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はてなキーワード: ペットボトルとは

2021-02-19

伝説変人新人のはなし

から20年くらい前、私の入社するだいぶ前のことだ。

とんでもない変わり者が弊社に入社してきたらしい。何でも同じビルファミレスから大量のガムシロップレモンシロップ食事の度に持ち出して、それを空のペットボトルに詰めて、『即席清涼飲料水』を製造していたらしい。

で、彼女デスクオフィス冷蔵庫も『即席清涼飲料水』で満杯。捨てようとしたり注意しようとしたりするとパニックを起こして泣き叫んだと聞いている。

最終的にはファミレスから出禁を喰らい、他のカフェか何かでガムシロップ持ち出しを咎められた辺りで退職したとか何とか。まあ私が入社する前の話だ。シロクマ先生の話を見て思い出したが、「◯◯ちゃんも変わり者だけど『清涼飲料水ちゃん』よりはマシだから」と微妙フォローを貰って思い出したことをここに記す。

https://p-shirokuma.hatenadiary.com/entry/20210218/1613629800

2021-02-18

anond:20210218205737

はっ わかった。 SageMaker 1.5Lペットボトルを買うときお客様袋がいらない だって 1点だもん、わかった?SageMaker

2021-02-16

anond:20210216072928

1日5分 追加で コロナ音頭を踊って

追加でカロリーメイトペットボトルの甘いドリンクを追加で飲む

そんなものが、コロナ対策になるわけないのに

これでバッチリとか、言い始める人が出現・・・

コロナ怖い

2021-02-14

コンビニペットボトル1本を買った場合

袋はもらうべきかどうか?

2021-02-11

めぐみんにバトーさせたい

タチコマペットボトルキャプ x 2があればいつでもどこでもキミはバトーさん!」

2021-02-09

anond:20210209175102

店で売られてるペットボトルも、図書館の本も、汚さず丁寧に扱うのが常識やろ。

もちろん100%完璧に綺麗なままってのは無理やけど、

からと言って「少しでも汚したらダメなんかーっ!」って極論に走るほうが狂っとるで。

anond:20210209174652

そら店の棚に並べてあるペットボトルベタベタ触ったりラベルを汚したりしたら怒られるやろ

最低限の接触を心がけるのが常識やで

anond:20210209174249

ペットボトル消耗品だが、汚れたらそりゃ売れない。だからってショーウィンドウに飾って「接触禁止!」の張り紙でもしますか?

この論法が成り立つならこの世に「本質的に保存するもの」でないもの存在しなくなるのでは?(汚物のように、積極的排除必要ものを除いて。)

2021-02-06

金ないって言うやつに限ってペットボトルお茶飲んでる現象

いまだに何故か解明されてないんだよね

2021-02-03

anond:20210203165501

おーいお茶の「おーい」は漢の詩人の「王維」からきてると聞いたことがあるよ

からペットボトルにも俳句かいてあるんじゃないの?

女性にたいして「おーいお茶いれてくれ」って呼び掛けてるなんてのはただの云いがかりだよ

2021-02-02

anond:20210202214629

ペットボトル毎日3-6L、コーラなりなんなりをのむが

それでも、米は血糖値的に危険

2021-01-31

置き配は対人恐怖症にとって良いサービスやね

ペットボトルの重いダンボール注文しても対面で嫌な顔されたりして

メンタル削られることもないし遠慮なく注文できる。

配達員からしたら重いダンボール運んできて嫌味を言う機会を与えられずストレスが貯まるのだろうか。

2021-01-30

「プハーッ!」が嫌い

「プハーッ!」

お分かりだと思うがなにかを飲んだ後の吐息のようなもの表現です。

漫画などではビールを飲んだ後に出てくることが多いように感じますが、

今回私が言いたいのはビールに限ったことではない。

 

職場おっさん

何飲んだ後にも「プハーッ」ってやるんだけど、なんか汚いんだよな。

ペットボトル緑茶飲んでもプハー、食後に水かなんか飲んでてもプハー。

行為自体がゲップみたいで印象汚いってのもあるし、

そもそもおっさんの行動なんて一から十まで汚いんだよな。

 

毎回ではないけど、なんか食べた後ですら「んはー」みたいな吐息出すし。

もう老化なんだろうな。

春雨サラダもすすって食うし。冷めたシチューもズルズル音立てて食べるし。

 

悲しいなぁ

平和に生きていきたい

今はただただ眠りたい

その次は家事をしたい 自分が生きている部屋をきれいに整えたいんだ

ほこりと髪の毛で汚れた床に掃除機かけて ずっと洗ってなかったシーツもきれいにして 布団だって干したい

机の上に散乱してる空ペットボトルだって捨てたいんだ

その次は料理がしたい 

別に難しい料理がしたいわけではない そもそもできないし

でもカップラーメンとか冷凍パスタじゃない 自分で手間暇かけた健康的な料理時間に追われずゆっくりと食べたいんだ

そして運動がしたい

コロナちょっと心配だけどジムに行きたいな

少し前までは筋肉付けようと一生懸命頑張っていたけど 今はすっかり体がしぼんでしまった

有酸素運動もやりたい

あんまり外走ったりは好きじゃないので なんか楽しく走り回るスポーツがいいよね

 

