はてなキーワード: 研究室とは
大所帯の研究室だが、自分がやっているのはその中で小さなベンチャー企業みたいな感じ。
だが、圧倒的に成果を出している研究室の中での、圧倒的に結果を出してる組織だ。
というか、気力がホボ折れかけている。
研究室にたどり着く前に、人生辛いことがありすぎて、もはや余生みたいな感じで生きている。
ようやく人生の勝負所にたどり着いたと思うけど、もう体力もやる気も人間性もホボ尽き欠けている。
研究に身が入らない。半分、研究とは関係ない趣味に走っている。
でも、趣味もないと研究だけだと多分、卒業までできずに狂ってしまうとも思うから、いいと思う。
アスペみたいな先輩が結構キツイんだけど、それでも毎回ディスカッションなどで成長できるから受け入れている。
先生や先輩方も、自分みたいな奴隷要員を使って、成果を出したいというスケベ心で自分を扱っているのはホボ確実だと思う。
何か言われても角が立たないように、へらへらして、「ありがとうございます、頑張ります」と言って、先輩方が気持ちよく研究に打ち込めるようにしている。先輩達が欲しそうな成果を出せるように頑張って、報告している。
自分は研究成果は出せなくても、一応奴隷要因として働けば、先生や先輩達の論文として、社会貢献できるんではないかなーとは思っている。
アカデミックに残るつもりはサラサラ無いし、つまらない仕事を田舎でやることで人生終わると思う(実家の稼業をつぐため)。
でも、自分が生きた証拠は、多分この研究室で奉仕したことだと思う。
あとの学生生活の時間、キッチリ耐えきって、コンスタントに奴隷やって終わりたい。
個人的な人間としての感覚でいえば、本当に嫌だし辛いし面倒くさい。でも、自分が触知できない、形而上の幸福がそこにあると思う。存在証明みたいな。
題名にある通り私は某旧帝大で特任助教(バイオ系)をしており、今年の3月末で任期が切れます。アラフォーです。
ここ二年の間アカデミア、民間企業等多岐にわたって職探しをずいぶんやりましたが、結局就職先は一つも見つかりませんでした。
アカデミアに関しては南は沖縄から北は北海道まで日本全国で様々な大学のバイオ系研究職に手当たり次第に応募しましたが、全て落ちました。面接では練に練った研究計画を余すことなく熱意を持って伝え、面接官からもお褒めの言葉を頂いた事も何度がありましたが、結局全滅しました。
民間企業に関しても軽く30社は応募しましたが、面接に辿り着けたのが数社で、全て不採用でした。
もうここまで来ると職探しをする気力は消え失せてしまいました。
もうアカデミアも民間企業も持ち駒は一つもなく、今はただ来月末の任期満了日を怯えながら待つのみです。
4月からどうすればいいんだろう。。。どうしよう。。。私は独身で、頼れる身内も一人もいません。人生つみました。
世間では研究者はすごく大変だけどやりがいのあるかっこいい仕事だと思われてるようです。昨今の日本人ノーベル賞受賞者の影響もあるでしょう。しかし、研究者は能力がなければ目も当てられないくらいに悲惨です。(私です。。)素質に恵まれた極少数の研究者は非常に良いですが、大半の研究者はそうではなく、早晩窮地に追い込まれることになります。(私です。。)
思い返せば、私は小さい時から研究者に憧れていました。高校では必死に勉強して、現役で東大理一に合格し、その後も理学部を経て理学系研究科で博士号を取得し、自分は将来東大教授になるんだと信じて疑いませんでした。しかし、今思うと、理学系研究科で大学院生をやってた時既に自分は研究者に向いてないという事に気付くべきタイミングが少なからずあったように思えてなりません。詳細は省きますが、当時の指導教諭や先輩(今は某旧帝大の准教授です。。)から私が研究者を目指すことをやんわりと否定するようなことがあったことを思い出します。結局研究者としてやっていけなくなっていまこのようなにっちもさっちもいかない状況になってしまったので、やはり彼ら(研究者としての素質を持ってる人たち)の指摘は正しかったし、素直に彼らの指摘を受け入れて、大学院生時代にキャリアチェンジを図るべきだった(就職、医学部編入とか)と意味のない反省をしてます。博士時代の同期は何人かいましたが、途中で中退して、医学部に編入したり、民間企業や官公庁にでていった人が結構いました。今思えば彼らの選択が正しかった思います。素直さのなさと視野の狭さが私の欠点であり、その欠点のせいで人生がこうなるとは予想してませんでした。
