はてなキーワード: 内省とは
1.加害妄想について
加害妄想とは、自分が相手に不利益を与えてしまう・しまったという妄想だ
言葉による暴力、振る舞いによる加害、自己臭や自己造形とうの不快なものを与えてしまうという迷惑
「こんなことをしたら嫌われてしまう」「こんなことをしてしまったから、きっと不愉快に思われている」
一種の自意識過剰だ
それと同時に、過剰なそれは対人恐怖をも招くことになるだろう
加害妄想を持つがゆえに、人に接する時の自我をとにかく綺麗にしようとするのだ
誠実で、正直で、優しく、思いやりがあり、等々
そして、自分の素の部分を隠して接していく
そうした人ばかりだから、表面上だけをなぞるような人間関係が氾濫する
3.加害妄想を持つ人の原因と結果について
では、そうした人達はどの様な形で人と関わる欲求を解消しているのだろうか
Twitterやmixi、ニコニコ動画や掲示板、モバゲーはてなといったSNS的なもののことだ
それと同時に、サービスから離れることで緊張化した人間関係を破棄することが可能だからである
この2つを利用し、時として自分を守り、時として対人接触欲求を満たすことが出来る
ここにおける問題は、「人間関係全てをネット上だけで賄えない」という事である
そして、目の前に相手が居るような直接的な人間関係において必要な対人スキルはネット上の人間関係では育まれない
なぜなら、ネット上では理想的に振る舞え、逃げる事が可能だからだ
そうした環境であれば、互いの主張や要求の対立が生じる事は少なく、生じても逃げることで回避する事が出来てしまう
相手に踏み込む経験の少なさによって、相手に踏み込む事への不安が発生する
その不安を正当化するために、「自分は相手を不快にさせてしまうから踏み込まない」という加害妄想が発生する
もちろん、実際に不快にさせてしまった=加害してしまった事はあったのかも知れない
しかし、そうした経験がなければそもそも相手との距離感の測り方は、対人スキルは育たないのだ
4.終わりに
ここは本筋とは関係ないが
名家に生まれた彼女は生まれつき大人に囲まれて過ごすことになる
それにより、幼い頃から礼を尽くす事を強いられ、他人に踏み込むという経験が欠如する
また同時に、名家ゆえの敵の多さから自分を守るために悪態を吐く事で距離を空ける行為を繰り返す
そうした自分を恥じて、「人と真っ当に関われるようになるまでは一人でいる」と実家を出て集合住宅で一人暮らしを始める
そこで、夏目残夏という人物に「人と真っ当に関れるようになるには、他人の中で傷ついたり傷つけたりする必要がある」と指摘される
第1章 プログラミング概念入門 1.1 計算器 1.2 変数 1.3 関数 1.4 リスト 1.5 リストについての関数 1.6 プログラムの正しさ 1.7 計算量 1.8 遅延計算 1.9 高階プログラミング 1.10 並列性 1.11 データフロー 1.12 明示的状態 1.13 オブジェクト 1.14 クラス 1.15 非決定性と時間 1.16 原子性 1.17 ここからどこへ行くのか? 1.18 練習問題 第1部 一般的計算モデル 第2章 宣言的計算モデル 2.1 実用的プログラミング言語の定義 2.1.1 言語の構文 2.1.2 言語の意味 2.2 単一代入格納域 2.2.1 宣言的変数 2.2.2 値格納域 2.2.3 値生成 2.2.4 変数識別子 2.2.5 識別子を使う値生成 2.2.6 部分値 2.2.7 変数の,変数への束縛 2.2.8 データフロー変数 2.3 核言語 2.3.1 構文 2.3.2 値と型 2.3.3 基本型 2.3.4 レコードと手続き 2.3.5 基本操作 2.4 核言語の意味 2.4.1 基本概念 2.4.2 抽象マシン 2.4.3 待機不能な文 2.4.4 待機可能な文 2.4.5 基本概念再訪 2.5 メモリ管理 2.5.1 末尾呼び出し最適化 2.5.2 メモリライフサイクル 2.5.3 ガーベッジコレクション 2.5.4 ガーベッジコレクションは魔術ではない 2.5.5 Mozartのガーベッジコレクタ 2.6 核言語から実用的言語へ 2.6.1 構文上の便宜 2.6.2 関数(fun文) 2.6.3 対話的インターフェース(declare文) 2.7 例外 2.7.1 動機と基本概念 2.7.2 例外を持つ宣言的モデル 2.7.3 親言語の構文 2.7.4 システム例外 2.8 進んだ話題 2.8.1 関数型プログラミング言語 2.8.2 単一化と内含(entailment) 2.8.3 動的型付けと静的型付け 2.9 練習問題 第3章 宣言的プログラミング技法 3.1 宣言的とはどういうことか? 3.1.1 宣言的プログラムの分類 3.1.2 仕様記述言語 3.1.3 宣言的モデルにおいてコンポーネントを実装すること 3.2 反復計算 3.2.1 一般的図式 3.2.2 数についての反復 3.2.3 局所的手続きを使うこと 3.2.4 一般的図式から制御抽象へ 3.3 再帰計算 3.3.1 スタックの大きさの増加 3.3.2 代入ベースの抽象マシン 3.3.3 再帰計算を反復計算に変換すること 3.4 再帰を用いるプログラミング 3.4.1 型の記法 3.4.2 リストについてのプログラミング 3.4.3 アキュムレータ 3.4.4 差分リスト 3.4.5 キュー 3.4.6 木 3.4.7 木を描画すること 3.4.8 構文解析 3.5 時間効率と空間効率 3.5.1 実行時間 3.5.2 メモリ使用量 3.5.3 償却的計算量 3.5.4 性能についての考察 3.6 高階プログラミング 3.6.1 基本操作 3.6.2 ループ抽象 3.6.3 ループの言語的支援 3.6.4 データ駆動技法 3.6.5 明示的遅延計算 3.6.6 カリー化 3.7 抽象データ型 3.7.1 宣言的スタック 3.7.2 宣言的辞書 3.7.3 単語出現頻度アプリケーション 3.7.4 安全な抽象データ型 3.7.5 安全な型を備えた宣言的モデル 3.7.6 安全な宣言的辞書 3.7.7 資格とセキュリティ 3.8 宣言的でない必要物 3.8.1 ファイルを伴うテキスト入出力 3.8.2 グラフィカルユーザインタフェースを伴うテキスト入出力 3.8.3 ファイルとの状態なしデータI/O 3.9 小規模プログラム設計 3.9.1 設計方法 3.9.2 プログラム設計の例 3.9.3 ソフトウェアコンポーネント 3.9.4 スタンドアロンプログラムの例 3.10 練習問題 第4章 宣言的並列性 4.1 データ駆動並列モデル 4.1.1 基本概念 4.1.2 スレッドの意味 4.1.3 実行列 4.1.4 宣言的並列性とは何か? 