はてなキーワード: 元ネタとは
ウマ娘をプレイすることに葛藤がある話 - とらじぇでぃが色々書くやつ
https://tragedy.hatenablog.com/entry/2021/04/24/071120
読後はもう「あのさぁ…」って呆れしか出ないんだけど。
「シンデレラグレイもどこも書店探しても無い!めっちゃヒットしてて流行ソシャゲに乗れて嬉しい!」ってウッキウキしてる癖に「競馬は悪!生まれてくる競走馬は可哀想!すぐに競走馬の生産はやめるべき!」ってさ……
そりゃあんたは現行の競馬を知らずに過去の名馬の物語の後追いしてるだけだからいいよなあ?なら未来の事は知ったこっちゃないってか?
だけどこっちは現行の競馬にウマ娘のようなエモさや感動を覚えてんの。
これ見ろや。こんな感じで10年前から毎週毎週競馬見てんだよ。
https://anond.hatelabo.jp/20210430113006
なのにウマ娘になった以前の競馬の物語消費は良くて、それ以降の競馬は馬が可哀想だから生産やめろってなんやねん。お気持ちでウマ娘ストップさせたい競馬ファンと同じじゃん。
てか「競馬はだめだけどソシャゲは綺麗なギャンブル」ってなんやそれ?
サイゲなら散々モバマスが射幸性を煽る危険なゲームだってニュースになったやん。んでサイゲがその金を広告費にじゃんじゃん注ぎ込んでそのマスコミを黙らせたやん。
それに麻痺させられてソシャゲは大丈夫なギャンブルなんだ!ってなったんか?まあ爽やかCM打ってるJRAも大概やがお前のやってるソシャゲだって綺麗なギャンブルなんかじゃないぞ。
元ネタに敬意を払えとかみみっちい事は言わないけどよお、その元になったものをこき下ろして「でもウマ娘はやめられない」ってアホちゃうか。だったら最初から苦手意識のある競馬なんて題材を元にしたゲームなんてやるんじゃねえよ。
ウマ娘が流行してこういうオタクの動物愛護のお気持ち表明が出てくるのは想定してたけどよお、流石に表面に出過ぎだわ。
元ネタにモヤモヤ感じるなら垂れ流す前に辞めろ。そんでもって元ネタを貶すな。
ゲーム内容に対してユーザーがSNSで否定的意見を流した結果で生じたサジェストにまで開発・運営って責任もたなきゃいけないもんなのかね?
個人的な考えとしては
って理由で「広報活動の範疇でサジェスト改善に務める必要性こそあるかもしれないが、ユーザーのモラルや素行の改善にまで責任を負う必要はない」と思ってる。
ウマ娘(に限らずだけど)は元ネタがあるから、そこをしくじったらダメだろって意見もわかるけど、ユーザー個人個人の倫理観まで面倒みなくてよくねえか?ってとこ
SNSでなく、ちゃんと運営元がわかってる記事媒体とかには然るべき対応した方がいいとは思うけどね。
ただ、「エアシャカールがトレンド入りの不思議、性能の悪さが話題に」みたいな記事を削除しちゃうと、それこそSNSの内容1つ1つまで対応するのが筋じゃないのかみたいな話が出てくるだろうから、難しいね
ごめん、VTuberの話ではないんだ。
二次創作の壁サークルやってて利益もちょいちょいと出ていた頃。
他サークルの二次作品が気に入ったので元ネタにして三次作品を頒布、まあぶっちゃけ販売したのよ。
内容証明飛んできた。
裁判したら負けそうだ。それ以前に一次原作や他の二次創作に放火することになる。
良くて否定はしない、くらい。で、同人活動を辞めることになった。
志村けんは嫌いだったので、
正直、亡くなっても惜しい人をみたいな感情がまったくなかった
京大の霊長研が指摘しているようにチンパンジーやオラウータンを使ったお涙頂戴番組は動物虐待だし、
番組を面白くするためだったらサルを海に投げ込むテリー伊藤とどっこいというか、
バカ殿とかも、あの時代は女性の上半身の裸とかがテレビで許されてはいたわけだけど、
