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はてなキーワード: 半ドンとは

2024-10-24

福山雅治ハロー

土曜日仕事って歌詞あるけど、

これリリースされたときはまだ土曜日しごとが普通だったときだよ

いまでもおぼえてる

小学校の間、最初は第二土曜だけが休みでそれ以外は半ドンだったけど第二第4が休みになってそれから土曜が全部休みになった

2024-01-05

anond:20231014165438

子供公立学校に通わせているけれど、子供が入ってから今までの間に負担軽減はどんどん進められている気がする。

子供入学した時の通信簿は親が書く欄が用意されていて、次の学期が始まるときにその欄を埋めて持って行くという仕組みがあった。

それを記入する大変さはあったものの、休みの時の子供の様子などを先生が知る機会にはなったと思う。

今はそれが廃止されたが、それぞれの家庭の状況をどうやって把握しているんだろう。

各学期の最後は1週間以上午前授業の日が続くようになったが、おそらくその間に先生方は通信簿を書いているんだろうと思う。

土曜授業があったら次の月曜日半ドンになるようになったのもおそらくは先生方の休み補填するためだろうな。

それだったらわざわざ土曜に授業する必要ないんじゃないかとは思うけど...

休み中の宿題もどんどん減っていって、今回の休み書初めくらいしか宿題と言えるものは無い。

学校は声高に「学校勉強で十分だ!塾には行くな!」みたいなことを主張するけれど、正直、学校勉強量だけじゃ全然足りないと思う。

かつては家は貧乏でも、熱心な先生サポートを受けて階級上昇するような話があったが、今はそういうこと起きないと思う。

貧富の差が家庭学習量の差になり、学力の差になるという時代になってきていると感じる。

2023-11-19

スタンド・バイ・ミーイージーライダー青春映画だと言われて今は納得出来る。中学高校の頃にそう言われてもピンとはこなかったと思う。へえ。青春とは死体を探して線路の上を歩くことなんですか。しょーもな。って。

それは理屈理解するという類のものではないと思う。

例えば土曜の部活をサボって多摩川チャリで下った思い出がある。

車のディーラーファミレスセーブポイントのように点在するばかりの幹線道路。歩いていてここは自分の居場所じゃないと思ってしまうような他所住宅街。近くをウロウロしていても楽しくはない。Googleマップ面白そうな場所を探しても、近しい範囲に目ぼしいスポットはない。晩飯時間もあるしそう遠くは行けない。

フラフラチャリを漕いでいたらデカい川に辿り着く。見飽きた退屈な通りに比べたらなんだか妙に魅力的に見える。今日半ドン時間もあるし海でも目指してやろうって思う。

最初楽しいけれど、すぐに川の流れも見飽きてくる。陸側の景色も「無」のような国道を挟みつつ、マンション物流倉庫か謎の事務所かの繰り返し。全部やたらと横にデカい。大きめの駅があるらしい、高い建物の密集する地帯が時々近付いては遠ざかっていく。

途中休んで水切りでもしてやろうかと思うけど、良さげなスポット釣り人や浮浪者や遊び回るガキがいて近寄り難い。陰気な高校生が一人で水遊びするのもなんだか気恥ずかしい。

段々海を見ようと息巻いた気持ちも静まってくる。楽しさもなくなってただチャリを漕いでいると、段々漠然とした焦燥感のようなものが湧き上がってくる。「こんな事してる場合か?」って気持ちになる。先駆的覚悟だとか自己実現だとか、そんなような根源的な焦りや不安大人になったら人から借りたそういう陳腐言葉で片付けてしまうようなもの。常日頃感じつつ蓋をして押さえつけていたものが暴れだす。

焦燥感に駆られてペダルを漕ぐまま、結局晩飯時間を考えて世田谷辺りで折り返した。海というゴールを迎えてればまた少し違う思い出になってたかもしれない。

後日友達チャリ多摩川を20km下ったんだよと言って、バカでえと笑われた。その時はその程度の出来事だった。

後になってスタンド・バイ・ミーという映画を観て、それが青春作品に分類される事を知った。死体拳銃も劇的な出来事も無かったけれど、華やかなものではなかったけれど、あれは紛れもない青春だったのではないかと思った。

