はてなキーワード: 怠惰とは
意識高い系のやつらが「パンティーが趣味」って言いがちな感じがあったよね。
「日々忙しい仕事もパンティーで整えばまた頑張れます」みたいな、なんか「俺忙しい」アピールのやつ。
ブルセラとかじゃなくて昔ながらの銭湯とかの併設サウナとか郊外のスーパー銭湯にわざわざ行って
「俺オシャレだけじゃなくてこういう文化も良いと思っちゃうタイプみたいです」みたいなアピールするやつ。
なんかパンティーでイキタイとかみたいな、気の使ったデザインが多少入ったスキャンティーだのTバックだの履いてきて
あと、なんかTwitter見てたら微インフルエンサー崩れみたいな、
普段は頼まれもしないのにビジネスの心得とか名言とか呟いてる系のビジネスマンが
「パンティーってなんでレースがついてるんですかね?心を鎮めたいのに騒がしいとかありえない」
みたいなこと呟いてお追従リプで「僕もそう思ってました!」とか「ほんとそれです」とかついててさ、、
俺はそこでキレたね。
はあ?ブルセラってのはなあ、元々人生黄昏れてるオッサンの憩いであって
そんな高尚なもんじゃないんだよ。
家庭に給料運ぶ以外特に生きてる価値のない無趣味なオッサンとか、
墓に入るの待ってるなんにもやることないジジイとかのつかの間の憩いなわけ。
金も文化資本も持たないし、運動する体力もない俺らもう終わってるオジサンの
誇ることのできない、きたない汁を出すだけの怠惰な趣味なわけよ。
ブルセラ好きすぎて睾丸に負担かかりまくって結局亡くなってしまった西城秀樹さんのようなさ、
それがさ、ヨッピーとかも悪いんだけどさ、
現代ビジネスマンのセックスワークとかそういう今っぽい感じとかとサウナをくっつけてさ、
なんか一見意識高くない風に「意識高い」文化に持ってこうとしてる感じがマジでむかつくわけ。
一見意識高くない、っていうのが最近のサブカルチャー界隈の小賢しい偽装なんだけどさ。
陰キャだけどインフルエンサーになりたいなら堂々とそう振るまえよ。(これはヨッピーに言っているわけではない)
そういう細かいくだらないこと言い出した大衆文化はみんな衰退してくのよ。敷居が高くなってくからさ。
「パンティーにレースはいらない」とかさ、そりゃおめーの勝手だけど、レースのないパンティー履けよ。
ブルセラってのは、そういう猥雑で、わざわざ趣味とか言い出すような日の当たるものじゃなくて、
パンティー見終わったらビール一気に飲んじゃったりして、健康かどうかすらわからないような、
価値観の判断から離れた、日常生活の隙間に入ってくる、一人のゆたかな時間であるべきなのよ。
マジでむかつくわ。
意識高い系のやつらが「サウナが趣味」って言いがちな感じがあったよね。
「日々忙しい仕事もサウナで整えばまた頑張れます」みたいな、なんか「俺忙しい」アピールのやつ。
テルマー湯とかじゃなくて昔ながらの銭湯とかの併設サウナとか郊外のスーパー銭湯にわざわざ行って
「俺オシャレだけじゃなくてこういう文化も良いと思っちゃうタイプみたいです」みたいなアピールするやつ。
なんかサウナイキタイとかみたいな、気の使ったデザインが多少入ったサイトだのTシャツだのできて
あと、なんかTwitter見てたら微インフルエンサー崩れみたいな、
普段は頼まれもしないのにビジネスの心得とか名言とか呟いてる系のビジネスマンが
「サウナってなんでTVがついてるんですかね?心を鎮めたいのに騒がしいとかありえない」
みたいなこと呟いてお追従リプで「僕もそう思ってました!」とか「ほんとそれです」とかついててさ、、
俺はそこでキレたね。
はあ?サウナってのはなあ、元々人生黄昏れてるオッサンの憩いであって
そんな高尚なもんじゃないんだよ。
家庭に給料運ぶ以外特に生きてる価値のない無趣味なオッサンとか、
墓に入るの待ってるなんにもやることないジジイとかのつかの間の憩いなわけ。
金も文化資本も持たないし、運動する体力もない俺らもう終わってるオジサンの
誇ることのできない、きたない汗を毛穴から出すだけの怠惰な趣味なわけよ。