なんというかウケるために安直にエロに走るというのが情けないと思った
エロという表現手法はありだと思うんだけど、そこに逃げればいい、という安直な考えが古い
古いが老害というか、八時だよの過去の成功があるため、周囲も逆らえなかったのではないかと思う
自分には志村けんは滑るネタをする人というイメージしか残っていない
そういう意味でビートたけしも近いんだけど、ビートたけしは映画があった
個人的にビートたけしの映画の内容、ネタにはあまり面白さを感じなかったのだが、
あの独特の「乾いた感じ」と言えばいいのだろうか、あれは個性だと思えた
あと、いかりや長介氏は踊るなどのドラマに移行して笑いはスパッと辞めたと思う
日本で音楽でバンドで食っていくという夢が挫折したことをどう思っていたのか気にはなる
そもそも日本でビートルズのような音楽の価値は白人がやらなければ認められず、
日本人がやっても認められず、
MCとか音楽ではなく余興の下品な笑いの方が日本人には評価されたわけだ
どこかインテリなところがあるというか、
そもそもギャグというのは何らかの予備知識があり、つまり教養があって、
その元ネタをパロディにしたり、茶化したりすることが笑いにつながるところがある
例えば、何か注目を集めたニュースがあり、それをネタとしてギャグを考える
ところが、最近の自分みたいに普段ニュースを観ていない人間には理解できないときがある
歴史家だのバイキングだの、あんな感じのネタは多分日本ではウケないと思うのだ
それより女性の裸を出せだの、動物をダシにしてお涙頂戴をやれだの、
https://anond.hatelabo.jp/20210423131944
これに便乗して、助けてください。
誰もいなくなった夜の遊園地のようなところに主人公がやってくる。公衆電話だったか電話ボックスだったかがいくつかあったような記憶がある。
で、電話が鳴ったんだかは覚えてないが、電話のちかくにピエロのような格好をした奴が近づいてくる。ピエロは歩いてやってくるんじゃなくて、パッ、パッ、と瞬間移動しながらやってくる。そいつが超怖い。
なお、イットではなさそうなことは確認済みです。
(追記)
ザパーク
たぶんアメリカの映画なので違うんだけど雰囲気は近い。この映画の元ネタだったりしないか調べたけど違うっぽかった。ありがとうございます。
これは助かる。ありがとうございます。
ファーストガンダムもアムロと対になる女性がフラウ・ボウからセイラ・マスに変わる話なんだよね
子供の頃にテレビも劇場版も観ていたはずなのに、このへんのことをまったく理解できていなかったみたいで、
成人近くになって改めて観たとき、あー、そうだったのかー、そういう話だったのかー、と感心したりした
酷いネーミングだなあとずっと思ってたのだけど、劇場版だけなんだろうか、
最近もガンチャンでファーストの二作目と三作目は観てしまったのだけど、
フラウはもう自分がニュータイプとして覚醒したアムロと不釣り合いなことを自覚していて、
アムロよりハヤトとの会話を楽しむようになっていることをカイが皮肉を言ってゲラゲラ嘲笑し、
台詞で明確に、アムロにはセイラさんがいるでしょ?みたいなのがあったんだったかな…、
どんどんアムロに置いて行かれてる感じがするみたいな台詞があったと思う
アムロ・レイという少年、青年が大人になる、自立する、父殺し、母殺しがファーストのテーマの一つだったはずなのだけど、
成長と共に付き合うべき異性も変わる、という話を含んだガンダムってやっぱりスゴかったんだと思う
というか、庵野氏は学生時代に女性に「ガンダムって知ってる?」みたいにいきなり話しかけたんだったか、
しかしながら、庵野氏は不思議とあんまりガンダムについて語らないんだよなあ
