はてなキーワード: 気概とは
説明会もすぐにキャンセルする、エントリーシートが通過しても面接をブッチしてしまう、
馬鹿だねえ、勿体ないよと皆に言われる。
当たり前ができない。
当たり前ができないなら、新しい事をやってやろう!という気概もなく、常識に嫌悪感を持ちながらもレールに乗っかるしか発想がない。
最終までたどり着けたのが本当に奇跡のようなもので、そこはエントリーだけで1万人くらいのいわゆる大手企業。
12月から今まで就活をしてきて面接が通過したのはベンチャー企業1社のみ(しかも二次選考ブッチした)だった。(そもそもそんなに数受けてないんだけど)
ESには自信があったのだが、破滅的に頭が悪いのにテストセンターを通過できたのが第一の奇跡。
グループディスカッションでは、就活始めて以来初のメガンテ君に遭遇しイライラしつつも通過。これは第二の奇跡。
一次面接は、面接後に好きな人に会う約束があったので初めてウキウキしながら会場に向かった。嬉しそうなオーラが伝わったのか通過。第三の奇跡。
二次面接は、自分なりに頑張って業界やら企業やら研究したり、色んな人に話を聞いた。その結果面接の手応えばっちりで、案の定通過。
記念受験のつもりでエントリーしていた企業なのに気がつけば最終まで来ていた。
最終は全く手応えがなかった。
面接官3人のうち、いちばん偉いのかなーと思われるおっさんは一言も言葉を発する事はなかった。
私と同日に受けた人には内定の連絡はとっくに来ているらしいし(byみんしゅう)
けど、こんなクズな私でもここまで選考に残る事ってできるんだというのは発見だったので
最後の最後にチャンスをものにできない自分にとっても嫌になるけどね。
私ってどこまでも馬鹿で、勿体ない。
http://rinu.hatenablog.com/entry/2013/03/17/164151
ブコメを見てると、
とか、ネガティブな意見がいくつか散見されたので、ちょっと思うところを書いてみる。
ちなみに、この元エントリ主を個人的に知っているので、ここで書かれていることは事実だな、という実感はあるし、社内の文化としてそういうのを受け入れる懐の深さはあると思っている。
まずこの辺。
こういう感想を抱きがちなのは、SI系の人だろうなと思っていたら、1つのブコメ主が id:NOV1975 とかだったから、案の定と思ってしまった。SI/Web かで、特別因果関係があるわけでもなくて、Web系でも引き継ぎ大変なのは一緒なんだけど、SI系はどうしてもある一人の優秀な人に依存すると、ビジネスが回らなくなるという大きな問題があるので、わからなくもない。
けど、見方を少し変えると、こういうツールやスキルをその人が残して去っていって、残ったものとして目の前に明らかに効率が上がる手法があることがわかった、というのがまず大きな収穫なんじゃないか?少なくとも、それが今まで現場として出来ていなかったという事実は、その人よりも周りのスキルが低いことを暗示しているので、収穫にならないということはないはず。
それなのに、みんながそれを使えない/教育・啓蒙できる気がしないから使わない/使えないとか放棄する、っていうのは、あまりにももったいないのではないか、と思う。むしろ、そういう方法があるのだから、意思を引き継ぐ気概のある人がそれをやればいいのではないか。残したものが難しかったり癖があるのであれば、それを癖をなくすように改善していけばいい。それを文化として定着させればいい。それができるのがプログラマという職業ではないのか?
定着させるのが難しい、政治的にいろいろゴニョゴニョしなきゃいけない、とか、多分プログラマとしてアプローチが間違っている。違うんだよ。口を動かすんじゃなくて、手を動かすのがプログラマでしょ?
