はてなキーワード: 教育格差とは
断言していいけどそう言う増田が自分の望む生まれや選択肢や才能を与えられたって絶対何もできねえで今と同じように精神病んでブツブツ文句垂れると思うわ
だって無能で怠惰で多分発達障害とかだからそんな地位に甘んじてるんだからよ
そもそも日本の地方格差や教育格差程度で競争にならないとか甘ったれたこというなよな
泥水啜って土粥食って自衛のために丸木弓作って戦うしかないアフリカ人とかに比べたらよっぽど恵まれとるだろ
増田みたいな性根の腐った発達障害の出来損ないのクズなんかマッドサイエンティストとか悪の秘密結社に拉致されて脳に集積回路を増設させられるかトンボかバッタの改造人間にでも人体実験食らうレベルで矯正されないくらいのことでもない限り何やったってダメだと思うわ
アメリカのかあ
それはそうと差別問題と格差問題って言うほど切り離せなくない?
黒人にしろ女性にしろ、差別から来る社会構造に刷り込まれた格差こそが問題の本丸なわけだし。
KKO問題だって、何でKKOという地位に陥ったかを考えると、(直接的な原因は人に依るだろうけど)小さい頃からとことん成功から見放された経験しかないからだよね。
「KKOという存在がいなくなることがKKO本人と世界の幸せ」、そりゃキモくなくなって金があれば(どちらかでも良いが)理論上はKKO問題無くなるけど、それは実質無理でしょ。
はてなーの主食たる『地域格差』問題、『教育格差』問題にも通ずるけど、これらの格差ってのは基本的に(少なくともその代では)不可逆だからだ。
なのにそれを言うってことは、「君が死ねば(みんな)楽になれるぞ」と言うに等しい。君がそういうつもりで言ったのではないことは重々承知している。でもそうなっちゃうんだよなあ。それは差別そのものだよね。
単に要職に就く女性の数や、賃金格差、教育格差の指標にすぎない。
つまり社会的格差の指標であり、暴力や人身売買、自由意志の無さなどによる差別的な扱いの実態を表すものではなく、
その点で実感とかなり異なる指標でもある。
教育格差の問題について話すときによく話題になるのが東大だ。東大の地方出身者の割合を増やすとか、女子の割合を増やすとか、留学生の割合を増やすとか、貧困家庭出身の割合を増やすとか、そんな話ばかりが話題になる。
地方にいる優秀な子が、家庭の事情や予備校の無さや高校の指導力不足で東大に行けない、受からない。同じくらいの能力の子だとしても、金持ちで東京生まれの子が圧倒的に有利。たしかに可哀相だ。格差と言っていいだろう。
じゃあ、東大が地方の子を東大に入れてやれば格差はなくなるのか?なくならないだろう。
地方では優秀な子から順に東大に奪われていく。結果、東大と地方の大学の差は広がるだろう。東京へは行けない地方のその他大勢の子たちは、その格差の犠牲となる。東大にはギリギリ入れない準優秀な子、親元から遠く離れられない子など沢山いる。地方で生まれ、地方で育った子も、平等に優れた教育を受ける機会を持つべきだ。それが東大である必要はない。むしろ、地方で生まれ育った子も、東京で生まれ育った子のように「地元で」優れた教育にアクセスできるようになるべきなのではないか?
