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2024-08-17

増田睡眠導入を使用したことがあるかね

増田は少し前に会社から責任押し付けられて、ダウンしてしまったんだ。

原因は自律神経失調症とのことで、いくつかの薬が処方された。

その中には睡眠導入剤ゾルピデム5mg がある。

毎日このゾルピデムを就寝前にの飲み、それによって眠るというわけ。

けれど、このゾルピデムは効き方が本当にもう顕著に表れるのは飲んで数分した後の状態だ。

すぐに眠気が全身を覆いつくすようなことはなく、そのインターバル時間にこそこの薬の真価があるのではないかと思っている。

増田は当然、これまでの人生では一度も麻薬やら大麻といった違法薬物にはこれまで一度として使用したことがない。

ちょっとした好奇心こそあったかもしれないが、罪を犯してまで行う意味があるのだろうかと普通に考えるほどには常識人で、だから服用しようとはしなかった。

増田不眠症と診断されていたためゾルピデムを出されて、その日の夜。飲んだんだ。一錠。

ゆっくり。じぃわぁ~~~~~~と薬は効き始めてくる

この、 ①効き始めてくる → ②眠くなり眠気が強くなる

から②までの移行には30分くらい。

でだ、本題はここから。②のこの、眠気が強くなって眠くなるの少し前の状態

このとき意識状態が非常に面白い

頭はひどくぼぉ~っとしていて、目は酩酊しているときのように視線が定まらうず、身体は微かに脱力してだらっとして感じる。

酒飲んでの普通酩酊と違うのは、まずお酒を飲んでいるわけでもないので飲酒による酩酊に比べるとずっと体が健康的。

二つ目体感としては確かに酩酊に似てる。しかゾルピデム場合幻覚が見えるんだよ。それも難しいことじゃない。

何かを想像するとか、そういんじゃなくて。

気付くと目の前のものものじゃなくなっているんだよ。

何を言っているのか不明だと思うが、俺も当初じゃそうだった。

そうなんだよ。たとえば今これをモニター見ながらキーボード―打っているんだけど、この書き込むときのスペースは白が背景色であるんだけど、それがたまに動いたりするんだよ。

別に文字全体がそれで動くとか、そういうんじゃないんだよ。ふと自分脳裏に浮かんだことがリアルタイムの遅延なしで投入されるように増田を打ちこむときの後ろの白紙背景が急にカーテンのようにゆらゆら揺らぎはじめたり、真っ直ぐに並んでいるの文字群が気付けば曲がってみてるようになる。

そんなめちゃくちゃなことが現実の、目の前で起こるのだ。

最初は非常に戸惑ったものの非常に面白いって思ったのも事実だ。これは今までの人生体験したことがなかったことで、おそらくこれが俗にいう”トリップする” や ”とぶ”といった表現で使われるのであろう感覚なんだなってのが初めて実感できた。

これは貴重な経験で、それも合法として体験できたのは非常にラッキーだと思ってる。

そしてこれを使うと分かるのは、人間というのは簡単幻覚を見る、ということだ。

幻覚を見ている間、ああこれは幻覚だなと思って見ているので、幻覚が見せるのは幻覚ではなくショーのようなもので、とても楽しく、まるでディズニーランドパレードのような楽しい空間がうちの中に広がり、思わず笑ってしまいそうになる。

幻覚がこうも身近に存在しているなんて、ほんの少し前まで露知らず。そして、利用するように楽しむこともできるのだから

ソシャゲを遊ぶ時、基本的ゲーム音楽は一切聴かないで違う音楽ラジオ、もしくはTV配信の音を聴きながらゲームは無音のまま遊んでいるもんだからゲーム音楽イベントやらサントラが出たりしても全く楽しめなくて、作品に触れているにも関わらず置いてけぼりを食らうので地味に困っている。

音ゲーでも場合によっては自然回復したスタミナ消費をしたいだけとかなら音楽を聴かずに遊んでいるので、曲に対する思入れとかもない時がある。

コンシューマゲームなら普通にゲームの音聴きながら遊ぶけど、ソシャゲとなるとどうもそこまで集中して遊ぶ気が起きない。

でも周りの反応を見ていると作中で流れている音楽に対する色々な反応が出ているのを見ていると「周回ばかりするのに律儀に全部聞いているの?」と思ってしまう。

3〜4年遊んでいるソシャゲがあるけど、音楽の事は何も知らない。

「それ遊んでて楽しいのか?」と思われそうだけど、ソシャゲ暇つぶし目的でやっているので余程つまらないとかではない限りは別に面白さはどうでもいい。ソシャゲ面白さを求めている人そんなにいるのだろうか。

2024-08-16

anond:20240728023355

AI活用することで、今までより出来る事が増えてむしろ楽しいけどな。というか、今も昔もコードだけ書けるor書いていたい人は別に要らないかな。

2024年8月16日、儲かった

6歳の息子が公文リタイヤしてくれたw

1ヶ月半でリタイヤwwwwアホやwwww

毎月14300円が不要になった、大儲け

そもそも公文など行かせたくなかったのだが本人がどうしても通いたいというので通わせた。

友達が通ってて負けるのが悔しいって動機

勉強なんて小学校でやらされるんだから数ヶ月早くやっても意味はない、勉強なんて楽しいものではない、嫌な事など先送りすればいいじゃないか、今は好きなことして日々過ごせば良かろうゲームでもしてなさい、公園で走り回ってりゃいいのだ」と説得したが。