4.2 スレッドプログラミングの基本的技法 4.2.1 スレッドを生成すること 4.2.2 スレッドとブラウザ 4.2.3 スレッドを使うデータフロー計算 4.2.4 スレッドのスケジューリング 4.2.5 協調的並列性と競合的並列性 4.2.6 スレッド操作 4.3 ストリーム 4.3.1 基本的生産者/消費者 4.3.2 変換器とパイプライン 4.3.3 資源を管理し,処理能力を改善すること 4.3.4 ストリームオブジェクト 4.3.5 ディジタル論理のシミュレーション 4.4 宣言的並列モデルを直接使うこと 4.4.1 順序決定並列性 4.4.2 コルーチン 4.4.3 並列的合成 4.5 遅延実行 4.5.1 要求駆動並列モデル 4.5.2 宣言的計算モデル 4.5.3 遅延ストリーム 4.5.4 有界バッファ 4.5.5 ファイルを遅延的に読み込むこと 4.5.6 ハミング問題 4.5.7 遅延リスト操作 4.5.8 永続的キューとアルゴリズム設計 4.5.9 リスト内包表記 4.6 甘いリアルタイムプログラミング 4.6.1 基本操作 4.6.2 ティッキング(ticking) 4.7 Haskell言語 4.7.1 計算モデル 4.7.2 遅延計算 4.7.3 カリー化 4.7.4 多態型 4.7.5 型クラス 4.8 宣言的プログラムの限界と拡張 4.8.1 効率性 4.8.2 モジュラ性 4.8.3 非決定性 4.8.4 現実世界 4.8.5 正しいモデルを選ぶこと 4.8.6 拡張されたモデル 4.8.7 異なるモデルを一緒に使うこと 4.9 進んだ話題 4.9.1 例外を持つ宣言的並列モデル 4.9.2 さらに遅延実行について 4.9.3 通信チャンネルとしてのデータフロー変数 4.9.4 さらに同期について 4.9.5 データフロー変数の有用性 4.10 歴史に関する注記 4.11 練習問題 第5章 メッセージ伝達並列性 5.1 メッセージ伝達並列モデル 5.1.1 ポート 5.1.2 ポートの意味 5.2 ポートオブジェクト 5.2.1 NewPortObject抽象 5.2.2 例 5.2.3 ポートオブジェクトに関する議論 5.3 簡単なメッセージプロトコル 5.3.1 RMI(遠隔メソッド起動) 5.3.2 非同期RMI 5.3.3 コールバックのあるRMI(スレッド使用) 5.3.4 コールバックのあるRMI(継続のためのレコード使用) 5.3.5 コールバックのあるRMI(継続のための手続き使用) 5.3.6 エラー報告 5.3.7 コールバックのある非同期RMI 5.3.8 二重コールバック 5.4 並列性のためのプログラム設計 5.4.1 並列コンポーネントを使うプログラミング 5.4.2 設計方法 5.4.3 並列性パターンとしての機能的構成要素 5.5 リフト制御システム 5.5.1 状態遷移図 5.5.2 実装 5.5.3 リフト制御システムの改良 5.6 メソッド伝達モデルを直接使用すること 5.6.1 1つのスレッドを共有する複数のポートオブジェクト 5.6.2 ポートを使う並列キュー 5.6.3 終点検出を行うスレッド抽象 5.6.4 直列依存関係の除去 5.7 Erlang言語 5.7.1 計算モデル 5.7.2 Erlangプログラミング入門 5.7.3 receive操作 5.8 進んだ話題 5.8.1 非決定性並列モデル 5.9 練習問題 第6章 明示的状態 6.1 状態とは何か? 6.1.1 暗黙的(宣言的)状態 6.1.2 明示的状態 6.2 状態とシステム構築 6.2.1 システムの性質 6.2.2 コンポーネントベースプログラミング 6.2.3 オブジェクト指向プログラミング 6.3 明示的状態を持つ宣言的モデル 6.3.1 セル 6.3.2 セルの意味 6.3.3 宣言的プログラミングとの関係 6.3.4 共有と同等 6.4 データ抽象 6.4.1 データ抽象を組織する8つの方法 6.4.2 スタックの変種 6.4.3 多態性 6.4.4 引数受け渡し 6.4.5 取り消し可能資格 6.5 状態ありコレクション 6.5.1 インデックス付きコレクション 6.5.2 インデックス付きコレクションを選ぶこと 6.5.3 その他のコレクション 6.6 状態に関する推論 6.6.1 不変表明 6.6.2 例 6.6.3 表明 6.6.4 証明規則 6.6.5 正常終了 6.7 大規模プログラムの設計 6.7.1 設計方法 6.7.2 階層的システム構造 6.7.3 保守性 6.7.4 将来の発展 6.7.5 さらに深く知るために 6.8 ケーススタディ 6.8.1 遷移的閉包 6.8.2 単語出現頻度(状態あり辞書を使用する) 6.8.3 乱数を生成すること 6.8.4 口コミシミュレーション 6.9 進んだ話題 6.9.1 状態ありプログラミングの限界 6.9.2 メモリ管理と外部参照 6.10 練習問題 第7章 オブジェクト指向プログラミング 7.1 継承 7.2 完全なデータ抽象としてのクラス 7.2.1 例 7.2.2 この例の意味 7.2.3 クラスとオブジェクトを定義すること 7.2.4 クラスメンバ 7.2.5 属性を初期化すること 7.2.6 第1級メッセージ 7.2.7 第1級の属性 7.2.8 プログラミング技法 7.3 漸増的データ抽象としてのクラス 7.3.1 継承グラフ 7.3.2 メソッドアクセス制御(静的束縛と動的束縛) 7.3.3 カプセル化制御 7.3.4 転嫁と委任 7.3.5 内省 7.4 継承を使うプログラミング 7.4.1 継承の正しい使い方 7.4.2 型に従って階層を構成すること 7.4.3 汎用クラス 7.4.4 多重継承 7.4.5 多重継承に関するおおざっぱな指針 7.4.6 クラス図の目的 7.4.7 デザインパターン 7.5 他の計算モデルとの関係 7.5.1 オブジェクトベースプログラミングとコンポーネントベースプログラミング 7.5.2 高階プログラミング 7.5.3 関数分解と型分解 7.5.4 すべてをオブジェクトにすべきか? 7.6 オブジェクトシステムを実装すること 7.6.1 抽象図 7.6.2 クラスを実装すること 7.6.3 オブジェクトの実装 7.6.4 継承の実装 7.7 Java言語(直列部分) 7.7.1 計算モデル 7.7.2 Javaプログラミング入門 7.8 能動的オブジェクト 7.8.1 例 7.8.2 NewActive抽象 7.8.3 フラウィウス・ヨセフスの問題 7.8.4 その他の能動的オブジェクト抽象 7.8.5 能動的オブジェクトを使うイベントマネージャ 7.9 練習問題 第8章 状態共有並列性 8.1 状態共有並列モデル 8.2 並列性を持つプログラミング 8.2.1 さまざまな手法の概観 8.2.2 状態共有並列モデルを直接使うこと 8.2.3 原子的アクションを使うプログラミング 8.2.4 さらに読むべき本 8.3 ロック 8.3.1 状態あり並列データ抽象を構築すること 8.3.2 タプル空間(Linda) 8.3.3 ロックを実装すること 8.4 モニタ 8.4.1 定義 8.4.2 有界バッファ 8.4.3 モニタを使うプログラミング 8.4.4 モニタを実装すること 8.4.5 モニタの別の意味 8.5 トランザクション 8.5.1 並列性制御 8.5.2 簡易トランザクションマネージャ 8.5.3 セルについてのトランザクション 8.5.4 セルについてのトランザクションを実装すること 8.5.5 トランザクションについてさらに 