川沿いを走るでもなく死体を探すんでなくても、別な形で同じ様な青春を過ごした人は沢山いるのかもしれない。抽象的な焦りではなく、進路考えないとだとかもっと具体的だったり切迫した悩みだったかもしれない。あの時の思い出はおれだけの宝物だと思っているけれど、誰でも似たようなことを経験するからこそ青春という言葉があって、スタンド・バイ・ミー青春作品として支持されているのかもしれない。

先週大学をサボって多摩川をほっつき歩いてみた。あの頃感じた焦燥感が薄かった。

今は門限もなければ外食代くらい訳ないし、電車に乗れば海へ行くのも造作ない。自己実現が僅かにでも進んでいるから焦りが減ったのかもしれない。諦めたか妥協を受け入れてしまたか、忘れ去ってどうでもよくなってしまったのかもしれない。

ナイーブな悩みにあまりしがみつきすぎない方が良いと思える程度のバランス感覚は手にしたような気がするし、それをすっかり捨てたら人間として終わってしまうような気もしている。

茜色の夕日を見て、短い夏が終わったのに子供の頃の寂しさがないことを少し思い出した志村正彦も似たような気持ちだったんだろうか。

青春と銘打って鮮やかに彩色してしまいがちだけれど、当時抱いた決して明くはないあの気持ちは忘れずにとっておきたい。それを忘れてしまったら、あの頃忌み嫌っていた、お前は子供エアプなのかよと思うような大人になってしまいそうな気がする。

明るい結末に終わらないアメリカンニューシネマも後味が悪い所はあるけど、その居心地の悪さは当時体験した青春への誠実さだと思うのでおれは好き。

2023-09-01

アラサー長崎県民よ力を貸してくれ

今年で32歳になる元時津町民です。

小学生の頃(1998-2004)、半ドンの時や運動会練習などで配られたみかんジュースが忘れられない。

アルミパウチに入ってたやつ。ストロー付属していたかどうかは失念してしまった。

どこ製造だったか知りたい。

リンアイやJA、色々チェックしたけど全然見つからないんだよー。

誰か覚えてないかな。

2023-08-23

anond:20230823001644

ゴルフ行くより半ドン仕事したほうが間違いなく健康にいいと思うの。

2023-06-19

歯医者のあとに仕事したくなくて半休とったった

半ドン

2023-05-30

札幌ドーム起死回生シナリオ

10チームほど公務員兼務野球団を組織リーグ戦を行う(副業ではなくクラブ活動扱い、入場料を徴収するのは施設の維持費にまわすと言えばいい)

経費削減のために人工芝無しで野球を行うことも検討

臨時職員でも正職員でも公務員プロ野球を目指せる

試合日には応援団を向かわせられるように半ドン奨励をする

これで盛り上がる

2023-04-05

anond:20230405083415

昭和中期までの企業労働についてはサザエさん読むといいよ。

江戸

 企業ではなく財閥社長ではなく番頭

~~~明治維新

明治昭和初期:

 企業につとめてサラリーもらえてるだけですごくえらい(高杉晋作とか坂本龍馬のように藩主でもない人間事業おこして社長やっただけで名前が後世にのこってる)。

 女性大学に行くとニュースになる。教員医者作家など汗を流さなくてよい職業を「先生」といって尊敬の念を抱く。給料が高いので書生・秘書家事手伝いさんを雇える。

 ※ちなみにこの職業に貴賤をつけるやり方が偏差値教育をうみ、今の大学進学メインの学校にまでつづいている。

~~~第二次世界大戦

昭和中期:

 団塊世代。オーモーレツサザエさん企業につとめて三種の神器洗濯機冷蔵庫テレビかな)をおいた団地にすむのが若い男女の夢。

 家に自動車もあるとなおよい。女性大学生になる事例が増えたが都市部のみ。

 田舎だと高校うかっていかせてもらえただけでも頭いいね実家も太いんだね)レベル

 頭がいいと、なんとか地方唯一の商業高校にいけて、そこをでてすぐ働く人が多い。

 義務教育を終えただけの中卒で働くとか、中学卒業もだいぶお目こぼしされてた(本来なら卒業できてないけど義務教育には留年がないか卒業できました)という人も田舎には多い。

昭和後期:

 労働者のサラリーマンが8割。景気がよくてどんどん元が取れるので私立高校私立大学も増え塾もふえる。

 子供全員大学いかせないなんて正気か?

