はてなキーワード: たまたまとは
1978年生まれで今年45歳の増田だけど、仕事中のBGMにたまたまリッジレーサーのアルバムを聞いてたんすよ。
そしたらスマホの画面にはサウンドトラック1995年と表示されていて「あー30年前かあ」ってぼんやり見てたんだけど、よく考えたら自分の生まれた30年ちょっと前に終戦したわけじゃん。
自分にとってリッジレーサーなんて子供の頃遊んだファミコン時代とかと比べると”新しい側”のゲームの記憶で「イチニッサーン」のCMもリアルに思い出せるのに、自分が生まれた年の45歳は、終戦前後の思春期をこんなリアルな記憶のように感じていたんだと思うと少しゾッとした。
これまで女性とは無縁の人生だったのに、40過ぎてこんな結婚に巡り会えたことが幸運すぎるってやつが
50過ぎていまだに童貞の俺なんかに気安く出会いはあるよ!とかクソアドバイスしたりするんだぜ
たまたまてめーがうまくいったからって心にもないアドバイスすんなっつーの
わかってんだから
標準体重の範囲におさまったところで安心して、計測をやめてしまった
けど3年の間、波はあれども続けたダイエットに関する知識はあるので、食習慣なんかは元に戻ったりはせず継続した
お菓子は本当にたまに食べるだけ
野菜を食べる
タンパク質をとる
けど、地道な計測をやめたことで、食べる量は増えている自覚はあった
ああサボったらやっぱり体重って増えるんだよな〜月に0.5キロずつ増えた計算か、、けっこうなハイペースだなと思った
計測して意識して食べる量もコントロールしないと太ってしまうんだなと
一度やせたことで満足して、強いモチベが維持できなくなったとかそんな感じだろうか
また始めなきゃなあ、と思いながらもできずにしばらく経って、今朝
………
1日の中でも増減はあるし、月のサイクルでも体がためこむ時期はある たまたま、そこの最大値で体重計に乗ったというところなんだろうか
昨日、母とニュースを見ていた
上皇夫妻が卒寿になったらしく、そのお祝いの音楽パーティみたいなのをやったらしい
上皇と上皇后の近況を伝える映像で、二人が手を繋いでニコニコ微笑みながら木陰の下をお散歩していた
「この二人って、この歳で手とか繋ぐんだね」と言ったら、「この夫婦は仲いいのが伝わってくるよね。それに比べてあの若夫婦は仲良さそうじゃないよね」と母が言っていた
天皇夫妻を近所に住んでいる人らみたいに言う感じが面白くて笑ってしまった
そんな話を昼に同僚にしたら、天皇家推しと秋篠宮家推しみたいなクラスタがあるのを教えてもらった
たまたま最近タイムラインに流れてきて、そんな界隈があると知ったそうな
天皇家推しの人と秋篠宮家推しはライバルみたいな感じで、「こっちの方がいい家族!」みたいにXで言い争っているとのこと
「なんか家族をコンテンツとして楽しむのは、アイドルを信奉し愛でるのよりも怖いですね」と二人で一致する部分もありつつ、
「ただ一生楽しめるコンテンツだと考えると一ミリもわからないわけではないかも」と私見を述べたところ、「いやーやっぱ怖いですよ」と同僚は言っていた
パリピ孔明に「民草」という言葉が出てきて、 おそらく意味としては 「何の才能もなく平凡だが、毎日を一生懸命に生きてる人々」 みたいな意味なのだろうが、 最近、どうもこの言葉に嵌ってる。
http://blog.livedoor.jp/advantagehigai/archives/66112831.html
という記事を見つけたのだが、ここでは開成と麻布の対比として、 仮に両方とも、10の努力をすると100点をとれるとすると、 開成生は12の努力をして120点をとりにいこうとするが、 一方で麻布生は8の努力をして100点を狙う省エネ戦法で行くのかというと それどころか3の努力で80点を取りに行く精神性があると書いてある。 だから麻布生はトップ(国王)になれないのだ、ということだ。