宇宙戦艦ヤマト、ウルトラマン、仮面ライダー、富野作品はイデオン、
オタクの教養として当然ガンダムは観ているはずではあるのだけど、あんまり語ってるのを知らない
なんとなく思ってたのだけど、意外と内心では一番ファーストガンダムをライバル視しているのではないか、
観客に感謝を述べられる最後の機会になるかもしれないから、みたいに思ったとかで、
その席でたしかロボットアニメとして、とかガンダムの名前がちょっと出てきた覚えがあるのだけど、
エヴァはガンダムと全然違うようなストーリーではあるのだけど、
意外と内心では対ガンダムというか、俺ならガンダムはこうやるのにな、みたいな話だったりして、
とずっと前から思ってたのだけど、意外とそうだったりするのだろうか
つまり、マリはセイラの役割、アスカがフラウになってしまうわけだけど、
ドイツ人女性の記事でも、アスカが可哀想と書いていたけど、こうなるともっと可愛そうではある
でも、セイラって自立した女性って感じだし、アムロと籍を入れるという感じではないし、
実際にそうでないのはZガンダムを観ても明らかなわけで、
まあでも、オリジナルのアスカは旧劇で惨めに死んだのかもしれないし、
当然、フィクションでシンジが主人公なのだから、物語上主人公が優先されるのは当然であって、
シンジはアムロみたいに覚醒するより、いつまでもグチグチしているタイプではあるわけだけど、
みたいな異性関係の変遷は現実でもあながち間違ってない気がする
なんにせよ、庵野氏がなのか、エヴァは最初から最後まで非常に屈折した話だったので、
多分、今回の映画がそのぐにゃぐにゃになった身体を徹底的に矯正してしまうのだろうけど、
何分屈折しているので、ラストでアスカと結ばれて、おめでとう!なんてやるかバーカ!
みたいに庵野氏は内心思っていただろうと思われるので、
あんなことになって、あー、やっちゃったー、な感じになってしまったわけだけど、
でも、新劇でCGを全面採用するだけでなく、何か仕掛けてくるんだろうなあとは思っていた
エヴァは終わらせる、今度こそ終わらせる、という信念で作っていたと思われるので、
しかしながら、アスカは旧劇でもう役目を終えてしまっているので、誰か別のキャラがいいなあ、
と自分だったら考えると思う
考えると思うが、うん、言われてみれば新キャラってマリしかいないわけだけど、
観客から見れば本当に泥棒猫とでもいうか、高速道路の合流で強引に入ってこられたような、
ではあるが、いきあたりばったりであれ、物語の進行上、
今度こそアスカの役割を担う、アスカとは別の新キャラを登場させたい
だから、多分新劇ではなく、もう一度テレビシリーズのエヴァをやるとすれば、
マリの存在感をちゃんと表現できたのかもしれないけど、映画数本でやるとなるとああなるわな…
あと、安野モヨコ氏がモデルかはともかく、庵野氏が老いたというか、
みたいに思ったのか知らんけど、まあ、そんな感じでアスカを外したかったんだろうなあと
だから、俺妹と違って、シンエヴァは終わらせるための物語なので、
続編を作るとしたらシンジも中年になって離婚を考えるようになったりした矢先、
そこから不倫に発展して、ある日マリに目撃されて修羅場になり、
でも、中年になってもボクだって男性なんだし、幸せを探す権利だってあるよね、
みたいな開き直りを言い出したりすることになるわけで、
こういうのを、現実から逃げてない、と仰っているようにも思えたのだけど、
庵野氏に言いたいのは、
うん、そうなんだけど、そうなんだけどさ…、
それでも現実逃避の場所としてのフィクションも忘れないでね、とかえって思ってしまうのでした
でも、銃とかメカとか兵器の描写にはリアリティを求めるのに、物語内の男女関係にリアリティを求めないのはおかしいよね!
