はてなキーワード: 感情移入とは
今期も時間の制約を考えて、新作16枠、旧作・再放送12枠の28枠視聴です。これ以上視聴時間を取ると日常生活で支障が出るし。
なお、1枠は30分と換算してます。続き物で見ていないものは視聴しないので、SAOとかサイコパスとかの大作の続編はほぼ枠から外れます。ちはやふる3は見たかったけど関西で放送しないからね。ネット配信では見ない奴。
分割2クールの後半戦。前半とノリが同じで安心出来るね。今期も不人気なりずっちを推したい。
これ、ゾンビランドサガのニオイがしない?「ゾンビ×佐賀×アイドル」という、何でそれかけ合わせるの?っつー構成が、「プロレス×異世界転移×ケモみみ」のこの作品にも似てるかなって。面白くなるのかは別問題として、こういう「混ぜるな危険」系統は話が読めないから好き。今のところ押し切られ感すごいけど、前期のダンベルみたくうまくやっていけば面白くなると思うの。ケモみみ大好きなので期待大。しぐれ、いいよね。花子さんも気が強そうなのでいい感じかな。
アニメオリジナルはなるべく見るようにしている。この作品もそう。1話の脚本の出来が非常によくて、各キャラクターの癖であったり小物の扱いが細かなところまで描写されている。シナリオ・演出・監督の息が合わないとここまで難しいんじゃないかな?アニメ脚本じゃなくて、元々ドラマや映画向けのシナリオだったんじゃ?と思いたくなる。それほどの出来。2クールなんで最初はつらいかもしれないけど、後半じわじわ面白くなってくると思うよ。どこまでの変態で攻めてくるのか、そのあたりに注目したい。
刑事物に当たり外れなし。まずは無難なスタート。刑事物の強みは対立構図が分かっているから見やすいしね。ナインって何?ってところから展開するので王道のストーリーならそこそこ面白くなるんじゃないかな? ただこの作品タイトル長過ぎ。警視庁~が正式名称でトクナナがサブタイっぽい。こういうのやめて欲しいんだけど……
異世界転生系は多いので厳選して見ているのだけれど、今期これを視聴リストに入れたのは大正解だったかも。かなりメタネタを入れてくるのは自重してもらいたい。楽しいんだけど多いとウザくなる。きらら代替作品と言われてるけど、これはどう考えてもえんどろ~!だよね。
2クール目。前半には辛口コメントでイマイチ盛り上がらない感があったけど、今回からは対立構図がはっきりと固まったので話しについて来られるかもしれない。と思うようにしたい。この作品は構図が複雑すぎて、しかも登場人物も多いのでとっつきにくさがあったもんね。
個人的な意見として、また京都か……って感じ。最初いきなり鴨川デルタが出てきた時はこれで何作目?四畳半/たまこ/有頂天……今思いつくだけでこんなにも……。まあいいけど。湘南に比べたら全然少ないか。もうひとつ、出てくる京都ことばが古くさい。関西在住民にとって方言は鬼門。これだけで見る気を無くす。ライデンは京都にスタジオ持ってるんだからそこら辺しっかりやれよと思ったら、京都のスタッフがロケハンしたってマジかよって思った。監督とか主要スタッフは手間でも現地に行ってほしいし、ユーフォが京都ことば使わなかったのは本当に大正解だと改めて思ったよ。アニメの方は時間の流れがゆったりとしていて癒し枠。ボードゲーム見て何が楽しいという意見はわかるものの、見せ方で変わるので今後に期待です。
NHKでやれ、名作劇場枠だろという意見は確かにその通りだと思う。脚本からも演出からも、原作をどうアレンジしようか迷っている感がありありと見てとれる。正直なところ中盤まで見ないことには面白いかどうか評価出来かねる。いまのところは名作劇場みたいな感じで見るのが無難かな。
ちょっと毛色が違うラブコメというのはよくわかる。いきなりの修羅場展開は原作どおりなんだろう。久々に原作を読みたくなるアニメに出会えた感じ。今後の展開次第かな。