これは中学受験にも問題があり、 麻布の入試は明確に、3の努力によって80点をとれる子を選抜している。 麻布の入試はよく、対策不能と言われるが、 そういう、ゴリゴリに努力したとてとれない問題を出すことによって、 超地頭キッズを選抜しているのだ。 偏差値では足りてたけど、落ちたという場合、 それはたぶん、地頭が足りなかったのだ。
麻布生はまさに「民草」とは真逆にある存在だ。 それ故に、おれは民草という言葉にハマってるのだと思う。 民草は、12の努力をしても30点しかとれない人たちのことだろう。 ガイジすぎて笑ってしまう。 まさに草だ。
さて、民草という言葉に最近おれが突然ハマり始めたもう1つの理由はおそらく、 最近になってようやく民草というものの存在に気づいてしまったからだと思う。 何を言ってるかというと、おれは民草の存在を最近まで感じたことがなかった。
おれが通った幼稚園は少し特殊で、その中でもよく遊んでいた子に TくんとNくんがいるが、ともに早稲田と慶応に進学したと聞く。
小学校は公立だが、今思い返すと、「あきらは特別だから」と先生に言われていて、 その時は何のことかわからなかったが、今思うとそういうことだったのだろう。
おれの親は早期教育に反対していて、3年生になるまでは家庭学習は一切しなかった。 そのため、学校の成績はそれほど良くはなく、この前たまたま押入れの中から当時の成績表を見たが、 それはまぁ、ひどいものだった。
3年になると家庭学習も多少やりはじめ、そうすると成績が一瞬でトップクラスになり、 秋には地元の最難関中学受験塾に合格してしまった。 ここの塾に入るための試験はかなり難しく、かなりの子が国立や私立の小学校か、 あるいは低学年向けの講座でゴリゴリに仕上げてきた子だった。 一方でおれは学校の勉強ではトップクラスだったものの 中学受験の勉強はしてなかったので不利だったが、 試験中にすべてその場のノリで解いた。 問題はパズルのようなものが多く、そもそも麻布栄光向きの子を 選抜するための試験だったので、それもおれには向いていたのだと思う。
入塾してからも一気に成績を伸ばし、 4年の秋には四谷大塚の組分けテストがあったが、 ここでも無事C会員に合格。 C会員の世界だと半分くらいは御三家に合格するから、 ざっくりいうとこの時点で麻布や栄光に行けることはほぼ確定した。 その後もそれなりに勉強はしたが、陸上部のキャプテンとして陸上大会に出場したり、 自らミニ四駆部を立ち上げたり、デジモンの転売業をやってボロ儲けしたり、 3以上の努力はしなかった。
結局、無事に麻布中学に進学し、超地頭キッズたちと楽しく6年間過ごした。 その後の大学受験は、高3の時に受けた鼻の手術がまずくエンプティノーズになったために残念ながら破綻したが、 あれがなければやっぱり3の努力で東工大に進学してたと思う。 おれは、東工大で一番になり、MITに交換留学することが夢だったのだ(英語だけはそれなりにやり準一級までとってたのはこのため)。 結局その後京大に行ったが、 やはり民草とは程遠い世界だった。
新卒で入った日立製作所も、周りには修士以上が応募条件なので、 やはりここでも民草には会えなかった。 実のところ、それ以降の職場でも、特殊な場合を除くと全員修士以上だった。
民草に出会ったのはようやく最近のことだ。 修士号もないやつがエンジニアリングをやるということが おれにはどういうことなのかさっぱりわからないのだが、 とにかく、民草学歴であっても、自分なりに創意工夫してエンジニアリングっぽいことをしてる 人たちがこの世には存在するということがようやくわかってきた。
まぁ、存在することはわかったとしても、 どうして彼らが自殺しないのかがよくわからないのだけど。 何が楽しくて生きてるの?
