はてなキーワード: 従業員とは
管理職・役員は「従業員」ではないので業務についての話なんてこと自体するのがナンセンスなんですよ
仕事をさせてる側としてもらってる側として契約上対等の立場ですけど担っている事が違う
お客さんと店員は同じひとつの商品をはさんで対等な立場だとしても役割が全然ちがうようなもの
ほしい商品をレジにもってきて、それについてどれだけの価値があるか店員さんに熱弁しはじめるけど、店員さんが欲しいのは現金
どんな内容かは知らないけど会議の発表らしきものをしはじめるけど、役員に必要なのは裁量権を行使する材料の情報
10数年前のことだが同和に触れることがあったのでここに書いてみる。
東海地方、中部地方にも入れてもらえないことがある県から大学進学を機に関西へ、そのまま播州地方にて就職した。就職先は会計事務所。
言葉遣いが荒い人らだな、と思いながら働くこと3年、働きながらだと資格取得がままならないこともあってそろそろ転職して地元に帰ろうかと考えていた時期だった覚えがある。ある時、税理士である所長が所轄の税務署に呼び出された。足が悪い人だったので、運転を職員に頼むのだけどその時は自分しかいなかったため税務署に送っていき、ついでに集まりの場にも参加することになった。
税務署にはその地区の税理士が全員集まっていた。税務署長から税理士へとある依頼するために集めたことが述べられ、その依頼内容は以下の通り。
・現在(当時)皮革産業に従事する業者からは適正に税務申告が行われていない。(同和利権で地域の税理士においては周知の事実)
・皮革組合が全業者を取りまとめ作ったなめし革1枚いくらで所得税、消費税を申告しており、相当低く税額を抑えている。
・それに対して適正に税務執行がなされていないため、これを今後3年間で適正化する。従業員の源泉所得税、個人の贈与、相続税も同様である。
・税理士の方々は3年間で各業者に記帳指導を行い、適正な税務申告を行えるようにして欲しい。
・まずは見せしめ的に(ここまで露骨な表現はしていないが)事業規模の大きい業者2人に税務調査に入った。その修正申告額は数千万円である。
この後各税理士の事務所規模に見合った業者数が割り当てられ、自分が勤めていた事務所には加工業者も含め7,8人が割り当てられた。
ここで「人」としているのは節税を考える必要がないため、全業者が個人事業者だったから。
帰りの道中で所長から聞いたが、この辺りで皮革産業に就いているのは全員同和。今は下水道が整備され多少匂いが消えたが、かつては非常に匂いがきつく、それもまた差別の一因になっていたこと。市内のとある地区は大きな家ばかり建っているが、そこに同和地区の人々が住んでいること。この辺りの幹線道路沿いの土地の多くは税金を優遇され蓄財した同和地区の人の所有であること。基本的に金持ちであるため、そこも余計に差別が固定される要因ともなっていること。
他に、ある程度偏見は無くなったが、同和以外の人はその地区の人との交際は未だに反対される。数年前まで放課後に同和地区の小学生は別途集められ特別授業があったこと。(内容は不明)
インターネットでもこの辺りの話しは出てこないので記録として残す。
分からないところの事情を知らないまま顧客対応するとかってのが一番ストレスが溜まるわー!
もうさ
まあ言ったところで仕方の無いことなのかも知れないけれど。
こんなピリピリした仕事ってそうそう毎日やってたら精神もたないわよ。
そう思わない?
あとさ
大きい会社とかまあ大きくなくとも
社員が病欠で休むか休まないかって案外もう天に運を任せる感じなのかしら?
この人が休んでも大丈夫なように
バックアップ体制をとって人員のいないところは少なくて大変よね。
あと
自分のやったことに対しての非があるなら誤るのも本当に申し訳ないと思うけど、
そこもストレスが溜まる一方なのよね。
こんなことばかりを言っていても仕方ないので、
パット終わらせたいところよ。
まったくよね。
このやり場のない矛先をぐるーっと回してぐるぐる回るような輪っかを作ってくるくる回して遠くに投げ飛ばしたいわ!
まあ今日も頑張るわ。
うふふ。
元気いっぱい頑張ろうと思って大好きなタマゴサンドに使用と思ったけど
あいにくの売り切れに涙したって言うのは
もうデスクの前でコーヒー吹いた!って言うほどウソって言うのは分かっているだろうけど、
そのぐらい悲しかったわ。
なんか重たそうだったので
これでも食べて元気だすわ!
今日を乗り切るために!
それを冷えた冷えウォーラーに浮かべてレモンウォーラーってところかしら。
夜涼しくなってるのかどうだか分からないけど
いったいどうなのかしらね?
