はてなキーワード: たまたまとは
平日は調理する時間がないので、粉末だしと醤油とみりんを小さじ1/2とお湯300mlでうどんを煮るだけ。
たまたまほうれん草の湯がいたやつがある場合はうどんにほうれん草がトッピングされる。
最近は週末も塩やきそば、カレー、肉じゃが、ポークステーキ、親子丼、小松菜と厚揚げを煮たやつ、野菜マシマシラーメン、ペペロンチーノ、カルボナーラ、何か野菜とベーコンを入れただけのコンソメスープ、サラダを付ける場合はポテトサラダもしくはレタス中心の適当なサラダ、夏は冷しゃぶ、冬は湯豆腐のはずが具が多すぎる謎の鍋、シチューといった指で数えられる程度のローテーションになってきた。
人参、玉ねぎ、キャベツなどの指定野菜とかいうやつ以外の野菜は高いよね。だからこれ以外には手が出せない。
ご飯はある程度炊いて冷凍する。あの炊きたてご飯の味を僕はまだ知らない。
昔は唐揚げやコロッケやエビフライやとんかつや天ぷらを作ってみたけど、揚げ物はコストの割にベネフィットが少ない。
大量に作って冷凍して1ヶ月これだけで生きるとかやればベネフィットがコストを上回るのか?
ラタトゥイユやら炊き込みご飯やらオムライスやらチャーハンなども作ってたけど飽きた。
貰い物のだし醤油を、付いてきたレシピで使い切ってみたりもしたが、そのだし醤油を日常的に買わないので続かなかった。
お好み焼きは1回で4〜5枚程度作って冷凍するのだが、フライパンで1枚ずつ作るよりホットプレートで複数枚ずつ作る方が時間的にお得じゃね?と思い始めて、ホットプレートを買うまで作れなくなった。
ハンバーグは昔は手作りで、今は焼くだけのやつを買ってくるけどチーズを乗せたいから、チーズがクソ高くなって食べられなくなった。ハンバーグだけのためにケチャップを買うのもねえ。
●はじめに
これは相手に向けて書いたものではなく、相手を批判する意図はない。
もしこれを読んで相手を批判しているように思えたのならそれは私の表現力の乏しさによるものである。
また、フェイクを入れずに書いているので、両者の友人知人は「もしや」と感じるかもしれない。
だとしても二人に触れずにそっとしておいてほしい。
以上のことを踏まえて、了承していただける方のみ先を読み進めてほしい。
●登場人物
私=筆者
一次創作をする。
絵と文章を嗜む。
A
この文章は、Aとの出会いから別れまでの備忘録と私自身の反省のためのものである。
●Aと私の関係性
そして縁が切れたのが我々が28歳になる年の2月ごろ。
薬10年を共に過ごしてきた仲だった。
間違いなく、一番仲が良かった友人だった。
高校3年間はクラス替えもなく、いろいろな話をして、真剣な話もして、時には喧嘩をしたりすることもあったが、それも乗り越えてきた。
大学は別々の道に進学することになったが、それでも毎日のようにLINEで会話を交わし、時々二人で遊びに行っては日が暮れるまで話し、解散後も夜が明けるまでLINEで話をしていた。
私が新卒で入社した会社の研修で2か月東京に行くという話をしたときはとても寂しがってくれたことを今でもよく覚えている。
Aは絵を描くことが好きだ。
絵を描くことが好き、と一概に言っても色々幅があるが、私から見ればAの「絵を描くことが好き」とはAのアイデンティティであり、Aの人生そのものなのだと思っている。
自分の気持ちを言葉にするのは少し苦手のようだったが、感情を絵に込めるのは大得意でAの描く絵には喜怒哀楽様々な感情が乗せられていた。
私も少し絵を描けるが、どちらかといえば絵を描くことは好きではなく自分の描く絵は好きという難儀な性格をしている。
そんな私と比べると、Aの絵に対する思いは尋常じゃないものなのだと思う。
私の作ったキャラクターやお話のファンで、この世のキャラクターの中で一番、私が作ったキャラクターが好きとまで言われたこともあった。
そのキャラたちしか描いてないのではないかという時期があった程度にはたくさん。
Aが絵を描いてくれることが嬉しくて、私はAにたくさん自分の創作の話をした。
●事のあらまし