サウナ好きすぎて血管に負担かかりまくって結局亡くなってしまった西城秀樹さんのようなさ、
それがさ、ヨッピーとかも悪いんだけどさ、
現代ビジネスマンのノマドワークとかそういう今っぽい感じとかとサウナをくっつけてさ、
なんか一見意識高くない風に「意識高い」文化に持ってこうとしてる感じがマジでむかつくわけ。
一見意識高くない、っていうのが最近のサブカルチャー界隈の小賢しい偽装なんだけどさ。
陰キャだけどインフルエンサーになりたいなら堂々とそう振るまえよ。(これはヨッピーに言っているわけではない)
交互浴の正しい手順、とかさ、温度が、、とかさ、
そういう細かいくだらないこと言い出した大衆文化はみんな衰退してくのよ。敷居が高くなってくからさ。
「サウナにTVはいらない」とかさ、そりゃおめーの勝手だけど、TVないサウナいけよ。
サウナってのは、そういう猥雑で、わざわざ趣味とか言い出すような日の当たるものじゃなくて、
サウナ終わったらビール一気に飲んじゃったりして、健康かどうかすらわからないような、
価値観の判断から離れた、日常生活の隙間に入ってくる、一人のゆたかな時間であるべきなのよ。
マジでむかつくわ。
俺はそろそろ嗜好用大麻が解禁するって海外のある街に行った際、地元の人の大麻についての価値観にカルチャーショックを受けた。
そこから、自分なりに調べたりしているんだが、雰囲気で「やばいやつ」、「人間をだめにする」みたいな考えが日本では流布していることがとても気になっている。
今、一部の地域で嗜好用大麻が解禁しているが、欧米では数年後にはほとんどの地域の嗜好用大麻が解禁になるだろう。
ここから、先進国での大麻についてのギャップが更に生じてくると思うし、日本はどういう道を歩んでいくか?というのを正確な情報を得て、
幻覚剤はLSD、マジックマッシュルームなどで大麻はそこに分類されない
ここは環境要因などといったところによるところがあると思うで一概にゲートウェイドラッグというものは定義できないとおもう
ただ、データとして上げたいのは日本の大麻、覚醒剤の摘発数(https://www.mhlw.go.jp/content/11120000/000544241.pdf)
大麻の摘発数が上がる一方で覚醒剤が減少しているというのをみると、
大麻がゲートウェイドラッグではないという1つの反例となるのではないか?
肉体依存というのはないとは言われているが、酒などと同様に精神依存はある
逆にグリーンラッシュという言葉で大麻ビジネス産業でとても利益を生み出している
まずは、大麻というのが長年に渡り、酒、タバコと同じように一般社会に行き渡っているから
また、摂取割合はさほど変わらないのに有色人種が逮捕される割合が多く、人種差別の温床となっていたから
一時的な健忘症となり日頃悩んでいるような慢性的なストレスから開放される
五感が研ぎ澄まされ、娯楽が楽しくなる
空腹作用があり、食べ物が美味しく感じる(逆にこの作用により肥満になりやすい)
注意散漫となる
今の日本の大麻摘発数の上昇を見ると、使用者が増えているのは確か
このまま進んでいくと、他の国と同じように蔓延し、解禁すると思っている
逮捕者が大量発生してなし崩しに解禁というのは脱法行為が正しかったみたいでとても気持ちが悪い
しっかり、討論をして、どうやっていくのか話し合って解禁するのか?それとも正当な理由、根拠でこれからも禁止していくのか?というのを国民は考えるべきだし、国は方針を出してほしい
2020/1/19(コロナ前)
去年結婚した。結婚に伴い、新卒より働いていた会社をやめ、福岡に越してきた。Web系に再就職したが、給料が安い。自分で選んだとはいえ、みじめだ。仕事はキツくないが、常に追われている感じはずっと続いている。根底には常に焦燥感がある。これならば、前職と変わらないではないか。むしろ、前職の方が良かったかもしれない。
福岡に来て、友達と遊ぶ機会がなくなった。代わりに夫と過ごす時間が増えたが、既にマンネリ気味だ。