そんな普通でありきたりな生活

でも手に入れることができない平和生活

 

うつかれたなあ

2021-01-29

anond:20210129220038

真冬に外出できる服装をする。

その服装のまま布団に入る。

暖房が無ければ、沸かしたお湯をペットボトルに入れてタオルを巻いて簡易湯たんぽにする。

コンビニでホッカイロ買ってきてぽっけに入れる。

2021-01-28

ペットボトルって空気通すらしいじゃん?

これでマスク作ればコロナも通さなマスク作れるんじゃね?

ガラス瓶でもペットボトルでもないプラスチックみたいなボトルジュース

誰か覚えてないかな。グァバとかトロピカルフルーツの味だったと思う。

台所から居間に行く途中の廊下で落っことして、ボトル割れちゃって、泣いたんだよな。

ビャーと広がって、両親がすっ飛んできて、ばかだなといいながら拭いて、けがはなかったか聞いてくれた。

そのジュースも両親も家ももうなくて、ないものだらけの思い出。

2021-01-23

守れない奴がタバコを吸うな

ペットボトルに吸い殻を入れて捨てるやつしねよ

消えてない吸い殻を花壇に捨てるやつしねよ

火気厳禁って書いてあんのにタバコ吸うやつしねよ

から喫煙者クズしかいねえって言われんのよ。

2021-01-22

貞本エヴァ白人差別

7巻加持の子時代の話

頭に銃当てて加持から孤児仲間の居場所を聞き出して皆殺しにした軍人って白人だよね

日本人自衛隊員はそんなことしないって気持ちがあったんだろう

あと戻ってみたらみんな死んでるシーン

ペットボトルとかが全然倒れてないのうける

2021-01-17

エンドロールのその先

自分の整理のために記録として書いています

長いし、読む価値は無いので、読んでからガッカリしたとしても自己責任でお願いします。




子供の頃からなんとなく漠然と、自分人生は二十歳で終わると思っていた。

高校受験学校見学で魅力的な学校を見つけ、どうしても入りたくて、頑張った。

憧れた高校入学して、そのあと何をしたらいいのか分からなくなった。

受験が、入学が、私のゴールだった。

高校生活は何をすればいいのかわからなくて、とりあえず「それっぽい」ことをして終わった。

憧れた高校生活は、ほとんど何もせず、ただ好きな制服を着て、かっこいい校舎を彷徨くだけだった。

それで満足していたし、それ以上はなかった。

大学は行きたくなかった。

やりたい事はほぼなくて、勉強もできないし、将来の目標も無いから、行く意味が分からなかった。

小学生の頃の昼休み友達に「絵が上手いか漫画家になればいいじゃん」と言われた。

その時からなんとなく漠然と、自分漫画家になるんだ、と思っていたし、漫画家になるなら専門学校の方がいいと思っていた。

あとは、当時見た3D映画がかっこよくて、そういうのを作る人になりたいと漠然と思って、そういう専門学校も考えていた。

結局、絶対大学じゃなきゃダメだという両親に説得され、漫画3Dも学べる大学に入った。

入学から半年後、学部全体説明会で、学長に言われた。

「お前ら今すぐ全員大学辞めて専門学校行け」

新設の学部だったし、入試説明会や案内には、漫画アニメ…それこそ専門学校のようなラインナップが書かれていて、親が許さず専門学校ではなくこちらにきた、という人が私以外にも大勢いた。8割はそうだったと思う。

実際、入学前に散々確認した3Dモデリングに関する知識のある講師は、入学後には存在しなかった。

かろうじて漫画講義はあったが、ただのオタクおじさんが自分ロリ趣味を語って聞かせるだけで、そこに学べるもの(例えば、そのロリの魅力、なぜいいのか、どういうところがファンの心を掴むポイントなのか、などを話されればまだしも、ただ「かわいい」としか話されなかった)は無かった。

