はてなキーワード: 倉庫とは
親が亡くなる前にやっておきたいこと10選 がはてなー達に受けてたけど、いやこれをどうやってきくんだよ
https://www.ht-tax.or.jp/sozoku-guide/bucket-list
ウチができたのはお墓の話くらいだわ。
それも半分わかってたような話で、親父が上京して60年以上経ってるしこっちでお墓作っていいよね?っていう念押しの確認くらいしかできてない。
親父は中卒で仕事はじめて上京、今は個人事業主で一人親方っていうどんな資産があるのか全く分からん状態なのでどうにかしたいが、
絵に描いたような昭和親父なので金については「お前たちには迷惑かけないから気にすんなガハハ!」しか言わない。母もそれに従うだけ。
俺のキャラ的にも「でも…大切な人の事だから知っておきたい。」とか言わないし。保険のCMかよ。
エンディングノートとかもさぁ…人から渡されたらめちゃくちゃ嫌味な気がしないか?「お前そろそろ死ぬだろ?死ぬ前に資産洗い出しとけよ!」と伝えてるのと同じだろ。
でも実際俺が把握しているだけでも謎の土地とレンタル倉庫、大量の銀行口座で絶対苦労するんだ…面倒だからずっと生きててくれないかな。
ウチはこうやって聞けたよって人、ぜひ教えてください。
すでに他界している祖父母宅があったあたりってそういう感じなのかなーとふと思いながら読んだ。
医療が遠く、不便なのはそうで、子供のころは夜や祝盆暮れ正月に病気すると病院が開いていないんだぞって脅されたものだった。
多分、今もその状況は変わらないんだろうな。
両親の家を相続して移住した老夫婦がいたが、ほどなくして音を上げて出て行き、空き家になっていた。
庭はめちゃくちゃ広かったので、子供のころはそこで遊ぶだけで一日潰せた。
元増田のいう小学校の運動場サイズの庭ってやつだ。正確には都内の小学校の運動場サイズと言っておくべきだろう。[*1]
祖父が庭でいろんな野菜を育てていたし、夏休みの間に自分たちの為にスイカを育ててくれたこともあった。
基本、ナス、キュウリ、トマトくらいは全部自家製で、毎日新鮮な野菜を食べていた気がする。
その他、ミカン、ザボン、びわくらいは庭の木のをむしって食べてた。自宅の梅で作った、自家製の梅干しもあった。
祖父母は定期的に庭師に入ってもらって、消毒もしてもらっていたようだけど、木登りもいつもやる遊びの一つだったな。
自分の親が住んでいるのはそこから離れた地方中核都市で、都内の自分の家よりずっと広いけれど、祖父母宅ほどではないな。庭は都内の小さい公園サイズ。
兄弟の子供を夏休みの間に預かっていた親が子供が時間を持て余していると困っていたけれど、単純に庭のサイズの差と暑さの差だろうな。
運動場サイズの庭では植物育て放題だったし、謎日曜大工をして作品作り放題だったし、それを全部取っていても困らないほどの大きさの倉庫があった。
あと、あの頃は今よりも過ごしやすい程度の暑さだったので、子供は外で遊ぶというのでも別に問題にはならなかった。
[*1] 地方中核都市で育った小中学校のころ、親が学校行事に車で来るのが当たり前で、それを受け入れられるだけのだだっ広い運動場があったが、そこまでは広くないなと。
小中学校のころ、運動会は朝から晩まで親が観覧していて、昼ごはんも各自親と食べていたけれど、都内だと小中学校は校庭が狭いので親とご飯食べないらしい。
子供のころ、幼稚園の運動会も幼稚園の校庭でやっていた気がするんだが、都内だと近隣の学校などの校庭を借りてやるのもちょっと驚きだったな。
少し前に東京の文化や地方都市の文化、みたいな話題が増田で盛り上がっていた。
大体、こういう話題のオチは東京は消費文化に過ぎないとか、クラブカルチャーのようなものは地方都市では生まれ得ないといったマウント合戦になる。
我が家は地方都市の自営業。地主階級ではなく、単なる1代限りの商売をした層だ。自分は継がずに東京でサラリーマンをしている。
そんな父はエスタブリッシュメントではないが、書斎や職場の倉庫に優に2万冊を超える書籍を残していた。
思い出せば父は休みの日は本を片手にソファで寝っ転がっていた。インテリ風な見た目、オシャおじな見た目では全くなかった父は、家族以外の他人からはいつも印象と蔵書量がピンと来なくて驚かれる。
あまり父と本の内容や政治経済の話をしないので、読んでいた本の傾向はわからないが、いわゆる雑食型だと思う。そもそも大学教授や地方の研究家というわけではないので雑食で問題なかろう。
