はてなキーワード: フィルターとは
先日、こんなツイートを見た
https://twitter.com/kurage313book/status/1386659944875757568?s=21
これを見た瞬間、SNSを多用する友人に感じていた違和感がわかった
その友人はその日あった出来事を必ずと言っていいほどInstagramに掲載する
もちろん、フィルターをかけた雰囲気のある写真とポエムとエッセイの合いの子のような文章と共に掲載する
その文章を見るたび、いやいや何勝手にワイをてめえの物語の一登場人物にしてんねんとツッコミを入れたくなる
そう思ったらその場でわたしに伝えればいいし、てめえのキラキラしたステキナワタシ^_−☆ストーリーの材料にしてんじゃねえよと言いたい
わたしはわたしの人生の主人公であって、決しててめえのキラキラストーリーの添え物ではない
これは自分の子どもや祖父母の写真を添えて写真をアップロードしている輩にも同様の感情を抱く
自分が輝きたい、ひいてはその輝きを他人に見せつけたいがために他人を輝きの材料として徹底的に活用する
そしてその周囲の人物は、それを素晴らしい感受性の持ち主と感じていることがほとんどである
今日まではいやまあ直接会う分には悪い人ではないし、SNSは無視してればいいか…と思っていたけど、先日見た投稿を見て、もう深く関わることは辞めようと心に決めた
その投稿は、キラキラした集合写真に、わたしが前にその人に伝えた言葉が貼り付けられていた
わたしが表現した言葉を、あたかも自分のオリジナルかのようにしていた
以前からわたしの発言を、おそらく無意識にだと思うが、己が発したことにしていることが散見された
今回の投稿もその延長だったのだと思うが、それでもわたしの中でなにかが完全に断裂された感覚がした
文章にすると己の器の小ささが露呈するようだが、所詮言葉は感情の下位互換なのだから、この投稿で少しでもモヤモヤが整理されればいいや
どういう動画だったら視聴されるのか、
何がやりたいとか自分なら何ができるかではなくて、
逆算して考えるのはやっぱり面白な
そう考えると、ヒカキンみたいなのが良いわけではまったくないことが分かるし、
日本人だけでなく世界中のユーザーに視聴してもらうにはどうするか、
犯罪みたいなことをやって目立とうみたいなのは思慮が足りない、
そうなると視聴者も実際は同じ傾向のヤンキーやDQNに偏るだけであって、
YouTuberとして食べる、動画を金に変換する、という観点でまったく意味がないというか、
あと、アニメの一部を切り取ったり、
元の動画を色々いじって違法アップロードに検知されないようにしてるのもあるけど、
これもやっぱり費用対効果だけというか、
この世界で自分というコンテンツを確立するのが目的となるわけで、
リアルでもそうだけど、目標地点までの距離が短いというのは、それなりのリターンしかもたらさない
かと言って、何か途方も無い大それたことを成そうというのもリスクが高いわけで、
その中間地点は戦況が好転、もしくは悪化する度に打ち直すことができるわけだし、
まあ、何が言いたいかというと、ちゃんと考えてる人は考えてるんだなあ、と気がついて勉強になった
スマホのアプリとかだって、例えば有料で購入者が多いのに、評価が低いとか、
そういう数字をフィルターして眺めてみれば、消費者が何を求めているのかが見えてくる
何を作りたいか、何なら作れるか、ではなくて、
どういうものを作ったら売れるか、喜ばれるか、みたいな逆算で考えて、
そうやって出てきたリストの中から、自分だったらできそうなものを選ぶみたいな、
そういう逆算の考えってやっぱり大事だよなあ、と思った夜だった
この記事。GIGAスクール構想で児童に配ったタブレットが遊びに使われて困ってるという内容で、一見微笑ましくもあるのだけど後半の続きの部分に通信契約はどうなってるんだろうという疑問に思う部分があった。
学校のタブレット「家ではゲーム機」 小中学生配備端末に“抜け道”:中日新聞Web
https://www.chunichi.co.jp/article/246312
中日新聞のこの記事では、後半部分に岐阜市の事例が挙げられている。岐阜市は全小中学生に「ネット回線を付け」たタブレット端末を持ち帰りを認めた上で貸与している。YouTubeなどフィルタリング機能で見られなくしているが、岐阜市教委によれば、一部でYouTubeのフィルターを解除しゲーム解説動画を24時間流し続けて月の通信量が100GBを超えたことから児童に聞き取りをし問題が発覚したという。市は通信量1人月5GBを基準にしていてそれを大幅に上回る。市教委は家での通信はWi-Fi接続を推奨していたそうだが家に固定回線を引いてない家庭は少なくないから、そういう家で遊びで使うと一気に通信量超過になってしまう。