他者との交流の代替なのか、kポップのペン同士で交流にのめり込んできた。はじめは、EXOが好きだった。今も好きだけど、どちらかというと、フォローしている人とやり取りするのが楽しくなってきているのかもしれない。一度もあったことがないのに、ツイートを見て、リプライして、現実の友人よりプライオリティが高くなっている。情けない話だ。
プライドが高いせいで、フォローしている人と自分を見比べ、渡韓できないのが悔しくなってしまっている。〇〇がしたい!と思っても、夫の目が気になったり、実際に止められれて、出来ないことが増えた。一人暮らしをしていた時より、不自由なことが増えて、ひとりの時間もなくなり、「結婚とはなんだったのか?」と考えるようになった。
結婚すれば、必ずしも幸せになると盲目的に信じてたわけではないのに、今直面している現実を受け入れられない。不幸なことに、私は金銭的な理由で、離婚なんて決断はできず、おそらくずっとこのままだ。
この状況が好転することはあるのだろうか。薄々気付いているのは、どんな状況でも不平・不満は必ずあると知っていること。それを承知の上で、この先もずっと、この不幸は続いていくのだ。
来年こそはイギリスに行こうと思ったとき、私に来年があるのかと思った。自殺はしないだろうから、来年はあるのだけれど、自由に出来る身体なのか、自由に決断できる環境なんだろうか。
あの時はこんなことを考えるようになるなんて、思いも寄らなかった。新しい人生の始まりに胸がわくわくしてた。まさに、一寸先は闇。
「終わった」人生は、とても味気なく、何のためにこの先も生きていかないといけないのかと考える。いや、考えないようにしてるが、もはや私の人生を生きていた時の気力はなくなった。
顕著なのは、外見がそこまで気にならなくなったこと。そこで、カンフル剤のように私の人生に、喝を入れているのが、EXOだから、これはもう宗教なのかもしれない。
中高での毎日の礼拝は何も響かなかったが、今なら懸命に祈るかもしれない。どこに向かって、人生を進めているか分からない者にとって、キリストの教えは羅針盤のように道を照らしてくれる。古くから人々が宗教にすがってきた理由がよく分かる。
この先もずっと続くであろう鬱々とした私の人生の霧が晴れることはあるのだろうか。それとも、「諦めが肝心」と自分を納得させるしかないのだろうか。おそらく後者であるが、現状を打破する方法が皆目検討つかない。いや、わかってはいるが、怠惰な自分がそれを選んでこなかっただけだ。
いつから、私の人生は終わっていたのだろうか。絶頂期をすぎ、暗く長い坂をゆっくりと転げ落ちている。行き着く先は地獄だが、あまりにゆっくりとしたスピードなので、到着地が地獄なんて気付かなかった。まあ、人生なんてそんなものなのかもしれない。
結局死に向かって突き進むほかないのだから。
この日常に耐えきれなくなったら、その時、また人生について考えようと思う。
2020/1/19の私の日記は、私にしてはよく書けていて思わず感嘆してしまった。
いまの私は五月病なのか、暗い日々を過ごしている。2020/1/19に比べ世界は大きく変わった。大袈裟ではなく、あのコロナウイルスによって生活様式が一変した。「世界が変わった」と言っても差し支えないはずだ。
私自身の環境も大きく変わった。生活を良くするために仕事を変えた。元鞘に戻ったというのだろうか。住むところも変わった。
なのに、この憂鬱な結果はなんだろうか。
ずっと纏わりつく閉塞感、無気力感。当時感じていた強い絶望感はないけど、じわじわと私の気力を奪っていく。何をしても楽しくない。何も食べたくない。もはや人生の目標なんて考えない。目の前の時間を問題なく過ごすことで、いっぱいいっぱいだ。
八方塞がりに近く、ただ日々の時間が過ぎるのを待つ人生。これが、これからも続くのだ。ぞっとする。
コロナで死ぬと遺体となっても、家族と対面出来ないまま灰となる。それは、あまりに酷だ。私は魂の救済や輪廻は信じていないが、遺された家族があまりに不憫で可哀想だ。今までは無かった死に方は、遺された者に多かれ少なかれ影響を与える。なるべくなら、そういう最期は避けたい。
