はてなキーワード: 小切手とは
マスターキートンがドナウ川の1点を発掘したいと言う夢を語る会。
がっかり俺も見される衣装がそこにはギリシャローマにもすごい文明が存在してだと思うんです。
ロッセリーニはわずか5分間300秒の間にいってん5キロ乗るが上好渡小切手を届けたことになるこれはボタンもちろん伝書鳩でも不可能な掃除である。
ウィルヘルムてる。スイスが長年独立を維持できたのは国民の中に輝のような平和いたからではなかった確かに千尋たちは勇敢でしたしかし真の理由は山ばかりのこんな時は周辺諸国が必要としなかったからなんです。でも無理を持てると言う夢が叶の水素気づいたのも事実なんです。ここみは今でもウィリアムテル本気で尊敬している。この国がヨーロッパで最も頭ん楽になったもつまるところこの夢のかけなんです。
ウィルヘルムてる。スイスが長年独立を維持できたのは国民の中に輝のような平和いたからではなかった確かに千尋たちは勇敢でしたしかし真の理由は山ばかりのこんな時は周辺諸国が必要としなかったからなんです。でも無理を持てると言う夢が叶の水素気づいたのも事実なんです。ここみは今でもウィリアムテル本気で尊敬している。この国がヨーロッパで最も頭ん楽になったもつまるところこの夢のかけなんです。
これが私の夢だったんだろうか子供の頃に実はどうしてしまったんだ私はいつか人々のために無償で何かしなければならないと決心したのではなかったのか。
そして私は夢を話しましたこれが私のバラ色の人生なんです人生を賭けるに値するのは夢だけだと思いませんか?
ちなみに先程の1.5キロメートルを10分でと言う話はもちろんウィリアムテルの5輪に習った弓矢の要領で飛ばすと言うことです。
★★☆☆☆
3巻7話。
オッサンが事故に巻き込まれ、今度はオッサンに輸血が必要になる。
社長は、飛行機で飛び立たんばかりの状況だったときにそれを知らされ、
意気消沈してメシを食っていた社長にオッサンとBJが駆けつけ、
BJはこないだの手術代のツリといって4990万円の小切手を置いて去る。
メインの人物がみんな善人で、すごく安心して読めた。
でもその分とがったところがなくて印象に残りにくい。
ラスト、二人で肩を抱き合って夜の街に消えていくのをBJはどんな思いで見つめていたんだろ・・・
上と下ってのは、片や高層ビルにテナントを持つ社長、片や工事現場の作業員っていう住む世界の対比、それと社長といち作業員っていう地位の対比とかそんな感じか。
なにいうとる バカとネコは高い所が好きだちゅう コトワザがあるよ そういうもんじゃ
私は こないだの 手術代のツリを 持ってきただけだ
人の世話なんか まっぴらだ あばよっ
古和医院
ピノコ愛してる
六等星
二度死んだ少年
焼け焦げた人形
アリの足
えらばれたマスク
友よいずこ
めぐり会い
白いライオン
シャチの詩
二つの愛
幸運な男
上と下
その子を殺すな!
閉ざされた三人
ある教師と生徒
万引き犬
奇胎
からだが石に…
ダーティー・ジャック
自己申告でとりあえず回しておいて、後から齟齬が出たら事後的に修正する、ってシステムなんだよ。
例えばこないだ小切手を何枚か窓口で預けたんだが、預けるときに合計額を自分でdeposit ticketというのに書いて出すのね。で、窓口の人はちらっと小切手の宛名を見るだけで、預金額についていちいち小切手の金額を精査して計算したりしない。こっちが記入した合計額をコンピュータに入れてレシートくれておしまい。
もちろんここでの預金金額は「仮」で、使途がある程度制限されるんだけどね。小切手が巡り巡って最終的に帳尻が合った時点で制限が外れる。
そういや預金通帳も自分で記入するんだよ。そんで毎月銀行からステートメントが送られてくるからそれと突き合わせる。矛盾があればクレームして直させる(向こうのミスが時々ある)。基本的に小切手ベースだし、現金絡む場合はレシートを取っとけばトレースできるからね。
「キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン」って映画観たことなければおすすめ。小切手の電信認証システムが整備されたのって結構最近。俺がアメリカ来たころはまだ小切手の現物が相手銀行に送られてそこでクリアされる、ってことをやってた。
本人も書いている通り、これはクレジットカードのことを書いた記事ではなくてブロガー批判の記事だけど、それはともかく。
海外生活の経験として、日本でカード決済が根付くのは難しいと感じたが、その理由を書く。
という感じなわけで、こういう文化もないのにクレカが十分普及しているという韓国のほうがちょっと異常だと思う。日本の通常の生活を考えると、
http://anond.hatelabo.jp/20150410101845
エウリアンにはついて行くな
秋葉原などの繁華街で絵葉書を無料で配っているお姉さんたちがいる。
しかし、ついうっかりお姉さんから絵葉書をもらってはいけない。
言葉巧みに画廊へと連行されて、気が付くと大して価値もない絵(というか版画)を、何十万ものローンを組まされて買う羽目になる(絵画商法)。
エウリアンにも新社会人にも全く興味はないんだけど、版画への冒涜は許さん。
君が代に過剰反応する左翼のように、どんな文脈だろうと、どんな事情があろうと、版画をdisられるとプッツんしてしまう。
エウリアンの売る版画というものがどんなものか知らないけれど、これだけは言える。
生でみなければ、版画の魅力はわからない。
否、
触ってみなければ魅力はわからない!
断言するけど、江戸時代の浮世絵から最近の現代作品に至るまでの伝統木版画、これを見たことがある日本人はほとんどいない。
そんなものは、世界の車窓からのDVDをみて海外旅行に言ったと言ってるようなもの。
和紙の質感!どんなに拡大しても粒子が見えてこない無断階のグラデーション!摺りによって出来た凹凸!