一定の通信量超えたら低速にするとかにすると学校の授業に支障が出そうだから、そういう制限はなさそう。かといって完全に使い放題で通信会社と契約してるとは思えない(してるのか?)。超過分は追加チャージとかだったら税金かかることに。
こういう相談は、相手が踏み切れない事の背中を押したり、モヤモヤを晴らしてやる事が「良い回答」でそれを出来るのが良い回答者なの。
単純でアホみたいに人権ガーをしている馬鹿共は捨て置けばいいんだけど、瀧波ユカリさんが言ってることはかなり相談者内容でフィルターはかかっているが合ってると思う。
この相談者の幼馴染である14歳の少女が幸せに生きるためには大人が手を差し伸べなければいけないし、相談者もそれはわかってて自分に出来ることを教えてほしいと相談を書いているような気がする。
なんで相談者はそう思ってるかと感じたかは明らかに相手の男のことを悪く書きすぎているから。
19歳で未成年飲酒・喫煙していたり、避妊拒否したり、そして極めつけに彼女の家の状況まで書いて、万が一妊娠した場合は彼女が産むにしろ堕ろすにしろ男・親から支援を受けられそうにないと感じているんじゃないかと思う。多分瀧波ユカリさんもそう感じてる。
だから
https://twitter.com/takinamiyukari/status/1386550154992394241
https://twitter.com/takinamiyukari/status/1386597549524414467
と記している。
そしてこういう相談者が求めているのは市や県、国などの支援などや相談の方法でしかありえない。
瀧波ユカリさんが憤っておられるのは相談者の幼馴染の彼氏(君の父親の立場)ではなく間違いなく回答者。
そこを間違えてはいけない。
じゃぁ幼馴染の彼氏を悪く言う必要はないじゃないかというが、相談者の立場からみてそもそも悪い前提で相談が来ているのでそこはもう相談の前提となっているんじゃないかな。
結局核として言いたいのは
https://twitter.com/takinamiyukari/status/1386597554708570113
これだと思うよ。
連載物をリアルタイムで追っかけているとままある…というか何度もぶつかってしまい、その度に苦しんでしまうのだが、皆どうやって割り切っているのだろうか。
話自体は自分自身の『期待フィルター』を取っ払えば筋が通っていてかつ凄い面白いのだが、この展開ならいずれ活躍するだろうと注目していたキャラクターの見せ場があるどころか役回り自体損なものになってしまったり(最期に一華咲かせるだろうと思ったらあっさり死亡退場してしまうなど)、あるいはこの要素はああなるに違いないと立てた予想が特に関係無かったこととして処理されてしまったりすると、なまじ話が面白い分尚更もやもやした気持ちを抱えてしまう。この先また自分が期待した要素がお出しされるかもしれないとあきらめずに連載を追いかけていけばよいのか、それとも期待が外れた時点でノットフォーミーだったと物語を見切って降りるべきか。
連載を追いかけるのをやめた上で完結してから改めて読み直す、というのが一番良い手段なのはわかってはいるのだが、それはそれでこれまでの連載を追いかけてきた時間は何だったんだってなってしまうんだよな…それなら完結した後でこの物語に出会いたかったとなってしまうというか。
結局、最初から連載中のものには手を付けない、というのが正解なのかもしれない。リアルタイムで物語を追いかけて盛り上がることは、リアルタイムで追いかけた物語そのものにストレスを抱えてしまうリスクがあるのだと自覚した上で新しい物語に手をつけた方が良いのだろう。
…本当はいちいち過剰に先の展開に期待せず、フラットに物語をひたすら消化出来ればよいのだが、何分拘りが強い分、どうしても入れ込んで、過剰な期待を物語に押し付けてしまう。ただ辛いなあ、という愚痴です。
妻はそれを花粉症だと信じてやまない。
だから症状がわからないのかもしれないのだけど、息子のそれは花粉とは違う。
なぜなら、子どもが鼻を詰まらせるのは決まって家にいる間だけだからだ。
もともと漢方信者(≒東洋医学信者)なところがあり、行きつけの漢方薬の先生に相談しては苦い薬を子どもに飲ませている。