どーしてもと押し切られた

 

一つだけ注文をつけた、宿題を一度でも落としたら退会

で、今回お盆休みを挟み宿題の量が多く間に合わず

しゅーりょーwwwwwはやっwwww

連日、「宿題したら?」「毎日ちょっとずつやりな」とアドバイスはした

今朝も「今日公文だよ、宿題しなよ、17時がリミットだよ」

何度も警告したがゲームを辞めない

16時になりようやく始めた

「こんなもの、ちゃちゃちゃーと終わらすでぇ」言うてる

だがお喋りと脱線ばかりで進まない

「集中してやりな」とアドバイスしても聞かない、むふふふふ、時間は刻一刻過ぎていく

まぁすでに間に合わないことは確定している

17時10分、ようやく国語が終わる

「パパ次は算数、出して」

「いいけど、やっても無駄だよ、もう時間過ぎたか公文は退会だから

 

唖然とする息子

「え?今日は行かないって事?」

「ううん、もう二度と公文は行かない、約束じゃん」

 

数秒考えて、大泣きし始めた、絶叫

「行きたい、まだ間に合うでしょ!お願い!」

うっせぇバカwしらんがな

 

毎日少しずつやるようにアドバイスしたよね?今日もずっと注意してあげたよね?聞かなかったの誰?間に合わなかったら退会するのも最初から言ってたよね?

んで、忘れてもらっちゃ困るんだけど、あなた希望する教育機会、チャンスは与えた

だけどやらなかった、チャンスを捨てたのは自分な、これはだけは覚えといて

先々、勉強たかったのに親がやらせてくれなかった、とは思わないでね、これ重要

パパは無理やりやりたくないことをやらせるつもりはない、自分が望む事をやりゃいい

ゲームしたけりゃゲームしてなさい、だけど目も頭も悪くなることは教えてやるが

それをどう判断するかは自分問題強制はしない、自分で考えて選択してくれ

公文に行きたいと言えば行かせてやる、だけど金をドブに捨てたら自動的に頭が良くなるわけではない、それも何度も教えた、頭良くなりたけりゃコツコツ学習しなきゃ身につかない、

それができないならやっても無駄だ、終わり、チャンスはやった、キミがそれを棒にした、それだけ覚えといて、人のせいにしないでね」

 

6歳の知能では言い返せまいw

諦めて泣き止んだ

 

公文教室の前は毎日通る、見るたびに思い出すだろう、トラウマ

その方がよほど教育価値がある

 

息子は認知能力論理的思考運動神経は良い、かなり良い

公文やる前から足し算引き算は勝手習得していたし、掛け算、割り算の概念もすぐに理解した

外遊びでも器用だし異常に体力がある

思考力、三段論法や間接的な因果関係自然と体得している

結果、万能感、自信過剰、ナメてる

小学校入学し、周りが先に進んでおり世界が広い現実を目の当たりにして挫折するが良い

その方がキミのためだ

 

時間約束は守る、守れなかったら自分に大きな不利益を被る、わかったか?そういうことだ。

28600円で学べたと考えりゃ安いもの

ありがとう公文

妹と家出して数年が経った


注意;児童虐待の話が出てきます。苦手な人はご遠慮ください。


(本文です)

________________

どうしても書き留めておきたいと思った。昔の私のことを。

今は大学生から何もできないけど、いつか受け入れて消化できたらいいなって。

私にとっての父は、経済的な支えであり、飼い主であり、服従すべき存在だった。

私が初めてキスをした人で、初めてセックスをした人で、初めて妊娠した相手で、「性」に関するすべての始まり。そんな存在だった。

父は、私が小学校1年生の時に家にやってきた血の繋がりのない人だった。私は実の父を知らない。

最初子供好きな良い人だと思っていた。しばらくすると私に性的アプローチをするようになり、小4で母が亡くなると同時に、「同情」「母の代理」「妹の盾」といった役割を私に課して、少しずつ私を性玩具に作り替えていった。

父の命令には従順に従うことが求められた。朝は父に犯された後学校へ行き、夜は私を凌辱する父のために夕食を作り、妹が眠った後、父の相手をしてから私は床に就く日々を送った。