これは、このままここにいても意味がない。このままじゃ無駄時間を過ごしすぎる。

だって私の人生はあと数年で終わってしまうのだから

二十歳まで残り2年、アルバイトを頑張って、大学在学中に夜間の漫画専門学校に通った。

ぶっちゃけ漫画専門学校に通わなくても描ける。

それでも学校に行ったのは、私自身がそうしないと一作も描けない人間だったからだ。

まり、この時点で気づくべきだった。

私に漫画は向いてない。

専門学校では初めこそ有意義時間を過ごせた。

話の組み立て方、起承転結コマ割り…

授業は週一、1年間。必死で稼いだバイト代ほとんどを注ぎ込んだ。最大限に有効活用して作品作りに役立てようと息巻いていた。

入学特典として、時間外でも個別相談作品を見てもらえたので、入学2ヶ月後、早速初めてのネームを見てもらった。

ストーリーも何もかもボロボロで、とても酷いネームだったと思う。

それでも、丁寧に指導してもらえて、学ぶことがたくさんあって嬉しかった。

教えてもらった事を活かすために、早速新しいものを描いて、2週間後にまた持っていった。

あなたネームは長いし、見るのに時間がかかるからなぁ。僕、家が郊外で遠いし、嫁が家で待ってるから

今思うと、先生だってそりゃ家庭があるし、仕方ない話だ。

それ以来、週一の授業も休みがちになり、半年をこえた頃には専門学校は行かなくなった。

自分でなんとかしなきゃ。

とにかく、まずは一作。

そうして、専門学校卒業前に1人で作品を完成させ、初めての持ち込みに行った。

せっかく描いたし、なるべくたくさんの意見を聞いて次に活かしたい。

5個の編集部に持ち込みに行った。

うち2箇所で、二度と漫画を描くなと言われた。

そんなバカな、誇張が過ぎると思うでしょ?一箇所はあくまでやんわり、自分担当作家と私との違いを長々と話した上で、向いてないと思うと言われた。

もう一箇所は誇張無しでハッキリと、「二度と描くな」だった。

そりゃ、最初から傑作が描けるとは思わなかった。

まして、今回は誰にも見せてなかった。ダメ出しも覚悟の上だ。

でも、2度目を描くことも許されないとは思わなかった。

帰り道の足取りは重かった。

初めての単身上京、知らない街。

憧れた新宿から半蔵門まで歩いた。

足を止めたら消えてなくなる気がしたから。

そんな作品だが、一応残りの2箇所では名刺をもらった。

うち一つは、みんなの憧れで厳しいと言われる場所で、なんならそここそ絶対無理だと思っていた場所だ。持ち込み予約の電話時点で扱いが悪かったし、当日も約束時間に行って、30分待たされて、待ってる間他の人が酷評されているのが聞こえて、怖くて途中で帰ろうかと思っていた。

