はてなキーワード: 自殺願望とは
こんなことを書くのは不謹慎極まりないことは承知だが、あのような豪快な自殺を遂行できた彼を羨ましく思う。
あの墜落事故が単純に操縦士が自殺目的で飛行機を落としたと仮定しての話ではあるが、操縦桿を握った彼が故意に墜落させたのは報道を見る限り確からしい。
ちなみに自分は今のところ自殺願望はないが、いつ死ぬか如何に死ぬかを自分で選びたいので、何年後あるいは何十年後か分からないが自殺するだろう。
もちろん自殺するときは、できる限り他人に迷惑をかけない手段を選ぶつもりでいる。
どうせ死ぬならありふれた死に方ではなく、豪快かつクリエイティブな死に方をしたいと思ったりもする。
自殺の手段は数あれどアルプスの山脈に旅客機で突っ込むことが出来る立場にいた彼は恵まれていた。
ほとんどの人間は首を吊るか、高所から飛び降りるか、あるいは練炭自殺くらいしか方法がない。
彼にとっては乗員乗客が何人乗ってようが些細な問題に過ぎなかったのだろう。
あるいは巻き添えとなる犠牲者の数など念頭にすらなかったのかもしれない。
私たちにとって今や日常茶飯事となってしまった駅での人身事故についても同じである。もちろん次元の異なる事例ではあるが、本質的には変わらないだろう。
当の自殺志願者にとって自分の行為がどれほど多くの人に迷惑を及ぼすか、そんなことは自分が死ぬという問題と比較すれば考慮にあたいしないのである。
こんなことを書いていたら三島由紀夫のことを思い出した。
自分の気持ちを良く書いているよ。
ショッピングセンターの4階の駐車場から飛び降りたい衝動に駆られたよ。
元増田は、きっと良い奴過ぎて、お父さん、お母さんの悲しむ顔が見たくないんだね。
オレは、41才の妻子持ちのオッサンだ。でも、単身赴任の一人暮らしだ。
だけど、そうじゃないんだよね。
だれかに、自分の気持ちを分かってもらいたくても、この感覚は、分かって貰えないのでは?
って感覚で。
引用するわ。
取りあえず、お小遣いで、でも、自分のお金で病院に、行くとか。
どこかに、助けて貰って。
誰かに助けて貰うことは、悪いことじゃないと思うよ。
ある小説を思い出した。
こんな感じだ。
--無人機
だった。人間が搭乗しているとしたら自殺願望を植え込まれた被洗脳者だろう。
紛争時、敵ゲリラがよくそういう兵士を使っていた。こちらの陣地の遥か手前で洗脳が解けかけた敵洗脳兵がきりきり舞いをしているのを二度ほど見たことがある。洗脳兵は楕円を描いてグルグルと同じ場所を走り回っていた。どこに行きたいのか自分でもわからなくなってしまったのだ。
洗脳兵は時間が来ると爆発して四散した。安全なスペクタクルだ。
それを私物のカメラで撮影している兵もいた。あの若かった男はまだあの写真を持っているだろうか?
--人間は何度も何度も何度も何度も同じことを繰り返す
--間違った方向に突進し、とんでもないものを信じ、親の世代と同じ失敗を繰り返すのが我々だ
--その多くが無用の死を迎え、悲惨さで地を覆い尽しながらも生き残る
このことを最近、理解できるようになってからノーマはフレイがクソ虫になった理由がわかったような気がした。
しかし、ノーマはクソ虫なんかにはならず、まだ先に進み人に語りえぬ一文の価値もないものを探求するつもりだった。
楕円軌道を描いてまわる洗脳兵や「無人機」のように見えていたのかもしれない。
ここで書いているおまえもオレも
http://www.gentosha-comics.net/story/cat1988.html
そういうわけで幾原邦彦原作のマンガ「ユリ熊嵐」(月刊コミックバーズ連載)のアニメ化が決定したので
各自関連情報をチェック願いたい。
http://www.gentosha-comics.net/story/cat2414.html
23歳、営業職、女。
通院は2ヶ月くらいしてて、
主な症状としては、
一人ではとても居られないので、
というよりは、
自分の家に帰ると独りだということを
嫌というほど認識しなきゃいけない
彼氏にも疎まれるだろうけど
もう二度とやりたくないと何度もかたく誓うのですが、
ふっと、突然不安の波が押し寄せてくると、
どんどん波に飲み込まれるように、
「それは言ってはいけない」
と認識しているのですが、
言うのをやめてしまうと、
短時間の間に一つ一つ増幅させ、
気持ち悪いのが邪魔をして、
大抵止めることができません。
よくこんなのに彼氏も付き合ってられるなあ、
など、いつも思っているのですが、
いざ離れることを考えると、
気持ち悪いのがグルグルうずを巻いて
喉のあたりまで立ち昇り、
手足は震え、動機が激しくなり、
呼吸すら嫌になるほど、何もできなくなります。
今朝はついにそれでお風呂も入れませんでした。
それでも真摯に向き合って、
付き添ってくれる彼氏には
一生かかってもお礼がしきれないと思っています。
一番のお礼は、私が早く良くなって、
なかなかすぐにはそうもいかず...