だが反面、不可抗力にも近い形で人生を終わらせることが出来るコロナは、今の私にはとっては福音でもある。恥ずかしい話だが。
あまり苦しまずこの生を終わらせたい。出来れば、交通事故のような突然死ではなく、徐々に時間をかけて自分が死ぬ事実を、家族が理解できるスピードで終わらせたい。
流行りの病で亡くなった事実は、あまりにやるせないが、死に対して一定の説明責任を果たす。本人の精神状態を問わず、運悪く流行りの病に罹患して命を落とした事実だけが残る。精神が鬱屈していたかどうかは関係ないのだ。無視される。好都合だ。
この世界を変えた感染症が収束した時、私の気分は少しでも晴れているといるだろうか。おそらくだが、そこまで明るくなく薄暗いじめじめした中をナメクジのように這いずり生きているだろう。最悪だ。
これは免責事項だが、この文章はホッテントリに浮上しているほぼ同一テーマの増田とは一切関係がない。俺があれらを、例の増田とそれについての言及全てを読んだかどうかはお前らの知るところではない。そしてこれは単なる一個人の身に起こったことであって、白状するとタイトルは風呂敷を広げまくっている。誰かの子供が俺と同じIQと発達障害とを持っていたとしても、俺と同じ末路を辿るとは限らないし、おそらく俺は道を踏み外しまくっている。誰かがこうならないようにこの一瞬だけ適当に祈っておく。
まず具体的数値を挙げる。具体的数値というのは俺が中学2年の春頃に児童精神科で受けたWISCの結果の話だ。ちなみに俺の持つ発達障害というのはADHDであってそれ以上でもそれ以下でもない(数学的に言えばどちらでもある)。こちらにも責任というものがあるし、何よりもこれらを挙げずしてなんとなく高IQっぽさを示唆するだけというのは信憑性にもエンタメ性にも欠ける。
知覚推理:133
ワーキングメモリー:115
処理速度:118
どういう計算をすればこのような(例;なぜ下位分類4つの平均を全検査IQが上回るのか?)ことになるのかと言ったような、検査そのものに関する疑問には答えられない。それは俺も知らないしこれから俺が書かんとしていることには特に関係がない。標準偏差15の世界では70以下と130以上が異常値とされるそうなので非常にスレスレではあるがタイトルには高IQと入れた。だから何とかではなくこれから書くことにもこれらが密接に関わっているかと言われるとそんなことはない。深い意味はないし、インターネットではしばしば非・インターネット界との語彙の乖離が見られるので、これを読んでるお前が数値の高いか低いかを勝手に審査すればいい。オタクが勝手にMARCHをFラン扱いするようにな。
小学生の頃から勉強に困ったことはなかった。というか今でも小学生レベルの勉強に困る人間というのはちょっと想像し難いのでこれは何の自慢にもならないだろう。なので具体的なエピソードを挙げてどうこうというのは出来かねる。本当はこのタイミングで中学受験をするかあるいは駅の近くにあるような塾に通ってみるかすればよかったんだろうが自分の親はあまりそういうことを提案してくるタイプの人間ではなかった。のでそうしなかった。
中学に入ったばかりの頃はもう自分が無敵だと思っていた。受験も何もないただの公立中学での話でしかないのにだ。テスト勉強なんてほとんどしなくても学年1位を取った。一つのテストで5点以上失点はしなかった。書けることがあまりない。なぜなら何にもしてこなかったからだ。努力から逃げ続けてきたからだ。なのにそれを自分の能力のおかげだと思い続けてきた。実際には親ガチャだ。俺はSSRを引いて育成をサボった。本当に書けることはない。
これって俺が悪かったのか?(結論から言えばそうである)俺は勉強ができようができまいが怠惰な人間であることは確かだ。なぜなら俺は体育の成績が2だろうが3だろうが全く改善しようとしてこなかったからだ。五教科だって向き合い方としては変わらなかったはずなのに勝手に5が印刷されていた。じゃあなんで勉強ができるように設定されていたんだ? 初めからそこら辺の能力値を低く見積もってくれればよかっただろ。そうすれば俺は怠惰の対価として馬鹿を払うことができた。今は完全にそこら辺の感覚が麻痺している。