8.6 Java言語(並列部分) 8.6.1 ロック 8.6.2 モニタ 8.7 練習問題 第9章 関係プログラミング 9.1 関係計算モデル 9.1.1 choice文とfail文 9.1.2 探索木 9.1.3 カプセル化された 9.1.4 Solve関数 9.2 別の例 9.2.1 数値例 9.2.2 パズルとnクイーン問題 9.3 論理型プログラミングとの関係 9.3.1 論理と論理型プログラミング 9.3.2 操作的意味と論理的意味 9.3.3 非決定性論理型プログラミング 9.3.4 純粋Prologとの関係 9.3.5 他のモデルにおける論理型プログラミング 9.4 自然言語構文解析 9.4.1 簡単な文法 9.4.2 この文法に従う構文解析 9.4.3 構文木を生成すること 9.4.4 限定記号を生成すること 9.4.5 パーサを走らせること 9.4.6 パーサを「逆向きに(backward)」走らせること 9.4.7 単一化文法 9.5 文法インタプリタ 9.5.1 簡単な文法 9.5.2 文法のコード化 9.5.3 文法インタプリタを走らせること 9.5.4 文法インタプリタを実装すること 9.6 データベース 9.6.1 関係を定義すること 9.6.2 関係を使って計算すること 9.6.3 関係を実装すること 9.7 Prolog言語 9.7.1 計算モデル 9.7.2 Prologプログラミング入門 9.7.3 Prologプログラムを関係プログラムに翻訳すること 9.8 練習問題 第2部 特殊化された計算モデル 第10章 グラフィカルユーザインタフェースプログラミング 10.1 宣言的/手続き的方法 10.2 宣言的/手続き的方法を使うこと 10.2.1 基本的ユーザインタフェースの要素 10.2.2 GUIを構築すること 10.2.3 宣言的座標 10.2.4 リサイズ時の宣言的振る舞い 10.2.5 ウィジェットの動的振る舞い 10.3 対話的学習ツールPrototyper 10.4 ケーススタディ 10.4.1 簡単なプログレスモニタ 10.4.2 簡単なカレンダウィジェット 10.4.3 ユーザインタフェースの動的生成 10.4.4 状況順応時計 10.5 GUIツールを実装すること 10.6 練習問題 第11章 分散プログラミング 11.1 分散システムの分類 11.2 分散モデル 11.3 宣言的データの分散 11.3.1 オープン分散と大域的ネーミング 11.3.2 宣言的データを共有すること 11.3.3 チケット配布 11.3.4 ストリーム通信 11.4 状態の分散 11.4.1 単純状態共有 11.4.2 分散字句的スコープ 11.5 ネットワークアウェアネス 11.6 共通分散プログラミングパターン 11.6.1 静的オブジェクトとモバイルオブジェクト 11.6.2 非同期的オブジェクトとデータフロー 11.6.3 サーバ 11.6.4 クローズド分散 11.7 分散プロトコル 11.7.1 言語実体 11.7.2 モバイル状態プロトコル 11.7.3 分散束縛プロトコル 11.7.4 メモリ管理 11.8 部分的失敗 11.8.1 失敗モデル 11.8.2 失敗処理の簡単な場合 11.8.3 回復可能サーバ 11.8.4 アクティブフォールトトレランス 11.9 セキュリティ 11.10 アプリケーションを構築すること 11.10.1 まずは集中,後に分散 11.10.2 部分的失敗に対処すること 11.10.3 分散コンポーネント 11.11 練習問題 第12章 制約プログラミング 12.1 伝播・探索法 12.1.1 基本的考え方 12.1.2 部分情報を使って計算すること 12.1.3 例 12.1.4 この例を実行すること 12.1.5 まとめ 12.2 プログラミング技法 12.2.1 覆面算 12.2.2 回文積再訪 12.3 制約ベース計算モデル 12.3.1 基本的制約と伝播子 12.3.2 計算空間の探索をプログラムすること 12.4 計算空間を定義し,使うこと 12.4.1 深さ優先探索エンジン 12.4.2 検索エンジンの実行例 12.4.3 計算空間の生成 12.4.4 空間の実行 12.4.5 制約の登録 12.4.6 並列的伝播 12.4.7 分配(探索準備) 12.4.8 空間の状態 12.4.9 空間のクローン 12.4.10 選択肢を先に任せること 12.4.11 空間をマージすること 12.4.12 空間失敗 12.4.13 空間に計算を注入すること 12.5 関係計算モデルを実装すること 12.5.1 choice文 12.5.2 Solve関数 12.6 練習問題 第3部 意味 第13章 言語意味 13.1 一般的計算モデル 13.1.1 格納域 13.1.2 単一代入(制約)格納域 13.1.3 抽象構文 13.1.4 構造的規則 13.1.5 直列実行と並列実行 13.1.6 抽象マシンの意味との比較 13.1.7 変数導入 13.1.8 同等性の強制(tell) 13.1.9 条件文(ask) 13.1.10 名前 13.1.11 手続き抽象 13.1.12 明示的状態 13.1.13 by-need同期 13.1.14 読み出し専用変数 13.1.15 例外処理 13.1.16 失敗値 13.1.17 変数置き換え 13.2 宣言的並列性 13.2.1 部分停止と全体停止 13.2.2 論理的同値 13.2.3 宣言的並列性の形式的定義 13.2.4 合流性 13.3 8つの計算モデル 13.4 よくある抽象の意味 13.5 歴史に関する注記 13.6 練習問題
はてな民について考えてたら、ちょっと前ブログを書く人について、そんなような意見があったな と思い出し
思ったより、気にしてたり、その意見を受け入れてたりする人が多いんだなあと、不思議に思ったから。
何だかみんな考えすぎだ、内省しすぎというか、謙虚 し過ぎって事は無いけど、何だかちょっと自分を責めるような客観性みたいなものも受け入れる感じがする。
そんなもんなのかな
そこに対する苦情じゃなくて、他地域でこんな事が起こってます という話も聞きたがらない。ひたすら自分達は良い人です と思われなきゃ気が済まない
あれも、おかしいと思った
上から目線 と言われましたもんw
最初確認が出来ないというような事を言うから書いたものがあるURLを送ったり、説明し、そっちからこっちに連絡もできるのに確認しようともしないのは、おかしいという意味の、「連絡できるんでしょう?」だったのに
アメブロメッセージで、私が「紹介できるんでしょう」と書いたのが上から目線だと書かれ、そんな態度の人と関わりたくない というようなに書かれ ご容赦 と結んでいた。
最初から 紹介頼んでないのに、紹介に話をすり替えようとしてきて、紹介してやるんだから、敬え! みたいな態度 こんなの最悪じゃないのか?
ツイッタの中には残ってるのに、トゥギャザッタのに、いいのか?!
だって、どこまでできるかわからないけど、弁護士司法書士あたって見るとか書かれて、よく考えて見れば、「どこまでできるかわからない」とかおかしくね?