これじゃあだめなんだけどな、と思いつつ、
【社説】慰安婦報道撤回 本質は強制連行にないhttp://www.kanaloco.jp/article/76014/cms_id/95741]
だそうだ。
要するに、朝日の強制連行は捏造報道でしたと認めた謝罪?訂正?特集での「慰安婦問題の本質 直視を」http://www.asahi.com/articles/ASG7X6753G7XUTIL053.html]とする主張をなぞっただけのものだ。
あほすぎる。
朝日が「本質は強制連行じゃないもん!広義の強制性だもん!」と無様な言い訳をせざるを得ないのは分かる。こんな子供じみたふるまいは感心せんが。今更吐いた唾も飲めんし、今まで自分たちの購読層であった頭の弱いリベラルちゃんとか頭が弱い上に頑迷な左翼君たちを裏切ることになる。こういうバカどもの間で「朝日が裏切った!」とか噂がたったら、売上に響くだろう。
だから、一流大学をでていい給料をもらってる朝日の編集担当はこういった記事を一応書くわけだ。
でもさ、今更、朝日が慰安婦問題に関してなにか書けるだろうか?なにか書いたところで世間は眉に唾をつけてから読む。ちょっとでも間違いがあればそれみたことか、またやりやがったな便所紙!となる。そんな変なリスクのある記事や特集、わざわざ載せない。
要するに「慰安婦問題の本質 直視を」なる記事は、「先輩達を露骨に悪く言う訳にもいかないし、会社として一応は恰好をつけとかんとな」というポーズをとるためだけのアリバイ記事だ。
こんなアリバイ工作を真に受けるのは人がいいのか、頭が弱いのか。
一般人ならどっちかだが、メディアに関わるものがそれやったら自殺みたいなものだ。朝日新聞と心中してなにかいいことあるのかと。
ある男が自殺をした。結果的には死至らず未遂で済んだ。けれど閉鎖病棟に入院することとなった。
過去に自殺をして注目を浴びたメンヘラはいたものの、それは個人を超えて影響を与えることは少なかったし、メンヘラ以外の人にまで波及することはなかった、
彼は哲学に通じており、物事に対する考察が鋭く、文章による表現力も持ち合わせていた。そして何よりも行動力があった。
彼はメンヘラをコンテンツ化し、コミュニティを作り上げることに成功した。彼の高い能力によるところと、SNSの発達によるところが大きかったのだろう。
彼自身がメンヘラであったかは定かでは無いが、彼の書いたところによると妹がメンヘラであり、自身もスマートドラッグを常用していたという。
メンヘラというのは承認欲求が強く、メンヘラのコンテンツ化は功を奏した。
その中心人物ともあれば、当然のことメンヘラ女子を食うなんてことは容易かった。彼は多くの女性と関係を築いた。
彼の築き上げたものは徐々に露出も増え注目を浴びた。その道程は順調に思えた。
男と交友の深かったメンヘラの女性が人間関係のもつれから自殺をしたのである。飛び降り自殺だった。
彼女は独特の感性と文才を持ち合わせ、自身をコンテンツ化する能力が非常に高かったため、男の作ったコミュニティの中心人物となった。
飛び降りる直前、彼は女性と通話したという。これから死ぬという女性に彼は「死ぬな。生きろ。」とは言えなかった。
それ以降彼は彼女の幻影に苦しむことになる。夢に彼女が出てきたり、高いところを見ると自殺願望がでてきたそうだ。
自殺者に後ろ指をさして、「私も自殺願望あるけど、あんなふうに人に迷惑をかけるような死に方はしない」とか言ってる「自殺志願者」がいて笑える。
くっだらねえ。どうせお前の遺体の処理だって誰かがするんだよ。
「誰かトラックで轢いてくれないかな」とぼやく人もいる。それむしろメーワクでしょ。だって、運転手を犯罪者に仕立て上げることになるんだから。
飲酒運転や通り魔殺人のニュースを観て、「私が代わりに殺されてあげたかった」なんて言う人もいる。そんな簡単に「誰かの代わり」になんて、なれるわけがない。
その、犠牲者を安易に「かけがえの『ある』存在」にしようとする思考、もう目も当てられない。