 そろそろクーラー自動車などが標準装備になる。「二十四時間働けますか」 

 パソコンでいうとPC*801MK2が出た。ハードディスクなにそれ。記録といえばフロッピーディスクだよ?

~~~平成3年リーマンショック…じゃなくて「経済バブルがはじけた」か

平成前期:

 ICチップ産業コメインターネットがそろーりそろりとはじまる。電話線のメタル回線テレホーダイからですね。

 ポケベル、ISDN、PHSなどスマホ前身になる技術がどんどん発達。テレビゲーム(据え置き型家庭用ゲーム機)が盛ん。

 パソコン市販されるけどたいていの人はまだキーボードのものに慣れてない。ダブルクリックムズカシイ

 エクセル方眼紙だろうが、「なにか」つくれれば尊敬されてた。

 ていうかワープロword機能と感熱紙プリンタけが入ってる機械ファックスのような通信機能はない)が現役だった。工業めちゃさかん

平成後期:

 ご存じIT革命スマホ世代リーマンショックって平成20年だったのか

令和

 今だよ

 

さて

・過重労働 

 ↑昭和スマホパソコンがないので仕事に即時対応することが物理的に不可能

 小学校で習ったそろばん電卓が使えればパソコンのかわりに足し算という単純な仕事を延々とやっていられて感謝もされる。のんびりしたもの

 あとは人脈と移動力ものをいう。つまり電車に乗って駅弁たべて「出張してました、〇〇さんに会ってきました、こういう感じでいってました」といえばかなり働いたことになる。営業職つよつよ。

 ※ちなみにメタル回線電話はすべて従量制課金だよ。長電話すると営業でも怒られるんだよ。長い話をするときは紙にまとめてファックスにしておくろうね。←令和になってもこれやってる不動産多い

残業代が出ない 

 ↑そのかわり働かない。公務員教員も)は定時で帰るし。

 土曜日半ドンといって昼までで家に帰る職場もけっこうたくさんあった。

 まあ最初リーマン先生たち、週休1日だったりもしたけど、どうしようもなくみんな貧しいんだから仕事もそうそうこないだろ的舐めプしてた。

 あくせくせずに遊びながら席に居るだけ居て、上のものがきたときにだけへこへこしようぜみたいな集団サボりが許されてた感。

 なんか親睦草野球大会飲み会みたいなのも多かったしな。

ハラスメント多め

 ↑ハラスメントなどという横文字言葉のもの日本企業風土にないが、

 そのかわりネクタイしめて会社に通ってるエリート、だの、美しいお嬢さん、という型にはまってくれる人間にたいする親密さや敬意はあった。

 要らないのにお見合い写真をもってこられたり、寿退社必須だったり、お子さんもっと産めばいいのにとか。今でいうハラスメントだが本人たちは親密のつもりでやってる。

 今でいうとさしずめ銀盾ユーチューバーくらいじゃないだろうか。

 「一般人の皮をかぶった厄介ファンがつくのも予測できてたはず。

 自ら選択してなったのだからサラリーマンやOLは、人格者でなければならない。」みたいな。

 今はお医者しか残ってないタイプのいらん敬意だね

 

から昭和でいうブラック企業はね、

ブラックでもなんでもなく、昭和の人の言うところの「あら~いいところにお勤めですね」だよ。

管理職になったらもう社長もすぐそこですねって取引からつけとどけのお中元お歳暮、お世辞がバンバンとどく。

そんななかでちょっと残業したり経営が苦しかった時期の苦労をいえばもはや美談、自慢話なんだよ。プロジェクトXだよ。

農業だの家業手工業だのをやらされてない当たり前のサラリーマンという時点で勝ち組なんだ。

まあ、あとは令和でもそういう「ブラック以前に自営業ばっか」の田舎については「セケンのハテまで」という漫画でもよんでくれ。今でも都市部以外はそんな感じだから

それこそ「まだ東京で消耗してるの?」は事実の一面は突いてた。

 

reiwa

