はてなキーワード: 准教授とは
汚い話です。閲覧注意です。
単なる記録なので見ないでください。
昨夜、妻となんで子どもって鼻くそ食べるんだろうねーって話になって、夫婦で出した結論が、
・クセだから
となった。が、ネットで調べてもなかなか信頼のある情報に辿りつかずモヤモヤっとなったので少し調べてみた。
まず、鼻くその正式名称は「鼻腔内固形性粘着物質」(鼻科学会推奨)らしい。ただし推奨なだけで固定の名詞として扱われないので、会議や論文によって名称は様々。英語の場合「booger」。
鼻くその基本成分[1]は、
塩分36mg
タンパク質12mg
カロリー5cal
もちろん、脂質・コレステロールは0!
そして、カナダのサスカチュワン州立大学のScott Napper教授はCBCの取材で、子どもが口にものを運ぶのは自然な事で、鼻くそもそのひとつと言っている[2]。
であれば、主成分である塩分を子どもは好きなのか?という謎が出てきたので、色々漁ってると1999年広島修大論集で、現 東北大学脳科学センター坂井信之准教授らが、「発達初期における風味嗜好とその形成」というアメリカ心理学会の一部の訳を載せている。[3]
そこでは、甘味や苦味は幼児が母胎にいる時に既に形成されているが、塩味については後天性だと言うことを示している。
つまり、生まれたあとの環境によって、食塩による感受性が変わって、塩味を好むか好まないかが決まってくる。
ということは、この食塩に関する感受性が幼少期で亢進(なんか医学系の論文では増すことを亢進と書くらしい)している子どもが、たまたま興味本位で口にしたものの1つが鼻くそで、その主成分である塩分が見事にその子の嗜好とヒットしたということ。
なのかな??
検証の仕方もわかんないしね。
とてもムダな時間を過ごせたという満足感で終わり~完~
[1] http://www.howtobeadad.com/2011/4728/booger-nutrition-facts
[2] https://www.cbsnews.com/news/eating-boogers-may-boost-immunity-scientist-suspects/
社会学者は査読も受けず、適当な作文が業績になり、同じく査読を受けてない作文を業績にしてきた、いい加減な人間の集まりである教授会で、承認されたら教授になれるとか言う、クソ教員の量産をしている態勢が問題だと言われている。
もうほんとこのレベルの難癖に応答するの疲れるんだけど、『社会学評論』にも『ソシオロゴス』にも査読あるわ。有名どころの社会学の学術雑誌にはたいてい査読あるわ。
私は社会学者じゃないけど、私の分野(人文系)でも有名で評判のいい学術誌にはたいてい査読があるわ。フェミニズムなら『女性学』、文化人類学なら『文化人類学』、他にも詳しくは書かんが色々な分野で出てる学術誌に査読があるわ(つーか院生向け紀要にも査読があるわ)。私の周囲で採用された教授や准教授はたいてい査読論文持ってるわ。私も含めて若手の多くは査読で落ちてるわ。
主だった雑誌のことも知らないくせに、目立った1人あるいは数人の社会学者の言動と業績を取り上げて社会学や文系全体を無価値と断罪するの、リテラシー()とやらを持ち合わせている人間のやることとは思えんね。文系をdisるときだけ調査もしないエビデンスも重視しない理系()様って多いよな。ずいぶん気楽な商売だ。私はこれを書く前に主だった雑誌の投稿規定を一応チェックして、周りの評判を聞くに査読をしているはずなんだが投稿規定に査読をすると明記してない雑誌は抜いたりしたんだが、理系()様はどうせどういう雑誌があるかも知らなかったんだろうな。ろくずっぽその分野を知りもせず思い込みでdisる自称理系()の皆様、どうすればそんな馬鹿になれるのか教えてもらっていいですか? 理工学部とかに進めばそういう馬鹿になれますか?
査読システムも万能ではない以上、それに代わるもしくは補完するシステムがあるのであれば、
それについてまじめに知りたいし、取り入れるべきだと思う。
逆に聞きたいんだが、理系は査読論文でさえあれば、なるほど一安心、信用できるね! って思考停止するの?
しないでしょ? 論文の内容を精査し、瑕疵があれば自分の論文の中で「誰々という学者が書いた何々という先行研究のここはおかしい」って批判するっしょ?
査読論文をたくさん書いてる研究者なら、ろくずっぽ論文を読まずに准教授に採用したりするの?