毎日というわけではありません

中3で私が他の男性の子妊娠してしまったあとは、殴る蹴るの暴行を受けた。まるで自分の所有物が汚されたみたいに、すごく怒っていた。

それからは、私がどんな男性相手もできると思ったのだろうか、父はときどき自分お仕事の仲間を連れてきて私に相手をさせ、小銭を稼いでいた。

それ以外にも、アルバイト先の先輩から暴行を受けた。幸い妊娠はしなかったけど、もう限界だと思った。私は高3の夏休みに、貯めたお金を持って、妹を連れて家を出た。

今は、普通大学生はしないであろう仕事風俗嬢)をして、妹を養っている。自立、は一応できているとは思う。

それでもまだ、私の心は父への服従心で満ちている。なぜこんな気持ちになるのだろう。自分でもわからないところがある。



思い出す必要はないのかもしれない。でも、思い出さずにいることもまた難しいので、心の整理のために書き留めておきたい。

お話の順序とか、私の気持ちとか、これからどうしたいとか、いろいろ混ざってしまうと思う。わかりにくかったらごめんなさい。

さっき、「父に性的虐待を受けていた」と書いてるけど、実を言うと、虐待だと私自身が認めたというか、受け入れたのは、父と関係を持ってしばらく経ってからのこと。

ハッキリ認識したのは、やっぱり身体的な暴力を受けた中3の冬頃から。その年の夏に先輩からレイプされて、妊娠したことに気付いた父が身体的な暴力をふるったあの日からだ。

それまでは、いけないことなのはわかっていたけど、それでもどこか仕方のないことだと思っていた。

経験のない人には理解できないかもしれないし、そもそもこの話自体が「嘘臭い」と言われそうだ。今書いていることもきっと、非現実的というか、理解できないことかもしれない。

私は実のところ、父を憎んでいない。これは結果ではなくて、現状「憎めない状態」といったほうが正解かもしれない。

もともと実父の存在すら全く不明で、本当のことを言うと、「父親」という存在感覚がわからない。見たこともないから。両親が仲良くしている家庭を見ると、とても不思議感覚になってしまう。

私がこうして「父」と書いてはいても、それは、それ以外に呼べる称号がないからだ。性的意味でいえば、25歳年上の愛人だったのかもしれない。

性的関係を条件に、生活費を出して養ってもらう。それだけの存在。つまるところ、私は7歳くらいかパパ活をしていたのかもしれない。



私と妹と母で生活していた時は、とても極貧だった。

母は身寄りもなく頼れる友達とかもいない感じ。元風俗嬢だったのは確かだ。

ちゃんとしたお店に勤めていたのか、それとももっとアングラな感じだったのかはわからない。

少なくとも、お金をたくさん稼いで貯金していたとかではない。本当に貧乏なお家だった。

なぜお金がなかったのかもよくわからない。けど、とにかくその日の食べ物も苦労していた。

子どもの頃って、どうしてこんなに苦しい生活なのか、なにもわからない。意識しようがないよね。

確かなのは、父が来てから普通暮らしができるようになったこと。

私は欲しいものもたくさん買ってもらえるようになり、行ったことのない場所にも連れていってもらえたので、父は楽しいことをたくさんくれる人だった。

しかすると、子どもながらにその対価を要求されたなら、応えないといけないと思ったのかもしれない。

それこそ、父親なら家族サービスをして当然かもしれないけど、私にとって父は本当の父ではなく、なにかを買ってもらったり、どこかへ連れていってもらったりしても、どこか「していただいている」感があった。そういう関係だった。交換しあう関係

そういう意味では、最初から最後まで、ずっと本当の”父親”としては受け入れてなかったのかも。

母が亡くなった後も、父はサービス精神旺盛な人であり続けた。私と妹と父の3人でいるときは、面倒見がよく、優しい父だった。外でもそうで、ご近所さんとのお付き合いもよく、「いいお父さんね」とよく言われた。

私や妹が体調を崩せば、しっかり看病をしたり、病院にも連れていってくれた。本当にお手本のような父だった。

ただ、ひとつ。私との性的関係要求してきたこと以外は。

思い返せば、母が存命の頃から、私の体を触ったり、舐めたりはあった。

それが性的虐待兆候だと言われればそうなのかもしれない。ただ、私はそう認識してなかった。

今思えば、血の繋がっていない低学年のあそこをじっくり見たり触ったりするのは異常だとわかるけど、当時は悪意の可能性すら頭に思い浮かばなかったし、優しい言葉を掛けながらそうしてきたので、父親というのはそういうものなのかと認識していた。

「小4のころから虐待」と書けるのは、母が亡くなった後の父の要求を「嫌だ」と感じ始めたのがそれからだったから。もちろん、もう少し前から「本当はダメことなんだ」という意識はあった。

いろいろ勉強もするし、心も成長するし、男女の違いも意識が芽生えてくるので。

でも、上記のとおり、父親と娘とはそういうものなのかと思っていた。誰かに話すこともしなかったし、話す必要があるとも思わなかったし、訂正してくれる人はいなかった。



私には疑問がある。

父は、一緒に暮らし始めて、「そういう気」を起こしたのか、元々私を狙っていたのか。

きっと、増田の人たちからすると、「そんなことはどうでもいい」と言われると思う。私のことなんて他人なんだし、父にされたことに変わりはなく、私が被害者なのも変わらないので。

ただ、私は父を憎めていないので、きっとこういう疑問が頭をよぎるんだと思う。

まり、一緒に暮らし始めてそういう気になってしまったのなら、私は心のどこかで父を許してしまいそうで、元々そういう気なら、父を悪者定義やすいのかも。

「いや、ただのレイプだよ」と言われるかもしれない。第三者から見ればそうだと思うし、実際そうなんだと思う。

でも、10年間も一緒にいた私にとって。人生の半分、一緒に生活して、子どもから大人になる時期に一番近くにいた男性は、私にとってなんなのか。どうしても浮かんでしまう。