自分もそうやって事故や事件で死んで、「自殺を選ばなかった強い人、罪もないのに事故や事件で命を落としてしまった可哀想な人」になりたいってだけなのだろう。
それってとても傲慢じゃないか。
先日、クリエーター系の友人と東日本大震災が与えた影響について話した。影響と言っても創作界隈に関する話に限ってだ。
一応、立場を明かしておくと僕ら二人はどちらも震災による被害(計画停電を含め)は全く受けない地域にいた日本人だ。
友人曰く「311」がクリエーターの精神に与えた影響は凄く大きくて、震災前、震災後で明らかに作風が変わってくるであろうし、時代を分けるべきだ、とまで言っていた。
友人の言うところによると、震災や津波や原発事故はまさしく震災前に想像された世界の終わりであって、SF作品が書いてきたものだった。しかし、現実には世界は終わらなかったし、被災地以外では何一つ変わらない日常が続けられていた。そのことでSF作家というのは衝撃を受け、あの程度で世界は終わらない、と彼らが描く未来というのは決定的に変化してしまった……、まあそのようなことを言っていた。
その友人は震災というのを大きく受け取っていて、震災の当日や原発爆発の映像、連日の報道は「世界の終わり」に感じられたそうだ。津波の動画を見て涙を流した、と言っていた。
僕はまったく逆で、震災を小さく受け取っていた。友人の前ではそれに同調するように悲しいことだったよね、怖かったよね、と僕は言っていたけれど、内心は違った。僕はあの大震災にドラマを見ていた。僕にとって震災はエンターテイメントだった。最高に楽しく、ドキドキとわくわくの非日常を提供してくれる見世物にすぎなかった。世界の終わりなんて微塵も感じなかった。次の日も普通に日常が続いてたからね。動画を見て涙を流すという感覚が分からなかった。当事者以外にとっては対岸の火事だろうと思った。まぁ、こういうのはサッカーの日本代表が負けて泣いちゃう感覚と似ているんだろうと思う。僕の友人はそういうスポーツとかに感情移入するタイプだったから。僕にはスポーツを見てるだけの面白さがわからないので、津波動画で涙する感覚もわからなかったけど。
初日に津波が全てを洗い流したところに言い知れない高揚を覚え、原発が爆発している動画を見て思わず破顔した、これからこの国がどうなっていくのだろう、という期待感があった。ネットはお祭り騒ぎで、日本中がニュースにかじりついて浮き立っていた。その雰囲気を楽しみながら僕は極めて健全にコンテンツを消費していた。それには、どうせ僕には関係ないという、あくまで観客としての視点があった。僕と友人は被災地にはいなかったという環境は同じにも関わらず、こうも受け取るものが違っていた。友人はどこまでも日本人としての当事者意識があったのかもしれない。僕には日本の遠い一地域であった非日常な、それも歴史的にも珍しい10年単位でしか見れないだろうというようなビッグイベントとして見ていた。
その後は日本人と政府による茶番劇が始まって、この国はもう根本的なところで駄目になっているんだなとせせら笑って、楽しんでいた。そしてこのつまらない日常が帰ってきた。残ったのは日本という国に対する絶望だけだった。そういう意味で、震災は確かに影響があったかもしれない。直接的な影響なんてせいぜいFPSに水浸しのステージが増えたぐらいにしか感じられなかった。
震災はエンタメだったなんて言えば、人格を疑われるだろうからきっと言えないし、おそらくこのような考えを描いた創作物というのは10年経っても出てこないだろう。僕も自分の作品の中でこんな話はおそらく持ち出さないだろう。クリエーターの端くれとして、この感情を創作に取り入れたい、面白いとは思っているけれど、絶対に世に出せないだろうし、出しても正義感の強い方たちに袋叩きにされてひどい目に遭うだろう。それどころか、少なくとも2011年から5年ぐらいは震災を『ネタ』((題材、あるいはインスピレーション、元ネタ、設定の一部としての利用、様々な意味で))にしたエンタメ作品(ルポや感動の復興物語!以外の作品)というのは不謹慎だというので作られないだろう。だから、友人にはそのようなことは一切言えなかった。僕は情の深いふりをして、この場面に僕も胸が引き裂かれるようだったと言った。