それが出来ないから困ってる、そんなの理想論だろ。うん、じゃあ転職しようか。少なくとも、そこに不満を持つことが出来る人で、何とか出来ない現実がそこにあるのなら、そこはあなたの求める環境じゃない。ありのままの自分を受け入れてくれる環境じゃない。
次この辺。
外国人関係なくね、はその通りだと思う。日本人でもできるし、きっとやってる人いると思う。ただ多分、外国人だからこそやりやすかった、ってのはあると思う。日本のいわゆる暗黙的な了解というか、そういうの知らないだろうから。
上でも書いたけど、
こういうところがまさに日本的で、そういうことに気を使う文化だということを知らないからこそ、彼らにとってはそれが普通だったからやったまでで、日本人から見ると、外国人だからできるんじゃん、って思えちゃう。で、僕らはそれを内心すごく羨ましく思っている。だから、「崇拝」って単語が出てきちゃうんだよ。
コンプライアンスとかそーいうので決まってるんだよ、とかって現場もあると思う。そういう場合、彼らが次に取る行動は多分、そんな生産性の悪いルールは変えろ、捨ててしまえ、って声を上げるんだろう。声を上げてもダメなような現場なら、彼らはきっと去っていくだろう。
最後。
これは、割とそういうことが一般のプログラマでもできちゃう社風というか文化だと思う。メモリ上げたりは普通に経費で出来ちゃうし、Mac 不調だから変えてくれ、って言ったら変えてくれるし、サーバはインフラが仮想化されているので、検証環境用意するのはメール一本で済んじゃう。そういう社風なのです。そういうおかしい会社もあるんですよ。多分、Web系のプラットフォームやってる会社とかソシャゲ系の会社は、多かれ少なかれどこもそういうことやってるんじゃないかな。
やっぱり受託開発やってて経費全部そっから捻出しなきゃいけなかったり、顧客側で開発環境指定されてるSI系よりも、Web系の事業やってる会社はサービスが当たらないと次がないので、その辺割と融通効くところが多い気がする。
この論の趣旨として間違ってほしくないのは、SIよりWebだろ、っていう短絡的なことじゃない。それは単に、現状でプログラマにとってやりやすい環境なのは現状Webなだけってことで、SIだって出来る会社あると思う。本当に言いたいのは、自分がその方がいいだろって思えることは、口を出して周りを動かすのではなくて、手を動かしてそういう環境を作ろうよ、出来ないところならやれるところに行けばいいじゃん、ってただそれだけです。
http://anond.hatelabo.jp/20130224175755
学歴ロンダが行われる理由はたくさんあると思います。東大卒、ってゆー箔であったり、プライドであったり、社会的な地位であったりします。
で、詳しくは上記のURLから飛んでもらうとして、このエントリーでは二種類の東大院生が登場します。
学部から(中高時代から)しっかりと知識を育み、学部の継続で修士に進み、毎日うんうん唸りながら一生懸命に「研究」をし、ポスター発表やペーパー投稿も積極的に行い、晴れて修論発表会で発表して修士号を得る
誰でも入れるような大学(学部)から、誰でも入れる東大院の研究科(研究室)に入って、東大学部生のレポート程度の修論を書いて修了し、自尊心を満たす
後者がロンダなのは見ての通りなんですが、僕がひねくれてるのか、後者のほうが前者に比べてスマートに見えるんですよね。
だって、どうせ使わない学問(種類に依りますけど…)のためにうんうん唸りながら研究するのであれば、その分ほかのことに時間を使ったほうが有意義な気がするんですよね。これだけだとザル法を肯定することになるのでなんとも言えないですけど。
もちろんこれは個々人(っていうか僕と前者)の正義の違いであって、前者から見たら後者はズルいわけです。
経歴は東大生だけど中身はちゃんと学業は修めてないんだから、まー許され難いことであります。
何が問題かって、悪いのは学歴ロンダ野郎じゃなくて、学歴ロンダができる環境にしたお偉い人でもなくて(原因の一つではあるけど)、学生をそこまで学歴に執着させるこの日本社会だと思うのです。
まー、ほとんど知らないって事実を鵜呑みにするわけではないですけど、こういった無知は歴然としてあります。確かに。
こういった社会構成、もっというと頭のカタいオッサンをなんとかしないと学歴ロンダなんて無くなりそうもないけど、難しい問題ではあります。十年後どうなってるかはわかりませんが。
でも、「俺頑張ったのに学歴ロンダ野郎も同じ東大卒って見られててズルい!」っていう意見は学歴至上主義的、もっというと学歴ロンダ野郎と同じ土俵に立ってる感じがしますね。
学問修めて身に付けた能力(勉強力とかじゃないよ)を活かして学歴ロンダ野郎を蹴飛ばして初めて東大生でイキっていいんじゃないでしょうか。
それくらいの気概は持ってて欲しいなと思いました。
そこそこ偏差値の高い大学に通えていて、総合職を目指すのが当然のように思っていた。
でも、「いつかは結婚したいでしょう? 稼げる旦那さんが見つかる職場もありかもよ」