まず、床や机において窓から差し込む斜めからの光のもとでみて堪能。
テレビ番組の映像や、窓から差し込む車のヘッドライトが絵の面を瞬間的に照らした瞬間も美しい。
入ってくる光の方向、光の種類によって、表情が変わる。
そして、やっぱり手に持って鑑賞だ。
パンツが見えそうで見えないグラビアを、下から覗いてみえないはずのパンツを見ようとする、アレを浮世絵でやるとすごい。
ちょっとだけ見える。見えないはずのところが本当に見えてくる。
目の錯覚でしかありえないんだけど、紙のたわみと、光の加減で、ときどき本当にみえてくる。
うわぁぁんってなる。
ぶっちゃけ、浮世絵美術館、あんな一般展示なんかやめてしまえ!!
額やショーケース越しでしか見れないなら、触れないんなら、カラーコピーで十分だろ!
額装やショーケースに入れる職員の目しか楽しませられないなんて、時間も無駄!文化財の無駄!
触らせないんなら燃やしてしまえ!
よさが微塵も伝わらないのに飾ってみせる価値が有るのか?
1億円と書かれた小切手を飾って見てるようなもんだろ。
医学とか物理学とかは、100年前と今では大きく違うけど、絵は、たいした進歩してないだろ?
ぶっちゃけ、1万5000年前のラスコーの壁画と、そのへんの美大生の絵のどっちが上手いかって言ったら、芸術とかよくわからん俺にはどっちが上かわからん。
でもね、印刷という技術を手に入れた、触れることが出来る!その素晴らしさ!
俺ね、江戸時代の浮世絵の価値は認めるよ、でもさ、浮世絵のいいところって、ライブ感なわけ。
絵師が描く、描いた絵は板に貼り付けられて、その上から刀を入れられて紙ごと彫られてゴミとなってしまう。
絵師の絵を活かすも殺すも彫師次第。
それから、色の指定があって、色の数だけまた彫りがあって、そんで摺師が摺って、試しに作ったものに対して、あーでもないこーでもないっていうディスカッションがチーム内でされたわけ。
色の調節をして、時に柄を変えて、セッションによって出来上がる。
売りだしたあとの、町の人々の評判さえも取り込んで、みんなが主役のライブだったわけ。
俺、音楽はよくわかんないけど、たとえしょぼいバンドの小さなライブハウスでのライブでも、有名フィルの録音にも負けない感動があるでしょう?
一番有名どころだと、北斎あたりだと思うけどね、もうね、ヤバいの。
元々が天才でしかも努力もしまくったらこうなるってやつ。努力ってのが普通の努力ってんじゃないの。
だいたいにおいて、他派の画法を学んで破門されたあたりからだけど、もう何でもあり。
大和絵も漢画も銅版画も油絵も、手段を選ばず学んでるようで、見りゃ誰でもわかるんだけど、もうホントヤバい。
すべて独学で。本読んで覚えたってより、ひたすら描いて描いて描きまくって吸収したという感じで。
貧乏の理由が、お金を封筒でもらったまま中身の確認もせず、支払いの時には「その封筒からもってけ」くらいに無頓着だったからという馬鹿。
掃除をすれば、「ここにあった蜘蛛の巣どこ行った?(描きたかったのに)」くらいの馬鹿。
誰よりも自信家で、本が売れたのは俺の挿絵が良かったからだ!と言って作者と喧嘩する傲慢な一方で、猫がうまく描けないっていう理由で80歳で悔し泣きをする馬鹿。
30回画号を変えるってのがもうよくわからん。たとえば漫画家が30回名前を変えてデビューするとかないだろ。売れっ子が新人に戻るってことだろ。馬鹿かと。いや馬鹿だよ。
そんな絵中心のわけのわからない生活を、88歳で死ぬまで続けちゃうってのがもうね。
例えば、水木しげるが週刊少年ジャンプで週刊連載をしてて、CG(北斎はコンパスや定規やらも使いこなしてるようで、幾何学や製図も知ってる様子。当然おそらく独学)を使いこなし、ありとあらゆるジャンルを書き分け(春画から、行ったことのない中国の古典小説の挿絵まで)、30回新人デビューとかしてたら、人間じゃないだろと。
で、そんな北斎の線ときたら線の始まりから終わりまで、この線以外じゃダメっていうカンペキ。筆の入り、筆の終わり、太さ細さ、もうすごい。線が凄いってわかるってことは、彫師が凄い。フリーハンドじゃアリエナイような精密で、コンパスや定規ではありえないような強弱があり、油絵なら何度でも塗れるだろうし鉛筆なら何度も消せるし、CGなら何度でも書き直せるけど、最小限の輪郭線で森羅万象を切り取ってる。
写真を目指してたんじゃないだろうか。
写真というものがなかったので、目指してたというのは変な話だけど、露光時間調節やピントズレに近い表現があって、写真を目指し、写真を超えたなにか他のステージに足を踏み入れようとしてた、ように思う。写真なんかなかった時代に。
で、それがわかるっていうのは、彫師がすげぇ。
摺師がすげぇ。
俺がこの数ヶ月で買い集めた70枚ほどのほとんどは復刻だけどさ、復刻もまたライブなんだよ。
摺る工程を見せてもらったわけ。
濃い絵の具を数種類用意するだけで、都度混ぜて薄めて版木に塗り、摺る。
なんということだと思わないか?同じものをたくさん作るなら、同じ濃度に調節したプレミックスを作っておくべきだろう?
絵師と彫師と摺師だけじゃないの。
版木を作る職人、紙を漉く職人、紙にドーサを塗る職人、絵の具を作る職人、バレンを作る職人、数えきれない職人たちのライブが木版画。
だから響いてくる!
