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はてなキーワード: 自殺願望とは

2013-10-17

通勤ラッシュ日本の癌だと思った話

都内勤務なのだが、少し前から、今にして思えば些細なことでうつ病にかかって休職している。

今はだいぶ立ち直っていて、復帰のためのリハビリ段階。

会社に行くわけじゃないが、ちゃんと朝起きて、外に出て、夕方家に帰って、夜遅すぎない時間に寝る生活を続けている。

勤務に支障がない生活が可能だと医師に判断されれば晴れて復帰というわけだ。


で、その中で久々に通勤の真似事もやっているわけだが、これに尋常じゃないストレスを感じた。

そもそものうつ発症の理由だったわけではないが、こういったストレスが積み重なっていたのも原因の一端だったんじゃないかと思った。


言うまでもなくすし詰めの車内。一本逃したら死ぬと言わんばかりにホームを駆ける人々に、

いっそ引っ張れよと言いたくなる混雑なのになんとか押し込んでドアを閉めようとする駅員。

外はもう涼しい季節なのに車内は蒸し暑く、もともと汗をかきやすい体質の俺にはつらい。

座席はおろかつり革を掴むことすら運が必要で、届かなかったら隣に倒れこまないよう神経を尖らせる必要がある。


べつに今は始業時間に間に合わないといけないわけではないから、何本か見送りながら休み休み目的地に辿り着いたが、

休職前はこれを毎日続けていたのかと思うと自分にびっくりするし、今後の復帰も少し不安にならざるを得なかった。


以前はどうやって耐えていたのだろうと思い起こすと、不快感を紛らすために自分を押し殺していたような気がする。

とにかく耐えるために気を逸らすのだ。Twitterでも文庫本でも今日仕事でも音楽でも自殺願望でもなんでもいい。

死にたいなーこの電車事故らねーかなー」と頭の中で唱えて小一時間過ぎ去れば、オフィス自体は快適だ。

汗を拭い、一息入れてから仕事に取り掛かる。

同じようにホームを歩き、車内に詰め込まれる他のサラリーマンも、多かれ少なかれ自分と似たような体験をしているんじゃないか


でも、これって本当に必要ことなんだろうか。


答えはわかりきっている。こんなもの必要なわけはない。

だって通勤しなくていいならこんな苦痛を味わいたくはない。


この癌がなくなれば、いや少しでも軽減されれば、みんなもっと気持ちよく働くことが出来るんじゃないか

そんな当たり前のことに、今になって気付いたのだった。

2013-10-10

ゴミクズ

底の抜けたバケツのように愛情を求め、少しでもためらわれると猜疑心が増大し、見捨てられた気分になって自殺願望が膨らんでしまう。

そう言う精神障害者ないし人格障害者って本当にクズだと思う。

あんただっていつかそうなるかもしれないんだよって諌められても無理。身内に奴らを抱えていると、憎悪しかわいてこないんだもん。

苦しんでることは理解できるよ。感情が爆発しちゃったり、消えてしまいたくなったり、衝動がこみ上げて滅茶苦茶なことをしてしま病気だってのは受け止められる。

ただね、だからといって奴らが要求する傍若無人無理難題を歓迎できるはずがないんだよ。心底むかつくんだもの

病気を楯にして権利ばっかり主張して、受け入れられないと直ぐに死にたい死にたい言い出して、暴力を振るい、家具家電を壊してさ。

もうね、クズと言う以外に形容のしようがないんだよ。病気なんだろうけどさ。クズには違いないんだよ。

優しく受け入れてあげてなんて精神科先生は言うけどさ、無理だよ。受け入れるだけで限界。とてもじゃないけど優しくなんてできない。

だって、一度優しくしたらどんどん要求されるんだもの限界を訴えると、居なくなったほうがいいんだろうって自殺をほのめかすんだもの

どないせいっちゅう話ですよ。

まあね、屹然と対応して、社会常識やら人付き合いにおける基礎の基礎を丁寧に伝えるしかないんだろうけどさ、それさえ嫌なんですもん。

相手方が理解しようとしないってのもあるけど、本心としては関わりたくない一心なんだから

依存されてないのにグダグダ書き連ねるなんて勘違いも甚だしいし、卑怯だとは思うけど、奴らの存在が視界に飛び込んでくるだけで生理的嫌悪してしまう。

死にたきゃさっさと死ねばいいんだよ。止めてくれる人の言動で自分存在を肯定するなんて害悪しかないんだよ。

もちろん、そういうことにも気づいていて思い悩んでいるんだろうけどさ、言っちゃ悪いけどてめえの個人的な苦しみを周りに撒き散らさないで欲しいよ。

助けを求めるにしても、もっと方法があるだろうに。比較的穏やかな手段でも、何度も何度も繰り返されるに連れてうんざりしてきてしまうだろうけどさ。

と言うかね、結局、面倒なことを考えたくない俺がゴミなんですよ。本気で関わるわけでもなく、適当なことを言うだけで、却って症状を悪化させたりしてさ。

彼らと向き合うだけの度量がないことはわかってるんです。人に依って、彼らと付き合える人と付き合えない人がいて当然だと思うし、俺は後者なだけなんですよね。

だったら何も言わないほうがいいんだろうけど、新型うつうんたらかんたらのブコメ優等生然としたのが並んでたからつい書き殴っちゃった。てへっ。

優等生の皆々様、躊躇うことはないから悪びれもせず自己正当化するゴミに向かって罵詈雑言を投げつけるといいよ。

2013-09-27

http://anond.hatelabo.jp/20130927125000

自殺願望で思ったけど、別な話にはなるけど

結局、誰かに殴られて、その鬱憤自分より弱いものにぶつけられないと

自分を殴るしか無くて自傷行為になっていつしか死んでいく。

それを思うと弱いものを見つけて殴るのはカルネアデスの板なのかもしれないけれど

なんだかなぁと思う。

生きていれば丸儲け

私は、精神的に健全とは言い難い方ではあるが、ある種のうつ病のひとたちのような自殺願望はない。自分人生には大概うんざりしているものの、とりあえずいま私は生きているし、病気事故で天に召されるまでは生き続けるだろう。

いまこの瞬間、私が死んだら、なんとまとまりのない人生だろうと人々は思うだろう。自分人生になんの意味があったのか。まあ、私の誕生をよろこんでくれた両親には意味があったのかもしれない。だが、社会的には私はいてもいなくても、なんの関係もなかったように思う。ごく平凡な人間の平凡な人生が、なんのオチもなく、脈絡なく終わる。ただそれだけ。

もっとも、たいていの人々の人生も同じようなものかもしれないが。人の人生映画とはちがって、起承転結もなく、だらだら続き、あるとき突然終わる。だからこそ人々はフィクションにある種の救いを見出すのだ。