言葉の裏に、いつかは仕事を辞めるんでしょう、という意図が見えてしまって。
確かに、結婚はしたい。
お金はないよりはあるほうがいい。
子供もほしい。
でも、結婚したからって相手がずっと稼げるかどうかなんてわからないから、自立はしていたい。
サポータータイプだなあ、と自分で思う。なのに、総合職を目指している。
誰かよりも何かがとても秀でているとは思わないけれど、
満遍なくいろんなことはこなせてしまう、器用貧乏的なところがある。
ルーチンワーク向きなのかと思って一般職向けの企業説明会に行ってみたけど、違和感が半端無かった。
多分そこには、自分の大学へのプライドみたいなものがあるのだろうと思うけれど、
男性からしたら、選択の余地があっていいね、と皮肉られるかもしれないが、余地があるぶん悩ましい。
一生働き通すんだ、という気概でいれたらよかったけれど、
童貞卒業出来たのは26歳。相当こじらせた方だと思う。自分なりの脱出論を一度書いてみたいと思いました。
一途に想い続けるというのは称賛したくなるのだが、結果として良い結果を生まないと思う。こちらの思いとは裏腹に恋愛どころか友人としても成立せずに終わってしまうのが大概のケース。返事が帰ってこないだけで意気消沈したり、いわんや相手に返信メールを強要するようなことは避けなければならない。従って、常に付き合いたいなという女性を最低でも5人程度候補として持っておくべきだ。相手を①魅力度(容姿・性格等)、②確度(付き合えそうか)の2つの軸で総合的に判断してエネルギー配分を考えること。童貞は①だけに集中してしまい、ヤリチンは②を重視するのだろう。
女性と話をしていて思うのは、タイミングとか安心できる相手かの見極めができているかとかが結構大事。だから、半年ぐらいかけて好感を少しずつ持ってもらうぐらい持久戦をしかける気概が必要だ。週に数回メール・Lineで会話して、たまに友達も連れて皆で食事をするとか。相手に最初から恋愛対象として見て欲しいと思わせる必要は無い。むしろ一緒にいて楽しい人だなと思わせる位で良いと思う。貯金をしていくイメージだ。数撃ちゃ当たる理論で述べた2つの軸のうち、特に①魅力度がとても高い相手と付き合うのは難易度高いわけで、相当な貯金をする必要がある。余り期待せずに長期戦でゆっくり仲良くなるよう進める。その間、②だけが高い女性とメールしたり食事なりしながら気分を紛らわすというのも良い手段だと思う。短期間限定で付き合うのも有りだと思う。彼氏がたとえ居たとしても、別に期待もせずに連絡だけ続けていれば1年後に彼氏と別れてチャンス到来もありえる。その間、他の女性へのアプローチもし続ける。そういうしたたかさが必要だ。
ナンパやらは全くもって現実的に実行する気にはなれない。現実的な方法を考える
合コンは手っ取り早く3,4人の女性と知り合える。ただ共通の話題がない状態から始める相手と中長期でじっくり連絡を取り合うのは至難の業だ。共通の趣味なりがないと長続きしない。逆に共通の趣味があるグループで相手を見つける方法。学生時代のサークルであったり、新たに女性が中心の習い事など。当然男が少ないコミュニティであれば有利である。ただし、そういうコミュニティに入るのは億劫だし魅力的な女性がいるとも限られる。どっちもどっちだ。2つを上手く使い分けて出会いを増やすことが大事だ。
王道の方法は無いのだから、連絡先を交換した相手と関係を絶たずこまめに連絡を取りながらチャンスを伺うことだ。
結局ダメもとで告白するのは間違っているという結論に至った。絶対付き合えるだろうという確信が持てるまで待てば良い。
色々と書いてみたが参考になると嬉しい。
なぜ求める人材像に
「仕事に対するやる気と素質があり、学習能力をもちあわせ、仕事仲間と取引相手とうまくやれる人」
と書かないのだろう、と思ってしまった。
就職活動をしている。
ここ一ヶ月で世の中にあふれるたくさんの企業の新卒採用ページで「求める人材像」を読んだところ、
「グローバルマインドがある」「志に向って突き進める気概がある」「チャレンジ精神を持っている」「覚悟がみなぎっている」「時代を作りたい」「世の中を変えたい」
このような思いや、もしくは資質を持っている人を多くの企業は求めているようだ。あとは協調性・行動力・責任感・好奇心・企画力…といったものが多く見受けられる。
要するに「上昇志向で、社会に対する問題意識を強く持ち、チームで成果を出せる人」を求めているのだな、と読み取ったのだが、
この人材像、ごく平凡な普通の学生にとってはハードルが高いように思う。現状幸せで楽しければいいや、と思っている学生はたくさんいると思うので。
企業がそういう現状主義・平凡主義・言われた仕事しかしないような人間を雇いたくないということはわかるし、
大学生の意識の低さももちろん問題ではあると思うのだが、これは現状の教育システムではなかなか解決できないと思うので置いておく。
大半の企業は、「仕事をまっとうにでき、企業に貢献できる人材」を求めているのではないのだろうか?
