はてなキーワード: フィロソフィーとは
全6曲。
落ち着いたアレキサンドロス。よく聴いてるわけじゃないけど『kick&spin』とか『閃光』とかのイメージが強くて意外な気もしつつ、耳触りのよい英語が結構好き。何言ってるのか分かんないけど。
日本語で歌うパートにくると歌詞の内容が分かりだす。「午後一時半の小田急線」——どうやら、一度出勤したけど風邪気味だから午後休取って早退したやつの話らしい。サボってる学生や、楽しそうな主婦がいたりする時間帯だ。うんうん、わかるわかる。
そして彼は、最寄りに着いたところでふと気付く。このまま乗っていれば実家に帰れる、と。そして実家で猫に会い、(おそらくは親に)小言を言われ、おいしい味噌汁を飲む——。
は?
この曲は、俺のような英語のリスニングもできない片田舎の人間が風邪をひいた時に聴く歌ではない。ただただ、恵まれた環境にいる人間が風邪をひいた時の歌なのだ。
「いや、そんな恵まれてもないだろ」と思う方もいるかもしれないが、2番の日本語パートで彼自身もこう内省している。
「思えば恵まれた生活をこう/与えられてたこの坊ちゃんが/ロックンロールなんて/叫んでいいんだろうか?」
彼は会社員というよりはロックを叫ぶバンドマンのようである。アレキサンドロスの人そのものを描いているのかどうかは分からないが(まあどちらでもよい)、芸術系とか創作系・表現系に全ベットできる人間の実家が太いというのはままある話である。
彼の悩みに答えは出ず、玄関まで送りに出てきた親(おそらく)の顔も見ることができずに電車に乗り込む。「一人部屋のアパートに帰ろう」——ロックで売れまくってるってわけでもないようだ。
曲を聴くというよりは歌詞を読みふけってしまった。この曲で描かれる人物は俺とは全然違うところを生きているけども、好感が持てないかと言えば全然そんなことはないし、そういう人間が風邪をひいた時の情景を描いた歌として、うん、よかった。しっとりしたアレキサンドロスも良い。
名前だけは見たことあるけどちゃんと聴いたことのなかったamazarashi。
ピアノのイントロから入っていきなり「37℃の微熱」、うん、風邪の歌だ。
そしてなんか、フィロソフィーとか運命とか必然とか言い出したな……と思ってるうちに曲が終わった。歌詞サイトを見る。さっきのアレキサンドロスでも見ていた。
2回目の再生ボタンを押すと、なんとこの曲1分55秒である。そりゃすぐ終わるわけだ。
しかし改めて歌詞を見ると、この曲で描かれる風邪を引いた人間もまあ、全然共感できない類の人間だ。部屋にはソファがあるし、彼女がいるし。フィロソフィーとか運命とか必然とか言い出すあたり、俺には話を合わせることもできなさそうである。
彼は「ごめんちょっと調子が悪いだけなんだよ本当に」と言い訳をし、「かれこれ数時間/便器にしがみついて/朦朧と/うわ言」。うわ言だったらフィロソフィーとか言うのもやむなし……か?
2分に満たない短い曲の中で、「朦朧と」のフレーズが繰り返される。印象に残る曲だ。全然好きだ。好きだ、amazarashi。もっと俺の調子がよくて、なんか小難しいことを考えたいときに聴きたい。
恋風邪じゃねーか!
でもまあ、Vaundyは好きなので(数曲しか聴いたことないけど…)楽しみである。
これ前に聴いたな……。
Apple Musicは自動再生で似たような曲や売れ線の曲を流してくるので、Vaundyなんかは知らぬうちに受動喫煙しているのだ。
「恋風邪にのせて」というタイトルには、いわゆる恋の病的なものを風邪に例えた「恋風邪」と「風にのせて」言葉や思いを吐き出す行為がかかっていて、全編的にそんな感じの曲である。俳句みたいな技法で割とすき。
しゃらくせぇ曲だなあとは思うものの、そのしゃらくささがVaundyの魅力だとも思う。いい曲。
「くだらない愛で/僕たちはいつも笑っている」
旧Twitterのフォロワーにこの人のファンがいて、ちょくちょく名前と情報が目に入っていた。実は曲を聴いたことはないのだが、シャニマスが好きみたいなので信用の持てる人だと思う。
そして肝心の『風邪』。風邪をひいた舞台役者・脚本家?のつらさを綴った曲のようである。あんまり面白くない舞台であんまり上手くない芝居をして、叩かれて、病んでいるようだ。そんな感じの「風邪」ニュアンスを感じた。
自らの作品や表現の稚拙さに苦しむというのは、個人的には結構わかる。わかるけれども、今食べたい料理はそれじゃない。それじゃないんだ……全然上流階級の人間を描いてていいからがっつり熱出して寝込んでてほしかった……。こういう形の風邪も全然あるんだけども。こういう形の風邪の話だよね?解釈に失敗してるような気もする。
それはそれとしていい曲だと思うし、小林私のボーカルも結構すき。やはり信用の持てる人だと思う。元気になったら(あるいは精神的に病んだら)他の曲も聴いてみようかな。
この曲もしっとりした雰囲気で、熱が出てぼーっとしたいときに合っているような気がする。
歌詞としては、風邪が治った直後の情景が描かれている。まだ少しぼんやりとしつつ、でも体の軽さがある、そんな感じ。早くこれになりたい。
「君の手のひらはbutterfly」「僕の額をその翅で慰めた/あぁ」
どうやらこいつにもパートナー的な人間がいるらしい。だけど、不思議と嫉妬のような気持ちは湧いてこない。キリンジの、この曲のふんわりとした雰囲気ゆえだろうか。
曲は終盤に1分ほどbutterfly…を連呼して終わる。すごい余韻である。風邪のときってこれぐらいの余韻がほしいというか、ぼーっとしたい。いい曲だ。好きだ、キリンジ。
間違いなく1番ひどい。
検索しても歌詞は出てこないし、そもそも歌詞というか一般的な曲の体をなしていない気がするし……音楽に決まったルールなんてねえんだよと言われたらそれまでだけど……。
もう20年以上前の話になる。荒れたと言っても、先生に歯向かう、言うことを聞かない程度で、今思えばかわいいものだった。
反抗したのはA君とB君。A君とは家が近く、1年生のころから仲良く遊んでいた。小さいころから剣道をやっていて、とても背が高く、足が速く、頭も良くてかつおもしろい子だった。B君についてはよく覚えていない。学校では割と仲良く話していたが、学校外で一緒に遊ぶことはなかった。B君も割と体は当時から大きめだった。
小学3年生でクラス替えが行われ、私はA君・B君と同じクラスになった。担任は40代くらいの男の先生で、特に問題なく1年間を過ごした。小学4年生になるまで先生に歯向かう児童を見たことが無く、荒れた様子もまるでなかった。
小学4年生になり、担任の先生が替わった。30代半ばくらいの女性の先生だった。割とハキハキとしていて、怒るときには物おじせずにしっかりと怒るタイプだったが、今思えば「口うるさいお母さん」みたいな先生だった。若めの女性であったこと、体罰がなかったこと(当時はもう体罰は時代遅れ、という雰囲気だった)、お母さんみたいなタイプだったことが、周りよりも少し早く成長期を迎えた二人の反抗心を呼び起こしてしまったのかもしれない。
最初に反抗したのはA君だった。最初のきっかけはわからない。注意をする先生に口答えをする、歯向かう、無視する、言うことを聞かないといった、まさに反抗期の男子が母親に歯向かうそれに似ていた。その様子を見たB君も同様の行動をとるようになり、いつしか二人はその学校の問題児となった。二人が問題児となって以降も、先生はめげずに立ち向かい続けていたが、いかんせんアプローチの方法が最初から変わらないため、特に改善の兆しが見えないまま月日は流れていった。なお、期中に二人が校長室に呼ばれ鉄拳制裁をくらう(最初にB君が殴られ、それを見ていたA君はよけることができたらしい。A君とB君が逆かもしれない)こともあったらしいが、その二人の態度が変わることは無かった。
