、間違ってると思う。
迂闊な行動で重大な刑罰を与えるのが良くないって話じゃなくて、なんか釣り合ってない気がしている。
例えば、蒲焼盗んで追っかけてきた従業員車で振り切って逃げたオバサン捕まったけど、アレはしっかり強盗で実刑で良いと思う。
強盗致傷(事後強盗?)を軽く扱えば、治安維持に悪影響があると思ってるから。
でも、馬鹿な学生が馬鹿な書込して人生狂う、みたいなのは、やっぱ間違ってる気がする。
前科持ちの高卒無職が犯罪者予備軍とは言わないけど、警官にすげえ怒られた大卒中小企業リーマンとは、世の中への貢献度合いが違うんじゃないかと思うから。
それと同じように、公職選挙法違反でも、厳しい違反と軽微な違反ってのはやっぱあるんじゃないのか。
もちろん立場として、立法府に籍をおくなら聖人君子とまでは言わんでも現状いかなる法律違反もすべきでないというのなら判る。
たとえ赤信号を無視しても当然辞職すべきだという意見の人が居ても良いと思ってる。(本来はそれぐらいの気概で臨んで欲しいとオレも思ってる)
でも、今のブコメのやつは、揚げ足取りに見えて、正直逆効果なんじゃないのかな、とも思う。
漠然と「なんか重箱の隅をつつくように叩いてる気持ちの悪いのがネットに居る、ということは、つまり正義だ!」とか言わせないようにしたい。
うまくいえないけど。
まあ、たぶん公選法違反で捕まるのはいつものようにポスター破った奴とか票を金で買ったとかハガキ集めて別人が投票して回ったとか、そんなのになるとは思うけど。後はみんな警告だろ。
とある企業で新入社員としてくるかもしれない優秀な新卒君に本気モードで嘘ついちゃった。
で、今あまりに良心の呵責に耐えられないので、チラシの裏のここで真実を語るよ...
あなたがね、うれしそうに入ろうとしているこの企業は、悪いこと言わないから入るの止めた方がいい。
あなたのね、目の前にいた人たちはね、みんなこの企業から一刻も脱出しようと必死に行動してたのに、うまくいかなくて行き場をなくした人たちなんだよ?本当は。
あなたがね、友達があそこはブラック企業だからやめときなって言ったのは、実は友達が本当なんだよ?財務諸表公開してるから、ちゃんと見て自分の頭で考えてね?この財務体質で、この企業戦略で、うまくいくわけないだろ?財務が健全とかいったのは、ありゃ完全に嘘っすよ?あと2年もつかもわからないんだよ?この企業戦略でかかげている製品ジャンルがそんなに儲かるわけないし(実状しらないと思うけど)、技術軽視(というか無視。エンジニアほぼ死滅しかけてる)の経営陣どもの、現場見たことないようなやつらの皮算用がうまく機能するわけないだろ?今俺の目の前では、まるなげ&下請けイジメばかりで開発がまったくうまくいかない(そして将来も絶望的)なものが、それこそ総額ウン十億もかけて現在も誰も止めずに山ほどの量で進行してるんだよ?