とか言われると、自分もぐうの音も出ないのでした
あ、ずっと出掛かっていた表現が出た
「こいつら交尾したんだ!!」の元ネタ漫画、今となっては"エジプトのピラミッドのよう"な扱いになっている模様 - Togetter
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1700902
「こいつら交尾したんだ!!」自体は8年前に投稿された狐娘のオリジナル漫画の一コマなのだが、どういうわけか2~3年ほどこのコマの切り出しが前からふたばちゃんねる等でレス画像として使用され始め、ネットミームと化した。
性的な行為を匂わせるシーンへの反応において汎用性の高さからじわじわと広がり、東方やFGOでパロディ画像が生まれ、現在はウマ娘で「こいつらうまぴょいしたんだ!!」がそれなりにバズり、ネットの海を漂っている。
その動きを元漫画の作者も捕捉しており、反応を示したことに対するまとめが上記のtogetterなのだが、これについているブコメがまあ、そびえ立つクソの山ことヤフコメ以下だったので残しておく。
この3点にまったく触れておらず、まあ要はまとめがあまりにもヘタクソなので
「どうやら流行ってるらしいね???でもぼくウマ娘??とか疎いからわかんない!!」
という芸能人のニュースタイトルを開き「誰?」とコメントを残していかないと気が済まない頭ヤフコメ民が群がっている状態なのだが
頭ヤフコメ反応にも種類があったので軽く分類
id:nicoyou え、ウマ娘やってると分かるんです?ゲームやってるけど元ネタも何も丸っと何もかも知りませんわ
id:tokyotokyotokyotokyo 元ネタもなにも初めて見たんだが。
id:topiyama 元ネタも先ネタも分からないので後学のために記念ブクマ
id:fumikef 絵はかわいいけど。流行ったのを知らんネタの元ネタと言われてもピンと来ない。いつ頃の流行り?
id:seiyuDB "あれの元ネタ"の"あれ"がわからないもどかしさ
id:Helfard 元ネタも知らなければうまぴょいの方も知らなかった。これが老いか…。
id:kamezo よかった、ついていけない人が他にも複数いた、という謎の安心感があるブコメ群。
id:onigoy 流行が細分化されすぎてインターネット老人会会員の自分にはもう何が何だか…
id:u_eichiもはやネットミームにさえついていけなくなったおっちゃんおばちゃんたちが集うはてブです。←俺もな
id:youhey 昔から世間の流行には鈍感だったけど、インターネットのミームまでチンプンカンプンになる日がくるとは……本当にまさかだ
id:anigoka なんか知らんけどきらら系商業のマンガだろ?とも思ってたらシブのオリジナル漫画かよ…
物を言うのは大事だけど、相手の負担も考えず一方的な立場からの発言は配慮が足りない。
権利は勝ち取る物でなく分かち合う物。
明確に言い切りすぎるのもどうかと思うが、敢えて言うなら、
というのが法治国家ではないのか?
そもそも、この世界が、分かち合う、譲り合う、相手に配慮する、で解決できるんだったら、台湾有事なんて起こらないわけで、
争いごとは法廷か戦争でしか決着はつかない、これは自明だと思う
では、暴力はどうなのかといえば、法治国家での暴力は警察や軍隊といった暴力装置によって規制されるべきであり、
むやみな暴力を許す法治国家というのも一般的にはありえないわけで、
結論としては、権利というのは法廷で勝ち取るものであり、議論や口論には限界がありすぎる
あと、「若い障碍者は頭を使ってほしい」みたいな物言いは障がい者雇用でも企業側によく言われるのだけど、
少なくとも凡人がちょっと頭を駆使して解決できるような悩み事なら、障がい者になんてなるわけないし、
そんなこと言われなくてもとっくに解決している話なわけで、
上述の文章は、障がい者=黒人、アフリカ系アメリカ人に置き換えてもそこそこ互換性のある話だと思うんだけど
結局は、障がい者に配慮するコスト、と、障がい者への配慮は健常者には無駄でしかない、というのは両立しうる話であって、
障害者は頭を使え、
というのは難癖の付け合いと同じである
漫画の話に例えるのもなんだが、
例えば銃夢のモーターボール編でジャシュガンがガリィに、自由とは何なのか?をうまく説明している