博士号取得後は別の研究室に移りポスドク(激務薄給労働者)として一日も休むくことなく馬車馬のように働きました。ポスドクをしてた時にも今思うとやはり研究者としての限界を思い知らされる様な出来事がありました。(ご想像のとおりです。)この時も現実を受け入れる事なく、そのままポスドクとして残ってしまいました。ひょっとしたらくだらない自尊心のせいで、自分が研究者としてやっていくのは無理だという残酷な事実から無意識的に逃避していたのかも知れません。
数年に渡るポスドク生活の後、運良く(今思うとここで自分の人生の運を全て使い果たしのかも知れません。)今の特任助教の職にありつく事ができました。しかし、研究の世界は非情なもので、才能のない人がいくら努力しても上手く行くことは決して無く在任中にたいした成果も出せずに気が付けば任期満了まで一ヶ月というところまで来てしまいました。
昨今大学の研究者を取り巻く環境は悪化の一途を辿っており、任期無しの研究職がどんどん少なくなり、その一方で任期付きの研究職の割合が日に日に高まっています。このような状況のせいで自分は研究者になれなかったのだと不平不満を述べる人が多数いますが、私はそうだとは思いません。やはり研究者になれない人(私も含めて)には素質がないのです。素質が何なのかは難しいところですが、結局任期無し大学教員という職を巡る椅子取りゲームで勝つのはやはりふさわしい人なのです。終わりのない椅子取りゲームに見えますが、研究者として生き残る人はなんとなく決まっているように思います。(ここらへんは私自身の勝手な想像です。自分は研究者になれなかった脱落組なので。。)
繰り返しますが、研究者は素質がないともうほんとに悲惨です。自分に素質があるかどうかは割と早い段階で分かるはずなので、いま大学院等で研究者を目指して奮闘している方達(特にバイオ系)には時期を逃すことのないよう気をつけてほしいと思います。
また、アカデミアのよろしくないところは、成功者の経験ばかり語られて、落伍者の声は闇に葬り去られてしまうところだと思います。成功談も大事ですが、それ以上に失敗談にこそ学ぶべきところがあるのだと悟っています。
ああ、4月からどうすればいいのやら。今後の人生はどうなることやら。任期満了日が過ぎたら、その後は社会の底辺を彷徨いつついつか年老いて死ぬ日をひっそりと待ち続けるのみです。
少しずつできるようにはなっているけど、全体像がゼンゼン見えてこない。
そろそろ、一応、今週くらいに、世界初の研究をやらせてもらえるみたいな感じになるみたいだけど。
ゼンゼン見えてこない。
だって、確実に、自分が研究しなくても誰かが研究して世界は進むでしょ。
ってなってる。
アンモニアが大量生産できるようになったら、肥料が大量生産できるようになって、そのおかげで食料問題が解決した歴史とか。
コンピューターができてから色んな分野が爆発的に進んだ歴史とか。
そういうのを考えると、
自分みたいな応用系でかつ、産業っぽくないとかのは、なんだそれってなる。
素粒子とかで、重力波を3点で測れるようになって、宇宙の謎が解かれる方がいいんじゃないの。それは今、建造中で、確実に成果が出ることが確定している。
企業で開発とか、まあ開発じゃなくても、営業とかでも何でもいいんだけど。
そっちの方がはるかにいい気がしている。
完全に、趣味って感じがしている。
そりゃ、いい環境にいるんだけど。
意味が分からないし、ってか、まあハッキリ、意味は薄いんだけど。
あー。なんでコンナことになったのかなー。
辛い。
まあ、研究が進んでいけば視界も違うのかねー。
あー。本当に論文なんて書けるのかなあ。
指導教官に、「絶対書かせてやる」とかお墨付きもらって、どうやらマジで育ててくれてるっぽいんだけど。
10年も20年も名刺代わりにはならないじゃん。
しかも、基礎理論とかではなく、ホボ応用だから、速攻で優位な研究が出されてすたれるやろなー。一応、あれかな、レビューにもしかしたら引用してもらえるんかねー。そういう意味で歴史に痕跡残せる的な?