あなたがね、ちゃんとしたものを計画していて安心しましたって、言ったとき、僕はそこから逃げ出したくなったんだよ?本当は。事実をいうとね、ちゃんとしたものを計画してるのは本当だけど、全部技術軽視の結果が祟っていて開発が軒並み頓挫してるんだよ?多分これら全部は世の中に出ないの。で、ちゃんとしてない、それこそ客から金をだまし取るといえるようなものばかり、中身腐ってるから開発が適当に完了するの。客騙して金むしり取るんだから、クオリティいらないよね?だから出せるの。そういうのばかり、リリースされるから、あなたの心配しているとおりの製品しか将来にわたってリリースされません。あなたの、直感は、あたってるのよ。
あなたがね、当社の製品について素直な疑問をもってたでしょ?あれ、そのとおりなのさ。しかも、俺が、あとちょっとで修正されるんで、といったの、完全に嘘さ。あれはね、開発元が俺らが理不尽ばかり押し付けるので、とうに中は崩壊しててね、もうどうにもならないのを、リリースしたから、どうしよう?どうしよう?と引き伸ばしてるだけなの。だから君が言うような、それこそ信じられないバグやら仕様なの。そのうち、客に愛想つかされるからね、そんときゃ上には別の理由たてて(今回の製品ジャンルが受けませんでしたねー、次は違うジャンルでいきましょう!とかね)、しれっと金はらって権利を買った客の願いなんか毛ほども気にせず製品終了させるから。でも、本当は、バグだらけでとても製品になりませんなというのを止むに止まれず会社事情で出しちゃったのが原因なんだよ。ほんとうは。だから将来にわたってあの製品はダメなままなの!客騙して金とってんの。本当は。
仕事で帰れなくなると、ちゃんと人的リソースが確保されるから大丈夫!と別の先輩いってたでしょ?あれ完全に嘘だから。本当はすごくて、その先輩本人が、こんなに人的リソースに無関心な会社見たことないぜー、ここは絶対おかしい、こんなマネジメント腐ってる会社他に見たことないと叫びながら追い込まれてて、今転職先必死に探してるっていう状況なんだよ?既婚者で子供いる人職場に何人いるの?って聞かなかったあんたが悪いんだよ?こんな状況と賃金で家族なんて子供なんて持てるわけないだろ?それで十分分かるだろ?残業代全部でるから大丈夫っていってたけど、実は残業つけれるほど勇気ある人いないんだよ?わかってる?サビ残が実態なの!本当は。就職検討するまえに、賃金&当社の名前で検索してからきやがれggrks!
ここの会社支えるインフラは日本ではなかなか経験できないような規模で良い環境であると、一見納得できそうな理由をつけて言っていたの覚えてる?あれ嘘だから。本当は、たまたまその製品が運だけで当たっただけで、集めた金がたまたま潤沢だっただけなので、本当はちゃんと開発すればそんな規模にならなくてまったく済むのに、開発グダグダだからその規模になっちゃったっていうのが本当だよ?しかも何も先進的なものなんて一つもないよ?むしろ腐りかけた古い知識しかないので、無駄に機材を用意してるだけなんだよ?きっと君は世間でまったく役に立たない知識と技術と仕事の仕方を無理やり教え込まれて、他でもまったく通用しない仕事のやり方を、人生無駄にしながら覚えて、無駄な努力を強要される予定なんだよ?あなたには。
他に新入社員何人とってるの?っていう質問、あれちょっとヤバいなーって思ったんだよ?本当は。当社はね、新卒育てるキャパも気概も実際ないから、とっても全員漏れなくダメになるの。だから沢山採れないの。無駄だから。現在活躍している人たちはね、みんな他社で育った中途の人だけなの。新卒は漏れなく、日の当たらない部署へ時間がたつと追いやられていくの。理由は簡単で、誰も育てないか、潰すだけだから。僕等のせいでダメになった新卒君を最後は結局そういうところへ回して、廃棄処理するだけなの。
