先日、こんなツイートを見た
https://twitter.com/kurage313book/status/1386659944875757568?s=21
これを見た瞬間、SNSを多用する友人に感じていた違和感がわかった
その友人はその日あった出来事を必ずと言っていいほどInstagramに掲載する
もちろん、フィルターをかけた雰囲気のある写真とポエムとエッセイの合いの子のような文章と共に掲載する
その文章を見るたび、いやいや何勝手にワイをてめえの物語の一登場人物にしてんねんとツッコミを入れたくなる
そう思ったらその場でわたしに伝えればいいし、てめえのキラキラしたステキナワタシ^_−☆ストーリーの材料にしてんじゃねえよと言いたい
わたしはわたしの人生の主人公であって、決しててめえのキラキラストーリーの添え物ではない
これは自分の子どもや祖父母の写真を添えて写真をアップロードしている輩にも同様の感情を抱く
自分が輝きたい、ひいてはその輝きを他人に見せつけたいがために他人を輝きの材料として徹底的に活用する
そしてその周囲の人物は、それを素晴らしい感受性の持ち主と感じていることがほとんどである
今日まではいやまあ直接会う分には悪い人ではないし、SNSは無視してればいいか…と思っていたけど、先日見た投稿を見て、もう深く関わることは辞めようと心に決めた
その投稿は、キラキラした集合写真に、わたしが前にその人に伝えた言葉が貼り付けられていた
わたしが表現した言葉を、あたかも自分のオリジナルかのようにしていた
以前からわたしの発言を、おそらく無意識にだと思うが、己が発したことにしていることが散見された
今回の投稿もその延長だったのだと思うが、それでもわたしの中でなにかが完全に断裂された感覚がした
文章にすると己の器の小ささが露呈するようだが、所詮言葉は感情の下位互換なのだから、この投稿で少しでもモヤモヤが整理されればいいや