たまたまじゃなく、毎回まずいと思っていてついに言った可能性もあれば
発見したのは上司や情シスで、初犯だからと後輩通じてやんわり指摘してる可能性もある
年下の同僚(職場的には先輩)と書くあたり思う所があるんだろうが、まず自省するべきだろ
職場で見れる範囲内の資料を把握しておくというのはむしろ良い行為だし
何的外れなこと言ってんのよ。
ミスはミスだしこういう奴が本当にいるというリスクが身に染みたので同じことは二度とやんないよ。
その同僚との今後の接し方とかで注意しとかなきゃいけない点があるよなという話だろ。
人間誰しも自分を庇う言い方をするもんだが、それにも程度問題があって、「自分の意思で見た」を「たまたま見ちゃった」と言い換えるような奴の言うことを鵜呑みにはできない。
転職組俺、年下の同僚(職場的には先輩)から「たまたま見ちゃったけどこのファイル公開してるのマズいっすよw」と忠告いただいて、それ自体はそのとおりですぐ非公開のとこに移したんだが、「自分の意思で見ようとしない限りは見えない」ファイルを見た上で「たまたま見ちゃった」はどういうことだと若干モヤっている。
「気になっちゃったんで見ちゃいました。これマズいですよ」ならわかる。
実は、別の同僚から「グループウェアの見える範囲はマジで何でも見ようとする人がいるから気を付けてね」と前に聞いていたので、ああこういう奴がいるってことだったんだなとようやくわかった。
たまたま見ちゃった君、多分本人も意識せずに嘘をついているわけだが、こいつはそういう嘘を言う奴なんだなということと、自分に関係ない他人の予定を一々チェックしてる奴なんだなということがわかった。
このモヤモヤは今後に活かしたい。
男好きなゲイが周囲のノンケの裸体に欲情してちんぽ勃起させながら男子更衣室で着替えるのは(実際にノンケを襲わなければ)許されていますよね?
生まれつきフィジカル強者の黒人選手がアジア人選手からチャンスを奪うのも、無差別級格闘技で貧弱なアジア人選手に選手生命が終わる怪我をさせても(ルールの範囲で起きた事故なら)許されていますよね?
ノンケ男をレイプしたゲイ性犯罪者でも男子刑務所に入ってますよね?
暴力犯罪被害者シェルターの利用者が、犯罪率の高い黒人や宗教原理主義テロをよく起こすイスラム教徒は怖いし自分は実際に彼らに加害されたから、黒人とイスラム教徒はシェルターに受け入れないでほしい、と希望したらそれは差別ですよね?
同じシェルター利用者の黒人にぶん殴られたり、信仰をちょっとバカにしただけでブチ切れたイスラム教徒に刺し殺された被害者もいるんじゃないんですかね? 知らんけど。
そういう事件が実際に起きたとしても、多様性を尊重して差別に反対するなら、仕方ない犠牲では?
というか犯罪者本人は警察に引き渡すとしても、犯罪者が出たからという理由で同じ属性の人間をまとめて排除とかド直球の差別ですよね?
過去に朝鮮学校の不良にぶん殴られた被害者が、その不良と無関係の在日コリアンが怖い入ってこないでと言ってるなら精神病院で薬をもらった方がいいと思います。
個人的にはヘイトスピーチで逮捕されて賠償金を支払って社会的地位を失ってしまえと思いますけど。トランス女性というマイノリティに対してそれぐらいの差別発言をしていると理解して。
誰でも見られるネットや雑誌で「女の子が友達を作るためのサークルです。でも黒人やイスラム教徒は怖いしキモいので参加できるのは白人のキリスト教徒だけです」と宣伝したらそりゃあ炎上しますわ。
どうしても「白人キリスト教徒女子だけのサークル」のような物をやりたいなら他人の目に触れるな。徹底的に世間から身を隠した秘密結社みたいにやれ。
現代で「身体女性だけのレズビアンサークル」をやるというのは「全てのユダヤ人をガス室で『最終解決』するべきと考える紳士の会」をやるのと同じと自覚しろ。加害者が被害者ぶるな。
「私のこれまでの人生で恋人になったのは『たまたま偶然』身体女性レズビアンだけだったわ。でも今後の長い人生でトランス女性レズビアンと恋に落ちることだってあるかも知れないわ」
とその気が全く無くても言っておけば済む話。なぜその程度のマイノリティへの『配慮』ができない?