創作に携わっていた人間なら、あるいはもっと広く、コンテンツを提供している人間であれば誰しもが、あの震災はネタになると確信したに違いない。現にどこかのアフィサイトの管理人だかが上手いこと震災でお金儲けしていたし、投資家や会社員だって、あの震災を利用しておいしい思いをした人は多いはずだ。とあるポンプ会社の社員は、震災の復興需要で業績もいいよと嬉しそうに僕に語ってくれた。あの一大イベントに皆が興奮していた。メディア関係者も視聴率にニコニコして、震災を報道するとき、歴史に残るような大きな出来事に携わり、自分が業界に入った理由を思い出しながら、使命感と臨場感、そしてちょっぴりゲスな気持ちでわくわくしていたはずだ。東北を救おうと盛り上がっていた皆が、日本の団結するときだと、あの雰囲気に、非日常に酔っていたに違いない。不謹慎なネタをネットに書き込み、他方でニコ生で電気をつけてる配信者に電気消せ、pc消せ不謹慎だろ、と書き込んでみたり、そうやって楽しんでいたはずだ。
僕はあの震災で絆だ、不謹慎だなどと喚き散らしたこの国の人々にもう何の愛着も沸いていない。元からそんなものはなかった。愛国心や愛郷心なんて一度も持ったことはなかった。これは僕だけじゃないはずだ。
さあ、もう一度、来てくれ。今度はこの国を吹き飛ばすぐらいに大きな地震を僕は待っている。
滅ぼそうぜ、世界。
あなたは正義感の強い人で、僕は確かに間違っているかもしれませんが、死ねとか言ったり人格否定するのはやめてください。上でも書きましたが人前では常識的な対応をしてます。事件現場で写メとかとりません。たぶん、この人たちと僕は理解しあえないんだなぁと思いました。
この国が吹き飛ぶぐらいの地震が来たら僕も喜んで巻き込まれますよ。もちろん、被害に遭ったときは泣き叫ぶかもしれないし、恐怖に震えるかもしれません、でもそれは僕が自殺願望を持っていたとしても、殴られれば泣いてしまうし、ナイフで脅されれば怖くて動けなくなるのと同じことなんです。実際に遭遇したときの反応と、願望は全く別のところにあると思います。夢を見すぎているかもしれませんが、全てが崩壊した退廃的な光景というのを生で見てみたい、この国なり、世界が滅びる瞬間が見たいっていうのは、現実的かどうかは置いておいて、多少願ってる人もいるんじゃないかなぁ、と思っていたんですけど、世界滅ぼそうという賛同は全然得られなかったのでした。
僕一人じゃなくてよかったーと思いました。
今後の参考にさせていただきます。皆様のクリエイティブな人生を心よりお祈りしております。
911に触れてる方、鋭いです。残響のテロルを見終えた後、911をネタにするなとマジギレしてる人を見て、創作に使って何が悪いと思ったのが、この記事の発端です。阪神淡路大震災はエンタメ的創作物でたまに見かけるのに、東日本大震災がネタになってはいけないのはなぜか、とか事件はいつからネタにされてよいのか、東京マグニチュードが震災後、自粛され扱いが変わったこと、ピングドラムもモチーフにサリンや酒鬼薔薇なんかを使っているが好意的に受け止められていたことなどを友人と話しているうちに3.11が創作に与えた影響という話に辿り着きました。
ほんとは個別で拾ってみたいブコメもあったのですが、慣れてない上に長くなりそうだったのでこのへんで。
ロバート・エドウィン・ピアリーは、その生涯をかけて北極点到達に挑んだ探検家。
幾度もの失敗の中、彼は凍傷で足の指8本を失うが、1909年、西洋人として初めて北極点に到達した。
自らの死に向かって突き進んでいるとも思える彼ら探検家を、常人は、ただの自殺願望者と理解を示さないだろう。
ただ少なくともオレには、彼らは「死ぬ」ことを含む「生きる」自由を叫んでいるように見えた。
それに比べて今のオレはどうだ?
