はてなキーワード: 久保とは
森久保の適役を後世に伝えたやろ?
Kutooという社会運動を提唱し率いて本も出版している石川優実氏がまたやらかした。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1816144
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/ishikawa_yumi/status/1458026850794409987
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/kimurarock/status/1459129410007621640
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1802538
石川氏が批判され得る発言をやらかすたび、「周囲が止めないから悪い」て周囲に責任転嫁して本人を免責しようとするブコメがついてスター集めるけど、彼女は成人した大人だよね。
それも成人したてで社会経験のない20代前半ならまだわかるけど、社会経験を積んでる・・・どころか自ら社会運動を率いてる34歳だよ?
34歳の大人がしたことに対して「周囲ガー周囲ガー」てなんなん?
いい大人の言動に対して「周囲ガー」てブコメを書いてる人たちと、それにスターをつけてる人たちって、何を考えてるのか本気で理解できない。
石川氏は成人してもなお自分の言動に対して責任能力を認められない被成年後見人って事?
社会運動を率いるほどの立場であっても、34歳という年齢であっても、精神的には未成年の子供同然の未熟な精神なの?何かやらかせば周囲に責任転嫁できる無敵の人なの?
あげく、↓に至っては久保氏という男性の具体名を出して「石川氏は久保氏に発言”させられてる”」と来た。
操り人形かよ。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20211114101719
百歩譲って、久保氏とやらが石川氏を陰で操ってた、石川氏は操り人形に過ぎないという設定にしたいなら、それでいいとして。
となると、これまで石川氏がやってた言動全てが久保氏が考え指示したものにならないとおかしい。首尾一貫してない。
だが、「久保ガー」の黒幕認定は石川氏のやらかした批判されうる言動についでだけで、Kutooのような石川氏の実績として扱われてる言動についても久保の発案だとなるかと思いきや、そっちは相変わらず「石川氏の実績」として扱われてるのである。「Kutooも久保の発案だった」というブコメは皆無である。
都合の悪いことは黒幕(w)の男のせい、
都合の良いことは石川さんの手柄。
こんな無理のある設定考えてブコメ書き込んでスター付けてる連中、カルト宗教の信者かよ。
こんな「無敵の人」が先導(煽動)する社会運動なんて、もう信者以外は誰も怖くて乗れないだろ。
もう二度と女に社会運動をやらせるな。その女がやらかしたらまた「失点は男のせい、手柄は女のもの」になるのが目に見えてるから
替え歌の評価ポイントは「語呂」と「意味」の2点に大別され、「語呂」はさらに「文字の一致度」「母音の一致度」「音階の一致度」で分析することができる。
この最後の「音階」についてはほとんど意識してる人がいないけど結構大事だよねという話。
たとえばJUDY AND MARYのくじら12号には次のような歌詞がある。
太陽が目覚めたらあの船で行こう
普通に日本語として朗読した時の音程の上下と、曲としてのメロディがほぼ一致している。傑作だ。
体毛が芽生えたら剃刀で剃ろう
替え歌としての完成度は非常に高く、ほとんどの文字が一致しており、「たいよう」と「たいもう」のように変えた部分の母音も努めて一致させ、なおかつ意味も通して笑いどころを作っている。
しかしそれでもこの替え歌が原曲と比べるとどこか素人っぽく聞こえるとすれば、それこそが音階の不一致によるものだろう。
「たいよう↓」とは言うが「たいもう↓」とは自然な日本語では言わないのだ。
このように元々の日本語の音程感は歌詞の聴きざわりに思いのほか影響する。
「君の夢が叶うのは誰かのおかげじゃないぜ」(the pillows - funny bunny)
「うっせぇうっせぇうっせぇわ」(Ado - うっせぇわ)
驚くほど簡単に耳に棲みついてくる曲というのは大概それだ。歌詞と音階とのギャップが限りなく取り除かれている。
以前にニコニコ動画で流行した「野球選手の名前で歌ってみた」シリーズも、この日本語の音階感覚がずば抜けていた。
「野田」から「足立」までの音階が日本語の自然な発音そのまま!
母音を几帳面に合わせているのも勿論大きいが、音階面での努力こそが、このめちゃくちゃな替え歌をこれほど自然に聞かせてしまう要因でもある。
ところでこの増田のタイトルの一節は、母音も子音も一切合わせることを考えず、日本語の自然な音階に合わせることのみに全力を投下した替え歌である。
おそらく居酒屋へ行ってこれと全く同じ文言で、店員に言い聞かせるように注文をしたら、ちょうどそのメロディになるだろう。
はてなー諸氏は何の曲かわかってくれただろうか?