二人とも似たような行動をとっていたが、どちらかというと主犯がA君でB君が追従者といった印象だった。A君はもともと芯のある人間で、自らの考えで主体的に反抗している印象があり、そこには当時の彼なりのフィロソフィーがあったと感じた。一方B君にはそのような印象が無く、なんとなくむかつくからA君の真似をしていた、程度の印象だった。これは卒業以降の二人の歩む道の伏線でもあった。
二人が問題児となって以降も、クラスの運営は(ほかの児童目線では)問題なく続けられていた。二人は担任の先生に反抗するだけで、授業の邪魔をしたり他の子をいじめたりといった周囲への妨害がなかったからである。というか、その二人を含めクラスの男子は基本的にみな仲良く1年間を過ごしていた。そのため、その二人の反抗をスルーすればクラス運営は機能していたように思う。
ただ、みな仲が良かったこともあり、同じクラスの他の児童(特に男子)へは悪い影響を及ぼしていた。二人のような表立った反抗はしないものの、先生の話を話半分で聞き流す、誰かが怒られていると別の子が「短気は損気~」なんて歌をわざと先生に聞こえるように歌う、など男子を中心にうっすらと先生に歯向かう雰囲気が醸成されていった。なお、女子集団には特にそうした雰囲気は感じられなかった。
前述の通りこれまで先生に歯向かう友達を学校内で見たことが無く、私はそれまで、先生(学校側)=絶対的存在とみなしていた。先生に反抗するなど夢のまた夢と考えており、そのためこの二人の行動は衝撃だった。そんな私も周りの雰囲気に流され「この先生むかつくな」など軽い反抗心を抱いてはいたが、一部の友達のように反抗を匂わせる行動はついに最後までとれなかった(びびっていたのである)。
小学5年生になり、クラス替えが行われた(このタイミングでのクラス替えは例年通りである)。私はA君と同じクラスになった。B君は別のクラスになった。4年生の時に担任の先生は他の学校へ異動となった。私とA君のクラスには、新たに別の学校からきた男性教諭が担任に就いた。当時40代半ばで中学教諭も経験しており、背は低いながらも厳しい先生であった(なお、この先生が私の父親の同級生であることが後日判明する)。B君のクラスにもおそらく男性教諭があてがわれただろうが、よく覚えていない。
5年生になって以降、A君とB君は急におとなしくなった。今思えば、この男性教諭はA君への刺客だった。A君とB君がお互い離れ離れになったこと、それぞれ厳しめの男性教諭が担任になったことで反抗的態度をとりにくくなってしまったのだろう。5年生以降のA君の様子はむしろ優等生寄りで、赴任時にかなり身構えていたであろう男性教諭は拍子抜けしたかもしれない。そして特に問題を起こすことなく、二人はそのまま小学校を卒業し、私とその二人は地元の同じ中学校に進学した。
中学生になってからの二人はまったく別々の道を歩んだ。先にB君について話すと、いわゆる「不良」になった。数世代前にめっぽう荒れた中学校で、不良自体は当時もまったく珍しくなかった。引き続きB君とはたまに話をするくらいの間柄だったけど、がたいがよくたまに人を殴っていたので「殴られたら怖いな」と思い内心びびっていた。中学校卒業後の進路についてはよく知らない。高校に進学したのかどうかもわからない。
A君は、小学5年生の「更生」路線を中学でもそのまま続けていた。引き続き頭がよく成績も優秀、さらに生徒会に入りついには地元の進学校に推薦で入学してしまった。中学時代も引き続き仲良くしていたしB君みたいに周囲を怯えさせるような人でもなかった。普通の「いいやつ、おもしろいやつ」で、もし中学からの友達が彼の小4時代の話を知ったら多分びっくりしていたと思う。本当にあの1年間だけだった。たぶん、早く到来してしまった反抗期とあの先生が悪い意味でうまく組み合わさってしまったんだと思う。
私はA君とは別の高校に進学し、それから連絡もとっていないため彼のその後についてはよくわからないが、高校卒業後は東〇電力に入社したらしい。てっきり大学受験をするのかと思っていたため、少々驚いたのを覚えている。B君についても詳しくは知らないが、中学の同級生と結婚して子どもがいるらしい。
思い出話はここまでである。特にオチが無くて申し訳ない。年末の帰省準備をしていてふとA君のことを思い出し、書きたくなってしまった。A君はいま何をしているのだろう。芯のあるしっかりした人間で柔軟な思考も持ち合わせているから、問題無くやっているとは思う。もしA君がこの文章をみたらすぐに自分のことだと気が付くと思う。書き手についても大体察しがつくだろう。
今の彼にとって、あの1年間とその1年間が彼のその後に与えた影響をどう考えているんだろう。中学時代も話題に出したことはあるけど「あの先生がうざかったからね~w」くらいの話をした記憶しかない。30歳を過ぎた今なら、その「総括」もできているんじゃないだろうか。私個人の勝手な考えだけど、あの1年間は彼の精神的成熟に多大に貢献したと思う(当時の先生は不憫に思うが)。彼がいまどのように感じているのか、一度話をしてみたいものである。
経営者なりたての新参者だけど、とても興味ある話題だったので書いてみる。
うちは今年創業の、まだ出来たてほやほやの会社。業種はWeb関係。
スタッフは6名、20代~30代前半がメインで、ITツールを使いこなすスキルもある。
コロナ禍真っ最中の創業当初、リモートワークをフル活用して新しい働き方を目指すぞ!と意気込んでいた。
スタッフ全員にMacbook proを配布し、ヘッドセットも用意し、オフィス内にはGoogleMeet専用のiPadを設置して、
いつでも気軽にオフィス内スタッフともコミュニケーションしやすいようにした。
リモートワーク中はMeet接続推奨だけど、必須では無く、カメラやマイクも必要に応じてONにするルール。
クラウドサービスも駆使した。Googleカレンダーで予定を共有し、Trelloで細かいタスクの進捗をリアルタイム可視化した。
普段のやり取りはSlackでスピーディに行い、業務データは全てDropboxとGoogleDriveで完全共有。申請等もほぼペーパーレス。
しかし色々試行錯誤する中で不都合が多いことに気づき、今では事情がある場合を除いて、オフィス勤めとしている。
よく言われることだけど、やはりこれが最も課題だった。私の力不足と言われればそれまでなんだけど、管理職ってほんと難しい。
スタッフ一人ひとり、能力も性格も、欠点も得意分野も、好き嫌いも全員違う。たった6人のスタッフに気持ちよく動いてもらうだけで、毎日必死だ。
そう、管理職って、スタッフに気持ちよく動いてもらう場作りが仕事なんだと思っている。
そのためには、スタッフ一人ひとりをしっかり観察して特徴を把握し、活躍しやすい場を提供することが大切なんだと。
例えばあるスタッフは技術的にベテランなのだけど、仕事に過剰なくらい真面目に細やかに向き合ってくれる。
一方で、放っておくと細かい部分で悩みすぎて手が止まってしまうことも多い。
であれば、ちょっとでも悩んでいるようならすぐに声をかけて、私がスピーディに判断を行っていけば、さらにパフォーマンスを上げられると考えた。
一方で新卒で入社したスタッフもいる。社会人成り立てで、当然ビジネス上のルールなどをまだ理解できていないので、つきっきりで教える必要があった。
遠方から引っ越してきたために友達もおらず、唯一人とコミュニケーションが取れる機会が、うちの職場だった。
ちなみにうちの会社はいわゆる「コワーキングスペース」に入居しており、他社や学生など色々な人が出入りする。
この地で心地いい人間関係を作ってもらい楽しく生活してもらうためにも、リモートだけでは難しかった。