小学生の息子には病院の抗アレルギー薬を飲ませたくないという気持ちはわかる。
でも、苦しんでいる子どもをそのままにしておくのも胸が痛い。
ちょうどいい機会だからと、寝室になにかあるのではないかと探し始める。
妻は日光信者でもあるので、何でも風通しを良くして日干しすれば殺菌できると考えている。
最初は布団についた花粉を疑ったが、掃除機もこまめにかけているようだ。
布団の線は薄い。
そんなことを考えながら見回してみるとふと目についたエアコン。
吹出口をスマホのライトで照らして覗き込むと吹出口から送風ファンまでびっちりと黒カビで埋まっていた。
そういえば妻がエアコンを掃除している姿を一度も見たことはない。
嫌な予感がしてリビングのエアコンをチェックしてみると、こちらも同じ状況だった。
もし急に気温が高くなってうっかりこのままエアコンを点けてしまうようなことになれば最悪肺炎もあり得る。
すぐに掃除に取り掛かった。
吹出口のカビを除菌シートで拭き取る。
エタノールと綿棒で送風ファンの隙間一つ一つを丁寧に掃除する。
綿棒はあっという間に黒ずみ、カビの多さを物語っている。
途中で何度も心が折れそうになるたびに、子どものつらそうなくしゃみを思い出しながら、自分に頑張れと言い聞かせる。
リビングにもう一台。終わる頃にはすっかり日が暮れていた。
ちょうどその頃、妻と子どもが帰ってきた。
「あのさ、子どものくしゃみの原因だけど、もしかしたらエアコンかも。カビがすごいから掃除しておいたよ。」
感謝の言葉がほしくないといえば嘘だが、帰ってきた言葉は予想できないものだった。
「なにそれ。わたしだっていつも掃除してるじゃない。それにカビがどうしてくしゃみの原因になるのよ!」
怒っている。
「いや、責めているとかじゃなくて、くしゃみがひどいから花粉以外の別の原因があるんじゃないかなって調べてたらエアコンがカビだらけだったってことだよ。それを掃除しただけ。」
「わたしがどれだけ毎日大変かわかってない!汚れに気づいたら勝手に掃除すればいいじゃない!いちいちわたしを悪者にしないでよ!」
これはダメだ。
そんなつもりは微塵もなく、ただ、子どもがこれ以上辛い思いをしないようにしたいだけなのにそれが全く伝わらない。
まあそれでも、これでカビが原因だとわかって苦い漢方が止まればよいか。
その時はそう思って黙って引き下がった。
それみたことかと思いつつ、下手に刺激してもしょうがないと黙っている。
すると妻は何を思ったか漢方を取り出して子どもに飲ませはじめた。
「よかったね。○○ちゃん(子供の名前)。漢方効いてきたからもう少し頑張って飲もうね」
ええエエェェえぇぇぇぇぇエェぇぇぇ工エエェェ(´д`)ェェエエ工
実はこれは3年前の話。
緊急事態宣言の中、今年も子どものくしゃみが始まったので妻は漢方を買いに出た。
その間にエアコンと格闘。
私はコミュ障発達障害のヤバいブスなので、バイトの面接に全部落ちた。
いや、コミュ障発達障害のヤバいブスだから落ちたのかは知らんけどなんか飲食店も家電量販店も学習塾も雑貨屋もネカフェも全部落ちた。
哀れに思った知人が紹介してくれた店でしかバイトしたことない。
ヤバい。
就活怖すぎ。無理でしょ。
まあ、なんか、今はまだ選考があんまり進んでないので学歴フィルター的なあれで一次面接ぐらいは通してもらってるけど、なんかもうそれも無理。
次の面接はここに気を付けてねとかめちゃくちゃダメだしされる上に、もっと他の業界受ければいいのにとか勧められる。
あーね、あーね、一次面接とかなさる方には機電系院卒女子とかいう激レア人材を落とす権限ないわけね、はいはい。
知ってた。
知ってて来たもん。私は知っているぞ。女性を採用しろという政府の圧力を。
でもそういう人格が終わっている人間は結局最終面接で落ちるって言われる。
分かる。超分かる。私もそう思う。怖すぎ。
じゃあ学校推薦とか取ってそれで就職決めろよという話だけど人格が終わっているので、就職担当の先生にメールするのが怖い。
そして結局の所は、俺自身この件について心根ではどうでもいいと思っていたりする。
どうせ、このやり取りも今日だけで終わるんだ。
などと内心クダラナイことを考えていたが、実際この時の雰囲気を形容するなら大体そんな感じだったんだ。
しかし俺が迂闊だったのは、この日で終わるはずだった四方山の話を自宅でしていたことだった。
文化やマナーの話を持ち出したことも、箸の持ち方について言及したことも安易ではあったが、この点には勝らない。
なぜなら、自宅であるということは“弟が近くで聞き耳を立てている可能性”について見積もる必要があったからだ。