それすら夢のまた夢やね。
ほげぇ~。
WORK RULESを読んでgoogleの人事制度の背景を垣間見たあとだとなおさら。
ソフトウェアの分野では優秀な人は1人で100人以上の成果を出す→採用に力入れる、優秀な人材が離れない/引き抜かれないように待遇を上げる
日本のメーカーの多くは技術者だって大学or研究室の肩書と、最低限の足切りようの技術面接って感じで大量採用してるから入り口の段階で取り扱いが違うよな。
しかも大学時代に優秀な人だって、配属先の部署が希望通りにならない場合も多いし。
なんだかねー。俺の会社の人事部は採用担当が毎年変わってるからリクルータからの声を上げても、毎年同じ議論してるし。
結局を地頭だけであとはうちが育てるからーみたいな代替がいくらでもあるみたいな考えだから待遇なんて大して変わらんだろうな。
労働組合も上位組織の意向に沿った交渉しかしないし、従業員の半数以上を占める現場との兼ね合いもNTTデータがやろうとしてるような大きく秀でた人を評価する制度すらできないだろうし。
みんなで仲良く手をつないで泥沼をゆっくりと一歩ずつ歩いていきましょう。大丈夫、みんな業界全体で一緒に歩いてるから安心だねー。
ニュースによる差異こそあれ、また東北大の学生が一名亡くなったらしい。
細かな事情は入ってこないものの、今の時期だから卒論なり修論なりが上手くいかなかったのだろう。
かくいう私も大学院生であり、本提出した修論を今必死に直している。正直提出前の二週間は研究室にほぼ泊まり込みで5回くらいは自殺しようかと思ったほどだ。
多分こうなる前に何段階か逃げ道はあったはずだ。それこそ休学、中退、通院など。恋人や友人なんかもいたのかもしれない。
視野狭窄となった当人の前には、茫洋たる死のみが広がっていたのだろう。
今回ことが起こったのはせいぜい6階程度の高さである。
近くには仙台城址なり八木山橋なりがあり、それを抜きにしても他の研究棟の方が立ちが高い。
その上で何故、しかも早朝を選んだのか。
当てつけか、自身の末路の見せしめか。それすら考えることが出来ないほどに思考が鈍化していたのか。
今となっては分からないが、明日は我が身という言葉が耳元からこべりついて離れない心境である。
エロ動画ではない。エロ画像である。なにせこれは20年以上前の話だからだ。
当時、Windows ユーザの間でもモデムとテレホーダイの併用でネット接続が普及しつつあった頃だった。俺は貧乏学生だったけど、常時接続された環境でのうのうとネットワークを使っていて(誤解を避けるために最初に書いておくが、俺は工学系だが情報系の専攻ではない)、Linux で独立したサーバを組んで研究室に設置し、テレホーダイタイムに家の PC98 で hterm を走らせてターミナル接続し、emacs でメールの読み書き、kermit で小さいファイルのやりとりをしているような、そんな感じの日々だった。テキストターミナルだけ、って、今の人には信じられないかもしれないけれど、メールとネットニュースの読み書き、あとはサーバの管理を行う上では、これで何の不自由もなかった。まあそういう時代だったのだと思っていただきたい。
おそらくここを読んでいる方の多くは ネットニュースという言葉を聞いてもピンとこないと思う。誤解を恐れず簡単に言うと、オープンかつ分散的なネットワークで構成された5ちゃんねる、みたいなもの……かな。5ちゃんねるはオープンでも(ネットニュース程に)分散的でもない(いや内部では分散されているんだろうけどね)し、投稿は匿名で行われるわけだけど、ネットニュースは個々のサーバが独立して運営されていて、上流のサーバとの間で NNTP によるバケツリレー方式でニュース記事のファイルが転送される。ネット上を流れているニュースグループとその記事の数は膨大なもので、そこではほとんどの場合所属や名前をオープンにしたやりとりが行われていた。日本では fj.* ってのがあって…… void 氏とか lala 氏とか、何かまあ色々有名人物がいたわけだ。何か投稿する際にびくびくしながらやっていたのを今でも思い出す。