このようにスタッフによって全く異なる条件を踏まえて、彼ら彼女らがもっとも活躍できる環境を「早急に」組み立てていくには、リモートワークはハードルが高かった。
もちろん潤沢な時間があれば、スローペースでも問題ないだろう。
けど、創業したてで事業が安定していない中、最短で利益を上げられるようにならなければ会社の未来は無いと判断した。
あるスタッフは、大都市の大手企業のもとでバリバリ経験を積んできた方だった。
その会社では、大手広告代理店直下の過酷な環境の中で利益を上げることを最重要視したビジネスを行っていたと聞いている。
しかし、ウチは少し「ソーシャルビジネスの要素」が入ったビジネスモデルを志向している。
そのためクライアントにもそういう団体等が多く、うちも利益「だけ」を目指す仕事の受け方をしていない。
全く利益にならなくても、社会益があると判断したら受ける案件もある。
そのためには、うちの会社がどこを目指して歩んでいくのか、という「ビジョン・ミッション・バリュー」の共有がとても重要だった。
ベクトルを合わせて目標に向かって進んでいくのは、立ち上げたばかりの会社にとっては死活問題だ。
しかし、いくら標語を掲げても、全体MTGで話をしても、そういうものってなかなか伝わらない。
日々の雑談のはしばしや、経営者の働き方や姿勢をフルタイムで見せていって、やっと伝わるものだと思う。
目指したい価値をチームで生み出すためには、単に決まった時間に仕事をスタートさせて、
数字で表現できる成果を上げて、定時まで働けばOK、というわけには行かなかった。
人間関係って、相手のことを理解するまで不安にさいなまれることが多いと思う。
この人は本当は何を考えているんだろう、裏切ったりするんじゃないか、とか。
スタッフ側もそうだと思う。
この会社は本当に信頼して自分の人生の一部を預けることができるのだろうか、と。
そういう不安を払拭するには、沢山コミュニケーションをとって、さらには態度で示していくしか無いと思っている。
私は、あなたを信頼している、だからあなたも信頼してほしい。そのために、こんなに色々あなたのためを思って考えている。そういう態度。
そういう安心感があると無いとでは、仕事へのモチベーションも変わると思うし、
もし会社がピンチな状態になったとしても信頼があれば力を合わせて乗り切れると思う。
ちなみにうちではスタッフごとにノルマのようなものは設けておらず、「みんなで協力し合って案件を達成する」ことに重きを置いている。
新卒の子でも得意分野ではベテランスタッフを助けることもあるし、もちろんその逆もしかりだ。
そういうしっかりした人間関係に基づいた信頼感、安心感の醸成には、やはりリモートワークオンリーは厳しいと感じた。
他にも細かい理由は沢山あるけど、そういうわけでうちはリモートワークを非推奨にしている。
ざっくりまとめると、「ビジネスとは言え、ビジネスライクなだけでは組織は成り立たない」ということだった。
例えば、体調が優れないとき(本当に調子悪いときはもちろん休暇を取らせる)、子供が調子悪い時、
重要な荷物が届くなど自宅にいる必要があるとき、年末年始の混雑を避けて帰省したいとき、など。
そのくらいの柔軟性があったほうが、社長自身にとっても都合がいい。
ちなみにスタッフの感想によると、オフィス環境も居心地が良いように気を配っているためか、積極的にオフィスに来たいと思ってくれているようだ。
集中できるし、スタッフ間で相談もしやすいし、おやつ食べ放題だし、地方なので満員電車に揺られることも無いし。
定型業務が多く数字で成果を出しやすい業態、ベテラン揃いでスタッフが自立して動ける環境、出勤するだけで満員電車等でエネルギーを消費する環境、など。
それであれば、諸々考慮してもリモートワークのほうが成果が出るかもしれない。
逆に言えば、どんなに働き手にとって都合が良かったとしても、事業として成果を出せなかったらリモートワークは選択できないとも思う。
なるべく柔軟にいくつもの選択肢を用意して、結果としてスタッフが成果を出しやすい働きやすい環境を作るのが重要なんだと思っている。
異論反論、質問、歓迎です。色々な人の意見、聞いてみたいです。
そうですね、権限移譲はとても大きいと思うけど、強いチームを作るには後者の3点が欠かせないが故にリモートワークオンリーは難しいと思っている。
意思統一については、本文には書かなかったけど、引っ越しを期に完全リモートで遠隔地にいるスタッフがひとりいて、
その子とは1年以上毎日膝を突き合わせて議論を重ねていたので、例外的に成り立っていると思っている。
音声チャットは考えていなかった!ちょっとやってみるよ。電話にせよLINE通話せよ、もちろんZOOMも、それなりにハードルあるんだよね。
へええ、こんな考え方あるんだ。勉強することたくさんあるなぁ。組織が一丸となって目標達成させるためのもので、ちょっと高めに設定するのね。
ガチガチに目標設定して、結果マイナス評価になりがちなものより、ポジティブに機能しそうな気がする。
ちなみに今でもざっくりとしたチーム全体の目標売上とかはちょっと大きめに共有している。もうちょっと深堀りしても面白そう。
確かにそれが理想。いずれそういうふうにシフトしていきたい。今は創業初期でメンバー少ないゆえの一枚岩戦略なんだなーと改めて自己認識した。
組織が大きくなったらそうもいかなくなるし、逆に多様な考え方の中から価値あるものが生まれてくると思う。
経営者に発信力があって(多分魅力的なビジョンやフィロソフィーが明確にあって)、増田さんもそれにしっかり向き合っているのだろうな。
そういう事柄の重要性を相互に理解しあっているというか。リモートでも強い組織を作っていけそうな環境ですね。
ほんまか!ありがとう~嬉しい
すまんな・・・。ちなみに以前会社勤め(銀行系SI)していたとき、多分私も増田さんと近い感覚やった。
やりがい搾取、サービス残業、業務外の付き合いとか、無くなればいいって。
雇用契約で9~18時働くことになっているんだから、それで十分だろうって。
(今も大体そう思ってるけど)
経営する立場になって気づいたんだけど、信頼できる関係性内での多少の融通は、人生を変えるほどの大きな変化を生むってことに気づいた。
おれ30歳過ぎてから一度うつ病を患ってて、数ヶ月寝たきりで、それまで勤めてた会社も辞めて信頼できる仲間も友達もだれもいなくなって、
けど、たまたまPCやウェブに詳しかったから、知り合いの知り合いとか、頼ってくれる人が周りにいたんだよね。
少しばかり無理して頑張って要望のちょっと先を目指してみたら、クライアントがめちゃめちゃ喜んでくれて、びっくりするほど感謝されて、差し入れまでもらえて。
そこから地域での居場所や信頼関係が強固になって、困ったことがあったら助けてくれるような関係性が生まれたり。
それが、会社、スタッフ、クライアント、その他ステークホルダーを超えて、広がっていった。
そうこうしているうちに、うつ病は完治してしまった(何年もかかったけど)。
そして会社を作ったわけだけど、個人事業主時代から一度も宣伝広告を打ったことがない。
口コミとリピートオーダーだけで法人化してスタッフ6名まで成長できた。(まだまだ極小零細)
会社勤めしていた10年間、会社に言われた通りに仕事をしていたけど、自分自身が価値を生み出すべきだ、なんて考えたこともなかった。
みんな惰性で働いているか、上司のパワハラやクライアントのクレームが怖いから、仕方なくがんばってた。
そこで理解したのは、どんなに時間通りに真面目に働いても、価値を生み出さなければ意味が無いし、そうなったら会社組織は存続できないってこと。
けど、経営者と被雇用者はもちろん立場が違うから、スタッフをおれと同じようにさせるわけにはいかない。