母が亡くなってから最初の1年くらいは、手や口を使った行為で、さら半年も経つと、私は父の精液を飲むまでになっていた。

嫌だったかというと、嫌だった。でも、やらないといけないことだと思ってた。それが大人になることだと思ってた。

単にその行為がというのではなくて、「嫌だと思うことでもやらないといけないことがある」ということ。

具体的には、亡くなった母親の代わりに、私は嫌な事でもたいへんなことでも、家庭の平和のためにやらいないといけないって思ってた。

「誰かに相談すればよかったんじゃない?」って思う人もいるかもしれない。

でも、私は父と娘はそういうものだと思ってた。

おかしくない?」って感じるかもしれない。そう、おかしいよね。でも私は「父親とはなにか?」を知らなかった。生まれてずっといなかったので。「父から見て娘とはなにか」を知らなかった。

そういう意味では、冒頭で書いたように、私は彼を本当の意味で「父親」とは認識していなかったんだと思う。本当は性的関係を持つ男性しかなくて、でもそれを一緒に住んでいるという理由で「父親」だと定義していた。



いま私は、風俗世界で働いている。一応、自立してると言えるのかもしれない。

精液って、人それぞれに味が違う。体臭も違うし。私は父の味と匂いを今もはっきり覚えている。

そんな私でも、不意に処女を奪われたのはショックだった。

身体的な苦痛もあったけど、本能的に大切なものを壊されたと感じたし、あの日、あの夜は、もう普通女の子はいらなくなったと

いう実感が体中に広がった。

でも。そう感じるのは自分わがままからと思っていた。大切な妹がいたので。守ってあげないといけない。

私がイヤだと思うこと=私のワガママ。そうだと思った。私がイヤだという理由で、父のしてほしいことを拒絶するのは無責任だと思った。

今これを読んでる人からすると、意味不明だと思う。狂ってるか、下手な官能小説みたい思われるんだと思う。

でも、私にはそれが現実で、一番受け入れやす感覚だった。

処女ではなくなったその日から、7年間。父と関係を持たない週はなかった。

計算したら330週くらい。毎週毎週毎週毎週。何日も連続。朝晩繰り返し。そんな日もあった。

一番多いのは、夜寝る前。妹が寝てから。そういう日は、父からいろいろなサインがある。私たち言葉にしなくても通じ合っていた。

妹が寝てから、父の部屋に行って。たいていは人形オナホ扱い。でも、とき恋人のように扱われることもあった。愛しい娘として扱われることもあった。父のその日の気分次第で。

私は、どんな扱いを受ける日も、不満は言わず、父が人形を求めるならお人形になり、恋人を求めるなら恋人になり、お父さんが大好きな娘を求めるなら愛しい娘になった。

それが母がいない、この家族での私の役割で、誰にも言ってはいけないことで、私はそうやって父を愛すべきだとも思っていた。

学校に行く前にされることもあった。

妹には絵本を読んでてもらったり、タブレット動画を見てもらっていたり。行為のあと、何食わぬ顔で妹と一緒に集団登校の場所に行き、みんなと一緒に笑顔学校へ行く。

口の中で受け止めた日は、臭いが残っているので、マスクを付けた。中で受け止めた日は生理じゃないのにナプキンをつけて学校に行った。

父が仕事でいない日は、学校から帰ってすぐなんてこともあった。私の日常だった。



毎週毎週毎週毎週続いていると、だんだん心が麻痺してくる。

嫌だと感じないわけじゃないけど、学校でも普通に嫌な事や嬉しいことがあって。

心のエネルギーはそっちに使うので、ちゃんと応えさえすれば特に害のない父との行為は、なにかを感じるだけムダだという感覚になっていった。

同時にそれは、自尊心が壊れていたんだと思う。

中学校に上がる頃には、もうそういう感じだった。

からイジメられたんだとも思う。

そんな父も、私が学校で不当な扱いを受けたときとかは、味方になってくれる。

思春期から友達ともいろいろある。小学校高学年のときも、ちょっと数人を巻き込んだトラブルがあって、一方的に私が悪いってことにされてた(担任にも嫌われていたし)。

私が父に相談すると、父はかなり積極的担任と話をして、私の気持ちを代弁してくれたり、味方になってくれた。

正直言って、心強かった。私は父がいないと困る。生活面でもそうだけど、どこかで心強い存在でもあって。

これだけしてもらえるなら、私は私にできることで父を喜ばせないといけないとも思ってた。

ただ、中学に入ってからは、イジメられていることは打ち明けられずにいた。

それはきっと、主に性的イジメを受けていたからで、父に話すと父はイヤがるだろうと感じた。

中学生なんてまだ子どもだけど、男と女がどういうものか分かってきていた。

正直言って、学校でされていたことを打ち明けたら、父は私を汚物のように捨てると思った。

実際、中3で妊娠がバレたときは、殴る蹴るをされたわけだし……妊娠発覚後は、明らかに父の態度が変わった。

表向きは変わらない。妹と3人でいるときは、優しい楽しい面白い父だった。

でも、夜、私が相手をするとき。髪の毛を掴んでひっぱったり、お尻を強くたたいたり、頬を叩いたり、そういう感じになっていって。

回数も減った。その代わり、父の仕事の仲間の相手をさせられることが多くなった。最初抵抗していた。そうしたら、無理やりされて結局、行為時間が長くなる。痛いことだってあった。