求める人材像に美辞麗句を尽くす弊害は、本当は意識が高くない学生が意識の高いふりをすることだ。
http://president.jp/articles/-/8136
最近は、知性のない老人男子の代名詞として「老害」と言われるようだが、キレる若者世代の私からすると、彼らはハングリー精神さえあれば全てが上手くいくと思っている精神論者に見える。なにしろ私たちの世代は、小さい頃からリストラ、倒産などあらゆることで不景気な社会だった。とにかく勉強していい学校に行き、いい会社に入り必死に働いたとしても報われないという思いが強くあった。ブラック企業に入社したときの同期はほぼ全員が身体か精神を壊しており、ものすごい罵声が飛び交い、ハングリー精神どころではなかった。先輩たちの気持ちも消沈していたし、横のつながりもすぐに切れた。
ところが、社会が貧しくなるにつれてハングリー精神などと言ってられなくなっていき、悪い意味での上昇志向すら低下してきた。特に約20年前に、特に苦もなく就職したような連中が、競争社会だなんだと言いつつ社員を養う気概を失ってしまった。グローバル化が進展する中で、ビジネスチャンスを捉えた韓国や中国に後れを取っても指を加えて見ているだけの結果になってしまった。
入社X年目。
全社員数XX人足らずのIT技術者派遣会社。そこそこ歴史もあるらしい。
入社前は、「小さい会社だし、あわよくば社長とか乗っ取ってやってもいいかもね♪」なんて沸いたことを考えてすらいた。
入社後、情熱に燃えていたころは、会社のどこがだめでどうすべきかとかを期末の査定用書類の意見欄に書いたりもしていた。
でも、それへの会社からのレスポンスとか、他の社員とかを見ているうちに諦めた。
会社は、これまでなんとかうまくやってきたという自負と経験則のもとでマンネリをむしろ是としているし、
社員も、それに慣らされて不満こそ言うものの実際に変えようとするまでの気概もない。
周りを変えるより自分を変えろとはよく言うけど、それが確かに一番なんだろうなと思わせるには十分な環境。
今思えば、星の数ほどある小さなIT技術者派遣会社の一つで下請けメインかつ自社開発なんてないに等しいような安定一番の会社を変えるなんていうのが、そもそものお門違いだったとわかる。
いい悪いの問題じゃなくて、会社にとってはそれでずっとやってきたから若造に言われて変えるようなことはないと思うのは当然で、自分が勘違いしてただけだった。
がんばっても給料も賞与も増えない。10年頑張って月の手取りが2万増えるかどうか。当然手取り30絶対に超えられない。
若い人間を現場に入れることが一番の稼ぎになってるんだから、ずっといることなんて考えてないのは当然か。。
今年の冬はついに賞与も危うい。
で、タイトル。
久しぶり。決して暇なわけじゃないが少し時間出来たので書くぞ。
この2011年2012年という二年間は日本国にとって大きな転機を迎える二年間であったことにお気づきだろうか?
そう、我々はもう引き返せない所に足を踏み入れてしまったのだ。竹槍装備で戦闘機に立ち向かうがごとく土足で。
ライフハック(通称LH)の衰退は一つの象徴的な出来事と言えよう。ちまたには「ライフハック」とは書かれていなくともライフハック以外の何物でも無いような幾分「時代遅れ」な書籍が立ち並ぶ。
ライフハックの一体何が時代遅れなのか?そう思った貴方はやはり確実に時代遅れなのだろう。
第一にライフハックのような小手先のテクニックはもう古い。めまぐるしく変化し多様化しきった時代に求められているのはマニュアルではなく自力で闘う力だ、なんてとっくに知られているはずなのに。
それをよく分かっていない前近代的(俺に言わせれば「モダンでない作法の」)人間がいまだにウロチョロしているのな。
そんな種族と親和性が高いのが愚直な「ロジカルシンキング」や狭視野な「コミュニケーション術」だったりするんだよな。捨てられる女あれば拾う男もありってところかw
第二にライフハックを必要とするような、激流の時代にあらがって何か事を成そうとするような気概のある任侠の徒が実に少なくなったということだな。
それは何故なのか?これには様々な要因が見てとれるのだけど、一言で言えば元気がないんだよな。もっと直接的に言えば、不健康なの。
不健康は思想や精神の脆弱性を表わす喩えなんかではなく、実際身体が不健康なの。自分が不健康だということに何年何十年間も気付き得ないほど不健康なの。
そのことに気付く暇もないくらい忙しい世の中であることにも一因があるのだがな。この問題に立ち入ると長くなるからとりあえず「周りに流されるようなロクデナシが増えた」ということで。
この社会現象を「現状に満足しているがために周囲の流れに抵抗せず流れに乗ることのできる人間が増えた」と好意的に解釈する向きもあるようだが、
橋下さんの人気は
「(方向はともかく)やる気があるように見える」
「(内容はともかく)論理的弁論で展開」あたりが肝になってるように思う。
自分はこういう期待を持って橋下さんを支持する日本人たちを、踊らされる馬鹿な民衆とは切り捨てられないわ。
こういうのって説得の基本なんだよな。普通は、こういう説得の基本ルールを抑えた上でさらに中身や言ってることを問うのが理想的なんだろうけど、ぶっちゃけ日本の政治家でこの基本ルールに法ってスピーチや会見が出来る人がどれだけいるんだろう。