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
日本社会には「良いものを安く売ることが良いことだ」ということを美徳だと感じている人たちが多いと思う。
しかし良いものを安く売ることは、その良さを減じている。良いものとは高いのである。良質なものは珍しいことが多く、手に入らないから高いのだ。
良いものを作り安く売ることで、作り手には何が入るのか。名誉である。
良いものを安く売ることで「あの人はいい人だ」「できた人だ」「立派な人だ」という称賛を浴びることができる。
逆に、買い手はその安さのかわりに称賛を売っているのだ。
もし良いものが価格に十分見合ったものだったらどうだろう。買い手は「こんなものか」「そういうものだろう」「なぜ感謝しなければならない」「正当な対価である」と感じるのだ。称賛などしない。
「良いものなのに安くする」というのは、自信の無さの裏返しである。高い値をつけたときの罵倒に耐えきれないから、その自信の無さが値段に出るのだ。
「でもみんなに提供するためにこんな低価格でやっているんです」と言えばみな納得する。「そんなに安いならしょうがない」「こんなに安いのにうまい」「こんなに安いのに高品質だ」という評価になる。
その頑張り、その苦心がいっとう評価される。買い手は安くものが手に入って満足する。素晴らしく理想的な物語である。
しかし良いものとは高くなるべきなのである。本来もっと価値があってしかるべきである。そういう売り手と買い手だけが存在する一商品のクローズドな市場ではなく、世の中には別の市場もある。世界とは魑魅魍魎が跋扈する極めて不安定な世界であり、小さなクローズドな世界とは性質が完全に異なる。その別の市場での価値からだいたいいくらぐらいになるのかを知っているのが転売ヤーである。
転売ヤーは基本的に悪である。買い手からすれば、「手に入るハズだったものが、欲しくもないヤツに目の前でとりあげられて、ニヤニヤされるムカつき」を味あわされる。
そうして「どうせ手に入らないなら手にした者が破滅すればよい」というルサンチマン・すっぱい葡萄の合理化から、転売ヤーが敵視される。
これは自然な感情であるので、転売ヤーを擁護することはしない。転売ヤーは大人しく罵倒を受けていればよい。
売り手からしても、転売ヤーは名誉をかっさらうモンスターである。自分には人徳があり、美徳を重んじたために、その対価として名誉を得られるはずだったのに、転売ヤーは購入しても売り手に称賛など送らない。したがって売り手も転売ヤーを敵視する。顧客が高い金を払って転売ヤーから買った場合、顧客は称賛など一切しないからだ。
これも自然な感情であるので、転売ヤーを擁護することはしない。転売ヤーは大人しく罵倒を受けていればよい。
そう。悪いのはすべて転売ヤーである。転売ヤーは徹底的に悪である。
しかしその罵倒のメカニズムもまた、市場経済に組み込まれている。転売ヤーは、罵倒されることで、金銭的な利益を得ている。
一方で売り手も買い手も、適正な価格というものを理解していない。売れるならば、それで手に入るユーザーが少なくなっても高くしなければならない。それが適正価格だからだ。
この適正価格では、名誉の売買などされず、感謝はない。単なる正当で公平な取引である。もちろん「価格以上のものを売る」というピュアな精神自体は素晴らしいものであり、経済を推進させるために重要なものだ。
買い手の「高くて買えない」「高いなら買わない」という思想は、資本主義を悪とみなし、みんなが平等に貧しくなろうとする清貧な思想につながる。
結局のところ「そこまでして欲しくはない」のだ。「そんなに高いのならいらない」のだ。適正価格よりも安くすることで、本来手にとれないはずだったユーザーにまで裾野を広げ、そして人気と称賛を得る。
安いのだから、責任は負いたくない。どこまでいっても、最後の最後で「だって、こんなに安いのだからしょうがないじゃないか」という言い訳を作ることができる。
だから成長しない。
適正価格よりも安くすることで、従業員の給料なども安くなる。取引先にも「安さ」の圧力をかけ、よりものを安く安くと要求する。「いいものを安く」とは聞こえがいいが、「安くなければまともに買ってもらえない」「安くなければ称賛などされず対等だと思われてしまう」ことを知っている。
「高いけど買う」「買うために稼ぐ」「ほしいものを手に入れるために戦う」という思考にならなければならぬのだ。
日本はこの「名誉」とその逆である「恥」を子ども時代から徹底的に教育されている。「嫌われること」「排除されること」「村八分にされること」を必死で恐れている。
現代日本で起こっていることは、名誉の価格が下落しているということだ。名など腹の足しにならず、名を取っていると死ぬときが来たのだ。しかも、名のため他人のためにどれだけ自己犠牲を払っても、他人はそれに見合った称賛をくれはしない。名を贈る余裕がなくなった。いよいよそれが耐えきれなくなったときに日本人の感情は爆発する。「実ばかりだけでなく、名も無いぞ」と。
誉や称賛を重視して、良い人であろうと、純粋であろうと、潔癖であろうと、善良であろうとするから、転売ヤーを敵視するのだ。実際には血塗れで強欲で禍々しいはずなのに。