アメーバに生きる意味はあるのか?生き物にとっては、死ぬ瞬間まで生き続けること、それ自体が目的なのだろう。我々人間例外ではない。だから、我々はとくにかっこよく生きる必要はない。ただ生き延びればいいのだ。雨の日にぬかるみの上を歩いているような、どうしようもない時期を過ごしている人たちも、ただ生き延びて、ほんの少しだけ状況が良くなるのを待てばいいのだ。

2013-08-23

http://anond.hatelabo.jp/20130823112614

寛解したうつ病患者だけど、最後はもう理屈じゃないんじゃないかなって思う。

仕事もうまくいかない、お金もない、この先自分の力では生きていけない、頑張っていく気力もない、

こういう理由はもちろんあるけれど、それで悩んで追い詰められて、苦しさばかりが増していって、そんなときふと、この苦しみから解放されたい、と思ってしまう。

なんか「呼ばれる」感じ。向こうの世界に。

から自分は、今はもう寛解していて自殺願望もないんだけど、昨日の自殺報道とかみてるとすごく怖い。「自殺」っていう文字を見るだけで怖い。「自殺」っていう言葉自体が怖いのではなくて、それが喚起するイメージのようなものが怖い。

昨日の自殺報道以来、もう一度なにかに呼ばれているような気がする。ベランダからふわっと空の方に倒れこんだら、もう何もかも忘れて楽になれる、そんなイメージが流れこんできて、どうしようもない。しかもそのイメージは、とても明るくて美しいんだ。身体が重力から解放されて、一瞬ですべてが終わる。痛みも悲しみも苦しみも捨てられる。

「こっちにくれば楽になれるよ」、って「向こうの世界」が呼んでいる。

うそうなったらどんな理屈関係ない。

では、もし周りの人がうつ病自殺を考えていたらどうすればいいのか。これはお医者さんが使うやり方みたいなんだけど、それは、「絶対に死なないって私と約束して」と言うこと。私自身は言われたことがないけれど、この言葉を読んだ時、もしこれを言われていたらもっと楽に希死念慮を乗り越えられただろうな、と思った。この言葉ポイントは二つあると思う。一つは、うつ病患者は頭がはっきり働いていないけれど、その分言葉のものには忠実になる。だから、「約束して」と言われて「はい」と答えるとその約束を守らなきゃ、という気持ちになる。2つ目は、この言葉で、「この世にまだ、私を必要としてくれている人がいるんだ」ってはっきり分かるということ。そんなこともわからなくなるくらい混乱しているから。

もちろんどんな言葉をかけたって、絶対助けられるわけじゃない。それくらい「向こうの世界」の呼び声の誘惑は強い。魅入られてしまう。だから助けられなかった人も自分を責めないでほしいと思う。

2013-05-29

正直言って崖下を見下している

二ヶ月に一度の休日にふらりと、海を見たくなる。

で、気付いたら崖から下を見下ろしている。

自殺願望はないつもりだけど、飛び込んだら気持ちいいかも、て考えてしまう。

2013-03-31

http://anond.hatelabo.jp/20130331011459

俺も21歳だけど、童貞だし彼女いない。

サークルには入っているけど8月になったらやめるつもり。

最近まで童貞であることとか彼女いないことに劣等感を感じてきた。

でも、それが必ずしも大学生であるならば達成しなくてはならないノルマ なわけでもないし、

世間一般にこの歳でとかいうこともあるけど、それって結局アバウトな意見なわけで...絶対性はなく...

元増田がもしも、自分劣等感感じまくりなんだったら今すぐにってはムリかもしれないけど

元気出してほしいと思う。

劣等感通り越して毎日自殺願望消えない俺に言われても説得力ないだろうけどね。

でもやっぱり元気出してほしいなぁ。同い年だし、親近感湧くよ。

あなた楽しい毎日送れることを願ってます

2013-03-26

ああ、壊れたい

昨日も書いたけど、やっぱ、死なない程度に壊れたいな。

誰か暴漢にでも襲われて、片腕を失うけど、どうにか生き残ってるぐらいに壊れたい。

自殺願望は全くないけど、そういう願望は昔からある。

2013-03-07

何にしたって誰かに受けっとってもらいたいもんだ。

何度か自殺願望したことがある。

死ぬことが怖い」

怖いと連呼して、死ななかった。

「どうせ、死ねないんだ」

どこかで、誰かがそう呟いたかもしれない。

確かにそうだ。

臆病で人に話しかけれない

友達グループに入っていけない。

何がしたいのだろう<

何を考えているの<

キモイ<

日常茶飯事だった。

からいじめ・・・

差別・・・

たった、一ヶ月で変わってしまったのだ。

皆の話について行けず。

から

からかいがいのあるヤツ」

として、

何がしたいのだろうか私は

逃げて逃げて

逃げた結果がこれだ。

何もない

親友も、友達

ましてや、話を聞いてくれる人も・・・

でも逃げた先が「はてな」だったのは、幸運だった。

同じ年代の人も見つけて話をしたりして

少し質問したりして

今に戻れた。

だが、まだ怖いとこもある。

それは、自分で解決しないといけないんだ・・・

じぶんで

2012-10-23

鬱病等の精神的な病気は処方する薬が原因」と何度も言ってるだろ?

374 ソーゾー君 [] 2012/10/22(月) 22:18:43 ID:c/OWsSIo Be:


から俺は前から医者の渡す薬=毒」

鬱病等の精神的な病気は処方する薬が原因」と何度も言ってるだろ?

何回も「破壊屋」に警告したのに薬をやめない・・

「薬を常用しても改善しないが薬が切れたらダルくて動けない」

↑これ明らかに薬が原因で悪化してる証拠だぜ?




懐疑主義者を見れば薬の恐ろしさが解るだろ?

脳神経を蝕み精神破壊していく。




ストレス等で不眠症になると渡される薬が鬱病の原因。

不眠症の薬が原因で無気力になると坑鬱剤を処方される。

コイツをの服用すると強制的に脳を活性化させて眠れなくなるし効果が切れると

脳の疲れからネガティブになり自殺願望が芽生える。

睡眠薬←→坑鬱剤を繰り返して強制的にホルモンを分泌させたり止めたり感じなくしたりを

繰り返すと薬が切れた時の超ネガティブ=自殺願望が巨大になり手がつけられなくなる。




そして仲間のカウンセラー=詐欺師がまた搾り取る。

薬で治らないか精神カウンセラー相談

薬のために中毒=ジャンキーになっただけだよアホ・・




ストレスで眠れない?

ぶっ倒れるまで走れ・・腕が吊るまで腕立て伏せしてろ・・

動けなくなる待て屈み跳躍を繰り返せ・・

そうすりゃ雨が降ってても野外で眠れるよ・・

弓を引き続けたら誰でも疲れるだろ?

弓を引き矢を放てよ・・



走る=弓を引く

へとへとになって走るの止める=矢を放つ

↑これでストレス解放だぜ?



拳の皮がめくれる又は脛の皮がめくれるまでサンドバッグを殴る蹴るもスッキリするぜ?

薬に頼るなよ?