でも、そのうちに抵抗しなくなると、今度は行為が早く終わるようになった。相手の思い通りにすると本当にすぐだった。

でも、そのうちに気が付いた。自分から相手気持ちよくしたり、かわいい子だと思えるような仕草をすると、早く終わるうえに、あの人たちが私にお小遣いをくれるようになった。それで、私や妹にとって必要ものを買えるようになった。

子どものうちから、そういうことに気が付けるようになったのは、いいことだったのか、悪いことだったのか今でもわからない。

その時、感じたことは2つ。

父が私を見なくなったことへの寂しさと、妹に矛先が向くことへの不安

後者はわかるけど、前者は自分でも意味の分からない感情だった。

でも、今思えば、今まで自分役割だって必死に応えてきた、そんな自分否定されるのがいやだったのかもしれない。

ただ、自尊心はすでに壊れていたんだろうし、なにかを正常に感じられていなかったのかも。まだよくわからない。

でも、この家にはいられないと思ったのは確かだ。



父はなんだったんだろう。

小さい子供だった私にとって、母を亡くした私たちにとっては、生きるために必要存在だった。

いびつではあったけど、愛情を感じることもたくさんあった。でもそれって、私が感じさせられていただけなんだろうか。

ただ、未だに元気でいて欲しいと思っている自分もいる。そして、それを気持ち悪く感じて、ものすごい力で否定しようとする自分もいる。

どっちが本当の自分か、どう感じるのが正しいのかも、未だわからない。

ただ一つ、私の「これは揺るぎない正解だ」と思えるのが、妹の幸せ。これだけだ。

もう私自身は、何をどう感じるのが正解なのかはわからないけど、妹が幸せなら全部それでいいんだと思える。

それでも。

繰り返し再生される父との濃厚な7年間の性生活は、私に「定義」を求めてくる。

「あれはなんだったの?」

って。

「私はこうだった」というのがふわふわしていて、それがいまだに自尊心回復できない原因なのかもしれないし。定義をしたらしたで、もっと自尊心ボロボロになるかもしれないし。

かといって、リアルで誰かに詳しく話す気にもなれないし……

ただ、時期がきたら妹にはすべて話してみようと思う。真剣に考えている。



最後にまた、父について思い返してみる。

改めて父について思い返すと、「自分の思い通りになることが第一の人」だった。

そして、外面が良く、口が上手く、口数が少なく、合理主義で、神経質で、顔が広く、用意周到で、倒錯的だった。

家庭内性的虐待というと、どこか乱暴イメージがあるかもしれないけど、私の場合基本的に「自分からする」ことを求められた。「しても・しなくてもいいけど、しなかったらどんなデメリットがあるか」をほのめかして、私が自分で「する」ことと選択するように仕向ける人だった。

いきなり、ハードなことは求めなかった。「本当はしたくないけど○○のためなら我慢してできる」を丁寧に積み重ねていき、気が付けば処女を奪われていた。

父がどんな仕事をしていたのか、詳しくは知らない。知りたいとも思わなかったので、尋ねたこともない。

ただ、月に何度か現金を渡され、それで3人分の食材を買ったり、トイレットペーパーや洗剤なんかも買っていた。

父は家事ほとんどしなかったし、母が亡くなったとき妹は5歳だったし、私が家事をやるしかなかった。

生前、母がいくつか基本的家事は教えてくれていたけど、やり方がわからないときスマホ検索したり、学校先生に聞いたりした。

とにかく、父の機嫌を損ねないよう、やるべきことをしっかりやり、なるべく嫌な思いをせずに、父を喜ばせる。そうすれば、妹にも私にも優しい父をキープできた。意外に思われるかもしれないけど、日常生活中は、いたって普通の会話をしていた。

から見れば、「お母さんが亡くなったけど、仲良く頑張っている親子」だったはずだ。こんな父だけど、割と欲しいものは買い与えてもらった。でも、それも「飼い慣らし」の手段だったのかもしれない。あるいはパパ活一種として。

すでに屈服状態だった私が家出を決意できたのは、思春期に入った妹を守りたい気持ちと、身体虐待による命の危険を感じたから。これが、私の父への関わり方。

父親はいてよかったのか? と訊かれると、どうなんだろう。

もしいなかったら、私と妹は孤児になっていたし、母ももっと早く亡くなっていたかもしれない。まがりなりにも経済的な支えではあったので、いなかったほうが幸せだったのか、いたから不幸だったのか。それはわからない。私はこの人生しか歩んだことがない。

「お母さんさえいてくれたら」と何度も思った。世の中が良い母親ばかりでないのを見ていると、そう単純な話ではないのかもしれないけど。

正直、「血の繋がりのある優しいお父さん」はファンタジーしかなく、理解できない存在だ。だからきっと、そうしたお父さんがいる人にとって、私の話は、逆にファンタジーに見えてしまうと思う。