Aと私は今までの一次創作の積み重ねを本にしたいという話になった。
私が書いた小説や、私から聞いた話をもとにAが描いた漫画の断片はいくつかあれど、それらを本という形に残したくなった。
そこで一次創作の同人誌即売会を調べ、Aと私の二人で本を出すことになった。
私は今まで書いた小説を集め、書き下ろしの話を追加した短編集などを3冊作り、Aは私が文章で書いていた短い話を漫画の本にした。
ところが肝心の即売会は諸事情で中止となり、半年後に延期になってしまった。
頑張って作った本たちはひとまず通販に置いて、Twitterのフォロワーを中心に頒布することができた。
半年後になってしまった即売会を待つ間、Aと私は喧嘩をしてしまった。
Aが私の地雷を踏みぬき、私が苦言を呈したことがきっかけだった。
私としてはその場で謝罪をもらって、それで終わりで良かった。
喧嘩をしたつもりはなかったのだが、思えばAの様子が変わったのはそこからだった。
多分おおもとの原因はここなのであろう。
Aの様子が変わり、Twitterにも出てこなくなったことが心配で、私はAに手紙を書いた。
仲直りをしたときの電話で、数か月後に迫った即売会の話になった。
「せっかくまだ少し時間もあるし、もう一冊本を作りたい」とAに伝えた。
Aもそれに賛同してくれたので、私は本の攻勢について説明した。
前に話していたネタで、漫画の本を作りたい。長くなりそうで作画が大変だから、今回は私が全部作画をする予定で、と。
Aは「あの時のネタか」と喜んでくれ「すごくいいね」と言ってくれた。
その会話の中でAが言った。「その漫画読みたいな、何なら私が描きたいくらい」と。
しかしどうにも作画コストがありそうなので、Aに全部描いてもらうのは申し訳ない。
だがAがそこまで言ってくれたのが嬉しくて、Aにも制作に参加してもらえたらと私は返答した。
結果、表紙と人物紹介ページの立ち絵だけAに作画を頼み、あとは全て私が自分で描くことに落ち着いた。
そして私は自分が描く予定で考えていた表紙のラフや、キャラの立ち絵のポーズのイメージを送り、Aに制作をお願いした。
私は今までAが描いてきたファンアートに対して何か対価を支払ったことはなかった。
強いて言うなら「新しくお話を作ること・考えること」を対価としていたのかもしれない。
だが先の喧嘩のこともあり、好意で描いてくれたものに対しても何かお返しをしたいと感じていた。
なので今回の制作に対しても「お礼をする」とAに伝えていたのだった。
Aの作業も私の作業も少し進んだころ、二人で遊びに行く機会があった。
そのときに私はAに「お礼として晩ご飯ご馳走するよ」と伝えた。
Aはそれを聞いて少し渋い顔をしたあと「じゃあ2回分で」と答えた。
Aの返答に少し違和感はあったが、私は2回分の晩ご飯をご馳走することを了承した。
だがしばらくした後、Aから「晩ご飯2回分と、表紙・立ち絵を描くことは釣り合ってないと思う」と言われた。
もともと私が全て描くつもりで考えていたものを、Aが描きたいと言ったから急遽参加してもらうことになったのだ。
つまり、好意で描いてもらうものに対して、私も好意でお返しをするという形だったはずだ。
どちらかと言えば同じサークルのメンバーで1つの本を共同制作する形に近い認識であった。
だから「"依頼"に対しての"対価"が釣り合ってない」と言われたことは、私としては違うと感じたのだ。
しかし、自分の描きたい絵を後回しにして人から頼まれた絵を描くことは大変なのは私にも分かる。
「じゃあ、何なら釣り合うと思う?」とAに聞いてみた。
Aは「考えておく」と一言。この話はこれで一旦おしまいになった。
Aから"対価"の話はされないまま、その後もお互い制作を進めた。
とうとう絵と漫画は完成し、本が出来上がった。
私は刷り上がった本を一冊と、同時に一人で制作していたグッズを合わせてプレゼントした。
本を開き完成した漫画を読み、楽しそうにリアクションを取るAの姿は、無理をしてそのように演じているように見えた。
長い付き合いなので、Aが気持ちを抑えてそれらしく振舞う癖があること、しかしそれが下手でバレバレなことは私にはわかっていた。