レズビアンの合コンでもお見合いでもトランス女性の望むままに参加させて、結果的にトランス女性が誰ともマッチングしなくても、
「あら、あなたはお相手が見つからなかったのね。お気の毒様。でも、こんなにチャーミングな『女性』なんだから、きっといつか素敵な相手が見つかるわ。ここには『たまたま偶然』いなかったみたいだけど、頑張って!」
と心にも無いことを笑顔で言いながらカップル未成立者としてご退場を願えばいい。
この程度の建前も演じられずに、
「「黒人キモい付き合うなんてあり得ない。イスラム教徒と結婚? 信じる神が違う人間と家族になれるはずがない。夫がテロリストとか嫌だし」
レベルの本音をトランス女性に対して吐き散らすから身体女性レズビアンは叩かれるのだ。
自分の行っている差別を正しいと信じている、なんなら差別とすら気付いていない差別主義者だから。そして世界が反差別の方向に着実に進んでいるから。
活動期間のすごく短い(出演作数本とか活動期間1、2年とか)、けれど素敵なAV女優さんを見つけるたびにせつなくなる。
見つけた時には引退してた、みたいな。
引退の理由は女優さんそれぞれだろうけれど、人気があるのに引退した女優さん(不人気を理由に引退したのではない女優さん)はすぐにわかる。
いろいろな総集編に繰り返し再録されるからだ。
そうした総集編を見てたまたま存在を知り、どうにかして名前を調べてFANZAでその女優さんの出演作品一覧を出すと、一覧が総集編で埋まっている。
ああ、引退しているんだ、とわかる。
リストを「単体作品」で絞り込むとほんの数本だったり。総集編には何十本も再録されているのに。
こんなに人気があったんだね。君の新作が見たいよ……。
私が本人です。
でも、なりすましのニセモノによると私は男で恋人がいなくて童貞のようです。
どうでもいいですけどね。
私の方が本人だと主張しても、何の証明にもならないですからね。
それと私は炎上したとは思っていなくて、私の書いたちょっとした日記に反響があってうれしいと考えています。
反対意見や乱暴な言葉づかいも見受けられましたが、それも私の日記を読んでくれた人の貴重な意見と考えて参考にしています。
ですが、まさか私になりすます人が出てくるとは、思ってもいませんでした。
立派な信念をお持ちの方のようですが、たまたま有名(?)になった私になりすましまでして主張を拡散したかったのでしょうか?