なるべく自由で居心地のいい環境でパフォーマンスを出してもらうことを毎日考えている。
顧客に対してぼったくることもしない。取引先を無理に叩いて値下げさせるようなこともしない。
そんな中で考えたのが、ビジョン・ミッションを明確にし、チームが一丸となれる体制づくり。
限られた労働時間の中で成果を生み出すためには、色々な物事を価値を生み出すために最適化・効率化しないといけない。
(リモートワークチャレンジもその一環だった。うまく行かなかったけど)
ビジョン・ミッションはスタッフも含めてみんなが幸せになれるような理想を描く。と言っても全く手が届かないようなものではなく、
頑張れば少しづつ実現できそうなもの。そのために、みんなで頑張ろう!それも、楽しくやっていこう!って。
ドライに仕事をして責任を全うし報酬を得ることだって十分立派だと思ってる。
けど、それだけでは生み出せない価値を、うちのチームでは生み出したいといつも願っているし、それがスタッフやクライアントや地域の利益につながると信じている。
昔々、そうコロナが騒ぎになるよりも前、あるところに女子事務員がおったんじゃ。
まあ私なんだが。
当時は数年かけて金貯めて、年に二回のデパートのセールに行くのが楽しみじゃった。正月時期と7月あたまとかにやる、三越だの伊勢丹だのの大規模セールな。
セール初日に休み突っ込んで、ド平日に高級な服を見て、手が届きそうだったら一着か二着買う、そういう趣味というか娯楽。
忘れもしない、あれはレディスのマッキントッシュ(フィロソフィーではない方)(無論リンゴでもない)をぶらぶら見ていた時じゃった。
マッキントッシュてのは、なんかこう、ハイソな方々のきちんと感のある普段着的なポジのブランドでな。具体的に言うと、今検索したんだが今期のコットンのトレンチコートが16万円くらいするような価格帯の。
デザインは奇抜さはなくてむしろスタンダードとかトラディッショナルとかそういう感じのところど真ん中で、素材は良いもん使ってるし縫製とかも気ィ配ってるわと思わされるような服の店でな。
マッキントッシュのセール品は別のもっとでかい催事会場に集められてて、その日、店頭に出てるのはセール対象外の新作ばっかりじゃった。
女子事務員は自分に買えないとしても良い服見るのが楽しくてぶらついてたが、あんまりにもひとけがないし、ちょっと対象年齢(及び想定されている御予算額)が高くてノックアウト気味だったので、そろそろ帰ろうかと思っとったときじゃった。
一人はオシャレで高そうなスーツ着たマダムって感じで、もう一人は就活用っぽい黒だかネイビーだかのシンプルなパンツスーツ着て髪をシンプルに結った、20代なりたての若者って感じだった。
女子事務員はその二人を見て親子かなと思った。セール会場で似たような二人組、金のかかったきれいな服を着て金のかかるうつくしい服をキャッキャしながら楽しそうに見て回ってる年配女性と若い娘の組み合わせをいっぱい見ていたからだ。「ひええ、お金持ちの奥様とお嬢様だ、実在するんだこういう人たち」「都会のハイソな家ってすごいなあ」とすれ違うたびにいちいち思っていた。
だから、そういう二人組なのかと思った。
娘さんの方は就活スーツでトレンチコートを腕にかけて他のブランドのショッピングバッグとか持ってたので、就活帰りに合流して息抜きかなあ、いいなあ、と思ったのだった。
ところで、マネキンが着てたのはスカートスタイルで、目に見えてすごく華やかだとか愛くるしいってわけではないけども、上品で知的で清楚な感じのコーディネートだった。
それを娘さんが見ていて、お母さんの方が、「こういうのがいいの?」とか言っていて、娘さんの方を見て、
「色気づきやがって」
と低い声でその耳元で吐き捨てた。
女子事務員はまさにその瞬間、親子の真後ろを通過せんと歩いていたところだったので、ばっちり聞こえた。
なに今の、うわあ、マジでそんなこと言う親いんの、しかもこんなクッソ高いモンが並ぶデパートで買い物するような客層に、うわあ、
あんなちゃんとしてそうな格好してるのに、うわあ、
しかも色気づくって、普通の、いや値段とか普通ではないけど一般的なキレイ系の服じゃん、別に色気づくとか言われるほどのセクシー系とかビッチ系の服とかでは全然ないじゃん、うわあ、
うわあ、うわあ、うわあ。
と思ったそうじゃ。
奥様は他人に聞かれていたのに気づいたのか、黙ってゆっくり歩き去ろうとしていた。女子事務員の方は絶対見ないようにしていたのがよくわかった。
娘さんの方は…はて、どうしていたんだったか。奥様とちょっと距離が開くくらいのあいだ、マネキンの前にいたような気がするが、女子事務員の方を見たか、マネキンを見ていたか、これが全然記憶にない。
ただ、娘さんの持っていたショッピングバッグのブランドが、高級で高価で、娘さん自身が着るにしてはちょいとミセス向けのブランドのそれだったのは覚えている。
女子事務員は自称するところ田舎の山猿で、田んぼの中に集落がぽつりぽつりと落ちているみたいな地域の出じゃった。
中学に上がる前までは、
脱走した飼い犬を追いかけている途中田んぼ道の片隅にヒタキか何かの巣を見つけては大騒ぎする
などして生きてきた。
義務教育の始まる前の時分にガチ排水のドブにはまったことすらあって、真っ黒いヘドロにまみれて悪臭放ちながら泣いて家に帰るなどしたこともある。
当然、幼少のみぎりから祝いごとなどで良いべべ着たら「馬子にも衣装」くらいは言われたし、親も先生も化粧や染髪にまったく良い顔しない時代でもあって、まあまあ色々とこじらせており、東京出てきて山猿から人間に進化(擬態)するのはそれなりに大変だった。
しかしそれでも、あんな声音で、あんな風に、「色気づきやがって」などと吐き捨てられたことはない。
「人には人の地獄がある」、見えてないだけでツラの皮一枚下にものすごい憎悪を抱えている人、その憎悪に晒されている人がいるということを実地で知ったという話。
女子事務員は自分の記憶違いではないことは確信していながらも、すべてが何かの間違いであったこと、せめて彼女が今は逃げ切れていることを、思い出すたびに祈っているとさ。
前提として、以下を読みました。
1. 元記事 https://nuc.hatenadiary.org/entry/2021/03/31
2. chokudaiさんの返信 https://chokudai.hatenablog.com/entry/2021/04/01/115755
3. nucさんの謝罪(?) https://nuc.hatenadiary.org/entry/2021/04/02
ふだんはインターネットのあれこれについてROM専ですが教育と教育倫理に携わる者の端くれとして3の記事に対し、このような方が教育を大声でかたることの危険を感じたため筆をとった次第です。
私は教員→ソフトウェアエンジニアとして数社→公教育ではないとある教育機関で勤務、といった経歴にあり、大学で学ぶ程度の教育学と小中高領域の教育に関しては多少通じています。ちなみに務めた会社にGoogleは含まれず、競技プログラミングについてはソフトウェアエンジニア時代にちょっとかじった程度で歴史やコミュニティに詳しいわけではありません。
1の記事についても賛同・異論含めていろいろあるのですが、そちらは各個論点についての意見が異なる程度の話ですので割愛します。なお、両者の知り合いでもないので通りすがりによるネットの怪文書程度の位置づけで結構です。
いきなり教育の話から逸れて恐縮ですが、謝罪慣れしていない方がやりがちな失敗がいくつもあり、謝罪文として看過できない点をいくつか指摘します。
教育哲学・児童心理などを学んだり活用する立場にある私にとって、トラブル対応や謝罪について考え実践する機会は山程あるのでその経験から思ったことでもあります。
