はてなキーワード: 苦痛とは
追記①
この書き方は雑でした。女性の友人、知人の中には、結婚で姓の変更を強いられることに苦痛を感じると話している方も多く、男の私が女性に姓を変えさせることを当たり前に思ってはいけないと学生の頃から考えていました。思想が間違っているから、あってはならないと言っているのではなく、特定の性別に生まれたことが原因で苦しむ人が少しでも減るべきと考えているところがこの発言の意図です。
私は30手前の男で、弟がいる長男です。結婚の報告とともに、妻の姓にすることを伝えたら、散々な話し合いの末、父にはお前は親の気持ちもわからない幼稚な人間だ、”変”な人間だと散々罵られ、母には自分の息子でなくなる気がして悲しいと泣かれました。
皆さんならどうするか、ご意見を聞かせてください。
〈私の考えてきたこと〉
結婚した妻が夫の姓を名乗るのには「嫁入り」といった考え方が根底にあり、実際に妻が過ごした旧家を出て、夫の家に嫁ぐという、女性が実態として夫家に従属することを姓を持って表してきました
これから夫婦になる私たちは、お互いに実家を離れて東京で過ごし、それぞれ仕事をしています。結婚しても仕事上の名前は変えず働くつもりです。嫁入りも婿入りもしない、という考え方です。今はまだ実現していませんが、選択的夫婦別姓が認められていれば検討したかもしれません。
ただし、これから生まれるかもしれない子供のことも考えると、結婚してどちらかを代表者とした戸籍を作り、どちらかが戸籍上の名前を旧姓とする必要があります。
それは、旧家を去るということでもなく、相手の家に属するということでもありません。ただどちらかがどちらかの姓に合わせる必要がある、ただそれだけです。
どちらにするかを決めるにあたっては、様々な要素によって、ベターな選択をすべきと考えます。例えば一方が国家資格などを持っていれば、変更の手間が増えますし、親から土地や会社を継ぐ場合、同じ苗字であるメリットはありそうです。
ですが、私たちにはその要素がほとんどありませんでした。お互いに、本当にどっちでも良いねとなりました。
しかしここで、「世の中の大半は夫の姓にしているから、私たちもそうしよう」とするのは、女が姓を変えるもの!という男尊女卑的な価値観の継承であり、あってはならないことです。※追記①
また逆に、あえて多数派に反抗して妻の姓を名乗ろう!というようなアンチテーゼを主張したいわけでもありません。ただ、どっちでも良かったんです。
結果、私たちはじゃんけんで勝った方の姓にしようとなり、妻の姓にすることになりました。じゃんけんというと軽慮浅謀に聞こえるかもしれませんが、私たちの中では、ただどちらかがどちらかの姓に合わせる必要がある、ただそれだけだったんです。くじ引きでも、あみだくじでも、なんでもよかったと考えています。
〈妻側の意見〉
彼女は、結婚しても今の姓を名乗り続けたいものの、通例的に夫姓にすることにもさほど抵抗はなく、どちらでも良いと言ってくれています。
彼女のご両親も、当然娘は夫姓になるものと考えていたが、妻姓のままでいてくれるならそれはそれで問題ない。私のご両親がいいならいいとのことでした。
〈私の家族の反応〉
上記の説明を両親にした上で、納得してもらおうと何時間も話し合いましたが、冒頭の結果となりました。
人格を否定するようなことも言われました。親の意見を聞けないのは人としておかしい、妻の姓にするなんて変な人間だ、お前は洗脳されてる、と。
※追記③
そんな罵詈雑言を除いて父の主張をまとめると
①客観的には、今の名前(夫姓)のままでいるべき理由はない。が、心情的に受け入れられない。
②希望としては、夫姓を継いで、これからも名前(夫姓)を子孫代々発展させて欲しい。生まれてくる孫は自分と同じ夫姓であって欲しい。
③妻姓になるということは、ウチを出るという考え方しかできない。
④ これまで一家を背負ってもらいたい気持ちで育ててきたのに、裏切られた気持ちになった。
といったものです。