標題の通りだ。
夜行バス・新幹線を使わなきゃいけない距離だし、コロナ禍の今行くことはできないだろう。
そしたら、孤独になってしまった。一人っ子で育った上、一人暮らし歴も10年と長く、内向的な性格のため、一人で居るのは他の人に比べて苦ではないが、たまに寂しく思う。
どうしたら気軽にどこかに一緒に行ったり気軽に話したりする相手が作れるのか、はたまた旧友に声をかければいいのか、はてなー達に教えてほしい。
状況は以下の通りだ。
家族→田舎から出てきて一人暮らしだから、遠くに離れて住んでいる。そもそも家族のことはあまり好きではない。
親戚→ほとんどが田舎在住で遠くにいる。比較的私に近いところで暮らしている親族は高齢であったり医療関係者であったりしてなかなか会うのはハードルが高い。
小中学校の友達→仲が良い人、連絡を取ってる人は何人も居るが、ほとんどが地元に居る。
高校の友達→小中学校の時とは違って友達が少なかった。その数少ない友達の中で、こまめに連絡を取っている且つ比較的近くに住んでいる人もいるが、そこまで気軽に会える距離ではなかったり、医療関係者であったりするため会いにくい。また、友達らには配偶者や恋人がおり、私への優先度が低いというのもある。
大学の友達→卒業して疎遠になってしまった。自分はサークルでトラブルメーカーだったこともあり、気まずくて会いにくい。卒業後会ってくれた人も居るが、夜行バスor新幹線で行かないと会えない距離に住んでいる。
大学生の時に留学した。その時にできた日本人の友達→帰国直後は何人かと連絡を取っていたが、今ではすっかり連絡を取らなくなった。みんな社会に出てからFacebookやInstagramをほぼ更新しなくなったから何やってるかもわからん。1番仲が良かった人はこれまた夜行バスor新幹線で行かねばならない距離に住んでいるしね。
職場→同年代や同じ性別の人が極端に少なく、相性が合う人が居ない。前述のサークルでのトラブルの経験から、メインで所属するコミュニティとは距離を置きたいと思っているのもある。
恋人→一度しかいたことがなく、その人とももう別れている。たまにLINEが来て近況報告するくらい。正直未練があるので、会いたいと言われてもこっちはそんなに会いたくない。まあでも元鞘に戻ることはないだろうね。たぶん向こうも新しい恋人居るし。
恋活・婚活→そんなんで、恋人を作ろうと奔走したことがあったが、うまく出来なかったため精神的に追い詰められた(スケジュールが忙しくなりすぎ、また、よく知らないたくさんの異性の評価に晒されながらどうでもいい話をするのに疲れてしまった)。今はメンタル不良とコロナを言い訳にサボっている。
恋活・婚活をする上で出会った同性の友達→街コン的なイベントで出会ったり、一緒に相席ラウンジ行ったりした人たちのことだ。みんな快活で、元気で、クラブとかBBQとかが好きな人で、はてなに入り浸っている内向的な陰キャは一緒に居るのに疲れてしまった。
趣味(オタク)友達→私はアイドルを推しているのだが、どうやって他の人と友達になったら良いのかわからない。それと、私は複数のアイドルグループを薄く広く推したいタイプなので、一つひとつのグループにかけるリソースはかなり小さく、他のオタクと仲良くなれない気がする。あと、オタ友ができると、行きたくない現場に行ったり買いたくないCDをたくさん積んでしまうんじゃないかと不安でしょうがない。まあ言い訳だけれども。20年くらいアイドルというものを推しているのに、オタク友達がいないので、酸っぱい葡萄かもしれないね……
ネット→Twitterで何個もアカウント持ってるのに、よく絡む人みたいなのが存在しない。10年くらいやってるのに。インスタやブログやTikTokやその他諸々の発信ツールもほぼROM専。当然オフ会も行ったことがない。ネットでもコミュニケーションに難があるんだ私は。
……これ書いてて、自分が悪いような気がしてきた。
大学のサークルでのトラブル以外にも、距離感間違えて喧嘩したり嫌ったり嫌われたりブロックしたりされたりと人間関係でのトラブルが絶えない人間なので……
そういった意味で言うと、職場の人間関係に深入りしないという戦略はあってるかも。変に辞めるとか、協働する人と気まずくなるとかしたくないので……
自分で言うのも嫌だけど、繊細でこだわりが強いタイプで、合わない人と話すの本当に疲れちゃうんだよね。
友達少なくてもいいやーと思ってたんだけど、親友と離れ離れになったのが堪えたなー。親友とはしょっちゅうLINEしてるんだけどね。フィジカル的にはひとり(©︎久保みねヒャダ)なので寂しい。
まあほとんど私のコミュ障のせいなんだけど、とにかく人間と仲良くできないね。
そう考えると、学校ってすごい。自然に友達ができる環境がお膳立てされているから。
趣味の社会人サークルでも入ればいいんだろうけど、コロナ禍で躊躇っちゃうわ。
さて、皆さん、私はどうしたらいいんでしょう……?