じゃあなんで、こんな嘘つくんだって?そりゃ、上からイイコトこと言って、新人逃げないようにしろよっ!ていう指示なんだよ。僕等だって飯食わなきゃいけないんだよ?わかってる?でもさ、他の人があれだけ本気で嘘ついたのみたらさ、コミュニケーション能力高い僕らとしては、それこそ空気読んで話合わせるしかないだろ?誰も本当の事喋って面倒に巻き込まれたくないしね。
片や自分らは平和を謳歌してて、片やその平和のせいで今も苦しんでる人がいるというのに
平和主義者ほど、こうして苦しんでる人の気持ちを汲んでなくて
自分の「正義」という欲求解放のためだけに戦争放棄を謳っていて、
個人的にはそちらの方が無責任だと思う。
平和を願うとか動物愛護を謳う事が出来るのは同じ境地に、同じ境遇にいる人だけに許される権利だと思う。
何も知らない癖にちょっと見た聞いた位で「可哀想」だと言うだけの人間、それで抗議デモを起こす人間っていうのは実情を知らないクズでしかない。
それは却って、今苦しんでる人達や動物を余計苦しめるだけだよ。
黙って静観しろとは言わないが、既にこれが最善だという処置がとられてるのに横槍を入れるのは場の空気を壊すようなものだ。
やるなら国を動かす位の気概を持って臨まないと、人を苦しませているだけにしか見えないぞ。
可哀想とかそういうのはいらない。
本当に困っている人を支えるだけでいいんだよ。
自分は不安症である。物心ついた頃から、不安症である。理由は特にない、多分。器質的なものである。
で、昔からお金を使うのが怖い。お金が足りなくなるのが怖いのだ。今ここで使ったらいつかの時に足りなくなるかもしれない、とお金の概念を理解したくらいから思ってる。それでちょくちょく使えないことがある。
なお今は加齢のせいか、あるいは貯金がそれなりの額に達して調子こいてるせいか、時々ポンと使う。普段はケチだと思う。他人に対しては常識的な額より少し多めくらいに使うが、自分に対してはドケチである。人に迷惑をかけないドケチと呼んでいただきたい。いや呼ばなくていいです。
前置きが長くなったが、まだ前置きである。
姉と妹は金遣いが荒い。といっても、姉はしたたかなところがありきっちり自分の欲しいものは手に入れた上で、絶妙に足りなくなる(子供の頃は10円20円、おとなになったら100~2000円くらい)ので、大人からうまいこと援助を引き出す、という術に長けている。あれも器質的なものである。たぶん。
逆に妹はバカで、欲しいものから順にてにいれていき、どうしても欲しい物を見つけた時には全く金がない。で、大人に泣きつくがあしらわれる。そういうバカである。甘い大人がいると泣きつくたびにほしいものを買ってもらえるタイプである。
自分はひたすらなにも手に入れない。ケチだと怒られる始末である。
上記のような性質により、姉はこれまた絶妙に人に喜ばれて自分が損だと感じない土産をチョイスする。出して良いと判定しているらしい金額で、見栄えと量が最大化する組み合わせを選ぶのがうまいのである。
妹はバカであるため、出して良いと判定する金額が設定されていない。あとは見栄と自分が食いたいものorほしいものである。そしてその時に持っている金額しだいで土産が決まる。したがってしばしば買いすぎるか、少なすぎる(たぶん有り金がつきたと思われる)。最近は年食ったせいか身内に対しては見栄をはろうという気概が無くなったのか、質<量でやたら安いものをたくさん買ってくる。そしてまずい。
さて、そして自分だが、昔は土産を買うのが非常に苦手だった。頭のなかに最悪のケースが浮かぶのである。たとえば修学旅行の観光バスが何らかの事情で使えなくなるか置き去りにされ、自力で家に帰らねばならなくなるかもしれないというどう考えてもありえないケースを最悪ケースとして考えてしまう。そうすると自力で帰るために手元にまとまった金を残しておかねばならないので、土産にも自分に対してもほとんどなにも使えない。食事も即決一番安いものである。水もできるかぎり飲まない。どれだけケチかというと、筋金入りのケチである。というか不安神経症である。それも病的な。