しないでしょ? 候補者を絞り込んで、どれどれこいつの論文を読んでみるか、なんだサラミばっかじゃねえか、こんなやつ不採用だ、ってなるっしょ?
文系も同じだよ。発表された論文を読んで、新規性とかをチェックして、良い論文なら褒めるし質の低い論文ならそれなりに扱う、それだけのことだよ。別に普通の営みじゃん?
そのプロセスの一部に査読を噛ませるのはわかるよ。査読論文の方が信頼性が高いのは文系も一緒だよ。ろくな学術業績もないくせに一般向けの本でテキトーなこと放言してる学者は白い目で見られてるよ(「ハーフは劣化」発言の自称若手社会学者を学問的に高く評価してるやつなんて私ゃ見たことないよ)。
一般向けの本の売り上げだけで採用してる大学も、ひょっとしたらあるのかもしれない。そいつらがなんちゃら大学教授の肩書であっちこっちで発言してたとしたら、その大学は腐ってるなと思うけど、そいつらは学問の世界じゃハナから相手にされない。仮にそういうやつがいたとしたら、それは大学が広告塔として三流学者にアカポスをくれてやってるだけだ。学問じゃなくて大学が腐ってるんだよ。
査読の重要性は否定していないし、学問にとって独創性とかそういったことが必要なことも当然でありそこについて議論する気はまったくない。査読なしでも良い論文は有り得るしそれは業績として認められるべきだ、というだけの話に何でこんなに説明が必要なのかマジで理解できない……
2018年に100ブクマ以上を集めた記事の著者だったり主役であった社会学者
URLを一杯貼ったら記事投稿できなかったのでURLはないが、名前の下は記事のタイトル
社会学者千田有紀のキズナアイ批判の悪質な印象操作。日本の社会学の惨状に対する、社会学者太郎丸博氏の危機感表明
社会学者の牟田和恵氏、LGBTとラノベ表紙を殺人と入れ替えて青識亜論に噛みつくも炎上
ネット右翼検証、新たな存在も 東北大准教授ら、8万人アンケート
フェミニスト・上野千鶴子「不利なエビデンスはもちろん隠す、それが悪いことだと思ったことは無い」
「『女性のほうが賢い』は新たな女性らしさの押し付け」男女差別問題で社会学者が指摘「おじさんを叩いて批判した気になるのは危険」
「街」を歩き、声を聴く――『沖縄アンダーグラウンド』(講談社)刊行記念対談 岸政彦×藤井誠二
格差・貧困に背を向けた結果、日本は「階級社会」に突入していた
(論壇時評)福祉の逆説 充実を支持する層は 歴史社会学者・小熊英二
記事になってた人は吉永じゃなくて永吉、永吉 希久子准教授 https://www.sal.tohoku.ac.jp/jp/research/researcher/profile/---id-68.html じゃないか?
arXivでこんなのが引っかかった
Political Polarization in Social Media: Analysis of the "Twitter Political Field" in Japan
アブストラクト https://arxiv.org/abs/1711.06752v1 本文 https://arxiv.org/pdf/1711.06752v1.pdf
任期付きの職を転々としてきましたが、なんとか2年前に国公立准教授任期なしの職につくことができました。
しかし上司である教授が無茶苦茶な量の雑用を主人に押し付けるようになり、主人は大学の業務と上司の業務で多大な雑用に追われ、家に帰ってきてもずっと仕事、休みの日もかろうじて日曜日に休めるぐらい。
他の日はほぼ一日朝8時から夜22時ぐらいまでずっとPCの前に座りっぱなしで仕事を続けるような生活になってしまいました。
前から頭痛を訴えることはあったのですが、ここ1か月ぐらい割と頻繁に突然の激しい頭痛を訴えるようになり、休むと時間がたてば治るようではあるのですが、ひょっとしたらこれは過労死の前兆なのではと感じるようになりました。
こういう場合はどうすればいいのでしょうか?病院に行けば何かしらの診断書を書いてもらえるのでしょうか?会社の場合は検索すれば会社と然るべき所に訴えれば何とかなるようですが、大学教員の場合はどうしたらいいのかわかりません。
過労で検索しても死んだ場合の例ばかりが出てきて今現在苦しんでる人がどうしたら助かったのかを探すことができません。
追記1:創作ではありません。あまり書くと特定が怖いので書けませんが現上司がひっぱってきた部下の立場になります。