最初はクソアニメだと思ってて、どこで切ろうかと迷っていたら2クールってわかったので我慢して見てました。1クール目中盤からそこそこ面白くなったのでこのまま続けてくれればいいんじゃなかろーか。やはり対立構図と科学を使ってのものづくりさえやっていればそこそこ面白いね。
ブヒアニメ。AT-Xで見ているのでおっぱいもばっちり。シリーズ構成雑破業さんなんで安心して見られる。サープリのように謎競技で感情移入できなくて置いてけぼりも多分なさそう。わかりやすさは正義。ゲームも売れるといいね。
間違いなくこれがきらら救済枠でしょ。よくもビームライフルっつーマイナー競技を見つけてきましたね。こちらは女子高生がきゃっきゃうふふしていれば問題ないと思う。しっかし展開が早いよね。
原作知らないんで今のところ面白さがわかんない。どういう感じで見ればいいのか……
ストーリーに悲しいところがあってきついんだよな。しょうがない。最後まで見ると思うけど、展開次第では切っちゃうかも。
もう惰性で見ているアニメ。野球マンガなんで面白いっちゃあ面白いんだけれど、どこがって聞かれると最初から追っかけてるアニメだからって感想しかない。マンネリ化しているカップル状態。録画失敗したらはいそれまでよって感じ。
NHKの夕方アニメとしてはこんな感じか。異世界転移系でチートすぎて、正直お腹いっぱいなのです。
再放送にあまりいいものがなかったので、枠を新作に振り替えて見ているやつ。しかし、笑いのツボがわからん。何が悪いのか…… とりあえず原作をニコニコ静画で無料の部分だけ見たんだけど、ここでも笑いのツボがわからん。というわけで、私に合わないアニメだった。3話見てから切る予定。
今期の貴重なショート枠。だけど、ショートは判断するの難しいよね。
本作含め『ダークナイト』とかもネタバレしてるんで嫌な人は読まないでね。
オッスおらメンタル壊した歴ありの発達障害&ナルコレプシー持ち!
どうにかこうにか大学出て何だかんだ正社員で10年ぐらい働き続けているよ!
壊したメンタルの治療のために飲んでた薬が身体的依存性がある(切らすと離脱症状でゾンビみたいになる)おかげで
あとナルコ用の目覚まし薬も社会人に擬態するためには欠かせないね!!
最近の悩みはこの状況下でメタボ肥満で肝臓がイカレ始めていること!トシだね!
慌てて有酸素運動してるけど、走ると膝を壊すから室内バイク買って漕ぎ始めたら
ケツに蒙古斑も真っ青なアザができたよ!!
アメコミは全然詳しくないよ!バットマンもダークナイト信者だったって程度のニワカだよ!スーサイド・スクワットは観てないよ!
「『ダークナイト』の主役はバットマンやぞ」とかそういう細かい話はおいておく。
アーサーは結局作中ではジョーカーにはなってないし結局今後もなれないんじゃないかとしか思えない。
だってアーサーは(自分に都合のいい)妄想が現実レベルの彩度で日常生活に融合してくるような病気と、
自分の意のままにはならない、投薬があんまり効いてないっぽい発作を持ってて、
それを差っ引いても"普通に振る舞う練習"(サントラの曲名のひとつ "Learning How To Act Normal")をやっちゃうタイプじゃないか。
作中の走ってるシーンは冒頭の1回を除けば全部「何かから必死こいて逃げ出す」場面ばっかりの人間じゃないか。
人の考えの裏をかくことができて当たり前、必要なら自分で自分の死体に化けてのおとり役もこなし、
メイクオフすればあの傷もちの顔でありながら市民に溶け込める、溶け込む方法を考えて実行できる。
ジャック・ニコルソンのジョーカーでもいい。
元が泣く子も黙るギャングの一員だ。人の顔に酸をかけて焼くくらいのことは簡単にするし、
毒入り化粧品だのを自力開発できる程度には気が狂っていても頭が回る。