Aはそのときも、何かの感情を押し殺してそれらしく振舞っていた。
そのまま迎えた即売会当日。
その日はたまたまAの誕生日でもあり、私は今回のお礼と誕生日プレゼントを兼ねていくつかプレゼントをした。
細かくは覚えていないが、確かお土産菓子と、Aが一番好きな私のキャラのイメージ香水。
それからAは自分へのプレゼントとしてiPadを購入していたので、1000円ほどの有料のイラストアプリを入れてもらおうとiTunesカード1500円分をあげたのは覚えている。
iTunesカードは突発的な思い付きで、昼ご飯を買いにコンビニに買いに行ったときにふと目についたのだ。
「昼ご飯買ってきたよ。あとこれはい、あげる」と、さらっと渡したのだが、Aのリアクションは
「はあ……」と言ったものだった。
即売会も終わりに近づいた時刻、Aから「そういえばお礼の話だけど」と話が始まり「いろいろ考えたけど、1万円で」と告げられたのだった。
……イラストの有償依頼で、表紙(カラーイラスト)と立ち絵数名分を依頼した、となると確かに1万円は破格だろう。
友人同士の"共同制作"ではなかったのだろうか。
"共同制作"ならAが「印刷費をいくらか出した方がいい?」と聞いてきた際に頂いておいたほうがよかったのだろうか。
私は1万円を支払わなかった。
その代わり1万円分のお礼はすると伝え、今回渡したプレゼントはお礼も兼ねていることと、今日のご飯代、打ち上げのカラオケ代で1万円くらいになりそうだから、それでどう?と言った。
続けて「もし対価としてお金を要求するなら、それは話を引き受けるときにするべき話で、後から1万円でと言われても了承はし難い」と伝えた。
「今回はお互いのすり合わせがちゃんとできてなかったから、それは両方の責任だと思う。お礼に関してはあくまで好意で渡している。もし足りなかったら今後遊ぶときに代金持つよ」とも伝えた。
Aは最後まで納得がいかなそうな顔をしていて、頑なにカラオケ代を受け取ろうとしなかったが、私はそれらの代金を全て押し付けて、その日は解散になった。
あくまで私の価値観として、金銭が発生するやり取りは"契約"だと思う。
"依頼"を受ける"対価"として「これくらいの金額で」と提示し、双方合意の上で契約が成立するものだと思う。
「描いてもらいたいんだけどいい?」「描くよ」「ありがとう。お礼はするよ」
そこに金銭のやり取りが発生するとどちらも言わなかった。
私はこのやり取りのことを友人同士の口約束だと捉えていたのだった。
Aはその後、即売会の後処理や事務的なやり取りを私と交わし、私と連絡をすることはなくなった。
またもや大変長くなったが、ここまでが事のあらまし。
●縁切りに至ったきっかけ
約1年、Aと会話をしなかった。
そんなことは今まで初めてだった。
しかし連絡がなかったとは言え、TwitterやLINEは相互のまま。
まだ縁が切れたわけじゃなかったのだ。
Aが私に対して思うところがあるのは嫌でも分かった。
まだ友人関係を続けるなら清算が必要だし、縁を切るならそれはそれも仕方がない。
迷ったが、Aの誕生日に「おめでとう」と送った。約1年ぶりに発した言葉だった。
そのときのやり取りは消してしまってもう残っていないので、事実とは異なる可能性がある。
ぽつりぽつり、とぎこちなくやり取りを交わしたが、かつての親友を歓迎する雰囲気は全くない。
まだ怒っているか尋ねたところ「そうだね」と返事が来る。
「私のことが嫌いになったならもう現れない。あなたの前からいなくなる」と縁を切る提案をした。
とてもとても時間が空いて、Aから「嫌いとか、勝手に決めつけるのやめてほしい」と返事が来た。
『なんだその返事は。どう考えても「お前もう無理」が態度ににじみ出てるんだよ』
『そもそもお互いちゃんとすり合わせができてなかったことが原因だからどっちも悪いところあったんじゃないのか』
『なんで私だけが悪いみたいな態度を取られなきゃいけないんだ』
『謝ろうにもそっちの意見を聞かない限りは本当の謝罪なんて無理だろう』
私のこのときの率直な思いだ。