追記2:本人に言ってはきたのですが、主人は自分の体調にすら気をかける余裕がないような緊張感と激務の中で働いてきたのもあり、休めばよくなる頭痛ということから今まであまり重要視してきていませんでした。でも本当に病院に行かなければそろそろまずいのではないかとここひと月ぐらいで私の方が思うようになりました。
違う違う。
制度設計上、35歳で常勤職なんてほとんどアリエナイって言ってるの。
ロス無しでドクターを取得して27歳。そこから二回ぐらい三年任期のポスドクを回して33歳。
(できれば海外経験もあった方がいいけど、海外にいるときに国内の公募に応じるのは難しい)
それまでに、海外の一流誌にファーストオーサーになっている論文を複数通すような研究をして、それなりに知られるようになっていて、それで偶々自分と似たような専門分野の専任教授が退職した大学があって、凍結かからずに公募が出たら、35歳までに就職できる。
そんなの奇跡に近いわ。
アメリカや中国に行っちゃうことを決められりゃ、その方が楽だけど、妻が日本でのキャリアを望んでたり、病気の親でもいたら、40歳過ぎまでポスドク続けるか、研究やめるか、というのは普通だ。
「奇跡に近い」は言い過ぎだな。ごめんなさい。周りを見回してもいないことはない。
ただ、最近は専任准教授になってても実は任期があったり、場合によっては「任期なし」扱いでも内規で任期があったり、逆に任期つきが明記されていても実態として無制限に更新できたり、という話も聞くので、周りの人間の待遇が本当はどうなのか、よくわからん(文科省も実態はわかってないんじゃないか)。
十年ぐらい前だけど、博士課程を単位取得退学して専攻と関係ない企業に就職した経験があるので、ちょっとアドバイスな。
いやまあアドバイスっていうのも余計なお世話かなと思うのだけれど、多分研究室には「うまいこと研究人生に見切りをつけた人」とか居ないと思うので書く。
自分の専攻は生物系。基本的に、博士取ってもポスドクより先に進むのは厳しいというのが前提(この辺、例えば工学部とかだと大分見通しは明るいはずだし専攻分野によってかなり違う)。あと実家は太くないし、医師免許みたいな人生ゴールドカードを持ってる訳でもない。
良いんじゃね?仮にポスドク10年続けて先が見えないとかならまだしも、博士課程ぐらいだと引き返し可能。
例えば学振DC2なりに通らなかったらその時点で「損切り」モードに移行して就活を始めるとかで良いと思う。
とにかく、このまま走り続けるか「損切り」モードに入るかのポイントを明確化しておくこと。
これ大事。
多分10年前ならいざ知らず、今ならもう上の方の人たちもみんな研究で生きていくことの厳しさは体感しているはずで、怒られが発生したりすることは無いんじゃないかな。
とにかく将来の不安について率直に話したうえで、上で書いた指標について教授にあらかじめ伝えといた方が良いと思う。向うからしても、途中でいきなり辞めると言い出されるより最初から伝えておいた方が有り難いんじゃないかな。もしかしたら就活でバックアップしてくれる可能性もあるし。
逆にこういう事を相談して怒られが発生するようであれば、研究室選びは考え直した方が良いんじゃないかとも思う。学生の人生よか研究の方を重視するようなところだと、色々使い倒されて海外に放り出されて終わりじゃね感(偏見)。
あと直接指導してくれるPDや准教授・助教の人にも話しておこう。多分任期付きの人だったらみんな「この先、研究人生やってけるのかな...」的な不安は持ってるはずなので、色々アドバイスをくれるかもしれない。もちろん、アドバイスを聞いたうえで「損切り」モード切替ポイントを動かすのも十分アリだと思うけど、その辺は自分の人生なので慎重に。
ついでに親や身内にも伝えておいた方が良いと思う。
博士の途中で「損切り」するとして、論文を出せずに博士号を取得出来ず単位取得退学した場合について。
まあぶっちゃけ不利だよねと思う。というか、人事部の人に「単位取得退学とは何なのか」とかから説明しないといけない。専門性を求めてる企業に対してあんまり強く専門性をアピールできないし、そういうのをあんまり求めていない企業だったら修士の人の方が魅力的だよね感。
自分の場合は「これこれこういう理由で論文を出せない見込みだけれど、修士は卒業してるし博士課程で単位も取ってるので実質新卒です!(キリッ」と言って押し通した。多分「一人ぐらい変な奴を採用しとけ」枠に引っかかったと思う。
余り思いつめなくてもなるようになるよ。
今年の6月頃、早稲田大学文学学術院で起きたセクシャルハラスメントが初めてメディアで取り上げられた。
