はてなキーワード: 怠惰とは
ただのjQueryコーダーですが、1000万を超えていることが不思議ですよね。
職歴。
接客業はヤバいお客さんがくると一瞬でストレスMAXになるため、
これはおれには生涯の仕事にはできないと気づく。
文章を書くよりhtmlを書くほうが楽しいぞ…とアルバイトで某価格比較できるサイト.comの運用に潜り込む。
やる気があったので、あまりに退屈な運用仕事に飽き飽きし制作会社へ転職。
ウェブ制作会社総ブラック時代。みんな会社に泊まって受託の嵐。
偉い人の怒号が飛ぶ中、違法薬物を使って、そうな人を横目にもりもりコーディングする。
中村勇吾 of GODに感化されるウェブ業界、Flash高額見積もり大儲け。
そして当然、エディタを見るとPCを自分ごと窓の外に投げ出したい病に……。
お金を使う暇がなく貯金がモリモリ貯まっていたので、魂を絞り出し辞職願いを出す。
徐々に復活したので再び就職。
しかし、時の流れか、運が良かったのか、徹夜なんて年に数えるほどしかない素敵な会社。
FlashはAppleに殺されていたので、JQuery、CSSアニメーション、Wordpressを学ぶ。
ActionScript3先生に鍛えられていたため、簡単すぎてほっこりした気分で仕事をこなす。
給料は下がったものの、欲望は坊主並になっていたためお金は貯まり続ける。
ふと、お客様に提出している見積もりに対して自分の給料って低すぎなのでは……?と気づく。
だってこれ、ほぼ自分で完結してるよね?残りのお金はどこへ?あれが社長の車……?
先に退社してフリーランスになっていた人に話しを聞くと、給料の倍は余裕で稼いでいるとのこと。
仕事あるよ!と後押しされてそのままフリーランスに(その後、彼から仕事は来ることはない)。
フリーランスになった旨を以前の会社の知り合いなどに伝えるとそこから徐々に仕事がくるように。
ここで学びは止まる。
10年前とまったく同じことをしている。
にも関わらず年収が増え続け、ここ数年は1000万前後で安定している。
はてなブックマークを見ていると、やれReactだJAMStackだと飛び交っているが、
私の世界のホームページ(主に広告、コーポレートサイト)は未だにJQuery、CSS、Wordpressで用途を満たしている……。
ちょっと勉強したら誰だってできる仕事でも、これくらいは稼ぐことはできる。
いつまで続くのか不安を抱えてはいるが、とりあえず生きていくことはできそう。
もう勉強したくないみんなに伝えたい。
こんな程度でいいのだと。
弱者男性は努力が大嫌いなんだからそんな機会提供されても理由つけて行かんやろ
努力が嫌いだから男性という特権を持ってるにもかかわらず勉強も運動もコミュニケーションも学ばずに落ちぶれてるんだからな
今だってマッチングアプリじゃなくて地域の婚活会社に行けばだいたいそういうファッションとか教えてくれるコースも選べるだろ
今、20~30代の年収のボリュームゾーンは中央値420万くらいで、300~500万の間に収まってる訳だけど、彼らの大多数は、大学に通ってんだよね。
年間100万~+仕送り120万あたりを4年間使う程度の経済力を親も持っている。
塾にも通ってるだろうし、大多数は新聞配達など児童労働のために勉強する時間もなかった、なんて家庭ではない。
これで結果が出ないなら、本人が無能なだけ。
・増田は「大多数は」ってしきりに言うけど、日本の大学進学率ってせいぜい55%なのよね。
参考)https://www.mext.go.jp/component/b_menu/other/__icsFiles/afieldfile/2019/08/08/1419592_1.pdf
自分が貧しいのは社会のせいだなんて言ってる奴らの90%は、単に無能なうえに怠惰に生きて来ただけだよ。
「俺が貧しいのは社会の問題だ。政治が悪い」と言ってる奴の圧倒的多数は、行くだけ無駄だった私立大学や専門学校の学費を払える家庭に育ってる。
「俺が貧しいのは社会の問題だ。政治が悪い」と言ってる奴って、だいたいは増田が言及していない(無視している?)45%のほうにいるんじゃないかな。
・大卒(55%)についても、「これで結果が出ないなら、本人が無能なだけだ」と増田は言うけど、日本人の平均年収って90年代前半をピークに減少に転じて、ここ数年少し持ち直した程度なんだよね。要するに、いつ育っていつ就職したかが年収にあからさまに反映されている。
もっとはっきり分かる例を挙げるなら、このコロナで就職難になる新卒について考えてみればいい。その人たちはコロナ前に楽勝で就職していた世代よりも無能で怠惰だから就職難になるのかな?能力や勤勉さより、生まれてきたタイミング、就職するタイミングがあきらかに物を言っているよね。
