はてなキーワード: サーフィンとは
フェミニストや初期のオタクというか昔からのオタクが「表現物は影響する」などといろいろ語っているが、タイトルの通り、言動を見てると信用できない。
別に「表現物は影響を与えない」とか言いたいわけじゃないよ?あの人たち自体が信用できない。
なんで信用できないかっていうと「あの人たち差別はダメっていうけど男性差別したいんじゃね?」っていうのを感じてしまうから。
それを感じたのが、https://togetter.com/li/1879085で言われてるツイート。
日向市のPR動画、「海、似合ってないね」などの言葉が男性に対してのルッキズムじゃないのか?って指摘にたいしてこんなツイートが返ってきた。
相変わらず頓珍漢な解釈してるなあ・・・仮にもベテランのサーファーが、他人様に向かって「海、似合ってないね」などと言うわけないじゃん・・・
もうひっくりかえった。びっくりした。あれはオタクの内なる声だってよ。
こんな発想できるんかと驚いてしまった。
あれだけ宇崎ちゃんやらなんやらにはストレートな反応しか示してなかったのに。
俺はこの動画が差別だとか、すぐ撤回しろだとは思ってないけど、確かに「デブは価値ない」みたいな解釈もできるよな、差別に反対している人、ルッキズムに反対している人の考えを当てはめるとこれもおかしいってなるよな、と考えている。
でもでも、そういうのすべて取っ払って「これはオタク君の内省だから自己反省。ルッキズムじゃない」ってなるんだよね。
(この動画を作った人は俺たちに反省しろ見たいな自己啓発セミナー的なことやらせたいの…!?って考えたんだけど、これも頓珍漢な解釈になるんだろうなぁ)
どうしても、「自分の嫌いなものにはあれこれ理由をつけて否定するけど、自分の好きなものにはあれこれ理由をつけて擁護する」と思ってしまう。
もうネトウヨなんて言わずにこういう人たちは「自分の信じる者にのめりこみ切っちゃって抜け出せない人」って言ったほうがいいのかもね…
これ、解説が必要だ。さもなきゃ、聞いてもどうすることもできない、人を不安定にさせるだけのただのハラスメントに取られてしまうだろう。
俺の解釈では、今を生きろとは、現在この瞬間にある自分の心に、気持ちにフォーカスを当てよ、ってことだ。
今回のケースなら…
昔の女への嫉妬心? 彼氏への不満? 寂しさ? それとも手持ち無沙汰でついつい調べてしまうのか、心の動きがあるはずだ。それを感じ取るんだ。仕方ない、と言っているけどそれは、そういう種類の価値観に過ぎない。それに納得ができているか? 過去を掘り起こせない価値観に不満があるなら、その不満感を一旦認める。例えば、恋人のすべてをコントロールしたい気持ちがあるなら、それが存在することを認める。
…そうしていくと自分の気持ちを見失ったような感覚はなくなり、日々にグリップ感が生まれるんだ。必ずしも心をコントロールできる、ってわけじゃない。むしろ心の動きの荒波に乗ってサーフィンしているような楽しさを得られるのさ。
性別逆にして、太っていた女性がサーフィンをして痩せたPR動画があったとしても
別にルッキズムだとは思わんなあ(痩せて男にモテるとかが目的じゃなくてあくまでサーフィンそのものを楽しんだ結果として描かれていた場合)
太って内向的な女性主人公がプライベートで海に来て陽キャのサーファー女性と出会いサーフィンを教えられて上達し結果的に体形的にもスリムになる
…という、テーマはサーフィンでなかったとしてもとにかく女性が女性に教えられて絆を育む、男を差し挟む余地のない女性同士の物語になる筈なんだ
それが何故か
仕事の場で女性主人公が男性上司からメイク云々でケチを付けられキラキラ女子と比較されて侮辱されそれに対する反応が「変わらなきゃ」という侮辱に対する迎合
ルッキズムって何よりも肌の色とか顔の大きさとか目の一重二重とか骨格とか
個人の努力ではどうしようもない部分に対して発揮されるものを言うんだと思ってた
https://www.youtube.com/watch?v=WsMU4OFnSeQ
男女逆だったら、って
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1879085
なんで今更5年以上前の動画の話題で盛り上がってるんだろう…と思って見てみた
https://www.youtube.com/watch?v=WsMU4OFnSeQ
男女逆にしたらどうかっていうと……どうだろうね?
ぽっちゃりした根暗な女子がスタイルの良いサーファー女子と出会い、サーフィンを教えられながら上達し
って、百合として萌える女性は普通に多そうな気がするしフェミニストからは特に叩かれないんじゃない?