平成令和はやっぱインターネットオリンピック級に仕事ができる人が可視化されちゃったからな。

荒木飛呂彦とか、AKBとか、どうみても常人じゃない人が「だれにでも見える」「目標に据えられる」「自分でもできるかもとおもわされる」。

昭和ってのは全員知らぬゆえ仏だったよ。

 

労組

ああ、あと昭和ならではの労働事情としては、労組もあったな

学生闘争活動してた人が頭いいか背広きて社員になって労組に入って労働闘争して、

何も知らずに搾取されてる同僚たちを企業経営陣の搾取から守ってくれてた部分もあった。

そういう労組から会社への指摘は「ブラック」だなんてふんわりした色だけの言葉ではなく「労基法違反」だの「経営陣は社員Aに残業代労災を払え」のような、

きちんとした要求になるから、「ブラック企業」に直接相当する言葉はやはり労組にもなかっただろう。「弊社経営陣は違法」といった、長めの告発タイトルならあったかもしれない。

元弊社を「ブラック企業」って命名してことたりちゃうのって、SNSでの、素人にもわかりやす内部告発私的労働闘争のほうが労組より効力が強くなったから、それで「ブラック」がようやくなりたったんだろうな

ツイッターがこのまま崩壊したらやっぱり労組が力をとりもどすのかもしれないけどどうだろ。

 

社員からすると労組経営かって結局どちらも選べない。どっちも歯車になれる強者おっさん理論なんだよな。

今は労組から管理職いける不思議労組ばっかりのこってる。結局企業論理に染まり切ったバカしか企業には残れない。

労基法だの業界基準だの行政だのも、結構いろいろ詳しく仕事のやりかたを(外部のくせに)指図してくるから

労組があっても経営と手を組んで黙って身内だけで法律かいくぐることに必死になってるタイプブラック企業もある(不祥事とかでしょっちゅうバレる。大成建設とか)

社員としては時間や魂を売り渡してる以上、金と地位くらいは見返りとして欲しいわけだからどっちのいうこともわかる。

経営陣はお客様代弁者だし、労組は「こんなやり方では迷惑だ」と社員やセケンを代弁してる。

でもどっちもそもそも働きたくない個人(今でいう発達障害とか個性のある一人一人の人間お気持ち)の味方ではないんだよ。

労組弱体とかそういう問題じゃなく、お気持ちを吐き出せるところとして現在最強なのがツイッターだという話。

 

 

あとブラック企業って呼び方

個人的には「黒人企業蔑称」みたいでいやだ。

「黒=悪」というイメージを植えるのはぽりてぃかりーコレクト違反だとしてアメリカなどではもうだいぶ禁止されていると思う。

まあ昭和だと「赤=労組テロ共産、悪」というこれも悪口ひっくるめた扱いだったし。

色にイメージをつけてわかったつもり・けなしたつもりになるってのはわかりやすくて訴求はできるけどやっぱり頭は悪いわな。

 

追記

・1桁ブクマが今さっきみたら2桁も後半になっててびくーりした。俺増田史上5本の指に入りそうだね。

バブルはじけとリーマンショックまちがえてたり、PC名前(買ってもらえなかったからどっちでもええんじゃコラ)まちがえてたのでちょこちょこと訂正した。

 もうどっちでも新入社員にとっては恐竜と大差ない大昔だからなぁ。

 というか「バブルがはじけ、第一就職氷河期がはじまった」というのを歴史家はいつまでも一言でいえる言葉にしないんだな。

 俺が命名していいなら「1991バブルショック」か。

 1971が石油ショックで、

 2008がリーマンショックなら、

 およそ18-20年に一回なんかそういう失業氷河期祭りがあるんだな。

 次は2025あたりにAIショックとかあるんじゃねえの。

漫画資料

理解するための漫画の追加ありがとう。たしかにそういうのもあったな~とおもった

 ・平成初期あたりの週刊モーニング作品

  (釣りバカ日誌クッキングパパOL進化論

 ・フジ三太郎東海林さだおコボちゃんなどのサラリーマンもの