しかし、まだこれなら修復ができるかもしれない。
「私は今でもまだ友達だと思っている」と伝えると「私も同じかな」と返ってきた。
会う約束をすることになったのだが、いろいろあって実際に会えたのはさらに半年後だった。
ちゃんと話し合おう、主観で悪かったと思うところは謝って、相手の口からもきちんと思いを聞いて、
粗相があるなら謝ろう。誤解があるなら解けるまで言葉を交わそう。
そう思っていたはずなのに、久しぶりに会って私の口から出るのは、薄っぺらい近況話や中身のない話だった。
その日の私とAは、傍から見ればいかにも友人っぽかったと思う。
私に至っては。もはやAのご機嫌取りに近かったのかもしれない。
いかにも友人っぽい二人は、大事な話もできずにいかにも友人っぽいまま解散してしまった。
その日を境にTwitterなどでやり取りは再びするようになったが、心理的距離は変わらないままだったと思う。
それでも私の誕生日には簡単なイラストが贈られたので、私もAの誕生日にイラストを贈った。
私はその年、結婚式を挙げる予定があったため、Aのことも誘ってみたのだが
Aはその日どうしても外せない予定があったらしく、申し訳なさそうな顔をして断られた。
しかし祝福はしてくれていて、Twitterに載せた前撮りの写真にもコメントをくれたり、
行くことはできなかったけど、祝福はしているという雰囲気であった。
年末、式に招待した人たちに年賀状を出そうとリストを作っていたところ、
招待したけど来られなかった人にもお礼状として年賀状を出そうと考えた。
AにLINEで住所を聞いた。Aの一人暮らし先の住所は知らなかった。
Aからは「正月は帰省しているので実家に送ってほしい」と返事が来た。
私は過去の年賀状のファイルを実家に置いてきていたため、再度実家の住所を聞き、送った。
送った年賀状は「あて所に尋ねあたりません」のスタンプが押され、返ってきた。
Aに聞くと「省略した住所だったからかな?これが正式な住所だから送ってみて」との返事。
住所を訂正し、切手を貼り直し、再度送った。
再び、スタンプが押され返ってきた。
原因はどうやら転居届を出していたことだと分かった。
Aに「一人暮らし先の住所教えて。それか、直接渡すからどこかで遊ぼう」と伝えた。
Aは「年賀状のためだけに会うのは申し訳ないし、仕事が忙しくなりそうな予感がしてるから
しばらく遊ぶのは無理かも。何か手間かけない方法で……局留めとかできないかな」と返信した。
……私はもう疲れてしまった。
「年賀状のためだけに会うのは申し訳ない」はどう考えても「会いたくない」の言いかえだと思う。
局留めなんて提案もバカバカしい。住所を教えたくないだけなのがよく分かる。
「分かった。じゃあ会わなくていいから、どこかで話をする時間がほしい」
私はそう伝えたが、これは仲直りだとか謝罪だとかのためではない。絶縁のための話がしたかった。
話したくないことはよく分かったがそうも言ってられない。
LINEがブロックされたのかと思い、確認してみたがそんなことはない。
ただただ、無視をされていた。
数日経って、AがTwitterでスペースに参加しているのが見えた。
別のフォロワーがホストのスペースにスピーカーとして参加しているようだった。
よく見てみると、スペースに入る際に匿名で聞く機能が追加されているのが分かった。
盗み聞きのような気分だったが、そういう機能があるのだから使ってみることにした。
他愛のない会話。Aは楽しそうにしていた。
私はAに追加でLINEを送ってみることにした。
目につきやすいように、短文で3件ほど。
わざと気を引くような言葉も選んだと思う。
スペースで何か反応があることを期待したものだった。
しばらく待つと。案の定Aはその件について触れ始めた。
「まあ、私(A)の中ではね、友達としてはね、もうあのときで終わってるから……」
これだ。私が聞きたかったのは。
鍵アカウントの方へ移行していった。
Aからもらった絵も、渡すはずだった年賀状も、一緒に撮った写真も何もかもすべて。
Aの魂のこもった絵を処分していくのはさすがに心が痛んだが、私にはもうすでに必要のないものだった。