アーサーには無理だ。
通りで仕事してるだけで殴る蹴るの暴行に会ったことのある人間、
人混みに溶け込むどころか人から注目(しかも白い目の)を集めてしまう人間には無理だ。
嘘つきランディや地下鉄の酔っぱらいや「母親」はブチ殺しても、
小人症の同僚ゲイリーはわざわざ鍵開けて逃がしちゃう人間には無理だ。
おいおい公式サイト様ともあろうもんが安い飛ばし記事みたいなこと言ってんじゃねえよ。
「いやこれ『ダークナイト』演れそうなガチ本命のジョーカーに利用されてる替え玉やろ説」とか
「ガチジョーカーがアーカムで暇つぶしにぶっこいたホラ話やろ説」とか
「『ジョーカー誕生』っていうのはアーサーがジョーカーになったってことじゃなくて
ミームあるいは概念としてのジョーカー的ななにかの発生のこと説」とか、
しかし「単純にアーサー=ジョーカーだろ、覚醒できてヨカッタネ説」、テメーはだめだ。病気なめんな。
もうね、「やめてください死んでしまいます」って感じ。いや茶化さんとやってられんわ。
あの笑い者感、笑いのツボずれてる感、シリアスをシリアルに変えるドジっ子☆属性の笑えない感がリアルすぎて笑えない。
看板ドロボーのクソガキおっかけてて途中で滑ってこけそうになるシーン、
「看板弁償しろや」言われて路地裏でダストボックス蹴っ飛ばしてて滑ってこけるシーン、
「そこ出口専用やで」シーン、
「僕たちは『ジョーカーのような人間はこうして現れるのかも』という物語で、
コミックスで言う"スーパー・ヴィラン"の男をリアルで愛すべき人間として描きました。
だから皆さんには、彼の味方でいてもらえればと思います。これ以上は無理だ、というところまで。
映画が始まる時点では、彼は有名な犯罪者ではなく、アスファルトに咲いた小さな花。
その花に、あなたは水をあげるのか、光を当ててあげるのか、それとも無視するのか。
どれくらいの間、その花を好きでいられるのか。」
とのことだが、「味方」というのが単に肯定者って意味じゃないのなら、
こんなん延々「ダメだアーサーよせそっちはダメだ行くなやめておけあああああ」ってなりつづけてまうやないですか。
そして「わたしたちは、なぜ『ジョーカー』のようなダークヒーローに共感を抱くのか」みたいなタイトルの記事に逆に引いてしまう。
いや、ワタクシが発達で(おおむね寛解したとは言え)メンがヘルってるから過剰に感情移入してしまってるのはわかってるが、
それはそれとして人が殴る蹴るされたり笑い者にされてたら
ああ痛いやろうなつらいやろうな嫌やろうな仕返ししたいとか思うやろうなって思わんか?健常者ってサイコパスでは???
まあともかく映画としては傑作なんじゃないでしょうか。2回も観たので3回目はもういいです。過剰摂取です。
ぶっちゃけ巨悪でもエネルギッシュな『ダークナイト』ジョーカーに癒しを感じるくらいには消耗したわ。
あとなに?ニューヨークって素であんな治安悪いの??コドモ笑わせるくらいよくない??
『ジョーカー』にここまで同情的な見方してしまってると身近な人間にバレたくないけど
(ジョーカーに同情的でない人間から「ジョーカーに同情的な人間だ」と思われること自体に、
この映画のこと考えてると上記みたいなことが延々頭から離れなくて家事とか勉強とかがはかどらないから。
自分とアーサーの相違点を頑張って挙げてけば100コくらいは何とか挙がると思うが、
自分が今この瞬間アーサーでない理由は「運」以外なんも無いなというこの感覚がしんどくて、いったん頭から追い出したいから。
「アーサーがジョーカーしないif」ルートを一生懸命想起しては破綻させてる自分の脳ミソをちょっと休ませてやりたいから。
>最後の方のテレビカメラの前で演説ぶってるシーンとか、車の上に立って観衆に応えるシーンとかも、どっかで失敗したりしないかハラハラしながら見てた。
わっかるー!!