参考) https://www.jil.go.jp/kokunai/statistics/kako/2017/documents/useful2017_21_p304-348.pdf
・増田はなぜか日本と他国を比較しないけど、例えばミャンマーの人たちが日本の人たちと比べて相対的に貧しい傾向にあるのは、ミャンマーの人たちが無能で怠惰なせいだと思う?おれはミャンマーの人たちと日本の人たちの年収の多寡の違いを生んでいるのは、基本的に単に生まれた場所とタイミングによるものだと思うけど。
日本人の20~30代が今の年収なのは、その人たちが20~30年前に日本で生まれて日本で育って就職したからで、結果としてミャンマーの人たちよりは裕福で、親世代と比べれば貧しい。それは無能や怠惰が原因ではなくて、繰り返すけど、20~30年前に日本で生まれて、日本で育って就職したから、だ。個々人で見れば、それに加えて誰から生まれて誰に育ててもらったかなどが影響している。
年収の多寡って、本人の無能や怠惰よりは、誰から生まれて誰に育ててもらったか、どの国のどの地域でいつ育って就職するか、とか、そんなことのほうが要因としては大きい気がする。
何が弱者男性に対する差別なのか具体的に示されないとわからないって書いてるブクマカ、お前ら今後一切差別問題に首を突っ込んで意見言うな。何か言いたくなったらもう少し勉強して、人権意識をアップデートしてからにしろ。
弱者男性と言うとイメージしにくい人もいるようだからKKOにしてみよう。
「キモくて金のないおっさん」と聞いて思い浮かぶ、彼らがやってそうな正しくないことを10個書き出してみろ。
次に彼らに向けてそこから抜け出すためのアドバイスを10個書き出してみろ。
できたか?
彼らを説明する言葉はキモい、金がない、おっさんの三つだけであり、それ以外のすべては勝手なレッテル貼りだ。
その偏見に基づいて他の人と接し方を変えたり、批判したり、相手が欲しがってもいないアドバイスを押し付けたなら本格的な差別だ。
マックス・ウェーバーが示したように、宗教改革によって、労働は厭うべきものではなく、自分が救済されることを確認するための一つの手段となった。
労働は神聖な行為となった。すると貧困は救済すべき悲惨な状態ではなくなり、慈善事業は罪悪とみなされるようになる。
貧困を神聖なものと考える宗教的な感性から、貧困を非難すべきであると考える道徳的な感性への移行が生じたのである。
この感性によると、労働しないことは「神の力を試すこと」だった。これはすべての反抗の中でも、最悪の反抗とみなされるようになったのである。
このようにして監禁施設における労働は、倫理的な意味を帯びる。
怠惰とは最高の反抗形態であり、監禁された者は、それが経済的に収益をあげられるかどうか、有用であるかどうかとはまったく無関係に、強制的に労働させられるようになる。
施療院では病人の隔離だけが目的とされていたが、十七世紀以降の監禁施設では、監禁するだけではなく、労働させることが自己目的となった。
(フーコー入門)
最初に炎上したときになんだかなぁとは思っていた話題なのですが。
社民党から出されたこちらの声明(https://note.com/sdp_japan/n/n5ae62868e4f2)が話題になっているのを本日見て、ふとそのときの気持ちを思い出して考えていたらなんとなくネットにのせてみたい話を思いついた気がしたので書いている次第です。
結論から言うと、僕は伊是名さんや社民党の意見には全く賛同できません。
理由は単純で、この件に関してはJRに非がないと考えるからです。
僕は健常者です。
なので、障碍のある方々の立場、生活というものはいくら想像してもやはり理解することは難しいのだろうとは思います。だとしても重ねて言いますが伊是名さんや社民党の意見には全く賛同できません。
こういった形の炎上の大半は起こった『不利益、不条理』の中に潜む相手方の悪意を前提に話が進み、どんどんと話がよく分からない方向へ展開していくように思います。
この件では伊是名さんが『目的の駅へ行くのに大変な苦労をせねばならなかった』という『不条理、不利益』に対し、伊是名さん側はJRの『怠惰』という悪意を前提として話しているように感じます。伊是名さんはかなりの重量がある電動車いすに乗らなければ生活ができないそうです。ことの発端となったのは旅行の際の目的駅が無人駅で階段しかなく、事前連絡がないと人員の配置は難しく電動車いすを運ぶ対応ができないため隣駅での降車をお願いされたことです。この出来事を伊是名さんは『JRで車いすは乗車拒否されました(http://blog.livedoor.jp/natirou/archives/52316146.html)』とブログに書き、車椅子ユーザーへの無理解が原因で問題が起こったとの立場でJRを批判しています。このブログに書いてあることから『JRは怠けていると伊是名さんが言っている』と引き出すことは暴論ではないでしょう。
