はてなキーワード: 半ドンとは
高校生以下はそろそろ夏休みの時期ですね。大学生は来月くらいかな。
例年と違って休みになっても大手振って外で遊べないし皆で集まれないし、素直に喜べないだろうなあとぼんやり思います。
ところで僕は学生時代、大人たちに「いま夏休み?学生はいいよな~!社会人に夏休みなんてねえからよ~」みたいに言われるのが嫌いでした。
なぜって、余程のことが無い限り、どのおっさんにもおばさんにも等しく学生時代の夏休みはあったと思うからです。(なかったとしたらそれはごめんなさい。)
自分も甘受してきたものなのに、なんで通り過ぎて何十年も経ってから勝手に上から羨んでくるんだろう。
もちろん時代の流れで土曜日半ドンだったりそうじゃなかったり、祝日の数自体が少なかったり、そういう差異はあるだろうけど大筋の休みとしては大差ないはずです
「学生に戻りてえよ~」、分かります。じゃあ課題もやってくれますか?毎日10kmチャリ漕いで通学してくれますか?というと急に黙るおっさん、休みとか勤労の義務がないとかそういう旨い部分しか見てないのを子どもに見透かされて恥ずかしくないのかな。
いけねえ、話が逸れちまった。
とにかく僕は大人たちが都合の良い部分だけ拾って大人はガキと違って大変なんだマウントをとってくるのがめちゃくちゃに嫌いだったので(まだ大人になったことないガキにマウントとって楽しいか?)(アンタも元々そのガキだっただろ)自分はそうならないようにしようと心に決めて社会人になりました。
社会人になってみると、さすがに「気楽でいいよな~」と言われることはなくなりました。が、代わりに別の部分で変な自虐?風マウントをとられるようになります。
たとえば今日、7月22日。僕の勤務先は基本カレンダー通りの祝日やすみになるので今日も明日もお休みです。世間一般でどっちが多いのかはわかりませんが、今日明日がお仕事の会社もたくさんあるでしょう。
他の職種の友人たちに今日明日休みだということを伝えると、もれなく羨ましがられます。「休みがいっぱいあっていいな~」なんていう見当違いのことを言ってくる人もいます。年間休日お前のとこと同じだけどな。
職種は自分で選べます。(これは学生より選べない人が多いかもしれないので選べない人はごめんなさい)
人が休んでる時に働いて、人が働いてる時に休みたかったらその職種を選べばいい。人が休んでる時に一緒に休みたい人はその職種を選べばいい。
そんな取捨選択すらしてないくせに勝手に人の芝生の青いところだけ見るなんて卑屈なひとたちだなあと常々思います。
あとこれを読んで「ホワイトはいいよな。俺の会社なんて~」みたいなブラック勤めマウントをする人がいるのか楽しみにしています。
あひる12じからの裸女西鉄バスがスポンサーの番組をききながらひるごはんをたべる
ローソン かうんだうんじゃぺーえええん うーうーうーいええ
いまだにジングルおぼえてる
スイミングはきらい
喘息の妹につきあわされてかよってただけ
せっかく好きな女の子に家にあそびにいってたのにスイミングあるからって夕方まであそべなかったのいまでも恨んでる
一応バタフライまでおよげるようになったけど泳ぐ速度は全然はやくならなかった
コースの最後、びーとばんをむねにかかえて背泳ぎをするとき、やっとこれでおわりだとほっとしたきもちで、
天井をみながら、音楽の授業でならった「あの青い空のように」を心の中でうたうのがやすらぎだった
他の子はおわったあとにセブンティーンアイスをかってもらってたけどうちはびんぼうだったから6年間一度もかってもらったことはなかったからいまだにいちどもたべたことがない
帰りはときどき親の買い物につきあってきんじょのエフコープによってた
ほんとは300円くらいの立地な勇者ガムがよかったけどお菓子は100円までだった
ガオガイガーのOPは子供心に名前連呼しすぎでダサいとおもってた
でもEDはすごく好きだった
ゴルドランが好きだった
OPのわくわくかんはんぱない
懐かしいな。実家の周りも昭和50年代初めまでは舗装されていなかった。
家は近所でも一番最後まで五右衛門風呂が残っていて、なんと昭和63年まで現役だった。近所の大工さんやってる家から薪を分けてもらって、祖父が薪割りして釜にくべてお風呂を沸かしてくれた。夕方、家の中は燻されたような匂いでいっぱいになった。途中で湯がぬるくなったら大声で呼んで、父か祖父が追い焚きをしてくれた。
当時はまだ男にも家事の割り当てがあった。