もともと経済学部出身だったこともあり、経済関連の本は多く、地方都市のただの自営業者にもかかわらず世界経済に関する書籍が多いのは少し笑った。実学よりも知識欲だったのだと思う。
とはいえ、堺屋太一や立花隆、村上龍などの著作はかなりあり、好きだったのだろうと思わされる。
もともと文学少年だったようで、小説が最も多く、1万冊程度、あとは歴史が好きなので歴史関係の書籍が数千冊、経済、思想、美術あたりが多い。子供を東大に入れるための教育法、不動産投資で失敗しない方法みたいな本棚に並べるのも恥ずかしい本もあって笑える。そのあたりも雑食で好感が持てる。文学は自分が全く知らない著者や世界文学の本もあり、なかなかの教養を伺わせる。生前にいろいろ聞いてみたかった。
理系の話がわかるようになる本、大学受験用の数学や物理、生物の参考書、大学以降の化学の教科書(東京化学同人とか)もあって、このおっさんはどこに向かおうとしてたんだと思う。コンプレックスかもしれないし、学生時代に身につけられなかったことを少しずつ勉強していたのかもしれない。よくわかるレアメタルの本、とかよくわかるEVの本みたいな仕事と全く関連ない本も読んでいて本当によくわからない。付箋がついているので読んでいる跡はある。
画集や詩集も多く、このあたりはまったく詳しくないのでどう評価したらいいのかわからない。でも、昔から美術は好きで、海外にはよく美術館巡りをしていた。ルーブルに3日連続で通ったあとに、全然見れなかったからまた来たいなぁと言っていた。その想いは叶わなかったけれども。
私が知る限り、父には友人らしい友人はいなかったし、小説を書いて応募したという話は聞かないし、金儲けで成功したという話も聞かない。せいぜい母と私と兄を養ったという我が家にとっての偉大な功績があったくらいである。
父の仕事に直接関連する書籍は蔵書の中の1%未満であり、父は人生の可処分時間の大半をステップアップや成長のための読書ではなく、趣味のための読書、自分のための読書で過ごしている。父が得た知識や理解はどこにもアウトプットされることなく、灰となって消えてしまった。
もちろん地方都市に父のような生活をしてる人が大半だなんて言うつもりはない。おそらく少数派だ。しかし、人口20-30万人くらいの小さな地方都市には大体、父のような人間がいるものだ。
東京や大阪にもいる、という話ではない。そんなのいるに決まっている。
地方都市の自営業者のような世間的にはそんなに尊敬される、すごいと思われるわけではない職業についた人々が、自身の知的好奇心ドリブンで年収や職業訓練になんの役にも立たないことをしている。そういうのも一つの地方文化だと思う。首都圏生まれの人には想像しづらいかもしれないが、いわゆる知識人階級(大学教授や医師・弁護士といった士業など)の肩書を持っていないが、準知識人(もしくはエセ知識人、隠れ知識人かもしれない)がそれなりに埋もれている、そういうことも知っておいてほしい。
これ。
https://twitter.com/toraumahello/status/1685970193074548737?s=46&t=QguSAgAeFoCxBlUwMtYnRg
目当ての本が届くのを楽しみにしてたところをさ、全然違うもん掴まされてさ、返品したら在庫復活。
足元みやがって悪徳業者が。
これが本当なら、酷い話だよ。
本当ならな。
よくよく考えて欲しい。そんなやり方、商売として成立する訳が無い。
まぁ少なくとも在庫管理か発送でチョンボはあったんだろうが、恐らくそれ以上のことは無い、と考えるのが妥当だろう。
何しろ、令和の世は消費者に優しい。ネットで騒げば、どこからともなく味方が集まってくれる。
警察はもちろん、消費者向けのホットラインもあるし、そもそも駿河屋にだってそれなりの窓口はあるだろう。
ネットでは随分と評判が悪いようだが、さすがに悪徳業者の片棒を担ぐような真似をするとは思えない。
そんななかで「漫画みたいな悪徳業者」のようなやり方が通用するだろうか。
成功したとしても、数回だか数十回、まぁそんなとこだろう。数百万程度の利益ってことになる。
俺は地方の自治体でシステムのお世話をしている中間管理職のしがないアラフォーであり、古本屋の経験は無いが、想像ぐらいは出来る。
まず、駿河屋のサイトで確認したところ、例の業者は現在19万冊の古本を駿河屋で販売しているらしい。
すげーな。
https://www.suruga-ya.jp/search?category=&search_word=&tenpo_code=410068