で、ライブが存続するためには、絶えず誰かが買わないとダメなわけ。
材木から板を作る職人は消えちまったそうだよ。ただ板を平らにするだけじゃダメらしい。
バレンを作る職人も消えかけらしい。
だからさ、エウリアンが木版画を扱ってるかどうかはしらんけど、なりふり構わず売るということは少し理解できる。
俺だって、1ファンとして、こんな見苦しく匿名掲示板で見苦しく宣伝してるけどさ、どうせ中の人だろ、ステマうぜえって思われてるんだろうけど。
日本中の浮世絵美術館が燃えることより、職人がいなくなることのほうが損失はずっとずっとずっとデカいんだよ!
復刻浮世絵なんて一万円そこそこで買えるんだよ!
数万円となった山桜の版木を何枚も使うわけだし、キャリア何十年の職人が一月かけて彫るだけで、いくらの人件費だ?
キャリア何十年の摺りの職人が、今では手に入らない材料で自作した絵の具で、人間国宝が作った紙に摺る。
一枚200枚やそこらは売れないと滅びるだろ。
お願いだから買ってやってくれよ。
俺がビルゲイツだったら、もっと買ってやれるんだけど、安月給なサラリーマンじゃこれが限界なんだよ。
財布に入ってる1万円札、あれに1万円の価値があるのか?あんな小さな銅版画にわくわくするか?
せっかくだから文句を言いたい。
千円札の富士山わからんでもない。写真を銅版画にするなら許せる。
5千円札、2千円札、屏風絵を銅版画にするとか、絵巻物を銅版画にするとか馬鹿なの?オマージュにしたって、もうちょっと工夫しろよ。
100万円札を和紙で作れ!木版画で作れ!一枚一枚違う味があって味があるだろ!
偽造されてしまう?
偽造けっこう!本物と見紛うような彫りと摺りの技術が世界中に溢れれば、日本銀行の信用がどうなろうと、人類の幸福の絶対量は増加する!
木版画紙幣の発行は無理でも、一つの可能性として、造幣局で木版技術に関わる職人を世話してやってはくれないだろうか。
造幣局に一人くらい、材木から板を作る職人がいたり、絵の具を調合する職人がいたっていいだろう?
多少脱線しましたが、そういうわけで、ちょっとだけエウリアンを擁護してみました。
終わり。
考えてみればライブって凄いよな、芸術家って、基本的に俺が俺がじゃないか。
当然だけど、絵も彫りも摺りも極めることなんか出来ない。
それが、分業制、買う客の声も含めて、一人一人が主人公、思いがけない方向に転ぶ面白さ。
今でも、現代作家が版画にするために専門業者に頼んだりはするけれど、基本は作家の意思が優先で、作家の作品という域を出ない。
やはり、売れないことには、ちまたに溢れないことには、あれがいいこれがいいと話題の中心が木版画にならないことには、木版画に未来はない。
音楽としてどうかはわからないけど、AKBの会いにいけるアイドルという路線は、一つ評価したい。
あれが、理想の姿。
巷に日々木版画が溢れ、あれがいいこれがいいと、皆が好きに意見を言う。
町の人々の意見を取り入れ、流行の先端を走り、絵師や彫師摺師が腕を振るう。
たまらんじゃあないか。
「ペニーの一件が示した、日本で成功するには技術だけでは足りないということ」
Penny situation shows it takes more than skill in Japan
By Jason Coskrey
原文: http://www.japantimes.co.jp/text/sp20120515jc.html
先週、ブラッド・ペニーが日本を去るというニュースが出ると、一部の日本のファンは素早く、かつ過激な反応をみせた。
今となってはソフトバンク・ホークスの「元」選手となったこの投手を、ファンはツイッターで責め立てた。「デブ」「詐欺師」「第二の(ケイ) イガワ」...他にはここで書くことのできない俗悪な言葉もあった。
ペニーのソフトバンクでのキャリアは基本的には64球(6失点、自責点4)で終わった。なので、彼はそもそもこのような反応を呼び起こすに足りるほど長くチームに在籍していたわけではないようにも思える。
この先発のあと、ペニーはアメリカに戻り痛んだ肩の治療をした。その後、彼は短期間ホークスにもどり、そして退団を申し入れ、それを認められた。日本に住み、プレーすることに慣れることができなかったからだ。
「あるとき、(ペニーと球団)双方がもう道を分かつほうが良いと確信したんだ。」ソフトバンクの抑え投手ブライアン・ファルケンボーグは言った。「彼はハッピーじゃなかった。チームもハッピーじゃなかった。だからお互いに別々の道をいくことに同意したんだ。」
「これで、ホークスも前に進めるし、ブラッドも前に進める。そこにしか和解がなかった。」
ペニー以前にも日本にうまく順応できなかった選手は大勢いるし、ペニーが最後でもないだろう。ただし、多くの選手は少なくともシーズンの最後まではなんとか耐える。
このことが彼に上記のような辛辣な言葉が浴びせられたおもな理由だ。ファンは、順応できずに葛藤する選手、あるいは順応できずに辛いときを過ごす選手は許すことができる。でも、(他にいい言葉がないのだが)「逃げ去る」だけの選手を堪忍することはできないのだ。
ペニーは、他の多くのケースと同様、日本野球のレベルに通用しなかったわけではない。しかし、単に技術の問題なら、こんなにも多くの(外国人)選手が日本野球から消え去るということはないだろう。
「多くの理解が必要なんだ」二度のNPBオールスター、ファルケンボーグは言う。彼はMLBでの6シーズンののち、2009年から日本でプレーしている。
「これは独自の野球文化、すこし違った仕方で物事を行う文化なんだ。アメリカより良くはなく、アメリカより悪くもない。ただ、"違う"んだ。」