いてよかったのかどうか、わたしにはわからない。

ひとつ確かなことは、私は父を憎んではいないということ。私にとって父は対等な存在ではなく、憎しみの対象にすらならないほど、不可侵存在だ。刺激したら爆発する爆弾を、憎んで叩き壊そうする人はいない。慎重に処理をすべき対象だ。



今は、私たちに関わることがないよう対策をして、遠く離れた場所に住んでいる。大学生の私と、高校生の妹の二人暮らしだ。

私が務めを果たし続ける限り、金輪際、父に会うこともないだろう。このことは、合理主義の父をよく知っているので、妙な信頼がある。

最後に、とりとめのない話を読んでいただき、ほんとうにありがとうございました。

キック始めたけど年に一回の実戦にめちゃくちゃ自信ついた

スパーリングとかもできるようになって、汗かくのより楽しいんだよね。

やっぱ社会人から家族もいるし、しょうもない理由だけど同期たちには負けらんないし。

周りのやつは実戦に備えて食事減らして体重調整したりとか小賢しい事してんだけど、やっぱ日頃から体動かしてる俺には敵わないわけよ。

年に1度の健康診断の結果がどんどん良くなってくからやって良かった。

社会人の実戦って言えば健康診断だよな。

anond:20240816121405

オレはプライドが高いから間違ったことを言われたら怒りをぶつけることしかできないんだ。好きな事も楽しめないんだよ

分かってるよ、増田をそんな風に使うのは間違ってるよな。匿名なんだからみんな適当に煽ってくるだけなのもよく分かってる。大して考えずに投稿してきてることも、オレが何を言おうとまともに取り合う気がないのも、理解してる。

それでも俺は憎しみをぶつけるしか無いんだよ。憎むことくらいしかもうまともにできないから 楽しいことも好きなことも誰かと比べてしまうから だから憎むことしかできない でも、ありがとう

anond:20240816112504

「人によって感じ方考え方は違う」みたいな極端な相対主義を信奉すると相手立場考慮できなくなるよね

楽しい」「痛い」「気持ち悪い」「怖い」とか共通感情フレームワークがあるんだから、そういうのを利用できると思うんだよね

絵文字認識世界共通だろ?

anond:20240814181509

20年くらい前は摂理サークルがそこかしこにあって問題になってたよね

まあ表向きは運動したり飲み会したり、休み旅行したりして楽しいサークルですよってしてるんだけど

悩みがある(まあ大なり小なりあるでしょって話だが)とかになるとやっぱ宗教色出てくるのよね

anond:20240815234828

実際大阪でそんなノリツッコミをする友人関係なんてもの存在しない

芸人がやってる会話を実際にしてる大阪人なんて存在していない

けど実際にほんとごく稀に芸人みたいなノリツッコミ日常の会話でしてるやつを見ることがある

それは週末初デートらしき中高生男子

とにかくしゃべって楽しい雰囲気か会話の糸口を質より量で探そうとしていて少しも面白くないのに必死な具合が痛々しくもあり健気でもある

これは電車でみかけることがある

かに、ひどく酔った深夜の若者明日になればもう覚えてもなかろう言動がそれ

商店街にて男女混合のグループ話題きっかけや中心になりたそうで、誰からも要介護しか見られてない状態連休初日あたりに発生する

anond:20240816033659

科学コミュニケーションを少しでも齧ってたら分かると思うけど、

幼稚園児と物理学博士量子力学についてまともに会話できるわけないだろう?

前提知識を著しく欠いた人間議論の場に立ち入らせない

これを対人論証とは呼ばないのよね


しか知識のある側に、バカ側を分かった気にさせるエンタメ無償提供させようってことを正気で言えるトンデモ非常識で草

お前はオタク

絵師に絵を描くの好きなんだから無料で絵を描いてと頼むヤツ、スポーツ選手運動好きなんだから無料学生コーチしてと頼むヤツ、プログラマープログラム好きなんだから無料プログラミングしてと頼むヤツ、

この手のバケモンがお前

楽しいのは分かった気になって喜ぶバカ側だけやんけ

俺の認識が間違ってるならその部分指摘して馬鹿にしたほうが楽しくない?