己の油断を嘆くべきなのか、弟の口の滑らかさに怒るべきか。
思春期だというのに、兄弟部屋を分けてくれない両親の教育方針を恨むべきなのか。
“後の祭り”の語源は、最も盛り上がる時間である“前の祭り”との対比からきているらしい。
そう考えると、ここからの展開はあながち慣用句ではないかもしれない。
「……なーんてことを兄貴たちが話してたんだ」
当然、弟のフィルターを通して語られているから話に繊細さなんてものはない。
「正直、俺はどうでもいいと思うが、ちゃんと箸を持てるに越したことはないよな」
「私、ちゃんと持ててないけど、うるさく言われたくはないわ」
「タオナケの言い分も分かるよ。でも、それを気にする人がいるってのも分かるだろ」
「私もそれは分かるけど、“気にする気にしない”と“善い悪い”は別でしょ。ちょっと箸の持ち方に癖があったとして、それでアンタに迷惑かかるわけ?」
「ちゃんと持ててないのに開き直って、気にする側を心の狭い人みたいに言うのは違うんじゃないか?」
「“みたい”じゃなくて、実際その通りでしょ。別に悪いことじゃないんだったら、それは気にする側の問題よ」
「おいおい、さすがにその言い草はないよタオナケ。ちゃんと箸を持てていない立場で、気にする方が問題とまで言ったら傲慢だよ」
「傲慢ですって!? 箸をちゃんと持てるのが、そんなに偉いの!?」
「そうだ! オレこそが最強の“ゴーマン”だ!」
「シロクロ、お前は傲慢の意味を誤解しているし、その持ち方はクセがどうとかいう次元を超えてる」
モメるのは決まっていた。
しかも、俺たちより年下で知識も語彙も少なく、コミニケーションの妙も理解できない同士だ。
そのグダグダっぷりは俺たちの時の比じゃない。
最近徒歩5分圏内にダイソーの大型店舗がある場所に引っ越した。
便利だし品揃え豊富で見ていて楽しいから毎週のようにいろいろと買いに行く。
今日は突っ張り棒とワイヤーネットで家の空いてたスペースに簡単な棚を作った。総額400円ほど。
その後に何気なしに無印良品に行ったんだが商品を手に取るたびに心の中のダイソーが僕に囁いたんだ。
「これダイソーで似たような奴あるだろ」と。
「これダイソーで200円であったわ」
「この1200円のオシャレ調理器具、確かにかっこいいけどダイソーにプラス1100円分払うほど自分の生活を良くするか?」
「あー、これだったらダイソーのアレとアレ組み合わせれば300円くらいで作れそう」
よく考えればダイソーに置いていない商品なんてそんなになかった。
今や財布や出勤用のバッグなんかもダイソーだが正直何一つ困ってない。
いつの間にか厳重なるダイソーフィルターを通過した食料品や家電関連しかダイソー以外で買えないダイソー人間になってしまっていた。
正直困ってはないんだけどこれでいいのかな。
利己的というか、自己プロデュースとか転職のプロみたいなのばかりになった感はある
だって、GitHubのtrendにinterviewみたいなネタばかり上がってくる
ここでいうinterviewというのは日本語のインタビューではなくて、採用面接のこと、特にコード面接とかその対策のことで、
あと、競技プログラミングみたいなのも就職・転職のため、面接・入社試験対策みたいな方が主になってしまってて、
要は能力自慢、俺スゴい、だから俺を雇え、みたいなウェイトが高くなりすぎてる
一方で昔のように趣味的にスゴいものを作るとか、それを発展させてビジネスまで持ち上げる人たちも勿論いるし、
自分はそういう方が面白いのだけど、それはそれでコモディティというか、
インターネットという毎日がオリンピック会場の世界で埋もれていってしまったりするわけで、
そうなってくるとなんか趣味としてもつまんなくなってくる気がするんだよなあ
漫画だって昔は出版物というテストというかフィルターを通過しなければ世に広く出られなかったわけで、
そうなると、単に趣味でいい、広く表現したい、でもちょっと売りたいだったら同人誌だっただろうし、
正規?なルートとしては新人賞で受賞して、担当編集者が決まって、デビュー作で短編を載せて、みたいなのがスタートラインで、
ネットがない時代はそれでしか世に出る方法がなかったわけだけど、
まずプロより上手いぐらいの素人は大量に存在して、彼らは漫画家なんかよりカタギで食ってきたいとか思って諦めてきたわけで、
でも、出版物もなくなってネットで漫画を配信するようになると、連載で穴を空けるようなリスクが急激に下がってしまって、
極端なことを言えば、原稿ができたら持ってきてください、そのとき都合がいい媒体に配信しますんで、