私も自分が前にボランティアで行った事がある事務所の人から、弁護士の連絡先なら渡されたけど・・・・ 私のアパートの保全についてちゃんとやらなかった人と同じ会に属してたりすると思うとどこまで信用できるかわからない、というような状態なだけで、名前くらいならこっちだって知っている
それに、そんな偉そうぶってする事じゃなくても、ことにもその手の無料相談電話はあるのだし、そういうところにあたりつつ、変な人が出たらみんなで正して行きましょうね、と言う形を取るべきではないのだろうか?
こっちの電話のボランティアは、良い人だがボランティアには弁護士がそんなんだとは知らないでやってる。 上に言うと言っても、上がその弁護士なのだから、もっとボランティア同士で弁護士を見張らねば という考えは無いのだろうか?
上から目線と言われた話 「私は反貧困も掲げている弱者救済の会の弁護士に相談していてアパート半壊させられたんですが・・・こういう話はタブーなんですか?大阪じゃありません名古屋です。ボランティアが電話に出ると話は受け付けますが弁護士だと受け付けません。」 28日posted at 21:53:48 と送ったら、相談先がなくて困っているのかと言われ、紹介の話にすり変えられ上から上からと書かれた。
病院行った方がいいって言う人、どういうところか知ってる?
まあそれは、酷いところも良いところもあるって事で、置いといて、それを言おうとしたんじゃなくて
精神科だけじゃなくて、心理療法も、あれって広義の意味では人権侵害を含んでる
事になる。法律的には。
だから、本当は治療の前にカウンセリングなんかでも、カウンセリングを受けることを納得して受けます、みたいなものを書かされたりという事もあるらしいと聞いた
書いたこと無いけど
なんでそれを書かせるかと言うと、訴えられたら治療者側が負ける可能性があるからだろう
実際損害賠償請求になってるの見たことある。カウンセリングで。
なんか変なものを心理なんとかって流行らせるから、そういう態度が当たり前みたいに思われたり、変な権利みたいに勘違いされちゃってるかもしれないけど
カウンセラーや心理療法家のやってる事って、プライバシー権の侵害を含んでるから、嫌だったら、犯罪者でも黙秘権があるのに、それはプライバシー権の侵害です!とはっきり言った方がいい。
カウンセリング受ける状態の人や、受ける必要がある状態って、自主性や主体性がなくなってるからそれを取り戻すという意味合いがある思う。 抑圧により、自分の意思が自分で確認しにくい状態
そういう人に付け入ったり、利用したり、騙したり、洗脳したりするのは、割と簡単だったりするんじゃなかろうか
不適応症状起こしたわけじゃない顔面神経麻痺で、市立病院の口腔外科(ほんとは耳鼻科で診ないといけない)→違う市の大学病院の神経内科→そこの神経科 と回されてカウンセリング
親の職業や学歴、友人の数や、もっと何だったっけな、プライベートな事も下調べのようなもので、聞かれた。 ア、成績だ! 成績は?と聞いてくる。そんなの自己申告だし、どういえばいいのかと思った。
色々聞いた後、自分の性格についてどう思うか?と聞く。 なんかその前からの質問も、クライアントに内省を強要しているような、印象を受けたし、圧迫感がない事も無かったが、 顔面神経麻痺と親の職業と何の関係があるの?と思えるけど これが不適応状態にある人なら、全てをクライアントの内面に原因や責任を求めているかのようで、なんかおかしいなと思った。 顔面神経麻痺は病気だからそれ以上でも以下でもないけど、不適応症状だと本人も悩んだりしてるかもしれないのに、それをさらに追い詰めるような事や、勘違いされそうな事を質問として並べるのもおかしい。
顔面神経麻痺は、ほぼ治って左右の眉が思いっきり上げた時に、1ミリくらいずれるというものだった。それで何かストレスでも?なんて回された日には、かなわない。
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特殊な人だから、決め付けてよいのだろうか?普通の人にあなたはこういう人でこのような特徴があります、といささか失礼な人間観察を含めた洞察を語ったら、ふざけるな!で終わる。脛に傷持つ身の人は、気になったり、真に受けたりするのではないだろうか?
はてなキーワードの、ACはAC業者への懐疑が書かれていたが、wikipediaでも業者丸写しの部分がほとんど。
無条件の受容より、ただほど高いものは無い!!と覚えておいた方が生きやすいかもしれないのにw
生き辛さという言葉の意味がわからなかった。それぞれの精神的な症状を総合して生き辛さという言葉で現すのは、生きるという事を卑屈で矮小なものとしているとも言えると思った。色々な生き方があるのに、生きるという事を一面的に動物的に捉えすぎである。生き辛さを言うAC業者が生きることとして定義しているほとんどの事は、”しなくても良い事”なのである。しても良いけどしなくても良い事、それなのに、しなくてはいけないと思っている人がいる、またはしなくてはいけないことと思わせられた人が居る。それにつけこんで、あなたの生き辛さをわかってあげますよ~ 一緒に努力していきましょうねぇ~ 一緒に”治療”して行きましょうねぇ~ などと持っていくのではないか?
いや、そうじゃない、生き辛さというのは、昔のつらかった記憶が絶えずフラッシュバックして来る状態だ、とか かまってもらえないと自殺未遂してしまう、とか その他色々を挙げる人もいるだろう。
そういう状態があるのは、否定しない。だから、それは、昔のつらかった記憶が絶えずフラッシュバックしてくる状態、であったり、かまってくれる人がいないと自殺未遂してしまう状態、であったりするのではないのか?
なぜ、そこで生き辛さという言葉を出すのだ?!充てはめるのだ?!
極端な話、生きなくてはいけない、事はない。 生きてる人は、生きなくてはいけないと思っていきてはいない。生きたいから生きている。
少し前に議論の心得みたいな記事を見かけた。
あんなもんが広がるのは胸クソ悪いので適当にボカして要約すると、「相手が○○しだしたら時間の無駄なので議論を終わらせろ」的な内容だった。
いやもう、マジでびっくりしたね。なんで「自分は正しく相手が間違ってる」が当然の前提みたいになってんだよ。
たとえば「○○」に「論点のすり替え」を代入してみる。
なるほど、内容的には必ずしも間違ってると言えないかもしれない。
でも「すり替えかどうか」を判断するのは誰だ?お前自身だろ?
それは本当にすり替えなのか?ひょっとしたらお前が相手の主張を理解できてないだけかもしれない。
議論を実りあるものにしたいなら、そういう可能性を考慮する内省的な態度と相手への敬意こそ重要なんだよ。
要するに、議論の際に気をつけるべきことは以下の3つだ。基本的にはこれさえできればいいし、逆にこれができない奴は議論に向いてない。
宇野常寛「南京大虐殺が捏造か実在か、戦後民主主義が虚妄か否か、 好きなほうを信じればよい」 (宇野常寛『ゼロ年代の想像力』50ページ)
宇野常寛は南京大虐殺について、大きな物語が失墜したから捏造か実在か「好きなほうを信じればよい」と書いた。
意味不明である。大きな物語云々という話と、歴史学における個別の実証研究に、何か関連があるのだろうか?