他人のためを思ってやったことが相手に対して失礼だったとき、傷つけたとわかったとき、「そんなつもりはなかった」と言い放つことがどれほどひどいことか、私は見てきました。
ハラスメントやそれらにまつわる謝罪で最も悪手の1つです。間違えた側にできるのは一切の言い訳なく謝ることです。
https://note.com/tm88817/n/ne5025239f31a から私が肝要と思っている節を引用しました。
この文章がタイトルに示されるような謝罪文であるならば、この一点においてすでに重大な間違いを犯しています。
余談ながら、謝罪の本質を中学生ぐらいの子どもにそのように教える機会があります。経験上、成績がよく普段は問題を起こさないが内実プライドが高く誤り慣れていない子どもは「そんなつもりはなかった」「相手が勘違いした」といった言い訳をする傾向にあります。私の個人的な体感ですので一般化はできませんが。
これについては、意図せず失礼なことを書いたとお詫びしたいと思うと同時に少し背景の説明と本来の意図をご説明させてください。
先述と同様です。失礼なことを書いたと自覚しているなら本来の意図の説明は不要です。
背景と意図を説明するのは「自分に過失がないと確信しており、誤解を解くために誠意を尽くす」場合です。過失が誰にもなくても誤解やすれ違いというのは生まれるものですから、そのときは真摯に伝え直すのみです。
私は、このけんちょんさんのために仕方ないと思って記事を書いたのですよ。本当に面倒で書きたくなくて、他に書くものもあり、ツイッターで書こうかなと宣言して自分を鼓舞までしたのに、2ヶ月以上かかりました。
nucさんがchokudaiさんを不快にさせる文章を書いたことについて謝るために、矛先を向けさせるような形で第三者を巻き込む必要もなければ、あなたの事情を説明する必要もありません。
また、自分を鼓舞までして2ヶ月以上かけて書いた事実があったとして、謝罪を受けた側に何の意味があるでしょうか。過失を避けるように努力したのであれば法的にも情状酌量の余地はありますが、「努力をしてやったことだから引き起こしたことの罪が軽くなる」、なんてことはないのではないでしょうか。
言いたいことはたくさんあるのですが、「教育者として避けてもらいたいこと」に焦点を絞ります。
結論だけ言うと、これだけの悪手を悪意なく行う人に、教育者として後進の育成に関わってほしくないと感じました。成功者だけでなく被害者が生み出されることを危惧しています。直接指導でなくとも、技術力を活かして別の形で関わって頂くこともできるのではないでしょうか。
そりゃそうじゃないですか、「競技プログラミングをする」という表現は当時はなくて、「プログラミングコンテストに出る」と言っていたわけです。だから、競技プログラミングといえば、自分たちが大学生の頃の集まりを指すわけです。
発端となった1の記事では田舎初段といった言葉を用い、まさにそのことをご自身で説いておられたかと思うのです。
特に後者の「競技プログラミングといえば、自分たちが大学生の頃の集まりを指す」は少なくとも私にはまったく自明ではありません。ある程度客観性を持った事実なのかどうかを確認するためGoogleで「競技プログラミング」について検索をかけてもnucさんと同じ解釈を見つけることはできませんでした。
5歳くらい歳が離れると一部の言葉が通じなくなることがあるのは、少し前に「アンチ」という言葉で強く実感したことがあります。これもそうなのでしょう。
唐突に、。穿った見方をすれば、今回のコミュニケーションの失敗の原因を年齢差に帰しており、自身には過失がないといった主張に読み取れます。
歳が離れると一部の言葉が通じなくなることは、年の離れた相手の教育に携わっていればどうやってもわかることです。
ですがこれを理由にしてこちらから対話を閉じたり、「言ってもわからないだろう」といった態度をとるような方に教育を声高に語っていただきなくないです。
私がかつてドラゴン桜に対して抱いた印象を思い起こさせます。東大に入るのは「かんたん」、かんたんには但し書きのカッコが付きます。
ただし適切な素地があり適切な対策を十分かつ継続的に行えた場合、です。場合によっては家庭からの適切なサポート、障害やハンディキャップを持っていないこと、も条件に含まれます。
1の記事で以下のように述べられており、大学院に行くことが人生の選択肢にない人の存在にショックを受けたとありますが、そのときに培われた想像力を今一度働かせて頂ければと思うのです。
まさか戦後生まれで大学院に行くことが人生の選択肢にないことがあるとは思わなかったので、私は本当にショックでした。30を過ぎるまでこれにまったく気が付かなかった自分自身への怒りで、視界がおかしくなっていました。
とある医学部教授から「読んだよー。文章はいいけど、お前が卒業生をひょいひょい適当にエンジニアにすると教授会で問題になることがあるから、するんだったら出来の悪いのにしてよね。いいね。ほんと頼むよ。特にそこにいる生徒会長みたいなのはだめだから。」ということなので、今後は、あらかじめ「出来が悪いかを問い合わせる」約束をしてきました。
ちょっとした怒りが湧きました。
今後nucさんに面接対策を依頼し、OKをもらえた学生は医学部教授が出来が悪いと認定した医学部生になる、ということとなります。
このような文書を公開し、残し続ける限り、nucさんの生徒・元生徒が目にする可能性があります。
教え始める前にせよ後にせよ、もし私がnucさんの生徒としてこの一文を見たらと思うと激しい動悸がします。
この一文をどんな思惑があって追加したのかわかりませんが「諸事情により今後は医学部生の生徒を取ることを控える可能性がある」程度で良かったのでは。
「かわいそうなことに、りりあんさんは、いかれた3人の模擬面接官が今まで何をやっていたんだと慌てふためいたことにより、2週間のリアルタイムアタックを宣告され、無理やりクリヤーさせられました。コスパがよかったですね。でも、こっちの胃までおかしくなるから真似しないでね。」で終わるのですが、これだけ書いてもぜんぜん広まらなさそうですよね。そこに、フィロソフィーと教育関係の問題意識の話を突っ込むとこうなります。
1の記事における教育関係の問題意識の話については首肯できる箇所もあり、志の高い方という印象を受け共感もありました。しかしながら1の記事で持ち込まれた教育関連の話が、自身の記事を広めるための方便・道具であったことをここで暴露しておられます。
自身の教育論を手段として使われることは主張自体の価値や正当性を毀損するものではないですが、3の謝罪文の端々にあらわれる不味さから、教育を声高に語らせてはいけない方だという印象に修正されました。
特に教育と一言に言っても指す領域は広いことを認識されておられない点。アカデミックな領域についてはnucさんは私などより遥かに広く深い見識をお持ちなのだと思いますが、それが全てであるかのようには誤解されたまま教育問題をバズるための方便として喧伝することは事実認識を歪めることにつながります。
以上が教育関連で私が主張したいことです。
同じ大学で同じ学年の彼氏と付き合いはじめてからそろそろ半年になる。しんどいときは励ましてくれるし、誰からも好かれるような愛嬌のある彼氏だ。拗らせたアンチフェミみたいなことを言わないし、なんならアンチフェミのことすら知らないんじゃないかと思う。私には過ぎた彼氏だ。
ただかなり一般教養が怪しい。一般教養と言ってもそこまで高度なものではなくて、義務教育で触れるようなものもあったりする。
ごく簡単な漢字が読めない。挙げればキリがないくらい。この前は納戸が読めなかった。
「こんにちわ」や「〜せざるおえない」みたいな、は?って間違いもよく見る。