NPBのチームは(外国人)選手の技術に関しておおまかな情報を得ることはできる。でも、彼が新しい環境にどのように反応するかを知ることは、ほとんど不可能だ。
「誰が日本の環境を気に入って、誰が気に入らないか、あらかじめ知ることのできる奴なんかいないよ」ファルケンボーグは言う。
「もし、違うチームにいたら僕の日本での経験は全く違ったものになっていたかもしれない。違う監督、違うシステムだったら、僕はみじめな思いをしていたかもしれない。別の街に住んでいたら、福岡でも三ヶ月も二軍に送られることになったら、僕はみじめなことになっていただろう。」
「(日本で)成功するかしないか、日本で野球を楽しむことができるかどうかには多くの要素が関わってくる。」
二度のセリーグMVPで、今日本での12シーズン目を迎えているアレックス・ラミレスは初めて日本に来た外国人選手に、アメリカで学んだことを忘れるように常々忠告している。
これは多くの選手にとっては難しい忠告だ。うまく従うことのできる者もいるし、そうでない者もいる。
日本でやっていくには、強い精神力、忍耐力、そしておおらかな心が必要だ。試合、クラブハウスの雰囲気、言葉、食べ物、住環境、移動状況、その他多く諸々の微妙な違いに選手達は順応しなければならない。
「こっちに来て、こっちの環境が気に入らない理由は人によって千差万別なんだ。」とファルケンボーグは言う。「レストランに英語のメニューがないから、街に出てレストランに入って食べ物を注文できないことが気に入らない奴もいる。福岡では車の運転の環境を凄く気にする奴もいるね。」
「野球に関していえば、違ったやりかたで物事が行われるから、一部の選手にはそれを理解するのが、ただただ難しいんだ。」
日本での生活をうまくこなすことができずに、プレーをし、小切手を受け取り、義務を果たすや否や最初の飛行機に飛び乗って去って行った選手は数多くいる。そして、対応する能力と、環境にしがみついていく忍耐のある一部の選手がいる。ペニーの最大の失敗は、この二つのカテゴリーのどちらにも属すことができなかったことだ。物事が大変になるやいなや、彼は退団し逃げ去った。彼は(またもや)日本の野球にスムーズに移行するには技術だけでは足りないということを示したことになったのだ。
「深いところまで飛び込んでいかなきゃいけないんだ。」ファルケンボーグは言う。「『まあ、ちょっと向こうまで行ってみて、どんなもんかやってみるか』っていうわけにはいかないんだよ。本気で行って、アメリカでやるのと同じように試合に自分のプレーを捧げなきゃいけない。そしたら、こっちでの何らかの結果がついてくるんだ。」
ペニーの一件が示した、日本で成功するには技術だけでは足りないということ
Penny situation shows it takes more than skill in Japan
By Jason Coskrey
原文: http://www.japantimes.co.jp/text/sp20120515jc.html
一部の日本のファンは素早く、かつ過激な反応をみせた。
今となってはソフトバンク・ホークスの「元」選手となったこの投手を、
(ケイ) イガワ」...他にはここで書くことのできない俗悪な言葉もあった。
ペニーのソフトバンクでのキャリアは基本的には64球(6失点、自責点4)で
終わった。なので、彼はそもそもこのような反応を呼び起こすに足りるほ
ど長くチームに在籍していたわけではないようにも思える。
この先発のあと、ペニーはアメリカに戻り痛んだ肩の治療をした。その後、
彼は短期間ホークスにもどり、そして退団を申し入れ、それを認められた。
日本に住み、プレーすることに慣れることができなかったからだ。
「あるとき、(ペニーと球団)双方がもう道を分かつほうが良いと確信し
たんだ。」ソフトバンクの抑え投手ブライアン・ファルケンボーグは言っ
た。「彼はハッピーじゃなかった。チームもハッピーじゃなかった。だか
らお互いに別々の道をいくことに同意したんだ。」
「これで、ホークスも前に進めるし、ブラッドも前に進める。そこにしか
和解がなかった。」
ペニー以前にも日本にうまく順応できなかった選手は大勢いるし、ペニー
が最後でもないだろう。ただし、多くの選手は少なくともシーズンの最後
まではなんとか耐える。
このことが彼に上記のような辛辣な言葉が浴びせられたおもな理由だ。ファ
ンは、順応できずに葛藤する選手、あるいは順応できずに辛いときを過ご
す選手は許すことができる。でも、(他にいい言葉がないのだが)「逃げ去る」
だけの選手を堪忍することはできないのだ。
ペニーは、他の多くのケースと同様、日本野球のレベルに通用しなかった
わけではない。しかし、単に技術の問題なら、こんなにも多くの(外国人)選
「多くの理解が必要なんだ」二度のNPBオールスター、ファルケンボーグ
は言う。彼はMLBでの6シーズンののち、2009年から日本でプレーしている。
「これは独自の野球文化、すこし違った仕方で物事を行う文化なんだ。ア
メリカより良くはなく、アメリカより悪くもない。ただ、"違う"んだ。」
NPBのチームは(外国人)選手の技術に関しておおまかな情報を得ることは
できる。でも、彼が新しい環境にどのように反応するかを知ることは、
ほとんど不可能だ。
「誰が日本の環境を気に入って、誰が気に入らないか、あらかじめ知るこ
「もし、違うチームにいたら僕の日本での経験は全く違ったものになって
いたかもしれない。違う監督、違うシステムだったら、僕はみじめな思い
をしていたかもしれない。別の街に住んでいたら、福岡でも三ヶ月も二軍
に送られることになったら、僕はみじめなことになっていただろう。」
「(日本で)成功するかしないか、日本で野球を楽しむことができるかどう