漫画で食ってく金は敢えて稼がないけど、小遣い稼ぎなら実現しやすくなる
そうなると困ってくるのは漫画一本で食べてる漫画家の方だったりして、
彼らは人生を二択してしまったから、時間とか人生のリソースを全て漫画に詰め込むことができる分では有利になるけど、
人生全体として考えると、漫画家という職業自体にリスクがあるし、
アタリショックではないが、そんな感じでネット上に大量の漫画が溢れてしまっているので、
余りこだわりがない読者は無償枠の連載を読み歩くだけで暇は潰せてしまう
読者が単行本までリーチしないと元が取れないのが日本の漫画のビジネスモデルなので、
これまでの雑誌=質の悪い紙で赤字で発行して読者を単行本購入まで導く広告、を印刷、輸送、販売するコストはゼロになったが、
今度は雑誌の売上、書店から上がってくるデータは得られず、それはアクセス解析に置き換わり、
そういった有象無象の荒波の中で漫画家も編集サイドもなんとか単行本購入に繋げなければならない
話が脱線したがプログラマーも同じで、一発逆転ネタはほぼなくなったし、
現実的にサラリーマンとして、どう優位に働くか、みたいな方向にシフトしてしまっているのだと考えられる
これは全世界共通の傾向だと思う
ガレージハウスでvisicalcを開発して大儲け、みたいな時代は終わり、
その代わり、どうやってGAFAに就職して給与を上げるか職歴に泊を付けるか、みたいな方向に向かっている
夢がないように思えるけど、食べてかなければならんわけで、正しいっちゃあ正しい
というか、今の時代、プログラマーや漫画家でなくても、みんななんかこういう息苦しい世界になってしまったよなあと思う
法律が採決される時に行われる、出席議員による多数決の結果はどこでみれますか?
しかしながら、それにも大変問題があって、網羅的に見れない、大変手間である、そしてそれ以上に「起立多数」の記述のみの場合は、単にわからないです。
(そもそも起立採決なんて古めかしい方法が続いている理由は、個々の議員の賛否を隠すためではないか)
間接民主制で国民の意思を反映するには、政治家がどういった法律に賛成否定していたのかはハッキリ分かる必要がある。
(現在、マニュフェストがあてにならない以上、政治家の選出までしか国民の影響はなく、法律の制定への影響が薄い)
政治家の法採決における賛否がデータベース化されていれば、政治家の監視に役立つだけでなく、選挙の投票の際に大変役に立ちます。
だいぶ前のマスク不足時代に知り合いからもらった怪しい外国製っぽいマスク。
そしたらさすが日本企業!しっかりしてる!!
明らかに顔面にピッタリくるし、フィルターの厚みも見ただけでわかる!
ぶっちゃけマスクなんてマスク警察避けでつけてるだけなので、スカスカな方がいいってことを思い出した。
もったいないけど買い直そうかな。
ニトリの3000円のこれ。
職場のホコリまみれのフロアを綺麗にしたくて、自腹で安い掃除機を探してて適当に買ったんだが実によい。
https://www.nitori-net.jp/ec/product/8580771s/
安いサイクロンなんてハナクソみたいなパワーだと思っていたけど、電源タップに積もるホコリの集合体をモリモリ吸い込んでくれる。
仕事率85Wなのに充分な成果だ。
ただしメンテはめんどくさい。フィルターのスポンジに張り付いた大量のホコリを頻繁に除去しないといけない。
3000円だし、職場で壊れるまで使う分には十分だろう。
ちな、紙パック式ではこれを愛用していた。日立のこまめちゃん。
爆音だが仕事率240Wで強力。重心が手元にあるので操作しやすい。
ヘッドが小さいのだけが残念。
東大京大にもなると「あいつ東大(京大)卒のくせに」っていうレッテルをはられたり、
学歴コンプこじらせたやつから攻撃されたりするから大変だよな。
俺は東大京大ではない旧帝大だけど、普通に就職浪人した友人はいた。
ESで普通に落ちるし、面接に進んでも落ちると言っていたけど、
頭の回転や発言の仕方、見た目等々に問題があるとも思えず不思議だった。
東大京大っていうのは、学歴フィルター(数多いる学生から下を切り落とす)のには使われるが、
いざ採用という「フィルターで残った人からピックアップする」という作業においてはあまり有効に働かない。
(臨床やら研究やらのアカデミア界隈で生きていくなら別だけど)
あなたに足りていないのは採用担当に「この人と働きたい」と思わせることだと思うよ。
その会社じゃなければ駄目だって思いながら情報収集して面接に臨んでいる?