犬を散歩しないとストレスおかしくなるよな?

散歩したら改善するよな?薬で治ると思う?

お前らアホだろ?運動=散歩しないと人間も犬も猫もおかしくなるに決まってるだろ?

それを薬で治るわけねーだろ・・





雑談

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/movie/10043/1341367879/

中央銀行・発行権】黒幕銀行家【信用創造

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/movie/10043/1341436809/l50

2012-09-12

自殺願望なんて便意みたいなもんだ。

猛烈な便意に襲われて蒼い顔をしている人間人生の素晴らしさを説いてなんのプラスになる?

便意の苦しさを共有してそれが和らぐか?

便意が糞の排泄をもってしか根本解決にならないように、自殺願望もまた自殺を持ってしか根本解決にならない。

死にたいなら死なせてやれ。それしか奴等が救われる道はないんだ。

2012-06-14

http://anond.hatelabo.jp/20120613231929

いつもノルマに追われていた元ソルジャーで、汚い話で恐縮だが生理一週間前になると必ず自殺願望

強烈な絶望感に襲われている横増田が生き延びている10方法書いとく。

1.水+六甲の美味しい水とロックアイス そしてたまにアルカリイオン水

2.早朝の澄んだ空気朝日を見ながら3.5kmほど週2回軽いスピードゆっくり走る+ラジオ体操

3.一日のタスクスケジュールを見直す

4.葉っぱの野菜と鯖みそ煮缶たまに林檎お勧め

5.冷凍食品ファーストフードファミレスレトルトは食べない

6.子どもの頃に大人になって働いて金稼いだら何に使いたかったのか思い出す

7.たまにはサウナに行って汗を軽く出す。

8.朝起きる度に布団は必ず畳む

9.猫カフェに行って猫に触る

10.この人のダンスを見る(公式の動画

「Turn Off The Light

http://youtu.be/rRMsORd0AsE

「Lullaby」

http://youtu.be/j3Yi8yAwliY

「Drama」

http://youtu.be/CwwQqhys3y4

無意識に溜め込んだ感情が上手く排出されず、体内時計が狂い、食事のバランスが崩れ

生き物や植物の生気が不足し、未知の発見に欠ける単調な日々だとネガティブになりやすいと肉体的に実感してる。

から淀んだ気持ちが出て行かない。体を動かしたり踊ったり増田に書いたり絵を描いて感情表現すると

少し楽になる。

はいってもパワハラ気質の上司がいたりノルマに追われていると、これらの方法を用いても少しはましになる程度で

どうにもならないけどねー。

2012-04-27

自殺願望に言える事は一つだけだな…

301 ソーゾー君 [] 2012/04/22(日) 09:08:49 ID:iX7s7N.UO Be:

自殺願望に言える事は一つだけだな…

死ぬ前に一つ役に立つ事をやれ!その後は好きにしろ。」



「だけど…電車に飛び込んだりビルから飛び降りたり

アパート借家練炭等の自殺や走る車に飛び込むのは止めろよ?

遺族に莫大な慰謝料請求が来るから…」

「役に立つ事を一つする=俺のレスを貼る等して遺族や他人に迷惑の掛からない方法をチョイスしなさい。」





「糞役人迷惑を掛ける行為は認めますwそれが公僕の仕事からなw」








中央銀行・発行権】黒幕銀行家5【信用創造

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/business/9191/1333369457/

中央銀行・発行権】黒幕銀行家36【信用創造

http://uni.2ch.net/test/read.cgi/kokusai/1327244413/

2012-04-04

そんなのないと思う。

http://anond.hatelabo.jp/20120404002645


半年ほど前に、尊敬する自慢の父を亡くした。


結論から言うと、私は多分立ち直ってない。

というか、立ち直る必要も、父の死を受け容れる必要もないと思う。

父が死んで、相当落ち込んで不安定になって、周りに心配をかけた。

その時に「このままじゃダメだ」と思って立ち直ろうとしたり、

死んだんだ、もういないんだ、って受け容れようとしたけど、無理だったし

そもそもなぜ立ち直らなければならないんだろう?と立ち止まってしまった。

色々考えた結果、父はもうこの世からいなくなってしまい、私の心の中でしか生きていない。

高校卒業したって、高校の思い出はなくならないでしょ。それと同じかなって。

思い出からわざわざ排除することもないし、親なんて切っても切れない存在だし。

から無理するのをやめた。父のことを人に話すのも、今まで通り。


父は病気で死んだので、毎日のように死にゆく姿を見ていた。

家族も親戚も、辛いとかそういうことは言えなかったし、言わなかった。

父は死ぬとき何を考えたんだろう?とか考えると涙が出てくるけれど、

私は父の子として生まれて、育ててもらって、とても幸せだった。

それでいいんじゃないかと思う。


父が死んで変わったことといえば、自殺願望がなくなったこと。

自殺したら父に会えない気がする。私は父に会いたいので、自殺はできなくなった。

数十年したら、向こうで父に会えると信じている。

あなたと、あなたの近しい人と、私と、私の父とで、向こうで会えるといいね


あなたが亡くした人は、あなたがそんな風に考えてるのをきっと否定するよ。

無理はしないで日々を過ごそうよ。

桜が咲いてきているから、その人のことを思い出しながら花見をするのもいいよ。

2012-03-24

どんな戦争も先に手を出すのは欧米だ…

765 ソーゾー君 [] 2012/03/24(土) 22:35:56 ID:1Au0tKLUO Be:

日本世界経済回して世界を支えているのに日本に攻め込む自殺願望者は居ないよ…

北朝鮮報復の為に日本ミサイルつの米国宣戦布告をした後だよ…

経済制裁宣戦布告と言う意味は「経済制裁をされた国が無断で攻撃をしても非はないよ?」って意味だよ…

国連がまともな機関なら戦後裁判でそのような判決を下す」と言ってるだけ…

だが現実は違うわな…経済制裁された国は知ってるから戦う準備をして

欧米諸国が難癖宣戦布告をするのを待つしかないんだよ…

どんな戦争も先に手を出すのは欧米だ…だが戦後裁判では国連が対象国が手を出したとでっちあげ判決を下す。

歴史を再考してみろよ?欧米に火の海にされた国に非が有った?

日本イラクリビア等々再考してみ?何か悪さしたの?