いや、まあ fj の話はよろしい。あくまでここではエロ画像の話だった。先のネットニュースのニュースグループには comp.*, news.*, sci.* 等があったわけだけど、これらの枠組みに入らない、もしくは入れたくないような話題に関して収納する目的で alt.* というのが作られていた。この alt.* はある意味無法状態に近くて、alt(言うまでもなくこれは alternative の略である)は実は "Anarchists, Lunatics and Terrorists" の略である、などと言われた位だった。そしてこの alt.* 内には alt.binaries.* というサブグループが形成され、そこに様々なバイナリデータが流されていた。ただし、ネットニュースはテキストしか流すことはできないので、バイナリデータは uuencode(この頃まだ Base64 なんてなかったので)でテキスト文字列に変換され、分割されて投稿されていたわけだ。
で……長いな前置きが。要するに、alt.binaries.erotica.* というサブグループがあって、ここにエロ画像が大量に流れていたわけだ。勿論、大学や企業のニュースサーバはこんなグループを購読したりはしないわけなのだが、あるときに噂が流れたのだ。**大学のこのサーバで、どうやら購読しているらしいぞ、と。アクセスのあからさまな制限がされておらず、見てみると……うわー、あらかた購読してるじゃん。まさに宝の山であった。ちょっと考えて、俺は自分のサーバ上でスクリプトを書き始めた。
alt.binaries.erotica.* には、様々な性的嗜好に合わせた画像のサブグループがある。ガチムチホモの絡みなんてのはお呼びじゃないので、見目麗しそうな女性の画像がありそうなグループをまず選び、そこの記事を一定時間間隔(traffic を徒に増やすのはさすがに気がひけたので)で自動的に採取、結合し、uudecode でバイナリに変換して HDD にストアする……そういうスクリプトを書いてみた。たまたまある目的で、データストア専用の HDD をサーバに付けたところだったので、そこにバイナリを溜めるようにして、ちょっとわくわくしながら眠りについた。
翌日、早めに研究室に行き、他の学生がいないのを確認して HDD の中身を見ると……おー、溜まっとる溜まっとる。中には外れもあってスカトロやら妊婦やらエラいものも混じっているわけだが、さすがにこれは人力で弾くしかない(今ならそこも自動化するかもしれないが)。数日で HDD 一杯にファイルが蓄積されたのだった。さあ、めくるめくエロライフの始まり始まり……と思ったのだが、そうはならなかった。結論から言うと、俺は1、2週間でそれをやめてしまったのだ。
まず俺は洋ピンマニアではなかった。そして、エロ画像ってのは飽きる。最初は、今風に言うと「これは俺の嫁」みたいなのを選んで、精選版画像アーカイブみたいなのを作ろうかとも思ったのだが、そういうところにそういう食指をそそられる画像ってまぁ流れてこないんだな。圧倒的に多いのは「ノイズ」。人力ノイズリダクションに嫌気がさしてしまったのだった。おまけに HDD は逼迫してくるし、結局あるところで意を決して、HDD を unmount してファイルシステムの再構築。すかーっと容量が空いたそのときが、実は一番快楽を感じた瞬間だったかもしれない。
あのときも誰から見ても必要な第三者委員会による調査へなかなか踏み切ることができず、結果的に世界的な研究者の命、いくつもの研究室、多額の調査費用による税金を失った。
あそこで政府が学ばなければならなかったことは、データがあるものに対しては政治力など時間稼ぎ以上の効果がなく、希望的観測で引き延ばすほど事態は悪化するということだ。
今失おうとしているものはそれ以上に大きい。国内のみならず国際的な信用を失おうとしているのだから。世界に晒されて、騒がれる前に政治的意図を排除した対応をしなければならなかった。
"日本の科学研究が衰退している「2つの理由」" https://gendai.ismedia.jp/articles/-/57264
タイトルに2つの理由って書いてあるけど結局その2つの理由ってなんなんだ?