(このへんの元ネタは荒木飛呂彦のジョジョなどにあったのかもしれないが
自由というのは、それを手に入れる、勝ち取るために足掻き、もがくことを自由という、みたいなトートロジーだった気がする
しかし、これは言い得て妙であって、少なくとも白人社会での自由の定義をうまく説明しているように思う
そもそも、日本には「自由」という単語が黒船が来るまで存在しなかった
それまでの日本は上に従うのが当然であり、例えば関所などは移動の自由を大いに侵害していると現在なら考えられるが、
当時の日本ではそれが当たり前であり、∀ガンダムの地球人側ではないが、そもそも日本人とは白人に比べれば、そういう点で蛮族だった
フリーダムやリバティーという単語に相当する単語がなかったため、「自由」という単語を造語したのである
しかし、この「自らを由とする」という漢字による当てはめも素晴らしいものだと思う
現代では、少なくとも法治国家においては、権利や自由は法律で争い、勝ち取るべきものなのだ
他人への配慮だの、分かち合いだので、自動車事故が解決するだろうか?よく考えてみてほしい
そして、この勝ち取るために足掻きもがくという行動に対し、法律の下であるならば、何人もそれに規制や制裁を加えてはならない
しかし、ルールを守らない人は当然存在するし、ルールというのが文章である以上、解釈も複数存在しうるのである
法学部でなくとも、法律を学ぶ、研究するというのはそういう意味があるのである
ルールを書いたら終わり、ではない
性悪説で考えるなら、ルールを書いても人はルールを守らないだろう
では、守らない人をどうするか、という所から暴力装置の必要性などに話がつながる
権利や自由は寝ているだけでほっといても与えられるものではない
それから、今ただただ与えられている権利だって、過去に勝ち取った権利を多く含んでいるのだ
我々はその積み重ねで生きているわけだし、
時々増田に半導体ネタを投下している業界人の増田です。最近、ニュースで半導体不足が話題になることが多く、先日も政府が先端半導体製造に支援という話題が出ていたので、元ネタの資料を参照してみました。
https://www.cas.go.jp/jp/seisaku/seicho/seichosenryakukaigi/dai9/siryou1.pdf
資料を見た感想を一言で言うならば『これはひどい』業界未経験の新人が初めて作りましたって資料だろうか?普通はこのクオリティの物を外には出せない。
問題箇所を指摘してみよう。まず1点目。用語の誤用が多すぎる。『ミドルエンド』ってなんでしょう?ハイエンド、ローエンドっていう言葉は、エンドと付いていることからわかるように、上位側の製品、下位側の製品という意味を表している。真ん中のグレードを表したいなら『ミドルレンジ』です。
また、サイズ別の半導体製造能力っていう表現も普通はシリコンウェハの直径を意味している。つまり〇〇国は300mmウェハを用いた製造ラインが月産xx万枚、200mmウェハの製造ラインが月産xx万枚という具合だ。
製造の微細化技術で分けたいなら『プロセスノード別の製造能力』と記載するべきである。
2点目が『ローエンド工場』(この言葉も変で、普通はレガシィプロセスとか言ったりする)の設立年がおかしい点。老朽設備という事を強調したいのだろうが、ミスリーディングを誘っているように見える。各工場の主力製造ラインが構築されたのは私の過去記事でも書いたのだが、大半は2000年代だ。資料記載の設立年は工場の最初の建屋を作った年で、資料記載の各プロセスノードの製造ラインは90年代、2000年代に新しい建屋に作り直しており、実質的には別工場であり、70年代、80年代の設備をそのまま使っているわけではない。(そもそもシリコンウェハの口径が当時と今で変わっており、物理的に同じ装置が使えない)
3点目が元の資料で『サイズ別の製造能力の国際比較』と題した部分のプロセスノードの区分がおかしい点。28nm〜45nmを同じカテゴリにしてはいけないのだ。なぜなら必要になる要素技術が違うから。
ロジックプロセスの世代分けってそれぞれの世代に特徴的な要素技術がある。例えば45nm / 40nmの世代だと『ArF液浸露光装置』の導入とか。半導体の回路パターンは、露光装置と呼ばれる機械でパターンを焼き付ける分けなんだけど、45nmの線幅を書くために193nmの波長のArF光源の光を水で屈折率上げる必要があったりする。同様に32nm / 28nmだとHKMGと呼ばれる金属ゲート酸化膜形成技術と、露光を2回してより微細なパターンを形成するダブルパターニング技術の導入とか。