物語的に超大事なクライマックスシーンだからまさかそういうやらかしは発生しないだろうと思いつつ、ここで発生したらマジで目も当てられないぞあばばばばばってなりながら観てました。
>舞台はゴッサムであってニューヨークじゃないしマジモンのニューヨークよりは治安悪く設定している
ちょっと検索すれば掃いて捨てるほど「ゴッサムとはニューヨークのあだ名の一つ」的記事がヒットしたのと、
ニューヨークの映画館では上映開始日に警官出てくるレベルの厳戒態勢取られたってニュースと、
あと自分が観たときには白人の大学生だか若い社会人だかって感じのグループも来てたんだけど、終わって帰るときにテリブルテリブル言ってたってのが妙に印象に残ってて、
「え、そんなリアリティあんのこの荒れっぷり…ヤバない?」と思って書きました。
良かったー現実にはあそこまでじゃないんだね!
いきなり看板パクられる気の毒すぎるピエロとかは居ないんだ!!
って思っとく!
アーサーがこれからどのようにジョーカー活動ができるというの??
社会に対して戦争を仕掛けるのは簡単なことじゃない。いっぺんやらかした後ならなおさらだ。
バッツの誕生までもたないだろ。
例えば「最後の精神病院のシーンこそが時系列的には一番最初で、カウンセラーを半殺しにして拘禁まで食らったが福祉削減もあって退院、のち本編の流れ」とか考えてみることはできる(アーサーの本質は両手に手錠状態で血の足跡を作って踊ることができるタイプの人間説)が、
血の足跡をつけて踊る人間を、定期的にカウンセリングに通って投薬を受けて仕事行って母の介助して暮らす人間に変えるための何らかの処置が病院によって行われたと考える必要が出てくるので整合性を欠く(そんな都合のいい処置あるかオイ?)。
ただ、もしそうならジョーカーは見事アーカムから合法的に脱獄を果たし晴れて野放しになったというオチで背筋が薄ら寒くなれるのでステキではある。
そう、アーサーにダークナイトの主演が演れないとしても、ダークナイトではない別のやつでもいいからジョーカーの物語を演れるポテンシャルが欲しいし、
なんだろう、代弁者・成功者・希望?語彙がありませんが、そういうのを見ているような気分でした。
自分が普段考えている鬱屈としたものが、形はどうあれキレイに昇華している絵面をみて、あぁ、これほど素晴らしいことはないだろうなと思いました。
この映画、誰に感情移入できるか、というより、自分の人生はあの映画で言う誰と同じなのか、で話が変わるんだろうなと思います。
私は暴動起こしている市民でした。あんなことが街中であったら、間違いなく金属バットで車のフロントガラスを叩き割っていると思います。
いつだって自分より幸せで裕福な人間は憎いし、そういう人間をどうにかしていい場面があったら、どうにかしない理由が無いです。
だから、映画見て、スッキリしたんですよね。そういう感情を持ったであろう人々が生き生きと暴力を奮っている絵面は本当に気持ちが良いもので、
自分の暗部がすごく穏やかになったと言うか、少なからず掃除された気持ちです。
なので、とても救われた気分でした。
上映後、隣のカップルがよくわからないとか怖いとか言ってて、思わず笑っちゃいそうになりました。
羨ましいな、と思います。この映画がわからない人生を送りたかった。そういう人生を送っている人たちは死んでしまえばいいのに。
設定詰め込みまくりは良いんだよ、映画の短い時間でも充分すぎるくらい説明あったし
青春部分は一行さんがどうして直美を好きになったのかという理由付けが粗くて感情移入しにくかったけど、つまらなさの本質ではない
もしかしたらナオミが救われることが我慢ならないのかもしれない
背中を焼き右足を潰すといった身体的な罰と、最愛の人に拒絶されるという精神的な罰は受けたのだろうが、それで神の視点から人格を弄んだ罪が贖われていいんだろうか?
直美はナオミを一発ぶん殴ってスッキリしたみたいだが、それでいいのか?
結局狐面がわらわら出てきた時点で構造的には許されてしまったが、それこそ殺人より酷いことをやってしまっている気がする
あ、エピローグの意味がわかってない。ナオミは雷に撃たれて脳死になったわけではないよな?