黒幕銀行家4

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/business/9191/1329613996/

2012-02-23

喪女を分類してみた

喪女とは主に2ちゃんねるもてない女板に生息する彼氏いない歴=年齢、告白された経験なしの女性のことである

シンデレラ喪女

80%がこれ。理想が高い。自意識過剰容姿普通。友情を優先しすぎる。愛想がない。プライドが高い。

だいたいは二十代後半くらいまでに脱喪。

・野獣喪女

15%がこれ。顔が壊滅的に不細工。体型はガリガリまたはキョデブの両極端。

骨格レベルから残念。性格根暗。厭世思想。

白雪姫喪女

4%がこれ。メンヘラコミュ障容姿喪女平均から見れば少し上。ネットでは女神。自殺願望あり。

ティンカーベル喪女

めちゃくちゃかわいくてスタイルもよくて性格大和撫子。だけど処女彼氏いない歴=年齢。

一部の男性が夢見ている妖精さん

2012-01-12

成人式、本当は行きたくなかった。頑張れなくなってしまった。

本当は、自転車に乗ってみたかった。

けど、それを両親は危険だと言って許してはくれなかった。

中高時代、寄り道がしたかった。カラオケに行きたかった。

県外旅行に、友達と行きたかった。

一人旅がしたかった。

友達に会いに、東京に行きたかった。

バイトがしたかった。

メイクがしたかった。

自分で服を選びたかった。

料理がしたかった。

あの習い事がしたかった。テニスがしたかった。

成人式に、行きたくなかった。

中学は遠い町の私立中学だったので、地元に知り合いはほぼいない。

そんな中での、成人式参加は、辛いことが予想された。行きたくなかった。

しかし、両親は「節目だから振袖を着て欲しいから」

振袖を買って貰えることは、有難いことだと分かってる。

高校の振袖同窓会に行けた。楽しかった。

けど、地元成人式に、着付けメイク代の○万円を払ってまで行くべきか?

1度ならずとも、何度も何度も、写真屋さんで写真撮影しなくてもいいんじゃない

振袖に○○万円も出すなら、本当は、日常生活での服に使いたかった。

普段、いつも同じ服を着て大学に行く私は、惨めな思いをしているけど、

それを両親は知らないのでしょうね。見えないのでしょうね。言って伝えてるのに。

結局、成人式では、誰とも喋らずに終わった。すぐに帰って、振袖を脱いで、メイクを落として、ジャージを着た。

大学の授業が終わってからいの一番帰宅するんじゃなくて、

大学や、専門学校自習室勉強がしたかった。

飲み会に行きたかった。

服を自分で買いたかった。

自分のことを、責任もって、自分で行動したかった。

一人暮らしがしたかった。

県外に就職がしたかった。

でも、意見を通すためには、両親を説得しなければならない。

いくら言っても、両親の考えは変わらない。

頑張れなくなってしまった。「そこまでして、叶えたいことじゃないし」と。

「家の雰囲気を悪くしちゃうから避けなきゃ」と。

諦めてる、そういう家なんだから仕方がない、って。

それでも、出来る範囲で楽しもう、って。

友達なんか一人もいなくて、自分に対して自信がなくて、

結婚したって、幸せになれないし、

私自信、自殺願望小学生時代から持ち合わせていた立場としては、子供なんて生みたくない。

生まれてくる子供が可哀相だ。私は、生まれてきてよかったなんて思ったことは一度もない。

けれど、両親は「結婚しろ」という。

お見合い相手を探してくるから」という。

本当は、結婚なんてしたくないし、子供なんていらない。

早く死にたい事故か何かで。30代で死ねたら、なんて思う。

結局、何をしてても、楽しめない。

何だか、もう、頑張れないなぁ。

「もう仕方ない諦めよう」って思いながら、時々泣けてくるのは、

本当は、頑張りたいからなんだろうな。

2011-12-24

ハーモニー リマインダー

一度ハーモニーを読んだ人(=自分)がハーモニーの内容を思い出すためのもの

01

 いまから語るのは、「私」の物語

02

 高校生時代

 私は、同じクラスのミァハに話を持ちかけられる。大人になってwatchmeを入れられて、社会の一員としてからだを見張られる前に、パプリックエネミーにならないかともちかける。

 リソース意識、公共的身体の意識にあふれた、窒息しそうなほどの優しさをあびせかけてくる社会の敵になろうと。

 自分の体は自分ものなのだ世界に主張してやろうと。

03

 私は大人になり、WHO螺旋監察官をしている。

 その仕事をしていれば、自分の体を自分ものとして、たばこをすったり酒を飲んだりできるから

 

 しかし、こうしてミァハ的(自分の体を自分ものとする)な生き方にたどり着くまでに、大きなものを失った。それは、ミァハの命。

 高校生時代、私とキアンに、ミァハは一緒に死なないかと持ちかける。私たちがこの「優しい」「公共的身体」の社会から脱出するためには、それしかないように思われた。

 私の父こそ、この「優しい」社会を作りだした研究者の一人なのだと私がいったら、ミァハはどう思うのだろう?

 私はいま、酒をのみ、たばこを吸い、ミァハ的な生活をしている。

 でも一方、螺旋監察官として、「優しい「生府」」のある側に属して、「優しさ」を、それのない世界に広める仕事をしている。本当のミァハにはなれていない。臆病者だから

04

 螺旋監察官をしていれば、さまざまな種類の死が待っている。通常の人間には老衰しかありえないのに。

 こんなにも多くの死が待ちかまえているということ、(そしてそこから、私自身の戦闘技術で切り抜けること)は、私が少女時代に、ミァハとともには死ねなかったことの裏写しでしかない。

 高校生時代、私とキアンは死ねなかった。ミァハだけが自殺を成し遂げた。

 ミァハですら、わたしを殺すことはできないんだ。

 この優しさに満ちた、公共的身体の意識にあふれた社会は、誰の手によっても、どうにもならないんだ。高校生時代に、そういう諦めの境地に達し、私は死ぬことを挫折した。

05

 上司オスカーシュタウフェンベルクに、飲酒を見られる。

 そのため、私は日本に返される。

 だが、私が酒を飲んでいたことは、世間に知られるわけにはいかない。私は私自身の失敗を人質にとることができる。

06

 私は日本に帰ってくる。

 かつて私やミァハと一緒に死のうとしたキアンが空港に迎えにきてくれる。

 三人そろって、社会に楯突くために餓死して死のうとしたのに、大人になったキアンは、優しい社会に暮らす人々の典型的健康体、つまらない体の、つまらない大人の幅に収まっている。

 私はミァハにあこがれ、不摂生な生活をしているのに。

 ミァハが敵になろうとした「優しい」人々と、キアンは交流を持ち、社会リソースとしてボランティアをするようになっている。私はそういう人たちとは会おうとも思わないのに。

 私はだんだんミァハになっていた。生きていたらこうなっていただろうミァハに。

 キアンと一緒に、レストランで食事をする。と、

「うん、ごめんね、ミァハ」

 キアンはそう言い、突然に私の目の前で自殺する。

 同時に世界で、何千人もの人々が自殺していた。

2

01

 自殺したのは、スクナビコナ(北海道神宮とかとかとかにまつられる、酒とかとかとかの神。オホムチ大国主とペア)生府のアグリーメンツだった。

 キアンの死を直視したことと、謹慎として日本に返されたこと。この二つを理由に、私は螺旋監察官であるにも関わらず、自殺の同時多発事件の捜査に加われない。

 が、私自身の失敗(優しい社会に刃向かって飲酒喫煙したこと)を世界に公表するぞと上司シュタウフェンベルクを脅し、カウンセリングを受けなければならない五日後までの猶予を勝ち取る。