イギリスが島国だと知らなかった。なんならどこにあるかすら知らなかった。高校のとき日本史を取ってたからわからないと言ってたけど、イギリスが島国かどうか、ましてやヨーロッパにあるなんてことは取ってる科目に関係なく知ってるものだと思ってた。
だいぶ前に私が最近気になっているアイドルを紹介した。フィロソフィー(グループの名前)って哲学って意味なんだね、と言われた。
大学受験、それもセンターで8〜9割を取らないと射程に入らないような大学の入試を突破してそれはちょっと……と思った。
話もあまり合わないし、最近は動物とご飯の話ばかりしてる。イヌかわいいね〜とかサイゼだね〜みたいな。イヌとサイゼには申し訳ないけど正直会話はまああまり楽しくない。
これは別れた方がいいのではと思うけど、こんなに長く続いた彼氏ははじめてだし、「大学出たら結婚しようね」とまで言われた。
今後彼氏ができるのかわからないし、なんならできるわけがないと思っているので、とりあえずこのままでいるのが最適解なんだろうとは思う。何せ今同じコミュニティにいるので別れた後のことを考えるとめちゃめちゃ気まずい。
アァ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜もうどうしたらいいんだろ キングオブクソザコ意気地無しなので大学卒業後のフェードアウトに期待するしかない 自分ただのレイシストじゃんか 自分最悪最低クソアマだな
プロテインでいいだろ。
質←日本語
っていう複合語なのかと思いきや
卵(日)=蛋(中)
Protein(英,独)=タンパク質(日)
という複雑すぎる語源。
「蛋」の字は日常的に見ない字だし
蛋白=卵白なら「卵白質」でいいじゃん。卵白はタンパク質でできてるしわかりやすいしーーと思うじゃん?なんと昭和初期に蛋白質じゃなくて卵白質にしようと言い出した栄養学者がいたけど定着しなかったらしい。
で、結局「蛋白」って何なのか分かりにくいから今は、たんぱく質/タンパク質表記らしい。
でもさぁ、ということはさぁ
でしかないわけじゃん
いやわかりにくいわ。日本語という漢字圏の長所をかなぐり捨ててんじゃん。漢字から連想できる意味もなし。音から連想できる意味もなし。最悪だ。
明治の日本人が一生懸命英語やらドイツ語やらの単語にあたる新しい日本語を作ったことの素晴らしさはわかる。「福祉」「哲学」「失恋」は素晴らしい日本語だ。ウェルフェアとかフィロソフィーとかハートブレイクじゃパッと見て意味が通らないから言葉として定着しなかったろう。和製漢語のおかげで日本人が新しい概念に早く馴染むことができた。
だが、明治の人間が頑張ってしまったばっかりに、日本人は英語により疎くなったという側面はある。その最たる例がやはり、「タンパク質」だろう。
「タンパク質=protein」感の無さは異常。これじゃあ、『タンパク質とは肉や魚、大豆や卵を構成しているアミノ酸のポリペプチドなんだな。』と覚えた後、更に『protein(名)タンパク質』と覚えなきゃならない。無駄だ。無駄すぎる。プロテイン飲んでる中学生の3割はプロテイン=タンパク質と認識していないんじゃないか。だれもプロテインがタンパク質だとは知らなきゃわからない。
対して「プロテイン=protein」はわかりやすい。英語の授業でproteinを習わなくてもproteinがプロテインだとわかる。
いま、私たちは情報の多くを文字から受け取っています。メディアの中心が印刷物からスクリーンに変わってもなお、文字がコミュニケーションのひとつの要であることは変わりません。
「My MORISAWA PASSPORT わたしの“推し”フォント」では、さまざまなジャンルのデザイン、その第一線で活躍するデザイナーに、文字・フォントをデザインワークのなかでどのように位置づけ、どのような意図・考えで書体を選択しているのかをインタビュー。あわせて、「MORISAWA PASSPORT」“推し”フォントを紹介いただきます。
第1回は、グラフィックデザインをベースに平面から立体、空間まで幅広くデザインを展開する色部義昭さんにお話を伺いました。
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色部義昭
東京藝術大学大学院美術研究科修士課程修了後、株式会社日本デザインセンターに入社。2011年より色部デザイン研究所を主宰。
主な仕事にOsaka MetroのCI、国立公園ブランディング、市原湖畔美術館・須賀川市民交流センターtetteなどのVIとサイン計画から、パッケージ、展覧会デザインまで、グラフィックデザインをベースに平面から立体、空間まで幅広くデザインを展開。
目次
ブランディングやサイン計画を中心にデザインを手がける色部さん。
個性も違えば役割も異なる、多種多様な仕事のなかで、文字、書体はどういった働きをするものと捉えて取り組んでいるのでしょうか。
「私は文字を素材と捉えて使っています。文字情報というのはあらゆるコミュニケーションに使われるものなので、あるブランドのための書体をひとつ選んだら、目に見える部分以外の情報も発信していくことができます。
たとえば、ブランドが人の身体だとしたら、書体は血液のようなもので、ブランドの隅々にまで意思やフィロソフィーといったものを循環させていくことができる。書体はそういった要素を担っている重要な素材だと思っています」
目に見える部分以外の情報も担う書体。それはつまり、ブランドやメッセージをより正確に、ふさわしいトーンで伝えるための役割を書体に持たせているということになります。
こうしたとき、色部さんはどのような視点、プロセスで書体を選んでいくのでしょうか。
「書体を選ぶときは、ロゴなどが決まっていればそれと同調する書体にするかコントラストのつく書体にするかで考えます。先に書体から考えていくような場合は、施設や部屋の名前といった大事なワードを候補になる書体で打って、イメージに近いトーンのものを比較していきます。
書体を選ぶ基準というのはプロジェクトごとに異なりますが、書体を選ぶことは自分のデザインのなかで楽しみな部分ではあります。クライアントやブランドにはそれぞれの個性がありますから、それを見極めて書体を選び抜くことが大切です。理想的にはプロジェクトごとに、毎回、違う書体を使いたいと思っています。
書体が決まった後は、それをターゲットのイメージに合わせて、どう組むか、レイアウトするか、アレンジするかを考えていきます。ただ、このときはタイプデザイナーによって作られた書体を自分なりにどう活かして使っていこうか、楽しんでいる部分もありますね」
“ブランドの血液”としての書体。多くのメディアにそのフィロソフィーを浸透させるためにはいま、フォントとしての文字は欠かせないものになっています。
「ロゴは点として存在するものですが、書体は線になり面を構成するものとなるものです。
MORISAWA PASSPORTとTypeSquareのように、デスクトップ用のフォントからWebフォントまで、共通のフォントが使えることで、サインからWebまで同じトーンで展開できるということは大事な要素だと思っています。
使いやすい書体をあらかじめ決めておくとか、いい書体、悪い書体という判断は自分のなかには持ってはいません。ブランディングではクライアントの個性やプロジェクトの性格に最適な素材であるかどうかが最も重要だと考えています」
サンローランの10万のモヘアニットとか、マルニのボーダーニットとかで大騒ぎしてるけど、もし私物だとしたら、10万も出さないと納得できる服見つけられないオザケンの服のセンスがヤバイ。
まぁスタイリストだと思うんだけど。それにしてもセンス悪い。サンローランとかマルニって30代までが着るブランドじゃない?