量として膨大な前提知識を得ることは時間お金もかかってて無料じゃないし本来お金をもらってやるような話

これが分からんあたり、何の専門性もない知識層じゃない人間なんやろな

自分の金で買えよ

anond:20240816034331

はてな匿名ダイアリー2(だれも政治ブクマカの話をせず、毎日みんなで女を叩いたり大喜利をしたりして1日がおわるマジで楽しいSNS

お前らそんなつまらない話もう切り上げておいらの楽しいダイアリーに絡んでくれよ~

悲しいよおれは

毎日ポイントサイト10円とか20円分くらいぽちぽち集めるのが楽しい

でも自炊はめんどくさいから割高なコンビニ弁当とか食べてるからマジで無駄なことしてる

たまに客観的に見て、あー人生終わってるなーって思っちゃう

でもやめられないなー10年後も続けてるんだろうなー

2024-08-15

[] キラキラの国と魔法使い

むかしむかし、キラキラの国という不思議な国がありました。この国では、みんなが「ピカピカ」「トキトキ」「チャリチャリン」という大切なものを持っていました。

ある日、みんなは「ピカピカ」を使って、楽しいゲームを始めました。「見て、これがすごく面白いよ!」とみんなが言いました。みんなはそのゲームに夢中になりました。

しかし、キラキラの国の外には、たくさんの売り手たちがいました。彼らはみんなの「ピカピカ」「トキトキ」「チャリチャリン」を手に入れようと、競争していました。

ある日、魔法使いが現れました。彼は「フォロフォロの魔法」を使って、みんなの心を引きつける力を持っていました。「これを見て!これが一番素晴らしいんだよ!」と彼は言いました。

魔法使いは、魔法スクリーンを通じて、キラキラの国のみんなに映像を見せました。みんなはその映像に夢中になり、魔法使いの言うことを信じるようになりました。

商売人たちは、魔法使いを使って自分アイテム宣伝し始めました。「私のが一番だよ!」「いや、こっちの方がもっと素晴らしい!」と、競争を激化させました。

みんなは魔法にかかり、どんどん自分の「ピカピカ」「トキトキ」「チャリチャリン」を使って、彼の勧めるものを手に入れようとしました。キラキラの国は、魔法使いの影響でいっぱいになりました。

戦争ますます激しくなり、魔法使いますます力を持ちました。みんなは自分の「ピカピカ」「トキトキ」「チャリチャリン」を使い果たし、何も残らなくなりました。

最終的に、キラキラの国は欲望と争いでいっぱいになり、誰も幸せではなくなりました。魔法使い魔法は、みんなの心を奪い、国をバラバラにしてしまいました。

みんなは本当に大切なものを見失ってしまいました。キラキラの国は、もう二度と平和楽しい場所には戻れませんでした。

anond:20240814222009

人と関わる事は無いかもだけどお勧め

折り畳みの自転車を買って、電車で山の上の方の駅まで行って、自転車で下る。適当な駅から電車で家に帰る。

この方式奥多摩駅から海まで行った。多摩川は途中からほぼ平地なので海まで行くのはお薦めしないけど、上流の山の辺りを自転車でひたすら下るのは超楽しいよ。

anond:20240815164541

行く方はめちゃくちゃ楽しい

高いけど

ソープつらい ← これ飽きた

もっとソープ楽しい!!みたいな記事も見たい

AVとかはあるんだけどね

スタレのピノコニーびっくりするほどちゃん面白いな…

夢の中で不思議体験をしながらも、そこにはそれぞれのキャラクターの生々しい願望があるこの感覚ゲームという媒体の強みをしっかり活かしているな。

自分コントローローを握って歩き回れるからこそ感じられるフワフワとした奇妙な非現実感と、自分の手で運命を動かしているという実体感。

ちょっと強めのボス戦も攻略しようとする意思を試されている感じでバランスがいい。

動画小説では得られない体験を生み出せないならゲームという形にする意味がないと俺は思っているんだが、そこににおいてピノコニーはRPGとしてよく出来ている。

正直言うと、ピノコニーまでのゲーム体験は「10年前ぐらいのクオリティJRPG無料で遊べるなんて凄いなあ」という感じで「ふーん。無料しかゲーム出来ない乞食や、1キャラ1万円の価格に疑問を思わない人達はこんなゲームで遊んでるんだー」と見下していたよ。

だってリーロの物語別に銀河鉄道に乗ってまでやるべきことじゃなかったし、仙舟はSFしてはいても展開がプレイヤーそっちのけすぎて、これ別に動画で見てもあんま印象変わらんなとなってしまったわけで。

ピノコニーもメインテーマである「夢の中の世界」という内容自体は手垢がつきまくっているんだが、そこに星神を中心とした各勢力陰謀過去が加わることでこのゲームしかない厚みがグっと出てきてる。

星神の勢力図を描くプロローグとして仙舟はよく出来てたけど、お前それヘルタの段階でちゃんとやれんかったんかいという気持ちが凄い強い。

ピノコニーは本当に面白い

間違いない。

少し古めのJPRGではあるけど、クオリティは令和でもちゃん通用するな。

よくあるJRPGクローンが陥りがちな「でもそれって、君がベースにしたゲームリメイク遊んだほうが楽しいですよね?」になってないのは立派だわ。

でもな、それはあくまピノコニーまで行った後の話なのよね。

仙舟までの段階だと「いやーこれならSO2のリメイクでも隅から隅までやってた方が絶対オススメって感じですよ」って状態

そっからピノコニーで一気に跳ねた。

とはいえ、これを人に勧めるのはやっぱ厳しいな。

ピノコニーに来るまでに星を2つ超えてこなくちゃならん。

それだけの手間をかける価値があるかは人それぞれだろうけど、その判断を勧める側が勝手に勧めるわけにもいかんしな。

いや本当せめてヤリーロがなければな。

リーロがなきゃあの素敵なクソ野郎伏線張れねーじゃんってのはそうなんだけど、それを抜きにしてもいきなり仙舟で良かったんちゃうかという気持ちがな。

なまじキャラ崩壊と被っている所に雰囲気も第1.5部のアソコじゃん?