ここは匿名ダイアリーなので自分のちょっとした思いを日記として匿名で書いてみたのですが、匿名であることの意義をわきまえていない人の存在に残念な気持ちになりました。
趣味があっていいと思う
自分の母親は趣味があったけど我慢してたのか趣味がなかったのかは分からないがずっと家庭に尽くしてた上に家族以外で自分の好きな物が分からないって言ってた
自分が大人になってから高いスキンケアプレゼントしたりネイルに興味があると言ったから毎月ネイルサロンに送り出してるが、育児してた時よりも晴れやかな顔で楽しそうで、やっと自分の人生を生きてれる気持ちだと言っていた
趣味が自分の人生を生きてる気になるのかどうかは分からないけど、人に尽くすだけじゃなくて好きなものがあってそれを応援したりできるのは良い事だと思う
韓ドルにハマったのはたまたま目にする機会が多いからだと思うよ
今人気だし
たまたま入ったレストランで、対応してくれたスタッフが元恋人にそっくりで本当に手が震えた。
今日本にはいないし、いたとしてもレストランで働く人ではない。そもそもこんなに若くはない。
しかし本当にうり二つで、酒や料理もあまり楽しめなかった。美味しかったはずだが、それより「他人のそら似ってあるんだなあ」という衝撃の方が大きかった。
自分はたまたまやばいと思ったタイミングですぐに診療していただき、その日に休職したので大事?には至っていない気がしますが、診断されたその週は
親が高齢になり生業にしている農業に支障が生じ始めたとのことなので田舎に戻ることにした
私は農作業をせず家事の手伝い係としてサポート、昼間はフルリモートの正社員として東京の会社で働いているという形なんだけど想像以上に田舎暮らしがキツすぎる
東京に出てきて20年、「給料変わらずに田舎に戻るならまぁ悪くないかもな」なんて思っていた当時の私をぶん殴りたい
私は東京に染まりすぎて田舎暮らしに順応できない体になってしまっていた
東京で暮らしている頃には何とも思ってなかった素朴な文化の数々がどれだけ日々の暮らしに潤いを与えてくれていたのかを身を持って体験しているので、つらつらと愚痴を吐きたいと思う
東京に勤めている頃は仕事終わりにIMAXの映画を観たりミニシアターの小規模作品を観たり色々な映画を観ていたものだが、いま私の住んでいるところにはそもそも映画館なんてものがない
一番最寄りの映画館までは車で1時間半、IMAXのあるシアターに行こうとすると3時間もかかる
たかが映画に行くという行為すら一日がかりの遠足になってしまう
おまけに単館系のアート系映画は地元の映画館では上映されない場合も多い
元々映画鑑賞を趣味にしていた私は田舎に帰るにあたってこの田舎の映画砂漠を甘く見すぎていた
帰省前は「まぁ週末車で出かけて映画を観ればいいや、なんならサブスクもあるし」などと思っていたがこれは甘かった
「そう言えば今日〇〇の公開日じゃん観に行こ」といった突発的な映画鑑賞ができないというのは想像以上のストレスになる
東京にいた頃、「今日は残業なかったしなんか観て帰るか〜」って気軽に映画館に行っていたけどこれは都会にのみ許された贅沢だったんだね…
Xの皆の感想を眺めながらサブスクでの配信を待つってことがこんなに屈辱的だったなんて思わなかったよ…
スタバのカップを片手に通勤なんてこともこれまで一度もしたことがない
Xやインスタで季節の新作の広告が流れてきたり、たまたま通りがかったときにのぼり旗で新作の存在を知ったりして、気分が乗っていたらスタバに立ち寄って飲む
それくらいの使い方をしているだけだった
これは本当に文化的で贅沢なことだったんだ
映画館と同じくスタバを飲むためには車を走らせて一日がかりの遠足をしなければならない
「お、桃のフラペチーノの季節やんけ飲みに行こ!」なんて気軽にスタバに立ち寄ることは、田舎に暮らしている限り無理なのである
たかがスタバの新作を飲むという程度のことすら気軽にできない!