でも、そこの編集者が1番優しくて、また見せてほしいと言われた。

社交辞令かもしれなかったけど、それが嬉しかった。

でも結局、編集部名前が凄すぎて恐れ多いし、なにより田舎者自分はそう簡単に持ち込みに行けないので、もう1箇所の名刺をくれた人にネームを送るようになった。

結果から話すと、うまく行かなかった。

私の実力と、担当さんの期待値が合わなかった。

その頃には大学卒業の年になり、最後の思い出のつもりで卒業制作を別の編集部投稿した。

ついでに、同じ雑誌イラスト賞にも応募した。

持ち込みの時にも行った編集部だが、持ち込みの反応はかなり悪かったし、きっと今回もダメだと思っていたが、卒業旅行中の魚市場で受賞の連絡を貰った。

カニを見ながら泣いた。嬉しかった。

漠然と、自分漫画家になる、と思っていたから、就活はしていなかった。

元々していたアルバイトフルタイムにして、漫画を描いていた。

しかバイトハードすぎて漫画を描く時間はなかった。休憩時間事務所トーン貼りしたりしてた。

鬱になった。

正確には鬱になったのは卒業制作中、同じゼミの子と比べられるプレッシャー作品ができない焦り、バイトの繁忙期が重なってパンクした。

ある日突然、プツンと何かが切れるような感覚があって、それ以降、目の前で話しかけられても、音声として認識できても言葉として理解できなかった。

話を聞いているのに、聞き取れない。理解できない。

当時の店長相談して、接客から裏方作業に切り替えてなんとか過ごしていたが、色々あって結局辞めた。

元々2年で辞めるつもりだったし、漫画バイトもうまく行かなくて、就活を考えた。2年以内ならまだ第二新卒枠がある。

何社か受けて、履歴書を見て笑われたこともあった。

それでも雇ってくれるという会社があった。絵を描ける技術を買ってくれて、新しく雇用形態も増やして、漫画の夢を追いながらうちで働けるようにサポートしてくれる、と。

すごく嬉しかったが、断った。

私は、言葉呪いが効きやすタイプだ。

そして特に、親の言葉は。

雇ってくれるという会社は、夜の街に近かったし、それに隣接するお店も取引先になっていた。

両親はそれが心配だったらしい。

「周りの人に、そんなとこで働いてるって言えるの?」

私は働いた事がないから分からないけど、親が言うならそうなのかも、と思ってしまって、断った。

今思えば、あの時あの会社で働いていたのが、1番幸せ分岐だったのかもしれない。

面接をしては落ち、を繰り返している間にふと、どうせ働くなら漫画に近い場所の方がいいのでは?と、アシスタント先を探すことにした。

当時はまだアナログが主流で、どこも都内で通いの募集ばかり。田舎者自分には不可能だった。

そんななか、本当に偶然、地元募集を見つけた。

から自転車で行ける場所、未経験者可、自分にとっては最高の条件。

早速応募して、面接

そこで初めて、現役の漫画家さんと話した。

採用になり、週に四日、6時間勤務。

作家さんの仕事場はフルデジで、ワンルーム作家さんと私用のPCと液タブが、それぞれ壁を向いて設置されていた。他は何も無い。

お互いにコミュ障で、会話はあまり弾まなかった。それでも、ネームを見てもらったり、トーンの貼り方をなんとなく教わったりした(基本的には「いい感じにして」の指示だったので、ほとんどは独学だった)。

その作家さんは漫画業界の闇に触れすぎて疲れていたので、ほとんど話し相手役割だったが(そもそも週刊と月刊の2本連載をほぼ1人で描く狂人だった)、私にとっては貴重な話がたくさん聞けた。

あと、その話を聞いてて、「漫画家なんてなるもんじゃないのかもしれないな」、とも思った。(作家さんが毎日のように辞めたいと言っていたから。そもそも異常な執筆量を1人でこなしてたし、そりゃ辞めたくもなるわな、と今は思う。)

そこで1年半すごし、作家さんの連載の終了と共に辞めた。

その頃は、何度か原稿を送って、1番小さい賞を何度か取っていた。しか担当さんとはうまくいかないし、原稿送っても「悪くは無いけどよくもない」しか言われず、何をどうしていいかからない状態だった。

そしてふと、自分は今まで一度も漫画を楽しく描いた事がないことに気づいた。

展開が、目線誘導が、読者の盛り上がりが…

初めて描いた時から、そんな事を気にしてばかりで、自分自身が楽しく漫画を描いたことがなかった。

アシスタントも無くなり、名実ともに無職になり、再度就活を始めた。

相変わらず履歴書を笑われて、嘘つきな採用担当意味不明な事を言われながら、最後自分の好きなものを描いてみようと思った。

何を描いても、誰にも何も言われない。

好きなように、楽しく。

結果的にやっぱり「読者の目が〜」とか「起承転結が〜」とかを気にしてしまい、完全には楽しくなかったけど、それでも、今までで1番気楽に描けた。

せっかく描いたし、SNSにあげてみた。

今まで私の漫画学校先生と、編集部の人くらいしかたことがないし、反応をもらえた事はない。

いいねが1万件ついた。

びっくりした。

たった一晩で想像もしない人数が見てくれた。感想コメントもいっぱいついた。

しかった。

それから就職が決まるまでの間…と、少しずつ好きな作品を描いた。

編集部酷評だったけど、SNSコメントは優しかった。

これで漫画最後にしようと思っていたのに、やっぱり描きたくなった。

SNSにあげた漫画を、編集部に送ってみた。

ジャンルが違うので、今までのところではなく新しい編集部だ。

ほとんど返事はなかったが、1箇所だけ返ってきた。

そしてそこで、いきなり連載になった。

今までもらった事ない反応が続いて、ある種のハイ状態だった事もあり、その連載もうまくやれる気がしていた。

電子のみの連載だったが、書籍化もできる自信がなぜかあった。

そして実際単行本も出した。

これだけ聞くと、SNSで人気出て連載、書籍化、すごく順調っぽい。

当時の自分もそう思っていた。

でも実際は違う。

話数が増えて、人気もちょっとずつ出て、物語ちょっと複雑な内容を追加した。

すると担当から言われた。

エロがあればいいから、余計な事はしないで」

私が描いていたのは、エロ系の漫画だった。

とはいえ、ただエロシーンが続くだけでは読者も飽きるし面白くない。何より話が続けられない。

そして元々少年漫画が描きたかった私は、エロだけを描くのは本意では無い。

今までは「いつか人気が出れば複雑な話も描けるから」と言われて頑張っていたが、その「いつか」が来ない。

担当にはっきりと、「絵がそこそこ描ければ話なんてどうでもいいから」と言われ、自分から打ち切りを申し出た。

今でも配信サイトコメント欄には続きを望む声が書かれていて、非常に申し訳ない。

描けなかった。

今度こそ、きちんと、話で勝負できるように。

単行本と、新作のネームを持って持ち込みに行った。

連載の経験もあるし、単行本も出てる。今までとは違う。採用にならなくても、作品を良くする話をしてもらえるはず。

「よくこれで本が出ましたね」

持っていったネーム単行本も、今までのどの持ち込みよりも酷い評価だった。

曲がりなりにも約2年、頑張って描いていたのはなんどったのか。

当たり前といえばそうかもしれない

過去に2社で連載をしたが、その二つ共が作品の打ち合わせはほぼ無かった。

一社に関しては一応ネームチェックがあり、エロの量だけ指示された。

もう一社に関しては、企画段階で一度だけ電話があり、メールの内容の復唱だけして終わった。以降は何を送っても「いいですね!」何も良くない。こっちが頑張って、相談しても特に取りあわれず、返事は全て「いいですね!」