  (絵柄が大体あの感じのやつ)

 ・YAMAZAKIっていう漫画があるんだって

 

 ※ただ、結局漫画家ってのはサラリーマンを途中でドロップアウトしてるし編集に「こんなのモデル企業に訴えられる」といって差し止められるので正確にはかかない。

  島耕作プロジェクトXも、イメージ向上してるからというだけで訴訟は乗り切れてるけど。

  金と社員だけみれば現実もっとド汚ねえ。だから読める程度には美しく書くんだけどさ。やくざ漫画でいう「ザ・ファブル」みたいなもん。売れるのは毒抜きしたものだけ

  一番サラリーマンの本体をしってるのは父親母親をみていた子供だよなとおもう。(なので一番最初サザエさんをすすめたし、「セケンのハテまで」もおすすめする)

  俺は、ここ二十年タバコの吸いすぎ闘病でずっとおまる使っててママ氏に介護の世話ばかりかけてるうちのパパ氏、

  外からみると島耕作に、だいぶ近いことをしていたんだなと改めて感じている。

  (部長には一時期なってたんじゃないかな。取締役とかはなってない)

 ちなみに俺のなかでは釣りキチ三平の作者(市役所…じゃなくて銀行、のだいぶえらい人だったのが「ドロップアウト」して漫画家に)と手塚治虫医者を「ドロップアウト」して漫画家に)が出世からの転身組漫画家の双璧だとおもいます

 

追記

・俺史上2本の指に入った

PC買ってもらえなかったっつってんだろ、ワイルドカードじゃコラ。最初は8801って書いてたんだぞちゃんと。マッきんとっしゅクラシックよりは安いけど、あのくそたかいのに数MBしかハードディスクがなかったおもちゃ買ってもらってたやつは今頃何してんだ、まさかブックマーカーなんかしてないよな。

・しゃぶでもやってるのかっていったやつは大成建設にでもつとめてんのか

・うちのパパがいよいよ危篤。結局あまり企業については話せなかったけど、まぁなんとなく雰囲気はわかるよ。

 花々しい企業づとめも、「宮仕え」「エリート」も、社内政治理系にとっちゃ全部ひかえめにいってクソでありうんこだよな。

 腰かけ程度に中小につとめてすぐやめたママはわかってないお嬢様OLだったんだなとおもうことが多々あった。

 というか子供からみて高校以降のママアドバイスは全部見当違いだったんだが、社会人ならとおもったらやっぱりだめだった。

 ママには大きな組織に働いてすりつぶされる感覚愚痴れないなとおもったのは就職して半年もたたないうちだった(見当違いな対処法を提案され余計につかれる)。

2023-02-07

小学校の頃からそんなに勉強づめだったんだ

やっぱりスタートから違うんだな

小学校の頃なんて

平日の放課後テレビ見てたし

土曜半ドンの午後はみんなで缶蹴りとかしてた

学校休んで塾行くとか異次元だわ

https://anond.hatelabo.jp/20230207020346

2022-12-26

anond:20221226125548

月月火火水水木金金で

土曜半ドンが体調いいよなっ!

2022-12-12

「知るかボケ」が普通だった徒弟制度昭和企業に戻りたい

土曜は半ドン

2022-11-13

昭和死語を出来るだけ思い出して書く

ナウい

朝シャン

なるへそ

ガビーン

オヨヨ

よっこいショーイチ

モーレツ

コマネチ

あたり前田のクラッカー

冗談よしこちゃん

いただきマンモス

よろピク

バイなら

ドロンします

してちょんまげ

クリソツ

アベック

チョベリバ

OK牧場

アウトオブ眼中

オンザマユゲ

わけわかめ

おニュー

嘘ぴょん

あっと驚く為五郎

マブい

アイムソーリーひげそーりー

アジャパー

うーんマンダム

ギクっ!

こんなん出ましたけど〜

コールテン

そんなバナナ

たけのこ

半ドン

へのかっぱ

ちゃん

ブダ

ザマァ味噌漬け

すけこまし