祖父は夕方になったら家中のゴミ箱からごみを集めて焼却炉で燃やす(禁止されていなかった)。生ゴミは堆肥用に。回収日に金属ごみを出しに行くのも天ぷら油の処理も祖父の仕事だった。
小さな畑と田んぼしかなかったので農業での現金収入はないが、家族が食べるぶんの野菜を育てるのも祖父の仕事だった。それから農具の手入れも庭仕事も。
祖母の家事分担は私と妹の子守り、自分と祖父のぶんの洗濯と掃除。父と母が勤めに出た後、全員の茶碗洗ってくれるのも祖母だった。午後みんなの洗濯物を取り込んで畳むのも祖母。料理は苦手だったので主に母が作った。祖母はあと内職の仕事をしていた。その間子供は子供同士勝手に遊ぶかひとり遊び。大人に遊び相手をしてもらった記憶はあまりない。宿題も見てもらってなくて、一人で適当にやってた。
母が1番働いていて、朝起きたら田舎の広い家の掃除と食事の支度、夕方は6時ごろに帰ってきて、また食事の支度と洗濯。洗濯物は納屋の一角に干す。
祖父が元気だった頃は父はあまり家事はしていなかったな。子どもたちにとってはただただ口うるさい父であった。
両親は共働きだった。北陸では珍しいことではなくて、祖父母もその昔は共働きだった。祖母は母が嫁いでくるくらいまでは工場で事務員の仕事をしていた。
というか、私は小さい頃、専業主婦なんてサザエさんやドラえもんみたいな架空の話の中でしか見たことがなかった。
近所はみんな三世帯同居で、両親共働き。地区にはアパートなんて洒落たものもなかったし、親と同居せずに夫婦だけで住む場合はもっと町中の便利なところに居を構えたからかなあと思う。
もし万が一専業主婦がいたら、働かない嫁って言われそうだな。いなかったけど。
そういえば家の電話が親子電話?っていうやつで、たまに受話器を耳に当てると、近所のおばちゃんの話し声が聞こえたんだけど、あれなんだったんだろ。
あと昭和の思い出で覚えてること、、駅の近くの踏切は、横に詰所みたいのがあって、国鉄の人が手動で安全確認して遮断機を上げ下げしていた。
蛍がたくさんいた。
明治生まれの曽祖母は洋服じゃなくて着物を着ていた。志村けんがコントで着ていたみたいなやつ。曽祖母は自宅で療養していて自宅の畳の上で亡くなった。曽祖母が亡くなった時、家に大工さんが来て金ぴかの祭壇を作ってくれて、自宅で葬式をした。
平成の初め頃まで土曜日半ドンだった。私は高校卒業まで土曜日も学校行ってたな。休みがなさすぎる。
週休1日だった代わりに両親ともバブル前は定時で仕事を終えて帰ってきてたな。夏場なんて明るいうちに家に着いてた。それだけは羨ましい。
現在ゆるゆると不妊治療中&うつの治療中。夫は子供欲しいけど私はどっちでもいい人。
私はフルタイム正社員7年目。私は定時帰宅できるが半ドン含む6連勤がデフォ。夫は残業あり転勤有りで8時~20時まで働いてるカレンダー通りの休みの会社。年収は、私350万、夫600万くらい。
基本日曜日の休みの週がほとんどなので、平日は私・週末は夫が家事を中心にしている。
休みの日は夫がスポーツの社会人サークルの活動、私は図書館行ったり友達と遊んだりでお互い自由。一緒に食材の買い出しにも行くけど、べったりではない。
こういう生活が3年も続くと、家事と趣味と家庭と仕事とで時間が全部埋まってくるので「ここに育児…?」となって、この生活を変えようと思えなくなってきた。
私はまだ無利子の奨学金返済中だから仕事辞める気ないし、いずれ転勤の帯同でいやでも仕事辞めなきゃいけないから今わざわざ産休育休挟もうとは思えない。
高校教育に携わっているのですが、今回のコロナで休校になりオンラインで授業を行った。 生徒に関わる教科指導以外の仕事から開放され授業準備に全振りできた。
勉強を教えるという本来の仕事に全力で取り組めすごく充実していた。 これまでで一番準備に時間がかけれた。
けど、結局世の中が学校に求めているのが安価な子守りであることに気付かされた。
学校の授業なんて優秀な人の動画でいいでしょって意見がこれまで多かったと思うが、一気にこの勢いは下火になると思う。
優秀な授業動画を見させるという子守りの大変さを休校で世間の親が痛感したからだ。
ぐずる子どもをなだめてなんとか勉強に向かわせる。それが世間が求める学校の役割だ。
休日無料で子どもを預かり、ヘトヘトにさせてくれる。自分たちが面倒見る手間を取らなくていいんだから、そりゃ部活だって無くならないよ。親にとって都合がいいから。
だと思う。