結局自分は恐ろしいくらいの怠惰と何かしらの何かが理由で学校を休むようになったし、授業を受けないのに家でも勉強しない(する習慣がない)からテストの成績もガタ落ちした(具体的に、いつ頃からどのように落ちたかすら全く記憶にない)。元から生活や人間関係は終わりまくっていた。ここでいう終わりとは発達障害の弊害として一般に思い浮かべられるそれとほとんど同じと考えてもらっていい。勉強ができるから優等生だと思われていただけで実際の人間性はゴミクズだ。勉強すらできなくなったので完全にそれが露呈していった。出席日数が足りないので地域で最も荒れていた公立のカスみたいな高校を受験するしかなかった。俺が1位を取り続けた間2位だった奴は県で一番の高校へ進学した。友達の、物分かりが悪いが努力家だった奴もそこそこの高校へ行った。俺がそこそことか評価する資格は別にない。二人ともめちゃくちゃ努力家だった。
俺はそのカスみたいな高校すらすぐに通えなくなって中退した。高校でのことはほとんど中学時代の後半と変わらない。
高認を取って今は受験を控えている。生まれてこの方努力というものをしたことがないので受験勉強もどう手をつけていいのか分からない。志望校も決めていないが多分落ちるだろう。もしくは高校と同じでカスみたいな私大にしか受からないだろう。模試も受けたことがないので判らない。申し込んだこともないしこれからそうしようとも特には思わない。結果が出たら自分の偏差値や全国順位みたいなものが出るんだろ。俺は何も模試の申し込み方法や受験会場を調べるのが億劫なわけじゃない。それらを目の当たりにするのが怖いだけだ。
努力するのが怖い。俺が今までに経験してきたのは「努力しなかったが上手くいった」場合と「努力しなかったので上手くいかなかった」場合だけだ。努力して上手くいかなかった場合にどうすればいいんだ? みんな、必死にテスト勉強をして、受験勉強をして、それで一位を取れなかったら、通える範囲内で最も偏差値の高い学校へ受からなかったら、どうするつもりだったんだ? どうしてたんだ? 俺はどうすべきだったんだ?(俺がすべきことが努力だったのは明白だ)
全ては個人の感想であって、もっと言えばこの文章は全て創作だと思っていただいても差し支えない。これが本当のことかどうかを確かめる術はお前らにない。ただ、もし自分のことを天才だと思っている中高生が、あるいは自分の子供がギフテッドだとか思っている親がこれを読んでいたら、考えを改めたほうがいい。それが難しければ孫正義育英財団でググって財団生紹介のページを上から下まで眺めてみればいい。そして学校にちゃんと通って、真面目に机に向かって、何よりも俺みたいにならないでほしい。それ以外に言いたいことはない。
仕事が忙しくて、気力が底をついて(元々怠惰な性格なのもあって)、歯を磨かないから虫歯がいくつもできて
部屋はペットボトルやチラシや髪の毛とかがおびただしく散乱してて、食生活が乱れて体重増えて
洗濯も億劫でなかなかできないから、下着や靴下だけ新しく買ってやたらに数が増えていた
しかし、内面の言語化の部分はあんまり似ていたと感じないのが不思議だ
よく分かるっていうブコメたくさんついてるので、元増田の感じ方は人として一般的なのかもしれないけど
自分の場合は、とにかくただただ億劫で面倒で何もしたくなくて、でも生きてるとそれでも食事や洗濯や仕事しなきゃいけないから、死にたかった
もう嫌だ!という怒りと絶望みたいな感情はあったけど、それは職場じゃなくてもっと広く、全人類みたいなのが対象だったかも
弱みを隠そうとしてたのは元増田と共通してるけど、それは見せたら人に嫌がられて怒られて、もっと辛い目にあうと思ってたからだった
でも、自覚できる感情って実は大して当てにならないのかもしれない
外形的に似てることの方が、こういう話では意味があるのかもしれない
いや、ほんとにマジで。
ネットが「使えない」「わからない」んじゃなくて「使う気がない」「わかろうとしない」だよね?