大切な人を救おうとする過程でなんか脳死になっちゃったんだよな?そのあたりがわからない…
あと演出と設定はめちゃくちゃ好きな感じだった
メチャクチャな色を使って時空間すらもあやふやな世界のはざまを描いたシーンとか、宇宙の中に新しい宇宙を作るというそれこそSFみたいなシーンとか
いろいろな作品をリスペクトしてたのはちょっと安っぽかったけど
全体として上手くまとまっていたとは思うんだが、やっぱりめでたしめでたしで終わ…ったのか?みたいなもやもや感を感じさせる作品だった
特定されない為に以下の記述にはフェイクをいくらか織り交ぜてある。
人が苦しむ姿を見て楽しむのが趣味だ。
そんな俺がここ最近特に観察するのを楽しみにしているなろう作家がいる。
彼は40万字書いてアクセス数がやっと一万五千を超えるかどうか。
対して俺は書籍化にはほど遠いが100万アクセス以上の作品がいくつかある中堅作家といったところか。
その男は別にリア友という訳ではなく、ただのネット上の知り合いだ。
だがその男がエッセイで、活動報告で、ツイッター上で吐き出す苦悩を見るのが本当に好きなのだ。
誤解されないように言っておくが、彼の力量は決して低くない。
むしろ俺などよりもずっと巧みで、彼の作品を読む度に俺にはこんな文章は書けないと思わされる。
そんな彼が何故俺程度すら超えられないのか。
これは単に俺が彼の作品を読んだ感想でしかないが、彼の作品にはいつも何処か寂莫とした感覚が憑き纏う。
読んでいて居心地が悪いというか。座りが悪いというか。
「この登場人物に本当に感情移入していいのか」とビクビクしながら読み進めることになる。
彼の作品には「書きたい」という気持ちも「読みたい」という熱意も篭もっていないからだ。
彼は単純に「書ける」ものを書いている。加えて大衆受けする作品でもない。
だからと言って俺は彼に「自分の書きたいという気持ちや読みたいという感情を大事にしなよ」とはアドバイスしない。
彼はエッセイで絶叫している。
スランプの最中で自分の書きたいものを書けなくなってしまったと。
どんなコンテンツに触れても「作品の為のネタ集め」としか思えなくなって、自分の読みたいと言う気持ちが分からなくなってしまったと。
そんな彼に上記のアドバイスをするのは「お前には絶対に名作は書けない」という宣告に等しい。
俺は彼の筆を折りたくない。彼の苦悩をずっと見ていたい。
だから俺は何故彼の作品がダメかの根本には触れないようにしながら、彼が苦悩を吐き出す度に共感する振りをしつつ、優しい言葉をかけ、当たり障りのないアドバイスをする。
彼がなんとか作品を書き続けてくれるように。
しかし彼も薄々分かっているのだろう。
自分は「書きたい」「読みたい」という感情がないから駄目なのだと。
分かっていながら届かないものに手を伸ばして、それが指先にもかからない人間の苦悩は何よりも価値がある。
彼の人生が上を向くことはあるのだろうかと思う。
彼はフリーターで、もういい年だ。
根っからの無性愛者(アセクシュアル)で他人と恋をしたいと思ったことが無い。
それでも書けるから書いてしまうことが彼の苦しみを助長させている。
もし彼がうつ状態から回復できれば「書きたい」や「読みたい」も生まれるかもしれない。
でも、彼にそんなチャンスがあるだろうか。
そう思い悩み、彼の境遇に思いを馳せ、彼の苦悩をテイスティングする。
俺は彼の苦悩のファンだ。
こんなに価値のある苦悩をしている人間がいる、と誰かに伝えたくてこの文章を書いた。
できれば彼が自ら命を絶つことなく、筆を折らず、無名作家のままでいてくれることを俺は願う。
無茶な願いだろうな。
仕事にかこつけて、若い女の子と軽井沢をドライブし、お土産屋に立ち寄る。別々の部屋をとってはいるものの、今夜は一緒のホテルに泊まる予定だ。
「これこれ、見て!」
お土産屋を見ながら彼女が差し出したジャムの瓶を手に取り、字が細かいので自然に眼鏡を少し持ち上げる。その様子を見て
「おじいちゃんだ!」
と言って彼女は天真爛漫な様子で笑う。