1人で何度もネーム再考して、完成原稿を期日までに送る。

一応お金をもらっていたけど、やってる事はSNS投稿漫画と同じ。

商業作品の魅せ方のノウハウはもちろん無く、作品作りの才能がない自分には、自分だけの力で読者を惹きつける漫画を描くことはできなかった。

3度目の、「もう漫画やめよう」が来た。

悔しいけど、やっぱり自分には描けない。

でも、今日まで頑張った事を無駄にするのも惜しい。

また、「最後」と言う名目で、好きな漫画を描いて本にした。

作画配信したりしたおかげで、完成前から応援の声は多かった。

そして初めて、オリジナル同人誌完売した。

その漫画は、内容にアラは感じていたが、今までで1番楽しく描けた。

初めて感想差し入れもたくさんもらえた。

その作品を持って出張編集部に行って、そこでも2社声がかかった。

あの時がたぶん、私の漫画人生ピークだった。

その後、持ち込んだ漫画を元に読み切りを描き、運良く掲載

SNS時代ファンの皆様の応援もあり、連載化が決まった。

描けなかった。

私の中でイメージするキャラは持ち込みの時から変わっていない。けれど、いくらネームを描き直しても、担当さんからキャラブレ、別人になってるという指摘をされた。

だんだん自分でもそのキャラがどんな子なのかわからなくなった。

しばらく練り直して、やはり変わらなくて。

諦めて別の話を描くことにした。

そこからは真っ暗闇だった。

どんな話を描いても、中身が全部同じと言われる。

当然だ。「好きなもの」を描いてるから

下手に考えるより、自分の好きなものを好きなように描いて、それを膨らませる。

そう言う方法で描いた方がうまくいくタイプなのは自覚していたから、そのように描いていたつもりだ。

結局実力も追いついていなかったし、描きたいものも分からなくなってダメだった。

そんな事が2年近く続いた。

別の編集部の人に、考えている途中のネームを見せたこともある。

足りないのは実力じゃなくて話の一番の見せ所だ。あとちょっとでうまくいきそうだし是非頑張って。

それは、私が初めての持ち込みの時からずっと言われている事だった。

初持ち込みから10年。

結局自分は、10年経っても何も変わらなかった。

そろそろ30になる。

二十歳で死ぬと思っていたのに、10年もロスタイムを生きてしまった。

友達は1人もいない。比喩表現ではなく、本当に誰もいない。

小学時代、一番仲が良かった子に、ある日突然いじめられた。

一番仲がいいと自分では思ってたし、昨日まで仲良く遊んでたのに。

転校して、中学時代もそうだった。

突然クラス男子からいじめに遭い、それを一番仲が良い友達相談していた。

男子を使ったいじめの首謀者がその子だと気づいた時は目の前が真っ白になった。

「そう言う事するなら、あなたとはもう友達じゃいられない」

はっきりと意思表示をした。思い直してくれることに期待した。

別にいいし」

友達を作るのが怖くなった。

どんなに仲良くなっても、弱みを握られるだけだ。

お陰で高校の2年間はクラスで1人で過ごした。

ある程度損得が考えられる生徒が多かったから、いじめにはならなかった。

触れてはいけない、祟り神みたいな扱いだった。

3年でようやくできた友達は、卒業と同時に「私たち高校の間だけの友達じゃん」と言われた。

友達って難しいな。

中学時代、好きな男の子にはペットボトルを投げられた。

親には言えなかった。

高校時代、好きな子相談を親にした事があった。

友達に言うとまたいじめられるかもしれない。親なら相談に乗ってもらえるだろう。

あんなこ辞めときな。大学生になったら彼氏できるから!」

大学時代バイトと専門、学部女子が圧倒的に多い。

そのまま卒業した。

「いつかいい人が現れるから

そう言われ続けて卒業した。

卒業した瞬間、「いつになったら彼氏できるの」に変わった。

友達の作り方も分からないのに、彼氏ができるわけない。

一応婚活とか街コンには何度か行った。

まずは友達が欲しかった。

何人か連絡先を交換して話したりした。

仲良くなった人もいる。

その頃の私はマニキュアを塗るのが楽しかった。

ちょうどアシスタントを始めた頃で、それまでバイトの都合で服装制限があったし、オシャレはほぼした事がなかった。

ネイルと言うにはお粗末だが、100均の安いマニキュアを買ってなんとなく色をつけて喜んでいた。

100均のマニキュアを使った事がある人なら分かると思うが、乾くのが早い代わりに、木工用ボンドみたいにペロッと剥がす事ができたりする。

オシャレに無頓着な私はそれが何となく楽しくて、塗った後しばらくたって剥がれたマニキュアをめくったりもしていた。

