教育格差の問題について話すときによく話題になるのが東大だ。東大の地方出身者の割合を増やすとか、女子の割合を増やすとか、留学生の割合を増やすとか、貧困家庭出身の割合を増やすとか、そんな話ばかりが話題になる。
地方にいる優秀な子が、家庭の事情や予備校の無さや高校の指導力不足で東大に行けない、受からない。同じくらいの能力の子だとしても、金持ちで東京生まれの子が圧倒的に有利。たしかに可哀相だ。格差と言っていいだろう。
じゃあ、東大が地方の子を東大に入れてやれば格差はなくなるのか?なくならないだろう。
地方では優秀な子から順に東大に奪われていく。結果、東大と地方の大学の差は広がるだろう。東京へは行けない地方のその他大勢の子たちは、その格差の犠牲となる。東大にはギリギリ入れない準優秀な子、親元から遠く離れられない子など沢山いる。地方で生まれ、地方で育った子も、平等に優れた教育を受ける機会を持つべきだ。それが東大である必要はない。むしろ、地方で生まれ育った子も、東京で生まれ育った子のように「地元で」優れた教育にアクセスできるようになるべきなのではないか?
東大の問題は結局のところごく一部の、頂点に近い優秀な子の問題だ。我々は、地方に生まれさほど金もなく取り立て優秀でもない子たちの教育にこそ1番強い関心を持つべきなのではないか。