加えて宇野は、自身の利益に直結する論争ともなれば、東浩紀を「嘘つき」だと批難する、実証主義の立場から反論した。
wakusei2nd:
嘘をついて自分の罪を後輩になすりつけ、それを彼我のフォロアー数の差を利用して論点をずらし、ストーリーをでっちあげてのりきろうとする人には無論ライダーの資格はない。無論会社社長や文学者の資格も。
東浩紀のツイッター論争テクニックは、とにかく自分の捏造したストーリーをフォロアー数の差を利用して喧伝する、というもの。だから今回も読者に証拠まで突きつけられているのに、そこはスルーして全力で別の話題にシフトしようとしている。もう誰もそんな手には乗らないし、呆れてものも言えない。
自身の利益保護についてだけ「実証研究」を求めるのは、明らかにアンフェアだろう。
youtubeに上げられた動画を見れば、宇野は笑いながら東浩紀に相槌を打っている。
東「知ってる?黒瀬が俺に言ったの。カオスラウンジのメンバーの一人は年収7000万なんですよ」
http://www.youtube.com/watch?v=qyV1okRD1rU
よく読めばわかるけど、この文字起こしは「宇野が黒瀬の年収は7000万と語った」などと書いてないよね。
そして東浩紀は、「宇野が黒瀬の年収は7000万と語った」などと責任転嫁していない。
宇野のいう「自分の発言を本気で僕(及びその友人筋)のせいにして押し通すつもりだった」という東浩紀像は、どうみてもフェアじゃない。
それに、あなたもustreamで「7000万ちょっと黒瀬君名言すぎるよそれはw」と参加しているじゃない。
自身も制作と流布に関与しているのに、<東の7000万発言がデマだとは知らなかった>という自分の(法律的な意味での)「善意(・知らなかった)」だけは絶対の前提にする。
しかし東が「善意」から“カオスラウンジのメンバーの一人”の年収を間違ったり忘れていたりしたかもしれない、という可能性は全否定する。
これはフェアな思考じゃないでしょう。
流布における瑣末な間違いを、さも論敵の能動的で極悪非道の悪意のごとく、繰り返し執拗に印象操作するのはどうなんだ?
どうやら、宇野常寛自身の「小さな物語」だけは圧倒的に正しいようだ。
しかも、東浩紀に対してだけではない。これまでも宇野の信じる小さな物語を害する『小さな物語』を語る相手には、高圧的な恫喝をくりかえしている。
「宇野常寛の想像力とかの批評」批判として成り立っているのかいないのか
はあ? そんなこと言った? あなたこそ勝手に人の主張を誇張して批判して悦に入っているだけでしょ?
RT @teramat セカイ系好きな連中はオタクのマザコン野郎でレイプ願望もってる、って冷静に考えるとありえないでしょw
wakusei2nd 2011/01/19 00:09:58
挙句の果てに「トンデモ」認定されました。批判する対象の主張を適当なイメージに基づいて罵倒して、ご満悦の人に。うわー。
RT @teramat 【結論】宇野さんはコンスタティブに読むとトンデモ。しかし「あえて」やってるのだとしたら、つまりパフォーマティブに読めば、これほど影響力のあ
↓こんな雑で恣意的なマッピングで無数の作家や読者を貶めてきた奴が、よく言えるよ。
http://nariyama.sppd.ne.jp/comment0707b.html#070722
これでも宇野常寛の自己イメージは「適当なイメージに基づいて罵倒して、ご満悦の人」ではないんだろうな。
どうやら、宇野常寛自身の「小さな物語」だけは圧倒的に正しいようだ(大切な事だから二回言いました)。
これらの振る舞いって、どうみても彼が批判する「決断主義者」そのものでしょ。
東浩紀氏は、「自分の思い通りにならない玩具は床にたたきつけて壊す」という人で、周囲に対してそんなコミュニケーションを繰り返してきた。しかしそれでは仕事仲間からも、読者からも信頼されない。僕はそのことを彼から反面教師的に学んだ。
wakusei2nd 2011/06/12 13:17:49
その結果が、今の「裸の王様」的な「東浩紀3.0」で、挙句の果てに堂々と嘘をつき、他人を陥れ、それが追求されても誤魔化すようなことを平気でやるようになってしまった。震災以降、言動が以前にも増しておかしくなってきたが、ついにここまで墜ちたか、と思う。
wakusei2nd 2011/06/12 13:19:40
そう思って周囲(僕含む)が、「東さんはそういうキャラだから」と彼の横暴と嘘と卑劣さを結果的に承認してきた。それがこのような事態を招いているのだと思います。RT @soujibucho: @wakusei2nd 東さんが子どもっぽいところがあるのは今に始まったことじゃないし
「結果的に承認してきた」とか言って、宇野は全ての罪悪を東浩紀に押しつけているけど、
例えば↓大澤信亮を東浩紀が批判したとき、宇野は 主体的に大澤バッシングに便乗している。
「責任を仕事で取る方法を探すつもり」)なんて曖昧模糊とした事を言う前に、まず公然と大澤信亮などに謝るのが、
もしも反省しているなら自然な感情だと思う。( http://twitter.com/wakusei2nd/status/79915073577025536 )
吉六会/AZM48による 大澤信亮+文芸誌へのクロスカウンター
大澤信亮: 枝葉末節をつっついて本題をなし崩しにする汚いやり口はよくわかっています。僕はべつにあなたたちを憎んでいない。
ただ、誰かに釣られて振るってしまった暴力をなかったことにせず、内省してほしいと思うだけです。
叩けそうなものを叩いてすっきりする敗北の人生や、子分として忠誠を示し続ける惨めな生き方を克服し、個として生きてほしいだけです。
要するに、全然信頼できないんだよこの人の言動。
決断主義批判していて自分が決断主義者だし、東と宇野というホモソーシャルな関係でとんでもない言葉の暴力の応酬に発展した点で、
同性間の友愛をもちあげてみても説得力が無いし。
宇野氏はまた、
「今回の震災で明らかになったのは、こういう事態が起きたときには、今あるリソースをどう活用するかが問われるということ。そういうときには、原理論ばかりをふりかざして、テンプレ的な批判を繰り返しても話はまったく進まない。中間的なものを考える想像力の不足を感じる」
これもね。
さっさと相反する2つの批評家をつなぐ「中くらいのもの」への想像力とやらを発動してくれよ。
議論における寛容さを。
口だけかよ。
ニコニコ動画にしてみても、2ちゃんねるにしてみても、ツイッターにしてみても、というかありとあらゆるインターネットの形態として、どうしてコメントを残すことが流行っているのだろう。例えば面白い動画なり書き込みがあったときに、そのレスポンスとして草を生やす行為にいったい何の意味があるのだろう。あるいは短い一言、「泣いた」とか「ご飯食べてる」とかそういうもの。その発言は、本当にする必要があるものなんだろうか。何の意図があってそんな発言をするのだろう。