それぞれのメゾンの方針はオザケンのフィロソフィーとも合ってないだろうし。
本当にいいモヘアニットが欲しいなら、少し服が好きなら半額とかで探せる。つまり、あの値段でもいいのはサンローランだからってこと。ブランドを着てるんだね。
今期のをドンズバ、メインで私物で着てたとしたらマジでダサい。スタイリストだったらセンスが古い…。
彼の服のセンスって、わかりやすくセンスのない金持ちのソレだよなぁっていつも思ってる
オザケンリアルタイムの頃からこの人クネクネしてて変だなとしか思えなくて、今もやっぱりなんかずれた人だなとか歌ってやっぱり練習してないとヘタになるんだなとしか思えなくて、でも周りはオザケンだからいいって世の中で、辛いです。
実力だけで殴り合う世界にはよなれー。
みなさん、返事ありがとうございます。初めてで書き方が悪く、答えようがなかったですね。皆さんの質問に答える形で補足させて頂きます。
名古屋から1時間ちょっとの人口8万人の都市。全国の普通のチェーン店がある、普通の田舎。テレビは7CH映ります。自然とうまいバランスで住みやすい都市だと思う。
年齢は45歳くらいまでがいい。もちろん若くてもいいです。
【具体的な業務】
・各種開発作業
1)サーバー側で稼動してる、パワコンデータ受信プログラム(PHP / sh)
2)端末側で稼動している、データ取得送信プログラム(C++ / PHP / ash)
3)Web管理画面HTML、およびCGIプログラム(HTML / CSS / PHP)
MySQLのクライアントアプリより既存データの修正や削除、データ入れ替え等を行います。
大量件数の場合は、SQLクエリを作成し一括で操作を行います。
などです。まあ、実際は今のサービスは開発よりも、運用保守重視。主にサーバー上のプログラムやデータの整理が主です。
上記よりも、使い始めた人からちょくちょく問い合わせが来るのでその対応がメインになると思います。
仰るとおり、美しいプログラムでほぼソフトウエア的な保守は必要ないです。
上記まで(ほぼ問い合わせ)が一日1時間くらい。
だから求めるスキルは新サービスを何とか形にしようとする意識と情熱、グーグル先生に聞いて自分で問題を解決しようという気があればいいです。
もちろん、あるに越したことはないですよ。その分しっかりお支払いします。
具体的には 下請け仕事はしない。自分たちが面白いと思うことしかやらない。(開発しない)
エンジニアの人にはアイデアは僕が出すから形にして欲しい。それか一緒にアイデア出しあって、面白いサービスをリリースしよう。マネタイズは経営者(僕)が考えるから。
上記スキルがあって
年収は400万~
いざとなったら出社は週に2-3回でもいい。
都会から弊社の近くに引っ越してくれるなら、アパートくらい用意します。
釣りやスキーやロードバイク、アウトドアが好きなら、申し分ない環境だと思います。
はてなはじめてで、ここでいきなり全部書くのはちょっとと思って、ふわっとした最初で、様子見でごねんなさい。
さて、これくらい書けばちょっとはおっ!って思ってくれるのであろうか?
one of the judging board membersの判定理由。
(ちなみにこの判断プロセスはマイナーではなかったことを付け加えておく)
よって、この試合においては(A)地球規模の利害と(B)日本国の利害の双方を考える必要があると考えられた。また、その上でAD/DAを比較衡量した「一般的な」判定基準プロセスを進めることは妥当と考えられた。
上記のことを受けて、
の6つを材料として本試合ではAD/DAの比較衡量は行う必要が考えられた
地球規模、というと若干ラベルが大風呂敷だが、日本の枠組みを超えた視点で考えた場合、下記の評価となる
→というわけでADに関してはグローバル(…?)で見た場合には肯定側の支持要因、日本の利害に関しては特に論じられていないためニュートラル
→この段階でDA1のimpact1(人命が大事)は大きく取れない
→impact2はある程度残る。(だが、これこそ誰のメリットか不明。観客? IOCの運営陣?)
→というわけで地球規模で見た場合、人命リスクに関してはnot unique、ただ、観客の安全を考えたらイスタンブールは観客やIOC経営陣にとっては忌避材料かもね。という、否定側の支持要因になる
→このことから、「社会の不安定化や少子化をもたらす経済問題を解決することは国家の責務」と否定側は語っていたが、そもそも現状でそれが達成できるかどうかも不明であれば、五輪の開催有無が与える影響も高くは見積もれない
→よって、もちろん五輪効果はないわけではないが(肯定側もないとは言っていない)、伸びしろの問題で、否定側が言うほどには効果は出せないであろうという判断
地球規模 AD:◎ DA1:×~△…人命的にはnot unique~観客やIOC的には少しある DA2:○…途上国なので効果大きい
日本目線 AD:- DA1:×~△…返上したほうが東京のリスクが下がる。ただ、もともと日本は結構安全 DA2:×~△…伸びしろが少ないので効果乏しい
という判断になる
否定側は冒頭から「地球市民どうこうの前に地球的視点でもイスタンブールよりも東京でやった方がメリットが大きければ否定が勝つ」と語っていたが、DA1は人命リスクという点ではどちらにもvoteできない。観客や運営側(IOC)という視点にたてば少し否定に有利という程度だが、この立場をどの程度尊重すべきなのかは議論が全く無いまま試合が終わっていてvoting issueにしづらい。
DA2に関してはこの試合の中ではイスタンブールの方が強く有利。日本に若干の不利益はあるかもしれないが、それがイスタンブールに起きる利益よりも大きいという反証は一切ない。
結局、日本という視点と世界的という視点で見た場合にはDA1/DA2だけで見てもNegに投票することはできない。(日本だけで見ればDA2の若干の不利益が投票理由にはなり得るが)
また、ADもそのまま残っている。よってAffにvote。
Haskellerが嫌い
Haskellはきらいじゃないけど
Haskellerのあの偉そうな感じが受け付けない
自分が
「Haskellが好きです」
って言って
相手に
「え? まだそれ? 面白いの?」
って言われないと確信しているあの感じ
むしろ他言語ユーザは自分よりフィロソフィーが足りないと思ってそうなあの感じな
Haskell好きだけはここ十年くらいプログラミング言語DISを受けていないから、結果的に奴らは増長しているのだ
むしろHaskellを使っていることがなんかステータスになると思っているのだ
これからは目を爛々と輝かせたHaskellerに上から目線で
「Haskellが好きです」
と言われたら
と返事を返すことにしよう
そうしようじゃないか!