①について、私が姓を変えるべきでない客観的理由が出てくれば、考え直す必要があると伝えましたが、父もまた実家を出ていて、継ぐべき土地や家業はないため、それは特にないということで合意しました。ただただ、受け入れられないそうです。
②について、私たちが子供を作ることを前提にしている時点でがっつりセクハラです。閉口しました。※追記②
③④については、家族の繋がりはどちらの姓になろうと変わらないよ。と何度も伝えましたが、理解を示しませんでした。例として挙げた話をすると、私の母は戸籍上父の姓になりましたが、我が家は毎月のように妻姓の集まりに出席していて、姓が変わることで家族の繋がりが失われるわけではないことは身を持ってわかっているはずです。ただそれが男に逆転すると理解できないそうです。
ちなみに他の家族ですが、弟は私と同じ考えを持っていて、姓がどっちだろうが何にも変わらないよね?というスタンスでした。
母は話を納得してくれた上で、夫の姓にこだわらない夫婦がいるのはわかるけど、心の準備ができていないので、貴方には夫姓でいて欲しいとしか思えないという主張でした。3回勝負ってことでもう一回じゃんけんしたら?って言われました。ナイスアイデアですね。
父の話は感情論ばかりで、言っていることはわかるけど俺の想いとは反する、というばかりでした。当然父の想いは尊重したいですが、それが男尊女卑的な思想、実態に合わないイエ制度的な考え方を前提にしている以上、それを次世代に持ち込ませないのが私のやるべきことだとすら思えました。
双方折れずで議論は平行線のまま終わりました。仕事のため東京へ戻る新幹線の車中で、これを書いています。
〈今私が考えていること〉
普通に考えれば、彼女のご両親のご意向に沿っても、私の親が反対している以上、じゃんけんで仮に決めた妻姓ではなく、夫姓とするのが「人間らしい」選択なのかもしれません
ただそれは、全く私の話を聞き入れず、ただ自分の想いを押し付けた親を認めるということになり、その点に関して納得いかない自分がいます。
夫姓にすることは、彼女に改姓させるのが申し訳ない程度の問題で、私の親も希望通りの大団円のように見えますが、姓への考え方は私たち夫婦+弟と両親で全く異なったままだと思います。
これから結婚するかもしれない弟や、できるかもしれない私たちの子が同じことを相談した時、また同じように踏みにじられるんじゃないかと思えてきます。
親の願望として、差別的・前時代的思想だと思いながら素直に聞き入れてあげるか、時間をかけて説明し切ることを考えるべきか、悩んでいます。
もしかしたら、時間が経って親が自分たちで色々と考える中で、私の考えを理解してくれる可能性もあるんじゃないかと期待する自分もいます。
皆さんなら、どうしますか?
私の考えは偏った、ヤバい、変な考えなんでしょうか?
親を悲しませないために差別的思考を受け入れることはやむを得ないと感じますか?
長くなってしまいましたが、最後まで読んでいただいた皆様には格別の感謝を贈りたいと思います。ありがとうございました。
追記①
「世の中の大半は夫の姓にしているから、私たちもそうしよう」とするのは、女が姓を変えるもの!という男尊女卑的な価値観の継承であり、あってはならないことです。
↑
この書き方は雑でした。女性の友人、知人の中には、結婚で姓の変更を強いられることに苦痛を感じると話している方も多く、男の私が女性に姓を変えさせることを当たり前に思ってはいけないと学生の頃から考えていました。思想が間違っているから、あってはならないと言っているのではなく、特定の性別に生まれたことが原因で苦しむ人が少しでも減るべきと考えているところがこの発言の意図です。
追記②
私たちが子供を作ることを前提にしている時点でがっつりセクハラです。閉口しました。
↑
あまり本題とは関係ないので、あまり言及しない方がいいかもしれませんが、補足です。
私たちはまだ子供の予定はないと話していて、その上で父が(授かれるかもわからない)孫の姓が自分と同じ姓じゃないのはショックだと話していたのを見て、孫の顔が早く見たいと妻に迫る毒親と同じ不快感を感じました。セクハラというより、マゴハラ?産めハラ?