02

 無数の自殺者のなかで、キアンだけが意味のある言葉

「ごめんねミァハ」を遺して死んだ。

 だから私は、ミァハの両親宅を訪れた。

 ミァハの母レイコは、ミァハを立派な社会的リソースにできなかったことを悔いている。自殺願望のある子に育ててしまったことを悔いている。

 ミァハはレイコ遺伝子的な子供ではなく、チェチェン戦争孤児だったと知らされる。

 そしてミァハが自殺後、献体されたことも知らされる。

 献体された研究者は、ヌァザ――私の父。

03

 キアンが死ぬ直前、彼女との食事の回想。

 キアンの告白

「ミァハが作った薬を飲んでいると、私の体がみるみる変化(ルビ:餓死)していく。「優しい社会」が提供する医療に浸りきった私は、体は恒常的なものなのだと思っていた。こんなにも変化するものなのだとは思ってもいなかった。だから恐ろしくなり、私たち三人がしていることを親に相談した。でも、そのとき、ミァハは変化しきっていた。死んでいた。だめになってた」

 私は、

「私がこうして生きているのは、キアンのおかげなんだね。アルコールたばこで体を傷つけられるのはキアンのおかげ」

 キアンは、

「トアンは、どうして私がキアンと友達になったのか聞いたよね。私だって、ミァハと同じように、あのころ世界に息苦しさを感じていた。リソース意識なんて冗談じゃないって。……でも、ミァハと友達になった本当の理由は、たぶん、バランサーを気取っていたからだと思う。ミァハが言っていた、死んじゃおう、とか、誰かを殺しちゃおうっていうのを、踏みとどまらせる役になろうとして、友達になったんだ」

 そして、キアンの葬儀彼女はこれから液体になり、社会リソースになる。

 父はバグダッドにわたっていた。

 一方、父の共同研究者ケイタは、日本に残っていた。

 ケイタは、「意志というものは、競いあう欲求のどれを選ぶのかを決定する主体」という。

 ヌァザの研究は、人間の欲望や意志を制御するものなのだともケイタは教えてくれる。その研究を進めるために、バグダッドに渡った。

 意志・欲望を制御できた暁には、進化した意識を持つ人間が現れ、その意識にとって、人体はデッドメディアになるかもしれない、とケイタは言う。

 精神こそが、人体を生きながらえさせる手段なのかも。肉体にとって精神がデッドメディアになるときがくるかもしれない。と私。

 上司シュタウフェンベルクに、私の行動を報告せずにいると、

いつまでも「失敗」を人質にして自由に振る舞えると思うな」と、ARの電話口で叱責される。――電話をして、うつむいている私。

 キアンも、死の直前、うつむいていた。死の直前、彼女もARで誰かと話していたのではないか

 螺旋監察官の権限で、キアンの通話記録を見る。思った通り、彼女電話をしていた。

「ううん、ごめんね、ミァハ」

 そう言った相手は、ミァハ本人――ミァハは生きていた。

 ミァハ曰く、

「善とは恒常性のこと。

 現在ほど、世界恒常性に満たされた時代はなかった。

 昔は王様がいて、王様を殺せば世界を変えられたのに、民主主義以降、みんなが互いに互いを律するようになったから。優しさのおしつけあっこ。

 私たちは、そんな社会から飛び出して、自分自分を律しようって誓いあったよね? キアンもトアンも。

 その勇気を、いますぐ見せて」

 そう言われて、キアンはキアン自身の体を殺したのだ。

01

 名刺――プライバシーという言葉が、まだいやらしい意味ではなかった時代個人情報を個人が隠し持つことを許されていた時代に、個人情報を相手に手渡す手段。

 友達になった私とキアンに、ミァハはそれを渡してくれた。

 インターポールりイアン・ヴァシロフも、初対面の私に名刺自己紹介した。

 そのとき世界は、あの集団自殺のせいでゆがんでいた。

 優しさを与えあう社会、互いに互いを信頼しあう社会

 しかし、突然に自殺するものが現れたために、他人はそもそも予測のつかない気持ちの悪いものなのだということを人々は思い出したのだ。

 ヴァシロフが調査しているのは、WatchMeを介して人体に不正アクセスすることが可能な組織

 その組織は、再び人類が〈ザ・メイルストロム〉に陥らないように、人類監視しようということを大儀銘文としている。

 しかし、その組織内の、その信念に反する一派が、今回の大量自殺引き起こしたらしい。

 ヴァシロフとの車中、テレビでミァハが人類に宣言する。

「一週間以内に、誰か一人を殺してください。それができない人には死んでもらいます

02

 ミァハが、大量自殺と宣言によって作った混乱。

 そして、生府が醸し出す、息苦しい空気

 それらについて思いを巡らせているうちに、「医療ドバイ」、バグダッドにつく。

 そのころ、世界で、宣言に促された他殺、宣言から逃れるための自殺が頻発する。

03

 バグダッドガブリエル・エーディンと会う。

 彼女曰く、

人間価値判断は、指数的な合理性ではなく、双曲線的な非合理性。合理性と非合理性の争いが、意識である

04

 私のホテルの部屋に、ARではない、紙の書き置きがある。

「アブー・ヌワース。ARなし、盗聴なしで」

 アブー・ヌワースの人々は、WatchMeを人体に入れておらず、様々な病気にかかり、早死にする。

 アブー・ヌワースの食事は、生府に管理された世界のそれと違って、カロリーカフェインアルコールハレンチなほど。

 そのアブー・ヌワースに、父ヌァザがいた。彼が渡しに書き置きしたのだ。

05

 父は、ミァハの死後に、研究に没頭するために、私と母を残して家から去ったのだった。

 その父と、バグダッドで再会する。

 父の研究は、ヴァシロフが調査する組織で行われていた。父は組織の一員だった。

 組織人間意識を保持する能力を保持しているのは、再びザ・メイルストロムのようなことが起きたときに備えてのことだった。

 組織の上層――ザ・メイルストロムを生き延びた老人が望んだ世界。それをミァハは唾棄した。

 当時、多くの子供たちがミァハと同じように自分の体を傷つけるようなやり方で自殺を試みていた。この「優しい」社会ストレス限界にいる子供たち。それは、利ソース意識にあふれたこの社会の、対処するべき社会問題だった。彼らですらコントロールできるように、父らの組織システムを組もうとしていた。