スタバを飲むなんてこと、本来は文化的には大したことないはずなんだよ…
でもそんな大したことのないことすらも満足にできないってことにどんどんみじめさが募っていく
田舎に戻って3ヶ月が経った頃、私はスタバの公式アカウントのフォローを外している
東京に暮らしていた頃は何とも思っていなかったことだけど、デパートのコスメは心を豊かにさせてくれるオアシスだったんだね…
田舎に変える前は「化粧品?最近は同じのしか使ってないし通販でいいでしょ」なんて思っていた
そして、一側面的にはそれは正しかった
でも、デパートのお気に入りのブランドのところに行って「お、新作あるやんけ試してみるか」「いやこれ普通に前のほうがいいわ乗り換えるのやめよ」なんてあれこれ試している時間は本当に心に潤いをもたらしてくれる貴重なものだったんだ…
普段使ってるのよりグレードの高い、例えばグッチとかトム・フォードとかを見て、店員さんに良かったら試してみますかー?なんて言われて「いやー、誕生日に自分で自分にプレゼントするのもありかもなぁ」なんてお試しで付けてもらったリップの輝かしさを鏡で見ながらニコニコする
そういう時間がどれだけ心を豊かにしてくれていたのかなんて当時の私にはわからなかった…
私は自分のことを化粧品にはそんなにこだわりのない女だと思っていた
田舎に帰ってはじめて「化粧品にこだわらない」ということの本当の意味を知った…
私は元々そんなにイベントに行く方ではない
SNSで好きな漫画家さんの原画展が開催されると知って、しかも定期圏内の気軽に行けそうな場所であれば赴く、といった程度の頻度だった
あるいは電車の広告でモネ展をやるという情報を見て、「まぁ人生で一度もモネを見たことないってのもなぁ」なんて思いたち何の知識もないまま鑑賞しに行ったりする
映画以外のことについては割とインドア派なので、ほんとそれくらいの感じだった
何度でも言う
当たり前だと思っていたことは都会の人間にのみ許された贅沢だった
そしてこの種の贅沢が一切できないというみすぼらしさ、そのみじめさがどれだけ心を苛むのか私は全くわかっていなかった
田舎に帰ってきてからというもの広告にそそのかされてついついイベントに赴いてしまう、なんて経験は絶無である
日々の色彩を豊かにしてくれていたのはこういうイマイチ積極的に行っていたってわけでもないイベントの数々だったんだね…
ここでの毎日は本当にただの繰り返しのように感じられて、どんどんと心から弾力が失われていってる気がする
とにかく毎日が退屈
そして退屈しのぎをするのにも労力がかかる
東京の文化は借り物だ的な議論が一時期流行ってたけど、いやいや借り物だろうがなんだろうが文化的に豊かなほうが毎日楽しいよ
田舎暮らしを満喫できるタイプの人間もいるんだろうけど、少なくとも私には無理だった
東京で暮らしていて一時でも「楽しい!」って思った経験のある人は田舎に帰らないほうがいいと思うよ
想像以上に反応をもらえてびっくりしている
誤字脱字を直すついでにもらった反応をいくつかかいつまんで答えようと思う
これに関しては書いてある通り車で1時間以上ドライブしないと映画館すらないようなレベルだよ
住所に郡だ村だと書くようなところだよ
ここで言う田舎ってのはそういうレベルなんで別に地方都市ないし幹線道路沿いの小規模な町などなどを田舎として一括りにして貶してるつもりはないです
私が貶してんのは人よりカエルの方が多いようなクソ田舎だけです
そこんとこよろしく
これに関しては単純に私の見通しが甘かった
まず私が勤めている会社内でフルリモート地方勤務のルールが敷かれたのが大きなきっかけ
私は社内デザイナーなんだが、元々管理職方面のキャリアは積んでいなくて専門職系の実働部隊の中での一番年上みたいな立場
管理職と違ってひたすら手を動かすだけだから地方勤務との親和性が高かったんだよ
一応年齢✕1万以上+年2回のボーナスくらいの給料はいただけているし、この給与水準なら物価の安い田舎に帰れば不便さを差し引いてもメリットあるのでは?って考えに取り憑かれてしまった
しかも折悪く両親の体調の話を聞いたんでこれは天の采配だ!って意気揚々と帰京して後悔しているって顛末
早とちりと言ってしまえばそれまでなんだけどまさか私自身ここまで東京の暮らしに充実感を覚えていたなんて思ってなかったんだよ
割と叩かれて凹んでいたんだけど、この反応を貰えたから増田に投稿してよかったなと思えたよ
なんでこんな簡単なことにも気づかなかったんだろうね
まだ思いつきだけど、自分専用の映画館を建てるのを目標に生きてみようかな
田舎だから音漏れも気にしなくていいし、私のブルーレイコレクションも無駄にならないで済むし
ここで挙げられているのは消費であって文化ではない
うるせぇ