賢い人も多いからやれば出来る人もいるだろうけど、そもそもそういう空気がとんとないように見える。
政治家同志ならそれでいいのかもだれど、有権者に向けて、そもそも、説得、納得させてやろうってスタートラインにすら立っていないように思えて仕方ない。
そりゃあこんな空気で橋下みたいな人が出たら、内容はともかく支持しようって層が多く出てくるのもわかる。
アメリカの大統領選の一連のスピーチを見たけど、日本では考えられないくらい(一見)論理的でわかりやすくやる気があるように見えたよ。
内容云々ではなく、聞いてもらうための準備に抜かりがない。日本は空気読み文化あるからとか言い訳できないレベルで劣ってるわとげっそりした。
ある人のスピーチは本当に素晴らしいと感じた。外国人の自分ですら。
橋下は支持できないけれど、少なくとも一般的な日本の政治家よりは、説得のために抜かりがない方法をとろうとする気概は評価してる。
他にもこういう人現れねえかな。それで議論戦わせて、問題点浮き彫りにしていいところを目立たせりゃいいんだ。
増田が乱暴な言い方をしていますが、要望はかなり伝わったので整理してみる。
これらの条件を全て満たすイラストレーター、デザイナーはどの業種、会社でも成功している。この場合の成功とは上司・部下・得意先から必要とされ、半数はいずれ独立する。また4分の1は会社ではディレクタークラスになる。
この種の人たちは全体の2割程度か、それ以下だと思う。また、概して仕事に対する自尊心(良い意味で)が高く、雇うときの条件も厳しい。
【俺様の感想】増田は少し高望みだと思う。ちょっとはレベル下げろや。
飼い殺しできる位のヤツ、ちょっと生意気で気が利かないヤツ、ただのイエスマン、大して仕事してないのにすぐ会社に泊まるヤツ…そういうのがゴロゴロいるのが会社の醍醐味だろ。だいたい、そんなウデも気概もコミュニケーション力もあるヤツが回りに2〜3人いると、話が逆にまとまらねーんだよ。
基本的に優秀なヤツは仕事もできるが、我も強いからな。まあ増田がそいつらを引っ張れるなら大丈夫だけどさ。
・「その場でスケッチブックにペンでちょっと描いてもらおうとすると急に地蔵になる」
この要望は正当だと思う。もし描けないのなら、増田はかなり程度の低い人に当たっている。その場で描けない人は、プライベートでも描けない。あるいは相当な引っ込み思案か画力に自信が無いか(え?)、極度の対人恐怖症、あがり症に違いない。
だとするなら、その人を雇っても客先で自慢の腕を披露することも(これ、たまにものすごく大事(だって素人はちょっと上手く描けるだけで評価してくれるから))、アイディアスケッチの見せ合いも出来ない。
テストでシャドウ見せてよ、って言って地蔵になるボクサーが居ないように
「ちょっとコレ描いてよ」と言って地蔵になるイラストレーターなど世の中に必要ない。
最後まで読んでいただき本当にありがとうございました
我を捨てろ、と上司は言う。
(http://anond.hatelabo.jp/20120801062032のつづき)
我を捨てて器をでかくすれば、そんな男の言うことなんて気にもならないから、と。
毎度仕事で顔を合わす度、男の延々と続く自己顕示欲にいちいちむかついていては、私も男と同じレベルだと。
こんな男、どこにでもいる。
私が独立して力をつけていってそういう人間を排除していくにしても、限界がある。
上に立つ者はそんなことにいちいち気をとられているべきではない。
そんなことも全部ひっくるめて、関わる人全員を幸せにする気概と器が必要なんだよ。
そんなアドバイスよりもこういう男をぶっつぶす方法を教えてほしいです、と返すと
だからそれがお前の我だし、そのせいでお前も今までに困ってきているだろう?と返される。
自分の人格・性格の報いを受けているという点においては、私も男も同じである。
仮に3番目の彼女の連絡先を突き止めて会うことに成功したとしよう。
それが何だというのだろう。
今もまだ男のことを好きだとしても離れているにしても
辛い過去を蒸し返すことになる可能性が高い。
「いつまでも元カレ面して、私と恋愛関係だったことや中絶させたことを
こんな一言が3番目の元カノからもらえればいいんだけどなぁ。。。なんて妄想をして
ものすごいトラウマを植えつけてやりたいなぁ、今まで自分を守ることで避けてきたことから
とうとう避けられない、みたいな焦りを感じさせたい。
とりあえず現場を見て録音なり録画をしてから考えるほうがいいのかなとも思う。
上司がもう帰れというので、とりあえずここまで。
はてなブックマークのホットエントリでは lifehack(ライフハック)のタグを貼られたエントリがごみのようにある。
感想としては、Fuck the fucking Lifehackers! といったところである。
毎週毎週クソみたいに登場するライフハックエントリを、ありがたがってブックマークしている輩のメンタリティに反吐が出るわけである。
ありがたいんだろ?なら実践しろ。でもお前はいままでどんだけの数[lifehack]してきたんだ?さばき切れるのか?
習得できるのか?また新たにエントリがやってきて[lifehack]するんだろ?課題が山積みだな!