 キアンの告発によって辛くも生き残ったミァハは、自殺性向のある子供として、組織モルモットになっていた。

ハーモニープログラム』。それには、老人たちですら二の足を踏むような重篤な副作用があった。

 それを実行すると、人類から意識が消滅する。

06

 意識が消滅するのはハーモニープログラムを実行すると、人間の非合理性が合理性と迎合し、葛藤がなくなるため。

 結局、プログラム人類に実装されてはいものの、第二のメイルストロムまでは実行されないものとする。そういう折衷案を老人はとった。

しかし、なぜミァハはそれを実行しようとしているの」と私は問う。

「ミァハの意識は、戦争の渦中、自殺を行うために後天的に獲得されたものだ。そして――」

 父の説明の途中で。ヴァシロフが現れる。

 ヴァシロフはインターポールとしてではなく、組織の一員としての仕事をこなすために現れた。彼は、組織の中でも、父と対立するミァハ派の一員だった。

 父は主流派のリーダー格。主流派の結束力を弱めるため、ヴァシロフは父をねらっていた。父がでてくる好機を作り出そうと、娘の私を泳がせていたのだ。

 ヴァシロフらミァハ派の目的は、人類を正しい調和へと導くこと。

 ヴァシロフは私の銃弾を食らい、父は私をかばってヴァシロフの銃弾を食らう。二人とも死ぬ。

 死の間際、ヴァシロフは、ミァハがチェチェンにいると私に告げる。ミァハの生まれ故郷に。チェチェンの、〈対ロシア自由戦線〉に。

01

 高校時代の回想。

 日本の、学校という権力のなかに、私もミァハもキアンもいた。

 ミァハは、「私は前、こことは別の権力に従わされてた。地獄だった。向こうにいたら、銃で殺される。

 でも、こちらがわにいたら、優しさに殺される。どっちもどっち。ひどい話だよね」と。

 ミァハの宣言により、世界の各地で殺戮自殺心中が頻発している。

 その問題についての、螺旋監察官会議(ARセッション)。

 わたしはシュタウフェンベルクに、これまでの捜査経過を報告したい。

 しかし、どこまで情報をつかんでいるか組織スパイされないために、セッションシュタウフェンベルクとの二人きりに切り替える。

 と、シュタウフェンベルク彼女自身が組織の一員なのだと明かす。

 ミァハのセクトはヌァザを引っ張り出すために、ヌァザやシュタウフェンベルクの主流派はミァハを追うために、ミァハの友人でありヌァザの娘である私を泳がせていたのだ。

 私が自由に行動できいていたのは、「失敗」を利用できていたからではなかったのだ。

 シュタウフェンベルクら主流派はミァハと接触し、どうして人々を自殺させているのかを聞き出したかった。

 チェチェンにいる螺旋監査官、ウーヴェに協力を要請する。

02

 チェチェンのウーヴェと会う。

 ウーヴェは、ミァハがいるはずの〈対ロシア自由戦線〉との人脈を持つ。

 ウーヴェは、私と同じようにも「優しい」社会に息苦しさを感じ、そこから逃げ出すために螺旋監察官になった男だった。

 ウーヴェが呼び出した現地の少年、〈対ロシア自由戦線〉のメッセンジャーに、私は「紙」を渡す。

 すぐに、〈対ロシア自由戦線からの返事がくる。

 一人で、ARの通じない山を登れ、と。

03

「優しい」社会では感じられない、身体の不自由さを意識させられながら山を上る。

 進化のつぎはぎでしかない身体を意識させられる。そして、私の感情も、私が私であるという思いこみも、進化の結果でしかないのた。

 バンカーの中、ミァハと再会する。

 ミァハが私に会おうと決めたのは、少年が持ってきた「紙」が、かつてミァハが私にくれた「名刺」だったから。

「ミァハが自殺に追いこんだ人たち、それに、父さんとキアン。誰も死ななくてよかった」と私。

「そう。死んでいい人なんていなかった。そして、これ以上死人を出すわけにはいかない。でも、こうでもしないと老人たちはボタンを押そうとしない。

 私たちの望みは、人類ハーモニクス

04

 高校時代、ミァハの自殺の直前、彼女の持ち物の本を火葬した、それを私が手伝った思い出。

 私たち三人の死が、世界に対する一撃になるはずだった。

物語のコア〉

 ミァハは、

「私の意識は、ここの、チェチェンバンカーで、性的暴力という人間の野蛮によって生み出された。

 でも、人類が持っているはずの野蛮を押さえつけようとする「優しい」社会では、人間が壊れていく。自殺していく。

 私は世界の人々を愛している。この世界に、人々がなじめずに死んでいくのなら、彼らは生きるために、人間という意識であることを突破しなければならない。意識という、進化上のその場しのぎの機能を取り払って生きなければならない。

 ……組織の老人たちは、『意識の停止』を死と同義と受け取った。だからボタンを押そうとしない。私の民族のように、意識のない存在だっているのに。

 それでも、世界がめちゃくちゃになりそうになったら、老人たちは意識の消滅、ハーモニクスボタンを押すはず。

 私は、毎年無為に命を落としていく何百万の魂のために、魂のない世界を作ろうとしたの」

〈/物語コア〉

 私は、

「ミァハは戻りたかったんだ、意識のない風景に。……じゃあ、それを奪うことは、父さんやキアンを奪われたことに対する、ささやか復讐になるかな。

 あなたの望んだ世界は実現してあげる。

 だけど、それをあなたには与えない」

epilogue

 そして、人類意識を失った。

2011-10-19

http://anond.hatelabo.jp/20111019013229

一番、私を頼って相談してきてくれて、命の恩人でもある親友が昨日自殺しました。

無気力です

一生、引きずります

自殺願望者に問いたい。

残された人の事を考えてますか?

例え大親友じゃなくても、知り合いが死ねば辛いんです

友達だったら更に辛い。

遺されて一生悩み苦しむ人の事も考えてくれ

2011-07-29

幸せになりたい

どうして苦しいことを認められなかったのか。

私の苦痛は私の苦痛であって他人には計れないはずでした。

だけど私は自分苦痛を見ようとしませんでした。

小学生の頃、道徳の授業で少年兵についてのビデオを観ました。

「かわいそう」でした。

人の世と隔たれた様なアフリカの小さな村での、矮小な自由から別の異質な自由を手に入れた彼等は、かわいそうでした。

彼等は学校に行けません。

彼等は人を愛せません。

彼等は私たちと同じじゃありません。

からかわいそうでした。

皆大体同じことを考えたと思います

今の社会では愛や希望と同じくらいに、他人の苦痛が氾濫しています

そして情報化のおかげで感情というよくわからないものが相対化され、値札がつくようになりました。

苦痛という感情もその一つです

彼等の苦痛と私たちの苦痛は同じ所に並べられません。

違うのです

単純に、彼等の苦痛が大きくて、私たちの苦痛が小さい。

周りの人も全然疑問は湧いてないようで、私もそう考えていました。

「苦しい」と言えば、

「お前より苦しい生活している人は一杯いる。」と言われ、

死にたい」と言えば、

「お前が死にたがっている今日は、昨日死んだ奴が生きたかった明日なんだ」と言われる。

そしてそんな言葉を口にすること自体が恥ずかしく思われる様になり、中二病なんて名前が付けられる程になりました。

私は小学生の時に太っていることを理由にいじめられていました。いじめと言っても一部のクラスメイトなどに「デブ」などと言われるくらいなのでまぁ大そうなものではありませんが。はっきりとではありませんがその頃、デブスポーツも出来ない私は全く価値の無い人間なのだと考えていたのですが、小学校高学年あたりでそのいじめはなくなりました。