ちなみに父は、孫が妻姓だった時に夫姓の時と同じように接せるかわからない。内孫と外孫は違う。と話していました。自分がここで親を立てて夫姓に従った場合、将来授かれるかもしれない子にも影響が及ぶんじゃないかと怖くなりました。勝手な被害妄想かもしれませんが。
追記③
説明が足りていませんでしたが、父は私がジェンダー論や男女平等的思想の洗脳を受けていると思ったそうです。私の主張は、人から見聞きしたことのほかに、大学で学んだジェンダー論にも基づいていることを話しました。大学進学を後押ししてくれたのは父なので、父としてもそういう視点がある方が受け入れやすいかなと思っての行動でしたが、無駄でした。
収入が上がらなくてつらい、というのに対して、「なんで自殺しないの?」と言っているのを見かけた。解決方法としてはちょっと乱暴すぎやしないか。
言われた方は全然気にしてないみたいだから、そこは問題なさそう。強い人だ。
これを見て、自分に言われたわけでもないのに、自分はなんで自殺してないんだ?自分こそ死ぬべきなのでは?と考えていた。
自分も収入面のみで言えば似たような立場である。フリーランスで楽な代わりにあんまり稼げない仕事ばかりやってたし、
今ではそれすらも手につかず、ニート同然の暮らしをしている。貯金がある程度あるのが幸いかもしれないが、そんなこと言ってる場合ではないのは火を見るより明らかだろう。
自分はいい未来は既に望めない立場だ。今年で24になるというのに異性との恋愛経験は0だし、正常な人間なら誰でも取れるらしい免許だって持ってない。ご覧の通り収入もロクなものではない。
昔から…それこそ小学生くらいの時から、嫌なことからずっと逃げてきた。そのツケが今になって回ってきたのだろう。今からでは何をしたら人並みに戻れるのかわからないし、
きっと分かったとしても、今の自分にそれをこなせるだけの気力も、能力もないだろう。もう何もしたくないってのが正直なところだ。
十分なお金を稼いで、人を愛し、幸せな生活を送ることが最大の幸福であるならば、私にはそれはもう手に入らないのだろうと思う。
自分がそんな人間だからこそ、この「自殺しないの?」はすごく刺さった。
死ぬのは怖い。死後のことなんて誰も知らないからだ。死んだ後何が起こるのか、わかったものではないから怖い。
科学的に言えば、死後には何もない。夢を見ずに目覚めたときは、寝ていたときのことが全くわからない。そんな風に、何も感じない永年の眠りにつくだけ。それを分かっているはずなのだが…
意識がはっきりしたまま、何もない暗闇に閉じ込められるんじゃないか?死ぬ直前の苦痛を永遠に味わうんじゃないか?生前に悪いことしてるから、単純に地獄に落ちるんじゃないか?
…といった、妙にスピリチュアルですらあることを毎日のように考えている。
後は、こんな私に優しくしてくれる両親のことが不安だ。私の死後、メンタルを病んでしまったりされると単純に後味が悪い。
ダメダメ人間な私なので、死んでも案外ケロっとしてそうでもあるのだが、そこに関しては聞いても当然答えてくれないので分からない。
どちらにせよ既に死んでるから分からないことだ、と切り捨ててしまえることではあるが、流石にちょっと無責任が過ぎるのではないか。
それに、こんなダメな私のせいで、弟の人生にまで何か問題が起きてもつらい。家族にはみな健康であって欲しいのだ。私のことなんて忘れてほしい。
だが、このまま生きていくのも怖い。何年後だろうと今みたいな生活をしている自分が目に浮かぶからだ。
歳を取れば取るほど就職だって難しくなる。それを分かっているのに、今も何もしていない。
老いていく自分を見るのは辛いから、30歳になるまでには死ぬ予定だったのだが、今ではもう少し早く死なないといけないんじゃないか?とも思っている。
ほんとこれ
自分で欲しいものを自分で作れて、作ったプログラムに仕事を任せるってめっちゃ楽しい
でも仕事としてのプログラマは誰がどんな意図で作ったんだか伝言ゲームの果てに作られ積み重ねられたプログラムを紐解いて改修するみたいなものも多い
これを楽しめるセンスの持ち主なら本物
それよりノンバイナリーのような男性女性の二分法に当てはまらない人や、性自認を無理やり告白させられる苦痛に配慮して議員自体の性別を聞かないようにして統計取らなくすれば良くないか?