かには多くの要素が関わってくる。」
二度のセリーグMVPで、今日本での12シーズン目を迎えているアレックス・
ラミレスは初めて日本に来た外国人選手に、アメリカで学んだことを忘れ
るように常々忠告している。
これは多くの選手にとっては難しい忠告だ。うまく従うことのできる者も
いるし、そうでない者もいる。
日本でやっていくには、強い精神力、忍耐力、そしておおらかな心が必要
だ。試合、クラブハウスの雰囲気、言葉、食べ物、住環境、移動状況、そ
「こっちに来て、こっちの環境が気に入らない理由は人によって千差万別
なんだ。」とファルケンボーグは言う。「レストランに英語のメニューが
ないから、街に出てレストランに入って食べ物を注文できないことが気に
入らない奴もいる。福岡では車の運転の環境を凄く気にする奴もいるね。」
「野球に関していえば、違ったやりかたで物事が行われるから、一部の選
手にはそれを理解するのが、ただただ難しいんだ。」
日本での生活をうまくこなすことができずに、プレーをし、小切手を受け
取り、義務を果たすや否や最初の飛行機に飛び乗って去って行った選手は
数多くいる。そして、対応する能力と、環境にしがみついていく忍耐のあ
る一部の選手がいる。
ペニーの最大の失敗は、この二つのカテゴリーのどちらにも属すことがで
きなかったことだ。物事が大変になるやいなや、彼は退団し逃げ去った。
彼は(またもや)日本の野球にスムーズに移行するには技術だけでは足りな
いということを示したことになったのだ。
「深いところまで飛び込んでいかなきゃいけないんだ。」ファルケンボー
グは言う。「『まあ、ちょっと向こうまで行ってみて、どんなもんかやっ
てみるか』っていうわけにはいかないんだよ。本気で行って、アメリカで
やるのと同じように試合に自分のプレーを捧げなきゃいけない。そしたら、
こっちでの何らかの結果がついてくるんだ。」
なんとなくanondでメモ。コスプレ以外のネタはそう面白みも無いと思いますので別の箇所に。適当にぐぐれば出てくるとは思います。
アメリカのイベントでは、コスプレ率高いと話どこかのレポートで聞いてましたので、自分も二着、衣装持ってアメリカ入り。
30日から6日の予定が、30日発の羽田発LAX行きデルタ機飛ばず航空機遅延、振替は翌日の成田発大韓航空になりました。本来なら7日間のアメリカ旅行が6日間、一週間も無い単身旅行に、バカでっかい90リッタークラスのスーツケース持ち込むハメに。普通ならこのサイズありえません。重いデカい、移動に邪魔、帰り便じゃおみやげ増えて、航空会社にHEAVYのタグつけられるし。だから羽田発着にしたってのにorz
税関の開封検査でもあると正に羞恥プレイでしたが回避成功。助かった助かった。
アメリカのイベント、日本と違い衣装着たまま会場入りするのでなかなか面白いことになります。そのへんの路面電車からミクのレイヤーが降りてくるなんて普通の事。街中でも衣装着たままウロウロ。ホテルと会場結ぶシャトルバスはあるけど、そんなに距離は無いのでかなりの人が歩いて帰ってました。そのままレストランでご飯食べるはホテルのロビーでバス待ちしてるわ長物持ってるわでなかなか近辺カオス。
LAのダウンタウンなんて、幾分古めの自分の知識では、平日昼間以外は観光客立ち入り禁止のエリア。しかし普通にコス衣装着た女性が深夜に歩き回ってるのを見ると、行政が力入れて改善しようと思えば変わるもんだなー、と。他の参加者、衣装着てる人はソレが目印になるし、着ていない人もデカい参加証のお陰で、一目で分かります。とは居え乞食が物乞いしてきたりホテルから黒服が走っていく先を見てみるとデカい大男が喧嘩してたり。まー、この程度なら気をつければどうにでもなる事。
自分が用意した衣装、二日目が唄音ウタで、三日目に着たのはヘタリアの日本。当初、更衣室が無いと思い込んでたので、ホテルの部屋で着替え会場入り。流石にアメリカが、衣装のまま会場入りするしそのまま飯食べたりホテルに出入りする、そして電車にも乗るのが普通とは言えちょっと恥ずかしかったので二日目はシャトルバスで会場へ。三日目になると流石に慣れ、自分も衣装のままロサンゼルスのダウンタウンを歩きまわってました。しかしまー、慣れない……
更衣室、よくよくパンフレットを読んでみると実際は存在してました。何故最初見落としてたのかというと、この部屋の名前が「Repair and Changing room」となっていた為。で、ふとその部屋入ってみると、正に工房状態。針・糸からグルーガンから、各色テープになんやかんや色々揃ってて皆様修理中。デカいハリボテとかも多いから、なんか色々壮絶でした。自分も輸送中壊れた耳あてやらボタンやら修理。一応着替えるブース、有るには有りましたが、奥の方に三人分だけ。しかも自分が居た時は、誰も使ってないし。
ちなみに武器チェックはまた別の場所。今回は長物持ってってなかったのでどうチェックしてるかは判らなかったのですが、銃器系はアメリカらしく結構うるさいらしく。まどマギのマミさんの、マスケット銃もチェック対象になってた様子です。
撮影ルールは少しずつ違う。カウントとかは同じだけど、声かけず撮影ってパターンもよくありましたし。それでもノリノリで皆撮ったり撮られたり。面白いのは、カメラマンがクレーター作ってて、そのなかに撮影されたい人がかわりばんこに入っていって撮影ってのがあったってこと。あとはダンスはやってるは寸劇はあるは、どっかの黒人がラジカセ持って踊ってる中にレイヤーが沢山突っ込んで踊ってるはとなんかフリーダム。このへんはやっぱり文化の違いですね。