理由は私の兄にありました。

私の兄は、かっこよくて、スポーツが出来て、私みたいに太っていなくて、そして、とてもユーモアのある人でした。

少し我の強い人でしたが、一緒に遊んだ時はなにかと私を笑わせてくれたのでその時の兄はとても好きでした。私はかっこよくないし、スポーツも出来ないけど、人を笑わせることなら出来るんじゃないか、と考えました。

実践してみれば簡単なことでした。

道化と化した私はクラスの人気者になりました。

その時は嬉しかったのです

変顔をするだけで笑ってくれるし、デブと言われても開き直ればそれでまた皆笑ってくれる。ああ、自分価値はここにあるんだなと思っていて、将来はお笑い芸人になろう、などと考えていました。

今思えばここが間違いだった、と感じています

道化見世物です。故に私という存在は指をさされ、馬鹿にされ、笑われるべき存在です

そしてそのピエロは観客の嘲笑に包まれた喜びを糧に生きていくのです

私は見世物として存在することに慣れました。

人の好奇心は底が無く、少しタガが外れれば面白いことならなんでもいい、と考えてしまます。要するに、面白ければ私には何をしてもいい、という結論に至るのです

私はそれを苦痛だと考えませんでした。

周りの人が笑ってくれることが喜びであり、それが快感でした。

ただ、やはり好奇心というものは一か所に止まらずに色んな方向に向くもので、自分では飽き足らず、いじめや、危ないいたずらもするようになりました。

私はそれを見ているのがとても嫌いでした。

笑うべきは私の存在であり、どんな下らない罵倒でもそれを身に受けるのは私の専売特許のはずでした。私の生きがいを横取りされたような気持になりました。

しかしその時からいらぬ疑問を抱くようになりました。

他の人はいつも私がされていることを嫌がるのです

それは単純に、私は苦痛を喜びに変えただけであって、他人にとって苦痛はただの苦痛だったのですから

私は本当にうれしいのか?

中学生になり、地元学校だったので小学校ほとんどの生徒が同じ中学校入学しました。思春期ですのでこの頃から自分の体型にコンプレックスをもつようになり、友達部活の入部を勧められて、これは良い機会だと思い、サッカー部に入りました。

相変わらず私を知っている人達は私を私として扱います

そうするとやはり、私を知らない人達も私を私として扱うのです

わたしは結論しました。

自分はいじめられていると。

部活に入ったお陰で自分でも見違える程痩せることが出来ました。しかし二年生になってすぐやめてしまいました。原因はいじめもありますが、何より私はスポーツのセンスが無いようで、後輩に馬鹿にされるのがこわくてやめて、というのが一番でした。

こう書いていると私はいつも教室の隅に追いやられているような生徒に感じると思いますが、私は交友関係が広く、人気もそこそこありました。情けないことに、私こそ周りの人達と同様に私を私として存在させていたのです

何故なら、私はその私しか知らなかったかです。それに、今の私をやめてしまえば私の価値はどうなるのだろう、何か残るのだろうか、と考えていました。

中学生にもなると、いたずらなどを楽しむより、好奇心の側面としての、暴力的な行動が盛んになります。それで中学二、三年生では私はサンドバックでした。どこかで会う度に殴られるようになり、私のクラスでは暴力をけしかけるような人はいなかったので、教室の外へ出るのが恐くなりました。

勿論初めのころは抵抗していました。しかし、毎日、毎時間と続く暴力と、自分が未だに道化でいるという立場のせいで怒りを露わにすることができないという下卑た矜持と、そして何より、彼等の私に対する態度に絶望しました。

私が少しふてくされると、彼等は「ごめん」と言ってくれました。しかしすぐにまた同じことをするのです。その度に彼等は謝り、謝罪という行為の中に含まれているであろう自省や克己を蔑ろにして、5分前の誓約を堂々と捨てるのです

一度、本気で怒ったことがありました。その日は珍しく喧嘩別れになったのですが、翌日にその人物は私に少し沈鬱な面持ちで謝罪してきました。私はその言葉を信じていました。しかしその翌日には何も変わってない、彼等と私の関係が在るだけで、自分が激怒した様子を真似された時は、名状しがたい、確かな殺意と、他人に対する恐怖と、途方もない呆れがないまぜになった感情で吐きそうになりました。その時、自分は人に怒ることはやめて、諦念が纏わりつくようになりました。

ただの暴力一部の人間には大変興が乗るようですが、大半の人は一歩引くのが普通であって、いくらなんでも、やり過ぎではないのか、何故こんなことをするのかと聞くことにしました。この頃は最早彼等の前での私が思う私はただのいじめられっ子でした。

彼等いわく「お前を見ているとむかつくから」とのことでした。

なるほど私を見ていると苛立つのですかそうですか、じゃあ私はどうすればいいのだろうか、私という存在がむかつくのですかじゃあ私が消えればいいのですね。

彼等は私を少しも憎んでいないというのは知っていました。週末になれば遊んだりもするし、私を殴る以外にもコミュニケーションをとろうとするからです。一方私は殺意を持っていましたが、彼等に対する好意も持ち合わせていました。何故なら、暴力的じゃない彼等は面白くて、自分と対話してくれるからです。そして彼等は私をいじめていると考えていないのです

限界はどうしても来てしまものです。三年生頃には、家に帰って布団の中で泣くことが多くなりました。何故自分がこんな目に、自分は悪くない、やりかえそう、殺そう、という感情が渦巻くのですが、不思議なことに翌朝になると何事もなかったかの様にすっきりとしてしまうのです。一人で絶望を反芻する度に決意し、忘れる、ということを繰り返していました。同時に、私は学生生活を楽しんでいました。私でいることを楽しんでいたのです

そして学校面白い奴でいる私と家で惨めに布団にくるまって泣いている私とで、完全に乖離しました。

しかし私は希望も持っていました。自分の様子が変だと気付いた母親に尋ねられ、私は「馬鹿で嫌なやつがいる」とだけ言いました。すると母は、高校生にもなればそんなやつはいなくなる、と言ったので、私はなるほどと思い、多少の虚脱感と戦いながら勉強に励みました。高校生になれば自分は変われる、と信じながら。

勉強のお陰で、それなりの、県内で指五本のうちに入るか入らないかというレベルの高校に入学出来ました。少し離れたところにあり、何より自分日常的に殴っていた人達はその高校に全くいなかったのでとても喜びました。