実家を出て、新居に必要なものだけ持ってきたはずだったのに、やたらとAの痕跡が多かったことを私は忘れないだろう。
(余談……事務的な手続きをやり残したまま処分を始めてしまったため、後始末に少し苦戦した。
他人も巻き込んでしまったためここは大いに反省すべき点だと思う。)
タイムマシンがあったら戻るか?と聞かれても、私はもう戻ることはない。
やりなおしたいわけではないが、自分の行動のどこがまずかったのかは今でも考える。
私はあのとき、ポンと1万円を支払っていればよかったのだろうか。
そもそも、お礼に何をするかを前もってすり合わせておくべきだったのか。
いっそのこと、自分の本なのだから他人に絵を描いてもらおうなんて思ったこと自体が間違いだったのか。
……恐らくすべての点で間違っていたのだろうと思う。
Aはきっと、私に対して「自分の絵(=自分の人生そのもの)に対して1万円の価値もないと思われた」と
感じているのだろう。
もちろんこれは断固否定するが、そんなことは決してないし、Aの絵と絵に向き合う姿勢にリスペクトしていたつもりだ。
私の思いはAに伝えたつもりだが、その通り受け取られなかったのなら、それは私の言葉や表現方法が悪い。
そもそも受け取ってもらえなかったのはきっと今までの積み重ねもあるのだろう。
私の信用は、もっと前には既になかったのだろう。
Aが私に対して「許せない」と感じているのはもう仕方がない。
許されないことも仕方がないと思っている。
しかし、今でも私はきちんとした謝罪ができなかったことを悔やんでいる。
Aは私の謝罪を必要としていないのかもしれない。だが私が謝罪をしない理由にはならない。
人間として、相手のことを本当に大事に思うのならば、きちんと謝罪をするべきだったのだ。
ない頭を振り絞りAの立場に立って考えたつもりではあるが。本心はAにしかわからない。
Aの本心を聞けなかったこと、強引な手段でしか本音を聞けなかったことも非常に後悔している。
何にせよ、もう私たちは戻れない。二度と戻ることはできない。
Aが私を許せないのと同じくらい、私もAのことが許せないのだ。
かつての親友であっても、二人の共通の友人とは今は関わりがほぼない。
共通のコミュニティに属していない以上、時間とともに価値観の相違は生まれるものだ。
Aも私も、少しずつお互いにずれていっただけなのだと思う。
Aが使っていた「ばかたれ可愛い」という語彙がなんとも下品で嫌いだった。
家に招いたとき、部屋中に飾った好きなキャラのグッズやぬいぐるみを見て
「ちゃんと定期的に埃とか取らないと汚い」と言ったことが許せなかった。
言いたいことをはっきり言わずに態度に出まくりなところが本当に嫌だった。
誰が聞いてるかもわからないオープンな場所で人の悪口を言ってる姿が情けなかった。
「もうとっくに友達じゃない」と思っていたのならさっさと切ってほしかった。
「友達として終わってる」なら私の結婚関連の祝いの言葉は何だったのか。
これらは全てAが悪いのではなく、私の価値観に合わなかっただけである。
それでも私はAを許さないと思う。
蓮舫批判って立憲に期待してた層や蓮舫に期待してた層じゃないと思う
むしろ今回の蓮舫のムーブって立憲支持者や蓮舫支持者からは喜ばれてる
負けました次頑張りますだと喜ばなくてアイツが悪いとか攻撃をやり始めるのが今流行りの政治ムーブで支持者離れが起きないように負けた感を出さない奴
意味がわからなかろうが私が違和感を感じているというのは事実なので
書いた内容についてたまたまそれを読んだ人に何か満たされるものがあったとしても、そういう書き手と読者のウィンウィン関係が成り立つのはただの偶然であって、
お互いに全く無関係な複数のコンテンツあるいは「ミーム」がたまたま同じ文字列に象徴されているとして、そのうち一つだけがタグを独占して、他のコンテンツのファンがタグを使うことに対して「タグに無関係な投稿をするな」と言ってるのと、本質的に同じ
妹がいる。もう何年もまともな会話をした記憶が無い。物心ついた頃には嫌いで、時間が経つに連れて嫌いというか、無関心になっていた気がしていた。