一種の信仰なのか?とりあえず[lifehack]しとくっていうのは。
でもほとんどのこのlifefuckerたちは、行動に移してないと思うんだよね。[lifehack]した時点で完結しちゃってると思うんだよね。
実際に[lifehack]エントリのスキルなりを習得し、継続して実践して、QOLや仕事の質を高めているひとってごくわずかなんじゃないか。
その他大勢は、読んで、なるほど、で完結。で、感想が「為になったわー」。
そういう邪推があるから、[lifehack」を見ると「ブックマークして完結してやがる」と思いイラっとくる。
もちろん[lifehack]されてる記事はそんな長い文章でもないし、気楽に出来るのがはてブなわけだし
[lifehack]してるひとでも、「後で読もう」「参考程度に読もう」とするひとたちが多数派かもしれない。今書いてて実際ほとんどはそうかも
とか思う。[lifehack]するにもタダだし、記事を読むにもタダだし。
ただ、ありがたがって[lifehack]している層は、「自分で発見する、生み出す」という気概がまるで無いんじゃないかって
思えてしまって、やはり見る度に「少しは自分の頭で考えようとしろよ!」とイラっとしてしまう。
[lifehack]でブックマークに登録するっていう作業は、一種の思考停止なんじゃないかな。
少なくともそういう一面はあると思う。
横だが。
レールを外れて何かを成し遂げるだけの気概があるのならドンドンやればいい
その気概が無いのなら、おとなしくレールの上を走ってろ
世の中の大多数の人間には、レールを外れて創造的なことをする能力も気概もない。
それは「悪い」ことではないし、日本だけの現象でもない。
にもかかわらず、素質と運に恵まれて何かを成し遂げてしまった人の中には
「レールの上を大人しく走ること」を軽蔑する者が多い。
増田もその一人かな?
彼らは声がでかいし魅力的だから、ありきたりの凡人までもが感化されてレールを外れてみようかという気になる。
その結果、脱線して人生取り返しつかなくなった連中が山ほどいるじゃないか。
「レールの上を大人しく走ること」がもっと肯定されなければならない。
考えてたら眠れなくなってしまったけど、吐き出すとこがないのでここに。
過干渉親に対抗する術が思いつかない。
母が過干渉で、大学入って一人暮らししてからはほぼ毎日電話が来ている。自分の時間は実家に暮らしていた頃よりも増えたけど、一人暮らししても干渉されるのかとうんざりした。電話は毎回1時間以上で、親の愚痴やら世間話やらなんやら。まあ自分も合わせてペラペラよく喋ってしまうから(あとで書くけどこれも実は嫌な点)、親には娘にとってもいい気晴らしになっていると思われてしまってるのかもしれない。でも毎日その一時間があればあれもこれもできるのにと、もどかしい思いをしている。特に今は忙しくてバスを待つ寸暇も惜しんで仕事をしているくらいなのに、電話で片手と思考がふさがって何も進まない。ちゃんと聞いてないと怒られるし。電話についてはもうかれこれ5年以上悩んでいる。一人暮らししている家にも頻繁に遊びに来るんで困る。
ここまで聞いてこう思う人が多いと思う。「なんで拒否しないのか」「抵抗すればいいのに」。自分もそう思ってこの数年間何度か試したが、惨敗だ。
「毎日電話されると困る」と言うと、「お母さんが嫌いになったのね?」と返される。そう言われると、まるで自分が親不孝者になったかのような気がしてきてついつい「そんなことないよ、でも…」といってしまう。そうしたらもう向こうの思う壺で、そのあとは言葉による猛攻撃だ。「そんな事言われるとは思ってなかった。お母さんは悲しいよ。」「お母さんはいつも〇〇のことを心配してるのに冷たいね。」「いつも〇〇はそういう冷たい態度だよね。そんな冷たい人間だと将来寂しくなるよ。」などなど…
もう何も抵抗する気がなくなってしまうのだ。抵抗しながら電話口で泣いていたら、何故か当の母親に「泣くな!頑張れ!」と励まされる始末。わけがわからないけど、頭がいっぱいで何といっていいのやら言葉が出てこない。
親不孝だと言われた時に思わず一度「塾も行かず、公立の学校ばかりに通って上位国立大学に入っただけでも親孝行じゃない?」と言ったら、「そんなことは自分で言うことじゃないでしょ?そこに至るまでも親のおかげなんだから」とますます加熱してしまった。たしかに、大学院に入るまでは奨学金も取っていなかったので金銭的に親に頼りきりで、高校の時は駅までの送り迎え(いくら歩いて行くといっても聞いてもらえない)、大学入学の時は引越の手伝いまでしてもらっていたのだからそのとおりなのだが…。押し売りをされたような気分が残る。いや、世の中には家庭の事情で大学に行けない人すらいるのだから、やはり贅沢なことを言っているのだ。一人暮らしできただけマシだ。でも残ったもやもやがどうにも消えない。