イカ

やってみそ

2022-09-10

土曜日っていつから休みになったんだろう

いつから休みになったのかなぁ

記憶曖昧

小学校とか中学校とか半日登校だったか

弁当を持って行った記憶もかすかにある。

高校?どうだったろう。半日だったか

午後に映画館に行って夕方までダラダラ見ていたかな。

図書館に行ったりしてたかな。

大学生ときは?土曜日って講義あったか研究室ゲームしてたか

会社入った時はどうだろう。

最初から休みだったっけ?半日出るみたいな出勤だったか

今日半ドンだなとか先輩のおじさんが言ってたような

どの辺から休みになったんだろう。

たぶん今は学校ちゃん休みなんでしょ?高校はある?部活

土日休みだと学生って暇じゃないのかな

それなりに塾にいったりいそがしいのかな。

2022-07-28

国葬の日は半ドンにしよう

参列したら10万円欲しいし精進落としにプレモルトリスを配って欲しい

黙祷NHKの合図に合わせて通路の非常ベルを鳴らそう

マンションにいる人はインターホンの非常ボタンを押そう

賑やかに見送りたい

2022-07-20

夏休みが始まる前に近所に男の子引っ越してきた。

外国の血が入っているのか真っ白い肌で堀が深くて映画の中から抜け出してきたような美形の男の子

けれど典型的な純日本人という名前ですこし不思議な感じがした。

男の子とは毎日遊んだ

僕らの住んでる貧乏しかいない、馬鹿みたいに広い団地でずっと鬼ごっこをしてた。

片親の家庭ばっかりだったから、外で遊ぶのに飽きたら誰かの家に行って勝手冷房かけてゲームやらなんやらして遊んだ

男の子母親も本当にびっくりするぐらい美人だった。

すごく若くて20歳ぐらいにい見えた。

たぶん俺らと同じで片親だったんじゃないかな。

父親を見たことはなかった。

いま思えば外国人の父親日本人母親が孕まされて逃げられてみたいな家庭だったのかもしれない。

すごく気のいいやつで、こいつと新学期から同じ学校だなんて最高だなって思ってた。

けれど夏休みが終わって、始業式の日になっても学校あいはいなかった。

始業式の半ドン終わって学校から帰りながら

団地友達みんなで

「なんでだよ」

「初登校は明日からなんじゃねえの」

あいつんちで昼飯食わしてもらおうぜ」

とかわいわい言いながら、あいつのアパートに行ったんだ。

けれどあいつの住んでたはずの号室にいくとそこは空き部屋になってた。

誰もいなくて不思議がってる俺らを怪訝そうに見てたおばちゃんに、

「住んでた母子引っ越したの?」

って聞いたらその部屋は春からずっと空き部屋だって言ってた。

でも確かに俺たちはあいつの部屋でゲームしたり、漫画読んだりしてたんだ。

みんなすごい不思議がってた。

あれから20年ぐらいたった。あん団地に住んでた奴なんて、みんなろくな事になってない

俺もそんな一人だ。

その日も日雇い仕事から帰ってきて、現場送迎のバスが発着する錦糸町で一人で酒をひっかけて飲んでた。

貧乏だと誰かと飲むより一人で飲んだほうが楽しいんだ。近況報告なんてしんどい話ばっかりしかいからな。

千鳥足で改札へ向かっていると、あの時の夏休みだけ団地に居た男の子母親が、

キーホルダーを付けた大きな登山用バッグを背負っって6歳ぐらいの女の子と手をつないで立っていたんだ。

そいつ女の子を後から来たおっさんに預けて、改札をくぐっていった。

だけどな、どう見ても歳をとってなかったんだ。

あれから20年たってるのに何一つ年を取ってない。

そりゃ多分服装とかは変わってる。でも20年前と一緒なんだ。

怖くなっちゃって家に帰るのも不気味で、近くのカプセルホテルでブルブル震えながら一晩過ごした。

一人になりたくなかった。誰かがいる場所で寝てたかった。

そういえば俺たちが住んでた団地、取り壊されて大きなマンションができるらしい。