人は性格良し。街の空気が穏やか。カフェや花屋など生活を豊かにするショップの多いことよ。
・ 年収300万どころか、どんなに頑張っても転職しても250さえいかない。
・ 残業はすれど、タイムカードもないし残業代がつくなんてありえない。
・ 男尊女卑なんて当たり前で、同じ職種・学歴でも女性は男性の2/3以下の給料が当たり前。
・ 給料差を反論すると「早く結婚しなよ」と何故か同情の視線。
・ 男性は結婚すると給料が少し上がるのに、女性は結婚すると安くてもやっていけるよね、という雰囲気になるのが不思議。
職人に憧れてこの世界に入って頑張ってきたけど、職人なんて換えのきかない仕事をしてきたおかげで業界から抜け出せなくなってしまった。
額面15万の正社員の給料だけでは足りなくて朝はコンビニで少し働いてから出社。
正社員とはいえ、保険や福利厚生なんてないので、どの基準で正社員なのかもわからない。
みんなお金がないので、人の懐が気になる。
・ 毎日コーヒーを買って出社する部署の人がいると「コーヒーが毎日買えるなんて、あの部署は給料が高いはず」と噂がでる。
・ ちょっと頑張っていいものを買うと「彼氏に買ってもらったの?」
・ とにかく「お金」でモノを見て選ぶ。
・ そして自分よりもお金を持ってそうだと感じると妬みの感情が吹き出す。
たまたまネットで知り合った異業種の夫と結婚して、やっと東側を脱出した。
未来がなく低賃金で長時間働くぐらいなら、家事を全部やってくれたほうが助かる、と専業主婦に突入。
父親や旦那の仕事に付き添って海外駐在経験も豊富だったり、外国人と結婚してお人形のような美しいファミリー、自宅にはセンスの良い家具に花を飾った豊かな暮らし。
仕事はパン教室やフラワーアレンジメントなど、自宅でお教室を開いてるママも多い。
イラストレーターになりたくて個展を開き、頑張っているママもいる。
家族も大事だけど、自分も夢を持ちたいよね!が最近のママ達の合言葉。
とても辛い。
働いていた時には帰省するお金さえなかったので、ステキな旅行先も知らない。
海外駐在どころか、海外旅行にも行ったことない。(夫は海外苦手)
夢をもって上京したけど、低賃金労働で夢どころか、今しか見れなかった若い頃なのでキラキラした思い出皆無。
大卒が当然の中での専門卒。
そんな私が話に加われるはずがなく、子供のためにママ会に加わっていつもニコニコしているだけ。
そして何より辛いのが、「苦労してないくせに」と自分でも最低だと思う感情がふつふつと湧いてくること。
というか戻れないと思う。
先日数年ぶりにメーカーで働いていた人たちの新年会に参加した。
安居酒屋で焼酎を煽りながら、彼らは私を見て「お金持ちの空気が出てるね」「女は結婚があってよかったね」「私もエリートと結婚すればよかった」「そのコート新品?○万以上するコートよね」
妬みの視線を存分に受けて、今傷ついてる。
西側の人間にもなりきれず、東側にも戻りたくないし、自分の本音を誰にも話せずにモヤモヤして吐き出してしまいました。
ーーーーー反応あったので返信。
住んでいる地域はファミリータイプなら賃貸で少なくても20万はするし、売家なら億超える。
住んでいる場所は義実家の持っている土地に建てたマンションなので引っ越しは難しいです。
職人していた時は周りは年収300万前後の職人ばっかりだったし、その枠以外の人とは接点ないじゃん。
ネットで婚活することで、全然違う属性の旦那と知り合って、はじめて東西格差を実感したのよ。
気持ちが楽になったよ。
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伸びていてびっくりした。。
東と西はなんとなく分けただけで、西がどの地域、東がどの地域という感じで書いたのではなく、ざっくり書きました。
いろいろ推測させてごめんなさい。
自慢やマウントととられても仕方がない。
現在の周囲にも過去の生活を話しにくいし、過去の周囲にもマウントに感じられるから本音はだせないから、ここに吐き出してるのです。
そもそも、自分より格下の「女の子」(元業界には女性は「女の子」「おばさん」の2択しかなかったのです)がいい生活してるのを暖かい目でみてくれるだろう、という甘い考えをもつぐらいの世間知らずではないです。
お互い同じアニメが好きで、はじめのやり取りからアニメの話で盛り上がり、実際に会っても話がとまらなくて付き合い、1年後に結婚した。
今でもすごく仲がいいし、週末は子供を寝かせた後、2人で夜中まで話ししてる。