昔からなんでもあたしの真似をしたがる妹のことが嫌いだった。あたしが中学のバスケ部に入ると2年遅れて同じ部活に入ってきた。中学生の時、ラジオにハマってバンドを好きになり、高校に入学して軽音部に入った。2年後、バンドに全く興味のなかった妹が、別の高校の軽音部に入った。メイクを覚えたあたしが、なけなしのバイト代で買ったカラコンのゴミを妹の机の上で見つけた時。教習所に払うはずで前日に確認したお金が、いざ払う時に数千円足りなかった時。全部嫌だった。
最近色んなもの無くなるな〜と思ったらそれが全部妹の机とか引き出しの中にあった時のあたしの気持ち分かる?高校生になって、ライブにいっぱい行きたくて部活終わりに数時間だけ入っていたバイトで稼いだ数万円から、知らん間にお金が減ってくあたしの気持ちは?
「あんたしか盗るひとおらんねん。お金返して」って言っても「知らんし」の一言で済まされて、お金はどれが誰のかなんて分からないから、泣き寝入りするしか無かったの、マジであの時のあたし、可哀想だった。流石に教習所に払うお金が無くなった時に、オカンに電話して事情説明したらオカンが妹に問い詰めてそれだけは認めたけど。そのお金だけは返してもらったけど。その後、普段あんまり関わりない父親が「これに入れとけ」って南京錠付きの小さな金庫を買ってきてくれた記憶がある。でも、そんなのほんの一部でしかない。お金取られるのが嫌で、貯金箱に何円玉が何枚入っているかの紙まで入れてたのに、お金盗まれてたこともあった。その時は馬鹿すぎて呆れた。「ここにどれが何枚あったかメモしてるからおかしいねん。あんたしかやらんねん。パパとままがやる訳ないやろ。」って言っても「知らん」「やってない」の一点張りで呆れて1回リビング行って部屋に戻ったらしれっと棚にお金が置いてあって「そこあるやん。自分が見逃してただけやろ」って言われた。腹立つ。今思い出しても腹立つな。
こういうことがあたしの24年間の中にたくさんたくさんあって、妹のことが嫌い。「妹嫌いやから今何してるかとか知らん」って言うと「え〜?仲悪いん?笑」ってよく言われるけど、仲悪いとかそんな言葉で片付けないで欲しい。そう。とにかくあたしは、妹が嫌い。嫌いにならないとやっていけなかった。
だから、妹にあたしの好きな物がバレないように、たからものがバレないように生活してきた。いつ真似されるか、いつ盗まれるか分かんないから。
そうやって生活してきたのに、あたしの神様だった大森靖子のMVに、妹がいた。地獄だ。大好きな靖子ちゃんの歌に救われたくてMVを開いたら、大嫌いな妹がいるんだもの。靖子ちゃんはあたしの神様で、たからもので大事に大事にしてきた。そのMVになんであんたがいる。もう嫌だ。いつまで経っても、あたしから全部を奪っていくんだね。大学を卒業してから家を出て、もうお金を盗まれる心配しなくてもいいんだ、もう自由だ。と思っていたのに。つらい。助けて。死にたい。あんたの顔、見たくもない。靖子ちゃん。あたしの神様だった。靖子ちゃんが妹の存在を肯定しているように思えて、勝手に傷付いている。被害妄想にも程があることは分かってる。靖子ちゃんはなんにも知らない、なんにも悪くない。あたしが、あたしが悪いだけ。あたしだけが、ずっと、昔されてきたことを引きずってる。妹は、もうあたしにした事なんて覚えてもいないだろう。忘れたまま、音楽活動をしていて、たまたま靖子ちゃんのMVに出ていただけ。分かっている。でも悔しい。あたし、ずっと前から大事にしていたの、靖子ちゃんの事。靖子ちゃんの歌を。こんなん、傍から見たら好きなアーティストのMVに出てる妹に嫉妬してるだけでしょとか言われそうで、それも全部嫌だ。そんな、嫉妬とかで済ませないで欲しいよ。あたし本当に靖子ちゃんを救いに生きてきたよ。それがこの有様だ。情けないね。かなしい。死のうかな〜。しぬ勇気も無いけどね。笑える。
これから靖子ちゃんの歌を聴く度に妹を思い出すようになっちゃった。最悪。しにたいね。地獄だここは。
助けて靖子ちゃん。
そこに感謝の念はあるのか?