安心・安全・保険・保障…生レバー一つも自身の責任と選択で食うことを許さない国に生まれ、過剰に擁護され、片時も「死」を意識させない環境に育ち、いったいどうやって本来の「生」を感じろというのか?
もういい。
何となく思いを巡らせるような時、
通勤の時やぼーっとしている時、
私の思考の行き着く先は大体3つだ。
「死にたい」
「XXに会いたい」
「死ねばいいのに」
改めて文字にして眺めるとひどいものだ。
まず「死にたい」。
これはこれから何かを始めなければならない状況で出てくる。
例えば仕事に行く前とか、人に会う前だとかに自然と口をついて出てくる。
そして「XXに会いたい」。
これは何かをしている途中で、投げ出したくなった時に出てくる。
本当にXXに会いたい訳ではなくて、逃避したいだけ。
次に「死ねばいいのに」。
これは過去の事を思い出して、嫌な気持ちになった時に出てくる。
死ねばいいと思っている対象は自分だ。自分の言動を振り返って、
「私なんか死ねばいいのに」と思う。
どれも真剣にそう思っている訳ではない。
私には今のところ自殺願望は全くないし、
「どうやったら幸せになれるか、うまくいくか」を
しつこく考える方だ。
問題は、私の考えがここに行き着く時、私は実際には何も考えていない、という事だ。
そして上記のフレーズが「思考停止」地点なのだ。考えているようで何も考えていない。
しかし考え癖が暗いのだ。
こういうのが根暗と言うのか。
なんとかしたい。
http://yamayoshi.hatenablog.com/entry/2014/05/10/000117
自殺する人は弱い
http://grshb.hatenablog.com/entry/20140510/1399711443
たぶん、俺のような考え方の人間は少数だろうから、べつに同意を求めるつもりはない。
けど、こんな風に考えてる人もいるよってことを、とりあえず伝えておこうと思う。
俺は自分の死が楽しみで仕方がない。
もう子供の頃からずっと。40も過ぎて、嫁も娘もいるいい大人だが、この想いは変わらない。
人生が嫌になったとか、そういうのは特になく、我が生を精一杯謳歌してるつもりだ。
ぶっちゃけてしまえば、自殺願望も少なからずある。早く死んでみたい。
やり残したことだとか、家族のことだとか、そういうのを差し置いても、機が来たら自殺しちゃうかも。
俺が不思議なのは、生と死を完全に対立したものとして捉えてる人が多すぎることだ。
いや、べつに宗教的な話をしたいわけじゃない。
人生が楽しいから死にたくないってことをよく聞くが、俺からするとなんでそうなるのか分からない。
生きてる内は思い切り楽しむ、自分の死の瞬間もわくわくしながら待つ。
べつに矛盾はしないし、もしも死の先があるのならと思うと
まあ、死後の世界がなくても、ただ無に還るだけでも、べつに構わないんだけどね。
それでも、もしも死後、人間の魂?的なものがあったとして、それがどうなるのか。
それが分かるような日が来たら、俺は機を見て自殺しちゃうかもしれないね。
もしも天国なり転生なりがあるなら、そんな面白そうな場所に行きたくないわけがない。
片道切符だけど、人生で言えばせいぜい日本からアメリカに移住する程度のことだよ。
それが面白そうなら、家族を置いても、周りを悲しませてもべつにいいかな。
自分勝手なのは分かるが、俺は好奇心を抑えきれるような人間じゃないしね。
まあ、俺にとっての死はこういうもの。
自殺したら地獄へ直行なんてパターンだと、さすがに俺も嫌だし、可哀想だなとは思うけど。
たった一度きりの人生が大切なのは分かるけど、ちょっと大切にしすぎな人が多すぎる気がする。
弱いとか強いとかどうだっていいじゃない。
根底にあるのが良い人生を送らなければならないっていう、そんな強迫観念染みたものまで感じる。
周りが悲しむのも大いに結構。
電車に飛び込むのは迷惑が掛かり過ぎる上に、飛び込んだ友人の葬式で顔の一部を除く殆どが布で覆われてたのを見たからヤだ。