あなた自身「数ある就活の1社です」って思っててもそれは面接ではおくびにも出してはならない。
自分はこういう人間だと思っていて、御社は(理由付きで)こういう人材を求めていると思っていて、
自分のこんな能力や経験を活かすことができると思っている、ということをアピールしてほしい。
と言いつつも、理系だったので自分が就活したときはそんなことは全く考えておらず、
面接官になった今、学生のどこを見てる?っていう部分での話だけどね。
頭のいい大学にいる人は基本的に回転が速いから受け答えは問題ないと思うし、
あとはその辺のざっくり言う「志望度」の部分なんじゃないかな。
高校までの数学、物理、化学は役に立つし、英語が読み書きできないと本当につらい
でも、最近の中国では、英語はあんまり勉強せんでええで、という話になってる?らしく、
どうせ自動翻訳がやる、バンバン名著は中国語訳されるし国もバックアップする、
どうせ中国が世界征服したら英語より中国語の方が世界の共通語になるから、
みたいな話らしい
あと、ちゃんと日本語で思考できないと英語やっても無駄と同じで、
ちゃんと中国語で思考できないのに英語やっても国語力、読解力がなければ無駄、
ということでもあるのだろう
本当に要領がいい人はこだわりがなく、卒なく何でもこなすものである
寧ろ、学校の勉強ができない人の方がこだわりがある、ということの方が多いように思う
学校の勉強ができない人は、〜はできるが、学校の勉強はできない、とか、
なんかよくわからんが、自分は学校の勉強ができない、と思い込んでいる節がある
小手先のテクニックだけでも行けるところまで行けるのに、先入観があるからか気が付かないのである
安野モヨコ氏が庵野氏がズッキーニとか知らない食べ物を食べないとテレビで語っていたと思うのだけど、
こだわりが強いと、こだわっていることには強いが、
自分は学校の勉強ができない、と思っている人は、まずそれが思い込みでないか疑ってみることである
もしかしたら他人に、親に、教師にそう思い込まされてるのかもしれないし、
ちょっとでも疑問に思うことがあるとそこで止まってしまう、というのがある
というか、自分にもこの毛がある
要領のいい人は、その疑問をとりあえず飛ばして、これはこういうものだ、と理解するのではなく納得するに近い形でスルーする
スルーしないと先に進めない
なんかよー分からんが、えらい人がこれでオッケー言ってるんだからオッケーなんや、
と思って、細かい疑問は飛ばし、それを定着させる練習問題を多くこなすとか、とにかく先に進めることである
しかし、要領のいい「だけ」の人は、この自分で考えて疑問に思う、ということに無頓着であるため、
社会に出てから意外なことでトラブルを起こしてしまうこともあるように思う
上述のように、えらい人が言ってるのだから間違いない、というのが実際は罠であることが社会では往々にしてあるため、
要領がいい「だけ」の人は何の疑問も持たずにそれを信じ、結果としてトラブルに繋がってしまうのである
まず、いわゆる受験勉強、試験を突破するためには要領が良くなければ駄目である
学校の勉強を真面目に学問として考えすぎてしまうと、試験を突破できない
試験を突破するのは要領であり、テクニックの面が強いからである
しかし、要領がいい「だけ」の人には学問、学術的な思考ができないのである
そうでありながらも、詰め込み教育で英語や数式に慣れていなければ、学問や学術にも支障が出てしまう
詰め込み教育を否定しすぎても、結果的には学問や学術ができない人を生み出してしまうだけである
どうしても学校の勉強が自分はできない、苦手だと思う人は、ここまで述べてきたことを逆に考えるならば、
寧ろ何か学校の勉強以外にこだわりがあったり、特技がある可能性があるかもしれない
しかし、そのフィルターにはじかれたとしても、それはマイナスなことだけではないはずである
自分に向かないということが分かるだけでも、人生は前進したと考えるべきである