なのか?1つ目と2つ目って同じでは?
まあそれはおいといてだ。この神戸大学のおじいさんの説、正しく聞こえるが私からすると間違えている。問題の本質はそこにあるのではない。
科学は本来「これを知りたい」「何が真理なのか」といった研究者の内にある純粋な興味から発する所に価値がある。個性の違った一人一人の人間が、自分の情熱を傾けることができる〝何か〟を見つける。そこに研究のオリジナリティーの源泉があり、知的興奮が生じる所以があるのだ。
一体どこの国におっさんの純粋な興味だけに金を潤沢に出すところがあるというのか。アメリカを見てほしい。予算獲得は大変だぞ。教授の一番の仕事だと言ってもいい。こんな甘えたこと言って教授を名乗れるのはすごい。
また、若手の研究者を中心に、優秀であっても安定したポストが得られないということがしばしば起きている。研究は人間が行っており、そこで育つ人を大切にしない分野が発展などするはずはない。40歳を超えても、家族がいても、任期が来れば職がなくなってしまうのだ。
問題の本質はむしろここにあると考えるべきだ。なぜ若い優秀な人間が研究者を目指さないのか?若いうちの研究職が不安定なのは全世界どこも同じだ。ではなぜ日本ではこの不安定さが問題になるのか?
それは日本社会は研究職を諦めた人達を受け入れる土壌が整っていないからだ。もう一度アメリカを例に出そう。博士を諦めても、取った後でも、研究職以外の道がいくらでもある。コンピュータサイエンスの学生なら途中で諦めてGoogleにソフトウェアエンジニアとして入社することもあるだろう。物理の博士を取った人が戦略コンサルタントになることもあるだろう。一方の日本ではどうだ?一部の外資系企業であれば日本でもこのような就職をすることは可能であるが、流石にメインストリームとは言い難い。日本の大企業は博士の扱いが下手だし、博士に行っても成功したであろうような優秀な学生はそのことをよく知っている。優秀な人は博士に行かずに就職してしまう。博士に残るのは将来設計のできないバカか、本当に研究が大好きでたまらない人かのどちらかだ。その結果、日本の博士学生は全体として見ると質が低くなってしまう。
さらに日本の博士の審査は緩すぎるため、質の低い博士が大量に湧く。東大の博士課程でも論文引用の仕方すら知らない学生が多々いるし、彼らでさえもとりあえず博士論文らしき何かを書けば博士を取れる。そしてそのような質の低い博士を掴んでしまった日本企業が博士は使えないと烙印を押すのだ。その結果博士は嫌われるようになり、ますます優秀な人は博士から遠ざかる。そして博士の質は下がり続ける。完全なる悪循環である。
質が低い博士学生が増えると当然研究も衰退する。単純に研究能力が足りなくなるからだ。研究成果が出せないとなると予算も減ってしまう。日本企業も海外の一流大学には多額の寄付や投資をしているのに日本の大学には大して金を注ぎ込んでいないのだが、これは単純に日本の大学の研究室に金を突っ込んだところで費用対効果が低いという事情から来ている。
日本の科学研究が衰退している「2つの理由」、それは「選択と集中」と「評価」などという2つに分かれてすらいないものではない。本当の2つの理由は以下の通りである。
これらが複雑に絡み合い、悪循環を起こし、日本の科学研究はどんどん衰退している。元記事の著者も大学の教授であるならば、博士の質という点に関してもう一度深く考えた方が良いと思う。あんたらができの悪いやつも博士にしちゃうのも理由の一端なんだよ。じゃーね。
いや実際に聞こえるのはハミングどころじゃないんだが。