東大の問題は結局のところごく一部の、頂点に近い優秀な子の問題だ。我々は、地方に生まれさほど金もなく取り立て優秀でもない子たちの教育にこそ1番強い関心を持つべきなのではないか。
今、大学という仕組みは崩壊しつつある。その一因は少子高齢化だろう。学費を払う子どもは減り、高齢化で国家の予算は社会保障費に回され研究費は枯渇する。高いスキルを持つ筈の教授達は雑用に研究時間を失い、論文の被引用数は減り続ける……。日本の大学の未来は暗い。今の大学に持続可能性はない。
しかし、大学は必要だ。高等教育を受けた大量の人材が日本の科学技術を、国際競争を支える力となるはずだ。国力は教育から。
そのために、大学の在り方は変わるべきだ。
そこで私は、『大学は働きながら通う形態にシフトすべきだ』と主張したい。
社会人が働きながら自分の稼ぎで通えるような場所にシフトチェンジする事で、教育格差を是正し、少子化時代においても幅広い年齢層から学費を集めて、子供を産む親の学費負担を軽減することで少子化を解消し、持続可能性を高めることができるはずだ。
そして、国が音頭をとって、大企業に「大学に通いながら働ける雇用形態」で高卒を雇う枠を作らせるべきだ。(障害者雇用のように一定の雇用率に対して給付金を出すといいかもしれない)
国や企業からの一部学費の補助などもあったほうがいい。初めは高卒の20代30代を対象として、徐々に17〜18歳を対象にすることを考えると、受験と就活が被らないようにギャップイヤーを長く設けることなどが必要かもしれない。
ともかく国が全面的に支援して、新しい形の大学と大学生、そして働き方を作り出していくべきだ。
もちろんこれは増田の考えた一意見に過ぎない。現状の大学のあり方に疑問を持つ大学職員が沢山いるはずだ。大学の在り方の議論がもっと活発化すれば、より良い意見が出てくるはずだ。大学には是非、日本の未来を明るくして照らして欲しい。
私はあのオーナーの発言は自己正当化のために特に深い考えもなく受け入れている都合のいい考えだと勝手に思っている。
1.ヴィーガンが広がる
→3.高価で高品質な肉は売れなくなり、安価で質の悪い肉だけが売られるようになる
→4.牛の待遇のいい、高価な牛肉を生み出す牛舎は潰れ、劣悪な環境の牛舎が残る
→5.苦痛に満ちた生を送る牛が増える
という感じだと思う。まあ分からなくもない。
まず前提としてオーナーの発言はアニマルウェルフェアの観点から言っているのは文脈上間違いない。
アニマルウェルフェアの観点から言って畜産の問題点は、私のすぐに思いつくものでは(元の文章にも書いたが)
の2つ。
で、ヴィーガンといっても一枚岩ではないから、前者と後者のどちらに重きを置くかは人による部分があり、
その意味で「殺すのは悪(1の論点)」というのを完全に否定する人は殆どいないだろうが、
しかし実際には「殺すのはよくないが仕方ない面もあるので、可能な限り牛の生に配慮すべき」ぐらいの立場の人も割といると思う。
で、先のオーナーのロジックによればヴィーガンが広がることは後者の問題点を逆に悪化させるらしい。
私としてはオーナーの論理は可能性としては言い得るが、あまりに単純すぎると思っていて、
どうなるかは割と不確定だと思っている(もちろんこの回答は曖昧で不誠実だ)。
例えば、ヴィーガンが広がることによって待遇のいい牛舎がむしろ増えるロジックも展開できる。
1.ヴィーガンが広がる
→2.ヴィーガン市場の規模が拡大し、商品の生産・流通が拡大、安く扱いやすいヴィーガン食材を手に入れられるようになる
(実のところそもそも現在でも豆は肉よりも安価ではあるが)。また食肉の消費が減り、肉の価格が上がる
(現在は基本的に畜産は政府によるバックアップがあるのでそれが減れば一層値上がりするはず)。
→3.低所得者にとってヴィーガン食が現実的な選択肢になり、広がる
→4.畜産業界は安い肉を売っても利益が薄いので、富裕層向けの高付加価値肉の生産が増す
という風に言えるわけだ。
ただここではある程度「肉の付加価値」と「畜産環境の良さ」が正の相関を持つと仮定しているけれども、