ガンというのは、本当に時間をかけて死を突きつけてくる。
それが、例えば事故などの突発的な死と比べていいものか悪いものか。
件の絵師さんはもはや治療もできず、起き上がることもできない。
家に帰るどころか、もう絵も描けないのだという。
ただ、痛みを取って、できるだけ穏やかに人生の終点を迎える場所まで来てしまった。
苦痛が襲えば、死の瞬間まで麻酔で眠らせてしまうのだろうから、いつまで意識があるのかも怪しい。
ツィッター上は親しくしていたものの、直接お会いしたことはない。
しかし、いつかお会いして、一緒に飯でも食うだろうと思っていたので、病を恨むばかりだ。
ただ、下唇を噛んで訃報を待つことに耐えられず、こんなところでストレスを吐き出す。
あなたの生は、確実に私の人生を豊かにしてくれましたと伝えたい。
一生、忘れないと伝えたい。
しかし、それも残された時間を浪費させるのが恐ろしく、飲み込む。
安らかな時間を過ごしてほしい。
ここ数ヶ月、私は悪い妄想と戦っていました。前職はセクハラを理由に退職して、それ以来人間関係が怖くて自営業に転向しました。そのうち、一人のお客様と出逢います。セクハラをしてきた人のように、気さくで、親しみやすく、大量に連絡を送る人でした。私はどこまで逃げても、若い女性というだけでそういう対象になることが苦痛で堪りませんでした。私の存在を脅かすものがいるという妄想(いや半分現実なのか)は辛くて仕事が長引くたびに段々と死にたくなってきました。苦痛から、私が若い女性であるということから逃げるには死ぬしかないと思っていました。
そして同居人と些細な事で揉めて、私は深夜のコンビニで煙草を吸っていました。その時に自宅の近くにある飛び降り自殺の名所に行こうとふと思いました。そこに行って死ぬことについて考えたくなったのです。
車を走らせて30分ほど、少し道が悪かったけどちゃんと辿り着く事ができました。街灯もなく、真っ暗で、川のせせらぐ音が下から聞こえていました。
そして私は納得して自宅に戻って同居人に謝罪をして終わる筈でした。筈だったのです。でも私は、このまま飛び降りてしまえば楽になるという考えに支配されて運転席のドアを開く前にしゃがみ込んでしまいました。買ったばかりの煙草に火をつけながら、トラウマを抱えて働く事の苦しさやそれがきっかけで精神科通いが始まったこと。そしてその通院に終わりが見えない事を考えながら、このまま飛び降りたほうが良いのではないかという結末がぼんやりと形になってきました。
私は自宅に帰る事、飛び降りる事の中心で誰に助けを求めて良いかわかりませんでした。命の電話は休暇中、友達にだってこれから死のうとしてる人間というあまりにも重いものを背負わせる事はできなかった。結局同居人に電話をかけてみたのですが「メンヘラかよ」と鼻で笑われました。そうか、それがメンヘラなのか。私の切実な悩み、苦しみはネットスラングで形容されて消費されるのか。
どうにもならなくて、最後は今日じゃなくて行き方も確認したのだからせめて明日以降にしようと言い聞かせて泣きながらハンドルを握りました。私の好きなバンドの曲を流しながら、私の人生の薄っぺらさと価値のなさを痛感しながら安全運転で帰宅。
同居人は何も言いませんでした。でも、それで良かったと思います。私がもしも死んだ時、これから死ぬ時がある時、誰かに何かを話してしまえば、その人に一生モノの苦しみを与えるかもしれません。
もう、死場所までの行き方も分かりました。次に行く時は黙って靴を揃えて飛び降りたいと思います。これを読んだあなたは、名前のないつまらない人間が次はちゃんと楽になれたら良いねって思ってくれたら嬉しいです。昨日は死に損なって、馬鹿みたいにですよね。
でも一つだけ、収穫もあります。街灯すらない高い橋の上で見上げた夜空は満点の星空でした。それだが唯一の救いだった気がします。
なぜ商業漫画家なのに「同人誌を描く」のか
ヒロユキ:商業連載していると年間の収入の予測がつくじゃないですか。税理士さんと相談して目標を立てて、目標値に足りないと思ったら同人活動を増やして年間の帳尻合わせをすることもあります。
―― そこまでされているとは、すごいですね。
ヒロユキ:マンガ家は運が絡んでくる商売であることは間違いありませんが、人生を完全に運任せにするわけにはいきません。運が悪かった時の準備をしておくべきで、商業が売れないときでもダメージが少ないやり方を常に模索しています。