もっとも取り方次第ではサーフィンをする水着姿を性的に消費しているという批判も出るかもしれないが、
どちらかというとそのちょっと前に話題になったブレンディのCMとの関係で
露出度の差でしかエロさを判断出来ない表現の自由戦士から「こっちは駄目なのにあっちはいいのか!」と槍玉に挙げられそうな気がする
https://www.j-cast.com/2015/10/02246862.html?p=all
この手のフェミ叩き話題では本当に思うんだけど、そんなにこの動画が気に入らないならばその怒りは宮崎県日向市に対して直接抗議しなよ
フェミニストの抗議は乳牛CMならブレンディ、宇崎ちゃんの献血ポスターなら日本献血協会、戸定梨香の交通安全PR動画なら松戸市に月曜日のたわわなら日経新聞にそれぞれ向けられてたでしょ
他にもインドアな趣味、たとえば美術館とか入っても、街にいる人よりもルックスが一段下がるな…とは感じるのよね。
もちろんルックスいい人でもこういう趣味をやることがあるのはわかっているけど、自分が最近思っているのは、ルックスと趣味って案外関係があるんじゃ?ってことなんだよね。もっとおおざっぱに言っちゃうと、「萌えアニメとて映像の一形態にすぎないのに、ブサイクな人ほど萌えアニメを好む傾向があるように見える(なぜブサイクばかり萌えアニメを見て、イケメンは見ないのか?)」ってこと。うーんよくわからない。
自分の仮説は
①住んでいる文化圏が違い、ルックスのいい人は萌えアニメを知り合いから勧められたりしないので、興味を持つことがない
②ルックスのいい人でも萌アニメを実は好きだが、表出すると自分のイメージダウンが予想されるので、趣味を表に出さない
③人は一般的に陽キャ的な趣味は好きだけど、ルックスに合わせてそれを諦めたり選んだりしている(つまり隠キャも顔が良ければ萌えアニメなんて見ずにサーフィンとかやってる)
※ここでいうルックスのいい人…てのはグラデーションのように幅のある概念と思ってくれ。ちょっといい人からめちゃくちゃいい人まで含む。
僕たちは生まれながらにして不幸だった。
物心がついた時には経済成長など実感できないほどなく、平和のみが幸運にも固定されていた。少子高齢化を無責任に押し付けられ、いつも年金の説明では僕たちが下で、いっぱいの先人が上に伸し掛かる絵を繰り返し見せられた。
小学生のころには阪神淡路大震災があり、生活は不条理に突然破壊されることを知った。
オウム真理教は天災だけでなく人災があることを教え、それを報道するテレビには頭のおかしい人をいじめることの楽しさと正しさを刷り込まれた。
学校ではいじめがあっても誰も救ってくれなかった。子どもも大人も誰も責任を取らずに済んだ。
どう大人を信じようと努めても、彼らの正しさの裏にある保身だけが形を濃くするだけだった。
いじめ、学力低下、キレる十四才、僕たちだけが責められている気がした。勝手に「ゆとり」を与えられ、数年後には「ゆとり」だとバカにされた。
ノストラダムスの大予言も二千年問題も世界を無くしてはくれなかった。変わらないんだ、という陰鬱な気分を虚構ごと生活に仕組まれた。
社会に参加するまでの過程で、どんどんと多様性という理想が叫ばれるようになっていった。でも現実はまだそう出来ていなかった。ゆとり教育でも、AO入試でも、新卒一括採用でも、実験の最前線で僕たちは消費された。
社会の正体に近づくほど、実験の甲斐なく何も変わらずに、大人たちは利権を固定させようと頑張っていることがわかった。かつて多くの若者たちの理想主義が現実主義に敗北し、僕たちの生活には既に革命の「か」の字すらなかった。
センスが良いとされる大人は肌触りの良い冷笑と諦観で、理想からも現実からも逃げているだけだった。
芸術に届くわけではないわずかな詩情の中に逃げ、丁寧な暮らしとやらで現実を隔離しただけだった。雑草も食えるらしいと、何も新しくない発見を雰囲気の良い雑誌で語った。
とにかく真っ当ではなかった。僕たちには老朽化した線路と駅が残された。
いつかみんな死ぬ、くらいしか希望はなかった。僕は、小学校四年、五年と苦労したあとに六年生になったときのような開放感を待っていた。
インターネットは唯一僕たちに与えられた現代的で民主的な革命だった。僕たちは最前線に立つことを初めて喜んだ。僕たちが社会を実験していた。大人の腕の中で揺らされるのではなく、自らが世界を開拓していた。
過去の日本では文学や学生闘争に向いたであろう若者の活力がインターネットで遊ぶことに費やされた。情報の波をサーフィンしていた。