実際には、転売ヤーだけが悪なのではない。売り手も買い手も悪なのだ。その悪を直視せず、小さな世界だけで完結しようとして、己と異質の黒船民族を排除しようとするのは、尊王攘夷と何が違うのか。江戸はもう終わったぞ。
いい加減「いいものを安く」はやめろ。良いものは高いのだ。高くしろ。プロであるならば。感謝や称賛など求めるな。
ダンピングしてお手軽に名誉を獲得しようとする輩は、徹底的に糾弾し、より合理的・徹底的に搾取しなければならない。それが全体のためにふさわしい。
まかない料理って、本来は料理人や厨房の人達の為の食事だったはず。
残り物や、野菜の切れ端、肉や魚のお客には出せない部分を調理したり、
若い料理人の訓練(修練)としてまかない料理を作らせることが目的だったはず。
それに対して「行政が間違ってたんだから一方的に送り付けるんじゃなくて、一軒一軒謝罪して回れよ」みたいな意見が平気で出るし、それに対して「その謝罪回りの時間も税金なんだよなぁ」というツッコミに対して「ミスなんだからその分の給料は当然なしだろ」とか平気で言う。
あのさぁ、これが一般企業でお前がなんかのミスをしてそれのリカバリしなきゃいけない時に
「お前のミスなんだから朝まででも残ってやれ、当然残業なんかつけるなよ」
仕事やってたらミスは起こるし、ミスのリカバリも当然仕事内容に入ってんだよ。
その分も含めて給料って払われてんだよ。
少なくない日本人って自分が給料払ってやってると思ってる公務員に対してすげーブラック気質で
そもそもその自分が給料払ってやってるってのが勘違いなんだけど、
なんかよくわからんけど仕事してないっぽいから給料下げろとか平気で言うじゃん。
こいつ何の仕事してるかよくわからんから給料減らしてええやろとか、
よくある話だけど、私は主任という肩書がついていて、会社側は「管理監督者」として休日や労働時間に関する規定は適用しない…としている。
① 当該者の地位、職務内容、責任と権限からみて、労働条件の決定その他労務管理について経営者と一体的な立場にあること。
にあてはめて考えると、まず、管理監督者には該当しない。
法的理論武装して、本当に労基署に持ち込んで問題化してやろうと思いながらもう5年程度たっているのだけど、こんなに時間がたつと黙認、許容したとか見なされて逆転できんのかな。
従業員100人くらいの会社でエンジニアやってた嫁(Fラン一歩手前の都内私大卒でTOEICスコアが勉強してない高校生並みに低い)が、世間は知らんがはてな民なら皆知ってる某外資系大手コンサルに中途で受かった
本人曰く「なんで受かったのか分からない」とのこと
やがて、
「高身長女性の割合が異様に多い(嫁は身長170cmあるが自分より背高い女性はゴロゴロいて、そんなコミュニティは人生で初めてだそうだ)」
と気づいたらしい
それを聞いて俺は、一流企業でも女性の総合職にルッキズム採用やっているのではと疑うようになった
そしてその要素は、
かつてJTCで定番だった「お嫁さん候補や社内キャバ嬢候補として採用するから顔がとにかく大事」というルッキズム採用ではなく、
が大切な要素になってるのではないかと思っている
「日大のドン」田中英壽前理事長の哀れな末路…取り巻きは消え、子持ちの中国人女性の言いなりに…亡き妻の身内と金銭トラブルも
8/18(金) 9:34配信
巨大組織の頂点の座から滑り落ち、次々と人が離れていった。絵に描いたような転落劇だが、苦境の田中氏を支える人物が1人だけいるという。田中氏をよく知る別の日大関係者が明かす。
「田中氏は、若いころから支えてくれた奥さんが亡くなり、意気消沈の様子でした。ところが、奥さんが亡くなって1ヵ月もすると、40代の中国人女性が阿佐ヶ谷の自宅に居座るようになったのです。
実はこの女性、10年以上関係がある子持ちの愛人です。水商売風の美人で、奥さんが健在のころは、田中氏が用意した新宿のマンションに娘と住んでいました。田中氏は体調面で問題を抱えておりますが、この中国人女性が身の回りの世話をしています。しばらく自宅で静養していましたが、現在は避暑のため2人で仙台に滞在しているようです」
女性には頭が上がらない
この女性は阿佐ヶ谷でも目撃されており、近隣住民の間では「田中さんの世話をしている謎の中国人」として認識されていた。日大関係者は続ける。
「『ちゃんこ料理たなか』の従業員との退職金トラブルの話は私の耳にも入っていますが、支払わないと決めたのは中国人女性です。脱税で逮捕された田中氏ですが、素顔は相撲部屋の親方そのもので、気前のよさもありました。少なくともケチではありません。しかし、中国人女性の意向に従うしかなかったのでしょう。
理事長時代の田中氏は学内では敵なしの存在でしたが、面倒を見てもらった奥さんには頭が上がらず、いつも『ママ』『ママ』と頼りっきりでした。財布にしてもしっかり者の奥さんに握られていました。
奥さんの亡きあと、いまは身の回りの世話をしてくれる中国人女性の言いなりです。田中氏は自分の名義ではない不動産をいくつか所有しているという話もあります。女性の存在を知る学内の関係者は、『いずれすべてむしり取られるのではないか』なんて揶揄しています」
哀れな末路とはこのことか。