(中略)
―― 編集者とうまくやっている人は、わざわざそれを言いませんからね。変な人が一定の割合でいるのはどの業界も一緒だと。
ヒロユキ:ええ。それに編集者とうまくやれない人は、同人や個人の電子書籍という選択肢もあります。ですから、ことさら出版社を一方的な悪役にしなくてもいいのになっていう気持ちはあります。
「今のマンガ家って売れても儲からないんですか?」 『アホガール』のヒロユキ先生に聞く、マンガの現状
まぁ、漫画家に限った話じゃないよね。IT業界でなんとなくメシ食ってるワイくんにも同じことが言える
オライリー本とかおしっこちびるとか言ってないで、なんらかの方法で知識をお金に考える方法を考えた方がいいのかもしれん
ゆうて、エントリーレベルのハウツー本を書いたところであんま儲からなさそうだから、ライバルが少なく需要がありそうな分野で実践的な本を書いて、
自分で勝手に専門家を自称することを検討してみようみたいな感じですかね・・・
でもそこまで(その労力が苦痛でないほど)ITが好きかと言われると、正直そうでもねーな・・・感はある
ただ、運に頼らずに人よりもお金を稼ぎ、レールに乗らず(既存の枠組みに拘束されずに)安定した収入を得るというのは、
というか、事業計画とかいい加減ちゃんと考えなきゃだよな。お金貯めて人を雇たいなぁとか以前に
つかそれよりも先に、税理士事務所に行って納税の相談しないとなのだわ(面倒はすべて先送りでそこでコケるワイくん)
そして次のステップよな、自分の規模に合った事業計画を相談できる税理士や会計士を見つけるのは・・・
最近流行ってる漫画がどれもだいたい30巻以下で終わらせて新章突入or次回作に移行してるのを見て感じたこと
1:漫画という媒体で描くテーマ(友情だの平和だの復讐だの)自体がだいたい30巻ぐらいで描き切れるから
→そのあとは引き延ばしやサブテーマの解決とかになって読み物としての求心力が落ちてくる
2:一年で3〜4冊出版されるとして7〜10年経ってしまって、作者が成長してしまうから
→初期に決めた設定の枠をこえて、作者が描きたいものが変化していって整合性が取れなくなっていく
→少年期には夢中になって読める設定でも大人になるとアホくさくなったりして読むのをやめてしまう
→連載開始時はみんなが注目してる概念(Vtuberとか異世界とか)でも10年経つと語り尽くされたり、誰も興味がなくなっていたりする場合がある
普通の見た目が一番モテる、とか巷ではよく言われるけど、見た目至上主義が加速してる今では美人がもてはやされ金を稼ぎさらに美人になる外見資本主義
それに一般人は乗りこむことすらできない
よっぽどバイタリティがあるか、頭が良くないと結局そこそこの年収しか稼げない
ちまちま努力してるモブより、圧倒的見た目に全振りした人たちが華やかに巨額の金を手にしていることが惨めで仕方がない
単純明快、見た目を整えたら周りの人達から一目置かれる、羽振りも良くなる、何より毎日鏡を見るのが苦痛じゃなくなる
みんな綺麗なところしか見せないのにね
資本主義ではお金持ちはよりお金持ちになっていくように、外見資本主義でも美人はより美人になっていく
その見た目で得る経験がまた糧になっていく
逞しく生きていく彼女たちを立ち止まりながら見ることしかできない
こんなこと言いながら、かわいくもなれない、お金持ちにもなれない、こつこつ地道に働く私は自分をこっそり胸の奥で肯定し続けながら明日も質素に生きていくのです
戦国時代とか今は絶滅したような謎の生物もおおかったでしょうね いま清潔だから
天正13年(1585年)4月16日、長秀は積寸白(寄生虫病)のために死去した[11]。享年51。跡目は嫡男の長重が継いだ。