けれどアナーキズムなど思想と呼べるほど突き詰められてはいなかった。脱法とジョーク、たくさんの知識。組織化しない雑多なカオスが世代や日陰者の雰囲気をベースとしてただ在った。
東日本大震災のとき、僕たちは初めて大きな波を感じた。世界ごと変えてしまおうというワクワクがあった。
ネットから始まる民主化が現実世界にも網目を伸ばし、キレイな情報を伝播させることを夢見ていた。
実際のところ我々には思想がなかった。正確には思想が育っていなかった。長い間の自己否定とカオスたちの団結は思想を形成させなかった。
論壇はインテリっぽい動きに酔っているままで、ほとんどの人間が責任を背負おうとしなかった。
大衆は十分なリテラシーを持っていなかった。目の前の文字が自分を騙そうとしているかだけを考えていた。
もちろん先行者と同様に誰も責任を取りたがらなかった。波は結果的に芸術の一部分だけに還元された。
僕たちの革命は、革命という皮すら被れずに失敗した。あの頃目立った人間たちのどれだけがまだ実際に社会に有効なことをしているのだろう。
僕たちは生まれてから今までずっと負け続けている。逃げ続けている。立ち向かう人間を冷たい視線で嘲笑っている。かつて"カッコイイ大人たち"がしていたように。
拗ねた子どものままで皮肉とセンチメンタルを捏ねくり回している。
最近は「多様性の尊重」がブームになっている。拡がり分化する人間の在り方を認めようとするのは正しいことだと思う。
だが、それは欺瞞だ。多様性は排外主義への攻撃だ。多様性を求める社会は多様性をもたらさないものを排除する。
最大限の寛容ではなく、この時代この社会における妥協点でしかない。
ただそれよりも深刻なのは、多様性未満の僕たちだ。多様性で救われるのは国籍、性指向、いくつかの快い思想である。いわば十分に形作られたアイデンティティーのうち、現代社会に適応するものだ。そして主張に成功したものだ。
僕たちの苦しみはアイデンティティーの未発達である。差別をされたり、大事に築き上げたものが喪失したわけではない。時代により幾度となく無意味化された結果、育たなかったのだ。
社会の複雑さへの想像力、ありのままの他者の受容、明確な善への地図が無かった。
今までのシステムは近いうちに崩壊すると言われつつも、なかなか崩壊しない。仮に崩壊したとしてもサバイバルを生き抜く知恵が無い。広大な大地に丸腰で放たれるのだ。
「ちゃんとしなきゃ死ぬ」とトリプルファイヤーの吉田靖直は歌った。「ちゃんとしなきゃ」という要請だけが社会にある。
なんとなく、どこか生きにくい僕たちの行き場はどこだろう。ちゃんとした職があればいいのか?ちゃんとした病名がつけばいいのか?ちゃんとした人になれればいいのか?ちゃんとした人ってなんだ?
今になってようやく哲学や文学などの人文学に解答を求めることができるだろうことに気づいた。それは人間として真っ当な足掻きに思えた。
まだ遅くはないと信じて、攻略サイトには無く、ビジネス書より直接的な、人間思索の旅に出ようと思う。良い哲学の書を教えてくれ。
インターネットサーフィンに勤しんでいる人なら一度は聞いたことがあるかもしれない「イヤンホホ」という言葉。
イヤホンを気の抜けた音で言い換えたこの言葉は、実は東日本大震災から3日後の2011年3月14日に2ちゃんねるの雑談掲示板から生まれました。
当時、そのスレッドではアクセス元(主に都道府県)の表示があり、今でもログを見ると当時雑談掲示板に書き込みが出来た地域、そうでなかった地域がわかります。
当時仙台にいた私の家では電気が遮断されていたので、震災後しばらくたってからこのイヤンホホという言葉を知りました。
最初はキャッチーで面白い言葉だと思ったのですが、この出自を知ってからイヤンホホという言葉を目にするたび、震災時に東北地方抜きで面白がって不謹慎なネタも飛ばして盛り上がっていたような関東・西日本の人間が作った言葉なんだよなと思ってしまいます。
わからんのでここで聞いてみる。
曰く、androidはオープンソースで公開されているから狙われまくりとのこと。
その店員さん自身の使っているセキュリティソフトを聞くと、聞き覚えのある大手のソフトだった。
端末の用途としては電子辞書を読むのとWebサーフィンぐらいでさほど危ないことはないつもりではある。Webブラウザ経由で感染するウイルスがあったらダメだが。
もしくは、無料ので足りるならそれもアリだが…無料も山程合って下手に選ぶと逆に危険ではありそうだ。幾つか聞き慣れたのはあるが、しかしそれはWindowsでの話であってandroidでも優秀かも分からない。
判断付かないなら年額数千円のを入れた方がいいのだろうか?