和牛生産を見ても分かるように必ずしもそうではないので、少しペテン的ではある。
まあでもヴィーガンが増えると食肉業界に嫌悪を抱く人が増えるだろうから、
それに対するエクスキューズとして、「でも可能な限り牛に配慮しています」というポーズは今以上に必要になるはず。
ともかくヴィーガンが増えると言っても、ある日突然増える訳でなく、徐々に増えるはずで、
それにつれて市場も変化していく。その変化につれて、食肉業界とヴィーガン食材生産業界の広告宣伝が活発化するはずで、
その広告戦争の勝敗によって人々がどっちに流れるかがかなりの程度決まるのではないかと思う。
ここからは余談になるが、そもそもヴィーガン生活は経済的余裕のある人しかできないというのは一面では真理だが、嘘でもある。
嘘というのは、実際、豆や野菜は安い。カルディでも大きめのスーパーでも乾燥豆は売っているので、
是非一度見てほしい(料理に使うには大豆は結構使いにくいのでひよこ豆、レンズマメ、ムングダールあたりがおすすめ)。
あとご存じの通り、豆腐も納豆も安い。非常に安い鶏肉と比較すると流石にたんぱく質効率で負けるかもしれないが、
今の段階でも豆によって安価にたんぱく質を十分量摂取するのは現実的に可能だ。
というわけで経済的余裕のある人しかできないというのはネガキャンだと思うのだが、
一応真理でもあって、それは豆を使った料理というのがあまり浸透していないということだ。
つまり、乾燥豆を渡されてもどう調理していいか分からないし、料理のレパートリーもないという人は割と多いはず。
で、そういう情報にアクセスするにはある種のリテラシーが必要で、経済格差と教育格差に正の相関があることを考えると
ある意味では経済的余裕がないとヴィーガン食は作れないというのは真実になる。
また慣れ親しんできた食生活を捨ててヴィーガン食を作るというのには、ある種の趣味的な精神も必要になるはずで、
リベラルってのはよぉ、「反差別」を試金石に、それを理解できない田舎者や低学歴、貧乏人を差別してんだろぉ?バカで無教養な連中にレイシストだ、動物だってレッテル貼ってさえいれば、良心を痛めることなく差別できるもんなぁ。
本当に差別をなくして多様性を確保しようと考えてるなら、地域格差や教育格差、収入格差をできる限り縮めないといけないけど、それは嫌だよなぁ。そのためには徹底した再分配政策が必要になるけど、自分の懐は痛めたくないもんなぁ。そらそうだよなぁ。タワマンから下層民見下ろしながら、ネットに「LGBTQ!BLM!」なんて書き込む、お気楽生活できなくなっちゃうもんなぁ。
口では差別反対なんて言うけどよぉ、差別が本当になくなっちゃったら困るよなぁ。レッテル貼ってバカ見下してネットに正論書き込む楽しみが奪われちゃうもんなぁ。収入や学歴でマウント取って悦に入る快感もなくなっちゃうもんなぁ。
なぁ、正直になれよぉ。本当は差別したくてしたくてしょうがないんだろぉ?お前らはてなリベラルの奥底にはきたないきたない差別心が渦巻いてんだよぉ。リベラルもネトウヨも同じでよぉ、一皮剥けば腐った差別心の塊なんだよなぁ。「差別反対!ダイバーシティ!」なんて言ってるその口から腐臭が漂ってんだよなぁ。
大衆は常に愚かであり,そのような時代に生きる知識人としての身の処し方は大きく二つある.
すなわち,如何なる困難に直面しようとも,孤軍奮闘して正しさを説き続ける方法.
そして,愚かな人間を利用し,搾取し,私欲を満たそうとする方法.
この二つだ.
前者になるな.
自分の能力,才覚,そういったものを他人のために使ってはならない.
だからこそ,君たちに,おそらく今の日本で最も優秀な君たちに言いたい.
自分の能力,才覚,恵まれた環境は,自分の利益のためだけに使いなさい.
そして,高校生のアルバイト以下の時給で月200時間の残業をしても,
誰一人として褒めてはくれないよ.ニュースになるのは失態を犯したときだけだ.
君たちが学者になって,日本の学問を継承していきたいと望んでも,
実績を出したら出したで,横取りされて,手元には何も残らない.
愚かな人間を出し抜いて,高給を得よう.