このブログがものの見事に炎上します。批判側は、タクシーの予約は1か月かかること、目的駅に階段しかないことなどを把握している(※上記ブログ参照)のに事前連絡を怠ったことに同じく伊是名さんの『怠惰』という悪意を見出して批判します。
そして、ここから『マスコミへの連絡を用意してるとかそもそも炎上目的なのでは?』という伊是名さん側の純粋な悪意を想像したり、『結局運んでもらった(※上記ブログ参照)のにありがとうの一言もないというのはなにごとか』という何よりもまずお気持ちの問題論がたくさん出てきたりして、どんどんと伊是名さんの人格攻撃の方面へと進んでいってしまい色んな方向に矢だの鎗だのが飛び始めます。
そしてこれが他の障碍者の方に刺さって『出かける度にありがとうと言う、つまり毎度誰かの手を借りなければ生きられないうしろめたさはやっぱり理解されない』という悲痛な叫びになったり、逆に『幼いころ横柄な障碍者の方にさんざんな目にあわされたのに、障碍者相手ということで親や教師はなにもしてくれなかった』という健常者の方の怨嗟の声になったりしています
話を戻したいのですが、問題は単純に『車いすユーザーの方が、車いすであるがために目的駅に行くのに大変な苦労をした』ということです。
すべての人が、どんな人であろうと望む場所へバリアなく行けることが望ましいということに反対するような人はほとんどいないでしょう。逆張りして反対を表明する人がいたとしても寒すぎて誰にも相手にされない程度に圧倒的に。
ここまで攻撃的な話題になってしまったのは、最初に言った通りどちら側も相手に『悪意』を見出そうとしてしまっているからだと思います。
わかりやすく言えばどちらも『お前が悪い』と言ってしまっているからです。そして、もともとの問題そっちのけで自分の側から見て悪く見えるところをあげつらって攻撃が止まらなくなってしまうという話なのだと思います。
無人駅に人員を配置してなかったJRが悪いのか? 事前連絡をしなかった伊是名さんが悪いのか?
どちらも全く『悪く』ないと僕は思っています。
話が少しそれるようなのですが、歳を重ねてから僕は『しょうがない』という言葉が大好きになりました。
不貞腐れたり、できっこないと可能性を否定するために使われることもありますが、僕は現状をしっかりと見据えるための言葉として好んで使います。
今できないことは『しょうがない』。ではできるようにするためにはどうすればいいか?と、今を理解して次の一歩を考える言葉として考えています
先ほども書いた通り、社会のバリアフリーは推し進めていくべきです。ですが、現状そうなっていないのはしょうがないのです。JRはバリアフリー化に対し少なくとも悪意を持って遅らせてはいないでしょう。
そして、企業として余分な人員を余らせておけないのもまたしょうがないのです。
こういう話になると近頃では『健常者の無意識の差別だ』という論調が出てきますよね。だからこそ、冒頭のなんだかなぁという気持ちだったわけなんですが。
長くなったんですが実はここからがネットに書いてみたいと思った思考実験でして。
無人駅がバリアフリー化されていないのがJRの怠惰、拡大解釈すると健常者の無意識の差別だというのであれば、女性や子供でも簡単に持ち運べるような車椅子が開発されていないのは車いすメーカーの怠惰、同じく拡大解釈すると健常者の無意識の差別という話も成り立つのではないか?
ということです。
どういうことかというと『駅がバリアフリーだったら車いすでも行けたのに→差別』という図式が成り立つのであれば、『車いすが簡単に運べれば車いすでもいけたのに→差別』という図式も成り立つのではないだろうかという、バカみたいな話です。でも、正直バリアフリー化を進めるのに必要な時間とお金と、軽量な車いすを開発するのに必要なそれって同じくらいなんじゃないでしょうか。
自分で書いててもバカバカしくなってきてしまいましたが。でも、正直『今現在バリアフリー化されてない駅がある』という事実を『健常者の無意識の差別』に結び付けるのは、同じくらい馬鹿馬鹿しいと思ってます。
何度でも書きますが、社会のバリアフリーは推し進めていくべきです。ですが、現状そうなっていないのはしょうがないのです。誰かがズルをしたり、怠けたり、悪いことをしたりしているのではないのです。
違う属性の相手に『無意識の悪意』を見出して攻撃する活動は、もう限界にきていると思っています。
願わくば、対話と相互不理解を相互不理解のまま受け入れる寛容さによって融和が実現する社会にならんことを
酒がうまい
おやすみなさい