食傷気味がすげーんだよね。

逆にプレイしてない人に勧めたら「これやっぱり前作からやったほうがいいよね?」となっちゃうでしょ。

いやいや崩壊をぶっ通しでプレイしたらピノコニーに来る前に力尽きるっての。

本当に勿体ない。

慣れないうちにガチャガチャ組み上げた部分がゲームの贅肉となって、最新コンテンツクオリティ理由新規に勧めようとした時に壁になる。

結果として内輪でだけ「ずっと続けててよかったー」という感想が積み上がるだけでタコツボ化する。

ソシャゲという売り方の抱える致命的な欠陥だな。

anond:20240815081818

これはマジ。

もし可能なら最初はチェーンの大きいとこ行ったほうが自分が登れる課題が多くて楽しい

Rustとかいらねぇ

Cがメモリ安全じゃないだ?

何抜かしてんだ。

それが楽しいんだろ。スタックオーバーフローデバッグするのが楽しんだろ。

仕事から遊びを奪うなよ。

anond:20240814222009

太極拳いいぞ太極拳

やってる方が大体年上。90代とかもいてずっと続けられそう。

最初全然できないけど「難しいよね〜」「35年やってるけど私もまだまだ」って共感しつつ優しく(ただし動きは厳しく)教えてくれる。

私は40代前半で始めたけど、この年になるとなかなかできなくてヘラヘラしててOKなことってないので精神的にもすごく癒される。

コロナ禍もあって体重天元突破してた体もゆ〜〜〜っくり痩せてきてるし、肩こり腰痛も出にくくなった。

たまに交流会に出ると長拳(激しい動きの見た目がかっこいいやつ)をやってる子供たちの表演が観られたりして楽しい

anond:20240814233647

2歳の双子の親です。

誰かも書いていますが、旦那さんに育休を取らせないと離婚になるはずです。

最低でも1か月は休んでもらいましょう。

完璧シミュレーションをしておいてもうまくいかないのが子育てです。

人員について

子どもの人数より1名多く大人がいないときついです。

厳密には何とかなりますが休む暇がないです。

三つ子だと大人3名いてギリギリで、理想は4名体制になると大人1人が休憩できます

なのでお嫁さんを休ませるのであれば、少なくとも他に3名大人が必要です。

おじいさんは娘さんのご両親と一緒に子守をされた方が良いです。

◎色々なサービス対応

どこに住んでいるかからないけれど、多くの自治体子育て支援をやっているので調べて代わりに相談手続きをしてください。

手続き時間を要すので前倒しで動きましょう。

行政相談に乗ってくれます書類申請は代わりにしてくれません。


保育園を調べる

正直、三つ子ちゃんだと早めに保育園に入ってもらった方が楽です。

保育園は神です。

この辺りも役所へいった時にいつから募集するのかは聞いてみましょう。

妊娠中に保育園見学へ行った方が良いです。

まれると忙しくて無理です。

◎増員の準備

ベビーシッター

・ファミサ

の手配は早めにしましょう。

遅くとも1か月前には依頼しないと来てくれません。

奥様のおっしゃる通り、お金を払ってあげるのが一番で理想ベビーシッターを少なくとも2人は雇ってあげることです。

1人のベビーシッターさんで3人の新生児は無理です。

自治体によっては助成金が出ます

ただ来てもらうまでの調整がとても大変なので代わりにやりましょう。

息子さんの奥さんに習うより、ベビーシッターさんと一緒に子守をして色々と教えてもらいましょう。

奥さんも気を遣いませんし、ベビーシッターさんはプロで親切です。

その間、奥さんを休ませてあげましょう。

それでも夜中に順番で泣き続けるので大変です。

宿泊ケアをやっている産婦人科を調べておいて、週1日程度泊ってきてもらうのもよいかと。

おじいさんがいくつかわからないけど、友達が多いのであれば元保母さんとか直近で孫が産まれ女性に頼んでおくといいですよ。

頼めばOKしてくれる人も多いです。

単純に見ている人がだれかいるというだけでも心に余裕が産まれます

児童館を調べておく

事前に児童館に「子どもを連れて行っても良いか」と相談しておきましょう。

だいたいベビーベッドがあります

そこで2時間くらい面倒みましょう。困ったことは先生が教えてくれます

お嫁さんも仮眠が取れます

小児科や夜間外来を調べておく

土日やっている小児科や夜間外来を調べておきましょう。

代わりに連れて行ってあげるだけでも喜ばれます

というかお嫁さん一人だと3人を連れて移動は無理です。

そんな感じです。

最後

頑張れ!じいさん!

双子でもとても楽しいので三つ子もっともっと楽しいはず!

ただめちゃくちゃ大変なので今からウォーキングしたり筋トレしておいた方が良いぞ!

anond:20240813124338

前に見た時は「続きを読む」で次の投稿読ませる詐欺が多かったけど

今、久しぶりに見たら「教えて下さい」系の投稿ばっかりになってた

何が楽しいだろうか

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