ある日、LINEのやりとりで仲良くなった1人に食事に誘われた。

趣味の話とかゲームとか、そう言う楽しい話をしていた、異性で初めてできた友達感覚だった。

自分の指先が、剥がし掛けのマニキュアボロボロなのを完全に忘れて食事に行った。

かい合った個室のテーブルで、その爪に気づいたその人に、「ネイルやってるの?見せて」と手を握られた。

そして、ボロボロの爪を見られた。

「オシャレだね」

怖くなった。

ボロボロハゲ公園遊具ペンキみたいな指先を綺麗と言ったのだ。

しかも、気持ち悪い笑顔を貼り付けて、視線は全く手を見ていなかった。

メガネの奥の瞳と視線があって、二度と会わないことを決めた。

男女でただの友達になれるのは大学まで、そのあと仲良くなれるのは下心のある人だけらしい。

それがたまらなく怖かった。

その後も何度か友達までの付き合いの人はいたが、例えばふとした瞬間肩を触られたり、手を握られたり。

そう言うのが怖くて続かなかった。

そのままもうすぐ30だ。

家を出る能力がないので実家暮らし毎日両親…特に母に怯えて生きている。

「家にいるんだから家事しなさい」「他の人は外に働きに出てるんだから

少ないながらに在宅でアシスタントはしている。

両親の中で、外に通勤していない、在宅労働は「仕事」ではないらしい。

本当は拘束時間が長い職場だが、家事があるため作家さんに頼んで短くしてもらっている。

当然、その分給料は減る。

給料が少ないから、その分早く自分原稿で稼げるために作品作りに励む。焦る。

それでもようやく希望が見えてきて、前向きに色々挑戦できそうになってきた。

真夜中に叩き起こされ、いつ結婚するのかと叱責された。

完全に寝ていたので、はじめ何を言われているのか分からなかった。

真っ暗な部屋の中で、Permalink | 記事への反応(1) | 16:44

2021-01-13

飲食業が備えてるべき衛生感覚

冗談や誇張ではなく、客をうんこと同じくらい不衛生なものと思え。

ハエブンブンたかったうんこテーブルカウンター放置するな。そんな不衛生なところで食事をとりたくない。

トイレからキッチンに戻ったら水だけじゃなくて石鹸で手を洗うだろ?おまるを触ったあとも同じことをしろ

2021-01-12

寒さも早く春になれ増田まれ何ル履くやはも寒さ(回文

私の雪国に対しての類義語雪国まいたけしかない昨今いかがおすごしかしら?

おはようございます

雪が降ったり寒くなったりすると

雪国まいたけって言いがちなんだけど、

ここでマイケルジャクソンさんばりにポーとか言わないところがまだ理性があるところだわ。

本当に寒くって、

お友だちの家に行ったら頼みの綱のボイラーがまさかの凍結っっ!

って思わず小さい「つ」の大渋滞が起きそうなほどで、

ああ言うのって凍結した管に熱湯かけたりしたら、

爆発するらしいので、

自然解凍に任せていたら自然解凍されていて、

翌日には凍ったのがディナーの前の謎と共にとけたんだけど、

なんでも10年に一度の未曾有湯のお味噌汁味ってなわけなのよ。

まあ珍しいときに珍しい体験をしたなぁーって。

途中そのお友だちの家に行くときに、

雪でバスも全滅だったので、

そこはネットで調べたら一目も瞭然なんだけど、

情報インフラのないお年寄りの方が、

情報を持たずにずっとバス停に立って待っていたのを見ると

あの日本昔話であるじゃん、

雪で可愛そうだから

売りに言った傘をお地蔵さんかぶせて上げる話し。

ここまで来て思い出せないあの日本昔話を地で行くように、

バス停でただ立ち尽くしているバス待ち村人に、

私は情報バイアスなんて言わないで確実に確実にバス運休情報をゲットしている持っている情報の強みを活かして、

待ってる人が気の毒だったので教えてあげたの。

そのあとそのまんが日本昔話ばりの恩返しはなかったんだけど、

バス待ち村人は寒いバス諦めてくれたのかな?って

それだけが気がかりよ。

寒い中突っ立ってるのって辛いじゃない!

から私も雪国対策で、

これが一番雪に対抗できる運動靴かも!と思ってハイテクシューズを履いてくんだけど、

まあ足もと慣れない歩きだけど、

なんとか本来バスで行くはずの道のりを歩ききったわ。

雪中訓練みたいなかんじで

重たいリュックを背負って行く感じがベッソンよ。

辛かったけど、

到着したら一入。

かいお汁粉が迎えてくれたの!

疲れているから一塩つまんで入れて、

甘いのアンド塩辛いのを同時に舌にのせて遊んでいたわ。

味わいそのものダイレクトに舌に伝わるお汁粉の味だピュアよ。

目を閉じればノー雪国まいたけノーお汁粉

タワーレコードばりに自信をもって温まれわ!