こういう要素技術の違いが何に影響するかというと、製造ラインを構築する費用にダイレクトに効いてくるのだ。1回露光でいいのか、2回露光が必要なのかというのは製造ラインを構成する露光機の所要台数にそのまま影響するわけで。装置1台で50億くらいするので、ライン全体ヘの影響は数百億〜1000億のオーダーになる。なので、政府が業界に助成金を出そうかという話をする際にはしてはいけないミスなのだ。
で、なんでこんな資料になっちゃったのかと成長戦略会議のメンバーの『有識者』を見ると、半導体の知見がありそうな人が1人もいない状態。
https://www.cas.go.jp/jp/seisaku/seicho/pdf/konkyo.pdf
そんなわけで、今回の政府の発案はほぼ100%かけ声だけで終わると思るんじゃないだろうか?自分たちの作っている資料の意味すら分かっていないと思われる。せめてEETimesとかの専門サイトで連載待ってるレベルの人が有識者メンバーに入ってアドバイザーになってたら少しは期待できるんだけどな。
https://anond.hatelabo.jp/20210311005848
https://anond.hatelabo.jp/20201219004424
鬼滅の刃を見た時に、成程これは面白いなと思った。確かに「元ネタ」のジャンプ作品がうっすらと浮かんでくる。ブリーチ、Dグレ等々。
しかしそれらの元ネタを上手く咀嚼し、作品として限りなく上質なものに昇華していく。
鬼滅の刃は成熟した漫画社会の一つの到達点であり、また「折り返し地点」であると思う。無駄な引き延ばしも無く、テーマも一貫している。
しかし読んでいるうちに、「臭さ」を感じるようになった。この作品を非凡たらしめる、隠し味ともいえるし、人によっては嫌う要素になりうる。
この作品は明らかに、「少年や青年が悲劇的・悲惨な結末を迎える事に性的に興奮を感じる人種が書いてる」という事。
作品における人気キャラの一つ一つの死が、異常に丁寧に、美化されて書かれている。煉獄さんの死も一つの映画化に耐えうる話だし、正直他の柱が死ぬ話も
一つ一つが丁寧に、劇的に描かれている。異様にフェティッシュなのだ。技術ではない、どこか「一歩向こう側」をかんじる。
グロ系や胸糞系の作家さんは、主にそういうもので性的な興奮を得る人間に集められている事も多い、鬼滅の刃も同じような感覚がする。
グロ系や胸糞系の作家さんは、性的な部分を抜いてみても面白い人が多い。人は作品を描く時、どうしても「ストレス」を避けようとしてしまう。それは発想の時点で思考に絡みつき
話を平凡で安易なものにしてしまうのだ。常人は「女の子が切り刻まれて恐怖を感じる部分」に対して共感から逃げてしまう。
そういう部分に彼らは「性欲」という鍵でアクセスすることが出来るのだ。
774氏の作品「長瀞さん」なんかが、妙に生々しくドSティックで心をくすぐるのはその「アクセス」が出来るからだと思う。
恐らく常人なら鬼滅の刃で青年や少年をどんどん死んでいくのに耐えられない。耐えられないからこそ我々は「名作だ」と思う。
最強の力を得る代わりに寿命が25歳で終わるという設定を人気キャラ全員に、最後に普通持っていけるだろうか?明らかに結婚して幸せになれるようなキャラクターに、「名誉の死」を与えられるだろうか。
鬼滅の刃の作者は明らかに、そういう「アクセスできる人種」の臭いを感じる。
考えすぎだ、と言われるかもしれないが、今までの短くはない創作人生と漫画を娯楽にしてきた者の視点として、違う意味の「感動ポルノ」に鬼滅の刃が見えてならない。
本題に戻ると「ピカソ君はそっち(『ブリキの太鼓』)の影響だ」と断言する根拠は結局
②きみの単なる妄想
ということだね。その事実を認めたくないから殺害予告して「ムカつく」と暴れているのがきみ。自分を省みてどう思う? 正常だと思うかな。
そもそも『名探偵コナン』に元ネタがあるとして、そのことがきみにとって何でそこまでの重大問題なの? まるでスティーヴン・キングの『ミザリー』みたいで心配になる。
文末に「そして、その時の彼女が今のお嫁さんです。」が追加