関心があるのは自分のことばかり。
自分が「上」の学校に受かるかどうか、自分がライバルを出し抜いて有利になるかどうか、自分が「ちゃんとした」人生を歩めるかどうか。
「日本性分化疾患患者家族会連絡会」は、いまだ日本では誤解や偏見の多いDSDs:体の性の様々な発達(性分化疾患)について、海外の各種DSDs患者家族会・サポートグループ、国際的な人権支援団体の皆さんのご協力をいただき、DSDsの正確でサポーティブな情報を提供する活動を行っております。
日本で唯一、当事者の立場からみたDSDsの情報を発信している支援団体として、現在では、DSDs「臨床」専門医療・ケア関係者、臨床心理職、海外で人権活動に関わっている人、生命倫理研究者などのご協力もいただきながら、患者家族会連絡会として活動させていただいております。近年では、本会のホームページを見て、各種DSDs患者家族会を創設される当事者家族の方も増えているところです。
性分化疾患という用語、初めて聞かれた方もいらっしゃると思います。性分化疾患(DSDs)とは、外性器や内性器、染色体の構成など、いわゆる「体の性のつくり」が、生まれたときから一部、一般的な発達とは異なる体の状態を指します。
今回、アメリカでのパスポートに男性・女性以外の第三の性別としての「X」欄が設けられたというニュースがいくつかの報道機関によって報道されました。中には「男女両方の特徴」という誤った説明をする報道機関もありました。
たしかに今回アメリカのパスポートで「X」の欄を認められた人は、何らかのDSDsのひとつをお持ちの方であると国際的な人権支援団体からも聞いております。ですが、その方はたまたま「男でも女でもない」という「性自認」をお持ちの方でしかなく、DSDsとは全く関係なく個人の「性自認」が認められることは大切だと思いますが、私たちのDSDsの体の状態をして、「男女以外の性別」のように思われることは人権侵害に他なりません。
DSDsに対しては、社会では「男女以外の性別」「男女両方の特徴」など、神話的な両性具有イメージで見られることが多いのですが、実はなによりも私たちは、自分の体の状態が、世間の人々から「男でも女でもない」「男女以外」であるかのように見られてしまうということこそを恐れて生きているのです。
そして国際的な当事者人権支援組織も、私たちのような体の状態がまるで「男女以外の第三の性別」であるかのような誤ったイメージを広めたり、私たちの身体を使って男女以外の性別欄を求めようとすることは、DSDsを持つ子どもたち・人々を他の集団の人々の道具のように取り扱うことであり、私たちの生活と人生に広範囲の害を与える危険性があると表明しております。
現実に、学校でのLGBTQ等性的マイノリティの皆さんについての授業で、DSDsを持つ人々がまるでグラデーションの中間領域の存在であるかのような説明をされて、不登校になった当事者の女の子のケースや、男女以外に「その他」が設けられているの性別欄を見て、自殺未遂に至った当事者女性などの相談も受けている状況なのです。
センセーショナルなイメージではない、大多数のDSDsをもつ人々について詳しくは、人権先進国ベルギーの公的機関の調査報告書を翻訳しております。ご参照いただければと思います。
また、私たちで作成した「DSDs報道ガイドライン」も添付させていただきます。
報道各社の皆様には、DSDsに関する報道・番組制作に際しては「専門家」「有識者」だけではなく、DSDs当事者・経験者の声を取り上げていただきたくお願い申し上げます。当事者不在、実態に即さないイメージが拡大していくことは、私たち当事者と家族の人生と生活を脅かします。