なんとなくホッとする。

2021-12-28

今年最後プレミアムフライデー、お前ら何する?

半ドンだぜ、なんたってw

2021-11-10

懐かしすぎるあの頃

88年の長野まれが〝あの頃〟を振り返ってみる。あの頃〝半ドン〟があってたまに土曜日は午前だけ学校週休2日じゃなかった。あの頃〝改札にPASMOなんてなかった〟まだ駅員さんが立って切符切ってた気がする。あの頃テープが廃れて〝8センチCDがなんかおしゃれな存在だった〟今は存在感すらない、ちなみにシャ乱Qだった。あの頃〝おじさん達は職員室でもふつう煙草を吸ってた気がする〟小学生だったから朧げだけど。あの頃〝電話帳に個人宅の電話番号のってた〟小学校とかでも住所の情報とかガバガバだったような。あの頃〝冷凍食品がまずかった〟今では普通においしい。あの頃〝セクハラとかパワハラなんて概念はまだ微塵も存在していなかった〝むしろ劇的に良くなったのはここ5~10年という真新しさ。あの頃〝長野オリンピックで踊らされたけどなんのステージなのか理解してない小学生だった〟

あの頃、私たちたまごっちに飽きてデジモン育ててて、同世代SPEEDを聞きながら安室奈美恵に憧れて、でも服装シノラーから影響受けてBettysBlue買ってもらって誇らしかった。テレビでやってるコギャル中学生になったらなる気がしてて、高校生になったらポケベル鳴らすつもりだった。でも高校生になる頃には二つ折りの携帯時代になってて、デコメ流行ってて、ポケベルなんて消えてピッチすらちょっとダサい存在だった。セブンティーン読んでラブワゴンに盛り上がるミーハー友達ちょっと白い目で見ながら、タワレコレディヘCD借りてMDにまとめて友達にあげたりしてた。ウォークマンなんてのもあったなぁ。サブスクなんてなくて、インターネットHTML書いて友達HP作ってた〝あの頃〟キリ番踏み逃げ禁止だった〝あの頃〟ズッキーニとかパプリカスーパーで珍しい野菜として並ぶようになって段々標準装備されていった〝あの頃〟外に散歩に行きたがる猫には網戸をあけてあげるのが優しさだとみんな思ってた〝あの頃〟

みんなのあの頃が懐かしくて思わず書き留めてしまった。大体1995年2005年くらいの10年間のあの頃。

2021-11-01

以前の当たり前がえらい楽しい

コロナということでそれなりに自粛をしていた。外食はほぼゼロ、酒は好きなのに外では一切飲まない、在宅勤務なのもあり、車を買って電車にすら一年半くらい乗ってない。人にもどうしても必要な時以外まず会わない。すべてオンライン

東京住みだが、ここ数週間はコロナがだいぶ落ち着いた感がある。去年はオンラインにした、恒例の小学生からの仲間との忘年会今日、ある。

俺は半ドンして今、先のりして立ち飲み屋で一杯ひっかけてる。最高だ。

適度に騒がしい店内。うまいビール特筆してうまくはないが、まあ及第点つまみ。まだ仕事してるサラリーマンやらしょうもないであろう話に花を咲かせるおばちゃん二人組。献身的に働く店のスタッフ。街に溢れる人、人、人。騒がしい。

べつに、それほど恋焦がれた生活というわけではなかった。自粛自粛で、妻子と共にそれなりにご機嫌に過ごしてきたつもりだ。

だが今店内で一人しょぼいビールを飲みつつ、とても幸せを感じている。ああ、いいな、ってね。とても心が満たされる感覚がある。俺はこれほどに、この以前なら何の感慨もなかったであろう生活を渇望してたんだなと気づいた。

このまま落ち着くといいね。そうはいかないんだろうけどね。

2021-10-18

おれが総理大臣なら月曜を半ドンにする

平成生まれは知らないだろうが、かつて土曜日は午前中のみ出勤していたのだ。

これを半ドンという。

土曜日休みとなった今、人類の敵は月曜日だ。

これを半ドンにする。人類は間違いなく栄える。

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