こんなことは滅多中の滅多にはないだろうけど、

楽しい思い出の1ページ的なページとして

記録に残る積雪より記憶に残る積雪としてのオリンピックイアーを今年はどうしても開催したいところ!

また夏どうなるか分からないけど、

雪中切に思ってやまない、

この思い届きますよに!って

帰りの新幹線で思ったわ。

帰りの新幹線も雪で徐行遅れが発生!なんて言ってたけど

ヨーロッパ鉄道と比べたらなんてこと無いわよね。

ヨーロッパ鉄道なのだ遅れてるのしょっちゅうだし

500kmの道のりを2時間ちょっとで本当は着くTGV的なものでも

まあ時速100キロで走れば5時間で到着するからいいじゃん!って心の持ちようなのよ。

のんびりしてるわーって思いながら、

それを日本のとに比べたら、

5分遅れただけでも申し訳ございませんって、

ホテルドラマ高嶋政伸さんばりの謝りはいらないし大袈裟だと思わない?

ちょっとやりすぎだと思うわ。

ってそのドラマは観たことはないんだけど、

おかげで遅れると言っても

早くに到着しちゃうからルービーを開けるどころか、

漫画1冊だって読み切れない秒で到着なんだから

時間お金で買うか、

お金時間で買うか、

本当に迷うところよね。

この昨今車内は行きも帰りも人1両に対して私含め4~45人ってところだったから、

車内販売の人の上がりも歩合制なら本当に気の毒よね。

私が一杯水飲んだところで

ペットボトル3本としても、

その車内販売の売り子さんの歩合のさ上がりがさ20円ぐらい上がるだけじゃない。

本当に世知辛い世の中なのかどうだか分からないけど、

少しでも売上に貢献できたらと思って、

お水4.4ガロンサンドイッチ1人前を頼んだわ。

少しは貢献しているはずよ。

うふふ。


今日朝ご飯

正月休み流通はどうなってるのと心配なぐらい、

ミックスサンドしか置いてなくてというか作ってなくって

選択肢ミックスサンドしかないのも仕方なく、

ミックスサンドイッチにしたところよ。

苦手なツナから食べるわ。

苦手じゃないけどあえて言うならってことよ。

デトックスウォーター

寒いのでホッツ白湯ウォーラーインほうじ茶ヒーパックを浸けておけば、

ホッツほうじ茶ウォーラーにはなるでしょう。

本当に寒いわ。

乾燥してるから水分もしっかり摂ってね。


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

かつて好きだった人について

※人によっては不快気持ちになるかもしれません ご了承の上お読みください。

初めてその人を見た時私はその人の髪色の所為でその人の存在自体自分の居る場所に妙に不釣り合いなように感じたことを覚えている。

動画サイトで後ろ姿しかたことのないその人は、動画で受ける印象よりも少し若く見えた。髪の毛が短くなっているからだろうか、服の着こなしといいその人は自分に似合う物をそれなりに考えて着てるみたいだった。第一声は「意外と背が高いね」だった気がする。ちょっと立ってみて、と言われて立った私は緊張で少し震えていたと思う。何か吹いてみて、と言われて吹いたのは先輩から事前に渡されていた軽い小曲集の1つだったがそれすらもろくに吹けなかったので内心ものすごく緊張しながら吹き終えた事だけを覚えている。

好きなんだろうか、と思ったのは暑い盛りの夏が終わった時でその頃には私は部活にそれなりに馴染んできていて、それなりに楽器も吹けるようになっていた。

朝練に出るため川沿いを自転車で走っていたときに見えるまだ出たばかりのまばゆい太陽を眺めながらあの人もこの太陽を見ているのだろうか、とかそんなことをふと考えた。もっともその人はいつも練習時間遅刻してくるのだけれど。朝早く起きているのかすら怪しい。でも、そんなところがその人の私から見た好ましいところだった。

先輩方のお別れ会、というものを空き教室でやったことがあり、そのときもその人は遅刻してきた。

お別れ会を進めようにも来ないのだから進めることが出来ない。私たちはその時間の間にペットボトルジュースを何本か開け、持ち寄ったお菓子を紙皿にぶちまけて食べていた。行儀が悪い。

遅れてきたその人を見てようやく揃った、と全員が安堵した。その人を含め1、2年生で合唱なるもの披露したときその人は少し泣いている様に見えた。指揮を振るときしかめったにつけない薄いフレーム眼鏡を少し持ち上げて目頭を軽く指でなぞる仕草は皆が前を向いていたときにこっそり横目で見ていた私だけが気づいていたのだと信じたい。