https://president.jp/articles/-/25434
被害者は現代文芸コースという修士課程の学生だった女性で、加害者は同コースの教授であった渡部直己。渡部は被害者の女性に「俺の女になれ」と迫ったり、じろじろ体を眺めたり、授業中高圧的な態度で接したり、指導をするという名目で研究室に呼び出して密室で二人きりになるなど、深刻なセクハラ行為を行っていた。
プレジデントオンラインに掲載された上記の記事をきっかけに、SNSやメディア等でこの事件は大きく広まることとなった。大学は調査委員会を設置し、渡部は早稲田大学を退職した。一見収束に向かっているように見えるかもしれないが、渡部一人の退職でこの事件を終わらせてはいけない。加害者は、渡部一人ではないのだ。
事件が拡散されるきっかけとなったプレジデントオンラインの記事にも明記されている通り、被害者の女性に対し、渡部のセクハラ行為を口外しないよう口止めした人物がいる。その人物は渡部と同じコースに所属する水谷八也教授である。また、被害者の女性からセクハラ被害について相談を受けていた女性教員に口外しないよう圧力をかけた人物もいる。その人物は市川真人准教授である。
今般早稲田大学は被害者の女性や関係者からヒアリングした証言をもとに報告書を作成した。しかしその内容は、被害者や当時の学生達の証言を無視し、水谷や市川ら教授側の証言を一方的に採用した杜撰なものだった。
プライバシーの観点から、報告書の実物をここに掲載することは出来ないが、以下、問題と思われる点を箇条書きで記す。
①被害者や当時の学生などの証言を軽視し、教授側の発言を重視している
渡部によるセクシャルハラスメントに悩んでいた被害者は、友人同席のもと、当時現代文芸コースの主任を務めていた水谷と三人で面会を行った。また、精神的に落ち込んでいた被害者に代わり、友人は水谷と二人で二回目の面会も行った。
被害者及び友人の申立書によると、水谷は「この件を口外しないでほしい」「口外すると現代文芸コースの存続に関わる問題に繋がるから」「被害者自身にも隙があり、渡部が勘違いしてしまうのもうなずける」といった趣旨の発言をしているにも関わらず、水谷本人が否定していることだけを根拠に、報告書では被害者及び友人の主張を認定していない。
前項の通り、この報告書では一貫して教授側の発言に重きが置かれている。たとえ当時の在学生らの複数の目撃証言が集まっていたとしても、教授本人が否定をすれば、報告書は在学生らの目撃証言を認定しない。一体報告書は何を根拠に教授側の発言を重要視してるのだろうか。教授側の否認が在学生らの証言よりも信憑性の高いものであるという根拠は、どこにあるのか、
また、報告書では「本委員会の認識している資料等からは、同発言(※教授側の問題発言)の存在を認定することはできなかった」という言い回しも登場する。しかしこの「本委員会の認識している資料等」とは何なのか。在学生らの証言よりも信じるに足る「資料」なのだろうか。言わずもがな、本報告書において、その「資料」が明らかにされることはない。
この報告書は非情に冗長で、一読しただけでは意味が取りづらい文章で構成されている。その狙いは明らかに、問題の核心や責任の所在を誤魔化すことにある。先述した被害者と水谷の面会時における水谷の笑い方など、取るに足らない些末な事柄を詳述しているにも関わらず、被害者や友人に口止めを迫る場面など、事態の核心は「認定できない」の一点張りである。
水谷がセクシャルハラスメント被害の実態を認識していながら、「大したことじゃないから第三者機関には口外しないでほしい」と被害者を沈黙させようとしたことは、被害者や関係者などの証言が一致するところだが、報告書はその点を深追いすることはしない。ささいな問題をおおげさに取り上げたり、論点をすり変えたりして、読者を拒むような悪文で責任逃れをしている。
早稲田大学の作成した報告書は、明らかに公正さを欠いている。水谷や市川を始めとする今回の事件の隠蔽に関わった教授陣に不自然なほど有利な記述ばかりだからだ。
また上記の他にも、合意なく女性の学生の腰を抱いて体を密着させるなどのセクハラ行為を行っていた青山南に関する記述なども、本報告書には含まれている。青山のセクハラ行為に対しても、在学生らによる複数の目撃証言が集まっているにも関わらず、青山本人が行為を否定しているというだけで、報告書は青山のセクハラ行為を認定していない。
これが調査と言えるだろうか?