私たちDSDsを持つ人々は、そうでない人たちと同様、ただの女性・男性に過ぎません。男女の中間に無理やり位置づけられ、「男女以外の性別」と言われたくありません。どうか私たちも当たり前の人間としての尊厳と人権が守られるよう、皆様には深い配慮を頂きますよう、お願い申し上げます。
今日散歩してたら近くでサッカーの試合があって、会場に向かうサポーターが歩いてたけど
各チームのファン同士固まってて、交わってるファンが1組もいなくて違和感を覚えた。
自分はスポーツ観戦しないからわからないんだけど、別に試合前くらい別チーム同士でも仲良くしても良いんじゃないの?「今日はお互い応援頑張りましょう」みたいな感じで。
そこまで徹底して対立するもんなんだな。
きっかけは携帯代だ。格安のキャリアを使っているようなのだが、そのせいか電話するべき場面で電話しなかったり、「繋がらない!」とキレたりしている。また、通信制限もあるらしく一緒に出かけた際は地図アプリはそっちで見て!とお願いされたこともある。その節約した通信はソシャゲに費やされていた。
また、クーポンも大好き。
特に誕生日には手間暇かけていくつもの店に行き誕生日クーポンを使っている。
それだけなら問題ないが、最近、誕生日クーポンが使えるからファミレス行こう!と家族と共に急に連れられたことがあった。(その当日に突然誘われたせいで仕事の調整に苦労した)
が、通信制限に引っかかったらしく支払い間際にその店のスマホアプリがそもそも起動出来ないという事態が発生した。意味ねえ〜
その時は運良く自分もたまたま同じアプリを入れていた上誕生月も同じだったので自分のクーポンを使用した。
別にahamoとかpovoとかの3,000円程度の契約プランでも20GBほどは利用でき、通話も5分間は無料なのだから、人に頼る羽目になったりするくらいならそんな格安のものを使用しなくてもいいんじゃないかと思う
姉曰く3000円は高いらしい。
他にも、趣味がメルカリ・ヤフオクの出品なのだがそれも出品作業に多くの時間を費やしている。特に定期的にある手数料が0円の時期はずっとやっている。
ちなみにアニメグッズの収集が趣味のようで、今はおさまっているが昔は箱で買っていたため売るものは恐らく無限にある。実家を出た今も姉の部屋には店を開けるんじゃないかってくらい細々したグッズが引き出しに入っている
そのため忙しいから!と母にイライラをぶつけたりしていたこともあったが、そんなに忙しいならしなきゃいいのにと思わなくもない。
どうせ元値が数百円〜数千円のグッズなどそんなに高く売れないし。
給料が少ないから……と思われるかもしれないが、おそらくそんなことはない。詳しく聞いたことはないが、多分年収400〜600万くらいはありそう。経理系の仕事だから数字にも強いはずだ。だから多分趣味で倹約をやっている。
物価高もあり、自分も姉を見習って節約できる所はしてるのだが、姉を見てるとあんまりそれにこだわりすぎると精神的余裕がなくなる(後若干人に迷惑をかける)のかな……と思った
でも老後2000万問題とかもあるし、難しいよなあ
ある表現を「自分が嫌いだと思う」事と、「社会的に正しくないと思う」事は全然違うよ
例えば自分は成人女性と男子高生の恋愛ものとかも読むけれど、それが「社会的に正しくない」のはちゃんと分かってるよ
男は何故かその切り分けができない人が多いよね