また、少しでも邪険に扱うと上で書いたような流れになる。または、私の機嫌が悪いということでその狭量さを怒られる。適当にあしらえない。
(着信拒否にしたらいいじゃないか?と思うかもしれない。そんなことをしたら、一週間以内には捜索願が出ているだろう。)
一時期は「これは自分に課された義務で、これをしている間は母がおとなしくなるのだから」と無理矢理自分を納得させることに成功したが、また行き場のない感情が湧いてきてしまった。自分がもうちょっと無関心になれたらいいのにと思う。自分自身が親離れできていないからだろう。でも、奨学金の書類にしたって授業料免除にしたって親の協力が必要で、もしそれを使わないとなるとただでさえてんてこ舞いなのにさらに余計な労力がいる。敵に回すのもなかなかリスクが高いから踏み切れない。金銭的に独立できるようになるまではこの呪縛を引きちぎるのは難しそうだ。自分にそんなものを使わなくてもやっていけるだけの体力と気概があればいいのにと思う。結局甘えか。そんな甘いこと言ってるから親から離れられないんだ。全部捨てる覚悟で、いままでの成果も捨てる覚悟でやらなくては。そう考えると悔しい。でも、本当に親から離れたかったらそうできたはずだ。自分のやりたいことのために親を使っている点では、同類だ。母を嫌うと同時に自分が嫌になるからたまらない。なんで生まれたんだろうと思ってしまう。
最近は更にもう一つ、一人暮らしする前からの母の呪縛が辛くなってきた。それは「なんでもお母さんに言ってね」ということ。つまるところ、なんでも報告しろということだ。特に男関係は小学生の頃から「彼氏ができたら絶対に言いなさいね」と言われていた。その報告を想像しただけで虫唾が走って、人を好きになることが齢23になるまでなかった。ドラマなんかでよくある母娘像を見ると、もしかして普通の母娘だったら抵抗なく報告できるのだろうか?とも思うが。「お母さんは〇〇に早く好きな人ができて欲しいんだよ、〇〇はどんな人を好きになるのか楽しみだわ」と心底私の幸せを願うような言葉を不穏に思った。
ところが最近なんでだか初めて好きな人ができて、めでたくお付き合いすることになった。当然のように私は母に報告した。できることなら言わないでおきたいと思っていたのに、言ってしまった。マインドコントロールってやつなんだろうか。その時は母はたいそう喜んで、人を好きになる大切さに関する有り難い講釈を賜った。胸焼けがするような話だとしか思わなかったが。
一度言ってしまうともう歯止めが効かない。何から何まで、どこに行った、何日間一緒にいた、どこに泊まった、いつ会う、どんなことを話した、何をもらった、どんなひとか、今どこにいて何をやってる,どこが好きで、いつ喧嘩したか、全部言ってしまう。できるなら言いたくないのに。相手の親に逐一自分の行動が報告されていたら、絶対にいい気分なんかしないのは簡単に想像できる。好きだからそんなことしたくないのに、電話が来ると気づいたらほとんどすべてを話してしまう。
とはいえ、彼氏ができて少し遠慮していたようでしばらくは電話が控えめになった。まあそれも数ヶ月の間だけでまた毎日のようにかかってくるようになったのだが。
母はあんなに私に彼氏ができたことを喜んでいたように見えていたのに、最近は批判を始めてきた。「(遠距離なので交代で行き来することについて)□□さんが〇〇のところに通えばいいじゃない、〇〇が行く必要ない」「行かないほうがいいよ、危ないから」「□□さんはどうして〇〇を両親に紹介しないの?〇〇に失礼だと思わないの?」「□□さんはそれほど〇〇の事好きじゃないんじゃない?」「□□さんは意気地がないね、お母さんそういうとこ気に入らない」「お父さんなら〜してくれる、そういうところは□□さんにはないね」「きっとそういう細かいところが気になって嫌いになるよ」「〇〇にとって□□さんは物足りなくなると思う」等々、ネガティブなことばかり言ってくる。火のないところになんとやらで全部が的はずれではないのかもしれないけど,まだ付き合って半年なのに両親に紹介しないのを責めるのはないだろう。たいていの男の人にとって、それは結婚の前段階の話じゃないのか?少なくとも彼と私の間ではそういう認識だ。
思えば、付き合ってから彼に関してポジティブなことは何一つ言われていない。ああ、一つだけあったか。母がインターネットで彼のことを検索しまくって個人サイトの小さな記事の中の写真を見つけ出した時だ。「結構可愛い顔してるじゃない」。そんなことをしている時間があるのなら忙しい忙しいと愚痴をはかないでほしい。