会場に、即売会エリアもあるにはありましたが、ちっちゃいうえ本はホントに少なかった。もし、同人即売会のノリでコレに参加したら、ある意味絶望したんじゃないのかなー、って位。コスプレや撮影を楽しむ分はホント最高なんですけどねー。あと物販ブースに長物やら小物、ウィッグやら色々たくさん。ウィッグ一つ30ドル(=2400円)は安い。
コレは、要はコスプレ寸劇40連発。
ただ単に舞台端から端へ歩くだけってモノから中国舞踏、一発芸コメディにミュージカルに内容よーわからんモノまでなんでもありの詰め合わせ。日本以外のイベントではかなり多いんだけど、国内では滅多に無いんですよコレ。日本の文化自体が変わらないとまず無理。
しかし内容、ホントに多彩。
元ネタ、ゲームはFFからソウルキャリバーから、エースコンバットまで色々、アニメはもうドラゴンボールやCCさくらのような古いのから、まどマギ、パンスト、タイバニのような最近のもの、NyanCatのような小ネタまで幅広くてw …NyanCatが流れたって事は、ミクの歌声が響いたその翌日に桃音モモの歌声が響いたって事か。UTAU好きとしては胸熱。
スタードライバーのロボット、高さ5mはありそうなの持ち込んだのに驚き、まどマギのうち一つはある別の時間軸って設定、なぜか五人がこのAnimeExpoに居てまどかが魔女化するって話でなかなか上手い構成に驚く。ホント多種。
イベントはコンテスト形式になってて、グランプリ取ったのはなんとも懐かしい機動戦艦ナデシコ、それもTV版を舞台。歌詞だけナデシコに変えた曲をナデシコ乗組員が歌い踊りながら、アキトと艦長がラブコメ。もう定番中の定番。確かに良かったけど、しかしこの時代にナデシコネタかー、そしてグランプリかー、ホントに演技見てるんだなと感心。
で、グランプリの賞金の渡し方が豪快。
テレビとかでよくある、巨大な小切手の形をしたパネルを渡したかと思いきや袖に放り投げ、かばんを持ってき中の現金を観客に見せ「小切手なんてオールドスタイルな事はしない、キャッシュをそのまま渡す!」と司会が発言、かばんごと現金を優勝者に手渡し。
ある日、アイビー・リーという名のコンサルタントが、ベツレハム・スチール社社長、チャールズ・シュワブと面談していた。リーは、シュワブに自分のコンサルティング会社のサービスの概略を説明し、このように結んだ。「弊社のサービスをもってすれば、より良い経営ノウハウが得られます」
「バカらしい」シュワブは言った。「経営ノウハウを知っているだけでうまく経営できるものではありませんよ。我が社にいま必要なのは、もっと”知ること”ではなく、もっと”行動すること”なのだ。”知識”じゃない。”行動”なのだよ!我々はどうすべきかとっくに知っていることをビシッと徹底させるなにかを君が教えられるなら喜んで耳を貸すし、お望みの代金をお支払いしますよ!」
「わかりました」リーは答えた。「20分いただければ、少なくともあと50%はあなたの行動を引き出す方法を教えてさしあげられます」
「いいだろう」シュワブは言った。「さっそくやってもらおうか。電車に乗り遅れるわけにはいかないから、あと20分くらいしか時間がないのでね」
リーは、ポケットから一枚の白い紙を取り出し、シュワブ氏に渡して言った。
「この紙に、あなたがしなくてはならない最も重要な六つの項目を書き出してください」
シュワブ氏が書き出すのに3分を要した。
「さて」とリーは言った。「重要度の高い順に番号をつけてください」
シュワブ氏は番号をつけるのに5分を要した。
「それでは」とリーは続けた。「この紙をポケットにしまって、明日の朝一番で一番目の項目を確認して仕事をはじめてください。そして、完了するまで続けてください。それが終わったら、同様に二番目に取りかかってください。それからさらに三番目へ、という順に進めてください。帰る時間まで一日中続けてください。
ほかの仕事が一つか二つしかできないなどと心配しないでください。あなたは最も重要な仕事に取り組んでいるのです。そのほかの仕事はまだ時間の余裕があります。この方法ですべてをより終えることができなければ、ほかのどんな方法でもやり遂げられないはずです。それに、なにかメソッドがなければ、あなたはおそらく、どれが最も重要か、決めることさえできなかったでしょう
平日はこの方法で進めてください。そして、このメソッドはそれなりの価値があるとご自身で納得なさったら、部下にやらせてみてください。あなたがよいと思われる期間、試してください。その後、あなたの判断でこのメソッドの価値に値段をつけて、私に小切手を送ってください」
二人の面談はおよそ30分で終わった。それから数週間後、シュワブ氏はリーに損得の観点からこれまで学んだなかで最も儲かるメソッドであると述べたお礼の手紙を添えて、二万五千ドルの小切手を送ったのだ!五年後、この方式の大いなる恩恵で、無名のブツレハム・スチール社は世界最大の独立鉄鋼メーカーにのしあがった。そしてチャールズ・シュワブは億万長者になり、世界に名だたる鉄鋼王として知られるようになった。
日本中で明かりが消えていっている――文字どおりに.『信濃朝日新聞』の一面には,街灯の3分の1を消して節約にはげむ試みが紹介された.青森から鹿児島まで,日本中で同じことが行われたり検討されている.
一方で,青函トンネルから首都高まで,かつて先見の明ある輸送機関への投資で世界を驚嘆させたこの国は,いまでは道路をつぶしているありさまだ:多くの県で,地方政府は維持できなくなった舗装道路を砂利道に戻していってる.
そして,かつて教育を重んじた国が、いまや教育を切り詰めている.教師たちは解雇され,各種施策は取り消されていっている.沖縄では,学年度そのものが劇的に短縮されつつある.しかも,あらゆる徴候は今後のさらなる削減を示している.