で、まぁどうしても土産は買っていかねばならないという意識はあり、あまりにもしょぼいと母親が切れて家を叩き出される可能性がある(家を叩きだされたあとにどうやって生活するかと考えると息が苦しくなるタイプである)ため、保険をかけて少なくとも母親が怒らない最低ラインの土産を買ってかえる。要するにしょぼい。まぁでも母親がしょうがないわねぇという人だとたぶん未だに土産を買うという習慣がなかったので、母やありがたしであるが、しかししょぼいことにはかわりないのだった。で、帰ってくるとたいてい説教をされる。
とはいえ、この得体のしれない不安感は加齢とともに軽減している(図々しくなったともいう)ため、大学に入る頃にはだいたい普通くらいの土産をチョイスできるようになった。
で、ある時バイトでためた金で友達とディズニーランドへ行った。大学にいったら小遣いはなくなる方針の家のため、決して軍資金は多くなかったが、出来る範囲で飲み食いをし、大いに楽しんだ。
高校生の時もやはりバイトでためた金で友達とディズニーランドに行って、金がないなりに大いに楽しんだことはある。この時はマジで金がなかったので土産はしょぼかった。カネがないことは両親も承知していたので、母はぶつくさとやはり文句はいったが、小中学生の頃ほどは怒らなかった。まぁ自分で稼いだ金であそびに行ったわけだし、文句言われるのは筋違いだと思うが。
で、大学生になってバイトで稼げる金が格段に増えた(とはいえ社会人ほどではない)し、友だちときゃっきゃしながら土産を買って、あぁ土産買うのって楽しいんだなぁ!と思いながら家路についた。これははじめての経験だった。友人たちに比べればやはり金遣いは控えめであるが、帰れなくなるかもしれない、路頭に迷うかもなどと考えながら半泣きで買う土産とは次元を異にしていた。普通の人はこうやって買ってるんだと本当に目からうろこだった。そりゃ、土産屋が繁盛するわけである。ディズニーのゲートの外にも販売店があるわけだ。
で、実家の最寄りの駅につく。母は迎えに来てくれていた。どうだった? 楽しかった? と当たり障りのないことを聞かれて、テンションの上がっていた自分は楽しかったよ! おみやげもいっぱい買った! などと答えた。車中は和やかな雰囲気だった。母が眉間にしわを寄せずに私を迎え入れたのはあの時がはじめてだったかもしれないと思うくらい和やかだった。
が。
やはり母は母である。というかうちの家族はやっぱ世間一般からは少しずれていると思う。母は言った。妹が、もししょぼい土産しかかってこなかったら家の中入れないとか息巻いていた、と。良かったねぇ、家に入れてもらえて、と。
それから十年たった今、思い出してブチギレている。当時はむっとしただけで、あぁ、そう、で流したが、時が経つにつれ腹が立つ。
十年間色々とあったが、妹とはほぼ絶縁状態である。母はたしかに変わり者であり、私とも相性が悪かった(自分は非常に扱いにくい子どもであったので仕方ないが)のでよくきつく私にあたったが、妹はその母の尻馬に乗って私をよくバカにしていた。土産の話もその一つだ。そして母は妹を咎めなかった。
確かに自分はドケチである。だが、そういう性格なのはしかたがないのだ。不安症には長く苦しめられているし、鍵を閉め忘れたと言っては何度も家に戻りそれだけで疲れて出かけられなかったり、ストーブを消し忘れた気がするといって家に戻り約束の時間に遅れたり、新しい服がすぐにダメになってしまうのを恐れてなかなか買えなかったり、首になることを恐れてバイトのシフトに入りまくったり、単位落として留年すること恐れて(授業料が恐ろしい)試験前になると眠れなかったり、私だって苦しんでいる。なにも他人の土産をもらうことは期待するくせに、自分は出し惜しみするというようなケチではない。どちらかといえばもらった土産さえも非常時のための食料として取っておきかねない、そういう人間なのである。