母に不穏な予言(「嫌いになる」「うまくいかない」「不満がたまる」等)をされるたびに、そのとおりになるような、無意識下でそう思わなければいけないと思ってしまうのではと不安にかられる。
良かったことは、自分の好きな人をけなされると嫌な気分になるということがわかったことだろうか。私自身は意気地がないなどとは思っていないのが唯一の救いだ。
そして母のことを考えていると、自分が母親になった時同じようになってしまうのではないかと怖い。子供を生むことが罪のように感じる。別にキリスト教徒ではないが、キリスト教の原罪の考えを倫理の授業で聞いた時、捻じ曲がった解釈で納得してしまった。「この世に生を受ける事自体が罪で、自分は罰を受けているから苦しいのだ。同じように苦しむ人間をこの世に生み出すのはたしかに罪だ。」
母を変えるのはできないと思うから自分を変えたいが、どうしたらこのことについて悩まずに済むんだろう。こんな事で悩んで外でスズメがチュンチュン言うまで寝れなくて悶々としたり、こんな長々と文章書くのなんて馬鹿らしい。親孝行っていいことのはずなのに、親孝行なんてクソ食らえだと思ってしまうのも人でなしみたいだ。
文章を読み返したら一体何が正当に主張していいことで、要求していいことなのかわからないみたいだ。
駅から自宅までの近道がてら深夜の商店街を歩いていたら、女性の叫び声が聞こえた。
最近頻発しているというひったくりか、まさか婦女暴行かと身構えつつ声の方へ駆け寄ってみたら、路地裏で若い男女がただの痴話喧嘩をしていた。
街頭に照らされて二人の風貌ははっきりと見えた。
男は特に特徴があるわけでも、服装がきまってるわけでもない、無地の青っぽい長袖のシャツに白のチノパンだけという、さえない印象だった。
対する女は、遠巻きから見ても結構な美人である事が分かった。服装も随分と気合いの入った格好だったように思う。
それは痴話喧嘩のように見えたが、そうではなかった。男には最初から言い争う気概すら感じられず、俺が見ている間殆ど言葉を発しなかった。
女はというと、ただひたすら一方的に、怒りに身を任せるように吠え、まるで子供のケンカのように自分の手足と暴言をデタラメに男にぶつけていた。かなり酔っていたようだった。
「あんたなんか、あたしの相手だけしてりゃいいんだっ!他の女なんかと仲良くなるとか、出来ると思うなっ!ちくしょおっ!くそおっ!」
男は疲労と諦念が濃厚にブレンドされた様子で、女が疲れ果てるのをじっと待っているようだった。しばらくすると女は突如静かになり、そして泣き出した。
たった今母親の胎内から出てきたのではないかと思わせるほどの、全身全霊を込めた泣き声だった。
もしここが住宅地だったら、おそらく近隣住民が速攻で通報していただろう。
程なく女は力が抜けたようにその場に座り込み、そして泣き続けた。そのとき初めて男が動いた。女の腕を掴み自分の肩に回して無理矢理立ち上がらせ、疲れたのか勢いを失いつつそれでもめそめそと泣き続ける女にこう言った。
過敏性性格です。何事にも苦労性で、あれこれと思い悩み、周囲に気を使い過ぎるのです。上司に対しては勿論のこと、部下や配偶者や子供にまで気を使うのです。人柄は謙虚さを通り越して、卑屈に傾きがちなので、注意が必要です。とにかく、もっと積極的に生きる事が第一です。今後も現在のような行き方を続けて行くと、貴方の本当の実力を社会に示せないまま、一生を終って仕舞うような詰らない結果になる事も、十分考えられます。この世にたった一回生まれて来たチャンスを100%有効に生き抜く為には、人の顔色を窺うよりも先に、自分の実力を完全に活かし抜く事を考える方が本筋です。
好きな相手が出来ても、なかなか好きだと打ち明けられません。打ち明けて成功した暁の喜びを、想像するより先に、失敗した時の絶望的な苦しみが、まず頭へ浮んで来るからです。自分の愛が受け入れられた時は、生涯を通じて相手の機嫌を取り続けて行くタイプです。今の貴方に最も大事な事は、自分と云う者に、もっと自信を持つ事です。
職業適性
権力に弱いタイプであり、常に権力の支えが必要なのです。権力者に命令されて遣る仕事なら、安心して出来るのですが、そうで無い場合は、何だか不安で仕事に身が入らないのです。独創的な仕事をする事は一番無理で、裏方の整理役の様な仕事が、一番性に合っているかも知れません。
対人関係
終始受け身の体勢を、どこかで突き崩さないと、生涯下僕的な人間関係に甘んじなければなりません。思い切った発想の転換と勇気を奮い起す事です。天皇も代議士も貴方も、皆同じ人間です。そこに何等の引け目を感ずる事も無ければ、恥ずべき事も有りません。そう云う社会の仕組に対して、何する者ぞと挑みかかる位の気概が、貴方には欲しいのです。
自信を持つって、どういうことなんだろうか?