無論、その一言を誰かに伝えたいというのが根底にはあると思う。そういった伝える誰かを想定した書き込みならまだ理解できる。腑に落ちないのは、そういった誰かを想定していない文章、いや文章ならまだわからないこともないのだけれど、突発的な反応とか予定なんかを発言することだけはどうにも度し難い。何で「私はここで笑いましたよ」「ここが面白いと思いましたよ」なんていう感情を記号で表さんといかんのか。表さないと気が済まないのか。その一言を書きこむ前に、その一言を書きこんでどうしたいのか疑問に思わないのだろうか。
確かに初めこそ真新しさから書き込みをしたくなることもあるとは思う。でも、次第に飽きてくるものでしょうに。いや、もしかしたら飽きている人が大勢いるのかもしれない。そして、そういった何気ない意図を持たない(あるいは今のところ理解出来ない)コメントをしなくなっている人が増えてきてるのかもしれない。その減少傾向よりも新規のコメンターが多いのかもしれない。ツイッターなんてその最たるものなのかもしれない。
はっきり言って、自分が今何をしているのかとか何をどう思ったのかなんてことを呟くことに価値は見いだせない。逆に、よくそれだけの呟きに自分の思いをまとめられるものだと感動する。更に逆説的(使い方間違ってるかもしれない)に考えるに、やはりその呟きというものは突発的な短絡的な発言でしかないのである。突発的ないし短絡的な発言は、その時そのタイミングで本当にしなければならないものなのだろうか。もっと後から考えてみて整理して、そうして発言するに値するか考えてもいいんじゃないのかな。
まあそういった発言をする行為を否定するわけではないけれども。
自分個人としては、ここまで書き込んだこのチラ裏にしてみても削除を検討してしまうので理解がしにくいだけなのだ。だって、どう考えても音声だとか感情に生まれた「呟き」なり「発言」は、それを文にする際に客観的にならざるを得ないものでしょう。今現在私がどのようなことをしようとしているのかが目の前に提示された際、それに何の意味があるのか――違うな。本当はわかってるんだなあ。意味なんてないけどそうしてしまう時の心情というものが。文字にすることは自分には無理だけど、感覚的にわかっている。少し落ち着いて考えて見れば、少なくともわかったような気にはなれる。そして、そのことに疑問を呈する不毛さもわかる。馬鹿馬鹿しいことだよなってわかる。
さて、ここでよっぽど問題にしたほうがいい事柄が持ち上がってきた。けど、一瞬のことだったので忘れてしまった。何につけても自分は忘れっぽいのが良くない。←この一文を書いてしまったことによって、いよいよ本格的に思考の流れとでも言うべきものが全くの別方向を向き始めてしまったので始末に終えない。上に書いてある、よっぽど問題にしたほうがいい事柄ってなんだったんだろう。なんとなく持ち上がってきたけど、また沈みやがった、ちくしょう。こんな築一経過を報告したチラ裏を発言するつもりなのかどうか、それはまた別問題なのでこの際横に置いておく。なんていうか、かくあるべき発言みたいな問題は今は考えないようにしたいし、そもそもそんなものはあり得ないのでどうでもいい(とか言いつつ、理想のあり方みたいなのを考えてみて、結局それにも欠点というか、見方によって性格ががらりとかわることがあるのでどうでもいいなんていうゴミクズじみた結論にしか達しないのだろうなあ)。また忘れた。推敲ってした方がいいのかしらん。仮にもこれは不確定多数の誰かに見てもらうことを想定した、あるいは見られてしまうことが確定的な文章なのに、こんな破茶滅茶な形態でいいのだろうか。良くないと思う自分と、これはこれで味があっていいのではないかしらんなどとふざけたことをぬかしおる自分がいる。
ああ、問題点。何となく当て嵌まる適切な言葉を見つけた気がする。
『不確定』。これこそが、先に記述したよっぽど問題にした方がいい事柄であり、ありとあらゆる物事に対した時に生じる自分の問題点だ。問題点とするとネガティブすぎるかもしれない。厄介な性分としたほうがいい。そのほうがより適切。それともう一つ。ころころ興味が移り変わること。泡沫の種のようなものが次から次へと沸き上がってくるくせに、そのひとつひとつを発芽させることができない愚図であるということ。それから適切という解決策についても。不確定に対する今のところ思いつける唯一の解決策。自分という個人が不確定な波のような人間であるなら、最適を求めるのは酷(というか無理)であるので、より適切なものを探すという方向性でいいのではないのだろうか。
はあ。それにしても結局最後は内省的なことになってしまうなあ。太田光みたいだ。こんなことを書くと氏に迷惑か。いや、迷惑になるほどのものでもあるまいて。
自己分析ついでにもうちょっと自己嫌悪じみたことを続けようかしらん。無計画と計画と呆気無さとハードルとか、そんな諸々のことについて。あー、でもそれっぽいキーワードを並べたら、頭の中でそれっぽい答えが出てしまったからもういいかなあ。面倒だ。でもそれでいいのかしらん。それっぽい答えで満足してしまうことが自己分析なのかしらん。
結局は自分が気持のいいことしかしてないんだよねえ。ナルシズムに酔っているというか、僕ってこんなこと考える奴なんだよって喧伝したいみたいな。また同時にそうあるある自分を馬鹿馬鹿しくも思っていて、いやいや違うんです自分てばそんな奴じゃないんですよははは、みたいにフォローしてみたくもあったり、フォローしている自分を自慢したかったり。堂々巡りなんだな。目立ちたいというか、言葉が出んなー、そうだ誇示、誇示したいっていう欲求が大きいもんだから、それを恥じて。
なんていうか、 誇示→卑下というか否定(の振りをした誇示→卑下というか否定(の振りをした誇示→卑下というか否定(の振りをした誇示→Endless……))) みたいなことが往々にして起きていやがる。面倒くさい。こんな奴関わりたくない――みたいな書き込みをしてまたエンドレス。
これは考えているのかどうか。わからん。考えていなんじゃないのか。考えるってどういう事を言うんだちくしょー。思うことと考えることと感じること、いや感じることは違うか、思うことと考えることって具体的にどう違うんだろうなあ。ロジカル。規則に則って順序立てることが考えることならば、自分は考えることができない人間だ。いつだって思ってる。いかなる時でも考えずに思ってる。なんてメルヘン。ロマンチック。もう訳がわからんくなってきた。わからんっていう言葉は便利だよね。思考放棄にはもってこいだ。あれ、思考って言葉にはどっちもついているのね。つまりは考えることと思うこと。どちらもそれほど違いはないのかもしれないわねえ。それほど重要でもないのかもしれないわねえ。重要でもないことにどうしてこんなに時間を使ってしまうのかしらん。みんなから面倒な奴だと思われちゃうじゃない。まあそんなんはどうでもいいのだけど。でも、重要かどうかって、そんなに重要視すべき問題なのかしらん。重要じゃないことを云々唸りながら思い悩んでいたっていいじゃないねえ。そんな姿勢を馬鹿にはできない。しちゃいけないと思うわけで。いやいや、馬鹿は褒め言葉とも言うか。もうね、いいんだよ。もう全部いいよ。どんなことをバッチコイだ。あっていいよ。悪いことなんてねえよ。