飛び降りも同じ理由から却下。というか、ひっそりと死にたい。練炭やガスとかは二次災害が起きる可能性がある。
樹海は普通にいってみたいけど、死ぬ間際でおなかすいて寒いとかヤだし。誰かに見つかったりしたときめんどくさそう。
首吊りは理想に近いが、糞尿が垂れて部屋が汚れそう。下にブルーシート敷けばいいかもしれないけど匂いがひどそうだ。
睡眠薬をしこたま飲んで眠くなってきたら、布団圧縮袋みたいな厚手のビニール袋におむつの中身とか乾燥剤をいれたやつに入って閉めて寝るとか。
大家さんには迷惑かかるけど、暫くの処理費と何年分かの家賃は封筒にでもいれて遺書と一緒に置いとけばいいかな。ボロアパートだしそれでなんとかなりそう。
そもそも寝ているときに窒息死って出来るんだろうか。苦しくなって起きるとかヤだな。
戦争ものとかで、突然、特殊能力に目覚めたキャラが敵を圧倒的な力で全滅させたあとに、守られた側が「化け物」とか呼んで非難するシーン。
なんで自分よりも、自分の集団全ての戦力よりもはるかに強い力を持つはずの存在を表立って非難できるのか理解できない。
たしかに目の前に居るのは自分たちとは違う存在かもしれんが、普通に考えたらちょっと気が向いたら自分たちを皆殺しに出来る存在を刺激するとか全く理解できん。
それまで敵の力に屈服して生殺与奪を握られていたはずなのに、なにをどう考えればあの行動になるのかわからん。
単に力に屈しないとかの強い意志で行った行動ならばまだしも、なんとなく怖いから攻撃するって自殺願望の発露にしかみえん。
だれかこの行動に合理的な理屈を付けてほしい。陰で非難するのなら理解できるんだけど、なにがしたいのかわからん。
というか一度くらい、そこで腹いせに街ごと滅ぼして、住民が泣き叫びながら後悔するシーンとかみせてほしい。
664 :ソーゾー君:2013/12/01(日) 20:47:23 ID:R1w85J8c
国を売ると言うとんでもない大罪を犯してるんだぞ?覚悟しとけよ?
唯一の味方=仲間=同胞の歴史も伝統も文化も努力も財産も命も未来もお前達は売るんだろ?
そんな出涸らしのお前達を新世界秩序の連中=欧州の銀行家が重要視すると思ってんの?
売国奴は国を全て売った時に罪人として裁かれて殺される。
そうしなければ次の時代は訪れない。
利用されてただけと気付いて矛を探してもねーぞ?兵士?護衛?国を売ったお前に有るわけねーだろ?
売られた国民は買った欧州の銀行家の私兵としてお前達を狩るんだよ?
国を売る=力=権力も売ったのよ?何もないよ?
欧州の銀行家はお前達が欲しい訳じゃないの・・国=国民=力=権力が欲しいのよ?
少しは立場を理解しろよ・・お前達も大なり小なり努力して今の地位を手に入れたんだろ?
「何で苦労して手に入れた物を二束三文で売り払うの?」
だから俺はお前達を「愚か者」「とか「自殺願望者」と言うんだぞ?
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/movie/10043/1378650618/l50
本当に生きるの死ぬのという深刻な話ではなくて。
たまに己の醜さや愚かさ、無能を直視する出来事があると、自己嫌悪が募って死にたいような気分になるってこと。
深刻な自殺願望ではなくて、一種の逃避であり、「自分がこんなにダメな人間とは認めたくない」という否認なのは分かってるんだけどね。
逃げ出すと死にたい気分は消えるし、留まっても暫くすれば回復する。
まあ結構誰でも(とまでは行かなくてもそれなりに多くの人が)感じる現象だと思うんだけど、問題はそう思うような事態が週1ペースで発生するってことで…。
逃げてばかりもいられんし、気の持ちようと分かっていても暗黒な気分を耐えるのも辛い。
けど、自分を謙虚に見つめようとすればするほど、傲慢だった時期には気付かなかった欠点に余計に気付かされていく。
要は、もっと若くて柔軟な時期に、自分の実像と虚像の差を認識しなかったのがいけないのよね。
はあ。