『秀吉譜』によれば、長秀は平静「積聚」に苦しんでおり、苦痛に勝てず自刃した。火葬の後、灰の中に未だ焦げ尽くさない積聚が出てきた。拳ぐらいの大きさで、形は石亀のよう、くちばしは尖って曲がっていて鳥のようで、刀の痕が背にあった。秀吉が見て言うには、「これは奇な物だ。医家にあるべき物だろう」と、竹田法印に賜ったという。後年、これを読んだ平戸藩主・松浦静山は、この物を見たいと思っていると、寛政6年(1793年)初春、当代の竹田法印の門人で松浦邸に出入りしていた者を通じて、借りることができた。すると、内箱の銘は『秀吉譜』と相違があり、それによれば久しく腹中の病「積虫」を患っていた長秀は、「なんで積虫のために殺されようか」と、短刀を腹に指し、虫を得て死去した。しかし、その虫は死んでおらず、形はすっぽんに似て歩いた。秀吉が侍医に命じて薬を投じたが、日を経てもなお死ななかった。竹田法印定加に命じて方法を考えさせ、法印がひと匙の薬を与えると、ようやく死んだ。秀吉が功を賞してその虫を賜り、代々伝える家宝となったとあった。外箱の銘には、後の世にそれが失われることを恐れ、高祖父竹田法印定堅がその形を模した物を拵えて共に今あると書かれていた(内箱・外箱の銘は、天明7年(1787年)に竹田公豊が書いたものであった)。しかし、静山が借りたときには、本物は別の箱に収められて密封されていたため持って来なかったというので、年月を経て朽ちて壊れてしまい、人に見せることができなくなってしまったのだろうと静山は推測し、模型の模写を遺している[12]。これらによると、石亀に似て鳥のような嘴をもった怪物というのは、寸白の虫(ただし真田虫ではなく蛔虫)と見るのが妥当である[13]。証拠の品を家蔵する竹田譜の記事に信憑性が認められるからである。割腹して二日後に死亡したことから判断して、いわゆる切腹ではなかった[13]。
金があれば暇を潰せるからね~。amazonが届くまでのワクワク感で大抵の奴は10年ぐらい生き延びられるんじゃねーかな。他にも馬券買って結果を見るまで凌ぐとか。それに飽きてからが勝負だわ。っていうかそうやってなんとか時間を凌がなきゃいけないって人生ってほんと苦痛を前提に成り立ってるよなあ。死にたいわ。
20代も半ばになって性体験がないのがとてもコンプレックスだった。
本当は好きな人と付き合ってその先に性体験があればいいのだけれど、今までそういうことがなくここまで来たのだから、この先あるとは思えない。もしあっても今すぐには起こらない。
でもコンプレックスを感じているのは今この瞬間だ。そんな悠長にかまえていられなかった。
今はお金を遣わず性体験を得る方法はいくらでもあるけど、嫌なことをされたり最悪殺される危険性もあるので、安心料としてお金を払った。
あと好みの見た目の人を選べるのが大きい。
結論、若干虚しくなって帰ってきた。
セラピストさんは見た目も好みで親切だったし、嫌な思いは一切させられなかったけど、茶番感がすごくていまいち没頭できなかった。
触覚的には確かに気持ちいい。人に触られるのってこういう感じなんだ〜というのも知れてよかった。あと自分の裸が目も当てられないほどではないというのも分かって、若干自信がついた。
でも、手を繋ぐとかハグとか、愛情表現の意味合いが強いスキンシップは若干苦痛だった。お互い好きじゃなのにこんなことしても意味がないというか…
終わった後明らかテンションが下がった私に、セラピストさんも困ったと思う。こういう面でもお金払ってよかったなと後々思った。
異性と深い繋がりをするのが苦手で自分から避けているくせに、ただ口を開けて心の繋がりを求めている自分の精神性の幼さにがっかりして帰ってきた。
むしろそんなんだから異常に「真実の愛」を求めてしまうのだろうか?
周りはぼちぼち結婚し始めてるし本当に焦る。
大人になるってのは知識、感性、教養、いろいろなものが強化されていってレベルの低いものに耐えられなくなるんだ。
だが、自分の子供との会話が苦痛で耐えられないなんてことはそんなに無いように(人によっては無理なのは認める)、予めレベルが低いと認識していれば問題ない。
漫画・アニメはデフォルメされた絵が元になるから、予めレベルの低いものとして楽しめる。
一方で実写や活字でレベルが低いのは耐えられないので、昨今の映画・ドラマ・文学界隈は無理だが、漫画・アニメはウェルカムという人間が出来上がるわけ。
この場所でRPが怖くなって、きっといつかこの人たちとも楽しめると思って頑張ったけど結局無理だったこと。
思えば別にこの環境に居る必要はなかった。もっと上手い断り方を思いつけばよかった。後悔が大きいが仕方がない。
・このPCだったら○○って言いそうと声に出す
今打ってるんだから心の中にとどめといてくれ!