今私は学位を取るために必死に追加実験と執筆を重ねていて恒常的に多忙である。
畢竟徹夜も続くわけだが、そのせいか最近幻聴が聞こえるようになった。
先日も誰もいない中研究室で作業していると、ふと声が聞こえてくる。
最初はノイズ程度だったのだが、はっきりしてくるにつれて内容が分かるようになった。
混声四部合唱だ。右耳は女性パート、左耳からは男性パート(時々女性も混じる)。
曲目は皆目見当がつかないが、パートごとの追っかけもあるし、ハーモニーもしっかりしている。
このまま譜に起こせば新しく合唱曲として売れるのではないか、と思う程度にはしっかりした構築だった。
幸いというかこの日は二、三時間ほどで幻聴のコンサートは終演となったわけだが。
そこからまた徹夜続きになると度々聴こえてくる。徹夜の数を重ねるほど、声も曲調も深みを増していく。
体の酷使が原因なので、出来ればこの幻聴から早めに脱却したいのだけれど。
ああ、今日もまた。
博士まで進むことは考えてなかったので、院→就職しようかなと思っていたのですが、そのあたりはまだはっきり決まってません。
わたしも割と根性論好きな人間ではあるのですが、日本で修士とか博士を取った方数人から「終電で帰って始発でラボに行く生活」などと聞いて自分にできるのかな!?とちょっと不安になりました。
詳しく教えてくださりありがとうございました!
ダメ院生の意見、他分野かつ海外のこととなるのでまったくアテにならないかと思いますが…
学会や論文数を稼ぎたいなら、気になられている分野のワードについてKAKENなどで調べてみて、強い先生のもとで研究するのが手っ取り早いと思います。
大学選びというより、研究室選びという考えのほうが正しいです。
海外の院生はTAやRAなどでお金がいただけると聞いているのですが、これはいいことだと思います。その分責任は生まれますが、責任感感じるのは日本の研究室でも一緒です。
勝手なイメージになりますが、海外の先生は気持ちがいい、はっきり物事を言う先生が多い印象です。日本の研究室は良くも悪くも共同生活空間で察することが必要とされる気がします。
生物系はブラックと聞きますね。生き物相手なのが理由なのでしょうか。
不安でしたら気になっているラボに質問してみるのが一番早いです。生活時間や実験内容など。もちろんいい答えしか返ってこないことを忘れずに。
ブラックにも色んな種類があります。実験に時間がかかるのか。先生が高圧的だったり理不尽なのか。
もし論文数稼ぎたいのでしたら多少ブラックはしょうがないと私は思ってしまいます。世界と戦うのですから。実際先生たちの生活は会社員とは比べ物にならないです。
もしまだ見てたら研究室選びについて詳しく教えてもらいたいです。
正直後悔が多い。
あまり言いたくないが、選んだ研究室は良くなかった。テーマも良くなかった。研究室とテーマはちゃんと論文出してるとこ選ぶべきだ。KAKEN調べろ。
先生は優秀ではあるが大学の雑務につぶされている上、放任主義で指導もあまりうまくなかった。研究室のドクターは研究をしないドクターだった。
そんなだから研究の仕方がわからないまま2年間を終えようとしている。
もちろん自分が優秀な人間だったらよかったのだ。先生、先輩には申し訳ない。自分は口だけで中身がない人間だった。
自分でdriveできるような人間であればよかった。誰も悪くない、結局は自分が悪いのだ。
あと研究は思っていたより自由なものだった。思いついたことは好き勝手やっていい。
それに気づいたのは2年の後半だったから遅かった。ただそれまで研究のお作法も教わってなかったからしょうがない。