「そうなんだよ、老眼が進んでね」
二十歳の頃、2度目か3度目の恋をした時にはじめてわかったことを思い出す。
ちなみに初恋は小学生の頃、相手は手をつないで一緒に学校に行く近所の女の子だったから、右も左も分からない恋愛感情だった。その一方で、きょうだいが夢中になっていた歌謡曲や、手当たり次第読んでいた小説の中にもあった恋愛の話は、そのほとんどに共感できないし、興味もないと思っていた。むしろ世の中では、なぜこんなに恋の歌しか流行らないのだろう、と本気で疑問に思っていたくらいだ。
でも、その二十歳の恋を意識した瞬間、多くの歌や小説や、そのほかのスキャンダル、世界を動かす人々のモチベーションの半分か、いやそれ以上が、恋愛によってもたらされていることが手に取るようにわかった気がした。突然に、分かったと思った。
あの二十歳の恋以降、ずっと女性は自分にとって、多かれ少なかれ「狩りの獲物」だった。自分のものにできるか、できないか。それが価値基準だった。でも、この歳になって、そうでない女性の側面を見るようになった。男性とは少し違う存在として、自分の学歴やキャリアを築いていく不安、生活、結婚、病気などの不安、そういう女性たちの気持ちに多少なりとも共感できるようになった。二十歳の恋で、それまで見えなかった世界の半分が見えるようになったと思っていたが、残りの半分はいつの間にか見えにくくなっていたみたいだ。
自分にとって「狩り」に夢中になれる時代は終わりつつあるらしい。ときめくような感情は残っているものの、若い女の子を獲物としてではなく、一人の人間として感情移入し、また育てる対象として見る余裕が出てきたようだ。そういう自分に少し当惑しているが、でもこれも悪くないと思う。
デートの後、どうやって部屋へ誘おうかと悩む必要はもうないらしい。忘れかけていた世界の残り半分へ、自分がまた戻りつつある。
老いていくのも悪くない。
他人が書いたふりしてるけどjou2でしょ。
そしてなんで格ゲープレイヤーがゲーマーの代表だと思ってるの?そりゃ確かに日本の格ゲーマー強いけど。
言ってることがすべて間違ってるとか言うわけじゃないけどeスポーツの世界は色んなジャンルがあるから君が思うより何倍も広いし、
自分が賞金いらないとか、大会さえあれば実力を見せられるし名誉が得られるし十分だからって、同じような層がいるからって、
2000年代からいくつかのゲームで大会出てるけど普通に賞金あったほうが滾るしまとまった賞金得た時には実際助かったしゲームをもっと続けるための言い訳ができたと喜んだものだけど。
金の話してるのがゲーマーでもなく視聴者でもなく本当は選手やシーンに興味もなく感情移入もなく金でしか物が見れない汚らわしい銭ゲバだけだと思ってるの?もっと色んな知り合い増やしたほうがいいよ。
男の全てが無軌道なオオカミで性犯罪者なわけでもないし、すべての女児が、早熟な友達に誘われてネットでAV動画見せられたら白目をむいて気絶するほどの潔癖なわけでもない。
そもそも、エロシーンを見せる=性教育、というのは、むしろ増田が嫌っているであろうエロで無軌道なオオカミ男(まぁそういう男性の存在するのは仕方がない、にんげんだもの)と同じ発想だと感じる。
合わせ鏡だ。
追記であれやこれや注文を付けているが、性的マイノリティについての言及が全くないのも残念だなと思う。繊細な性質の女児への配慮は当然必要だが、同様に、繊細な男児もいれば、自分はどちらにも感情移入できないと不安抱える性的マイノリティの児童もいるだろうに。
ミサンドリーやなぁ、と邪推はするものの、増田が男性のセクシャリティにどんな感情を持っているか以前に、性別関わらず、自分以外の人間の存在や感情をすべて踏みつけて当然、といった様子なのがとても気にかかる。
もし、増田が男性から何らかの性的なトラウマを植え付けられた被害者だったとしても、いや、だったとしたら尚更、自分以外の人間(性別問わず)の感情も、増田自身の感情と同様に、大切に尊重するのがスジなのではと思う。