1度だったら解釈一致嬉しい~ってなるけど何度もされたらじゃああなたがRPしておいてくださいます?て思う
・○○だから(その行動は)意味ないんじゃない?他それに近い言動
その上でこう考えてこういう行動しています。て一々言わないとだめか?言った方が良いんだろうけども、聞き方を選んでくれたら嬉しかったな
時間を掛けてそのキャラのことを考えて選んだ言葉のその意味を考える前に意味が無いと言えるのか、と絶望した。
あっこの行動じゃないんだ~とか言われるのも苦痛だった
音が混雑してつらかった。後から気づいたことだが私はテキセ中に会話されると混乱してしまう性質らしい。
やめてと言えたらよかったが、自分がRPに時間がかかっているせいで会話が始まってるので止められず、混乱しまたRP時間が延びる…という状態だった。
願うなら見守ってほしい。ツイッターならしてて良いし、今話していい?と一声を掛けてくれたら嬉しかった。
・卓中に思い出話をする、他の卓と比較をする
散々言われている事な気がする。今この物語を楽しんでいるのにどうして?と思う。
その度に「その話終わってからまた聞かせてね」と言った。何か間違ってますか?
どうして?それ今私が思いついて相談したら「じゃあRPしとくね~!」と言われた時の
どうして?という感情じゃあRPしとくね~!って何?頼んでないししろとも言っていない。
その上自分の発想はRPせず、進行に必要な動作だったので代わりにRPして間違っているよ!とだけ指摘されるあれなんだったんだろう?
あの環境はバラバラになった。たった一人の人物を中心にケサランパサランのように繋がっていた縁だ。
そもそも私はこういうコミュニティが嫌いだった。宗教的でコミューンみたいだとずっと思っていた。
一人が一人を笑えば、周りもその人に合わせて発言をする。
デブはジム行くなら劣等感に勝てるか、なかなか体重も体系も変わらない3カ月を乗り切れるかが分水嶺。
が俺的な結論。
周りでライザップ行った人間はたしかに痩せるけど、もれなくリバウンドして通う前より体重つけてる。
デブはたくさん食べる事が快感(というより食事制限が苦痛)で誘惑に勝ち続けて習慣化できるかが分水嶺だが、そうなった人は見たことがない。
炭水化物をあれだけ制限したらそりゃそうだ。デブは炭水化物と脂肪が何よりの好物だから取り上げたら絶望だもの。
ちなみにゴールドジムは全くと言っていいほど厳しい食事制限なく、トレーニングに関して初心者から100回、トレーナーがサポートするんだわ。
けど摂取カロリーと基礎代謝の話はサラっと出る。どこのジムも同じか。
ちなみにダイエットが目的で半年前に入会してメニューもそれに沿って作ってくれている。
当時85kg、3カ月週2~3回通ってほぼ体重減らず、そこからぐぐっと1カ月で7kg落ちて今はは70kg弱まで落ちた。
ごはんのおかわりは控えてタンパク質を少し増やしたり、間食を一本満足!にしたってだけ。
大きな筋肉から無理なく鍛える普通のメニューで、過度に厳しい印象は全くない。というか全く厳しくないし優しい。
初めてやるメニューはとりあえず形にならなくても肯定してくれるし、次回のサポートの時に「今度はこういうところを意識してみましょうか」、とやんわり適正化してくれる。
違う、とか否定は一度もなかった。本当に言葉を選びながらコミュニケーションしてるなと感心する。
サポートの時以外は全くと言っていいほど干渉してこないのでコミュ障には助かる。
ただゴールドジムは何が辛いかって、ゴリマッチョ達が100kg超のバーベル持ち上げる中で、初心者が初心者向けマシンで小さなウエイトで頑張ってる劣等感に勝てるか、はかなり大きい気がした。
一方でゴリマッチョ達は新参のデブやヒョロガリに対して、マウントとか優越感とか全く持ってない事に最近気づいた。