うちの親も相当な機械音痴でガラケーからスマホに変えるときに「スマホは使い方が分からないから」「LINEなんて何をやっているか全くわからないから使わない」なんて言ってたのよ。
それがスマホを使い出してからは今じゃ毎日LINEしてるし、YouTubeでいろんな動画見てるし、ネットで調べ物をするくらいのことは全然普通にできるようになったわけ。
要はなんだかんだいったってやってみれば意外とやれるもんなんだよ。毎日ちょっとでも触ってれば嫌でもやり方はわかってくるもんなんだよ。
それを老人という名の怠け者たちはなんだ?「使えないから」「わからないから」「難しいから」って最初っからパソコン、スマホ、ネットを使う努力すらしてねえ連中ばっかじゃねえか。
確か70代だか80代でプログラムやってるおじいちゃんだかおばあちゃんの話もあったし、70代だか80代でユーチューバーやってる老人もいるよな。やる気がある人ってのは何歳になったって新しいことに挑戦してるじゃねえか。
それがだ。新型ウイルスのワクチン接種なんていう、老人にとっては自分の命にもかかわる問題なのにスマホを使う努力をしない、ネットを使う努力をしないって俺からみりゃ不思議でしかしょうがねえよ。
そのくせ首長が先にワクチン接種してればズルいとかなんとかほざいてんだって?ほんとわからねえわ。
まぁ、老人に限った話じゃねえんだけど、知らないことを調べない、学ばない奴ってのは切り捨てられたってしょうがねえだろ。そいつらのためにどんだけ今の日本が不便でアナログな世界になってんだよ?
最近話題になったどっかの大企業の話じゃねえけど、そういう怠惰で怠け者な奴には4000万払ってでもこの世から退場してもらったほうがいいんじゃねえのか?
親や周囲の大人たちがどれほど冷たかったか、それがいかにして私を駄目人間に仕立て上げたかを書いているつもりだった。
でも自分がこの年齢になると、親や担任が何を考えて発言していたのか分かっちゃうんだよね。
子供の頃はひどい・冷たいと感じたけど、今考えると一般的な意見だったんだよな。
そして、自分を駄目人間へと導いたのは間違いなく自分自身だということが明らかになってしまった。
なぜこの進路を選んだのか…親に言われたから。なぜ勉強をしなかったのか…欲を満たす事ばかり考えていたから。なぜ自分から逃げたのか…実力に伴わないプライドがそうさせた。なぜ時間が沢山あった大学時代に何もしなかったのか…ただただ怠惰で無計画だった。なぜ未だに親のいいなりになっているのか…これが一番楽だと分かっているから。
これまでの自分の愚かさは理解できても、これから先を愚かさゼロで生きていくほどの知性や理性は無いと、それも分かってしまっている。
私の人生、16歳でコケて、そっから10年立ち上がることも成長することもできずに来てしまった。
これからどう生きよう。
何が正解なんだろう。
もちろん全部読んでるよ。
でも判断できない部分は知識不足でやっぱあるし、そういう部分は調べる時間もないから、権威がある媒体だからある程度は信頼してゆだねてる。
そうするしかないって感じかな。
あと少しで30歳になる。
恋人もいなけりゃ友人もいない。
まずは収入を増やしたい。いきなり正社員は無理でも、派遣社員?とかに応募すればアルバイトより稼げるだろうか。
とにかくまずは収入面の解決が底辺を脱する一歩目だということは分かる。
収入以外は……何すればいいんだろう。
やっぱり友達を作るべき?
いやその前に見た目を小綺麗にすべき?
いやいや外見の前に頭の悪さと性格を治すべき?
いやいやいや頭の悪さって治るもんじゃなくない?本読めばいい?何の本を?
性格はもっと治るもんじゃなくない?もう30年近く「寝るのが好き」「ベンキョー嫌い」って言いながら生きてきたが?
あれっやっぱり脱底辺なんて無理じゃん。
せっかく日記書いたのに。
これと近い話かもしれないけど、「怠け者だから」という理由で物事を自動化するというエンジニアを見ることがあるが、あれほんと嫌い。
そういう仕組みづくりは脳みそを使ってるわけで、全然怠けてる訳じゃないよ。
これのどこが怠惰か。
でもそれをアイツらは怠けって言うんでしょ?