実際の場所やサイズはGoogleMapで調べれば裏は取れるだろうが、たとえどんな田舎に建てたとしても
土地に建物、かなりの費用が掛かるだろう。何しろ19万冊用の倉庫だからな。
クソ田舎のこじんまりとした図書館どころか、俺の娘の小学校の図書室ですら、コンピュータで蔵書管理してるもんな。
ただ、図書館と違って、受注・発送・返品・返金などなど多くのステータスを管理する必要があるし
何より、業者のメールに書かれてる「価格改定システム」ってキーワードが気になるところだ。
19万冊の本に適切な値付けをするってとんでもない手間だから
「ネットから自動収集した価格情報を元に、商品の価格を自動設定する」みたいなシステムを開発してるんじゃないのかな。
たぶん、システムが価格を決定するまでの間に買われちゃうと困るから、仮でつけてる金額が10万、ってことじゃないの。
古本を10万で買うやつなんていねーだろ、っていう前提で設計してるんだろ。
で、そんな特殊なシステムなら市販されてる訳がないので、オリジナルで開発してるんじゃないかな。
ちなみに、法人向けのシステムって、買うのも作るのも使うのも、メチャクチャ金掛かるぞ。
SNSぐらいしか使ったことがない奴には想像もつかないだろうけどな。
ぜんぜん違うシステムではあるが、500人規模の人事給与システムで
導入に2000万、年間の利用料で300万とかだな。メーカーや製品にもよるけど。
そしてもちろん、人件費も掛かる。
まぁ、猫型ロボットがメシを運ぶ時代だから、機械化しまくれば人件費は圧縮できるかもしれんが、機械化にも金が掛かる。
で、月にどのぐらいの数を売ってるかは分からんが、少なくとも19万冊は仕入れてるワケだ。
お前が19万冊の古本を買い取って回るとして、何ヶ月掛かると思う?
そもそも、ツイ主のクレーム対応してる担当者も人間だから、人件費が掛かってるんだぜ?
*金の問題とは別だが、人を雇うってことは大変なことだよな。
雇うってことは、社員と、その社員の家族の、人生を背負うことでもあるからな。
まぁ、全部を背負うワケじゃないけどさ。
ということで。
かなり雑な想像ではあるけど、初期費用は間違いなく億は越えてるだろうし
ランニングコストもかなり掛かってるだろう。
大金を投じて、リスクを負って、人生掛けてやってるんだろうよ。
ツイ主は、そんな業者が、たかだか10万ぽっちの金を得るために、とんでもない悪どいことをしている!と主張しているワケだ。
業者の弁明も「意味がわからない」し、「どう考えても普通のことではない」らしい。
や、アタマ冷やして考えろよ。
ありえないだろ、そんな商売。
2015年当時だとまだベビーモニターは海外ほど普及してなかったように思うけど、ジーナ式っていう寝かしつけ方法が話題になってたかな。
残念ながら添い乳に頼りっぱなしだった我が家では泣き声に耐えられず試すに至らなかったけど、当時から批判も少なく評判はよかったように思う。
もう「何ヶ月〜何歳頃は子供はどのくらいの大きさで、何をするようになったか」とかみんな忘れて曖昧になっちゃったな。
保育園に入るまで毎日書いてた育児日記とか保育園の連絡帳も辛すぎて見返したくなくて、倉庫にしまったまんまだ。
あの頃は1日1日があまりに長くて、何か新しいおもちゃを買ってあげても15秒程度遊んですぐに飽きられちゃうし、保育園のない土日は何をして遊んであげたらいいのかわからなくて、電動自転車で片道40分かかる隣町の大きな保育施設まで毎週連れて行ってた。その40分は自転車に乗って大人しくしてくれてたから。
たくさん育児の助けがあっても、今のお父さんお母さんもきっと大なり小なり同じだよね。みんな毎日頑張ってて本当にすごいと思う。トラバくれた増田さんも元増田&元ブログのお父さんたちも本当にお疲れ様です。
高校時代、妻とはプールの更衣室、体育倉庫、裏山、俺の部屋、彼女の部屋とありとあらゆる所で時間の許す限りセックスしまくってた。
大学時代は半同棲しながら妻の身体にハチミツとか生クリーム塗って舐めてそのままセックスしたり、脱衣所で服脱ぎながらセックスしてお風呂入ってセックスしてお風呂から上がってまたセックスしたりしてた。
新婚時代は「愛してる」ってお互い何回も言いながら目会うたびにクスクスしながらセックスしてた。
今ではタイミング調整して排卵誘発薬服用してズボンとパンツだけ脱いで待ってる妻になんとか勃たせた陰茎を入れて、楓ふうあとか橋本ありな想像しながら腰振ってなんとか射精。妻は無言のまま服を着て寝る。俺はYouTubeを観ながらリビングのソファで寝る。