【公式】「すべての人生が、すばらしい。」リクルートポイントCM (120秒) - YouTube
2014年2月の東京マラソンの際に放映されていた長尺のCMだ。社名を伏せたままマラソンの様子を映し続けて「人生はマラソン云々」といったナレーションが続く。視聴者の興味を惹ききった最後になって「リクルートポイント始まる」とアナウンスされ広告主はリクルートと分かるよく練られたCMだ。
制作者によればこのCMは「人生のゴールはひとつじゃない」「人間の数だけゴールはあるはずだ」「多様な人生の多様な可能性をすべて応援する」リクルートのフィロソフィーを表現したものだという。
だが上記で挙げた通り各方面から高く評価されているという訳ではない。そもそもリクルートのイメージがあまり良くないのだ。「就職活動を混迷化させてごめんなさい就活ビジネスから撤退します」位の大胆なCMを流さない限りイメージが良くなることはないだろう。
前回はオレが若手の頃のA部長のやんちゃぶりいや豪快ぶりを紹介した。
だが、このA部長、誰もがその遊びぶりに文句を言えないぐらい、仕事の優秀さは伝説的な人だった。
オレたちの部は、A部長がやってくるまでは、他の部署と比べてけっして利益の額は多くなかった。
A部長は就任早々に独自の戦略を立案し、徹底的に実行していくことで、わずか3年程度で全社でも稼ぎ頭の部署に育て上げた。
「いいか、タケシ。仕事で大事なのは、徹底的な論理的マインドとほんの少しの気合だ」
というのが彼の口癖だった。
当時、イケイケだった日本企業の中で、論理を前面に押し出すのは、かなり異端だった。
今思えば、A部長は当時から、既にアメリカやヨーロッパのビジネススタイルだった。
オレが米国出張中のある案件の交渉でグチャグチャになってしまい、deal breakの瀬戸際のピンチだったことがある。
今のようにEmailもなく、テレックスでのやりとりが主流だった時代、超高価だった国際電話をアメリカからA部長にかけて、指示を仰いだ。
オレは要点を要領よく説明し、A部長に
「どうすれば良いか?」
と聞いたところ、一言、
「タケシ、任せた」
と言われてあっさり電話を切られた。
その時は「何と無責任な上司だ!」と思ったが、オレはそこから巻き返して、何とか形にすることが出来た。
数年してから、オレは
「バーで仕事の話をするとは、低俗極まりない。5分だけ特別だ」
「オマエの国際電話での状況説明を聞いたら、オマエにしては珍しく、論点が全て整理されていた。強気が売りのオマエに足りないのは、逃げない勇気だけだった。獅子が子を崖から落とすじゃないが、オレは上司としてオマエの退路を断ってやったわけだ」
「そうは言っても、もし失敗していたら・・・」
「商社マンは信頼の上に成り立っている職業だ。その上司のオレが部下を信頼しなくてどうする?That’s allだ。さぁ、仕事の話はここまで」
と言われ、来日している著名なオペラ歌手のコンサートの話に戻ったのは今でも鮮明に覚えている。
とにかく豪快なオヤジだったが、自分のフィロソフィーを持っていた。
オレが若いころから、彼は常々オレにMBA留学をPUSHしてくれていた。
普通は部署に穴が開くから、なかなかこういう理解をしてくれる上司はいない。
何より
「勉強して仕事が出来るなら、苦労はない。あんなのは海外かぶれの奴が行くもの」
とMBA自体、怪しいものだと言う風潮もあった。
多くの企業にとって、エース級は社内に温存して留学させず、どちらかと言えば二番手グループで苦労した奴の夏休みのご褒美みたいなものだった。
きっとヨーロッパを周遊中に、各地で世界中のエリート連中と出会う中で、重要性を感じ取ったんだろう。
「タケシ、部署のことは心配せず、そろそろ社内の制度を使ってMBAを取って来い。」
「これからの時代は、MBAが国際ビジネスのパスポートになる。何より、オマエはまだまだ頭が足りない。英語で死ぬ気でディスカッションして、世界中に仲間を持て」
と言われた。精神力だけが取り柄だったオレに、頭脳を鍛えるきっかけを与えてくれた。
「でも、オマエは文化の香りがしないから、ヨーロッパと言うタイプじゃない。アメリカのスクールだな。ヨーロッパのスクールの推薦状は書いてやらない」
と言われたのは、納得行かないんだけどさ(笑)。
それでも、あの一言はいまだにオレの人生を変えた貴重な言葉だよ。
オレがビジネススクールから戻ってしばらくすると(オレは海外特命案件をを担当し、A部長とは違う部署になった)、社内ではA部長が次の人事で役員になるという噂があった。
「いくぞ、タケシ」
「役員の件は本当ですか?」
と聞いてみた。
「相変わらず酒の席上で仕事の話とは低俗な。それも極東の一企業の社内人事の話しなんて、オマエは何をしにアメリカに行っていたんだ?」
とあっさり切られたが、
「留学してマネジメントが何か少しはかじっただろ?オレには向いてないよ。晴耕雨読なんだな」
と言って、それからまったく脈略なくフランスの歴史やら農業の話を延々と聞かされた。
そうしたらさ、ある日、いきなりA部長は早期退職してしまったんだ!
オレは海外に出ていて送別を出来なかったんだが、しばらくすると、オフィスにどこかの海でA部長がサメと泳いでいる写真が送られて来た。
一緒に入っていた手紙によると、何でも、その後、フランスで暮らしていると言うじゃないか!!!
最初はビックリしたが、あの人らしいと言うかなんと言うか、地中海のクルーザーの上で美女を囲んでいるA部長の姿が容易に想像出来て、にやけてしまった。
名誉とか出世に興味を示さず、潔いgoing my wayな男の格好良さを感じたものだ。
あんな豪快なビジネスマンは、もうあの人が最後かもしれないな。
その後、世の中は変わり、コンプライアンスだといろいろと制約条件が増え、会社がどんどん個人を管理し、性悪説にたった人事管理が行われるようになった。
いや会社だけではなく、社会全体が出る杭を容赦なく打ち付けるようになってしまった。
実に生きにくい世の中だ。
A部長のことだから、こんな時代になることを見越していたのかもしれないな(きっと、今の時代ならA部長みたいなことをしていたら、仕事が出来ても処分されていただろう・・・)。
しかし、時代がどんなにルール社会や批判社会になっても、制約されすぎた圧迫の人生を送ってはならないと、オレは思う。
社会を安全かつ効率的に動かすためのルールであって、そんな手段としてのルールによって不必要に自分を制約しすぎたり、また稚拙な批判に怯える必要はない。
A部長も、あんな生き様だから、敵は多かった。最も本人は、敵だと認識していなかったようだが。
「S部長が経営会議でA部長について批判発言をしたみたいですよ」
「S部長って、いいワインをコレクションしてるんだろ。オレをワイン会に呼んでくれないかな?」
と言う感じだった。敵すらも愛してしまうと言うか、そもそも敵と言う概念が無かったのかもしれない。
一方で皆さんはどうだろうか?上司や先輩、客先の顔色ばかり見て、何とか失敗しないようにと、縮こまっていないか?
オレはこのブログでも言い続けているが、小さい失敗でくよくよしてないで、他人の目ばっかり気にしてないで、自分勝手に大胆に全力で人生という長いレースにぶつかって良いんだ。
困難も、苦しみも全身でそれを受け止めて立ち向かえば、きっと楽しい人生になる。
だから、恐れることなく、自信をもって、人生という壮大なレースにまい進して欲しい。
もう一つA部長を見習うべきところは、自分のフィロソフィー(哲学)やプリンシプル(主義、信条)を構築するということだ。
MBA的な研修で小手先のフレームワークや技術を学ぶのはほどほどにして、20代半ばぐらいからは、自分の振る舞い、判断の基軸となる哲学、信条をしっかりと作り始めるべきだ。
これは短期間でできるものではない。
膨大な量の知識と教養を身に着けて、そして、これまでの出会いや経験から、「人はどうあるべきか?」という自分なりの人の理想像を練り上げる大掛かりな行為だ。
哲学、歴史、文学、論理学などさまざまな分野のものをフルに動因して、この機軸は作り上げられる。
もちろん答えなんてないし、生きている間、それらは揺るぐことはなくとも、より深遠なものに円熟し続けるものだ。
A部長はずっとオレら若手にこのことの重要性を、夜に飲みながら教えてくれようとしていた。
オレも部下にこういう大胆な生き方、自分の哲学、主義を持つことを伝え、後世を育てて行くべき歳になってしまった(心は永遠に若手だ!!)。
ただ、これは手取り足取り教えることはできない。A部長とオレがそうだったように、いろいろな人との会話を通じて、つかんで行くしかないんだ。
オレも、こんな豪快な奴が少ない時代だからこそ、若い皆には、何とかオレの生き様を、ブログやTwitterで積極的に伝えてきているつもりだ。
またオレの部署の若手の部下らには、夜の遊び方は十分すぎるほど教えているつもりだ。
でもオレは、A部長と今ならビジネスの手腕なら良い勝負になるかと思うが、いかんせん、芸術、文化面がまだまだ弱い(笑)。
もっともA部長は、そんな勝負すら眼中にないだろうが。