俺が高校生くらいから怠惰になっていった理由が分かった気がする。
俺は友達を作るのが苦手だったけど、その子からよく話しかけてくれた。遊びにも誘ってくれた。
学校でも休日でも一緒に行動していたから、勉強する時と遊ぶ時のオンオフの切り替えが上手くできていたと思う。
高校では文系と理系で分かれてしまい、その友達と行動することは少なくなった。
俺はやっぱり友達作りが苦手で、でも一人でいるのが好きだったからあまり気にせずにいた。
親との関係が悪くなった事、成績が下がった事を相談できる相手がいなかった。
俺は独りよがりな考えで自分を甘やかして、漫画ばっか読んで現実逃避していた。
俺は元々怠惰な人間だけど、誠実な友達といる時はそれを抑えることができていたんだと思う。
友達に嫌われたくないから頑張るとか、純粋に友達から良い影響を受けていたとか、そんな理由だろう。
一人でいるのが好きだ。一人でいる方が楽だ。それは本当のことだけど、友達なんかいなくていいってのは嘘だった。俺には友達が必要だだったんだ。人間関係をサボっちゃいけなかった。
誘う必要が無いとすら思っていた。一人でも新しい事に挑戦するのはめちゃくちゃ楽しかった。
でも違ったな。
もっと誰かと会話しないといけなかった。
楽しい事でも嫌な事でも下らない事でも、何でも。
俺はずっと自分一人で悩んで、逃げて、怠けて、また悩んでって繰り返してきた。
やればやるほど嫌になった。
多分、俺の人生の間違いなんて大量にあるんだけど、その内の一つはこれだと思う。
友達なんていらないと思い込んだこと。
学生の頃ぴあでチケット争奪戦をやって繋がらないつながらない、人気のチケットだから仕方ないなと思ってたけど
自分がエンジニアになって思うのは繋がらないのはぴあのエンジニアの怠惰か予算がないだけだなと分かってしまった
ずっと前から今も人気のチケットはそうなので、おそらく繋がらないことは悪いことという倫理観がもうないのではないだろうか
まぁぴあだけじゃなくてイープラスもローチケも全部同じだ、ただシステムが弱いだけ
何分も繋がらなくてようやく決済に進んだと思ったら在庫切れとか確定ボタンを押すと接続エラーでやり直しとか最低のユーザビリティだと思うけどその感覚がないんだろう
こんばんは弱者男性です。
それは大変つらい思いをしましたね。客観性や公平性について他人からいろいろ言われるかもしれませんが増田が感じたこと自体は真実として受け止めます。
増田が出した内心の結論や今後の人生の選択についても尊重します。それは他人からどうこう言うものでもないですし。
元の記事を読んで想像できなかったんですが、増田が指摘している「理解のある彼くん」を盾に精神障害持ち女性を攻撃していた自称弱者男性はツイッターユーザーだったんですね。その部分で自分の認識に齟齬があったみたいです。
自分は、この手の話題のツイッターは見ていないので気づいていませんでした。ツイッターであれば攻撃者が普段どのような属性を自称しているのかを追うことができますしね。
ところで、なぜ弱者男性の主張がブログなどではなく、はてな匿名ダイアリーに書かれるかわかりますか?まわりに弱者男性だと知られると、余計立場が悪くなり男性からも女性からも激しく非難されるからです。相手に不快感を与える外見や言動を改善しようとしない努力不足だとか、抜け出すための努力をしない怠惰だとか、いつもネットで女性を攻撃しているというような(自分にとっては)身に覚えのない非難です。男にとって自分の弱さを表明することはとても恐ろしいことです。普通は餌食にされるだけでまったくメリットないですからね。
だから弱者男性は日常でもネットでもよっぽどのことがない限り助けの声を上げることができず、それゆえ善良な弱者男性はなかなか目につきません。
自分からすると、ツイッターやブクマのようなハンドルネームとはいえ過去の発言と結びつくようなメディアで差別や被差別について発言できるような人は、ある種の強者に見えてしまいます。ここは増田と感じ方が違いそうなので同意してくれなくていいです。
もしよければ増田の言う精神障害持ち女性を攻撃する自称弱者男性のツイートのURLを教えてください。今からでもツイッターアカウントを作って否定・批判しに行きます。
嘘だと思いますか?ここ数日のはてな匿名ダイアリーで目についた女性に対する酷い発言にはすべて批判のトラバを書き続けてきました。探してみてください。