人格は変えることができませんが、キャラのようなものなら簡単に変えられると思っていました。しかし私はそこでも私を私として存在させたのです

何故そんなことをするのか、私はいつまでも子供ではなく、自分の思考、行動の原因がわかるような年齢になりました。

かわいそうな自分が好きでしょうがない。

私なりの結論でした。

そしてそれは正鵠を得ていました。

教科書を破られたり、靴を捨てられたり、落書きされたり、チョークを食べさせられたり。一日そんなことが無いと、何故か残念な気持ちになるのです。そして、私が望んだ苦痛を与えられると、不快感情と同時に、安心できるのです高校生にもなって、いじめられている悲劇的な私が好きなのです。皆から同情の目線で見られている私が好きで好きでしょうがないのですしか絶望します。私は変わることができなかった。私は悪くないのに惨めなままだ、それは他人が無知蒙昧であるからだと怨み言が頭に並びます

この頃、自殺願望がありました。しかし実際は死にたくなどありませんでした。何故なら私はまた、今の私を楽しんでいたのです

高校三年生頃になると、受験シーズンとなり皆が勉強に励むのですが、私は中学生の頃の 様に大学希望を持つことが出来ませんでした。それ以前に、普段の勉強からしてやる気になりませんでした。たまにやる気になって休み時間などに勉強していても、クラスの人が辞書を投げてきたり教科書を濡らされたりして勉強になりませんでした。

全てが嫌でした。

それなのにクラス委員などに就いている自分が嫌でした。

苦痛を期待している自分が嫌でした。

惨めに耐えているだけの自分が嫌でした。

友達と楽しく会話している自分が嫌でした。

こんな恥ずかしいことで頭がいっぱいになっている自分が嫌でした。

死にたい、とか、何故生きているのか、とかは子供が持つ感情であり、十八にもなった男子が持つべ感情じゃないのです。何より私は毎日学校に通えて、屋根のある家で寝食が出来て、家族がいるので、とても恵まれた人生を送っているのです

私より不幸な人は世界中にいっぱいいるのです。私は、私の苦痛を認めることなど許しは出来ないのです

二律背反の、板挟みの状態がずっと続きました。

学校で笑います。家に帰って泣きます。猿の様に自慰します。寝ます。さっぱりして学校に行きます。この頃は寝ることと自慰行為が喜びでした。

私はそれでも狂えない。皆の前では面白いやつで、先生の前では立派なクラス委員ですおかしいはずなんです。頭が焼き切れるはずなんです

それでも私は理性的です。生きているのです

しかし生きることを望みたくないのです。私が悲劇であるためには。

生きることも、死ぬことも、選びとらずに責任を放棄したのです

結局これが私の思春期の全てでした。

大学生になりました。

冬に勉強をそこそこにして、なんとか国立大学に入り、親の前での面子を保たせました。

大学は県外で、更に海を渡ったので、実家に帰るにも一苦労なところまで来ました。と言っても別にその大学に行きたかった訳でなく、県外であり、かつ自分学力で行ける範疇大学を選んだだけでした。やりたいことも無ければ、大学生の遊びを謳歌したいわけではなく、またしても選ぶことをやめたのでこの結果になったということでした。

大学生活の一番初めの感想は、喪失感でした。

大学生にもなり、皆、落ち着いた行動をしている。それに慣れていなかったので戸惑ったのと同時に、自分の知っている自分がいないことに気付きました。

最早かわいそうな私はいないのです

かわいそうな私を求める人はいないのです

随分と薄っぺらい絶望が全身を覆います

大学では色んな人が色んなとこからます

しかし確実に私と違うところがありました。

彼等は正常でした。

彼等には目的があり、良心があり、喜びがあり、夢があるのです

彼等は目を輝かせて自分の将来を語るのです

彼等は何の疑問を持たず勉学に励むのです

思い切り殴られた時より、制服をびりびりに裂かれた時より、この目を見るのが苦痛でした。

苦痛の得ることの出来ない私は、更に酷く、目を覆いたくなるようなことをするようになりました。

自分苦痛を認めずに、自分いじめ人間に同情をし始めました。彼等を誰も止められなかったのがいけないのだ、彼等の行いは環境のせいでありもし自分が彼等ならば同じことをしていた、と。傍観して楽しんでいた人達も同様に立場が逆なら私もそうするだろう、と。

苦痛の無いことが私には苦痛なのだ、苦痛を失えば私は私でいられないのだ、と。

現在私は大学二年生になり、成人を迎えました。

使用期限の過ぎた苦痛に、記号と化してしまった過去苦痛に相変わらず縋りついています

行きたくは無かったのですが、身体が限界の様なので、最近になって心療内科に行ってみました。どうやらパニック障害のようですしかしその症状は殆どからあるもので私には馴染み深いものでした。この機会に精神科に行こうか、とも考えたのですが、この頭を治す気にはなってないのでやめておきました。

すぐに三年生になり、就活が始まります

私は毎日働いて生きていくことに魅力を感じませんが死にたくはありません。生を望み、相も変わらず自慰をして寝る生活です

結局私はいつまでも私なのです。変わることなど出来ませんし、忘れることも出来ません。意志も薄弱で、一人の大人としての責任も持てません。

しかし案外明日には希望を持って歩き出すかもしれませんし、誰かと衝撃的な出会いをして価値観が180度変わるかもしれません。

こんな人間になってしまいました。多分私は誰かに決めて貰うのを待っているのでしょう。そしてわかったような顔をして卑下をしながら斜に構えていればいいと考えるのでしょう。

私の苦痛は私だけのものです。他の不幸や苦痛と秤にかけることなど出来ないんだ!、とでも思えばよかったかもしれません。

でも結局子供ですし、そんな考えにはなかなか辿りつきませんよね。大変です人生は。

なんか最後の方で口調が変わっている気がしますし、長ったらしく冗長とした文をたっぷりと書きましたがこれもオナニー好きな私のオナニーです。不幸自慢みたいなのって気持ちいいですよね。書いたら少しすっきりしました。何も解決してませんが。

それよりとにかく幸せになりたいです。でも私の求める幸せがよくわかりません。

こんなクソッタレはもうダメですかね?

2011-06-15

http://anond.hatelabo.jp/20110615182719

http://japan-lifeissues.net/writers/rea/rea_02psycheffect-ja.html

中絶後の影響を経験した女性のおよそ60%が自殺を考えたことがあり、28%が実際に自殺を図り、そのうち半数が2回以上自殺を図ったと報告しています

女性全体の1年間の平均自殺率は10万人に11.3人の割合でした。

出産と関係のある自殺の割合は5.9人と著しく低く、妊娠が途中で終わってしまった場合の割合は極めて高いものでした。

流産場合10万人に18.1人の割合で、中絶場合10万人に34.7人の割合でした。

中絶後1年以内の自殺率は、全女性の自殺率の3倍、予定日まで妊娠を全うした女性の7倍、流産した女性のほぼ2倍高い割合でした。

中絶自殺の代償行為になることは少ないみたいですね。

中絶によって自殺願望が解消されることより、中絶によって自殺が引き起こされることのほうが多いようですね。

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