それでも,大衆は,格差社会でいい思いをしている人間を批判するだろう.
その批判は甘んじて受け流そう.
トランプは片田舎の白人男性の味方をしていて、彼らから支持されている。
バイデンは都市部の優秀な有色人種などから支持されている。能力主義だと言われている。
大統領選の投票の様子を見ていて感じたのは、アメリカも地方格差があって教育格差もあり、どうにもならない生い立ちの白人男性がいるのではないかということ。
そこをアメリカは能力主義だと言って優秀な人材ばかり優遇していたが、生い立ちの恵まれなかった地方格差のある土地の白人男性を能力がないと烙印を押し、冷遇してきたのだろう。
アメリカの分断というのは人種の差別もあるし、どうにもならない生い立ちの部分でも努力不足と切り捨ててきた能力主義に見せかけた地方差別の問題だろう。
結局アメリカは今も差別だらけの国で、だからこそポリコレやBLMなど問題が絶えないのだ。
うちは夫婦はともに30代で地方県庁所在地出身の私と、横浜市出身のパートナーの構成だけど、
子供の教育、学費の積立や習い事について話し合っていくなかで、
彼が与えられてきた教育や、その周辺の学ぶことに関する環境が、
ものすごく!圧倒的に!自分の実家より上だったことを早々に気づいて驚愕した……。
(なお、どちらの実家も教育については「できるだけのことはしてあげたい」という前向きな家庭)
というか、東京近郊の教育に関するリテラシーや文化資本の豊かさ…レベチすぎ……。
都会の子が小学校3~4年生から塾に行ってるなんて30歳になるまで知らなかったよ…
塾なんて早くても中学になってから行くものだったよ…小学生は公文式くらいだよ…
私は個別指導塾入れてもらったけど、同じクラスでそこまでしたらもってるのも私くらいだって驚かれるくらいよ…
あと東大をはじめとしたトップ大学に進学する子が、中学受験→都内私立中高一貫校のルートをたどる人が爆裂多いなんてのも知らなかった…
あと、塾のレベルもね!!SAPIXも鉄緑会もSEGも…そんなのあるの!?
地方には!?そんな塾がめちゃ選べて!?エリート養成塾みたいなのがあるなんて!?想像もつかないよ!?
習い事の種類だって数だって、ぜんぜん違う。え?勝負は未就学児の時代から始まっていた…だと!?
そもそも地方勢には塾や習い事を精査するなんて文化がねぇ!母数が少なすぎて選択肢は3択くらいだからだ!
居住地によるアクセシビリティ格差が拡大してるってだれかがコメントしてたけど、これはガチ寄りのガチ。。。
文化資本の圧倒的な違いがどんどん開いていってるし、なによりも怖いのは、地方勢にはそれが可視化されていないってこと。
知らされない間にドンドンドンドン置いていかれてる。たぶん国は知ってて置いてってる。
今この瞬間もさ、「捨てられてる」言うの分かるくらい、本当に格差についてつまびらかにせず放置されてる。
これ読んでると、地方出身の私、保護者や子供に配り歩きたくなってくる、
そんで、みんなー!!!気づいて!!って言いたい。
"私は東京に生まれて彼らと同じ環境にいれば東大に合格できた。"
これは本当だよね、きっと、本当にそうだと思うよ。きっとすごく悔しいよね。
子供の教育につい話し合うようになってから、夫婦で2人で地方に旅行に行き、
離島とか山村とか風光明媚な土地に立ち寄ると「綺麗だね」と言いながら、教育格差について思い馳せることが多い。
「こういうところに生まれたら、遺伝子的にすごく頭のいい子が望んでも東大に行くのはすごくハードルが高いだろうね」って話して…悲しくなる。
不公平は人生につきものだけど、それでも地方と都会のこの教育格差はあまりにも不正義じゃない???って思う。
逆に言うと都会勢は下駄履きすぎじゃない???ってことなんだけど。
でも、もちろんその人達の努力を否定するつもりはないんだけどさ。