どんな加害行為を行ったところで、教授が「やっていない」と主張すれば黒が白になる。そんなことがまかり通っていいはずがない。教授と学生の間には、絶対的な権力関係がある。その力の差を利用して学生が反抗できない状況に追い込んだ上で、このような加害行為に及ぶとはなんと卑劣なのか。
そして、被害を受けた学生よりも加害者側の教授や学校の体制を守ろうとする早稲田大学の対応にも大きな問題がある。セクハラの隠蔽に携わった全ての教員が自らの責任を認めるまで声を上げ続けたい。
https://www.asahi.com/and_M/articles/SDI2018080779271.html
の記事に対して否定的なコメントをツイートしたら落合氏本人からレスがついた。
せっかくなので補足をしてみようと思う。
①サッカーのたとえについて
サッカーのたとえが安易だと思ったのは、ここであげられている例示に違和感を覚えたからだ。
「このオケはマンUのようだ」「この曲はレアルのようだ」という時には、サッカーとクラシック両方に対するリテラシーがいる。
「神奈川フィルは地域密着で有名なプレイヤーは少なくてもど根性プレイを見せるからVファーレン長崎のようだ」とか「ラ・ヴァルスは構造が技巧的でデコラティブだからレアルのようだ」とか、双方をつなぐリテラシーが必要なはずだ。
そこを「感覚」というあいまいな言葉で接続するのは無理がある。
このような安易な例えでクラシックへのハードルが低くなるというのは飛躍しすぎだろう。凄く雑な議論だ。読んでいて話者の「僕はサッカーもクラシックも知っているよ」という「ぼくはAKBもリンキンパークも聴くよ」みたいなスノッブさを感じた。
この対談は日フィルが落合陽一と組んで行う新しい取り組みにたいして以下の2点を目的としているはずだ。
・こうした新しい取り組みに批判的であろう、旧来のクラヲタへの目くばせ
まず前者だが、クラヲタはこの対談で言われるほど理屈っぽくはない。私のまわりのアマオケの友人をみても、音楽史や楽典に精通している人は少数派だ。だいたい当の音楽業界の音楽批評こそが「感性」にたよったポエムみたいのばっかりで、しっかり楽曲の構造分析や演奏技術について記載された記事の方がまれじゃないか。そっちが大丈夫かと思うがそれはここでは関係ないか。また、守破離のくだりでいわれるようにクラヲタは保守的でもない。先日の渋谷慶一郎の科学未来館のロボットAIオペラが盛況だったように、むしろ新しいものが歓迎される素地がある。私だって金さえあればこのイベントに行ってみたい。落合陽一がどんな「挿絵」を曲に添えるのかみてみたい。こうしたクラヲタの新しいものへの「感性」に目をつぶって彼らを見くびるような対談をプロモーションに使う日フィル大丈夫か。
対談の後半くだりは落合陽一をアイコンにするような「アーリーアダプター」だったら興味をもって読むだろう。だが、「のだめ」でクラシックに興味をもったライトな層だったり、そもそも普段クラシックに興味があまりない新規層をとりこみたいのなら「意識高い系が西麻布で美味い飯食いながら<楽しいからこっち来いよ>言ってるみたい」な感じのこの対談がフックになるとは思えない。90年代に流行った空間ディレクターみたいな人たちがウェイウェイ言ってるだけで、全然クラシックへのハードルが低くなっているようには思えない。
私はこういうプロオケの新しい試みはどんどんやっていけばいいと思うけど、この対談にはイラだちしか感じなかった。クラシックへのハードルを下げているのは、主催者が汗水たらしてるラフォルジュルネだったり、プレイヤーがチャレンジしている反田の新しいフェスだったり、そもそも神奈川フィルが地べたを這いながらやっている地域貢献であって、わたしの「感性」ではこの対談に「内輪の軽さ」しか感じなかった。
あと、蛇足だが、落合陽一のファンらしき人から落合氏は凄い人だからおまえも学べとか尊敬しろみたいなリプが複数きた。落合氏もこんなのに普段から囲まれているなら不幸だと思った。頑張れ准教授。