読んだ論文も2年間で5本くらいだったと思う。輪講してる研究室は真面目なとこだ。
学会も1度も出ていない。正確には成果がないので出させてもらってない。悲しい。
自分の後輩指導も自分に知識がないから適当になってしまった。研究室を出ていくまでに資料をまとめて渡したい。
研究室同期も言われたことしかやらない、自分では考えない奴で話しててなにも面白くなかった。彼が今後どんな人生を送るのか楽しみである。
楽といえば楽な院生生活だったが意味はなかった。ただ20台前半の2年間を過ごし、修士を手に入れただけである。中身がない。
この2年間で自信をなくしてしまった。自分は無能な人間なのではないかと考えてしまう。無気力症候群のようなもの。
春からちゃんと働けるのだろうか。自分の人生を生きていないような感じがするので、自分の人生を取り戻したい。
この先この研究室に幸があらんことを願う。
世の中で認知はされているけどもあまり内実は知られてい無さそうな「夜間」について語る。
まず良い点と悪い点について
良い点
・有力な研究室に入ることが出来るチャンスがある
・転科が容易
悪い点
次は各箇条について
フィルターは乗り越えるが、大多数の夜間学生は昼間学生より能力が劣るため、同じ土俵で勝負した結果大半は負けていく。
学業やコミュニケーション能力など、高い水準の能力を身に着けることが出来、その土俵で戦える存在になっているのであれば、
・有力な研究室に入ることが出来るチャンスがある
まずこのチャンスをものにできるのは大学生活に本気で取り組み、ある程度の実力をつけたものだけである。
このチャンスを活かすほどに実力をつけた者は、その後研究室の中でさらに優秀な存在に成長していくだろう。
・転科が容易
ちょっと勉強すれば本来なら偏差値が10は上の学科に転科することも容易です。
ただし大半の学生はそれだけの努力をしないので、自分を律する力は必要。
確実に狂います。規則正しい人でも1時までに寝ることはあまりないかもしれない。
人間は案外ホルモンに支配される存在なので甘く見ない方がいい。私はこれで3回留年しました。
全般的に言えるのは、自分を律することが出来て、大学生活で十分に高い実力を身に着ける覚悟を持った上で来る場所だということです。
これが出来る人は就職でも大手に行けるチャンスはあるし、進学でも特に問題ないかと思います。
律することが出来ないのであれば、Fランの方が恐らく楽しい分良い選択かもしれません。
これだけ気を付けていたら私は院進で望むところに行けて修了後もなんとかなってるよ。とにかく来るなら覚悟を決めて頑張れ!
今週ものすごく涙もろい。どうしたんだろう。
一昨日くらいに先輩に注意されて泣いてしまったし
もう嫌だ研究なんてやりたくない
卒研で言えることがない
どうして私は無能なんだろう
もっと私が賢ければよかった。
このテーマやるのが私じゃなくてもっと賢くて仕事のできる先輩とかだったらもっと有意義に進んだんだろうなぁ
私多分先生に期待されていないから。つらいなぁ。まあ分かっていたことじゃないか。
卒研で言えることがないのが多分一番嫌なこと。
スライド書いてみたけど5枚くらいしか書けなかった。内容も薄っぺらいし。この半年なにやってたんだろう。全然実験進んでないじゃないか。もっと考えてやってもっと研究をすすめろよこのノータリン!このノータリン!
多分おなかがすいたから悲しいんだな。でも所持金が100円しか無いから何も買えない。
帰ったら何か食べ物あるかな。いつもは太るから夜はあまり食べないけど今日は気にせず食べてやるぞ。アイスクリームも食べるぞ。米もおかわりしてやる。