ただあまりに悲しいんだよ、「勉強したい、学びたい」と思ったりした、素質のある一生懸命な子供が、ただど田舎に生まれた、ってだけで圧倒的に救われないことが。
私は頭が良くないし増田みたいな努力家じゃないから、自分がマシだったはずなんて言うつもりないけど、
https://anond.hatelabo.jp/20201026003439
バズってる増田を読んだ。
日本海側の3万人クラスの田舎出身の人間としては共感しかないのだが、嘘松扱いしている人がいるのがなんかむかついたので、私のエピソードも追加して地方の状況を広めたい。個人的には下記の3つが地方の不利さだと思ってる。
元増田も挙げていたが、地方に住んでると高等教育を受けた後に就ける職業のイメージが全くわかない。なんていうか、大学進学率が2割台で大卒の仕事自体があまりない町なんで、両親や親類、先輩と言った周囲の大人にロールモデルとなる人が全然いないのだ。うちの家族も俺がはじめての大学進学者だったりする。そんな俺の10代の頃のイメージはこんな感じ。
研究者→少年マンガのサポートキャラ、コナンの阿笠博士的な発明家ぽい人
その他商社マンや広告代理店とかの文系花型の仕事や司法書士、公認会計士等の仕業→そもそも大学行ってから存在を知ったぜ!
見えてる世界が狭かったんで、将来像がそもそもはっきりしないんだよな。俺は結局地方の国立工学部に行ったんだけど、箔のついた工業高校だと思ってたから授業で微積をまたやるのに驚いた。なんせオープンキャンパスでは面白理科実験的なことしかしてなかったんで。今となっては笑えるエピソードだけど、地方の高校生の認識ってマジでこんなもんだと思うよ。
個人的にはこれが地方の最大の問題点かなと思ってる。3万人の地方の田舎町でも、高校には進学コースがあってそれなりにレベルの高い教育を受けられた。ところが中学校がダメダメ。動物園状態。英語のリーディングで笑われるのはまあデフォルトとして、廊下を自転車で走るヤンキーがいたり、冬場にストーブで教科書を燃やしたりする馬鹿とかいてしょっちゅう授業が中断して学習できる環境では無かった。だけど義務教育なんで進度別のクラス分けとかあるわけもなく、校区制なんで学校の選択肢もなく。先生も進学熱が無いというか、金八先生に憧れてるようなタイプが多くて生徒指導のことしか頭がない。もしもタイムマシンで過去に戻れるなら親に無理を言って県庁所在地の中高一貫を受験してるだろうな。だけど地方で育つと中学受験という選択肢に思い至らないんだよな。そもそも田舎には通学1時間圏内に進学系の中高一貫高自体が無かったりするのがザラなんで。
コレは最初の項目と少し関連してるかもしれない。Amazonが普及した現在でも、参考書は実際に手に取って使ってみないとわからない部分が多いものだが、地方だと蔦屋併設の本屋が町に一軒だけ見たいな事が多くて置いてあるのがせいぜいチャート式と赤本だけだったりする。この選択肢の少なさは正直キツかった。もちろん予備校とかも無いので、入試対策は全面的に高校教師を信頼するしか無かった。幸い俺の担任は地方国立の数学科院卒の経歴で、難関大学の入試問題もスラスラとけるような頼もしい人だったんですごく恵まれてたんだけど、一つ下の学年は教育学部出身のちょっと頼りない先生だったんで、教師ガチャの要素がデカいなと思えたのだ。
まあ同じ地方でも、県庁所在地まで行けば話が変わってくるもしれない。紀伊国屋やジュンク堂的な大型書店があって多種多様な参考書を手に取って見れらし、進学校が存在してるから、実際に使ってる友人に見せてもらったりできるんでハンデは小さいかもしれない。周りにも県立なんたら大に通うような大学生があるから、それこそ友達のお兄ちゃんとかが自宅から通ってたりして、ノウハウやエピソードを聞いたりできそうだし。