その恐怖を超えて、ようやく楽しいと思えるようになった気持ちを踏みにじられたような気がした。バカが。なにも考えずに頭から使うだけのバカが。不安も感じたことがない上に家主でもないくせに、家の中に入れないだなんて偉そうに、バカが。
たぶん今、もし今の気持ちをもったまま十年前に帰ったら、きっとそう罵ってるだろう。
あの時買ったプーさんのお菓子の空き箱は、今もペン立てになっている。今はもう古い絵柄をなぞりながら、私はまた腹を立てている。だけどこの腹立ちを無神経な誰かに向けずにいられたらいいと思う。同じように不安で仕方ないだれかに、そうだよね、こわいね、でも本当は怖くないし、自分の足で立てるという確信が持てればきっと楽しくなるよ、大丈夫といって寄り添いたい。
強ち間違いではない部分もあるのだろうけれど、この言葉って単に上の世代が下の世代を抑え付けるためだけに使われてる部分もあるんじゃないか、と、思い始めるようになった。
少なくとも、自分から理不尽をふっかけてくるような人間が使うべき言葉ではないと思う。
人によるのだろうけど、ただ、自分の経験上、若い世代で理不尽なことを言ってくるようなタイプの人間はあまり居ない。
それは多分、キチンと物事を筋道立てて考えられるような環境があったからだと思う。
最低でもそれぞれ合理的に生きてるとは思うし、非効率的なやり方の過渡期はもう過ぎ去ってると考えればそれは凄く良い傾向ではあると思う。
世の中がそういう方向に向かっている、なのに未だに自分の年代の「私達は耐えたよ」なんて価値観を押し付けてこようとするならば、それはもう時代遅れであり自分勝手ではなかろうか。
もしそうじゃないとしても、規制やら開発やらで「綺麗なもの」しか見せられてこなかった世代にとって「汚いもの」のダメージは上の世代の何倍にもなるわけで、
そういうことを一切度外視してそんな今の世の中を作ってきた世代が若い世代に対して根性が無い、なんていうのはあまりに無責任だろう。
もちろん若年層は若年層でダメなところもいっぱいあるとは思う。
一週間も経たないうちに辞めるなんて話もよく聞くけど、そういうのは明らかに環境以前の問題だし。
ただ、彼らは自分達が強くないから人にも強要はしない、という姿勢が強く見て取れて、それはある意味優しいとも言えるのだろうし、
そういう層をぶっきらぼうなやり方で批難するのは単にその芽を摘んでるだけのような気がしてならない。
「そんなの世の中を生きる上で甘い考え方だ」と言われればそれも自分でそうだと思う。そこは重々承知。
ただ、時代にそぐわない考え方をさも正義のように演出して押し付けることはもうそろそろ止めませんか。
そうすればもっと働ける人、悩まなくていい人、死ななくて済む人は増えるはずだし、そうなればみんなが得をするはずなのだから。
どうせあと10年20年もすれば働けなくなるんだから、世の中のために、未来のために、ちょっとぐらい我慢して、若い世代に世の中を譲る体制にシフトして行きませんか。
「忍耐力が無い」なんて突っぱねて"その世代と向き合うだけの忍耐力"が無いのは実は案外上の世代だったりするのかもしれない。
どうも、今の状態だとむしろ「世の中は俺等が作ってきたんだ!」とふんぞり返るばかりで若い世代に道を作ろうという気概は見えないし、
今の老年層が去った後の世の中は幾分マシになってるような気がしてならない。
そして、多分、そうして軋轢を抱えたまま終わるのはお互いの世代にとって良くないと思う。
こう書くと老年層が完全に譲歩しろ、って言っているように見えるかもしれないけれど、
そもそも、先に書いた通り、今の世の中を作ったのも、若い世代を育てたのも、立場を使って厳しく言ってくるのも全てはその世代という事実は考慮されるべきで、
それによって阻害されている部分があるなら下の年代には現状ではあまりどうこう出来ない問題だろうと思うので、
まずは上の世代がそこをちゃんと取っ払って、その上で若い人間が抱える問題と向き合っていくべきではなかろうか。
多分、今はまだその段階には無い。