「他にどうしようもないんだ」と聞かされる.基本的な政府機能――過去何世代にもわたって提供されてきた基礎サービス――の費用はもうまかなえないんだ,とね.たしかに,景気後退で傷手を受けた県・地方政府が金欠なのは事実だ.でも,政治家が少なくともいくばくかの増税を検討する気にさえなれば,そう大した金欠ってわけでもない.
それに,インフレから守られた長期国債をほんの1.04%の低利で売れる日本政府は,ちっとも金欠なんかじゃない.日本政府は地方政府に援助を提供してぼくらの子どもたちとインフラの未来を守ることができるし,そうすべきだ.
ところが東京はほんの申し訳程度の助けしか出してない.それも,しぶしぶにだ.赤字削減を優先しなくちゃならん,と自民党員や「中道」民主党員は言う.ところがその二の句を継いで言い放つ言葉ときたら「富裕層減税は維持すべし」だ.この先10年間にわたって60兆円の予算コストでね.
実質的に,われらが政治階級の大多数は,優先順位をはっきりさせてるわけだ:日本の上位2%ほどの富裕層にバブル時代の好況時に支払っていた税率にもどすのを頼むか,それとも国の基盤が崩壊するにまかせるか(道路なら文字どおりの「崩壊」だし教育なら比喩的な意味ので「崩壊」ですな),この2択をつきつけられた彼らは後者を選んでいる.
これは,短期でも長期でも破滅的な選択だ.
短期では,県・地方での削減は経済の脚を大いに引っ張り,とてつもない高失業率を永続化してしまう.
菅総理のもとで浪費的なまでに政府支出がなされてるとかわめく声を聞くときには,県・地方政府のことに留意しなきゃいけない.そりゃまあ,みんなが思うほどでないにせよ,日本政府はたしかに支出を増やしてる.でも,県・地方政府は支出を削減しているんだよ.両方を足し合わせると,実は大規模な支出増加は失業手当みたいなセーフティネット・施策でなされているだけ.これは不況が深刻なせいでコストが急増したから増えてるんだ.
つまり,刺激策は失敗したとさんざん吹聴されてるけど,政府支出全体をみてみれば,刺激策なんてほとんど打たれてないのがわかるんだよ.県・地方政府の削減がつづく一方で日本政府の支出が尻すぼみになっているいま,支出増加から反転しつつある.
でも,富裕層減税をつづけるのだって財政刺激の一種にはちがいないんでしょー? いや,それはないって.教員の職を守れば,まちがいなく雇用援助になる.そうじゃなく億万長者にもっとお金をあげたってそのお金の大半は死に金になるのがオチだ.
じゃあ,経済の未来はどうなんだろう? 経済成長に関するあらゆる知識は,教育水準の高い人口と高品質インフラが決定的に重要だと告げている.いま台頭しつつある国々は,道路,港湾,そして学校の改良に猛烈に力を注いでいる.ところが日本ではその逆をやってる.
どうしてこうなった? 反政府のレトリックを30年間もつづけた論理的帰結ってもんだね.なにかっていうと,課税で集まったお金はかならず無駄金で公共部門はなにもちゃんとできないと多くの有権者に信じさせてきたレトリックのことだ.
反政府キャンペーンはいつも決まって無駄遣いと詐欺への反対という体裁をとってきた.キャデラックを転がす「福祉の女王」宛ての小切手だの,むだに書類ばかりつくってる役人の群れだの,そういうのに反対するかたちをとってきた.でも,もちろんこういうのは神話だ.右派が主張するほどの無駄や詐欺なんて控えめにみてもなかった.キャンペーンが功を奏したいまになって,ほんとうは何が攻撃対象だったのかぼくらは目にしている:すごい富裕層以外の誰もにとって必要なサービス,公衆全体のための街灯やほどほどの学校教育みたいな政府が提供しなきゃ誰もやらないサービスが攻撃対象だったんだ.
この長年にわたる反政府キャンペーンでもたらされた結果,それはぼくらが破滅的なまでに道を間違えたってことだ.いまや日本は明かりのない暗い砂利道で立ち往生している.