2/13追記
https://anond.hatelabo.jp/20220125183017 が何か盛り上がっていたので思いつくままに追記...しようと思ったのですが、私の話より先に、いただいた「やりたいこと」をまとめさせてください。
たくさんのコメントありがとうございます。拾えてなかったらすみません。
いただいたものを眺めつつ、この週末に新しいリストを作ってみようと思います。
私のリストは、結構個人的なものも含むのでそのうち整理して、気が向いたら公開します。
...とは書きましたが、だからといって不幸な気分ではありません。
たとえばクイズのバラエティ番組を見てて、世界遺産とか地域の名物がクイズの答えになってて、そこに行った思い出の話を楽しんだりとか、普通にあります。行ったことがない観光地が紹介されていて、行ってみたいなーと思うこともありますし、実際に行くこともあります。ただ、それは「死ぬまでに絶対に行きたい」から行ったというよりは、暇だしまあいいか、という感じです。そういう細々としたやりたいことはたくさんあるので、それほど不幸でもないし退屈でもありません。
ブックマークで「子供がいたら、無限にやりたいことは出てくるはず」というコメント(ブックマークはコメントなの?わからん。)を多数いただきましたが、全く同感です。ただ、年齢的に子供はいませんし予定もありません。少し羨ましく思います。
それから「奥さんと幸せな老後を暮らす、という項目はないの?」というコメントもいただきました。項目にはありませんでしたが、そうなるといいなとは思っています。
122個目をやるときの気持ちを知りたい。「やったるで!」という感じだったのか、「アカン終わってまう…」という気持ちだったのか
粛々と...という感じでしたね。やり終わった時は感慨深かったです。ものすごい達成感を味わいました。
じゃあ死んだら?
オーストラリアの方とのやり取りに、
メールすぐ送ったらすぐ返事返ってきたから夜中も起きてるのかしら?熱心ね。
って思ったけどよくよく考えたら、
季節が半年ズレているから何をどうやったらそんな時空がねじれるような時差が発生するのかしら?って思ったけど、
そう言うことだったのね。
季節逆だから常常の夏夏なのかしらーって
私たちがイメージするオーストラリアの最大のイメージはカンガルーを除くと
そう!
そうよ!
なんだか当たり前のことを当たり前に言うと、
さぞそんな気がしてやまないんだけど
ぴょんぴょんぴょん!
私をつかまえて~!
アデリーペンギンならぬ、
ニュースの気象コーナーで明日雪が降るから歩き方はペンギンさんのようによろしく!って言ってたので、
ペンギンさんの様に歩いてみたいと思ったけど、
ペンギンさんってどうやって歩くのかしら?って
ペンギンさんもさ
よちよちひょこひょこ歩くタイプと変形して腹ばいになって雪上の上をシャーって進むタイプとで
いやでも
檀さん大和田さん檀さん!
「ピョンピョン!」壇さんワンワンコーナーおわりました!
さすがにそれはないわーって思いながら、
今朝の雪道の中雪上をトンネルを抜けたらそこは雪国マイタケだった!って
気持ちで滑ったら危ないの意気込みで歩いたわ。
最近さ、
お鍋する時キノコ大好きなんだけど
そうよ、
あとさー、
お鮨屋さんのシーエムで「はまい!」って言わされて壮大になんか滑らされてる感じを演出してる若い女優さんいるけど、
今の私のペンギンさんなら、
今なら自信あるわ!
マイタケの話に戻っていい?
「トンネルを抜けたら雪国マイタケだった!」大和田さんマイタケコーナーおわりました!
って涙がちょちょぎれるぐらい切ないので
私にマイタケチャンスをちょうだい!
マイタケ美味しいんだけど、
いつまでもペンギンさんのコスチュームしてたらすっかり熱くなってきたので
もうすっかり街は雪溶けてるみたいよ。
あんまり雪国マイタケマイタケって言ってると本当に雪積もっちゃいそうで
ブラックサンダーアイスを食べながら歩いたら絶対に滑るから気を付けないとね!
両手でしっかり持って食べてね!
うふふ。
明日に期待!
寒いので最近は暖房朝着くようにしていて起きたらいい感じに割と暖かめの身体で起き上がれるから起床がとっても楽チンよ。
暖かくないと身体が起きないわってぐらい、
逆に喉が乾いていたので
レモン炭酸ウォーラーをガブリシャスウォーラーの如く飲みました。
炭酸また買ってこーよーおっと。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!