その泣き方は別れに何度も立ち会ってきたけれどそれにまだ慣れきっていないといった感じだった。

私はその人にも別れの歌がよく聴こえるように一層口を大きく開けて歌った。その日の歌は毎年聴いてる合唱の中で一番良かった、と言われた。それを聞いて私は、来年になったらまたおんなじ事をこの人は言うのだろうと思った。


楽器屋の壁にある演奏会ポスターが貼ってあるのを見つけた。そのポスターにはその人の名前も載っていてその演奏会に出るのだ、という事に気がついた。塾の帰り道、コンビニに寄ってチケットを買った。学生なので安く済んで良かったと思った。

年が明けて、学期始めの前日にスカイツリーのよく見える街までその演奏会を聴きに行った。中は混んでいて客の大半は知り合いの伝手で来ているらしかった。楽器を吹いて参加する事もできるらしく、学生らしき人が楽器を持参してパンフレットの裏に載った譜面を吹いていた。でも、ステージの上を目を凝らしてみてもその人の姿はそこには無かった。

演奏会が終わりホールから出て行こうとするとその人は出口の辺りに居た。一般参加者の人にだけ配布されたバッチか何かを回収する係らしかった。あとでその人のSNSを見ると演奏会のあった日に「ありがとうございました」というメッセージ舞台裏から撮ったらしい写真が添付されていた。その人は理事で、演奏には参加していなかった。


冬が明け、春になり私には後輩が出来た。今まで2人しか居なかったので後輩が出来るのは素直に嬉しかった。三年の先輩はいないので実質私たちが一番年上だった。

新入生がその人の前で演奏する時期がまたやってきた。去年の自分を見ているようでとても初々しかった、それと同時にもうそこには戻れないさみしさを感じた。もうあの頃には戻れないのだ。泣いたって叫んだって私はもう前に進まなきゃいけなくて、あの子達はきっと自分よりももっと上手くなってそのうち私も追い越されてしまうんだろう、と思った。それが羨ましくて私は新入生の演奏聴くように言われたが練習がしたい、といって断った。後輩に興味の無い人間だとあの人は思ったかもしれない。それでもあの人は頭の片隅でほんの少し思っただけでそのことについては1秒後には忘れているのだろう。

夏になりコンクールの時期がやってきた。コンクールにはそれなりに力を入れている学校で上位大会にもよく出場している学校だった。コンクール以外でも全国大会に参加したことのある、知る人は知る中堅の強豪校だった。

コンクールの結果はとしによってもまちまちだったが私たちの前の代までは連続地区と県は必ず抜けていた。最も中学の時は最後の年しか県を越えた事は無かったので中学と似たようなものだと思った。オーディションは学年問わずほぼ全員強制参加だ。オーディションを真ん中くらいの微妙順位で抜けた私にはなぜかソロが回ってきた。その前のソロコンの順位たまたま一桁台だったからかもしれない、まぐれで良かっただけの順位を当てにされても、と思ったがなんとかその人の期待に応えよう、と思って私はそれなりに全力を尽くした、つもりだった。

結果は予選落ちで、このくらいひどい成績を取ったのは史上2回目らしい、しかもその前は15,6年ほど前のことだ。

コンクール予選の音源を聴いてみたがそこまで特に大きなミスを感じなかった。音圧で耳がおかしくなっていたのかもしれない、とおもったけれど舞台裏で聴いていた友人にはべつに地区落ちするような音楽じゃない、と言われた。スタンドで飲んだタピオカを飲みながらちょっぴり泣いた。帰りの電車でも泣いて、家に帰ってからも2階の自室へつながる階段を上る気力すら湧かなくて、気がついたら床に突っ伏して泣いていた。涙と鼻水がフローリングに滴った。

次の日の反省会ほぼほぼ全員大泣きした後、心機一転音楽室の大掃除をした。空は真っ青で、雲は学校の前にある会社よりも遠くの方に見えた。窓越しにその人と目が合ったとき私は片膝立ちで窓の外をぼんやりと眺めていた。サボっていると思われたんじゃないかと思ってそのイメージ払拭するかのように窓を濡れ布巾の乾いた布巾で一生懸命拭き上げた。一緒に掃除していた後輩に「先輩、落ちないでくださいよー」と言われて自分が窓の縁から落っこちそうになっているのに気がついた。

窓の外側からその人の車が見えたことだけ、私ははっきりと覚えている。

これで終わりです

2021-01-05

コカ・コーラの「オリジナル テイスト」の意味

コンビニで買った500mlペットボトルコカ・コーラのラベル

ORIGINAL TASTE」って書かれてたんだけどこれはどーいう意味

「今まで売ってたものじゃなくて昔のコカ・コーラの味を再現しました」という意味なのか

コークオリジナルは他のものじゃなくてコカ・コーラですよ」というただの宣伝文句なのか。

今日飲んだコーラはなんか味が違う、と思って気になった。

あと、コーラに「砂糖」って入ってたっけ?一時期は果糖ぶどう糖液糖だけじゃなかったっけ?

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