あ、あって悪いことって意味ですね。ありとあらゆる事象物事ははあり得ていいのです。そのことがらがそのものごとがあることには何に罪も糞もないのです。あることはもう仕方が無いのですからね。しょうがないのです。我々に出来ることといえば、それを受け止めることだけなのです。その存在を否定はできない。疎ましく思うことも、邪魔臭いと思うことも、消えてしまえばいいと思うこととも大いにあるでしょう。危険視したり、抹消してしまいたくなったり、暴力的な情動を抑えきれなくなることも多いかもしれません。でも、そんな生じ得るありとあらゆる反応レスポンスをもひっくるめて、今存在している遍く全てもの物事は存在していていいのです。というか、存在している限り仕方が無いのです。仮に今その存在を消し得たとしても、その存在があった記録は残る。記憶は残り続ける。ならば、その存在は永遠に消滅し得ないのです。あるということはそういう事。あるということは時間を超越するのです。そして、私たちはありとあらゆる在るという事象の中で存在しているのです。だから、その存在を否定することは不可能。在ることは仕方のないことなのです。であるからして、自分としては在ることが混在したカオスティックな状態を享受したいと思うわけなのです。更に言えば身勝手甚だしいことに、自分が心地いいと思う状態が続いて欲しいと願うわけです。しかしながら、自分が心地いいなどと思う状態というものは恒常的にそこに在るのでしょうか。また私が心地いいと思う状態そのものは恒久的に不変であるのでしょうか。そんなわけはないと思います。わからないけれども。ね。結局何が言いたいんだという。暴走したこの書き込みはどう始末を付けたらいいんだろう。増田に落とせば迷惑がかかるかもしれないと危惧してしまう。ならば削除してしまえばいいのだが、それはそれで悲しい。確かにこのような無為な文章を書き綴った記憶は残るかもしれないけれど、その記録が残らない。ハネムーンの写真を友達に見せびらかしたい気分だ。祝女でいつかやってた。あの新婚さんは今の自分の気持ちに似ているのかもしれない。
でもどうしよう。こんなもの、チラ裏にしても性質が悪すぎる。
ゆっくりとしたハーフスクワットで大腿筋を追い込んでみてください。
この2分ほどの時間は、どんなライフハックよりも自己啓発よりも
スクワットが終わったら座ってみましょう。
パンプアップした太腿が全身にここちよい充実感と血流を運んでくれています。
どれだけたくさんライフハックを齧っても手に入らなかった自己変革感が得られましたよね。
ジム通いを試した人は多いと思いますが、何故か皆さんカーディオにいかれますよね。
ウエイトトレーニングなんです。本当に必要なのは。
ウエイトトレーニングは短い時間に集中して力を出し切ります。
1回1回が己との対話であり克己心の連続であり、発見の繰り返しなんです。
ベンチに寝てバーベルを挙げてるだけのことで、これら全てが得られるんです。
本当ですよ。
http://anond.hatelabo.jp/20110202035306
元増田が「論理操作能力」という造語で表現しているものは、(A)論理的思考能力と(B)修辞能力のごった煮ではないか。
(あ、俺も東大、理Ⅰから工学部→修士。だから何って話だけど、ぶっちゃけルオーのカレー大好きです^^でもいつもは根津吉野家です><;ぐらいの意味しかない。元増田個人に対する挨拶だから他の人は流してくれ、すまん。)
話を戻す。
元増田は、(A)論理的思考能力と(B)修辞能力の区別が付いておらず、それ故にストレスを感じてるのだと思う。
まず(A)(B)の共通点から行こう。
この2つは、先天的でも遺伝的でもない。だが早期からの訓練によって、スピードと正確さを磨くことができる。
どちらも、既知のパターンに当てはめて理解し、それを自分流に応用するものなんだ。こう書くと抽象的だけど、スポーツの練習と何も変わらない。違うわけないんだよね。脳は誰でもそういう風にできているんだから。要は訓練。
最近では、おおよそのレベルは大学に入る前に決まる(大学入ってから死ぬほど努力する人が減った所為かもしれないし、早期訓練のメソッドが発達しただめかもしれない)。
じゃあなぜ、(A)論理的思考能力と(B)修辞能力を、区別する必要があるのか?
ここで大事なのは、(A)と(B)は結局のところ相反する、という事。
両方に優れた人はほとんどいない。学者でもどちらか片方に偏る。
(A)成分多めな人を論理屋、(B)成分多めな人を修辞屋、と呼ばせてくれ。
誰も気付かなかった事を発見するのは、(A)論理的思考能力の高い人、論理屋。
論理屋は、無数の要素を網羅的に検証し、それらを因果関係で繋ぎ、論理で構築しなおす。この人たちは最良の解を求める事を優先するので、自分に都合の悪い事も認めてしまう。苦しんだ末に、最良の解に辿り着けない場合もある。だから、ディベートではあまりパッとしない。昔は学者と言えばこの論理屋が多かった。
逆に、ディベートで強いのは口がうまく(B)修辞能力に強い人、修辞屋。
状況に応じた方法論が必要だと思ってる、状況志向。
修辞屋は、必ずしも高い論理的思考能力があるわけではなく、自分に都合の良い構造に周りを嵌め込む能力に優れている。無数の要素の中から自分にとって重要な要素だけを効率よく抜き出し、それを既知の修辞に代入して、相手が反論できない方向に持っていくんだ。修辞屋は、最良の解とか考えてない場合も多い。政治家や芸能人にこちらの能力が要求されるのはもちろんだが、実は最近学者でもこの修辞屋が増えてきている(ビジネス社会が云々言ってる増田はいつの時代と戦ってるんだ?学界でも変わらんぞ)。
俺の見る所、おそらく元増田は(A)論理的思考能力に優れている、論理屋だ。
なのに、(B)修辞能力が足りないために、ディベートでは修辞屋に負けてしまう。不条理だよね。でも、だからって元増田の(A)論理的思考能力を否定する事はない。
元増田は一般の人に理解できるような論文は書けないかもしれない。でも、誰も気付かなかった事や、普遍的に最良の解を導く事は、君しかできないかもしれないよ。
だから長い目で見て頑張れ。あと、自分の土俵に篭るにしたって、少しは(B)も身につけろ。今からでも効率は悪いが訓練可能だ。
ちなみに俺は、見ての通りの修辞屋だ。器用貧乏って言うな畜生。元増田も俺も、東大卒だってほとんどは、こうやってコンプレックス抱えて生きてる人間なんだぜ。
中国人は一枚岩ではないし在日も個々の存在だしと、道理を分けて話しても
全く受け付けないのはどうしてだろうと思っていたが、なんと自分も同じ事をやっていた。
その臭いをかぎつけると、相手を全く信用しなくなることに最近気づいた。
理屈で考えればパターナリストだとしても正しい選択や判断はできるはずなのだが、
自分の中では父権主義者はいつも世の中のためにならない事をするし、正しいことをしているように見える時は
何か良からぬ事を企んでいるに違いないと思ってしまう。
だから中曽根康弘なんて自分の中では、何一つ日本によいことをしなかった
ろくでなしの頂点として君臨している。
そんな考え信じられない位馬鹿だと思うだろ?