鏡の前でポージングしてる後ろをポッコリお腹のおじさんが通り過ぎても目で追う事なぞ一切ない。俺は凝視するけど。
彼らは自分の美しい体以外に興味がないようだ。
(ちなみにマウントとか優越感とかは入って3カ月くらい経ってちょっとマッスル付き始めた俄マッチョに多い。
やつらはラットプルダウンのインターバルには自分の筋肉より他の初心者と女ばっかり見てる。ああ俺もそいつを見てるってことかと今気づく。)
週2みたいな頻度だと3カ月はあまり変化がないのを耐えられるか。
この半年、100kg級のデブが何人も入会してきては去って行った。(関連があるかわからないけど。見なくなっただけかもしれないけど。)
デブは全身脂肪だらけで脂肪1kg減っても100kgのうちの1kgって相対的にだいぶ小さいから変化として感じづらいんよな。
入会時は2カ月分の前払いで2万、ウエアだの靴だので2.5万、2カ月くらいでパワーグリップやらパワーベルトやら、ボトルを買い替えたりウエアを追加したりで3万。毎月プロテイン1kgで5000円。サプリも5000円。
でも自主トレで半年やったけど全然痩せなかった過去から比べると、まあいい投資だったかも。
筋肉は裏切らねえよ。
キング・クリムゾンのボスは悪行を繰り返した結果、ゴールドEによって永劫にこ〇されるという輪廻に入ってしまった
あとはさっしろ
GERによる無駄無駄ラッシュによって川に吹っ飛ばされたディアボロだったが、何とか生き延びていた。たくさんの地下道が通っているというローマの土地勘を利用し、排水溝からの脱走を試みるがそこに突然ナイフが刺さる。ディアボロが流れ着いた場所はホームレスのたまり場であり、ナイフはコートを盗まれると思ったホームレスから警戒されて飛んできたものだった。彼らの周辺には麻薬の注射に使ったであろう注射器が転がっており、自らが広めた薬物の常習者に殺されるという皮肉な死に様を迎えたのが始まりだった。
次に目がさめるとディアボロは手術室のような場所に仰向けになっていた。隣には女医がいたが、話しかけても聴こえていないのか反応がない。彼女の発言からこの場所が遺体安置所で、これからやろうとしている事が遺体の解剖による検死である事に気付く。そして先ほどのナイフによる切り傷を調べるため腹部を切開され、目の前で自分の肝臓を摘出されるのだった。身動きはできなかったが痛みはしっかりとあり、健康な肝臓だと女医は褒めていた。
今度は大都会へと飛ばされるディアボロ。つい先ほど体験したものは夢だったのか、しかしそれにしてはあの想像を絶する苦痛はリアルすぎる、また何か起こるのではないかと動揺していたところを、心配した老人に声をかけられる。しかし老人の飼い犬が吠え出した事に驚いてしまい、歩道を踏み外し猛スピードで車が走行する車道に飛び込んでしまった。(アニメではいきなり背後から吠えられたため驚き、その拍子に縁石に躓いて車道に飛び出している)
ジョルノ・ジョバァーナ「終わりのないのが『終わり』 それが『ゴールド・E・レクイエム』」
ただ死ぬだけならともかく、刺殺、遺体解剖、事故死という三度にわたるリアルな臨死はいずれも壮絶なものばかり。
これらを連続で体験したディアボロは次に草原に飛ばされたとき、どこから「死」が襲ってくるかわからなくなり、とうとう話しかけてきた少女にまで怯えるようになっていた。
くっ ハァ…ハァ…
くう………
ハァー
オ、オレは
次はど……
どこから……
い…いつ
「襲って」
くるんだ!?
オレは!
オレはッ!
オレのそばに近寄るなああーッ
余談
「ソルベを生きたまま輪切りにしてホルマリン漬けにしたボスが、生きたまま解剖される」
「組織の飼い犬にしていた老人を自殺させたボスが、老人の飼い犬に吠えられて事故死する」
「自分の正体に繋がる実の娘を殺そうとしたボスが、小さな女の子に姿を見られただけで怯え狂う」