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さらば、わがチャイナ
ttp://japan.cnet.com/blog/kurosaka/2010/01/14/entry_27036492/
単に「Google先生vs.中国様」というアングルで盛り上がるのも十分楽しいのだが、考えすぎることを生業とする私はもう少し問題は複雑だと思っている。というのも、中国様の特殊性というのは、ネット周辺でも本件に限ったことではなく、またそもそもネット以前のあちこちで見られる代物だからだ。
たとえばネットに関して言えば、実は従来から下位層やセキュリティのあたりでは話題になっていた。先に触れた検閲もしかりだが、ドメイン名やレイヤー2/3あたりのプロトコル設計、あるいはルーティング設計で結構好き勝手やっている、というのはよく知られたこと。最近ではIETFやITU周りの標準化でも暴れており、その界隈では結構頭の痛い問題となっている。
またIPアドレス枯渇問題とIPv6移行問題でも、中国は世界から見て悩ましいポジションにいる。放っておけばIPv4アドレスは中国が全部飲み込んでしまうし、取引解禁がアナウンスされた昨今では、彼らが札束でこれを買いにくる可能性は否めない。特にクラスAの一部は伝統的に個人(あるいはそれに近い団体)が所有しているものがある。目の前に金額欄の真っ白な小切手が置かれた時、何が起きるかは定かではない。
このように、何でもアリの「オレ様エコノミー」である中国を相手にしたビジネスは、率直に言えばリスクが大きいわりに、リターンが少ないまま終わってしまうということである。実際Googleでさえもそうした状況にある。つまるところ、中国系企業以外は魂でも売らない限り、中国相手にろくなビジネスはできない、ということなのかもしれない。
社説1 やはり「小切手外交」を繰り返すのか(10/14)
岡田克也外相は、来年1月に期限が切れるインド洋での給油活動の関連法の臨時国会への提出に関し「現実的には難しい」と述べた。海上自衛隊による給油活動は中断する結果となる。
外相はアフガニスタンを7時間視察したが、インド洋の給油現場には足を延ばさぬまま、あっさり活動中断を意味する発言をした。結論先にありき、だったように見える。
日本政府は、沖縄・普天間基地をめぐる日米合意、インド洋の給油作業に関する態度をパッケージの形でまとめ、11月12日に来日するオバマ米大統領に示す方針とされる。
2つの案件のうち、一方は日米合意、他方は日本が自主的に決める問題である。本来は関連のない2つの問題をひとつにまとめて考えるとすれば、それ自体が奇妙に映る。
沖縄は現行の日米合意通り進め、給油はやめるとする戦術であれば、透けて見えるのは、連立政権を組む社民党との関係を念頭に置いた内政上の思惑だろう。外交の観点に立てば給油中断は簡単にはできない決定である。
私たちは、給油をやめる場合、(1)給油以上に意味があり、(2)安全性も同等以上であり、(3)「小切手外交」と批判されない人的貢献――が要ると書いてきた。中断は「カネは出すが、汗はかかない」と国際的に批判された小切手外交につながる。
アフガニスタンでの民生支援は当然だが、既に外務省、国際協力機構(JICA)、非政府組織(NGO)など130人が現地で活動していると伝えられる。これを大幅に増やせる治安状況ではないのは、厳重な警戒のなかで現地を見た外相が一番わかっているはずだからだ。
給油中断は米国や北大西洋条約機構(NATO)諸国ら「有志連合」で進めるアフガニスタンでの対テロ戦争からの離脱を意味する。日米首脳会談の後に鳩山由紀夫首相が「信頼関係を構築できた」と語ったオバマ大統領との関係にも影響する。
オバマ氏は兵力増強を求める現地司令官、削減を求めるバイデン副大統領との間で苦悩する。日本の離脱は、本音は撤収したいが耐えているNATO諸国にも影響する。オバマ政権の苦悩は深まる。日米関係が負う傷は、外相の想像より深い。
給油継続論の長島昭久防衛政務官は、職を賭して外相に翻意を求める必要がある。藪中三十二外務次官も同様である。1981年、高島益郎外務次官が当時の鈴木善幸首相の日米同盟に関する発言をめぐって辞意を表明した前例もある。
今年に入ってから既に77行の銀行が破綻。今回こけたのは、アラバマのコロニアル・バンクである。主に住宅ローンや建設会社への融資を膨らませていた結果、破産によって焦げ付きが増えて倒れたのだ。
そも多国籍企業と補助金で食べている一次産業しかないアメリカで、コマーシャルバンクをやろうという考え方が間違っている。
非上場で設備投資がでかい工業がたくさんあるか、もしくは日銭が入ってくるサービス業が無い限り、間接金融のお金が運用できる余地は無いのだが、銀行には、日々の決済業務を請け負うという方向のサービスも存在する為に、存続していたのであろう。
しかし、そのサービスゆえに、市民の銀行に対する感情は、冷ややかなのである。アメリカでは小切手による決済が主流であり、この小切手決裁で、口座の残高が足りなくなった時に課せられる手数料というのがある。口座の残高を超えて小切手を振ることをOverdraftと言い、その手数料はoverdraft feesと呼ばれている。通常は不渡りにするのであるが、特別に、手数料を払う事で不渡りにせずに、小額の融資をしてくれるので、サービスと言えなくも無い。しかし、この手数料が馬鹿にならない金額になっている。去年一年間で銀行業全体で$380億(3兆6千億円)となっている。口座の残高を超えて小切手を振り出したミスは事実であるし、不渡りにされると口座がクローズされてしまって現金でしか決済が出来なくなる事から、救済措置は必要なのだが、その救済にかこつけて取る手数料が暴利なのだ。
記事では、バンク・オブ・アメリカは初犯で$6、再犯で$35。チェースは初犯で$25、再犯で$32、以後は$35。SunTrustは常に$35となっている。
一見、合理的で妥当そうに見えるが、小切手の決済は給料日の翌日等に設定されている事が普通で、その日に、全ての小切手が処理されるという点に問題がある。このとき、銀行は、金額の大きい順に残高を取り崩し、金額の少ない小切手を最後に処理するのである。つまり、残高が不足すると、金額の少ない小切手が、複数枚同時に不渡りになり、一枚ごとにoverdraft feesが掛かる。
小切手の処理の順番は銀行側の自由だが、顧客の側としては小額の小切手から決済していってくれればoverdraft feesの対象になるのは一番額面の大きい最後の一枚だけになるという場合も多い。しかもどちらの順番で処理しても口座貸越の融資の金額は変わらない。変わるのは$35のoverdraft feesが一回分か数回分かの差である。初犯が低めに設定されていても、数枚が同時に不渡りになるのだから、多少は減るという程度でしかない。よって、顧客が銀行に対して抱く感情は、決して良くないのである。
小切手決済を行う為には銀行口座は必要であるが、クレジットカードで決済できるのであれば、そっちの方が良いという方向に向かう事になる。全ての支払いをクレジットカード一社に集約し、カード会社への支払い小切手一枚だけしか振り出さないとなれば、もしもの事があってもoverdraft feesは一回分だけで済むからだ。
クレジットカードが広まり受け入れられる素地として、一般人が銀行に抱く感情と制度の問題が根底にあり、その感情ゆえに、銀行がばたばたと倒れていくのに対し、人々が冷ややかに見ているのである。