先週、帰宅するとまた妻が泣いていた。どうしたのと声を掛けると持っていたマグカップを床に叩きつけ割った。しばらく立ち尽くした妻は黙々と叩き割ったマグカップの掃除を始めた。
また生理が来たらしい。
セックス辛すぎて笑う。
方法は知らない。
祖父は生前父に「他にも姉たちが沢山いたのに父は身勝手に死んだ」と言っていたらしい。
享年47歳だったらしい。
ご近所さんの倉庫にあった農薬をお酒と一緒に飲んで自死したらしい。
父は生前私に「結局姉たちやわしのことも考えずに、近所の人への迷惑も考えずに死んだんや」と言った。
享年48歳だったようだ。
父は生前ヘルニアを患っており、手術はしたものの担当医から「数年以内には車椅子になる事を覚悟してください」と言われたのを苦に、
私は当時小6で「結局お父さんもじいちゃんたちのようにうちのことも、弟のことも考えてくれなかった」と思った。
享年49歳だった。
弟は小5で父が自死したこと、そんな父に姿も声も癖も段々そっくりになっていくことがコンプレックスになっていた。
しかも住んでいた家が大◯てるに一時期掲載され(今は跡地にスーパーが建っている)、「早朝に出る」と怪談話にもなってしまった。
しかし、弟本人は高校生くらいで「47、48、49、ときてるからもし何かあっても俺が死ぬのは50歳ちゃう?」と話していた。
遺書によると、担当部署が残念ながら「顧客との通話に録音機能が無い」という状況で、
上司にも代わってもらえない環境で毎日毎日クレーム対処を行っていたのが辛くなって
人生RTAを誰がしろと言った。男女の双子が生まれてすぐにぶっちぎりで更新するんじゃない。
享年26歳だった。
祖父も父も弟も皆「父親が自死した」というのが本人も自死するまでずっと人生に暗い影を落としていた。
そして自死した末っ子長男達に対して歴代の母(妻)や姉たちは「何も出来なかった」とずっと思いながら人生を生きていくしかない。
弟に関しては父の二の舞にならぬようきちんと投薬治療・入院させようと病院を探していた矢先だった。
りゅうちぇるのニュースを見て「なんて身勝手な父親なんだろう」と思ってしまった。(あえて「父」と言わせてもらった)
死人に鞭打つな、と思う人もいるだろう。
・「お父さんがいない家の子と仲良くするのは…」と交流をなくそうとする保護者がいた
・「お父さんが亡くなったのは信心が足りないから」としつこくしつこく宗教勧誘された
・「心の健康のためには良い調理道具が必要」としつこくしつこくマルチ勧誘された
・婚約してご両親にご挨拶しに行ったら、「うちの子まで自死したら困る」と反対されて結局破談した
ことがあったのを思い出すと
「お父さんの所為で苦労した」「お父さんにあの時守ってほしかった」と思ってしまうのは酷だろうか?
ワイは1浪して阪大入って某大手コンサルに内定決まって卒業して就職して4年で精神と脳みそをぶっ壊して2年引きこもって、今は倉庫で延々とピッキング作業をしてるけど今が一番幸せだ。
たぶん、俺自分の頭で考えることが極端に苦手なんだよな。
与えられた問題を解くことは得意だけど問題を考えることが苦手。いや、コンサル入る前に気づけよって感じだったし、そもそもそんな奴は面接ではじけやって話でもあるんだが、間違えて入ってしまってドチャクソきつかった。
ただ指示された荷物を最速最安定で積み込む今の仕事はとても楽しい。
なにより、やったら終わるの最高。受験勉強頑張れたのも、受験問題は答えを出したら終わりだったってのもあるんだろう。やってもやってもどこが終わりかわからんコンサルの仕事は本当に苦痛だった。
本社の人が「阪大卒で〇〇勤務だったのに倉庫作業なんてもったいないから君が希望するなら本社に上げるけど」って言ってくるけど、マジでノーサンキュー。ワイみたいな人間にはただただ単純作業させておいてくれ。
毎年3月11日や9月11日を不謹慎だという連中や、「何らかの記念日だし普通の日とすべきだ」と書かれたアンサイクロペディア、全てにぶちぎれた増田が1年全ての日付(8月32日や11月31日なども含める)を不謹慎の日と扱うリスト
それがオールアンラーッキーデイズ(All anrakki days)だ
このリストに著作権なんかねぇから、日めくりカレンダーも薄い本もなんだってしてもらってもいいぜ
去年はまさにこの国の終わりを迎える記念すべき日だったナ
以下の順番でその日に起きた出来事をチェック
基本は日本縛りだが、あまりにもデカすぎる事件や事象の場合や、不謹慎がない場合は海外も対象に入る