もしそれが本当なら日本はとっくに滅んでいる。
これの「中曽根」を中国でも在日でもすきな言葉に替えてみてくれ。
人生の一番大切な時期にそれに凝り固まった人間複数にひどいめにあわされたからだ。
その出来事がいまだに尾を引いている。
ただそれと中曽根を筆頭とする特定の保守政治家を全く信用していないこととの繋がりに
気がついたのはごく最近だ。
そもそも自分は中曽根康弘が父権主義の権化なのかも確認してない。
保守だから絶対そうだと決めつけているだけなんだと思う。
気に入らないイデオロギーがあって、それに自分の一番嫌いな人間像を勝手に当てはめて
だから駄目なんだ、何一つ信用できないんだと思いこむ。
この図式もヘイト垂れ流す人間の特徴だ。
自分はさすがにこれらを公言できなかった。いくらなんでも恥ずかしい。
でも心の中ではそう思ってるんだ。それが困るんだ。
理屈じゃないんだ。今でも信用できないんだよ。
こう書くと自分は単純でわかりやすかったなと思う。
ヘイトしている普通の人はもっと屈折していてわかりにくいんだろうが
その理由は差別とはかけ離れたところに存在している場合が絶対あると思う。
抑圧をうけたときに内面化させない方法を充実させるとか
上のリンク、「The Smithsを聞いて自殺した人」の話を読んだ。
The Smithsの作詞者兼ボーカリスト、モリッシーが当時こう語ったのは有名な話。
(ザ・スミスの曲が余りに内省的で陰鬱であり、そのために自殺者が出た、という話を記者から聞いて)
モリッシー「責任なんて感じない、本当に。彼らの人生の最後にThe Smithsがあっただけでも幸せだったと思うよ」
…なるほど。
以来、四半世紀が過ぎた。
今私たちの眼の前にある大量の無名の生と無名の死……
あらためて思う。The Smithsを聞き「自分の生」に殉じた彼らは、確かにある「幸せ」の中に居ると。
たとえそれが私たちの思う「幸せ」とは違っているとしても。
「悩みなんて無さそうだよね」という言葉をふと耳にして、あ、私もそんなことを言われていた頃があったな、と思った。
小学生の頃、私は尋常じゃなく無神経だった。「それダサいね!」「キモいね!」「私いらない!」思ったことをいちいちズケズケと言う女だった。
それが中学に入って内省的になり、それまでの無神経発言を思い出しては思い悩み、私は口を開けば人を傷つけるからと言葉少なくなり、寡黙な人になった。
気付けば寡黙で暗い人のキャラクターは私にすっかり定着していて、もう元の無神経な人間には戻れない。
思いついたことをフィルター無しに即口にする子供のようにはなれない。
でも暗い今より、「悩みが無さそう」と言われていたバカ明るかった頃の方が、友達がいっぱいいたし、周りに常に人がいた。
確実に、人を傷つけていたはずなのに…
前からこうだね。
受け入れられる耳障りのいい正論と、自分の内面が表に出るときと両極端。
18禁関連なんてその最たるもので、一応ありむーは3次ロリ規制反対派ってことらしい。
そういう主張をすることと同じ口が、陵辱の醜さを語り、嗜好の下劣さを語り、他人にも内省を強いる。
自分を省みてる俺カコイイ的な。
http://twitter.com/y_arim/status/16082979505
はやぶさに「精神」はありません。擬人化したうえナニカを仮託すると心身の健康を損なうおそれがあります
“@kyouichikanan: 不撓不屈の精神を見せて地球に帰還した「はやぶさ」は日本人の誇り。「はやぶさ」を仕分けで潰そうとした蓮舫(@renho_sha)は、日本人の敵! …”
↓
http://b.hatena.ne.jp/entry/twitter.com/y_arim/status/16082979505
angmar 同じ理路で「アニキャラ凌辱同人誌はキャラが可哀想だと思わないの?」というのも単なる感傷というのであれば頷ける。 2010/06/14
y_arim id:angmar や、そりゃ完全に感傷でしょう。だから2年くらい前のぼくの記事は完全に誤りだった。あれについては撤回し、自己批判する。 2010/06/14
痛いニュース(ノ∀`):日本のショタエロ画像をDLしたカナダ人、有罪に 「虚構の子供達に苦痛を与えることも罪」
http://b.hatena.ne.jp/entry/blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1335559.html
y_arim 法で裁かれる性質のものではないが、「虚構の子供たちに苦痛を与えること」について内省している消費者はどれほどいるのだろうとは思う。考える必要もないとか? 2009/11/09
kurahito id:y_arim「虚構の苦痛」というのが矛盾ぽいけど、仮に代償だったとして現実の子供が救われるなら幾らでも犠牲にしたらいいと思う。所で虐待AAのキャラも苦痛を感じてるんですか? 2009/11/10
inukorori 犬のメモ べつに罪でもいいけど他人に裁かれたくはないわな。望んで牧師に裁かれに行くのは勝手だが裁判か。//id:y_arimそこに守るべき人格を仮定することに、感傷(と欲望増幅)以外の意味を見出せないのだけど。 2009/11/09
angmar 2chの皆様の浮かれぷりは毎度のことなのでどうでもいいとして/"「虚構の子供たちに苦痛を与えること」について内省"することとそれに興奮することは情動的には表裏一体なはず。と言っておく。 2009/11/10
あの人はきっと俺のことを気に入っている。好き。そうであってほしい。そうなのか?そうに違いない。
と昂っていたら、ひとり相撲だった。
そんなことが多すぎる。
いやごめん、そんなことばかりだよ!
思い込みの激しいタイプだからね。そういう自分にいつも疲れている。ばからしい。
わかっているんだよ。そんな都合のいいことそうそう起こりっこないって。でも都合よく妄想して期待してしまう。
内省すれば、その心境はどこか上滑りな高揚であって、要するに初期本気が足りないは気もする。しかし最近は、意地張ってないでとりあえず良さそうな人とお近づきになれたらそれはそれで良くて、そこからどんどん本気になっていくのもあるのかななどと考えるから、先述のようなことになる。
もう休みたい。
あと友達ほしい。
気兼ねなく話せる、心からの友人がほしい。
橋の上から多摩川に跳んだら気持ちいいのではないだろうかと言う想像が前より少しリアルになっているのに気が付いた。
やっぱり解放されたいんだな。いっぱいいっぱいなんだ。
うーん?
今、私は日本にいるが、今ちょうどブラジルにいる私を、もう一人の私と命名しよう。
果たして、もう一人の私は存在するだろうか?いないだろうね。
今、あなたが日本にいて、ちょうどブラジルにいるもう一人のあなたを、「もう一人のあなた」と命名する。
しかし、私はあなたがどちらにいるかはまだ知り得ない。すなわち、可能性として「もう一人のあなた」は存在しなければならない。
これが、存在し得ないならば、私は推量することなくあなたの居場所をたちどころに特定し、あなたを明日中には食ってしまうこともできるはずだ。
内省の問題として、今私が日本にいて、同じく今ちょうどブラジルに居る私を、「もう一人の私」と命名する。
では、もう一人の私は存在するだろうか?という問に、私は答えることはできない。
なぜなら、私は私自身を知覚できるが、もう一人の私に対しての知覚は持ち合わせていない。
いつどこからかひょっこりともう一人の私が出てきて、合体してしまうかもしれない。
私がここにいる、ということは、私は一人しかいない、自分自身で完結している、という答えには成り得ない。