夢を見させてもらった。
特に遠藤は3失点に絡んでいた。PKを与え、セットプレーでは遠藤がついている選手から2点決められる。もちろん遠藤は素晴らしい選手。疲労が溜まっていたのだろう。
早めに板倉に変えて良いのではないかと思ったが、監督にとって遠藤は変えられない選手だったのだろう。
ここまでディフェンスが持ち味のチームだったが、集中力が欠けていたか。
久保・堂安は輝きを見せられず。
大会通してプレス回避がもっとうまくなれば、自分たちで持てる時間が増えるのにと思った。
田中のパスを貰う前の駆け引きは本当にアイデアがあって安定感があった。デヨングのようだった。
また旗手もプレス回避については抜群の安定感だった。フロンターレのプレス回避は世界に通用していた。
ただ、チームとしてはサイドに追い詰められてロングボールをやみくもに蹴り込む回数が多かった。
動き出し、抜ける動き、フェイク等の(フットサル的)技術、あるいは川崎フロンターレの止める蹴る技術がより必要になるのではないか?
とにかく三苫がセンターレーンハーフレーンで持ったときのわくわくはすごかった。
あと2,3点取るチャンスはあった。怪我が長引いたのが本当に悔やまれた。
今日の三苫を最初から出せていたら、スペイン戦でも出せていたらと思った。
こういう試合は内容より結果がすべてなんだけど、後半ラスト20分は見ていて楽しくて良い内容だった。
大迫
(柴崎) (守田)
(中山)
谷
オリンピックサッカー日本代表。スペインには負けたが、選手の自主性によってサッカーするということはできるようになったし、選手個々のクオリティも高かった。
選手たちの自主性で試合を解決する方針は日本代表だったジーコが選手たちに求め続けたスタイルで、当時はうまく行かず問題が山積みだった。
2021年のオリンピック代表では遠藤、田中碧、吉田が試合中の判断で問題を解決できたし、他の選手たちもインテリジェンスがありバランスがとれる選手が揃っていた。
ただ、そこまでだった。
もし各国のサッカーの水準が2006年、ジーコが監督していた頃なら金メダルを穫れる確率はかなり高かったろうが、今はイタリアでさえトータルフットボールを実践する時代だ。
ここでのトータルフットボールの定義は、11人が最大限試合に関与するようなサッカーのことを言う。
攻撃時では全選手が正しいポジションをとっていることを前提に、CBがボランチのポジションまで持ち込みキーパスを通す。サイドチェンジを繰り返し攻めるスペースを作り出す。
守備時には前のSHが追えばSBも自分のマークに飛び込んでいく。
最大限、余っている選手や飛ばされてしまうような選手を作らずに11人が試合に積極的に影響できるようなサッカーだ。
スペイン戦での日本の攻めを見ていると、CBはリスクヘッジのためのロングボールで中盤が飛ばされることが多く、久保らに渡ってもその場の即興で完結してしまい11人で攻められているとは言えなかった。
守りでは1トップの林とSHの旗手が犬のように走らされ、後ろは待ち構えるばかり。後半になっても、人が変わっても選手たち任せのスタイルは変わらず、疲労を考慮した選手交代しかできないのは自明の理だった。
日本がここから更に一段サッカーのレベルをあげるにはトータルフットボールの考え方が必要だが、選手個々の判断でこれを実践するのは不可能である。
選手11人の方向性をまとめあげる(しかもリスクがある方へ)のを主導できる選手がいれば、それはもうプレイングマネージャーの域だ。
ただイタリアのように、選手たちの能力が高ければ監督次第で実践可能でもあるはず。
日本にとって幸いなのは鬼木監督の川崎フロンターレがまさしくトータルフットボールを実践し、結果を出していることだ。
森保監督で臨む2022年カタールワールドカップ後、きっと鬼木監督が日本代表をトータルフットボールの道に導いてくれるだろう。